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‘14年夢日記 「『砂の器』を観る」

2014(H26)年5月8日(木) 晴れのち曇り

     タイトル 「『砂の器』を観る」

 野村芳太郎監督の映画「砂の器」は、もう何回観たことだろう。片手ではとても数え切れない。何回観ても涙が込み上げて抑えることができない。連休でも何処に出かけることもなかったから、ホームシアターで観賞した。

 「砂の器」は、私のなかの映画ベストテンにランクインされているもので、「宿命」の音楽が流れるだけで、突き上げてくるものがある。そして、瞳が滲んでしまうのだ。本浦千代吉とその息子、秀夫の放浪の旅が甦ってくる。

 この事件の発端は、東京蒲田での殺人事件だ。60歳くらいの男が殺されたのである。が、被害者も加害者も何ひとつ手がかりがない。唯ひとつあるとすれば、スナックで話していた東北なまりの「カメダ」という言葉だけである。「カメダ」が土地なのか、人なのかも分からない。

 今西刑事がそれをひとつの頼りとして、追跡してゆくのだ。「カメダ」は土地だとして刑事は動いてゆく。しかし、東北の「亀田」へ飛んだが、何の収穫を得ることもできなかった。

 ここが、松本清張らしいところだが、東北なまりは山陰でも使われることを突き止め、「亀嵩(カメダケ)」という土地を割り出す。そして、被害者の三木謙一は、昔ここで警察官をしていたことを知らされるのである。

 三木謙一は、「お伊勢参り」の旅に出て、この被害に遭ったのだ。なぜ、お伊勢参りの旅が、東京へとつながってゆくのか。それも謎のひとつだった。今西刑事は伊勢に赴き、その謎を解くのである。映画館に掛かっていた写真に音楽家の秀夫、つまり和賀英良が写っていたのである。

 三木謙一は、東京まで、秀夫(和賀英良)に会いに行ったに違いない、と今西刑事は確信する。が、三木謙一と秀夫がどうつながっているのか。それも謎のひとつであった。

 が、本浦千代吉と秀夫は、山陰の「亀嵩」に放浪の旅の途中、立ち寄ったことがあるのだ。千代吉と秀夫は乞食同然の旅をしていた。秀夫は子どもたちにいじめられたり、千代吉もまた村を追われる目に遭ったり苛酷な旅だった。

 が、亀嵩の三木巡査だけは違っていた。彼らを温かく迎え、食事なども与えるのである。今西刑事は最初、怨恨の線で追跡していたのだが、三木巡査は神か仏かという人物だという村の人々の話で、その線からの追跡は、暗礁に乗り上げた。

 三木巡査は、千代吉がらい病(ハンセン氏病)に罹っていることを知り、岡山県の療養所へ送り、秀夫は自分の子として育てる決意をする。しかし、秀夫は、この亀嵩から脱出して行方が分からなくなる。

 三木謙一は上京しスナックで、秀夫に父の千代吉に会うことを進言し、首に縄を付けてでも連れてゆくというのだった。しかし、それが三木謙一の殺害の直接の動機になって、和賀英良は手を下すのである。

 この物語の背景には、らい病(ハンセン氏病)という社会の「偏見と差別」が、大きく横たわっている。原作も映画もその問題と対峙して、和賀英良の音楽家としての名声が「砂の器」のように崩れるさまを描き切った優れた映画である。

 和賀英良の名声を不動のものにする「宿命」という音楽会で、彼はピアノを弾きながら、「宿命」とは、「生まれてきたこと、生きていること」と、想いをいたしながら、「父、千代吉に音楽の中で会っている」と、今西刑事は毅然と言い放ち、音楽会の成功とともに、幕が閉じられる。

 何度観ても、飽きることのない映画である。私はこれからも、この映画から卒業するということはないだろう。それだけ、重くて深い作品なのだ。そして、人間の在りようを、見事に描き出しているのである。



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