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‘14年夢日記 「『中学生からの作文技術』を読む」

2014(H26)年5月28日(水) 晴れ

   タイトル 「『中学生からの作文技術』を読む」

 これは、本多勝一の著書である。「中学生からの……」となっているが、大人が読むにたえる内容だ。いや、むしろ大人が読むにふさわしい本である。

 ここで、この著書のすべてに触れるわけにはいかないので、紋切型の文章に限って、その内容を復習するつもりで書いてみたいと思う。

 著者は例文を引用して解説しているが、ここではそれを引用するだけの余裕はないので、割愛してすすめてゆきたい。

 紋切型の表現、手垢のついた、いやみったらしい表現として、次のような言葉が取りあげられている。「このおばさん、ただのおばさんではない」と書いているが、この表現は、どうにもならぬ紋切型だと指摘している。

 「ひとたびキャラバンシューズをはき、……」は、上記の引用文と同じく、文自体が笑っている。落語家が自分で笑っては、観客は笑わない、としてその文を戒めている。

 つづいて、「どうしてどうして」だの「そんじょそこらの」だの「足もとにも及ばない」という言葉は、手垢のついた低劣な紋切型として、手厳しい批評が加えられている。

 さらに「ことごとく」、「踏破」、「征服」といった言葉も、大仰な紋切型だと注文をつけている。「古き若者」、「学ぶべきところ大」というような言葉も安易な紋切型だとしている。

 そして、この引用とは違うが、紋切型の言葉として、次のような言葉が挙げられている。それらは、少なくない書き手が使いたくなる言葉なので、自戒したいところである。

 「ぬけるように白い肌」、「顔をそむけた」、「嬉しい悲鳴」、「大腸菌がウヨウヨ」、「冬がかけ足でやってくる」、「ポンと百万円」などの言葉である。

 雪景色といえば「銀世界」。春といえば「ポカポカ」で「水ぬるむ」。カッコいい足はみんな「小鹿のよう」で、涙は必ず「ボロボロ」流す。そして、「穴のあくほど見つめる」などの言葉である。

 そして、入江徳郎氏の文章を引用して、紋切型の言葉について論じている。入江氏は、「――とホクホク顔」、「――とエビス顔」、「複雑な表情」、「ガックリと肩を落とした」という紋切型の言葉を論じたあと次のように述べている。

 「紋切型とは、誰かが使いだし、それがひろまった、公約数的な、便利な用語、ただし、表現が古くさく、手あかで汚れている言葉だ。これを要所要所で使用すれば、表現に悩むことも苦しむこともなく、思考と時間の節約になる。それ故に、安易に使われやすい」

 「しかし、紋切型を使った文章は、マンネリズムの見本みたいになる。自分の実感によらず、あり合わせ、レディーメードの表現を借りるのだから、できた文章が新鮮な魅力をもつわけがなかろう」

 以上が、紋切型の言葉についての記述であるが、その本質は、「紋切型の言葉」は、書き手の実感を表現していないだけでなく、事実に反する表現になることが致命的である。

 「……とAさんは唇を嚙んだ」、や「えんぴつをなめなめ」書いたという言葉などは、ずいぶん「怪しい」と指摘している。これらの言葉は本当に事実に即しているだろうか、と疑問を投げかけている。

 「菫(すみれ)の花を見ると、「可憐だ」と私たちは感ずる。それはそういう感じ方の通念があるからである。しかしほんとうは私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちをいだくのである」

 これは、伊藤整の文章であるが、「可憐」という表現が実感と異なることを述べている。このように、紋切型の言葉と文章は、実感と事実からはなれることが、問題なのである。

 このように、紋切型の文章・言葉に限って論じても、これだけの紙数を費やすことになる。したがって、文章を書くということが、どれだけ奥の深い営為であるかということが分かる。だが、それにめげずに文章の修行をつづけたいと、私はひそかに誓っている。



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 1947年生まれの68歳で、
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