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‘14年夢日記 「恩師を訪ねて」

2014(H26)年4月12日(土) 晴れのち曇り

     タイトル 「恩師を訪ねて」

 恩師が大きな病気を患ったと聞いていたので、訪問することもはばかられて、しばらく音信が途絶えていた。しかし、浅口市議会議員選挙もあって、そのお願いに思い切って出かけることにした。

 恩師の家を訪ねると、奥さんが玄関に出てこられて、私の来訪を先生に告げると、「上がってもらえ」という声が奥から聞こえてきた。私は一瞬意外な思いに囚われた。それは、先生が元気であることの証のように思えたからである。

 私は応接間に通されて少し待っていると、先生があらわれた。私はその姿をみて、「先生お元気そうで、若々しいなあ」という声を思わず挙げていた。病気だとはとても想像できない姿だった。

 私とは10歳の差があって、70なかばのはずだが私よりも若々しく見えるくらいである。頭髪は白髪もなく黒々としており、顔の色艶もとてもよく老人性色素斑も生じておらず、私と同年代に見えるくらいである。

 病気の経過も良好で、2カ月に1回ほど通院して検査をしてもらっているとのことだった。私は病名を聞いていたので、先生の元気そうな顔をみて安堵した。病気が病気なだけに、これからも良好であることを祈らずにはいられない。

 先生は高校時代の恩師であり、世界史を教えていた。また、文芸部の顧問もして、私もそれに加わって、私の人生に大きな影響をもたらした先生である。この時代にこの先生と遭わなかったら、私の人生は大きく変わっていたように思われる。

 先生とは、文芸部時代の生徒の消息について、話題にのぼった。文芸部の中心的な存在だったKは最近、黄泉の国に旅立ったこと、Tはリフォーム会社の代表として活躍していること、童話を書いていたSは、今釣りや旅をしていることなどを話した。

 これらの仲間とは高校時代に、ほんとうに輝いて、生き生きと学園生活を送ってきた。その彼らが自分の道をそれぞれ歩んできたことに、感慨もひとしおである。彼らとともに、先生に一度会いたいという思いを強くした。

 先生とは、今日の日本と世界の未来について話が及んだ。あの頃は、民主連合政府の展望が開かれつつあった時代で、日本革命の展望も視野に入れて未来が語られた時代だった。

 が、今日は日本と世界の展望が、くっきりと見通せるという時代ではなくなっていることを、先生は危惧されていた。私はその展望に決して悲観的ではないが、先生のいうことも理解できないことではなかった。

 この日は、先生が外出の予定があったので、ゆっくり話し合うことはできなかったけれど、また一度先生を訪ねて色んなことを、心ゆくまで話し合ってみたいというふうに思った。また、何よりも先生の健康の回復を願わずにはいられない。



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 1947年生まれの68歳で、
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 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
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