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‘14年夢日記 「『王さん』を読む」

2014(H26)年7月19日(土) 曇りのち雨

   タイトル 「『王さん』を読む」

 「民主文学」8月号に載っている「王さん」は、短編小説で芝田敏之の作である。彼も何度か「民主文学」に登場し、いくつかの作品を私も読んでいる。この作品の主人公、松村幸二は私と同年代の人物である。作者と主人公は、ほぼ等身大のように思われるので、彼もまた団塊の世代に違いない。「民主文学」では、団塊の世代がよく活躍している。

 松村は午後7時のテレビニュースを見ていた。日本のある経済団体が中国を訪問し、中国の要人と会談する映像が流れた。その瞬間、松村はひとりの女性に惹きつけられた。中国側の要人背後で通訳をしている女性だった。「あっ、あの娘(こ)だ。王(おう)さんだ」と、松村は声を上げた。

 松村は14年前のことが鮮やかに甦ってきた。彼が52歳のときのことである。松村は名古屋にある私立J大学の国際交流課の係長だった。彼は日中短期交換留学に関する打ち合わせのため、三泊四日の予定で北京に出かけてきた。短期交換留学というのは、夏休み中の約二週間日本のJ大学と、北京のC外国語大学日本語学科が、互いに五人の学生を招き交流するというものである。

 その松村を北京で迎えてくれたのが、C外国語大学の王雪梅さんと熊(ゆう)雀花さんだった。ふたりが北京を案内する係に選ばれていた。王さんが中国の元と交換しましょうというので、一万円札を渡した。すると、王さんは一万円札を見つめている。「この人、フクザワ……」という。「そう、福沢諭吉。詳しいんだね」と松村はいった。王さんは、不機嫌な表情をしている。

 松村は夕食のあと、宿舎でくつろいでいた。すると、王さんから電話がかかってきた。「日本では福沢諭吉は、良い人ですか、悪い人ですか」という質問だった。松村は福沢諭吉の言葉として知られている、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という彼の言葉を出して、「良い人かな」といった。すると、王さんは、「じゃあ、先生の見解は」と聞いてきた。

 彼は逆に、「中国ではどんな人物だと見られているんですか」と聞いた。「中国人はチャンチャンだ、ブタだ、殺せ、と言って日本軍の出兵を勧めた人です」と王さんはいった。松村は、「そんなことを言ったんですか。知りませんでした。帰ったら勉強します」といって、電話を切った。

 二日目、中国人民抗日戦争記念館に案内された。館内には1937年7月7日の盧溝橋事件の現場が大規模に再現されていた。「それは一発の銃声から始まった。どちらが撃ったものかはわかっていない……これを口実に日本帝国主義は中国に大軍を上陸させた」という声がスピーカーから流れてきた。そして、731部隊の、まさに生体解剖を始めた等身大の蠟人形が展示されている。また、戦争に反対した日本人がいたことを示すものもあった。

 松村はそれから、天安門広場と故宮へ案内された。天安門広場には工事中で入れなかった。三日目は明の十三陵と万里の長城の見学であった。四日目は帰国の日である。王さんと熊さんは天津まで送ってくれた。そして機上の人となった。「帯に短し襷に長しという言葉が日本にあるけど、帯と襷はどのくらいの長さですか」、「畳の上の水練、という言葉があるけど、畳ってどんなものですか」という質問が王さんからあった。

 その年の9月8日、名古屋空港に王さんたち女子学生五人が降り立った。女子学生たちを、東海地方の海や観光地、イベント会場などを案内した。それは松村ではなく、日本の学生たちがやってくれた。自動車や清涼飲料水、リサイクル製紙工場などにも案内した。最後の土、日の二日間日本の学生の都合がつかなくて、松村が世話をすることになった。

 彼は「日中不再戦の誓い」の碑がある通称化石山に案内した。その日は、中国人殉難者慰霊祭が行われる日だった。留学生の五人は、慰霊祭のようすを食い入るようにみていた。「日本に来て一番感動しました」、「日本にもこんな人がいるのかと、日本人を見直しました」、「みなさんに出会って、日本語を学ぶ道を選んで、本当に良かったと思いました」という感想が縷々のべられた。

 そして、彼女たち五人の留学生たちは名古屋空港から帰って行った。その後、王さんは日本のO大学大学院に入学した。それに際して、松村は王さんに一時的に72万円貸した。妻の反対があったが、その金は半年後、松村の銀行口座に入金されていた。王さんは、一年後大学院修士課程を修了した。そして、彼女が日本を離れることになった。松村は別れに際して熱いものがこみ上げてきた。恋人に別れを告げるような淋しさだった。

 この小説も神林規子の「小さな戦争遺跡」と同じように、どちらかというと、随筆といったほうがいいような作品である。が、私はこの作品が面白かった。つまり、面白いというのは、辞書にあるように「心をひかれるさまである。興趣がある」という意味で、魅力的な作品であった。中国の人との気持の落差はあるけれど、話し合えば分かり合えるということが、よく描かれている。



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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
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 名前は「千春」ですが、男性です。

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