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‘14年夢日記 「事実と虚構」

2014(H26)年2月7日(金) 曇り時々雪

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     タイトル 「事実と虚構」

 私もそれなりの数の小説を書いてきたが、いま「事実と虚構」ということを考えている。私の作品の多くは、虚実ないまぜて書いているが、そこで失敗の多いのは、事実(体験)を描いた部分である。

 ほんとうは、事実なので、リアリティーをもつはずなのだが、しかし、その事実を書いたからといって、リアリティーを持つとは限らない。私の経験からいうと、事実をそのまま小説のなかに持ち込むと、リアリティーを失うということはよくあることである。

 よく作品の合評会などで、批評を聴いていて面白いと思うのは、ここはリアリティーに欠けている、という指摘がなされると、作者が口をとがらせて、「これは事実なのだからそんなことは無いはずだ」と反論する場面である。

 作者にしてみれば、ほんとうの体験を書いているのだから、「リアルであるはず」と思い込んでいるのである。しかし、体験を書けばリアリティーを獲得することができるかというと、決してそうではない。随想なりノンフィクションならそれでもいいかも知れないが、創作ということになると、そうはいかないのである。

 私もそれでよく失敗する。つまり、事実と虚構の部分の描写が乖離するのである。虚構の部分はそれなりに読ませるが、事実の部分になると、リアルさを失うということがよく起きる。それは、小説にはテーマというものがあり、プロットというものがあるので、それから事実の部分が乖離するのである。

 もし、自身の体験を小説の中に盛り込もうとすると、その体験をいま一度解体し、改造し、再構築しなおさなければならないように思う。つまり、体験そのままを小説のなかに挿入しようと思っても、テーマやプロットとうまく融合しないということが起こる。

 小説はやはり、創作である。北海道の福山瑛子は「文学的真実は現実そのものではなく、虚構の真実だ」といっている。創作とは文字通り話を創ることである。テーマに沿って、プロットや構成を考え、虚構によって、ひとつの芸術作品を生み出すということだ。

 が、それでは創作をしてゆくうえで、体験をおろそかにしていいかというと、決してそうではない。体験というのは、ずいぶん貴重なもので、それはいい作品を生み出す宝庫ともなるものである。つまり、貴重な体験は、作品のモチーフとなるものであり、作家の筆を前にすすめるうえで欠かせない。

 いい作品になるかどうかの分かれ目は、モチーフの強弱といっても過言ではない。モチーフというのは、芸術作品を創るうえでの動機だけれど、それが強いことは、いい作品を生み出すひとつの条件である。が、私はそれがすべてというつもりはない。

 それは、いい作品を生み出すためには、モチーフとともにテーマという問題が介在するからである。モチーフとテーマが作用・反作用しながら、作品として昇華してゆくとき、そこに優れた芸術作品が生まれることになる。



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