類想類歌

2016年7月1日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【類想類歌】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 短歌を始めて約1年半になる。始めた頃と較べて、易しくなるどころかますます難しくなっているのを実感している今日この頃である。始めた頃は無我夢中で、楽しくいくらでも歌が創れるように思っていたし、実際多くの歌を創ってきた。約1年半、作歌するのを休んだ日はほとんどないように思う。神戸へ出張したときと、あと2、3日休んだだけのように思う。基本的に一日一首以上の歌を創ってきた。

短歌

吾が歌は新たな地平に立つことを求められおり小さき決意す

吾が歌の「類想類歌」脱すべく新たな地平へ一歩踏み出す

もう一歩高き階段昇れよと内なる声が聴こえくるなり


 ところが、ここへきてスランプに陥っているように思う。スランプというのは、歌が創れないということではなく、「類想類歌」の歌が多くなっているということである。これはTBSテレビのプレバトで、講師の夏井いつき先生が、「類想類句」という言葉を使っていたので、それを歌に当てはめたものだ。つまり、わたしの短歌の発想が類型的で、ありふれた歌という意味である。いまわたしに求められているのは、「類想類歌」からの脱出である。わたしの短歌はもう一段高いステージに上がることが求められており、新しい地平に立つことが求められている。



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雪の降る村

2016年6月30日(木) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【雪の降る村】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 東北弁というのは、なんて趣きがあるのだろうか。下記の歌は、「消える」という短歌の兼題によって創ったものであるが、色々と考えているうちに、「どさ」、「ゆさ」という言葉を思い出した。それを「消える」という兼題と結びつけて創ったのが次の歌である。「どさ」、「ゆさ」という言葉を聞くだけで、さまざまなことが想像される。

短歌

「どさ」、「ゆさ」と声をかけあい擦れ違う消ゆることなき雪の降る村       
(「どさ」何処へ、「ゆさ」風呂へ、という東北弁)


 雪が降り積もったなかを、ふたりの老婆が擦れ違う。ひとりが「どさ」と声を掛ける、するともうひとりの老婆が「ゆさ」と応える。このふたりの遣り取りは、くっきりと映像として立ち上がってくる。雪の降る村での光景である。「どさ」、「ゆさ」というのは、言葉の省略がずいぶんなされている。それは東北のしばれる地方だからこそ生まれた方言に他ならない。九州や沖縄地方では、とうてい生まれ得ない言葉である。



ウグイス

2016年6月29日(水) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【ウグイス】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 下記の歌は「新日本歌人」7月号に掲載された歌である。「新日本歌人」応募規定によると、歌稿を毎月8首提出し選者がそれを読んで、一定の水準に達した作品だけが歌誌に掲載されるようになっている。わたしの歌は7月号で8首のうち5首が選ばれている。つまり3首は、一定の水準に達していないということになる。毎月何首の作品が選ばれるか、というのはとても気になるところである。いつも8首全部選ばれることを願って、投稿しているがなかなか難しい。

短歌 (「新日本歌人」7月号に掲載)

腰痛で床に伏せたる病室にふとウグイスの啼き声聞こゆ


 いままで、わたしは8首全部選ばれたのは1回きりである。そして7首、6首、5首と続いている。まだ5首未満というのはなく、とても幸運だと思っている。この歌は妻の腰痛をモチーフにして創ったものである。ウグイスの啼き声というのは、美しく疲れた心や身体でいる時、その声を聴くとずいぶん癒される。人間が生活を営むうえで、ウグイスというのはなくてはならない貴重な鳥である。



心が渇く

2016年6月28日(火) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【心が渇く】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは時折り心が渇くということが起こる。日々の生活の中で満たされない想いに襲われることがあるのだ。それはわたしが心に抱いていることが、出来ずにいる時に起こる。たとえば、今日は小説を読みたい、歌を創りたい、という願望が叶えられなくなった時などに心が渇くのである。また、人間関係がうまくゆかなかった日などは、とても虚しくなってしまう。

短歌

魂が渇いてゆくと感ずる日酒はいらねど歌集を開く


 たとえばこんな時、酒を飲むことが出来る人などは羨ましく思う。心が渇いた日などは、酒を飲むことによって、それが和らげられたり、解消されたりすることができるように思う。わたしの友人などは、酒を飲むことによって、渇いた心を忘れるらしい。しかしわたしは酒が飲めないので、やはり文化的なもの、芸術的なものに触れることによって、心の渇きを癒すということになる。人それぞれに心のバランスを失った時には、人それぞれのやり方で、心の渇きを心のバランスを、保っているようである。



父の日に

2016年6月27日(月) 晴れのち雨

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♪♪♪ 【父の日に】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは比較的、「○○の日」というのに無頓着である。それは「○○の日」というのが、商業主義と結びついているためである。デパートやコンビニなどが、大々的に宣伝するのが厭なのだ。だから、父の日と言ってもわたしは無関心で、いつなのかも知らずにいる。それはもうわたしの父が他界していないというのとも関係しているのかも知れない。

短歌

父の日の存在さえも忘れおり教えてくれし子の贈り物

父の日にささやかなりし贈り物されども重くその心受く


 ところが、父の日の存在を知らせてくれるのは、わが子どもたちである。遠くにいる娘からは、豪華な干物が送られてきた。また、同じ市内にいるふたりの子どもたちは、贈り物を持ってやってきた。そんな子どもたちの贈り物で、「そうか、父の日なのか」というのを知らされるのである。そのような贈り物はやはり嬉しい。それはわたしの存在を認めてくれているということに、他ならないからである。「○○の日」というのに無頓着であっても、子どもたちのその心に感謝したい気持でいっぱいである。



兼題写真(6)

2016年6月26日(日) 晴れ

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♪♪♪ 【兼題写真(6)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 兼題写真(6)の写真は、「夕暮れの江ノ島」である。島影に今にも夕陽が落ちようとしている。西の空は茜色に染まり、江ノ島の海はかすかに色づき波が寄せてきている光景である。

短歌

くれないの夕陽が西の島影に落ちてゆきつつ海面染める

くれないに海を染めつつ沈みゆき夕陽が西の島影に消ゆ

砂浜に寄せては返す波の音乱れた心が静まりてゆく

黄昏の砂浜をゆく物憂げな女がひとり髪を乱して

黄昏の砂浜をゆく吾ひとり如何に生くべきか想いはつのりて


 俳句の言葉で「類想類句」という言葉がある。短歌では、「類想類歌」ということになるだろう。発想が類型的で、平凡な歌ということである。それを脱するためには、それなりの修行が必要である。そんなことを感じさせるような歌になってしまった、と感じている。



兼題写真(5)

2016年6月25日(土) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【兼題写真(5)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 兼題写真(5)の写真は、「隅田川の花火大会」である。この写真の光景は、暗闇の空にくれないの大輪の花を咲かせた花火が写っており、隅田川が花火の色で染まっている。

短歌

くれないが闇を溶かして輪を描き花火の上がる隅田川の空

次々と打ち上げられてくれないの花火に染まる隅田川なり

大花火が打ち上げられて染まりゆく隅田川なり色とりどりに

湯上りの浴衣の君と出でてゆく隅田川なる花火大会

石鹸の匂い漂う若き君浴衣をつけて花火を見上ぐ

次々と消える間もなく打ち上がり花火に染まる隅田川の空


 兼題写真を見て、歌を創るというのは難しく、凡作になることが多い。凡作は承知の上で、それに挑戦して創ったのがこの歌である。



兼題写真(4)

2016年6月24日(金) 雨

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♪♪♪ 【兼題写真(4)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 兼題写真(4)の写真は、「富士の芝桜」である。この写真の光景は、壮大で圧倒的な美しさである。手前にくれないの芝桜が一面に咲き、後方に富士が残雪を被って聳えている写真である。

短歌

残雪を被りた富士の山麓の一面に咲く芝桜なり

一面に咲く芝桜見上ぐれば残雪光る富士の山なり

一面に咲く芝桜散策の道を歩めば人多かりし

遥かなる富士の高嶺に残雪が光りて眩し青き空なり

傷心の旅を続けて来たけれど遥かな富士にただ立ち尽くす

遥かなる富士と芝桜息を呑み見上ぐる吾は言葉を失う


 この写真は、雄大な富士が聳え立ち、芝桜が絨毯を敷き詰めたように、くれないに染まっている。その美しさと雄大さに言葉を失うほどである。それにほとんど歌がついてゆくことが出来ず、負けてしまっているような歌になっている。こんな光景の写真にも負けないような歌を創りたいものである。



兼題写真(3)

2016年6月23日(木) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【兼題写真(3)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 兼題写真(3)の写真は、「日光・華厳の滝」である。深い森を思わせる岩を伝い、水量豊かな滝が白い帯のように流れ落ちている写真である。

短歌

山深し華厳の滝が轟きて一気に下る飛沫をあげて

一条の白き帯となし駈けくだる華厳の滝がしじまを破る

物憂げな女がひとり佇んで華厳の滝の流れを眺むる

吾ひとり華厳の滝に向かい立ちその神秘さに誘惑される

風吹きて華厳の滝に霧が立ち吾の体を濡らしゆくなり

夕暮れに岸辺に立ちて眺むれば華厳の滝は白き帯なり


 写真を見て、歌を創るのはなかなか難しい面がある。実際にわたしがそこに立っていないのに、想像を駆使して創るからである。その写真に自らを立たせなければならない。それができなければ、いい歌はできない。いかに作者を写真の世界に立たせるかが問題で、課題である。



兼題写真(2)

2016年6月22日(水) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【兼題写真(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 兼題写真(2)の写真は、「中秋の名月」である。東の空に月が貼りついており、五重の塔が建っている。そんな光景の写真である。

短歌

中秋のまあるい月が中天に冴えざえとして浮かびておりぬ

中秋の月がかかりて照射する五重の塔が闇より浮かぶ

中秋の月が昇りて照射するたわむれに新聞を出して読む

中秋のまあるい月が昇りきて妻とふたりで丘へと上がる

丘に建つ五重の塔が浮かびおり君とふたりで月を見にゆく

アパートの六畳一間のわが部屋をまあるい月が照らし出すなり


 その写真を眺めながら創ったのが、上記の歌である。こういう趣向は面白いけれど、その写真にどれだけ感情移入できるかが難しいところである。



兼題写真(1)

2016年6月21日(火) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【兼題写真(1)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 TBSのプレバトの俳句コーナーの夏井いつき先生が、俳句の本を上梓した。その本を図書館で借りて読んだのだが、とても素敵な本である。わたしは食い入るようにして読んだけれど、読み終えるのが惜しいような本であった。その中に写真がいくつか挿入されている。それは兼題写真である。それを見て俳句を創るのである。俳句の本であるが短歌と共通するところもかなりある。そこでその兼題写真をもとに創ったのが次ぎの歌である。

短歌

始発なる電車が通り朝露を抱いたピンクの紫陽花ゆれる

トンネルを抜ければなだり一面に紫陽花が咲き車窓から見ゆ

鎌倉の線路の傍に紫陽花が咲きて電車が通ると揺れる

鎌倉の始発電車に風が起き紫陽花ゆれて君は去りゆく

アパートに鍵を残して君は去り始発電車は紫陽花ゆらす

鎌倉の始発電車に乗りてゆく国会前の憲法集会


 その写真は、江ノ電の電車が鎌倉に向かって走っているような情景である。線路の脇には紫陽花が沢山咲いている。電車と紫陽花がメインの写真である。その写真を見て想像を駆使して創った歌である。短歌はこういう楽しみ方もある。しばらく兼題写真にもとづいて、短歌を詠んでゆきたいと思っている。



ひまわり

2016年6月20日(月) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【ひまわり】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ひまわりが咲く季節になってきた。先日、畑に行ったらもうひまわりが咲いていた。「ひまわり」と言ったら、イタリア・フランス・ソ連の合作映画がすぐに思い出される。この映画は感動的な映画で、わたしの好きな外国映画のひとつである。畑のひまわりは大輪の花を開いて、空を仰いでいた。すっくと垂直に立って、黄色の花が鮮やかである。

短歌

わが畑に黄色に燃えて直に立つ高きひまわり日輪あおぐ


 「ひまわり」と言えば、ゴッホの絵画も思い出される。じつはわたしは、ゴッホの作品の中で、「ひまわり」がもっとも好きである。ゴッホの生き方、情熱が額縁の中から溢れだしそうな絵である。「ひまわり」は映画や絵画に描かれるように、どこかわたしたちを惹きつけるものを持っている。わたしも真夏に太陽に向かって咲く情熱的なひまわりが好きである。



栗の花

2016年6月19日(日) 曇り

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♪♪♪ 【栗の花】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 恥かしながら栗の花を初めてみた。だいたい栗に花が咲くかどうかという問題意識もなかったし、無関心だった。ところがあるブログを見ていたら、栗の花の写真が貼ってあった。栗というのはわたしにとっても身近な果実である。栗の木がどこにあるかも知っている。しかし栗の花が咲く頃、栗の木を見上げたこともなかった。栗の実がなるころには、見上げてそのようすを確認することはよくあることだった。しかしいま栗の花の盛りだがいままで一度も見たことがないのだ。

短歌

不思議なる花を咲かせる栗の木に青あらし吹き光りが注ぐ


 あるブログに触発されて、わたしは栗の木の下に立った。栗の花が一斉に咲いている。が、その花は美しいという表現のできるような花ではなかった。クリーム色のちょっと太い紐のようなものが、枝から垂れ下がっていた。それが無数に咲いている。なんとも不思議な花である。それを見て「あ!」と感動を呼び起こすような花ではない。その不思議な花から栗の果実を実らせると思うと、少し不思議な気持である。



蛙の鳴き声

2016年6月18日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【蛙の鳴き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 田んぼに水が入りだして、急に蛙が鳴き出した。窓辺に寄ると、うるさいくらいに一斉に鳴くのが聴こえてくる。そして不思議なのは、昼間はほとんど鳴かないのだが、日が落ちて闇につつまれる頃から鳴き出すのである。昼間鳴かずに夜鳴くというのは、蛙の単なる習性ではなく、自身を鷺などの外敵から守るためである。だから夜になって、さんざめくようにひたすら鳴き続けている。

短歌

鶯の啼き声とおく掻き消され数多の蛙さんざめくなり

梅雨入りで遠雷のごとさんざめく数多の蛙かすかに聴ゆ

懸命に闇を破りてさんざめく蛙の声は求愛の歌


 そしてなぜ蛙は、あんなに必死な思いで鳴き続けるのだろうか。よく聴いてみると、命を賭したように、懸命に鳴いているのが分かる。それはそうだろう、種の保存のためであるから、その必死さがよく分かる。つまり、彼らが鳴くのは求愛行動なのである。大きく美しい声で鳴く蛙こそがメスとカップルになれるのである。そのためにオスの蛙は必死なのである。それを理解しないと夜、悲鳴のように鳴く蛙の生態がよく分からない。繁殖の時期が終わるまでは、ひたすらに鳴く蛙の求愛の歌を聴くことができるだろう。



夾竹桃

2016年6月17日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【夾竹桃】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ちちははは、厳しい戦中戦後を生きてきた。ふたりとも明治生まれである。とくに父は、先の戦争で3回も徴兵され、よくも生きて還ることができたものだと思う。また、母は銃後を守り、家庭を守り子どもを育ててきた。そのちちははは、戦中に2人の子どもを産み、戦後に2人の子どもを産んで、大変な時代に子育てを余儀なくされた。ちちははは、いずれも90歳過ぎまで生きたが、その生活は貧窮の生涯だった。

短歌

ちちははの四人の子どもを育てたるお墓に向かい菊を手向ける

ちちははの眠れし墓は寺のなか夾竹桃の咲く道をゆく


 その、ちちははの墓は菩提寺の墓苑に建立されている。それは父が乏しい蓄えの中から金を出して、生前に建てたものである。わたしは、その墓にお参りするのは、たいてい年4回である。正月、春彼岸、お盆、秋彼岸という具合である。夏にお墓参りするときは、くれないの花をつけた夾竹桃の並ぶ道を登ってゆく。やはり、わたしにとってのちちははの存在はとても大きい。わたしの生き方を決めることになったのも、ちちははの真面目で誠実な生き方が少なからず影響している。いま思えば、ちちははの子どもで良かったという想いは強く、感慨深いものがある。



朝顔

2016年6月16日(木) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【朝顔】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 TBSの「プレバト」という番組はとても面白い。わたしは意識的にテレビを観るということをほとんどしない。時折、興味をそそる番組があると意識して観るが、その他は食事時になんとなくつけているだけである。しかし「プレバト」というバラエティ番組だけは、意識して観るようにしている。バラエティ番組だが、短歌をつくるうえで大いに参考になる。面白く番組をつくっているが、俳句をやる人や短歌を詠む人には、いいヒントを与えてくれる。

短歌

朝顔を一輪とりて水盤に浮かべてみれば風鈴が鳴る


 出演者があらかじめ俳句をつくって登場し、「才能アリ、凡人、才能ナシ」と振り分けられて、夏井いつき先生の批評がある。先生は毒舌であるけれども、とても温かい。先生の添削もうならせる。わたしの短歌は写生であるけれども、先生にみてもらったら殆どが「凡人」、つまり凡作であるように思う。そこで「才能アリ」に挑戦してつくったのが、上記の短歌である。単なる写生を超えようと、初めて挑戦した作品である。これももちろん凡作だが、「才能アリ」に挑戦したところに意味がある。これからは単なる写生を脱して、「才能アリ」の作品をめざして、短歌を詠むようにしたいと思っている。



夏風邪を引く

2016年6月15日(水) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【夏風邪を引く】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 風邪を引いたことは少し前に書いたが、ようやく治って日常の生活に戻ることができた。わたしはもう何年も風邪で寝込むということがない。今回も寝込むこともなく、生活だけは営むことができた。しかし倦怠感に覆われて、身体が重く気力が萎えて何かをするという意欲が湧いてこない。節々は痛むし鼻水や咳が出て、集中力が続かない。とても本を読むという気にはならない。外に買い物に出かけるというのも億劫であった。

短歌

夏風邪が治りて吾はようやくに気力も湧いて歌集を開く


 しかし風邪を引いて一週間くらいですっかりよくなった。が、ひとつ疑問が残っている。病院に行って「注射はしてもらえないんですか?」と訊いたら、「そんなものは昭和のやり方だよ」と言って、注射はしてもらえなかった。本当に注射というのは、昭和という過去の産物なのだろうか。医師はたった3日間の風邪薬を処方してくれただけだった。しかも2~3分の診察で2100円もの医療費を請求された。これには少し驚き、いささか怒りに似た感情が湧き上がってきた。しかし、いずれにしても風邪が治って、生きる気力が湧いてきたのが何よりも嬉しいことである。



白き十字架

2016年6月14日(火) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【白き十字架】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは清冽そのもののような、飛行機雲がすきである。青空にひとすじの白い航跡は、わたしの心を清々しくする。あの飛行機雲は軍用機でないとできないと言った人がいるが、そんなことはなくて、民間機でもできる。一定の条件のもとでは、軍用機・民間機に関わりなく飛行機雲はできる。また、ひとすじと書いたが、実際は使用しているエンジンの数だけできる。普通は、ひとすじでなくふたすじのものが、ひとすじのように見えるのである。

短歌

ジェット機が白き十字架となりて飛び吾は思はず十字を切るなり


 きょうのテーマは飛行機雲ではなく機体である。太陽に照射されて銀色に光るジェット機はとても美しい。青空を見上げると、「白き十字架」となって、ジェット機が飛翔している。少し前に、わたしは鴉を「黒き十字架」と表現したが、ジェット機は「白き十字架」である。わたしはクリスチャンでもなんでもないが、そのジェット機を見ていると、胸の前で十字を切りたくなるから不思議である。青い空が軍用機の飛行機雲で占められることのないように願うばかりである。



映画のベル

2016年6月13日(月) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【映画のベル】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの所属する短歌会で「縫う」という題が出されて、それでつくったのが次の歌である。「縫う」というのは、布を縫うというのもあるし、物と物の間を通るというのもあるが、わたしは人と人の間を通ってゆくことを歌に詠んだ。こうした趣向は題詠と呼ぶが、難しい一面もあるがなかなか面白い。短歌は普通、虚構で歌をつくらないと言われているが、題詠の場合は想像力を駆使してつくるので面白い。

短歌

人を縫ひ君を捜して駈けてゆく映画のベルが鳴り響くなり


 わたしは短歌というものは原則、事実に基づいてつくるものであると認識しているが、しかしすべて事実でなければならないと考えていない。事実よりももっと大切なことは、真実である。いかに真実を文学作品として結実させるか、ということの方が大切のように思う。わたしは短歌で「海鳴り」を詠んだことがある。すると、ある人がこの海の町で「海鳴り」は聴こえないというのである。実際はこの町でも「海鳴り」は聴こえるのだが、それが例え聴こえなくても、「海鳴り」という表現することは、文学作品として決して間違ってはいないだろう。事実と真実の問題であり、その人は思考停止に陥っているように思えてならない。文学作品は事実よりも真実を追求すべきものである。



ホトトギス

2016年6月12日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【ホトトギス】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 不如帰はいったい何処からやってくるのだろうか。ちょっと調べてみると、不如帰は面白い鳥である。不如帰はインドから中国南部で越冬し、5月中旬ころに日本に渡ってくる。わたしが5月26日午前3時に、その啼き声を聴いたので、やはり5月中旬というのは、本に記されている通りなのだろう。そして不如帰はウグイスなどに托卵すると言われている。

短歌

水無月になりていよいよ夏立ちぬ遠くで聴こゆ不如帰の声


 托卵というのは、「ある鳥が他種の鳥の巣に産卵し、その鳥に抱卵・育雛(いくすう)させること」と辞書に記されている。つまり、ウグイスなどの巣に卵を産み落とし、自分では卵を抱かず、他の鳥に卵を抱かせ、育雛までさせるというのであるから、ちょっと変わった鳥である。そんな鳥ではあるが、わたしにとってはとても身近な鳥である。わたしが書斎で本を開いていたりすると、裏山から「トッキョキョカキョク」という、特徴のある啼き声が聴こえてくる。するとわたしは本を閉じて、しばしその啼き声を聴くのである。



風邪を引いて

2016年6月11日(土) 曇り

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♪♪♪ 【風邪を引いて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 夏風邪を引いてしまった。6月になって寝具も衣替えとばかりに、毛布をとって初夏の装いにした。ところが、替えた途端に2~3日、朝がひどく冷えた。それでわたしは夏風邪に罹ってしまったのである。鼻水が出て咳がつづいた。身体も倦怠感に包まれ、節々が痛むようになった。それでわたしは病院へ出向いて薬を処方してもらった。「注射はしなくていいんですか」と、医師に訊いたら、「注射は昭和の治療で、今はそんなものは打たない」と言われた。

短歌

風邪引きも峠を越えてようやくに気力も戻り歌集を開く

風邪引きも峠を越えてようやくに気力も戻り酒を酌むなり


 果たしてそうなんだろうか、わたしの町の医院では去年、注射をしてくれたのである。何となく薬だけでは心許なかったが、しかし5日ほどで風邪は治ったようである。その5日間ほどは、気力が萎えて何をする気も起こらなかったけれど、今は峠を越えてようやく、本を読む気力も戻った。寝込むということはなかったけれど、虚ろな日々を過ごすことになったのである。やっとそれから解放されて、あれもしたい、これもしたいという風に気持が前向きになってきた。たかが風邪されど風邪である。風邪を莫迦にしてはいけない。風邪を引いたら、それなりの処置をして、早く治すように心がけるべきである。



奇跡の生還

2016年6月10日(金) 晴れ

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♪♪♪ 【奇跡の生還】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 北海道で行方不明になっていた田野岡大和君が、6日ぶりに偶然に救出された。大和君は7歳で小学2年生である。彼は自衛隊の演習場の施設に身を寄せていて、助け出された。この報せに多くの人が「良かった、よく生きていた」と、感動をもって接した。彼は家族と野外でのレクリェーションを楽しみ、その帰りに車から降ろされ置き去りにされた。大和君のいたずらを叱責するために、父親は一時的に車から降ろし、しつけをするつもりだった。

短歌

奇跡としか言いようのない七歳の不明男児が六日ぶり還る

不明の児の六日ぶりなる生還は生きる力の強さを示す

水を飲みマットにくるまり生き延びた七歳の児の智恵に驚く


 ところが、父親と家族が置き去りにしたところに戻ってみたが、大和君はいなくなっていた。かれは行方不明になったのである。それから捜索が開始されたが、何の手がかりも得られなかった。しかし、彼は6日ぶりに救出されたのである。この大和君の救出は、いくつもの偶然が重なって、それらがいい方向へ作用した。そしてわたしをもっとも感動させたのは、大和君の「生きる力」である。演習場にある水道から水を飲み、いのちをつないだ。また、夜は施設にあるマットを敷き、その上にもう一枚マットをかけて寒さを防いで寝たのである。そして彼は夜の怖さや淋しさに耐えて救出を待った。この大和君の生還はまさに奇跡である。彼の「生きる力」、「智恵と工夫」はすばらしい。かれは6月7日に病院を退院し、早く学校にゆきたいと洩らしていた。早くごく普通の日常を取り戻してもらいたいものである。



耳鳴り

2016年6月9日(木) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【耳鳴り】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 耳鳴りというのは厄介なものである。この文章を書いている今も左耳が鳴っている。不思議なことに、右の耳が鳴ったことは一度もない。ジィー、ジィーと左耳が鳴りつづけている。この耳鳴りはわたしにとっての、健康のバロメーターである。睡眠不足や体調が悪くなると、耳鳴りを引き起こすのだ。この耳鳴りはかれこれ四十年にもなる。三十歳になる前にこの症状が出て、耳鼻科や脳神経外科へ出向いたが、原因もわからず、したがって対策もないとのことだった。

短歌

目覚むれば耳鳴りがする今朝もまた錠剤呑んでカーテン開く


 今では耳鳴りのする情況を予測することができるくらいである。身体が疲れたり、夜眠れなかったりすると、「あ!、これは耳鳴りがくるな」ということも分かるようになった。しかし、耳鳴りが起こっても、日常生活に影響を及ぼすということは殆どない。ただ、一日がなんとなく優れないというのはある。だから、目覚めて耳鳴りがすれば、錠剤を呑んで、「さあ!」という気持になって、カーテンを開くのである。カーテンを開くというのは、わたしの生きてゆくというひとつの意思である。



初夏(はつなつ)の光景

2016年6月8日(水) 曇り

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♪♪♪ 【初夏(はつなつ)の光景】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日は6月に入ったというのに、朝は少し冷え込んだ。わたしはあまりにも寒いので、朝方仕舞っていた毛布を出して、被ってもう一度寝たほどである。その寒さが影響しているのだろう、わたしは風邪を引いてしまった。少し熱があり関節の節々が痛い、そして頭がすっきりしない。その日は「しんぶん」の配達日だったので、早く起きて駐車場にゆくと、フロントガラスに露が降りていた。それほどに、冷え込んだということだろう。

短歌

朝露を抱きし薔薇を照射する小さな玉が紅に染まりて

一すじの白き尾を曳き船がゆく眩しく光る初夏の海


 そんな日に見た光景が、短歌に詠んだような薔薇と一艘の船だった。薔薇に降りた朝露が、初夏の陽射しを受けて、紅色に染まって輝いていた。朝露に濡れた深紅の薔薇は、とても美しいものだった。そして午後に海を見にいった。一艘の船が海面を切り裂き、白い尾を曳いて、瀬戸内の海を走っていた。その光景は初夏の陽を浴びて、眩しく光っていた。風邪を引いてしまったけれど、このふたつの光景に巡り合えたのは幸運だった。



参議院選挙

2016年6月7日(火) 曇り

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♪♪♪ 【参議院選挙】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 参議院選挙の日程が決まった。6月22日公示、7月10日投票である。わたしはどちらかというと、政治的関心よりも文学的関心の方が高い。新聞でも、食い入るように紙面を見るのは、文学や芸術の欄である。しかしこのたびの参院選は決して無関心ではいられない。安倍首相は参院選の争点を、アベノミクスと消費税の延期だけに絞ろうとしているが、しかし問われているのは、安倍政治の3年半の全体である。

短歌

戦争へひた走りゆく安倍政治わが一票はノーの意思なり

憲法が壊されてゆき戦争の道へと進むノーの一票


 彼の3年半の政治はどんなものだったのだろうか。まず違憲の安保法制(戦争法)を、議事録も作成できないほどの強引さで採決をおこない、70年続いた平和を脅かしている。そして、アベノミクス、TPP、原発、沖縄問題など、どれ一つとっても平和と民主主義、生活をこわす政治をおこなってきた。この参議院選挙で彼らを少数に追い込み、真に平和と民主主義、生活向上の政治へと足を踏み出してゆく第一歩としたいものである。政治といえば、敬遠しがちになる傾向があるけれども、わたしたちの日々の生活に直結しており、その政治を国民の手に取り戻すことが必要である。



紫陽花

2016年6月6日(月) 曇り

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♪♪♪ 【紫陽花】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが家の庭は文字通り猫の額ほどの広さである。もともと小さな土地に2世帯住宅を建てたものだから、残った土地はわずかなものとなった。そこに倉庫や物干し場、自転車置き場をつくったものだから、極めて小さな庭である。その庭に紫陽花が植わっている。毎年、見事な花を咲かせて、梅雨の憂うつな季節を楽しませてくれる。わが家の花といえば、紫陽花とほんの少しの鉢植えがあるだけである。

短歌

咲き初めし紫陽花のはな風にゆれ光りを浴びて色づき始む

ようやくに狭庭の隅のひとむれの紫陽花のはな咲き始めたり


 その紫陽花が花芽をつけ、色づき始めたのである。それはちょっとした感動であり、喜びである。まだひとつの茎から伸びた花だけが、色づき出したに過ぎない。花芽は沢山つけているが、まだ緑色をしており発色はしていない。狭庭の紫陽花が水無月の光りを浴びて、風に揺れている。まもなく入梅になるが、その頃には他の花芽も色づき、咲きはじめるに違いない。紫陽花はわたしの実家の塀ぎわにあって、子どもの頃から親しんできた花である。その時代が偲ばれて懐かしく、親しみの湧く花である。



娘の家

2016年6月5日(日) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【娘の家】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 長女が新しい家を求めた。そこへ訪ねてお祝いのしるしを届けた。いままで娘夫婦と3人の子どもたちは、狭いコーポに住んでいたが、新しい家を求めてゆったりと暮せるようになった。娘夫婦は二人とも看護師で、夜勤などもこなしながら、子どもたちを育ててきた。しかしいままでは、狭いコーポのために仕事から帰ってもゆっくりと過ごすということも叶わなかった。それが新しい家では、比較的広く伸び伸びと暮せるようになったようである。

短歌

新築の娘の家を訪ねゆき香を放つ部屋で珈琲を飲む


 新しい家になって、娘の子どもたちも溌剌として勉学に励んでいるようだった。これでわたしの4人の子どもたちは、それぞれに家を持つことができた。それぞれの子どもたちが、それなりに勤勉にやってきた証なのだろう。幸運にもそれぞれ正規社員として仕事に就けていることが、新しい家を持つことができるようになった要因だろう。わたしは娘の家を訪ねて、新しい家の香を放つリビングで、倖せの気分で珈琲を飲んだ。彼女らの幸福を祈りつつ甘い珈琲を飲んだのである。



立葵とゼラニウム

2016年6月4日(土) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【立葵とゼラニウム】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは花や木にうとく、ほとんどといっていいくらい知らないで過ごしてきた。ただ、わたしが幼い頃、実家の庭に植わっていた花や木の名前は自然に覚えることになった。しかし家に植わっている花や木の数はそれほど多くはないので、僅かなものであった。花や木に関心を持つようになったのは、実に遅く短歌を遣り始めてからである。それは短歌をつくるには、花や木の名前が必要だからだ。いまでは名前を知らない花や木を見ると、本やネットで調べるようにしている。

短歌

雨粒を抱きて光る立葵まっすぐ伸びて風に揺れいる

初夏に深紅に染まるゼラニウム陽射しを浴びて光りておりぬ


 ここにある「立葵」と「ゼラニウム」も短歌を詠うようになってから覚えたものである。先日、町を散策していると、ある家の庭にこのふたつの花が咲いていた。わたしはその庭に入らせて貰って、ふたつの花を佇んで目を凝らして眺めたのである。深紅に染まるゼラニウム、雨粒を抱いて光る立葵に見とれてしまった。しかし、わたしが花や木を知っているのはまだまだ少ない。短歌をつくりながら、これからも花や木の名前をもっともっと知りたいと思っている。それも楽しく倖せなことである。



四つ葉のクローバー

2016年6月3日(金) 晴れ

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♪♪♪ 【四つ葉のクローバー】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 白詰草とクローバーというと、どちらがよく知られ、どちらが一般的な呼称だろうか。わたしは幼い頃から今日まで、白詰草というよりもクローバーというのが、わたしには馴染み深い。子どもの頃は四つ葉のクローバーを探してよく遊んだものである。四つ葉のクローバーを見つけると、幸福がやってくると言われ、懸命に探したものである。三つ葉が普通だがどうして四つ葉の葉ができるのかよく分からない。四つ葉は珍しいので、幸福と結び付けられて語られるようになったのだろう。

短歌

幸福のしるしとされる四つ葉なる白詰草を摘みて帰りくる

四つ葉なる白詰草を摘みてくるコップに浮かべしばし眺むる


 先日、道端にクローバーの群生を偶然見つけることになった。わたしは数十年ぶりにその群生の中に入っていった。そして童心にかえって、四つ葉のクローバーを探してみる心持ちになった。が、やはり四つ葉のクローバーは、なかなか見つけることができない。草むらに沢山あるのだが、わたしは目を凝らして四つ葉を探していった。クローバーを掻き分けながら、根気強く探していって、ついに四つ葉のクローバーをひとつだけ見つけ出すことができた。幸福のしるし、と言われるだけに、少しだけ倖せの気持になった。



不如帰の啼き声

2016年6月2日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【不如帰の啼き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは5月26日、午前3時に不如帰の初音を聴いた。しかしこれはわたしにとっての初音であって、不如帰がいつから啼きはじめたかは不明である。つまり、不如帰は深夜や未明にも啼くからである。普通、わたしは午前3時といえば深い眠りのなかである。不如帰はこんな時間にも啼くものだから、いつから啼き始めたかは知るよしもない。その日はたまたま、寝苦しくて目覚めたのである。それでふたたび寝ようと試みたが、頭が冴えて眠りはこなかった。そして思い切って起き出したのである。

短歌

眠れずに目覚めてみれば闇を裂き午前三時に不如帰啼く

不如帰の初音は五月二十六日の未明なる午前三時なり


 床から抜け出して身支度をしていると、かすかに「トッキョキョカキョク」という啼き声が聴こえてきた。わたしは「あ!」と思った。あ、これは不如帰ではないかと思って、2階の書斎へ上がっていった。窓辺に寄って耳を澄ましていると、また「トッキョキョカキョク」という啼き声がした。たしかに不如帰である。わたしにとっての初音ではあるが、おそらく不如帰の初音はもっと早くからあったに違いない。不如帰は5月中旬頃から啼くと言われているから、そうに違いない。わたしの町にも不如帰がやってきた。不如帰の季語は夏であり、いよいよ夏の到来である。



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 1947年生まれの70歳で、
 日々の暮らし・想いを自由に 綴って
 ゆきたいと思います。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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