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‘14年夢日記 「再会」

2014(H26)年7月11日(金) 晴れ時々曇り

   タイトル 「再会」

 ゴルフの打ちっ放しの練習をしていると、ふたりの女性がバッグを提げて入ってきた。私は入り口からだいぶ離れた奥にいたから、そこからだと顔の判別はできない。女性だったので、少し気になっていたが、私はゴルフの練習に夢中だった。今日の私の課題は、「やわらかく、そしてボールを叩くのではなく、クラブに乗せて運ぶ」ということだったので、それに余念がなかった。

 しばらくして、休憩もかねて洗面所へいった。洗面所は入口の近くにあったので、女性の練習している後方を通ってゆくことになる。そのとき、「あ、」と思ったが、そのまま洗面所へ行った。「よく似ている人だな、」という思いだった。帰りによく見ると、やはりその人、石材店の会長だった。

 私が43歳から63歳まで20年間お世話になった石材店である。私の45年間の職業人生のうちで、もっとも長く勤めた会社だ。私はそれまでいくつかの職業遍歴がある。だいたい3年から5年で辞めて、次の仕事に乗り換えていた。辛抱のない職業人生だった。が、小説を書いてゆくうえでは、その経験が役にたった。いろんな世界を知ることができたからである。

 その石材店での仕事は、実に楽しかった。私の仕事は営業だった。もともと私は営業という仕事が好きではなかった。舌先三寸で、どうも人をたぶらかすというようなイメージをもっていたからである。が、石材、といっても墓石がほとんどだったが、その営業がとても私の性(しょう)に合っていた。墓石の営業は、一面では土木や建築工事の技術が求められるので、その点でも私は有利だった。

 二級建築士の免状をもっていたので、お客さんに墓地に案内されて、その企画・設計で困るということがなかった。墓地へ出向いて現場をみるだけで、瞬時に企画・設計がイメージできた。CADのない時代には、お客さんの前ですぐさま略図を描いて、見積りをその場でして即決ということも少なくなかった。

 その石材店は、日本では比較的大きい方だった。日本でもっとも大きい石材店の売り上げは約100億で、その次が50億、そして30億という順だった。私の勤めていた石材店は最高の売り上げが21億だったので、日本でも有数の石材店ということができる。営業部に事務員を含めて50人もいたので大所帯だった。

 私は入社してまもなく、年間1億の契約をしたこともある。そういう人が何人もいたほど、よく売れた時代があった。お客さんに経済的余裕ができたということと、個人墓や夫婦墓ではなく先祖墓を作るというのが主流になって、単価が上がったということがある。私は入社して1年でもう管理職になって、店舗をまかされるようになっていた。

 会社の業績がよかったので、ハワイやグアム、中国や韓国などの海外旅行へよくでかけた。が、いま墓石業界は斜陽産業である。それは、先祖墓がだいたいゆきわたってしまったので、墓の需要が少なくなってしまった。つまり、墓石市場のパイがどんどん小さくなって、これからも小さくなり続けるのは必至である。

 ゴルフ練習場で、帰りにあいさつしたら、「鬼藤さん、今度コースに一緒に出よう」と、会長から声がかかった。「ええ、」とあいまいな返事をしたが、私にはコースに出る経済的余裕などない。会長も売り上げが右肩下がりに推移していることに、頭を悩ましていることだろう。が、久し振りの「再会」で、明るい顔を拝見して私は安堵した。会社では厭なこともあったが、いまは感謝している。私のいまがあるのも、この石材店のおかげである。



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 1947年生まれの68歳で、
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