スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

‘14年夢日記 「名文を読む」

2014(H26)年6月21日(土) 曇りのち雨

   タイトル 「名文を読む」

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん。」
 明かりをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻きで鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。

 川端康成の小説「雪国」の書き出しの文章である。
 私(八木義德)がこの小説をはじめて読んだのは、まだ早稲田の学生のころであったが、「夜の底が白くなった」という文章に出会ったとき、あ、しまった、と思ったことを今も忘れずにおぼえている。

 私は北海道に生まれ育った人間である。だから、深い雪の積もった夜、という情景は何百回どころか何千回となく見てきているはずだ。

 それなのに私は、その情景に対して、「夜の底が白くなった」などという言葉を、ついに一度も思いつくことができなかった。もし当時の私が、この情景を文章にしろといわれたら、たぶんこんなぐあいに書くだろう。

 夜の空は暗かったが、地面は雪明りでほの白かった。

 だが、これでは単なる説明にすぎない。そして単に説明されただけの文章から、われわれはある情緒なり、ある感情なり、ある想像力なりを喚起されるということはほとんどない。

 私のこの説明的文章に比べて、川端康成の「夜の底が白くなった」という文章は、字数にしてわずか九字である。しかもこのわずか九字の文章によって、深い雪の積もった夜、という情景があざやかに、しかも生き生きと感じられる。これは説明ではない。表現である。

 これは、八木義德の「文章教室」という本の中の一部分を引用したものである。じつは「文章の書き方」のノウハウを記した本だと思って手にしたのだが、しかし、そうしたものではなく、「名文鑑賞」の本であった。

 が、私(鬼藤)はこの本に出合えて幸運だったと思っている。文章の書き方のノウハウ本ではなく、名文を紹介することによって、そのなかから読者自身が何かをつかみとるようになっている。

 この本では名文と称される文章が、72作品紹介されている。一つひとつの文章に触れるたびに、その名文にため息が出るほどである。感動でしばし天井を見上げてしまう。

 「雪国」の「夜の底が白くなった」という表現は、私も八木義德と同じような思いを抱いた。紹介されている文章の中でも、この部分はとりわけきわだっている。印象的で心に残る表現である。

 こうした名文が沢山紹介されているので、いくつか触れることができればいいな、と思っている。この本はノウハウ本を超えた、すぐれた「文章教室」である。



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

FC2USER634322BTA

Author:FC2USER634322BTA
FC2ブログへようこそ!

 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

♪♪♪リンクは、ご自由に!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。