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‘14年夢日記 「小説は人間を描くもの」

2014(H26)年5月7日(水) 晴れ

     タイトル 「小説は人間を描くもの」

 「小説は人間を描くものだ」と言われても、それは至極当然のように思われるけれど、いざ実際に書いてみると、それがなかなか巧くいかない。小説を志している者も作家としてやっている者にしても、魅力的な人間像を生み出すために腐心している。

 「民主文学」5月号に、評論家の小林昭が「人間を描く、ということ」と題して、そのあたりのことを考察している。その評論を参考にしながら、人間を描くということを、少しく考えていこうと思う。

 絵画や音楽、俳句や短歌は、そこに人間がいなくても作品は芸術として成り立つ、と小林昭はいう。が、それらの作品を鑑賞する人は、人の姿がそこになくても、作品の中に作者の眼、人のまなざしをおのずから感じている。

 しかし、小林昭がいうのは、小説ではもっと直接に、作品の中に人間が登場していなければ小説にならない、というのである。それを彼はルネッサンスまで遡って考察している。

 ルネッサンス、つまり、文芸復興、学芸復興、人間復興が、「小説は人間を描くもの」と深く関わっているという論を立てている。人間中心の世界観の復活再生が、小説誕生の前提としてあった、としている。

 ルネッサンスがあり、教会から自由になった人々の生き方があった、この過程に小説の始まりを考えてみると、「人はどう生きるのか」という、最も根源的な問いを小説はもともとその根底に持っていた、とする。

 人はどう生きるのか、を問う芸術が、人間を描かないでは成り立たないことは、自明のことだった。小説が人間を描くのは、ここから始まっていたのではないか、と考察している。

 そして、彼は日本の近代文学へとその眼差しを向けて考察してゆく。「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と「小説神髄」で説いたのは、坪内逍遥である。この論は、これから始まる近代日本の文学に、人間を描くことを重視した点で評価している。

 現代でもそうだが、人々の生きる姿に時代を描こうとして、ただ風俗を描くだけに終わってしまうのは、小説が今に至るも陥りやすい盲点になっている、と注意を喚起している。

 小説は人生のすぐ隣りにいる芸術だ、と説いたのは安部昭であった。小説を読んで、「そうか、これが人生というものか」という、われわれの心に呼び起こす感動の声は、それに尽きると彼は書いている。

 人間を描くことは人生を描くことだ。それとともに、その人間が生きた時代をあわせて描くことだ。ということを、小林昭は述べている。しかし、時代を描くというとき、よく陥りやすいのが、時代の風俗は描くけれども、時代と人間・人生が乖離するということである。

 小説は人間が描かれていなければならない、とそのことがしばしば強調されるのは、「人間を描いていない小説、あるいは不十分にしか描いていない小説があまりにも多い」ということの証左に他ならない。

 最後に小林昭は、すぐれた人間・人生を描いた作品として、右遠俊郎の「告別の秋」と「残った松笠」を挙げている。この小説は、事柄を背景にして、事件ではなく人間を描いている、としている。

 たしかに、私たちは事柄や事件を描こうとして、人間や人生がおろそかになるということはよくあることだ。したがって、「小説は人生のすぐ隣りにいる芸術だ」ということを、しっかり心に留めて、人間を描くことに務めてゆきたいと思うものである。



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