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鬼藤千春の小説 「母のゼッケン」 短編

 母のゼッケン

            鬼藤 千春

 晩秋の陽は西に傾いて、軒の低い家をやわらかい光が包んでいる。圭三はきしむ玄関の戸を引いて、家のなかに足を踏み入れた。
「ただいま、――」
 いつものように圭三は、誰にともいうことなく、玄関で声を挙げた。
 縁側で母が内職の帽子を編んでいたが、顔を上げて圭三を一瞥しただけだった。
「…………」
 母は何かいいたそうだったが、また眼を帽子の上に落として手を動かしている。
「…………」
 圭三も黙って二階の屋根裏部屋へ上がっていった。
 圭三はカバンを机の上に投げ出し、ビートルズのレコードをかけて、畳の上に寝転び、虚空に眼を泳がせていた。
 階段の踏み板がきしむ音が聴こえてきた。その音が登ってくる。部屋の板戸が開く。母だった。母は部屋をゆっくりと見回していたようだったが、おもむろに口をひらいた。
「圭三、なんじゃ、こりゃ―」
 母は本棚の前に立って、あごをしゃくった。
「…………」
 圭三は黙っていた。
 本棚には、葉山嘉樹の「海に生くる人々」、「淫売婦」や黒島伝治の「渦巻ける烏の群」、
「二銭銅貨」などが並んでいる。マルクスやエンゲルスなどの著作も、無造作に突っ込まれていた。
 物思いにふけるように、母はその場に佇んでいる。しばらく沈黙が流れた。圭三はレコードのスイッチをきった。海が鳴っている。潮騒である。
「むかし――、むかしといっても、三十年ほどまえのことじゃ」
 母が振り向いていった。
「東の地区の漁師が捕まったんじゃ。こんな本を持っていたそうじゃ」
「…………」
 圭三は頭の下で手を組んで、黙って天井を睨んでいた。
「圭三、誰にもいうんじゃないぞ。そりゃ、いまの時代じゃから、もっとるだけで、捕まるようなことはねえじゃろうけど、――」
 母は遠くを見るような眼をしていった。
「…………」
「就職も決まったんじゃし、上の人に嫌われんようにせにゃいけんからなあ、――」
 母の言葉にさからうように、圭三は寝返りを打って母に背を向けた。
 母が二十歳の頃、この半農半漁の田舎の村で、こんな本を持っていた漁師がいたことに圭三はおどろいた。そして、なぜか心が騒ぎ熱くなってゆくのを感じていた。
 ――検挙されたのは、治安維持法だったのだろう。その漁師たちのもっていた良心や知性が窒息させられ、戦争と破滅への道を歩むことになったのではないのだろうか、圭三は心のなかでそう呟いて、母に反発していた。
 プロレタリア文学やコミュニズムの本に触れるようになったのは、圭三が高校二年の初夏に文芸部に入ってからだった。友人に奨められて読むようになったのだが、その頃、いかに生くべきかで悩んでいた圭三の心に、清流のように沁みこんでいった。
 来春、圭三は高校を卒業して、K市役所に就職することが決まっていた。
「よかったなあ、圭ちゃんは……、ええとこへ入れて、――」
 親戚や近所の人々は、挨拶がわりに母にこういうのだった。
 母はそれがたとえ世辞だとしても、悪い気はしなかったに違いない。しかし、圭三の心は平静で、特別の感慨はなかった。
「圭三、上の人にいやがられることのないようにせにゃいけんぞ、――」
 母は圭三の背中に声をかけて、階段を下りていった。
 圭三の家は貧しい暮らしを余儀なくされてきた。小学生のころ、家のタンスや机、自転車まで差し押さえの札が貼られていったのを憶えている。圭三は小学校の修学旅行にいけなかったし、成績のよかった兄が高校にいかせてもらえなかった。そうした貧しさを受け止めて、もっとも心を痛めていたのは母だったような気がする。
 ――大工を殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい、と揶揄される仕事をしていたのは父である。父は真面目で、飲む、打つ、買う、という放蕩をしたことはなかったが、なぜか圭三の家は貧しかった。だから、安定した仕事に就くことになった圭三の本棚が、母は気にかかっていたに違いないのだ。
 秋の陽が斜めに射しこんで、圭三の部屋を金色に染めていた。

 チ、チ、チッ、チーッ、チ、――
 雀のさえずりで圭三は眼を覚ました。カーテンを引くと、まだ明けきらぬ闇がそこにあった。
 チーッ、チッ、チ、チ、チ、――
 東の空はようやく白みはじめ、軒先で雀が鳴き交わしている。
 圭三が階段を下りてゆくと、母は台所に立って俎板をトントンと叩いていた。食卓の前には作業衣を着た父が坐っている。
「おはよう、――」
 母に向かって、圭三は声をかけた。
 母は唇を噛んで、圭三を無視するように黙って包丁で何かを刻んでいた。その音は母の意思が込められているようで、とげとげしく聞えてくる。思いわずらうこころを切り刻むようにそれは高く響いた。
 母が口を利かなくなって二日が経っている。朝夕の挨拶をしても黙ったままである。
 それは圭三が、母にゼッケンを縫うように頼んでからである。ゼッケンといっても母には判らないだろうから、集会の写真を見せたのだった。
「そりゃ、世の中が悪いかも知れん。じゃがのう、お前が何もそんな活動をせんでもよかろう、……」
 母は写真を突き返してきた。
「でも、気づいたもんから、やらにゃいけんじゃろう。ぼくもそれに気づいたから、始めるだけなんじゃから、――」
 圭三は、頭に白いものが目立つようになった、母の顔を覗き込むようにしていった。
「でものう、そんな活動をしょうたら、後ろ指をさされるようになるんじゃ。よう考えてみい、……」
 母はそういって圭三を睨んだ。
 圭三は次の日曜日に、ベトナム反戦と暮らしを守る集会に参加する予定なのだった。労働者と市民の集会だったが、高校生もいくつかの学校から参加することになっていた。圭三の高校からは、三名の学友が出るというので、圭三がゼッケンを引き受けたのだった。
 圭三にとっては、たんなる集会参加にとどまるものではなかった。圭三の今までの人生というのは、自己肯定感の持てぬ、劣等感にとらわれた卑屈な日々だったような気がする。
 昼食の時間に、弁当の中身を見られないように、新聞紙で囲いをつくって食べたその卑屈さを思い出すといたたまれなくなる。放課後、中学校の友人と一緒に帰りながら、自分の古ぼけた家を見られるのが厭で、家が近づくとひとり遠回りして帰ることもあった。
 圭三はそういう自分が厭だった。内へ内へと内向してゆく自分を、外に向かって飛翔させたかったのだ。この集会は圭三にとって、自身の生き方と深く結びついている。
 母の来し方はどうだったのだろうか。家の貧しさを一身にひきうけて、心がやすまることがなかったような気がする。
 父が膝を痛めてしばらく仕事にゆけなかったことがある。父の収入がなくなり、母の内職だけでは生活できないようになった。それで治療費と生活費を村の有力者に借りたのだった。しかし、期限までに返済することができなくて、畑を手放さなければならなくなった。もう少し待ってくれ、といって母は頼んだが、容赦のない取立てで、病人の布団を引き剥がすように畑が奪われていった。母はその夜、タオルをかたく握り締めて、暗い部屋に身じろぎもしないで坐っていた。
 圭三は洗面所から出て二階へ上がっていった。母はいつ眠っているのだろうか。圭三が床に就こうと屋根裏部屋に上がってゆくときも、決まって母は内職の帽子を編んでいた。朝は誰よりも早く床をぬけだし、裏山の畑にゆくか台所で立ち働いていた。

 ふと、圭三は目覚めた。カーテンの隙間から、朝の陽射しが洩れている。耳を澄ませば、潮騒が聞こえてくる。圭三は布団のなかで、潮のさしてくる波立つ音を、しばらく聞いていた。
 母が口を利かないようになって、三日経ち、四日経った。母と圭三のあいだは、緊張した空気が張りつめていた。圭三も口を利かなくなった。集会は明日である。圭三は母を少し憎んだ。
 圭三は布団を蹴って、起き上がった。すると、枕元に白布が畳んで置かれていた。手にとって広げてみると、それはゼッケンだった。
圭三がカーテンを強く引き放つと、部屋に明るい光が満ち溢れた。
 母のゼッケンは、淡い朱色に染まっていた。
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 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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