説明歌

2016年8月1日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【説明歌】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが短歌を始めて、真っ先に言われたのは、説明歌はつくるなということだった。しかし、短歌を始めたばかりの人間に、いくらそんなふうに言われても、よく理解できないでいた。たった三十一文字のなかで、5音でも7音でも説明の言葉が入ったなら、大きな無駄だといわなければならない。これが俳句になるとなおさらである。たった十七文字のなかで、何音か説明の言葉が入ったとしたら、よりいっそう惜しまれるだろう。

短歌

①「しんぶん」の集金やっと終らせて心も軽く珈琲を飲む

②「しんぶん」の集金やっと終らせて陽の射す居間で珈琲を飲む


 それで、①と②の短歌で説明歌について考えてみたいと思う。どちらもわたしがつくった歌である。作者の心情をより表しているのは、①の歌である。「しんぶん」の集金というのは、二度、三度と足を運んでやっとできるもので、なかなか厄介な仕事である。そこで、集金もすべて終わり、家に帰ってほっとした気持で珈琲を飲む。まさに「心も軽く」珈琲を飲むのである。しかし、しかしだ。珈琲を飲むという行為は、「心が軽くなった」からこそ珈琲を飲むのであって、「心も軽く」という7音は説明になっている。その説明の言葉を省いて、適切な7音を使うことによって、より豊かな歌になるのではないか。そう思ってつくった歌が、②の歌である。短歌もなかなか難しいものだと実感したしだいである。



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花散らしの雨(2)

2016年7月31日(日) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【花散らしの雨(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「花散らし」という言葉を、広辞苑で調べてみると、「3月3日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること(九州北部地方でいう)」とある。本来はそういう意味だったのに、現代では気象予報士の「お天気お姉さん」が、「明日は花散らしの雨になりそうです」というふうに使われたりしている。そこでわたしもその言葉に触発されてつくったのが、次ぎの歌である。

短歌 (「新日本歌人」8月号に掲載)

花散らしの雨降りしきる花びらが吹雪となりて舞い落ちてゆく


 果たして「花散らしの雨」というのは、現代社会においては、「お天気お姉さん」のいう意味で使ってもいいのだろうか。わたしはそういう疑問を持ちながら、歌をつくったのであるが、今でもその疑問は消えてはいない。しかし、「花散らしの雨」に助詞を挿入して、「花を散らす雨」とすれば、何の問題もないように思えるが、どうだろうか。それとも現代では「花散らしの雨」という言葉が通用するのだろうか。そして「新日本歌人」に投稿したこの歌が、選に入って掲載されたのである。現代ではあるいはこの言葉が定着しつつあるのかも知れない。



菜の花

2016年7月30日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【菜の花】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 次ぎの歌は3月に入ってようやく春の兆しが芽生える頃につくったものである。その歌が「新日本歌人」8月号に掲載されたので、ご紹介のつもりでこのエッセイを書いている。わたしの棲む町は瀬戸内海に面した海の町である。海を抱くように東西に牛の角のような岬があり、入り江となっている。その海に沿ってわたしは、倉敷や水島の街に出掛けてゆく。そこで出会ったのが、歌のような光景である。

短歌 (「新日本歌人」8月号に掲載)

ゆるやかなカーブ曲がれば目の先になだり一面菜の花の咲く


 街に出掛けるためには、小さな岬を幾つも幾つも巡ってゆくことになる。まさに岬めぐりである。右手には瀬戸の海が広がっており、島々が紫色をして浮かんでいる。時には島のようなタンカーが水島コンビナートをめざして滑るようにゆっくり動いている。幾つかの岬を曲がってゆくと、不意になだり(斜面)一面に菜の花が咲いているのに出くわした。わたしにとっては小さな感動であった。それを詠んだのが、この歌である。



歌を詠む

2016年7月29日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【歌を詠む】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが歌を始めたのは昨年の2月頃だった。67歳で小説を書くのをやめて、なにか心が空洞になり悶々としている時、心に閃いたのが短歌である。それまで短歌にはさほど触れていなかった。文学仲間の短歌や話題の歌集を少し齧っていた程度である。しかし、虚しい自分の心を救うのは短歌しかないように思いはじめた。そんな思いで始めた短歌だった。

短歌

扇風機を回して歌を作りたり汗をかきつつ夏の午後なり


 短歌を始めてちょうど1年半になる。一応短歌の形はできて、月刊の歌誌ふたつに掲載されるようになった。しかしわたしはまだ本当の意味で歌人にはなりきれないでいる。まだ小説を書いてきた名残りを短歌に引きずっているし、フォークソングの世界の影響を払拭できないでいるからだ。またもうひとつ、短歌でよく使われる古語が分からないで、まごついている。本当に歌人と言われるのは、まだまだ遠い先のことになるに違いない。それまで倦まずたゆまず歌を詠みつづけることが求められている。



散髪

2016年7月28日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【散髪】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 髪を切る、という行為には、どこかに心を新たにさせるものがあるような気がする。女性の方で、失恋などしたとき髪を切ることがあるという話を聞いたことがあるが、男性でも髪を切るという行為には、ある種の心持ちの変化を見ることができる。わたしも先日髪を切ったのだが、単に髪が伸びたからというだけでなく、心の変化を期して髪を切るのである。

短歌

梅雨が明け夏の来たりて髪を切る蝉の鳴き声遠くに聴こゆ

梅雨が明け心新たに髪を切りペダルを踏んで坂道のぼる


 この度は、暑い夏に向かってゆく心持ちを強くもって過ごす、あるいはもっというと、この夏を生きぬくというふうな、想いで理容店に足を運んだ。この暑い夏にそれに負けないで、いい仕事をしたいという想いである。ちょっと大げさだという人もいるかもしれないが、髪を切るという行為にはそんな想いもともなっているのである。髪を切り、心も軽くなって、自転車を漕いで坂道を登る主人公を、思い描いて貰えれば幸いである。



海が明ける

2016年7月27日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【海が明ける】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 だいたい「しんぶん」の配達の日には、4時前後に目が覚める。それから身支度をして家を出てゆく。「しんぶん」配達で気づくのは、空の星や月である。先日はまあるい月が西の空に貼りついて皎々と輝いていた。村の山野や大地もほのかに明るい。そして村でもっとも高い竜王山がシルエットとなって、空を切り取って聳え立っているのが印象的だ。

短歌

闇のなか「しんぶん」配りに出でてゆく峠を越ゆれば海が明けゆく


 家を出るときは闇に包まれているが、しばらくすると白々と明けてくる。北の方から「しんぶん」を配達してきて、その中間くらいのところに峠がある。その峠を越えると、目の前には瀬戸内の海が広がっている。その海が朝焼けに照らされて、明けてゆくのが分かる。こんな光景には、街中の「しんぶん」配達では決して出会えないだろう。明けてゆく瀬戸内海を見ながら、「しんぶん」を配るのも、また楽しいものである。



リストカット

2016年7月26日(火) 曇り

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♪♪♪ 【リストカット】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、わたしの友人の講演会があった。岡山県浅口市の公民館で「統合失調症」に関する講演だった。彼との付き合いは、小説を一緒に書いてきた仲間であり、今はともに短歌を詠む仲間としてのものである。講演会は盛況で会場がいっぱいになるほどだった。これは浅口市の教育委員会が主催したもので、先生や保育士、民生委員などの方々の出席が多かった。

短歌

今もなお心の病に生きる友ああ痛々しリストカットの痕


 わたしは彼の統合失調症の著作を読んでいたので、おおよそのことは知っていたけれど、本に書かれていないことにも話が及んだ。彼は30代で心の病に罹り、その後、家族を失い、家を失い、職を失った。職というのは学校の教師である。この病の発端は学校にあった。彼はそれまで担任を持つ教師であったが、校長から教務主任になるように指示されてから、人生が狂い出すことになって、心の病に罹り、統合失調症になった。そして現在に至っている。精神病院への入退院を繰り返してきたが、今は地域社会の中で、自立して生きている。彼の人生は壮絶なものであったが、たとえ心の病を患っても、自立して生きてゆくことができることを、自ら体験しその経験を広める講演活動などもしている。



蝉の鳴き声

2016年7月25日(月) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【蝉の鳴き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは30歳前後から耳鳴りがするようになった。不思議なことに左耳だけである。だいたい耳鳴りは片方だけでなることが多いと言われている。左脳と右脳の働き・役割と左耳の耳鳴りの関係を調べてみたが、よく分からない。左脳は論理的思考を司る役割を持ち、右脳は感性、感覚を司る役割を持っているというが、それと左耳の耳鳴りの関係は明らかではない。ただ、睡眠不足や体調不良のときに耳鳴りは起こる。最近は毎日のように耳鳴りがしている。

短歌

あの音は蝉の鳴き声か耳鳴りか判然とせず耳を抑える

梅雨が明け遠くで蝉の鳴き声がかすかに聴こえ夏来たるなり


 梅雨が明けるのを待つように、蝉が鳴くようになっている。しかし、遠くから聞こえてくる蝉の鳴き声は、耳鳴りとほとんど変わらない。判然とせず思わず左耳を抑えることがある。しかし、蝉が鳴くようになると、本格的な夏の到来である。わたしが待っていた夏である。寒がり屋のわたしは、冬よりも断然夏の方がすきである。この夏にいい仕事をしたいと、心ひそかに願っている。



わたしの日課

2016年7月24日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【わたしの日課】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの朝の日課は、原稿用紙1枚のエッセイと6首の歌をつくることである。朝、読書をすればいいと思うけれど、それがなかなかできない。まだ寝起きで頭がすっきりしていないので、活字を読むということはなかなか困難である。しかし不思議なことに、ものを書くということは、そんなに苦痛にならない。だから朝はパソコンに向かいエッセイを書き、歌をつくる。

短歌

早朝にエッセイを書き歌を詠む吾の日課と定めて生きる


 したがって、このような日課を1年通したら、原稿用紙365枚のエッセイが書けることになる。これだけの量の文章があれば、1冊の本の上梓が可能だ。また、短歌は1年で2000首になる。これだけの仕事を朝にやるように心がけている。ただ、短歌は今まで多作多捨でやってきたけれど、そろそろその方針は考えなければならない時期にさしかかっているという認識である。1日1首でいいから、もっと丁寧につくるべきだろう。いずれにしてもこれがわたしの朝の日課である。



買い物

2016年7月23日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【買い物】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 なぜこんなことになってしまったのだろうか。妻が腰痛になって買い物にも出掛けることができなくなってしまった。車に乗ることができれば、少しの腰痛なら買い物にゆくことが出来るのだろうが、車の免許証はもっていない。もう自転車に乗ることも叶わなくなってしまって、一人ではどこに出てゆくこともできない。古希前というのに早く衰えたものである。

短歌

腰痛で出掛けることも叶わない妻に替わりて茄子を購(あがな)う


 したがって、買い物にはわたしが連れてゆくことになってしまった。こんな日がこんなに早くこようとは思ってもみなかった。しかし炊事、洗濯、家事などはできるので、それでよしとしなければならないだろう。ときには妻に替わって、わたしが買い物に出掛ける。妻に買い物のメモをつくって貰って、スーパーへ出掛けるのである。わたしもスーパーの売り場がだいたい呑みこめるようになった。いままで買い物もしなかったわたしだから、ようやくスーパーのようすが分かりかけたところである。



トマト

2016年7月22日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【トマト】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 この歌は短歌会の兼題「夏野菜」にもとづいて作ったものである。いまわたしは野菜をあまり摂らないので、市販の野菜ジュースを飲んでそれを補っている。しかし、杳(とお)き日、つまり小・中学生の頃は、よく野菜を摂っていた。しかも食事で出されるものではなく、腹をすかしてお八つとして食べていた。その頃は学校から帰ると、カバンを投げ出して山や海に遊びにいった。

短歌

杳き日に腹を空かして捥ぎ立ての熱きトマトを畑で喰いぬ


 野山に遊びにゆくと、畑の夏野菜をよく食べたものである。ポケットに塩を突っ込んで畑にいくのだ。夏野菜といえば、西瓜、トマト、胡瓜、茄子、瓜、イチゴなどであるが、それらを自家の畑で採って食べるのだった。ときには、友だちと他家の畑の野菜をちょっと失敬して、隠れて食べたものである。すると、おじさんに見つかり追いかけられて、一目散に山を駈け下りることも少なくなかった。戦後の貧しい時代の物語である。



一歩前へ

2016年7月21日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【一歩前へ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの所属する短歌会で「命令形」の歌を作るように、兼題が決められた。それで詠んだ短歌が下記のものである。これはわたしの実感に即して詠んだものである。わたしはある会に入っているが、その仕事が半端ではない。「しんぶん」を配ったり、集金したりという他に、例会の準備もしなければならない。ひとりで何役もこなしており、明らかに過重な仕事になっている。みんなでその仕事を分担すればいいが、適任者がいない。

短歌

重すぎる任務を受けてためらいぬ靴紐しめて一歩踏み出せ


 したがって、わたしは仕事も重いが、気持も重くて気分がすぐれない。しかし会の現状を考えると、どうしようもないのである。だから、今は歯をくいしばってでもやるしかない。この情況は決して正常とは言い難いものであり、早急に改善されなければならないだろう。そうした現状、心の在りようを踏まえて詠んだのが、この歌である。現時点では、心が萎えそうになるけれど、靴紐をしめて半歩、一歩と踏み出すことが求められている。



原爆ドーム

2016年7月20日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【原爆ドーム】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 若い日にひとり広島への旅をしたことがある。原爆ドームと原爆資料館、そして宮島である。わたしは日々の暮しに疲れており、思い悩んでいた頃だったように思う。わたしの青春時代は希望とともに絶望もともなう、とても複雑な時代だった。希望と絶望がせめぎ合うように交錯していた。夢と希望に満ちた青春時代というふうでは決してなかった。絶望をも内包した希望であった。そんな暮しに疲れて旅に出たのが広島だった。

短歌

若き日に暮しにあきて旅に出る原爆ドームを独り見上ぐる


 広島では資料館をめぐり、原爆ドームへと足を運んだ。わたしは原爆ドームの下に佇み、しばらくドームを見上げていた。ひとりきりだった。誰にも何にも束縛されることなくドームを見上げ、8月6日の在りし日のことに思いを馳せていた。そしてわたし自身の生き来し方について、鋭く問い返してくるものがあった。原爆ドームは何も語らないけれども、無言の言葉を放ち自身の生き方を、鋭く照射するものであった。わたしにとって決して忘れることの出来ない旅となった。



ブラウス

2016年7月19日(火) 晴れ

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♪♪♪ 【ブラウス】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 下記の歌は一部虚構である。短歌は原則として事実にもとづいて作るものであると認識しているが、しかしわたしはすべて虚構を否定するものではない。俳句は虚構が認められているという話を友人から聞いた。たしかに、TBSのプレバトという俳句コーナーでは、出演者が体験していない兼題写真にもとづいて俳句をつくっている。ああ、こういう俳句の作り方もあるのだな、と認識を新たにさせられている。

短歌

朝まだき始発電車で君は去り置き忘れたるブラウス揺るる


 したがって、短歌においても兼題写真を見て歌を作っても一向にかまわないのではないか、というのがわたしの現時点での認識である。また、短歌には題詠というのがあって、歌会で題を決めて歌を作るということも行われている。例えば「縫う」「消える」「波」「雨」などという兼題を出して、それで歌を作るということがなされている。短歌も文学作品であり、そういう意味では歌を作るということは創作である。創作ということは、つまりすべて事実に基づかなくても、虚構があってもいいのではないか、というのがわたしの認識である。



夾竹桃

2016年7月18日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【夾竹桃】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの孫は女子高生の2年である。わたしの町が過疎になったため、バスの運行が減便され、バスでの通学が困難になっている。そこでJRの最寄りの駅まで、両親や双方の祖父が送迎をして対応している。わたしはめったに迎えに行かなくてもよいが、たまに声が掛かり、孫娘を駅まで迎えにゆくことがある。先日、孫娘から電話があって迎えを依頼された。これもなかなか大変な仕事である。

短歌

駅前に夾竹桃の花が咲き孫を待ちつつ花壇を眺む


 駅まで迎えに行って、少し時間があったので、車を降りてぶらぶらしていたら、駅前の花壇に夾竹桃が植わってあって、ピンクの花をつけていた。夾竹桃はこれから夏に向かっての花なのだろう、蕾をいっぱいつけていた。孫娘は保育士を希望して、それに関係する高校を選択し学んでいる。再来年にはもう短大か大学へ進むことになる。彼女は素直で社交性があって、とてもいい子である。迎えも大変な仕事だが、わたしにでき得ることは、手助けしたいと思っている。夾竹桃のように盛夏に花開くたくましい、そして優しい保育士になって欲しいと願っている。



どっこい生きている

2016年7月17日(日) 晴れ時々雨

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♪♪♪ 【どっこい生きている】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの古き仲間はいまどうしているのだろうか。わたしと共に文学運動や青年運動をしてきた仲間は、今も初心を忘れずにその活動をしているのだろうか。あれから半世紀も経つのだから、そのなかで色んな葛藤や挫折を経験してきたかも知れない。わたしも色んな葛藤や挫折があった。人間はただひとすじに真っ直ぐ生きてゆくことは、なかなか難しいものである。

短歌

古希まえの吾もどっこい生きている古き仲間に歌誌を贈りぬ


 わたしも色んな人生を経験してきたが、大局的には高校時代に抱いた初心を忘れることなく生きてきたように思う。それは文学と社会変革への道である。わたしが古い仲間を気遣うように、彼ら彼女らもわたしの在りように関心があるに違いない。そこでこのたび発行された歌誌・「踏鞴(たたら)」を古い仲間たちに贈った。わたしとしては「どっこい生きている」という思いで、彼ら彼女らへのメッセージとしての歌誌である。



介助

2016年7月16日(土) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【介助】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 短歌仲間に101歳の歌人がいる。月1回の歌会にも意欲的に出席し、意欲的に歌を作っている。101歳でもとても元気で、部屋の掃除や洗濯まで自分でしている。また、買い物にもひとりで出かけてゆくのである。こんな元気な101歳をわたしは見たことがない。そんな彼女だが、ひとりで風呂に入れなくなったら「施設に入って貰う」と息子さんから言われている。そこで彼女は「なにくそ」という気持で日々を送っている。

短歌

浴室に妻と娘が懸命に支えて入る隣家の主人


 わたしの家の前に80歳前後の男の人がいる。その人は誤って転んだりしたら、もうひとりで立ち上がることは出来なくなっている。最近、転んで妻や近所の人に助けを求めて大きな声を上げていることが何度かあった。そしてこの男の人は、101歳の歌人と違ってひとりで風呂に入れなくなっている。風呂に入るようすが、わたしの部屋にも聞こえてくるが、大変さがよく分かる。妻と娘さんのふたり掛りで介助をしてやっと入れるのだ。でき得るならば、わたしは101歳の歌人のように元気で年を重ねたいと思っている。



石榴(ざくろ)

2016年7月15日(金) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【石榴(ざくろ)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 BSのテレビで「俳句でGO!」という番組が放映された。これには芥川賞作家の又吉直樹が出演し、鎌倉や都心を歩いて俳句を作るという趣向だった。つまり吟行で風景や街のようすを見て、その場で俳句を作るというものである。2時間の番組だったけれど、わたしは釘付けになって、それを楽しんだ。又吉の他、プロの俳人と進行役のアナが参加して、それぞれが俳句を作り、短冊に書いて披露するというものだった。

短歌

くれないの石榴の花が開きおり高き枝にて梅雨空に映え


 わたしもテレビに映し出された風景のなかから、「あ!」と心に響いて作ったのが、上記の歌である。これは俳句ではないけれど、短歌にも吟行というのがあり、わたしも吟行しているつもりで作ったものだ。その日は梅雨空で雨が降っており、テレビに映し出された石榴が印象的だった。梅雨空にくれないの石榴の花が際立って咲いていた。それを歌にしたものである。



風鈴

2016年7月14日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【風鈴】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが書斎で書きものをしている時に、涼やかな鐘の音(ね)が聴こえてきた。わたしは最初なんの音かと耳を澄まして聴いていたが、それはまぎれもなく風鈴の音だった。扇風機がありエアコンのある時代に、風鈴の音を聴くということは思ってもみなかった。わたしはしばらくペンを投げ出して、その音に聴きいっていた。なんて素敵な音色だろうか。それだけで暑さをやわらげてくれるようである。

短歌

蒸し暑き梅雨の晴れ間に風が立ち隣家の軒の風鈴が鳴る


 わたしが幼い頃には、風鈴はどこの家にもあった。それは縁側に、あるいは軒先に吊り下げられていた。扇風機もない、もちろんエアコンもない時代だった。まさに団扇の時代だったのである。団扇を使いながら、縁側で西瓜を食べたり、瓜を食べたりしたものだ。そして風鈴の涼やかな音色が鳴っていた。とても懐かしい光景である。そして今の時代に風鈴の音が聴けるとは思ってもいなかった。隣家の風鈴の音は、まさしく涼をいざなうものである。



君の栞

2016年7月13日(水) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【君の栞】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの机の上には栞(しおり)が二枚残されている。これは若き日に君から貰ったものだ。君が職場の旅行で京都かどこかへ行った時買ってきてくれた。ささやかな贈り物であったけれども、わたしは君の心のこもった栞をとても喜んだことを思い出す。六畳ひと間のアパートに棲むわたしのところへ、階段を駈けあがってきてくれた。

短歌

君は去り手元に残るは栞のみ本に挟んで偲びておりぬ


机には栞が二枚並びおり遠き日偲ぶ君の贈り物

 しかしその君はわたしから去っていってしまった。南こうせつの「神田川」の世界のような暮しをしていたふたりだった。あるときは、ふたりで横丁の風呂屋にも一緒に行った。あるときは、ふたりでクラシックも聴きに行った。あるときは、一緒に青年運動もやってきた。そんなふたりだったが、いつしか君はわたしの元から去っていった。しかし、君の栞だけは今もなお残されている。



哲学的思考

2016年7月12日(火) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【哲学的思考】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ――「生」って何だろう、「死」ってなんだろう、「自分」、「他人」、「時間」、「感情」って何?、この世って知らない事ばっか。――
 この文章は小学6年生の丹谷百花ちゃんの文章である。これは哲学的な思考と言っていいだろう。小学6年生の現代っ子が、このようなことを考えていることに驚く。百花ちゃんは、小学生の歌人である。わたしたち水島短歌会に所属しており、毎月の例会に出席して歌を発表している。


短歌

誰でもが哲学者となる若き日よ思いつめたる人の生き方

「人間は何のために生きるのか」と思いつめたる高三の秋


 わたしも高校時代に「人間は何のために生きるのか」と、いう命題で思い悩んで、日々を送っていた。若いときは誰でもが哲学者になるのだろうか。百花ちゃんといい、わたしといい、哲学者となって思いつめた日々を送ってきたのである。わたしの高校時代の悩みはとても切実であった。いまはそのような悩みはないけれども、まだまだ「よりよく生きたい」という欲求は衰えることがない。しかし、若き日の哲学者たる日々が懐かしいし、その時代にもう一度還りたいという想いが募ってくる。もう一度哲学者になりたい、と思う今日この頃である。



夏の到来

2016年7月11日(月) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【夏の到来】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 まだ西日本地方では梅雨があがっていないけれど、梅雨の晴れ間で連日猛暑が続いている。岡山市では連日35度を超え、うだるような暑さだ。わたしの棲む町でも35度に近い気温が記録されている。いかにわたしが夏に強く、好きだといっても限度がある。35度にもなるとさすがに扇風機だけでは、我慢できない。そこでわたしはわが家を逃げるように、町の図書館へと出向いてゆく。

短歌

瀬戸内の海は遥かに広がりてさざ波が立ち浜辺に寄せる

夏の海ひとつの船が白き尾を曳きて滑るが如く走りゆく

梅雨が晴れ入道雲が乳色に盛り上がりたる夏の青き空


 わたしが図書館に行くのは避暑のためである。やはり本を読んだり短歌を作ったりするのは、わが家の方がいい。何よりも集中して取り組むことができるからである。しかし一日中、エアコンをつけておくわけにもいかず、図書館に出かける。図書館が都合悪いのは、「飲食禁止」ということだ。食べるのはどうかと思うけれど、水分補給などは許してもいいように思う。そんな図書館で詠んだ歌が上記の3首である。その図書館は3階にあって海が見渡せるようになっている。海や空を眺めながら作った歌である。



隠岐の島

2016年7月10日(日) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【隠岐の島】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが20代前半に旅した島根県の隠岐の島は印象深い旅であった。わたしは野宿するつもりで、寝袋をかついでいった。実際、牛が放牧されている草原で1泊した。周りにはまったく灯りはなくて、漆黒の闇の中で眠った。陽が落ちて暗くなれば眠り、朝日が昇れば起きるという、自然な体験をした。その日は台風が近づいていたので、船は大きく揺れて、船酔いをして酷く苦しい思いをしたことを覚えている。

短歌

若き日に暮しにあきて旅に出る隠岐の島へと船に揺られて


 2日目は民宿に泊まって、村の盆踊りにも出かけて一緒に踊ったように思う。この旅は、どちらかというと観光目的というより、日々の暮しに飽きて、旅に出たというのが本当のところである。この頃のわたしは、生き方に思い悩む日々を過ごしていた。その生き方を見つけるために、ひとり旅をしたのである。しかし、だからといって一度の旅で自身の生き方が見つかるようなことはなく、それ以後も一再ならず、ひとり旅をしている。それはわたしにとっては、人生のうちで貴重な体験である。



踏鞴(たたら)

2016年7月9日(土) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【踏鞴(たたら)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 踏鞴というのは、広辞苑によると、足で踏んで空気を吹き送る大きなふいご、とある。つまり、鉄などの金属をつくるために使用する、製錬の道具のひとつである。岡山県、つまり吉備の国には、古代、多くの鉄鉱石や砂鉄が産出され、鉄がつくられていた。それに使用する「ふいご」が踏鞴である。その名前をとって、新日本歌人岡山支部(コムコム短歌会・水島短歌会)の合同歌集が年1回発行されている。

短歌

ようやくに歌誌の「踏鞴」が刷り上りインクの匂いが微かに香る


 その「踏鞴」が、待ち焦がれていたけれど、ようやく刷り上って、わたしの手元に届いた。この歌集は会員10数名が15首ずつ投稿し、自選作品集として作成するもので、編集委員会が選歌して掲載するというものではない。これにはわたしも15首自選し、それが掲載されている。これは手作りのような趣きがある。原稿は編集委員会で、パソコン入力し印刷所に印刷と製本を依頼してできたものである。刷り上ったばかりの「踏鞴」は、インクの匂いが微かに香っている。



デビュー

2016年7月8日(金) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【デビュー】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは三つの短歌会に所属している。したがって、なかなか忙しい日々を送っている。まず三つの歌会に出詠する歌が、二首、三首、三首が必要とされているので、これだけで八首詠まなければならない。そして歌誌が二つあり、その出詠は八首と十五首である。つまりそれだけで、月三十一首の歌が求められている。わたしは欠詠したくないので、最低一日一首以上詠まなければならないということになる。

短歌

歌誌「龍」に初めて載りし吾が歌よいとしき吾子のごと読み返す


 そのうちの短歌会のひとつに、龍短歌会というのがある。5月に入会したばかりで、まだ新人ほやほやといったところだ。5月に十五首投稿していたのが、7月号に七首掲載された。「龍」誌へのデビューを飾ったということになる。この「龍」誌は、選歌されるけれど掲載されるのは、誰もが十五首のうちの七首のみである。わたしはこの「龍」誌へのデビューをことのほか嬉しく受けとめている。むろん、「新日本歌人」誌への掲載も同様である。今後ふたつの歌誌を基底にすえて、修練を積んでゆくつもりである。



知らない町

2016年7月7日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【知らない町】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは若い頃から知らない町に憧れがあり、興味があった。それもひとり旅に憧れ色んなところに足を運んだものである。例えば、島根県の津和野や隠岐の島、萩や山口、長野の上高地や美ヶ原などなどが思い出される。それは憧れの町でもあったけれど、実際のところは日々の暮しに飽きて、旅に出たというほうが当っているように思う。在りし日に生き方を模索しての旅だったような気がする。

短歌

吾ひとり知らない町にやってきてぶらり歩けば潮騒聴こゆ


 しかしいまは、そのような放浪の旅をしたいとは思わない。いまはしっかりとした目的をもった旅をすることが多い。短歌のセミナーで神戸へ行ったり、山口へ行ったりしている。それは自身の生き方が定まって、その方向で生きてゆくという風になってきたためだろう。そして人生の根源的な悩みもなくなり、哲学的な思索をすることもなくなってきたからである。そのことが果たしていいことなのかどうか、現実生活に埋没してしまっているのではないかという思いもある。



まあるい月

2016年7月6日(水) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【まあるい月】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは「しんぶん」を週4日から7日配達している。これはなかなか困難な仕事である。わたしは比較的遅くて、午前5時に起床して「しんぶん」の配達に出かけてゆく。この季節にはもう夜は明けて町並みも目覚めて明るくなっている。しかし比較的遅い起床であっても、午前5時の起床というのはやはり辛いものがある。だいたい気持のうえで大きな違いがある。その時間に起きるとなると、ただそれだけでプレッシャーとなって、夜の睡眠にも影響を与える。

短歌 (「新日本歌人」7月号に掲載)

「しんぶん」を配りてゆけば西空にまあるい月が皎々と照る


 上記の短歌は、いまの季節のものではなく、冬の歌である。冬であれば、午前5時といってもまだ夜は明けていない。まだ夜のとばりにつつまれている。したがって、西空に浮かぶ満月も闇を溶かして皎々と照っているのを見ることができる。そんな月を見ることができると、幸運に恵まれたような気持になり、わたしの心のなかに感動を呼び起こすのである。



在りし日

2016年7月5日(火) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【在りし日】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは雨が降ると苦い思い出が甦ってくる。わたしは戦後生まれで大変な経済状況のなかで、小学校・中学校を送った。わたしの世代はみな貧しかったけれど、とりわけわが家の経済は厳しいものだった。わたしが学校から帰ると、タンスや自転車に差し押さえの証紙が貼られていた。自転車は父のものだったけれど、わたしたち子どもも愛用していた。ところがその自転車にも証紙が貼られ、それ以後乗ることが叶わなくなったのを覚えている。

短歌

傘なくて学校に行けぬ在りし日を思い出させる降りしきる雨


 そんなどん底の貧しさだったから、傘を買うことも出来なかった。小降りの雨なら学校に行ったように思うが、強い雨だと学校に行くことができず、休んで雨空を眺めていたりした。今では考えられないようなことが、あの時代にはあった。それはやはり戦争のために日本経済が疲弊していたということだろう。降りしきる雨の日などは、在りし日のことが鮮烈に甦ってくるのである。



岬の朝日

2016年7月4日(月) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【岬の朝日】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが朝日に出会うのは、「しんぶん」を配達している途中が多い。わが家のベランダからは、海は望めるけれど小高い山が東側にあって、日の出を見ることはできない。「しんぶん」の配達の途中には、瀬戸内海の島影から昇りくる日の出を見ることができる。「しんぶん」の配達の途中に日の出に出会うと、わたしは海岸に車を停めて、昇りくる朝日を眺める。

短歌 (「新日本歌人」7月号に掲載)

赤々と岬の果てに昇りくる朝日が海を黄金に染むる


 朝日が昇りくるときは、誠に鮮やかな深紅の色をしている。島影から細い爪の形をした赤い陽が覗く。それがしだいに半円となり丸くなって昇ってゆく。すると穏やかな瀬戸の海は黄金に染まってゆく。その光景は何と表現したらいいだろうか。「しんぶん」を配るのも忘れて、じっとそのダイナミックなようすを眺める。朝日と島と海、その移りかわりを感動をもって眺めるのである。



女高生の孫

2016年7月3日(日) 曇り

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♪♪♪ 【女高生の孫】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの長男の娘は、いま高校2年生である。少し勉強のほうは苦手のようだが、そんなことは問題ではない。もちろん勉強もできて、人格の優れた人なら申し分ない。しかし社会に出たら、人格がとても大切である。わたしにとっては、女高生の孫だがその子の人柄は並外れて、優れたものをもっている。長男は近くに家を新築して、わたしたち夫婦とは一緒に生活していないが、その孫はよくわが家を訪ねてくれる。

短歌

腰痛で引きこもる妻連れ出して散策をする女高生の孫


 わたしの妻は久しく腰痛で苦しんでいる。たぶん仕事を中腰でやってきたために、それが原因のように思われる。買い物などにも自分でいけない。自転車にも乗れないような、ひどい腰痛である。だから家に引きこもり状態である。医師は運動をしたほうがいいというけれど、それがなかなかできない。そんな折り、女高生の孫が妻を散歩に連れ出してくれるのだ。一緒に家の周辺の散策路を歩いてくれる。ほんとうに優しい孫である。



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 1947年生まれの70歳で、
 日々の暮らし・想いを自由に 綴って
 ゆきたいと思います。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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