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鬼藤千春の小説 「炎立つ」 短編

 炎 立 つ

           鬼藤 千春

 哲也は、日々の仕事に辟易していた。
 彼の仕事は寺めぐりである。この仕事に就いて、かれこれ四ヶ月半が経つ。上半期を終えた七月一日に辞令が交付され、営業部から開発部に異動させられた。
 哲也の会社は、西日本では比較的大きい石材会社である。墓石販売を中心に灯篭などの庭物や建築物などの石材を取り扱っていた。彼は営業部の次長をしていたが、リストラのターゲットにされ、開発部に廻されたのである。
 彼は五十八歳、定年まであと二年である。会社は世代交代を理由に、中高年に対して厳しい処遇をしていた。ある五十六歳の店長は、業績不振を理由に一般営業社員に降格させられた。またある店長は哲也と同様、開発部に配属させられ、三ヶ月で退職を余儀なくされたのである。
 哲也は日々の仕事に辟易するだけでなく、薄氷を踏む思いで日々を過ごしていた。会社は開発部の成果が上がらなければ、退職勧奨へと舵をきるのは眼にみえていた。彼は薄氷がいつ裂けて水中に落ち込むか、頼りなく心細い心持ちであった。
 開発部の仕事というのは、霊園の開発や寺院や葬儀社、ギフト店との提携などをめざしていた。寺院等との提携をしてゆき、そこから墓石等のニーズを持った檀家を紹介していただくということである。寺めぐりとは、そういうことなのだ。が、寺院との提携は決してたやすいことではなかった。寺院には檀家のなかに石屋がいたり、すでに昔から提携先があったりするのが常だった。また、石材店との提携などといった世俗的なことには関知しない、というスタンスをとっている寺院も少なからずある。
 寺院との提携は砂山からダイヤを探り当てるようなものである。砂山を崩しても崩しても、いっこうに煌めくダイヤは姿をあらわさない。それと同じように、哲也は徒労だと思う。
 朝、鏡を覗いても顔色が日一日と暗くなってゆくように感じる。仕事に対するやり甲斐や充実感がまったく感じられないのだった。身体は鉛のように重く、倦怠感に包まれている。耳鳴りがする。ジ、ジ、ジィーとどこか遠くで響いているように思っていると、すぐ近くの左耳の内奥で鳴っているのを知らされるのだ。

 ジ、ジ、ジィーと左耳の内奥で虫が鳴いているような、耳鳴りがしていた。
 哲也は市街地からやや外れた所にある寺院を訪ねようとして、車を空き地に停めた。その広場は一種異様な光景に包まれていた。真っ黒に塗りつぶされた、窓のない大型車両が数台駐車していた。車の周りには黒ずくめの服で身を固めた男たちがたむろし、煙草を吹かしている。高い鳥居の先には石畳が続き、神殿が遠くに佇んで見えた。護国神社である。
 哲也は運転席で住宅地図を広げ、寺の所在地を確認した。そこから三、四百メートルのところに寺院はある筈だった。日蓮宗、妙浄寺である。彼はいつものように気乗りしなかった。仕事への意欲はもう萎えていた。
 車を降りて、だらだらとした坂道をくだっていった。その坂道の右手、山すそには忠魂碑やシベリヤ抑留碑などの碑が秋の陽射しを照り返している。左手には野球場やグラウンドがあって、白球を追って走り回る姿がなぜかテレビの画面のように映し出されていた。
 坂道を降りてゆくと、小高い丘に色鮮やかに染まったもみじが、自身の存在を知らしめるように、何かを主張するように、枝を広げていた。哲也はふと足を止めて、その木を見上げる。秋も深まったな、と想う。その静寂を破って不意にスピーカーから高音量の軍歌が流れ、あの広場に停まっていた黒塗りの車が県道へと出て行った。紅く染まったもみじの葉が震えていた。
 哲也は黒塗りの車を疎ましく思いながら、小高い丘を右に曲がり、川沿いの道に出た。
彼ははじめ川沿いのだらだらとした坂道を降りていった。小川の畔には銀杏並木があり、黄金色の葉が風に揺れながら輝いている。舞い落ちた葉がゆるやかな小川の流れに乗って、滑るように遠ざかってゆく。彼は佇んで、その流れをしばらく見送っていた。晩秋の光景に、自身の生き方を顧みるのだった。ひとひら、またひとひらと、銀杏の葉が音もなく舞い落ちていく。
 川沿いの道は行き止まりになっていて、そこから左に折れている。小川沿いの道は時折車が走りすぎていったが、左に折れた道は小路であった。小路の両側には民家が軒を連ねている。幅の狭い通りをすすんでゆくと、その一角に寺院があった。妙浄寺である。寺は狭い通りに面しており、民家に挟まれて窮屈そうな佇まいであった。
 哲也は山門をくぐりぬけようとして、いくらか神妙な心持でその前に立った。山門の前に立つと、いつもそんな心持ちになるのだった。それは神仏にたいする敬虔な想いというよりも、厭な仕事で寺を訪ねるという重圧が、神妙な心持にさせるらしかった。
 哲也は深く息を吸って、なにげなく山門を見上げた。彼の眼はおもわず山門の梁に釘付けになった。山門の梁はところどころ黒く焼けただれて、炭状になっている。梁だけではなかった。太い柱や桁もあちこちに黒く焼けただれた傷痕がある。
 彼は不思議に思って二、三歩下がり、眼を細くして山門を眺めた。両脇に太い柱がグィと力強く伸び、桁と梁を支えている。その上に屋根が乗り、日本瓦が黒く沈んだ光を放っていた。山門のところどころが炭化しているのは、向かって左側の面である。
 ふと気付くと、山門の脇に標示板がしつらえられていた。哲也はその白い標示板を覗き込んだ。彼はハッとして、一歩前にすすみでた。標示板にはこの山門が、一九四五年六月二九日未明の岡山大空襲の戦禍である旨が綴られている。彼はその文章を繰り返し読み、山門の前でしばし立ち尽くしていた。
 ちょうど六十年前の出来事である。もちろん哲也は知らない。彼が生まれたのはその二年後のことなのである。が彼は、岡山大空襲によって、市街地の大半が火の海となり、二千名にものぼる死者が出た惨状について、書物や人から聞き及んでいた。けれども、山門の黒く焼けただれた傷痕は、書物や伝聞をはるかに超えて、哲也の胸を強くついた。
 哲也は山門をくぐって境内に入り、仏殿の前で姿勢をただし合掌をした。庫裡が右手の奥まったところにあるのが見えた。庫裡の玄関脇には、分厚い丸い板が吊り下げられている。来客を告げる板である。彼は木槌でその板を三、四回打ち鳴らし、玄関の引き違い戸を引いた。板はクゥワーン、クゥワーンと乾いた音が高く鳴り響いた。
 庫裡の玄関は比較的広く、土間になっている。その土間は左手がそのまま通路になり、奥につながっているらしかった。上がり框につづく空間は畳が敷き込まれており、奥の部屋の襖が開いて、老女が出てきた。が、もうかなり高齢に見受けられたが顔の色艶もよく、気品が漂っていた。
 哲也は名刺を差し出して、ご挨拶をした。
「お上人はいらっしゃいますか」
 哲也は、名刺を覗き込んでいる老女に向かって訊ねた。
「あいにく出掛けておりますが、何か?」
 老女は顔を上げて哲也を見つめた。
「いや、あの、奥様でしょうか、他でもないんですが、こちらのお寺さまで、観音さまとかお地蔵さま、そして石工事など、何かお手伝いすることはございませんか」
 哲也はさりげなく訊いた。
「お上人からそういう話は全然きいておりません。わたしでは何も判りませんし、またお上人がいる時にお見えになったらいかがですか……」
 奥さんは少し微笑んで、応えた。
 しばし沈黙が流れた。その後で、
「あ、あのぅ……」
 哲也は言い淀んだ。
「あ、あのぅ、こちらの山門なんですが、岡山大空襲の……」
 哲也は奥さんの顔を覗き込みながら、訊いた。
「ええ、そうなんですよ……」
 白髪の頭を押さえながら、奥さんはぽつりと言った。
「山門は焼けずによく耐えましたね」
 哲也がそう言うと、
「まあ、お掛けなさい」
 と言って、座布団を差し出してくれた。そうして、奥さんはいったん部屋を出て、盆に茶と和菓子を載せて戻ってきた。
「あの日はほんとうに大変でした。山門の前の小路から西の街は、焼夷弾によってほとんど焼き尽くされました。その火がこの寺にも迫ってきて、山門に飛び火しあちこちから火の手が上がり出しました。お上人は棒の先に縄状のものを取り付けた火たたきで、その火を懸命に消したのです。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えながら、火たたきを柱や梁や桁に打ちつけていました。わたしは、バケツで何度も水を運びました。しかし、西からの火勢はいよいよ強くなってきて、身の危険を感じ、本尊を布に包んでこの寺を脱出したのです」
 遠くを見るような眼差しで、奥さんはゆっくりと語った。
「お上人とわたしは、数キロ先の同じ日蓮宗の寺に身を寄せたのです。行く道々で逃げ惑う人々に出遭いました。泣き叫ぶ子供の手を引いてゆく者たち、背中に負ぶさり手足をだらんと垂らした物言わぬ者たちが、ひしめいていました。振り返ると、岡山の街は赤く染まっていました。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えて合掌をしたものでした。身を寄せた寺では、ご本尊に向かって朝まで読経しておりました。長い夜が明けて、ふたりは帰って来たのです」
 そこまで話して、奥さんは嘆息した。
「もう諦めていましたが、寺は無事でした。寺より西の街はほとんど消失してしまったというのに、寺の一角だけは焼け残っていました。たぶん、ご本尊さまがお守り下さったのでしょう。しかし、悲しいことがこの寺の境内で起こっていました。兄ちゃん、まだええかのぅ」
 と言って、奥さんは土間に降り、庫裡を出てゆくのだった。哲也はそれに従った。
 奥さんは朱の鼻緒をつけた下駄を履き、境内の奥の方へと進んでいった。境内の一角には墓所があり、墓石が乱立している。珍しい形をした宝篋印塔や五輪塔も屹立していた。さらに進むと、ゆるやかな小高い丘になっている。その丘は、まるで錦絵を見るように鮮やかに染まっていた。哲也は息を呑んだ。
「奥さん、見事な紅葉ですね」
 哲也は思わず、声を上げた。
「ええ、ここの紅葉はよく知られていますよ。
昨日も、テレビ局の方がカメラをもって取材に来られました」
 振り向いて、奥さんは応えた。
「でも本当は、そぅっとしておいてやりたいんです」
 奥さんは二、三歩進んで、丘の下の二本のもみじの前にしゃがみ込み、静かに合掌をした。
 そのもみじの一本は、高く天を突き翼のように枝を広げていた。それに寄り添うように小さいもう一本のもみじが風に震えている。二本のもみじは、深紅に燃えていた。いや、それを突き抜けたような、異様な色合いだった。
 哲也がそのもみじに見入っていると、
「この二本のもみじは、どこか違っているじゃろぅ……」
 と、奥さんが振り向いた。
「ええ、何か……」
 哲也は奥さんの顔を覗き込んだ。
「あの日、ここに母娘が倒れていたんです。市街の火勢も衰えた頃、朝方私たちは逃げ出した先から戻って来たんです。山門はもちろん、仏殿も焼失したものと思っていたんですが、奇跡でした。寺は無事でした。が、ここへ逃げ延びてきた母娘は、ここに倒れ息絶えていたんです。焼夷弾の破片が身体に突き刺さり、血が溢れていました」
 そう言って、奥さんは声をつまらせた。
「やがて終戦になって、供養のためお上人がここにもみじを二本植えたんです。これが、そのもみじです」
 奥さんは立ち上がって、もみじを見上げた。
 その時、風が舞い、もみじの葉がさわさわと揺れていた。
 哲也は奥さんに挨拶をし、帰り際にもう一度後ろを振り向いた。炎立つ――、二本のもみじが血で染まっているように見えた。
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