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‘14年夢日記 「鶴竜 横綱に」

2014(H26)年3月30日(日) 雨のち曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
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     タイトル 「鶴竜 横綱に」

 「謹んでお受けします。これから、より一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」
 これは、横綱伝達式で述べた鶴竜の口上である。四字熟語を使わずに平易な言葉で語っており、この方が鶴竜の気持ちが伝わってきて好感が持てる。

 私は相撲が好きである。もう50年以上にもなるが、私たちの小中学校の時代は、スポーツといえば相撲とソフトボールであった。地域の友達や級友たちとちょっとした時間があれば、広場に円を描いて相撲をとって遊んでいた。

 その頃は栃若時代で、栃錦と若乃花の取り組みをテレビでよく観戦した。まだテレビがあまり普及していなくて、村の有力者の家に行って観ていた。その家の座敷は子どもたちや大人で溢れるようだった。セピア色をしたその頃の思い出が甦ってくる。

 貧しい時代であった。子どもたちは膝に穴の空いたズボンと、袖に鼻汁をつけた服を着て学校に行ったり、地域で遊んだりしていた。貧困な暮らしの中でも相撲は子どもたちを熱狂させた。テレビを観るのも自分たちで取るのも、相撲はその時代のひとつの象徴であった。

 鶴竜は地味な力士だ。しかし、私は好きな相撲取りのひとりである。彼の表情や相撲の取り口も決して派手ではない。だから、決して人気のある力士とは言えない。が、相撲はうまくて、技能賞7回というのがそれを物語っている。

 鶴竜は、モンゴル出身で大学教授一家の裕福な家庭に生まれ、幼少時には、テニス、バスケットボール、レスリングにも励んだ。そして、親の影響で勉学にも励み、いわゆる優等生といわれていた。

 その彼が日本の相撲に魅せられたのは、中学の頃、当時活躍していた旭鷲山によってである。そして、日本の相撲の世界に憧れて、モンゴルで行われた花籠部屋の選考会に臨んだが不合格になった。

 しかし、彼は諦め切れず、日本相撲振興会に手紙を送り、その熱意が認められて井筒部屋に入門することが決まった。2001年5月、16歳で来日し11月に初土俵を踏むに至った。その頃の体重はわずか65キログラムしかなかった。

 井筒親方は最初、床山にでもするかと思ったという。とても相撲をとれるような身体ではなかったのである。しかし、彼は嫌いだった魚料理も克服し、食べられるようになり、今では154キログラムまで体重を増やすことができた。

 週3回の筋力トレーニングも地道に続け、その努力が花開いたのである。横綱審議委員会の評価は、「真面目な人柄とひた向きな姿勢」ということで、横綱への推挙が決まった。16歳で来日し、それから12年の努力が実を結んだのである。

 これからも、派手でなくてもひた向きに稽古をし、できるだけ長く綱をはって、若い力士から慕われるような横綱になるように、願っている。



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