‘14年夢日記 「思うことども」

2014(H26)年1月28日(火) 晴れのち曇り

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     タイトル 「思うことども」

 先日、ある文学会の会合があった。ほんとうは、その内容について記すつもりであったけれど、その中で私の感じたことどもを、綴っておきたいという気持ちがふくらんできた。それは内容以前のマナーともいえるようなものなので、その方が大切のように思えるからである。

 まず、エアコンの設定温度である。これはこの会合でなくともよく見受けられることなので、それに触れておきたいと思う。この会合では、先に会場に着いた人たちが3人いて、エアコンのスイッチをONにして、温度も設定していた。雨も降って寒かったが、ほどよい温かさになっていた。

 が、あとから部屋に入った来た人が、暑いと思ったのだろうか、席についてしばらくすると、急に席を立って、つ、つ、つとエアコンの操作盤までいった。そして、誰に何も言わず、勝手に設定温度を換えてしまったのである。

 すると、風邪がようやく直ったばかりの私の席には、寒いと感ずるような風が流れてくるようになった。あとからやって来た人が、自分の体感温度によって、エアコンの操作を勝手にする、というようなことがあっていいのだろうか。

 それは、あまりにも自己中心的な行為ではないだろうか。人が7、8人いれば様々な体感温度を持っており、病気の人もいるかも知れない。暑がりの人や寒がりの人がいるかも知れない。そういうことに気配りができないのであろうか。もし設定温度を換えるのであれば、ひと言参加者に声を掛けるべきなのではないだろうか。

 この会合は、文学会の集まりだったので、作品の合評をしたのだが、同人のいわゆる仲間内のものであった。仲間内の合評だから、甘くせよ! とはさらさら思ってはいないが、しかしそこには、おのずとルールのようなものもある。

 自分の作品の出来や水準は棚に上げて、よくもまあ人の作品について、あれだけ厳しい批評ができるものだ、とあきれかえっている。普通、自身の文学的水準というものは、自覚できるはずである。それができないようなら、いい作品は決して書けないだろう。自己批評できるかできないかは、作家にとって致命的なものである。

 その、自身の文学的水準を考慮にいれて、人の作品は批評なされるべきではないのだろうか。自身はいい作品が書けないくせに、人には辛辣な批評を通り越して、罵詈雑言のたぐいの言葉がよくも吐けるものだと思う。自身の文学的レベルを知れ! と言いたい。そうしないと、批評が批評でなくなって、傲慢な放言になってしまう。

 いまひとつは、「存在が意識を決定する」ということである。作品批評で、自身のおかれた境遇からしか作品が見えない、という傾向があるのを強く感じる。「存在が意識を決定する」のだから、仕方ないかも知れないが、しかし文学の真実を論じているのに、自身の存在にあまりに固執していては、真実あるいは本質は見えないであろう。自己を客観化することができるように望みたいところである。

 以上、先日の文学の会合で感じたことどもを記してみた。これらは、文学というよりも人間の在りようの問題でもあるような気がする。人を思いやる、我執を捨てる、というような、仏教にも通ずる心が求められていると思う。



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