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‘14年夢日記 「『鍵屋のお爺さん』を読む」

2014(H26)年7月15日(火) 曇り時々晴れ

   タイトル 「『鍵屋のお爺さん』を読む」

 「民主文学」8月号の巻頭小説である。高橋英男の作品で、彼の小説は時たま「民主文学」誌上で見かける。この作品の主人公、郷田和男は戦争が終わって二年後に生まれたというから、私と同じ1947年生まれである。そして3年生というから9歳で、戦後11年を経た頃が時代背景となっている。そういう意味からも、私はこの作品に興味を持った。

 戦後11年といえば、まだまだどこの村も家も貧しい暮らしを送っていた。和男も例に漏れず、焼き芋を食べたり、麦を食べたりしている。家で作る米や蜜柑などは売りに出すので、食べられない。蜜柑は、売り物にならない屑蜜柑だけ手にすることができた。そんな和男だったが、「鍵屋のお爺さん」との温かい交流があった。

 お爺さんは、はたらき者で、雨の日と天気のいい日の真昼には藁を叩いている。藁で筵やカマス、藁草履を作り、天気のいい日の早朝と夕方に田んぼや畑に出てはたらく。お爺さんは、和男や弟たちに藁草履を作ってくれる。やさしいお爺さんである。それでそのお礼に、和男はおやつの焼き芋を持って、お爺さんのはたらいている納屋を訪ねる。

 すると、お爺さんは「ありがたいのお」と言って、しわがれ声を出すのだ。「焼芋じゃろうのお」と言って、お婆さんも台所から顔を出す。また、母もお爺さんへのお礼として、西瓜や醤油ご飯を和男に届けさせる。しかし、そんなお爺さんであったが、一家揃って広島へ引っ越すことになった。和男は不思議だったので、母に尋ねたが「子どもは知らんでもええ」と叱り飛ばされるのだった。

 鍵屋は家や田畑、牛を売りに出し、広島へ旅立っていった。鍵屋は広島で運送関係の仕事を始めるということだった。広島へ出て数カ月経った春、お婆さんが死んだという報せが届いた。和男は四年生になった。橙(だいだい)畑の近くに小さな小屋がある。ある日友だちと遊んでいた和男は、その小屋に誰か潜んでいるのを発見した。

 が、小屋の戸を閉め切って、開けて貰えなかった。その小屋には、橙の消毒液やポンプ、鍬などが入っている。誰が小屋の中にいるのか不思議だったが、そのうちお爺さんが潜んでいることがわかった。なぜ、なんのために小屋に隠れているのか不思議だった。それで、母や村の者が小屋から出るように説得にいったが、お爺さんは出てこない。

 「ワシは死にに戻ってきたんじゃけえ、どうか見逃してくれんさい」と、お爺さんはいう。そういって、父や母の説得にも応じることがなかった。そこで和男は、焼芋を持って小屋にいった。が、それも断って小屋の戸を開けてくれなかった。しばらくして、「ほうけえ、おやつなら、せっかくじゃけん一つよばりょうかのお」と言って戸が開いた。

 お爺さんから広島での話を聞いた。息子は運送の仕事で必死じゃったが、それでもなかなかうまくやってゆけない。お爺さんは何をすることもない。広島の街を歩くのも飽きてきた。稲を刈ったり、芋を掘ったりする仕事が忘れられない。そして、お爺さんは古里へ帰ってきたのだった。しかし、古里で死にたいと言っていたお爺さんは、また広島へ帰っていった。お爺さんが死んだという報せが届いたのは、その年の暮れのことだった。

 この小説は終戦後、まだ高度経済成長に入る前の貧しい暮らしを背景にした、お爺さんの悲しい物語である。お爺さんがその時代背景の中でよく捉えられている。また、ただ単に悲しいだけではなく、和男をはじめ、村の人たちとの温かい交流が描かれている。そして、和男は子どもの視点で、お爺さんと鍵屋の運命、村の在りようを、幼い眼と心で鋭く見つめている。



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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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