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‘14年夢日記 「小さな旅」

2014(H26)年3月20日(木) 雨のち曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 ロシアはクリミア併合を撤回せよ 志位委員長が声明 
 世界の平和秩序を覆す覇権主義は許されない

     タイトル 「小さな旅」

 暖かくなり過ごしやすくなったので、ちょっと出かけることにした。これからは、時々こういう機会を設けていきたいと思っているが、今回は倉敷市児島へ足を延ばすことにして、ちょっとした旅気分を味わった。

 児島では、まず以前から気になっていた「旧野崎家住宅」に立ち寄った。この住宅はやはり「聞きしに勝る」ものであった。敷地面積約3000坪・建物延べ面積1000坪というのだから、壮観である。

 この住宅は、塩田王といわれた野崎武左衛門が、幕末に建てたもので、長屋門、表書院、中座敷、茶室、土蔵群からなるもので、なかでも中座敷は9つの座敷が連なっており、その全長は23間(42m)にものぼるものである。

 野崎武左衛門は、文政9(1826)年頃、塩田開発を決意し、文政11(1828)年、味野村と赤崎村に約48haの元野崎浜を完成させた。ちなみに、野崎というのは、味野の野と赤崎の崎をとったということだ。旧姓は昆陽野だったが、自らも野崎姓に改名したそうである。

 私はこの住宅を巡りながら、この塩田王の「光と影」を考えないわけにはいかなかった。台所や風呂のある建物を眺めながら、私はテレビの連続テレビ小説「おしん」を思いだした。

 この住宅には何人の奉公人が雇われていただろうか。「おしん」のように、2人や3人では決して切り盛りすることができなかったに違いない。その奉公人たちは、どんな辛い思いで働いていただろうか、ということが頭をよぎった。

 また、塩田で働く人々は、どんな条件のもとで働いていたのだろうか、ということが私の心をとらえた。この塩田では、「当作歩方制」というのが採用されていたということである。

 「当作歩方制」とは、幕末から明治期にかけて、1塩戸(1軒前)に3種類の当作人が存在し、それぞれの権利を意味する歩方が付与されていた。つまり、第一は直接生産者の歩方、第二は野崎家の親類などに対し、恩恵的に与えられていた歩方、第三は地主である野崎家自身の歩方である。

 その歩方は、たとえばそれぞれ、5歩、4歩、1歩の歩方であった場合、直接生産者は収穫の半分を年貢と同じように納めていたということになる。この方式は、小作農民と同様な搾取形態である。ただ単に、住宅の大きさに圧倒されていたのでは、この影の部分を見落とすことになってしまう。

 この塩田王を見る場合、このように「光と影」をみる視点が必要ではないだろうか。直接生産者は、過酷で厳しい労働と年貢に、唇を嚙んでいたように思われて仕方がない。塩田王を支えていたものは、この直接生産者なのであり、これらの人々を忘れることはできない。

 旧野崎家住宅をあとにして、鷲羽山、渋川海水浴場、王子ヶ岳を巡って、爽やかな風と春の光をいっぱい浴びることができた。天候もよくて、愉しい素敵な小さな旅であった。



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 1947年生まれの68歳で、
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 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
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