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頑固な便秘

2016年6月1日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【頑固な便秘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは40代頃から便秘症になった。その頃は毎日「通じ」があるということがなく、2日、3日と苦しんだ。たぶん大いに関係していると思うけれど、便秘のためにわたしは痔に3回もなって入院・手術をした。便秘というのは、実に厄介な習慣病である。「通じ」がないと、一日がなんとなくすぐれない。つまり、すっきりした気分で一日が送れないのである。

短歌

頑固なる便秘に悩み昨夜(よべ)もまた薬を呑んで床に就くなり


 便秘が解消されれば、人生が変わるとも言われているが、まさにその通りである。わたしは市販の薬を時々使用していたが、これは適切な薬ではない。それを呑むと一時的に便秘は解消されるが、下痢症状のような状態となり、自然の「通じ」とはいえないものだ。そこでわたしはインターネットであれこれと検索して、ある漢方薬局を見つけたのである。それはとても幸運だった。その薬局の記事によると、市販の薬に頼ることなく、腸を整えることが大切であると記されていた。それでわたしは信頼できると思い、「整腸剤」を取り寄せたのである。その「整腸剤」によって、自然な「通じ」が可能になった。まさに人生が変わったと実感させられる日々である。



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懸命に生く

2016年5月31日(火) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【懸命に生く】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが精神安定剤を呑むようになったのは、30歳前後からである。わたしの30歳の頃の体調は最悪だった。自覚症状としては、本や新聞を読むと頭痛がして3行以上読むことができなかった。そして耳鳴りと身体の倦怠感であった。布団に入っていても、身体が鉛をつけたように重かった。地の底に落ち込んでゆくような感覚だった。それで何カ所かの病院を廻って診察してもらったのだが、内科的には特に異常は認められなかった。それで最後の病院で、精神安定剤を処方してもらったのである。

短歌

精神の安定剤が欠かせない短歌(うた)を詠みつつ懸命に生く


 それを服用すると、ぐんぐんと症状は改善された。倦怠感はなくなり書籍なども読めるようになった。しかし今もその薬は服用している。それは耳鳴りが今も続いているからである。耳鳴りがひどいときは、集中力が欠如する。今では耳鳴りはわたしの体調のバロメーターである。体調が悪くなると、左耳がジィー、ジィーと鳴るのだった。そんな身体ではあるが、短歌を詠みつつ懸命に生きているのが、わたしのいまの姿である。短歌はいまやわたしの生き甲斐となっている。



熱帯魚

2016年5月30日(月) 晴れ時々雨

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♪♪♪ 【熱帯魚】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは幾つかの病院を訪れたことがあるが、そのうち何カ所かの病院の待合室などに、熱帯魚のケースが置かれている。その中では色んな種類の熱帯魚が泳いでいるのを見ることができる。これはやはり患者への配慮であろうか。病院といえば決して進んでいくところではなく、やむなく足を運ぶところである。また病院というところは、患者を待たすというふうに決まっている。そんなことも配慮しているのだろうか。

短歌 (「新日本歌人」6月号に掲載)

群れ泳ぐ熱帯魚を眺めつつ診察結果を気を揉んで待つ


 わたしも医師から癌の検査をするように指示されたことがある。それにわたしは異論はなく納得して検査を受けた。血液の採取やレントゲンを撮られたが、結果が出るまでにはそれなりの時間を要した。その間、わたしは待合室で新聞や週刊誌を手にとって、目を通したりしたが、やはり癌検査の結果が気になって、気を揉んでいた。そんなとき、視野に入ってきたのが熱帯魚だった。わたしはそのケースの前に佇んで、熱帯魚の泳ぐさまを眺めていた。熱帯魚は気を揉むわたしの心を慰めてくれるのだった。熱帯魚の効用である。



春を待つ

2016年5月29日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【春を待つ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは四季のうちでもっとも冬が厭な季節である。何といってもわたしは人並みはずれた寒がり屋だ。しかし今年は暖冬だったので、電気ストーブだけで過ごすことができた。とはいうものの、その電気ストーブは強力なもので3万5000円もした。それを書斎とダイニングルームに置いたので2台も求め、7万円もの出費だった。それを身体の近くで使用したので、低温やけどを起こしてしまったほどである。寒いので、ストーブの傍で長時間パソコン作業をしていたからだ。

短歌 (「新日本歌人」6月号掲載)

あと五日残っておれど三月の暦にかえて春を待つなり


 そんな寒い冬が続いていたが、わたしは2月の下旬にまだ5日も残っていたけれど、3月の暦にかえて、春の心持ちを味わうことにしたのである。3月といえばいよいよ春の到来である。本格的な春とはいえないけれど、春の兆しがあちこちで見られるようになる。2月というもっとも寒い冬、厭な冬からぬけだしたくて、2月のカレンダーから3月に替えたのである。今年はそんな冬から春に向かってのわたしの営みだった。



波が走る

2016年5月28日(土) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【波が走る】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町の岬から眺める景観はすばらしい。日の出や満月の撮影に愛好家が集まってくるところである。先日は満月が見られたが、カメラを持って何人もの人が、夜空を見上げていた。また、カップルたちもやってきて、その周辺を散策している。そして、釣り人が月の光りで輝く海に向かって、釣糸を投げ入れている。わたしもそこへ出かけて行って、瀬戸の海や月を眺めたりする。満月はひとすじの帯となって、海が輝いている。まるで蝶が乱舞するように、光りのカケラが煌めいている。

短歌

海峡を波が走りて泡立ちぬ白く渦巻き流れゆくなり


 その岬の先に小さな島がある。その島は三つ山といって、頂きを三つ持った島である。この島も有名で、多くの人が写真を撮ってきたスポットである。その島と岬の間が小さな海峡となっている。上げ潮になると、波は泡立ち、波は海峡を走るのである。まさに、海走るという表現がぴったりの光景となる。その流れを眺めていると、飽きるということがない。この岬ははるかな瀬戸内海を眺めたり、夜空を眺めたりすることのできる格好の場所である。



ほととぎす

2016年5月27日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【ほととぎす】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 不如帰はわたしの好きな鳥のひとつである。鶯と同じように啼き声がいい。鶯のように美しいというのではないが、特徴のある啼き声でよく知られている。広辞苑によると、「てっぺんかけたか」、「ほっちょんかけたか」などと聴こえると書かれている。しかし、わたしには「トッキョキョカキョク」というふうに聴こえる。いずれにしても啼き声の顕著な鳥である。

短歌

初夏になる季を迎えても不如帰啼き声もせず待ちいる吾は


 不如帰は5月の下旬ころから啼き始めるといわれているが、今年はその気配が一向にない。わが家の裏山は格好の鳥の棲みかとなっている。鶯やその他の名も知らぬ鳥たちが棲み終日啼いている。不如帰もこの裏山にやってきて、昼夜を問わず「トッキョキョカキョク」と啼くのだった。が、今年はまだその啼き声を聴いていない。鶯や他の鳥はひきも切らず啼いているのだが、不如帰の啼き声は聴かない。しかし、まもなく不如帰もやってきて啼くようになることだろう。わたしは不如帰がやってきて、特徴のある声で啼くのを心待ちにしている。



短歌との出会い

2016年5月26日(木) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【短歌との出会い】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの文学的出発は高校生の時である。高校の文芸部で詩を書き始めたのが、文学との出会いであった。それから社会に出て20代の後半から小説を書くようになった。小説は仕事が忙しく中断したことがあったが、それから67歳まで書いてきて、短編集を上梓したのをきっかけに、小説から離れることになった。モチーフとテーマが見つからないというのが、おもな理由であった。それから3~4カ月なにもしないで過ごしてきたのだが、文学的生活のないことに耐えられなくなった。

短歌 (「新日本歌人」6月号に掲載)

人生の岐路で短歌に出会いけり新たな地平にわれは立つなり 


 そこで思いついたのが短歌であった。短歌は20代に江口渙の「わけしいのちの歌」という歌集を読んで、震えるような感動を受けたのが、わたしと短歌との接点である。それから折々に歌集を読んで、その魅力を感じていた。そして、短歌をやってみようと思うようになったのである。短歌を始めて1年余、「一日一首」をめざして書いてきた。365日、ほとんど休むこともなく、約2000首の歌を詠んできた。これから先のことは分からないが、いまは短歌に夢中である。わたしは新たな地平に立つことになったのである。



一日の始まり

2016年5月25日(水) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【一日の始まり】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが床から起き出して、真っ先に聴くのは鶯の啼き声である。妻の声よりも誰よりも先に鶯の声を聴く。わたしは床から起き出すと、まず布団の片付けをして、洗面所に向かう。とりあえず頭の髪を梳くのである。そのとき聴こえくるのが鶯の啼き声なのだ。ありきたりだが、「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ」という啼き声が聴こえてくる。

短歌

あかときに聴こえくるは鶯の啼き声高く今日が始まる


 まさに鶯の朝の挨拶のようである。鶯は夜がしらじらと明ける頃になると、だいたい今は午前4時過ぎだが、その頃から啼き出す。普通はそんなにわたしは朝早く起き出すことはないが、「しんぶん」の配達があると、4時頃に起きることもある。そうすると、洗面所の窓から聴こえてくる。そうしてわたしの一日が始まる。なんと鶯の啼き声は美しいのだろうか。その声を聴くと、「さあ!」と、いう気持になって、わたしの新たな一日が始まるのである。



黒き十字架

2016年5月24日(火) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【黒き十字架】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは海の上を飛んだり、山影を飛んだりする鴉のようすをみて、何かに似ているとずっと思ってきた。羽を左右に開き、首を伸ばしている姿に何かを感じていたのである。その疑問はずっと前から感じていたが、それが言葉として形にならずにきた。ところが最近のことである。ある本を読んでいたらそれが、十字架に似ているということに気づかされた。わたしは「あ!」と思った。

短歌

夕暮れに黒き十字架となりて飛ぶ鴉が三羽首伸ばしおり

艶のある鴉が三羽夕暮れに空高く飛ぶ十字架のごと


 その本には何の鳥かは書かれていなかったが、わたしはそれが鴉に似ているように思ったのだ。その本によってわたしの思いが言葉としての形を持ったのである。まさに「黒き十字架」である。これから鴉を見る目が変わってくるに違いない。それは何も鴉だけに限ったことではない。岡山の後楽園で放たれる丹頂鶴などにも言えることである。これは「白き十字架」ということになる。自身の思いが言葉として形になるということは、ひとつの喜びといえるものである。



熊本地震

2016年5月23日(月) 晴れ

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♪♪♪ 【熊本地震】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 熊本地震によって今も1万人前後の人が避難していると言われている。公共施設やテント、車中などによって寝泊りしている。この避難生活は、衣食住という人間の基本的な生活の在りようが、そこなわれており苛酷な生活を強いられている。仮設住宅などの建設も遅れており、避難者の生活はもう限界を超えていると言わざるを得ない。わたしなどは遠くにいて何もできないが、政府が万全を期して、避難者の生活を守るべきだろう。

短歌

耳鳴りに苦しむ吾は熊本の地震にきっと耐えられもせず


 わたしは自身を避難者に置き換えてみると、とうてい避難生活に耐えられないように思う。わたしは耳鳴りという持病と便秘症があるために、こうした激変する生活、苛酷な生活にはついていけないだろう。耳鳴りや便秘症はほとんど確実に悪化するに違いない。このように自身を熊本の地においてみると、避難者の生活の苛酷さが分かるような気がする。補正予算も全会一致で成立したことでもあるし、政府の避難者への支援は緊急で、全面的になされなければならない。そういう避難者のいるもとで、ダブル選挙や消費税10%への増税はきっぱりとやめるべきだろう。それを曖昧にしている姿勢は、ただちに正されなければならないと思う。



ワープロの功罪

2016年5月22日(日) 晴れ

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♪♪♪ 【ワープロの功罪】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 岡山の民主文学会の事務局を担当している笹本敦史が、少し前に「手書きかパソコンか」という文章を書いている。彼はどちらがいいとも書いてないが、つまりは「慣れ」の問題ではないか、と締めくくっている。それはそうだろう、そもそも結論を出すような問題でもないし、物書き自身に委ねるべき問題なのである。この問題については有名な話がある。作家の吉開那津子が、旭爪あかねの小説を見て、彼女の前半の文章は手書きで、後半はパソコンだというのを見破ったというのである。それは旭爪あかね自身が明らかにしたことである。それだけパソコンの文章は、「流れるというか、軽くなるというか」そんな問題を孕んでいることは、間違いないだろう。

短歌

ワープロで気づかぬことを気づかせる手書きの良さを再発見す


 わたしの文章は殆どのものがパソコンである。このエッセイもパソコンで書いている。わたしは手書きをすると、頸肩腕症候群のような症状になるので、やむなくパソコンを使っている。それで何も問題はないように、今までは思っていた。しかし、このたび原稿提出が手書きを条件とするという募集に出合って、仕方なく手書きでやった。ワープロで下書きしたものを、原稿用紙に清書していったのである。そこで気づいたのは、パソコン原稿の不精確さである。わたしはこの作業を通じて何カ所も訂正することになった。パソコンでは気づかないことを気づかせてくれたのである。手書きに勝るものはなく、でき得るならば手書きで物を書いてゆけばいいと思うけれど、わたしはこれからもパソコンで文章を書いてゆくことになるだろう。



固定資産税

2016年5月21日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【固定資産税】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、市役所へ行って固定資産税を納付してきた。約5万円の納付額であった。わたしのささやかな年金からこの金額を捻出するのはまことに痛い。わたしの住む土地と家はささやかなものである。小さな土地にごく普通の住居が建っているだけである。この土地と家は、憲法でいうところの「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に該当する程度のものである。にもかかわらず、約5万円もの固定資産税というのは、不条理といわなければならない。

短歌

住むだけの土地と家にまで税金を課すのは不条理なりし怒り湧く


 民主商工会という会があるが、その会はむかしから「生活費に税金をかけるな!」という主張をしている。いま所得税にしても住民税にしても、「健康で文化的な最低限度の生活」しかできなくても、税金がかかる仕組みになっている。固定資産税も然りである。ささやかな、生きてゆくために必要な土地と家、つまりは生活に必要なものに税金をかけるというのは、不当で不条理である。いままさに「生活費に税金をかけるな!」という声を、挙げてゆく必要があるように思う。



水島コンビナート

2016年5月20日(金) 晴れ

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♪♪♪ 【水島コンビナート】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 水島コンビナートは、日本でも有数な臨海工業地帯である。製鉄工場、石油精製工場、自動車工場などを要している。コンビナートは不夜城のごとく、夜も眠りにつくことなく煌めいている。わたしの町から望むと、夜でもコンビナートは明るく輝いている。わたしが倉敷の市役所に入所した頃は、まだ臨海工場地帯は建設中であった。ダンプカーが砂埃を上げて土砂を運び込んでおり、どことなく埃っぽい町であった。

短歌

瀬戸内の河口の果ての無機質な工場群が煙を吐きぬ

無機質なコンビナートが不夜城のごと煌めきてガスを吐きおり 


 その頃、コンビナートの街は「水島砂漠」と呼ばれていた。空は高煙突から吐き出すガスによって覆われ、多くの公害患者を生み出した。無機質な工場群が建ち並び、人間的な香りのしない街であった。文化的な香りのないまさに「水島砂漠」であった。労働者たちは、蟻のごとく工場から吐き出され吸い込まれていった。大工場の塀の中で、蟻のごとくうごめき働いていた。いまは公害といわれるようなこともなくなったが、しかし高煙突からは相変わらずガスが吐き出されている。無機質なコンビナートはこの地水島に、功罪をもたらしたのである。



磯に出る

2016年5月19日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【磯に出る】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 人間の生活の営みというのは、なかなか厄介なものである。人を貶(おとし)めようとする人がいるかと思えば、人を裏切るというような人もいる。また、意見の食い違いによって、諍(いさか)いなども少なからず起こる。両者の意見・主張がかみ合わず、平行線をたどることもある。そういう人間関係から逃れようと思えば、家にこもって読書などするより他にないが、そうもいかないのが人間の生活である。

短歌

疲れたる心を持ちて磯に出るうぐいすが鳴き銀鱗はねる


 そうした人間関係に疲れたら人はどうするのだろうか。手っ取り早く酒を飲むという方法や気が置けない友人と珈琲など飲んで語らうというのもひとつの方法だろう。わたしは心が疲れた時などは、「島」の磯へ出てゆくようにして、心のバランスをとっている。その磯にゆくと、山からはうぐいすの鳴き声が聞こえ、寄せては返す波の音に心を癒される。そして海に向かって目を凝らしていると、魚が飛び、跳ねる光景を見ることができる。その魚は五月の光を浴びて、銀色に光っている。そんな磯にしばらくいると、憂うつな心も晴れてくるから不思議である。その磯はわたしにとってなくてはならない場所である。



戦後っ子

2016年5月18日(水) 晴れ

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♪♪♪ 【戦後っ子】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは1947年生まれである。終戦から2年後に生まれたことになる。ひどい食料難のなかにあって、よく生きてきたものだと思わざるをえない。生後のすぐの時期は覚えていないが、わたしの幼少のころから小学生の時代は、麦飯とお粥が主食だったりした。麦飯とお粥ならまだいい方で、サツマイモやメリケン粉を溶いてフライパンで焼いたものを夕食にしていたことも少なくない。

短歌

麦飯とお粥で生きた戦後っ子いまも暮らしは楽にならずや


 したがって、いつもお腹をすかしていたように思う。だからわたしたちは、山へ入ってイタドリやスイバを取り、塩をつけ齧っておやつにしていた。また、喰える木の実を見つけては、競って食べていた。野いちごやアケビ、山ぶどうなどは格好のおやつだった。それはそれは貧しい暮らしだったことを覚えている。つまりは戦争による経済の疲弊であり、あの頃の子どもたちも戦争の犠牲を食料難という形でこうむっていたのである。ところが、あれから半世紀以上経ったというのに、形を変えた貧困が日本社会に起こっている。現代の子どもの6人に1人は貧困状態にあると言われている。それは幼い子どもたちに責任があろう筈がなく、まさに政治・社会の貧困である。



老いてゆく町

2016年5月17日(火) 晴れ

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♪♪♪ 【老いてゆく町】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町の人口は5445人で、そのうち65歳以上の人が2092人である。率に直すと38.4%となる。過疎化に加えて少子化によって、高齢化がすすんでいる。先日町内会の川掃除があって、わたしも参加したのだが、65歳以上の人が8~9割という情況である。まさにわたしの町は「老いてゆく」町である。この傾向はこれからさらに加速化されて深刻になってゆくだろう。

短歌

老いてゆく人々の棲む町となりいつしかに吾もその一員となる


 そういうわたしも、いつの間にか65歳を越えてしまっている。こういう情況をつくってしまったのは、高齢者の長生きということもあるだろうが、少子化、都会への人口流出ということが大きな原因である。それは政治・社会の在りようを如実に反映しているといっても過言ではないだろう。「地方創生」ということが言われているが、それが口先だけでなく、真に農業・漁業・中小企業などの地場産業を育てるということを、本気で取り組まなければならないと思う。しかし65歳以上になったからといって、人生は終わりではない。心がけしだいで、人生はこれから輝かせることができる。わたしは後半生に大いなる夢をもっており、そのためにひたぶるに生きてゆきたいと思っている。



明けの明星

2016年5月16日(月) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【明けの明星】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「しんぶん」を配達していていいと思うことは、自然との触れ合いである。たとえば、東の空を見上げれば、この周辺でもっとも高い山、竜王山が聳えている。その山がしらじらと明ける空にシルエットとなって浮かび上がっている。その風景に心を動かされる。また、朝日が昇りくる光景も感動的である。そんな光景に出会うと、「しんぶん」配達の苦労などいっぺんに吹き飛んでしまう。東の空がくれないに染められてゆく光景を見ると、思わず「あ!」と声を上げてしまう。

短歌 (「新日本歌人」5月号に掲載)

「しんぶん」を配りて空を見上ぐれば凜とかがやく明けの明星


 そして忘れてはならないのは、夜明けに東の空に見える金星である。わたしは町の峠を越えて「しんぶん」の配達をしているのだが、峠を越えると海が見えてくる。と同時に、東の空が大きく開けるのである。その空に明けの明星を見つけると感動的である。心になんともいえない感動が走りぬける。明けの明星はやはり冬がいい。東の空に冴え冴えと光る星は、ひときわ輝いて見える。これも「しんぶん」配達の、ひとつの喜びである。



カルガモ

2016年5月15日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【カルガモ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 カルガモというのは、メディアなどで取り上げられて、テレビなどにもよく登場する。その映像を観ていて、親鳥のあとを子どもがついて泳いだり歩いたりする光景は、なんとも微笑ましいものである。わたしもそのテレビを観ていて、じっとその画面を眺めることがある。それは親子の愛情がほほえましく写し出されているからだろう。わたしはめったにテレビは見ないけれど、こういう光景に出会ったりすると、釘付けになったりする。

短歌 (「新日本歌人」5月号に掲載)

カルガモが池の水面を切りてゆく冬の碧空映して青し


 そんな光景をわたしの町でも見かけたので、短歌をつくってみた。わたしの町の丘の上にふたつの池がある。わたしの町の平地から見れば、見上げるようなところにある集落である。その集落には週一回は必ず出向く。それは「しんぶん」の日曜版の配達に行くからだ。その時のことである。ふたつの池のうち上の池の方にカルガモがいたのである。カルガモが胸を突き出して、水面を切って泳いでいる。そして親鳥のあとを子どもがついて泳いでいる。なんとも愛らしい光景である。池の水面は青空を映して青く、とても清々しい風景だった。



岩崎明日香の「角煮とマルクス」

2016年5月14日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【岩崎明日香の「角煮とマルクス」】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「角煮とマルクス」というのは、「民主文学」新人賞受賞作である。わたしは第一次選考に選ばれた10作品の中で、この作品にもっとも注目していた。もちろんこの作品は読んでいない段階だったが、何よりも題名がいいということと、彼女の生き来し方に関心があったので、受賞されることをひそかに祈っていた。そして発表を待っていると「しんぶん」に、この作品が受賞したという記事が載っていたので、わたしは早速、「民主文学」6月号を申し込んだ。それが届いたのでその日の夜、一気に読んだ。

短歌

岩崎明日香の小説「角煮とマルクス」を読み心打たれる


 この作品「角煮とマルクス」は、期待にたがわず、とても優れた小説である。内容に触れる紙幅はないので、わたしが感じたことだけを述べることにする。まず、この作者の未来を切り開き変革するという思想なくして、この作品は生まれなかったということである。内実は「父の借金と暴力」という家庭・家族の在りようと、主人公の内面を描いているのだが、マルクス主義者の視点で、それを過不足なく描き切っている。また、家庭・家族の在りようを、ディテールに気を配りながら描き読者を惹きつけてやまない。今後彼女が、評論家として作家として活躍することを祈るばかりである。



凍てつく朝に

2016年5月13日(金) 晴れ

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♪♪♪ 【凍てつく朝に】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが家の駐車場には屋根をしつらえていない。したがって、露が降りたり霜が降ったりしたら、車の窓一面が覆われて、それを処理しなければならない。露や霜ならまだいいけれど、窓が凍りついたら大変である。駐車場のほとりに水道の蛇口があるので、ホースをつないで放水し溶かしたり湯をかけたりするのである。寒い日にはいったん溶かした氷がまた凍るという状態になる。

短歌 (「新日本歌人」5月号に掲載)

凍りつくフロントガラスに湯をかけて吾は出でゆく「しんぶん」配り


 冬の冷えた日には、そういう作業をしてからようやく「しんぶん」の配達に出てゆくことができる。やはり冬の「しんぶん」配りは厭なものである。しかし「しんぶん」を待っている人がいると思うと、弱気な心をうっちゃって、出かけるのだ。わたしも「しんぶん」は一日も欠かさず読むので、読者の心がよく分かる。冬を越えたら「しんぶん」配りもやっと楽になるけれど、しかし遅配はできないのでどうしても起床の時間が気になって、よく眠れないということがあり、いずれにしても「しんぶん」配りは大変な仕事である。



雪ふりて

2016年5月12日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【雪ふりて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 山陽地方の瀬戸内ではめったに雪は降らない。しかし年に2~3回はうっすらと、大地を白く染めることがある。今年は暖冬だったのでよけいに雪のふる機会はなかった。しかし今年はいつにない酷寒が山陽地方をおそった。20年ぶりくらいに「金のなる木」に花芽をつけたので、わたしは大いに喜んでいた。何か今年は佳いことがわが家にやってくるような予感がしたものだ。しかしその酷寒のために、灯油のボイラーは壊れるし、「金のなる木」も萎れて駄目になってしまった。

短歌 (「新日本歌人」5月号に掲載」)

雪ふりて白く染まりし故里にくれない帯びし朝日の射しくる


 そしてたいして積もらなかったけれど、うっすらとわが村の大地を雪が白く染めたのである。わが村は白く染まって、けがれのないような大地になった。それはどこまでもどこまでも続いていた。小さな村だけれど、村一面白く覆われていた。そこへ朝日が射してくる。その日もよく晴れ渡った日であった。朝日が昇ると、白い大地がくれないに染められてゆく。それはめったに見られない美しい光景であった。それはわたしにとって小さな倖せ・小さな感動である。



初日の出

2016年5月11日(水) 曇り

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♪♪♪ 【初日の出】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは交代で「しんぶん」を配っているが、2016年の元日はわたしの当番だった。できるなら、元日の朝はゆっくりしたいので、「しんぶん」の当番になって欲しくなかった。が、元日はわたしの当番だった。その日は5時過ぎに起き出したような気がするのだが、NHKの「ゆく年くる年」を視聴して床に就いたので、5時間も眠っていなかった。元日の配達は厭だと思っていたけれど、起きてしまえばなんということはない。

短歌 (「新日本歌人」5月号に掲載)

「しんぶん」を配りて磯に立ち尽くし朱に染まりたる初日の出見る


 「しんぶん」の主張所まで行って、配達部数を確認し、車に積み込むのである。その頃にはもう6時を廻っていた。それから「しんぶん」を配り始めるのだが、終わるまでにはそんなに時間はかからない。岡山県の日の出は、7時11分10秒となっている。主張所から峠を越えて、海のあるわが町に入るともう東の空は茜色にかすかに染まっていた。その日は快晴で雲ひとつない空である。ただ、太陽が昇りくる島の峰あたりには少し雲が棚引いていた。「しんぶん」を配り終えたわたしは、「島」の南の砂浜に行って、初日の出をみようと車を走らせた。そしてわたしは砂浜に下りて日の出を待った。すると島影から爪のような太陽が顔を覗かせた。まさに2016年の初日の出である。その太陽は深紅で島影を昇りくるのだった。感動の一瞬である。わたしは磯に立ち尽くして、その初日の出を見たのである。



遠い日のこと

2016年5月10日(火) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【遠い日のこと】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの青春時代はとてもひと口では語れない複雑なものだった。誰の青春時代もそうだろうが、わたしの場合はとりわけ夢と希望、悩みの交錯した時代だった。夢と希望も決して小さくないものだった。世界と日本の社会の在り方に思いを馳せ、新しい時代・社会の到来を夢見て生きていた。そして新しい時代・社会が近い将来やってくることを信じて生きていた。それからもう半世紀になる。「光陰矢のごとし」である。

短歌

若き日に六畳間に独り棲み夢と悩みの狭間で揺れて

若き日によく生きたいと願いつつ夢と悩みの狭間で揺れて


 夢と希望を持つと同時に、深い悲しみ、深い悩みを抱いて生きていたように思う。たびたび深い悩みに押しつぶされそうになったこともあった。まさに紆余曲折のあった青春時代である。しかし青春時代に志していた夢や希望は、半世紀を経た今も投げすてることなく持ちつづけている。わたしは時代や社会の在り方に関心を持つと同時に、文学活動に心を寄せてきた50年だった。詩を書き、小説へとジャンルを替えて、そしていまは短歌に嵌まっている。また小説を書くことがあるかもしれないが、いまは短歌への想いはつのるばかりである。



マルクスを読む

2016年5月9日(月) 雨

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♪♪♪ 【マルクスを読む】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 イギリスのBBC放送が国内と国外の視聴者を対象にして、少し前に世論調査をやった。設問は「過去千年間で、もっとも偉大な思想家は誰か」というものだった。第1位はダントツでマルクスだった。2位はアインシュタイン、3位はニュートン、4位はダーウィンというものである。マルクスは資本論を著し、科学的社会主義を唱えた思想家である。その彼が世論調査で第1位になったというのは、注目にあたいする。

短歌

激動の時代きたりて吾ひとり夜更けに目覚めマルクスを読む

激動の時代きたりてマルクスの本を開きぬ夜半に時計が鳴る


 いまの日本は激動の時代を迎えている。日本国憲法の立憲主義、平和主義、民主主義がこわされ、海外で戦争する国づくりがすすんでいる。一方、それに抵抗する勢力も大きな力を蓄えつつある。いわば日本は戦争か平和かという、また憲法を守るのか、こわすのかという重大な局面にさしかかっている。まさに日本は針路の岐路に立たされている。そういう時代にわたしたちは生きている。そこでわたしは、世論調査でも偉大な思想家ともくされているマルクスの本を、本棚から出して読んでいる。彼の著作から汲み取るべき思想は、泉のごとく枯れることがなく、深く広いものである。



薔薇の花

2016年5月8日(日) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【薔薇の花】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは2~3の銀行を利用しているが、もっとも足繁く出入りしているのは「ゆうちょ銀行」である。自動引き落としの口座をもっているし、何よりも土日に利用しても手数料がかからない。また全国どこでも利用できるので便利である。先日は4月の家計簿の決算をするために、通帳の記入に郵便局を訪ねた。まだ寝起きで気持もすっきりしていなかったのだけれど、郵便局の入口に薔薇が植わってあって、その薔薇の花はわたしに小さな感動を呼び起こした。

短歌

朝露を抱きたる薔薇が咲き出でて光りの方へ伸びてゆくなり

訪ねたる郵便局の脇に咲く深紅の薔薇が芳香放つ


 郵便局の薔薇は深紅で満開だった。見事な花びらが開いて光りの方へと伸びている。蜜蜂が花びらを飛び交っていた。わたしは黄色の花も好きだが、深紅の花も好きだ。朝露を抱いて薔薇の花は瑞々しく、うるわしく咲いていた。それはひとつの小さな感動だった。「あ!」という感動がくると、短歌がいくつかできる。薔薇を詠った短歌でよく知られた歌は正岡子規のつぎの歌である。ご紹介しておきたいと思う。

くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる



銀鱗を光らせて

2016年5月7日(土) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【銀鱗を光らせて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ゴールデンウィークといってもわたしはどこに行くこともなく終った。しかしわたしの町にある景勝の地には足を運んだ。そこは、今はもう干拓されて陸続きになっているが、その前は島だったところである。わたしが車でゆくと、自然の駐車場は車を停めるところがないくらい一杯の人出だった。その日は気温も高くテントを張って渚で遊んでいる人や釣糸を垂れている人で賑わっていた。そこに来ている人は町外の人がほとんどだった。

短歌

銀鱗を光らせて跳ぶ魚たち寄せては返す瀬戸内の海


 わたしは砂浜に降りることもなく、堤防から釣糸を投げ入れる釣り人のほとりに座り、そのようすを見たり瀬戸の海を眺めたりしてひと時を楽しんだ。なんとなく海面を眺めていると、魚が勢いよく水面の上に跳びはねているのが見えた。その光景に惹きつけられて目を凝らしていると、そちこちで魚が跳びはねているのが見える。その日はとてもよく晴れた日だったので、魚は銀色に光っていた。それを見ていると飽きるということもなく、いつまでも眺めていた。銀鱗を光らせて跳ぶ魚はわたしの目に感動を与えてくれる。すばらしい光景だった。



うぐいすの啼き声

2016年5月6日(金) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【うぐいすの啼き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 鶯の啼き声はなんて美しいのだろうか。2月の終わり頃から啼き始めてもう2カ月余になる。山道を散策するとき、高枝から鶯の啼き声が降ってくる。思わずあたりを見渡してみるけれど、その影をとらえることはできない。また「しんぶん」を配達してゆくと、ある家の裏山から決まって鶯が啼く。そして書斎で書きものや読書をしていると、遠くから鶯の啼き声が聴こえてくる。

短歌

「しんぶん」を配りてゆけば林より降るごと聴こゆ鶯の声

せわしくて日々の暮らしに疲れるも慰めくるる鶯の声


 このように、鶯はわたしの生活の一部となって彩りを添えている。鶯は今頃までは平野で棲息しているが、初夏を迎える頃から山へと還ってゆくといわれている。それは子孫を残すために、人里から離れた安全な場所へと移るそうである。果たしてわたしの住むところは平野といえるのかどうか。すぐ傍が山というか雑木林となっているので、鶯はここから離れてゆくのだろうか、今年はそれを見守りたいと思う。いずれにしても、鶯の啼き声は、憂うつな心だったり日々の暮らしに疲れたりした時に、わたしの心を癒してくれる貴重な鳥である。



シェルブールの雨傘

2016年5月5日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【シェルブールの雨傘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしたちの短歌会で毎月テーマが出されて、会員はそれぞれ題詠を提出することになっている。今月は「映画」というテーマである。わたしはもう4~5首つくっているが、もうひとつできたのが今回の歌である。これは「いちご白書をもう一度」という楽曲とほとんど同じ内容になってしまった。おそらくその歌がわたしの心に深く刻まれているからだろう。

短歌

遠き日に君と一緒に観た映画またやってきて独り観にゆく


 「君」とはよくいろんなところに行ったものである。映画はもちろん、演劇、クラシックの演奏会などなどである。遠き日を振り返るとき、いろんな文化・芸術に触れたことどもが思い出される。映画というのは、「シェルブールの雨傘」である。この映画は1960年代の中頃に日本で上映されたフランス映画である。その映画を「君」と観た。それがまた小さな映画館にかかるというので、独りで観にいった。映画はもちろんよかったが、「君」のことが甦ってとても懐かしい心持ちになった。



孫の修学旅行

2016年5月4日(水) 晴れ

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♪♪♪ 【孫の修学旅行】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 中三の孫娘が修学旅行で沖縄へ行った。その孫が沖縄の土産を持ってわが家にやってきた。詳しいことは聞かなかったけれど、「平和の礎」に行ったということだった。そして海に入ってシュノケーリングをして楽しんだという。中三の沖縄旅行というのはどういう目的でいくものだろうか。どんな意図をもって企画されたものだろうか。そして中三の子どもたちの心には何が刻まれるのだろうか。

短歌

沖縄の修学旅行の土産持ち中三の孫訪ねてくるる

沖縄の修学旅行を忘るるな自然と基地のふたつの顔の


 わたしの思いとしては、沖縄のふたつの顔をしっかりと刻んで欲しいということである。沖縄の美しい自然と基地の島であるというのを忘れないでいて貰いたいと思う。沖縄の美しい自然も心に留めおいて貰いたいと思うけれど、その島に米軍の基地がおかれ、今までベトナム戦争や中東戦争に関わってきたという歴史も学んで欲しい。そして沖縄の自然は基地によって、空も海も陸も侵されているということも忘れてはならないだろう。沖縄旅行の軸足が「平和学習」へと置かれることを望むものである。



驢馬の子

2016年5月3日(火) 晴れのち雨

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♪♪♪ 【驢馬の子】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしはカレンダーをトイレの壁に吊るしているのだが、それには動物の写真が載っている。その写真があることで気持が安らぐので不思議である。キリンや猿、驢馬や鹿が写っている。わたしはそのカレンダーに印をつけて、自身の行動を管理している。日に何回かカレンダーを眺めるので、とても便利である。そして一日が終れば斜線を引いて月日の流れを確認している。

短歌

驢馬の子が思慮深そうに写ってる黒い瞳と俯いた顔


 そのカレンダーに驢馬の子の写真が載っている。4月のカレンダーだった。この驢馬の写真がとても不思議なのである。動物写真といえば、親子の愛情の仕草や愛らしい仕草のものが普通だが、この驢馬の写真はなぜかわたしの心を惹きつける何かがある。その驢馬の子は一頭で写っているのだが、愛らしさも草原を駆ける元気さもない。驢馬の子はとても哲学的で、もの悲しく、思慮深く写っている。黒い瞳をした驢馬は俯いている。ロダンの「考える人」ではないが、これは「考える驢馬」である。それがとても魅力的なのである。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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