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‘14年夢日記 「私と戦争」

2014(H26)年3月15日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
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     タイトル 「私と戦争」

 最近私は、「磯の光景」という短編小説集を上梓したが、その中には短編小説が12編収載されている。そのうち、「戦争と人間の生き方・在りよう」をテーマにしたものを、ちょうど半分の6編収めてある。

 私は1947(昭和22)年の生まれである。つまり、戦後2年を経て誕生したので、直接戦争には関わっていない。なのになぜ、戦争にこだわりつづけて小説を書いてきたのだろうか。

 その理由にはふたつある。それは戦後政治が一貫して、戦前への回帰を志向してきたからである。政治、経済、文化、教育、軍事などなどが、戦前・戦中への「夢よふたたび」とばかりに、その歩みをすすめてきたからである。

 アジアの人民2000万人、日本の人民310万人が、犠牲をこうむったのが、先の戦争であった。その戦争の本質は、日本の侵略戦争であり、アジアと日本の人民に多大な苦難をもたらした。

 にもかかわらず、時の政権は、その戦争から教訓を引き出すことをしないばかりか、戦前の暗黒政治へと回帰することを志向するようになった。まさに「仮のねむり」から眼を醒まし、国民を戦前の悪夢へと導こうとしてきたのである。

 私が「戦争にかかわる」小説を書いたのは、それらの動きに対する「異議申立て書」である。私の小説にはその意味合いが色濃く反映している。戦後、人間はどのような心の在りようで生きてきたのか、をテーマにして書いてきたつもりである。

 もうひとつの理由は、私の戦後の生活の在りようがモチーフになっているということである。私の幼少時代から小学時代は、わが家は貧窮の底にあった。たとえば、雨靴や傘が買って貰えないために、私は雨が降ったら学校を休まざるを得なかった。

 そのような、貧窮をもたらしたのは何であったのだろうか。もちろんそれは戦争の故であった。先の15年戦争で、父は3度徴兵され、各地を転戦させられたのである。それで母や兄たちの戦中の暮らしは、無残なものだったに違いない。

 では、戦後はどうだっただろうか。父の職業は大工だった。あの荒廃し、食料もままならなかった時代に父の仕事はあっただろうか。幸いにわが家の周辺は田舎であり、空襲には遭っていない。だから、当然大工仕事もなかったに違いない。そういう時代と事情から、わが家の収入は極めて限られたものだったろう。

 こうして、わが家の暮らしは貧しさの極にあった。その貧しさの「辛さや痛み」は、今でも身体に刻まれている。それをもたらしたのは、まぎれもなく戦争である。その庶民の暮らしの在りようと、生き方を掬い取ったのが私の小説である。

 以上のような、戦争への回帰現象への「異議申し立て」と、戦争による貧窮の告発が、私のモチーフでありテーマとなっている。これが、「私の戦争」である。



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