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‘14年夢日記 「二たす三は七か八」

2014(H26)年1月15日(水) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 自衛隊司令部に国民監視部署 
 情報保全隊と連携 秘密保護法の身辺調査に関与

     タイトル 「二たす三は七か八」

 ここに、倉敷医療生活協同組合が発行している「搏動」という雑誌がある。その中に面白い詩があるので紹介してみたい。

   夫の評
          江口 厚子

 あんたは、わしに自分の詩を見せんが
 夫が言う
 「搏動」と「道標」二冊ずつ見せた
 しばらくして
  あんたの書くものは良うわかった
  二たす三は五になる詩じゃ
  七や八にはならん

 何と評価されようと書き続けよう
 私は私

 私は江口厚子さんの詩に触れたのは初めてである。だから、彼女がいままでどのような詩を書いてきたのかどうかは分からない。したがって、その批評や感想を書くことはできない。しかし、この詩を一度読んで、忘れることができないものになってしまった。実にユーモラスがあって、夫の言葉が私の心をとらえてはなさない。

 妻の詩は二たす三は五だと、夫は言う。その詩を夫はあまり評価せず、いささか不満のようである。「二たす三は五になる詩じゃ」と、辛辣な批評を加えている。なぜ、二たす三は五ではいけないのか。妻はその批評が少し不服なようで、「何と評価されようと書き続けよう 私は私」と開き直っている。

 この夫の言葉は含蓄のあるもので、芸術や文学や詩の真髄を語っているように思う。普通、日常生活は、「二たす三は五」であり、それ以上でもそれ以下でもない。「二たす三は五」でなければ、社会生活は成り立たない。それが人間社会のルールである。

 ところが、芸術や文学や詩では、「二たす三は五」では、面白くないのである。詩に限っていえば、デフォルメや飛躍や想像力を駆使して、「現実」を超えて「新しい現実」を創造していかなければならない。それが詩というものであり、芸術というものである。

 これは、何も詩に限ったことではない。音楽であれ、絵画であれ、文学であれ、小説であれ、それは等しく同じようなことが言える。文学や芸術をめざしている人々は、大なり小なり「現実」を超えて「新しい現実」を創出しようと、懸命なのである。

それは、たいへん難しいことではあるが、文学や芸術をめざす人々は、「二たす三が七や八」になるようにと願って、日々研鑽している。小説の世界ではよく「体験と虚構」の違いを明確にして、体験に引きずられることなく、虚構の世界を構築してゆくことが求められる。

 詩の中の私も「私は私」と、開き直ることなく、夫の言葉に少しく耳を傾けてもいいように思う。が、それが簡単にみずからのものになるとは限らない。誰もが、文学や芸術をめざす人々はそれで悩んでいるし、日々挑戦しているからである。



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 1947年生まれの68歳で、
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