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夢日記 「はじまりのみち」

2013(H25)年12月26日(木) 曇り時々雨

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     タイトル 「はじまりのみち」

 映画「はじまりのみち」は、木下恵介監督の生き方と母子の情愛を描いたものである。作品の意図や批評では母子の愛のほうに重きをおいているようだが、私の興味は、木下恵介の生き方のほうにあった。

 1944年に公開された彼の作品「陸軍」は、戦時下に陸軍省の依頼で製作されたものである。その最後の場面は、息子が出征するのを、母を演ずる田中絹代が懸命に追ってゆく姿が印象的に描かれている。

 ラストシーンの10分間である。この場面は、今観ても臨場感あふれるもので、これこそ母子の情愛を描いたものとして、心に刻まれるものである。群集が日の丸の旗を打ち振って出征兵士を見送る中、母、田中絹代は息子を捜して、行進する兵士のあとを追ってゆく。

 田中絹代は転びながら、群集をかき分け、息子を捜して駆けてゆく。この名場面を陸軍省情報局は「女々しい」として、木下恵介は目をつけられるのである。彼は情報局から「にらまれ」終戦まで仕事ができなくなった。そして、彼は松竹に辞表を提出して浜松に帰るのである。

 浜松には脳溢血で病床に就いていた母がいた。米軍の空襲などがあり、浜松では安心して療養できないからと、60キロも離れた山間の村に母を疎開させることにする。「はじまりのみち」は、それを描いた物語である。

 バスで疎開させると、母は耐えられないと判断した恵介は、60キロの道のりを、リヤカーを引いてゆくことにする。兄とふたり、そして便利屋の3人でデコボコの道をゆくのだった。便利屋は家財道具を引き、兄と恵介が母のリヤカーを引いてゆく。

 その途中、峠の坂道があり、大雨も降って疎開は難渋する。しかし、恵介はその苦難をおして、毅然たる態度で山間の村まで母を連れてゆくのだった。ここに母子の情愛がはっきりと映し出されている。

 母は言語障害が残っていて、恵介に手紙を書く。「お前の居場所はここではない。お前の仕事は映画監督ではないか。はやく自分の居場所へつくように……」というような内容の手紙である。

 木下恵介の映画「陸軍」のラストシーン、そして、病床に就いている母への情愛が、その後の木下恵介を方向づけているように思う。だから「はじまりのみち」というタイトルになっているのだろう。終戦後に残した、数々の名作はここを原点にしているように思う。その原点を浮き彫りにしたのが、映画「はじまりのみち」である。



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 1947年生まれの68歳で、
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