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‘14年夢日記 「父の日に」

2014(H26)年6月28日(土) 曇り時々雨

   タイトル 「父の日に」

 父の日は母の日と違って、うとましく思われている感がある。わが家でも母の日には、子どもたちから花束などが贈られてくるが、父の日に贈り物が届くということはほとんどなくなった。ただ、孫たちからは可愛い贈り物が毎年届いている。

 が、今年は長女から素敵な贈り物が届いた。梱包を解くと中にはポロシャツが入っていた。その辺の事情を訊いてみると、今年初めに義父を亡くしたことで、娘の心になにがしかの変化をもたらしたようだ。期待していなかったので、思いがけないことだった。今年の夏は、このポロシャツを着て外出することが多くなることだろう。

 長女から贈り物をもらったことで、私は父についての想いが湧いてきた。「私の父」は、いったいどんな父だったのだろうか、という想いである。父が生まれたのは、1904(明治37)年で、他界してかれこれ16、7年になる。92年の生涯だった。

 父はとなり町で生まれ、尋常高等小学校を卒業すると、14歳で大工の丁稚奉公に出されたようである。おそらく苛酷な修行時代だったことが察せられる。その後父は、鬼藤の家に婿養子として入った。が、婿養子としての父は、母が強かったために、決していい思いをして暮らすことはなかったようだ。

 家庭でも影の薄かった父は、時代の波にも呑まれていった。父の青春時代は戦争の時代であった。1945年の終戦までに3度徴兵されている。どこでどんな軍隊生活を送ったのか聞くことはなかったが、厳しい時代をくぐりぬけてきたに違いない。父はほとんど軍隊生活について語るということはなかった。

 父は日本家屋の大工であったが、戦後、昭和30年ごろからコンクリートの建築物が建つようになってから、型枠大工に変身した。型枠大工というのは、コンクリートの枠をつくる仕事である。柱、梁、壁、天井などを木の枠でつくり、それにコンクリートを流し込み、それが固まったら型枠をはずす。鋳型と同じようなものである。

 父は型枠技術の腕がよかったようである。岡山県庁、岡山会館、農業会館、川崎医大病院などの棟梁をやっていたらしい。父はとにかく寡黙であった。私は父とほとんど会話をしたことはなく、叱られたことも一度もなかった。が、父は酒がこのうえなく好きであった。毎日3合の酒を舐めるように飲むのが唯一の愉しみだった。

 父の時代には、父の日というのが一般的ではなかった。だから、私は父に贈り物をしたという覚えがない。しかし、父の日とは関係なく、私は父の晩年には時折、酒の一升瓶を持って実家を訪ねることがあった。そのときは、顔をほころばせて迎えてくれた。

 父の手帳を今でも私は持っているが、色あせたその手帳には、晩年の金の使い道などが記されている。それを丁寧に読んでゆくと、「千春、酒一本」と、何カ所かにわたって書かれてある。それは、鉛筆を舐め舐め書かれたような字である。

 長女と孫からの贈り物は、私の心をほっこりとさせる。私も父と同じように、手帳に娘と孫からの贈り物を書きつけておきたいと思う。



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 1947年生まれの68歳で、
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 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
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