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‘14年夢日記 「『リバティーに愛をこめて』を読む」

2014(H26)年5月15日(木) 曇り

  タイトル 「『リバティーに愛をこめて』を読む」

 第11回民主文学新人賞の佳作となったこの作品は、1945年台湾台北市生まれの、長谷川美智子の作である。リバティーというのは、貨物船だが船の名前ではなく、第2次世界大戦中にアメリカで大量生産された船の型の名称である。

 この物語は、終戦後アメリカから提供されたこの貨物船で、2カ月足らずの間に台湾在住の日本人50万人が送還されたようすを描いている。語り手はわたしこと、英一で今すでに83歳になっている。その英一が、台湾からの帰還のもようを回顧している。

 この話は、第1章「さようなら、台湾」、第2章「巡り合い」、第3章「故郷へ」という構成からなっている。満州(中国東北部)や朝鮮からの引き揚げの話は、よく小説になっているが、台湾からの引き揚げの話はごく稀である。作者はその問題をすくいとって、描いて見せたということだけでも、意義深いことである。

 作者は、帰還にあたって、「奇跡が三度起きた」と書いている。ひとつは、家族6人全員が台北から汽車で1時間のキールン港までゆき、艀(はしけ)から縄梯子を伝って、リバティーに乗れたことである。

 ふたつは、リバティーの乗組員で父の教え子である「明珍」と巡り合えたことだ。みっつには、日本本土について、故郷鹿児島への汽車に乗れたことである。英一は、世界一運の良い人間だという感慨をいだくのだった。

 リバティーに乗ることは、とても難儀なことだった。艀から転げ落ちる人もいたし、縄梯子から落下する人もいた。1歳の瑠璃子を背負った母の後ろを支えながら、父が縄梯子をのぼる。その後ろに小学1年の沙織、小学3年の裕と続く。最後に中学3年の英一が裕を支えながらのぼってゆく。

 たとえリバティーに乗ってもとても危険で、2714隻のうち、何百隻もの船が整備不良やあるいは機雷に触れ沈んでいったのである。まさに、悲惨な事故と隣り合わせの船でもあった。ちなみに、リバティーは、七千百八十トン、全長百二十五メートル、幅十七メートルで、乗船者は二千人の巨大な船であった。

 船の中で裕はチフスに罹り、明珍の世話で一命をとりとめたのである。明珍との巡り合いが、家族の誰をも喪わずに済んだのだ。そして、また本土に上陸して汽車に乗れたこと、生死の境をさまよっていた瑠璃子の命を甦らせたことは、まさに奇跡であった。

 こうして、家族6人は命からがら、鹿児島の故郷へとたどりついたのである。この物語は、声高に反戦を唱えているわけではないが、台湾からの帰還のようすを丁寧に描くことによって、静かに戦争の悲惨さを読者に伝えている。

 この作品を読んで、私は新しい発見をすることが多かった。が、この小説だけで納得するのでなく、「戦中、日本は台湾でどのような立場にあったのか?」、「台湾の人々と日本人・軍隊との関わりはどうだったのか?」、「帰還の在りようはどうだったのか?」について、学ぶことの必要性を痛感させられた。

 「あれから、わたしたちは戦争のない世のなかを作ってきました」、「本当に、そう報告できる日が来てほしい」という思いが、この作品の根底に流れており、それがモチーフとなっている。



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