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‘14年夢日記 「中学生の思い出」

2014(H26)年4月14日(月) 晴れ

     タイトル 「中学生の思い出」

 わが町の桜の美しいところはいくつもあって、そこを巡って歩いた。その中のひとつに寄島中学校がある。塀に沿ってL字型に桜が植わっていて、見上げると花の盛りを過ぎてちらほらと花片が舞い落ちていた。

 しばらく私はそこに佇んで、桜の花に酔いしれていたが、ふと中学時代の甘さとにがさが甦ってきた。私が通っていた中学校は、桜のあるここではなかった。そこで、少し歩いて元の中学校へいってみた。

 そこには、「寄島中学校旧跡地」という石柱が建てられ、町営住宅となっていた。現在の視点でみると、その敷地はずいぶん小さくみえる。中学生の視点でみるのとでは大きな落差を感じさせられる。

 ここには、「中学生時代の甘さとにがさがある」甘さといえば、淡い初恋の感情が思い出される。小学生の時にも、女の先生や女生徒に淡い憧れをいだいたことがあるが、その中学生の想いは小学生のそれとは少し違っていた。

 淡い初恋の感情は、片思いであった。同級生の彼女の動静がいつも気にかかっていて、近くであるいは遠くから、彼女の姿を追っていた。今でも鮮明に思い出すのは、私が校庭の隅の鉄棒あたりにいて、彼女が校庭の一角で友達と遊んでいる姿だった。

 彼女は聡明で、慎み深さがあり、どこか憂いをもったような少女だった。その彼女に憧れ、淡い恋心をいだいていた。いまでも彼女の容姿や言動が忘れられずに、心に残っている。

 中学校時代は、「甘さ」よりも「にがさ」の方がまさっている。「にがさ」の多い中学時代だった。まず、貧しさというものが、私を苦しめた。貧しさそのものの苦しみよりも、人との対比による劣等感が私をとらえてはなさなかった。

 たとえば、昼食の弁当が麦めしだったために、新聞紙で隠して食べていた。決して麦めしが厭だったわけではなく、人が米のめしで、私が麦めしという劣等感が私を苦しめたのである。

 また、私の家の塀は所々に穴があき、少し傾いて貧相なものだった。だから、それを友達に見られるのが厭で、私は真っ直ぐ家に帰らなかった。家が近づくと、私は道を迂回して友達と別々に帰っていた。

 そして、私のうちには雨具がなくて、雨降りの日には、学校を時々休むということもあった。雨降りの日は、実に厭だった。部屋の中から、前の道路を眺めて子どもらの姿をみるのは、とてもつらかった。

 このように、私の中学時代は、「甘さ」と「にがさ」をともなった、思春期を送ってきた。その「にがさ」が、戦争による貧しさ、その後遺症であることが分かるのは、ずっと先のことである。

 思いがけず、桜が「中学生の思い出」を甦らせてくれたが、あれから50年の歳月が経つ。しかし、その思い出は、決して色あせることもなく、今も鮮明に脳裏に刻まれている。



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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
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 名前は「千春」ですが、男性です。

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