スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

‘14年夢日記 「布川事件」

2014(H26)年7月5日(土) 曇り時々晴れ

   タイトル 「布川事件」

 詩 「記念日」   桜井昌司

 一九七〇年一〇月六日
 嘘が真実に変わった
 人殺しの犯人だと裁判官が言った。

 一九七三年一二月二〇日
 寒い季節よりも冷たい言葉で
 裁判官が誤りを重ねた。

 一九七八年七月三日
 看守の鋭い足音が
 最高裁判所の決定を運んできた
 刑務所生活が始まった。

 これは、布川(ふかわ)事件の元被告、桜井昌司さんの詩である。1970年10月6日というのは、一審判決で無期懲役が言い渡された日である。1973年12月20日というのは、二審判決で控訴が棄却された日だ。さらに、1978年7月3日というのは、最高裁で上告が棄却され、千葉刑務所に服役した日である。

 布川事件というのは、1967年8月茨城県利根町布川で、1人暮らしの老人(62)が殺された事件である。検察によって40年間も証拠を隠し続けられ、20歳で逮捕され29年間も獄中に入れられ、2011年5月に再審で無罪を勝ち取った事件だ。

 私がこの事件を知ったのは、6月28日の国民救援会の学習集会である。そのときに元被告の桜井昌司さんの講演を聞いた。桜井さんの印象は率直でとても明るいというものだったが、それは獄中29年から解放されて、自由というものを得た喜びに根ざしているように思われた。

 私はこの事件に興味をもち、「えん罪・布川事件」という冊子を読んだり、調べたりしたが、「えん罪はこうして生み出される」ということが、明瞭になった。この事件は、元被告の桜井さんと杉山さんの自白が唯一ともいえる「証拠」である。目撃証人も何人か現れたが、それらは事件の捏造(ねつぞう)をもくろむ警察・検察の意に沿ったもので、自白を補強するものに他ならない。

 自白調書はどのようにつくられたのか。毎朝8時過ぎから深夜12時近くまで、昼食と夕食の時間を除いて休憩もなく取り調べられたのである。「杉山と桜井が玉村さん(被害者)の家の前にいたと証言する人がいる」、「お前の母ちゃんもやったことは仕方ないので、早く素直になって認めろと言ってる」、「認めないと死刑だってあるぞ」、「犯人だってことはことは判ってる、見た人がいるんだから逃げられないよ」と、嘘の自白を迫った。殺し文句は「認めないと死刑だ」という刑事の脅しだった。

 この事件には物的証拠は何ひとつない。指紋もないし、現場で発見された毛髪8本のなかに、桜井、杉山さんのものはなかった。金銭目的の強盗殺人とされているが、何が実際に盗まれたのかは明らかにされていない。事件現場の家の図面は、取調べ室内で見せ取調官の誘導で自白調書が取られた。自白では両手で首を絞めとなっていたが、被害者は紐で絞殺されていた。

 このようにして、えん罪はつくられたのである。「犯人でなくても自白はできる。しかし、犯人でないから証拠がない」この言葉が事件の本質を語っている。2011年5月再審無罪判決では、目撃証言を含む全ての状況証拠について、その能力及び信用性が否定された。

 再審無罪判決を勝ち取ったが、この事件はまだ終わっていない。いまもなお、検察・警察は二人を犯人であると言い続け、裁判所もみずからの誤判の原因を明らかせず、責任を認めていない。そこで、検察・警察・裁判所の責任を追及する裁判、「冤罪・布川事件の国家賠償請求訴訟」に勝利してこそ、この事件が着地することができる。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

FC2USER634322BTA

Author:FC2USER634322BTA
FC2ブログへようこそ!

 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

♪♪♪リンクは、ご自由に!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。