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自分史(少年時代【3】)

2017年12月8日(金)曇り時々晴れ

 ♪ご訪問いただき誠に有り難うございます。


 昨日は戦後の貧しさの中でも、子どもたちは山野に出かけて、野草や木の実を採り、空腹を満たして逞しく生きぬいたことを書いた。

 今日は海の話である。わたしの町は、海の波が岸辺にひたひたと寄せてくるような町だった。わたしの家は海から10メートルほどのところに建っていた。だから、井戸水は塩水を含んでおり、それを飲み暮らしていた。

 わたしの町は海に恵まれていたので、漁師たちがたくさんいた。その頃は魚が豊富にいて、漁師町は活気に満ちていた。人口1万の町に、劇場やパチンコ店もあり、大相撲の巡業なども行われるような町であった。

 しかし、多くの子どもたちは戦後の食糧難にあえいでいた。わたしの町の忠魂碑に刻まれている戦死者は335人であり、父親を亡くした子どもたちも少なくなかった。

 そういう子どもたちを含めて、わたしたち子どもは、食料の足しにしたいと引き潮の時には海に入り、満ち潮の時には魚釣りをして、夕食のオカズにした。

 学校から帰ると、わたしはカバンを放り出して、一目散に海に入っていった。わが町の海は遠浅で、引き潮の時には1キロも沖へ潮は引いて、格好の漁場となる。

 海は豊かで、つぶ貝やタイラギなどもたくさん採れた。カニやシャコも海を歩き廻り、見つけては歓声を上げた。水たまりには、カレイやハゼもおり、その中に手を入れて捕まえた。

 父を戦争で亡くした友人は、タコ採りの名人だった。タコは素人ではなかなか採ることは難しかったが、その友人はタコの棲みかを見つけることも上手かったし、掘り出すのも得意だった。

 戦争の影を引き、貧窮の中にあっても、わたしたち子どもは、海に入ってなかば遊びつつ、夕食のオカズを採って逞しく生きていた。



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 「人生七十古来稀なり」の古希です。
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 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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