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‘14年夢日記 「青春の詩」

2014(H26)年7月8日(火) 曇り

   タイトル 「青春の詩」

 私は1947年生まれの66歳である。10月には67歳になる。孫たちからは「じいちゃん」と呼ばれているが、私は「老人」とは思っていない。今の心境は生涯にわたって「老人」と言われたくない。それは、終焉の日まで「若い精神」で生きつづけたいからである。たしかに、髪は薄くなり白髪も増えてきた。だからといって、「老人」とは思っていないし、ましてや他人(ひと)から、そう呼ばれたくはない。

 作家の清川妙は93歳、家事評論家の吉沢久子は96歳、医師の日野原重明は103歳である。彼ら彼女たちは、今も第一線で活躍している。この人たちを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼べるだろうか。私は決して呼ぶことができないし、「老人」とも思っていない。

 青春とは人生のある期間をいうのではなく、
 心の様相をいうのだ。
 優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱、
 こういう様相を青春というのだ。

 年を重ねただけでは人は老いない。
 歳月は皮膚のしわを増すが、
 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
 人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。
 希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。

 これは、サミエル・ウルマンの書いた「青春の詩」である。
 つまり、「青春とは人生のある時期をいうのではなく、心のもち方である……」

 私の父は92歳、母は90歳で終焉を迎えた。父までの道のりは、あと26年、母までは24年の歳月が残されている。いま私は、父や母の歳まで生きてゆきたいという願望が強くなっている。私にはまだまだやりたいことが一杯ある。まだ好奇心に満ち満ちている。いまだ、「好奇心も情熱も枯れず」である。わが人生で遣り残していることは無限である。

 還暦を迎えて第二の人生という言い方があるけれど、私にとっては、これからが第一の人生である。やっと自由の時間を手に入れることができ、思いのまま生きることができるようになった。その自由の時間を「わが手」にして、まだ知らない世界に分け入ってゆきたいと思っている。

 知らない世界へと飛翔する手立ては、「読むことと書くこと」である。たしかに、読むことは速度も集中力も落ちてきたけれど、乱読はやめて選び抜いた本を精読してゆきたい。わが書斎は、県立図書館であり、浅口市立図書館である。この書斎の本を愉しみながらゆっくりと読んでゆくつもりだ。

 「書くこと」は、小説でありたいと願っているけれど、これはテーマやモチーフが湧いてこないと筆をとるというわけにはいかない。いずれ小説を書くときが訪れると信じているが、それまではこの「夢日記」と「ささやき日記」を、コツコツと書いてゆきたい。「読むことと書くこと」が、サミエル・ウルマンの「青春の詩」のような生き方に通じると信じている。



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 1947年生まれの68歳で、
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 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
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 名前は「千春」ですが、男性です。

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