お洒落して

2016年4月1日(金) 雨のち曇り

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♪♪♪ 【お洒落して】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 普段わたしは家にいる時、だらしない格好をしている。だらしない、というよりか身体を圧迫しないような、過ごしやすい服装でいるということである。家にいる時ぐらいラフな格好で、ゆったりとくつろいでいたいと思う。しかし、わたしの知人の中には、朝起きるとカジュアルだがお洒落な格好をしている人が何人もいる。が、わたしはそれができない。あくまでのんびりゆったりできる服装が好ましい。

短歌

明後日はあの人も来る歌会の日 赤いシャツ着て出でてゆきたし


 しかし短歌会やその他の会合がある時は、いくらか気をつかって、少しだけお洒落をして出かけてゆくことがある。それも仲間内だけだと、普段着のまま出席することも少なくない。だが、いくつになってもお洒落心は持ちつづける方が、心に張りができて精神の健康にもいいだろうと思う。お洒落をすれば、心が内向きでなく外に向かって開放的になるから不思議である。それは女性のお化粧とも共通するものだろう。齢を重ねるにしたがって、だらしなくなってゆくということがないようにしたいものである。



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ストレッチ体操

2016年3月31日(木) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【ストレッチ体操】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしはまだ古希ではないが、もう2年もすれば、「人生七十古来稀なり」という齢に到達する。やはり60代と70代というのは、人生の上で大きな落差があるように思えてならない。現在の心境は、このまま60代でいつまでもいたいという想いである。70代というと、やはりずいぶん齢を取ったという印象は否めない。しかし否応もなく、あと2年で70代に突入することになる。

短歌

古希なれば鍛えることはなかりしもストレッチして労るからだ


 ♪たとえ若い娘じゃとて
 ♪何でその日が長かろう
 ♪燃えるようなその頬も
 ♪今にごらん 色褪せる


 これはロシア民謡の「赤いサラファン」だが、わたしはつくづくこの歌が切実に響いてくる。あの20代のきらめくような、青春時代がいつのまにか「古来稀なり」という、古希を迎えてしまうのだ。しかしわたしはいま懸命にストレッチ体操をして、体力の維持と健康につとめている。もう鍛えようとは思わないけれど、一日生きればその一日に感謝して、身体を労りたいと思う。したがって、寝る前にストレッチ体操をして、身体を癒している今日この頃である。



ひたぶるに詠む

2016年3月30日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【ひたぶるに詠む】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いまわたしは短歌に夢中である。現在は日々6首の歌を創り、3首の書き写しをし、50首の歌を読んでいる。この生活リズムは多少窮屈に感じているが、今しばらくは続いてゆく予感がしている。窮屈に感じるというのは、作歌に対して心に「あ!」と閃いたことを歌にしているだけで、短歌の心、詩心というものにまで、まだ心が伸びていっていないということである。6首つくるのに精一杯で、そこまで心がゆき届かないでいる。

短歌

先輩の四十、五十と詠めという真意がやっと心に落ちる

先輩は日々ひたぶるに歌を詠み修練を積んで歌人となりぬ


 しかし今はまだそれでいいと思っている。いつか破綻がやってくるような予感をもちつつ、多作を心がけている。先輩からの手紙には、一日、四十、五十創れという励ましの手紙が届いているが、それにはとても応えられそうにないが、まずは一日6首で許して貰いたいと思う。先輩は優れた歌人であるが、彼女はたぶん、ひたぶるにより多くの歌を詠んできたのだろう。そして歌人と呼ばれるまでになったのだろう。わたしもこの道に入ったからには、志を高く持って、ひとつの道を極めたいと思っている。



ウグイスの啼き声

2016年3月29日(火) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【ウグイスの啼き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが家のすぐ裏には山がある。その裏山からは夜明けとともに、ウグイスの啼き声が聞こえてくる。最初にウグイスの啼き声を聞くのは、朝のトイレの中である。トイレは1階にもあるが、2世帯住宅なので2階にもある。わたしは1階で寝ているが、2階のトイレを利用する。2階のトイレの窓が裏山の方に向かって開いているので、早朝、トイレに入ると必ずウグイスの啼き声が聞こえてくる。早朝だけでなく終日ウグイスは啼いているので、トイレで聞くことが多い。

短歌

市議選の電話かけして疲れおりふとウグイスの啼き声聞こゆ

腰痛で床に伏せたる病室にふとウグイスの啼き声聞こゆ


 わたしの友人が、隣の街の市議選に立候補するので、暇があれば支持拡大の電話かけをしている。その電話かけに疲れたりして、一服しているとウグイスの啼き声が、聞こえてくる。書斎の窓を透して啼き声が聞こえてくるのである。どんなにかウグイスの啼き声は、わたしの心を癒すことだろうか。わたしはしばらく、電話機をおいてその啼き声に耳を傾ける。お茶を啜りながら、その声を聞けば疲れも一掃されるので、また心を新たにして電話かけをするのである。



さんさんと降る

2016年3月28日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【さんさんと降る】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、3月23日は満月だった。わたしが2階に上がってゆくと、部屋に灯りも点していないのに、南の洋室がやけに明るいのに気づいた。月の光が斜めに射し込んで、ベランダ側の床が明るく浮かび上がっている。わたしは思わず窓を開けてベランダに出て空を見上げた。中天にまあるい月が張りついていた。ベランダから村を見渡すと、民家の一軒一軒が照らされてくっきりと見える。村々は月の光を浴びて昼間のような装いだった。

短歌

わが村の闇を溶かして真夜中に月の光りがさんさんと降る

満月が闇をくっきり照らし出すたわむれに本を開いて読みぬ


 わたしはあまりにも明るいので本が読めるのではないかと、たわむれに本棚から1冊持ち出した。本を開いて見ると、細かい字はさすがに読めなかったけれど、見出しは読めるほどの明るさだった。本文ももう少し我慢して目を慣らせば読めたかも知れない。ベランダから隣の家の屋根の瓦をみれば、鮮明に一枚一枚を確認することができる。ベランダから見渡す限り、わが村は闇を溶かして月の光りがさんさんと降っていた。



潮の香り

2016年3月27日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【潮の香り】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは歌創りにゆき詰まった時は、家を飛び出して吟行に出る。車で走りながら、空を見上げたり海を眺めたりする。もちろん脇見をするわけなので、細心の注意を払って車を運転している。先日、雲ひとつないような晴れ渡った日があったが、その日に吟行に出た。吟行に出ると、わたしは5首~10首の短歌を創る。車を走らせていると、「あ!」と心にひらめくことがある。それをメモ用紙に書き留めて歌にする。

短歌

砂浜をひとり歩いて貝がらを探してゆけば潮騒聞ゆ

青海苔が岩に張りつき潮の香が風に吹かれて漂いてくる


 歌ができれば、車を道の端に停めて、5、7、5、7、7と歌にまとめるのである。上記の歌もそうして出来たものである。ただ、この時は青海苔があまりにも美しかったので、堤防を下りてゆき、岩に張りついた海苔の上を歩いて、その香りを十分に味わった。わたしが子どもの頃は、この青海苔を取って夕食のおかずにしたような記憶がある。岩をそろりそろりと渡ってゆくと、潮騒が聞こえてくる。久し振りに海に入っていった心地よいひと時であった。



白木蓮の短きいのち

2016年3月26日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【白木蓮の短きいのち】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 白木蓮も桜と同じように短いいのちである。白木蓮の咲き始めたことを書いたのは、3月19日のことであるから、ちょうど一週間前のことだ。この一週間の天気はめまぐるしく変わった。雨が降ったり4月のような陽気の日もあったりで、白木蓮もどぎまぎしただろうと思う。人間だったら一喜一憂するのだろうけれど、白木蓮という植物はどうなんだろうか。何も言わずにその天候を受け入れて必死に生きているに違いない。

短歌

降りしきる雨に濡れたる木蓮が狭庭に散りて白く染まりぬ


 先日、雨が降った。そのあと白木蓮を見にいったら、もう散り始めていた。咲き始めて3~4日後だった。もう庭は白い花びらが散って、庭を白く染めていた。なんと短い白木蓮のいのちだろうか。しかしまだ車で走っていると、あちこちで満開の白木蓮を見ることができる。もう花びらは開き切って反り返っている状態である。風が吹けばきっとはらはらと舞い落ちるに違いない。また、来年に会うことを期待して、本格的な春の到来を喜んでいるわたしである。



嫉妬する心

2016年3月24日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【嫉妬する心】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「新日本歌人」という歌誌3月号に、わたしの短歌が「月集」という欄に8首掲載された。この「月集」というのは、「今月の注目歌」という位置づけで、それなりにハードルの高い欄である。広島の歌友はすぐに電話してきて、「良かったね」と共感を示し、励ましの言葉をかけてくれた。そしてわたしが加入している短歌会のふたりも、喜びを共有してくれた。が、同じ短歌会の責任者らしい人が、「『月集』に載るのは、歌人協会が止めるのを防ぐ為に、その思惑で載せるのだ!」というのである。

短歌

「新日本歌人」に推され月集に載るわれの歌をそねむ人もあり

嫉妬する人を蔑むことなかれ吾もまたその心を有す


 わたしは歌人協会の、歌を選ぶ基準を昨年の「神戸のセミナー」で聞いていた。歌人協会のスタンスは、「誰の歌でも載せるというのではなく、一定の水準以上の作品を載せる」ということである。「他の歌誌と較べて、あまりにも低いレベルの作品を載せることは避けなければならない」という方針を聞いていた。だから、いくら選者同士であろうとも、馴れ合うことなく、レベルの低い作品は落とすということを、会の代表者から直接聞いていたのだ。そういう歌人協会のスタンスを知ってか知らずか、わが短歌会の責任者らしい人がそういうのである。わたしは後から考えて、これは嫉妬というものだな、という考えに至った。歌人協会に入ってまだ1年の人が「月集」に選ばれたことが、気に入らないようである。まことに哀しい、そして淋しい人である、とわたしは怒りとともに同情をするものである。



いよいよ春の到来

2016年3月23日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【いよいよ春の到来】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「いよいよ春の到来!」という言葉を、何度使っただろうか。そのたびに寒気がぶり返して、春はいったん遠のいていった。しかし今度こそと思えるような天気なのだが、それがいったい本物なのかどうか。週末にはまた寒くなるというような予報も出ているので、安心はできない。季節の移り変わりというものは、真っ直ぐには進まないものである。紆余曲折を繰り返しながら、しかし確実に季節は進んでゆくものだ。

短歌

山山の竹林が青く染まりゆくいよいよ春の兆しを告げて

乗用車のエアコンをOFFにして走る春の陽射しが降りそそぐ日に

腰痛の妻が出でゆく散歩かな春の到来知らしめるなり

散策の道端に伸びる土筆たちいよいよ春の到来を知る


 3月19日(土)に、福岡地方で桜の開花宣言がなされた。標準木に桜が6輪咲いたということである。この桜前線は日を追うごとに北上してゆくことだろう。まさに「春到来」である。短歌に詠んだように、いろんな部面で春は確実にやってきているのを実感する今日この頃である。



コンビニ

2016年3月22日(火) 晴れ

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♪♪♪ 【コンビニ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、山田洋次監督の「家族はつらいよ」を観にいった。わたしの感想は、やはり、寅さんの「男はつらいよ」には勝てないという思いである。最初と最後の場面が見せ場だけれど、そこは見る人によく伝わる演出がなされていた。映画館は、倉敷のイオンの中にあるシアターだった。そこへゆく道中に、橋のたもとにあるコンビニが店を閉めていた。可哀想なことである。主人はおそらく数百万円の借金をかかえて店を畳んだに違いない。

短歌

橋下(はしもと)の派手なコンビニ店を閉め「売り物件」の紙が揺れてる


 コンビニの経営は、決して甘くない。店を出すのに少なくない金がいるし、店を出しても多額のロイヤリティーを取られるし、店の回転も主人が必死に働いて、かろうじて廻っている。聞くところによると、コンビニの7割近くがうまくいっていないということである。止めようにもやめられない店が多く存在するらしい。止めれば借金が残るだけだからだ。この短歌の店も痛々しい。イメージカラーの装飾は剥ぎ取られ、「売り物件」の紙がはがれ淋しそうに、風に吹かれている。橋下とは、橋のたもとのことだが、わたしは大阪のある政党のことをイメージして、その末路をこの歌に託して創ったつもりである。



優しい孫娘

2016年3月21日(月) 晴れ

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♪♪♪ 【優しい孫娘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 妻は腰痛で苦しんでいる。わたしも腰痛をかかえていて、その辛さは分かるつもりでいるのだが、妻には案外冷たいところがある。腰痛が烈しくなると、布団から起き上がれなくなったり、歩くのさえ出来なくなったりする。また腰痛には色々のケースがあるけれど、これといった治療法がなく、病院が出す痛み止めの薬を飲むくらいである。妻はその薬が強すぎて、副作用で体中に湿疹ができたので、皮膚科に通うはめに陥った。まさに泣き面に蜂である。

短歌

高一の孫が付き添い出でてゆく腰痛の妻こころ弾ませて

腰痛で引きこもる妻を連れ出して散策をする女高生の孫


 そんな妻はもう1カ月も引きこもり状態である。「大人の引きこもり」といってもいいだろう。そんな折、高一の孫娘が「婆ちゃんの散歩に付き合ってあげる」と、言ってくれた。中二の勉強のよくできる孫娘とちがって、この子は素直で、人にとても優しい。その孫娘に連れ出されて、1カ月ぶりの外出である。その子が「土筆を見つけた」と言って、散歩から帰ってきた。引きこもりをして、テレビばかり観ていたのでは、腰痛はよくならない。仕舞いには寝込んでしまって、「寝たきり」にならないとも限らない。女高生の孫娘の優しさに、涙が出るほど感動してしまった。これで妻も、外の世界との繋がりができたのである。



哀しきこと

2016年3月20日 (日) 晴れ

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♪♪♪ 【哀しきこと】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの孫娘は、高校1年生と中学2年生とがいる。この姉妹の性格、生き方、人間性はずいぶん違っている。中二の孫娘は勉強がよくできると、町でも評判の子である。周りがそういう風に言うし、学校でもそのように処遇されるから、自分もその気になっているのだろう。今年は3年生になるので、高校受験も視野に入ってくる。もうそろそろ、希望する高校を決めてゆく段階にきている。まだ本人はその気になっていないらしいが、周りが薬剤師になったらとか、有名な進学校に進んだらとか助言をしている。

短歌

よくできる中三の孫(こ)が姉の行く高校を莫迦と呼ぶ哀しさ

わが孫が「あの高校は莫迦だよね」と言う、競争主義の哀しさ


 しかし、わたしはとっても哀しい出来事に遭遇してしまった。ある人が「姉ちゃんの高校へ入ったらどう?」と水を向けたら、「あの学校は莫迦なんでしょ」と、言うのである。わたしは大変驚いた。これは彼女の性格、人間性によるものだろうか、わたしにはとてもそんな風には思えない。生まれついた時から、こんな考えをする子なんていないものである。8年間の学校生活、家庭生活の中で、こんな考え方が醸成されてきたのだろう。とりわけ、学校の競争主義、点数主義、差別と選別の教育が、こんな歪んだ子どもを育てるのではないのだろうか。わたしはしばらく落ち込み、哀しくなってしまった。その哀しみの怒りは、日本の教育の在りように及んでゆくのだった。



白木蓮

2016年3月19日(土) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【白木蓮】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 白木蓮が花開いていたのは、もう一週間も前のことである。この花がわたしは好きで、この春も心待ちにしていた。昨年、この家の花に出会って、いつかいつかと蕾のふくらみ具合を観察していたのである。この花はけがれなき純白で、空に向かって枝を広げ伸びている。この花の蕾は、冬のあいだは綿のような皮膜におおわれて、蕾がふくらむのを待っている。皮膜が蕾をそっと守っているという風情である。

短歌

「しんぶん」を配りてゆけば木蓮が真白き花を開きて目に沁む

けがれなき真白き色の木蓮が蕾をひらき光りを返す


 わたしが一週間ほど前に「しんぶん」を配りに行って、わたしはずいぶん驚いた。白木蓮が蕾を開き純白の花びらが青空に映えていたのである。一週間のうちにこれほどまでに様変わりするものかと驚いたしだいである。わたしは庭に入らせて貰って、しばらくその花を見上げていた。白木蓮の白き花は春の陽射しを照り返し、目に沁みいるほどだった。次の訪問時にはきっと、蕾は開ききって乳色の花が舞うように咲いていることだろう。



ゴッホの画集(2)

2016年3月18日(金) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【ゴッホの画集(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 齢を重ねてくると、友人とも深く付き合うということが少なくなってくる。お互いにそれぞれの生き方や生活が定まっており、それぞれがそれぞれに、自身の生き方をしているので、その生き方に干渉することもなく、遠くから見守るという趣になってくる。したがって、友人の行動や考え方に深く関わるということもなく過ぎていっている。それが齢を重ねたものたちの在りようでもある。そしてまた、人間や世界を広く認識することができるようになって、人の生き方を大きく包み込むことが可能になってくるからだろう。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

また友といい争いて帰る日はひとりゴッホの画集をひらく


 しかし、時として友人といい争うことがある。そんなことはよしておけばいいと思うけれど、どうしても看過することができないことも起こりうる。そうなると、お互いが自身の思想や考え方を主張して、お互いに退こうとしない。そうなると、実りある論争とはならずに、不毛の議論になることが多い。そして和解できないままに別れることになる。そんな時、家に帰ってゴッホなどの画集を開いて観ることもある。そして自身のやりきれない想いを鎮めるのである。



図書館にて

2016年3月17日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【図書館にて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 海の見える図書館でわたしは本を読んでいた。その図書館は窓際に閲覧用の机をしつらえて、とても素敵な場所である。見上げると瀬戸内海が前面に広がっており、折々に漁船が白い波の尾を曳いて、行き交っている。また沖の方を見渡すと、水島コンビナートへ出入りする大型貨物船が、ゆっくりと進んでいるのが見える。松任谷由美の「海を見ていた午後」の歌詞が甦る。それは、

♪ソーダ水の中を貨物船がとおる
♪小さなアワも恋のように消えていった
というものである。


短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

図書館でさわぐ児ありて叱りたり叱りてしばし淋しくなりぬ


 そんな図書館に、小学生か中学生が3~4人遊びにきていた。静かに絵本でも漫画でも読むのは構わないが、わたしのすぐ近くの席で騒ぐのである。とても集中して読書などできそうもない。しばらくわたしは黙っていてようすをみていたが、堪らなくなって席を立っていって、叱りつけたのである。彼らは顔を見合わせ気まずいようすをしていたが、いつのまにか去っていった。が、それで一件落着というふうにはいかなかった。わたしの心が何となく淋しくなってゆくのがわかるのである。わたしの心が乾いてゆくのだった。叱るというのは、そんな心持ちになるのも覚悟しておかなければならない、と感じたしだいである。



上弦の月(2)

2016年3月16日(水) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【上弦の月(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 もうこの齢になると、妻といさかうということは殆んどなくなった。若い頃は子育ての問題やらほんの些細なことで喧嘩をしていたものだが、今は悟ったようにいさかうということがない。夫婦ふたりの生活で波風の立つようなことどもも起こらないということがあるのかも知れない。今はいさかうというよりも、ふたりの健康の問題が大きくて、そちらに関心が向いているというのが、実際のところである。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

寒き夜妻といさかい外に出る見上ぐる空に上弦の月


 ところが、たまにはいさかうこともないわけではない。いさかうといっても、わたしの方が一方的に叱って終わるのであるが、それでもそんな時は心が憂うつになる。家にいるとなんとなく気まずくなり、わたしは外に出る。それが昼なら、ウグイスの啼き声を聞いたり、花を眺めたりするのだが、夜には空を見上げることになる。空の月や星を見たりしていると、ずいぶん慰められて、憂うつな気分が晴らされるのである。その日の夜空には上弦の月が白い光りを放っていた。



蝉しぐれ(2)

2016年3月15日(火) 晴れ

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♪♪♪ 【蝉しぐれ(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 まだ蝉しぐれには早い季節であるが、この歌を詠んだのは、昨年の夏のことである。蝉というのは、わたしたちにとってはとても親しみのある昆虫で、すぐ傍の木々に留まって鳴いていたりする。子どものころは、まさに友だちのような存在だったのを憶えている。学校から帰ると、カバンを投げ出して友だちと山へ入っていったものだ。網で掬ったり鳥もちで獲ったりして遊んだことも、懐かしく思い出される。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

蝉しぐれ短き命知るごとく翅ふるわせてひたすらに鳴く


 蝉が哀しいという言われ方をするのは、土中での暮らしが永く、そこから這い出して大気のなかでの生命が短いということからである。たしかにそうだろう。土中にはモグラやその他の天敵もいて、生き抜くのが大変である。そんな中で木の樹液を吸ったりして懸命に生きている。そして幼虫から蝉へと羽化するのは、木であったり葉っぱであったりするのだが、その瞬間はとてもドラマチックである。木や葉っぱに爪を突き立てて、反り返るようにして、羽化するのである。その命の誕生に感動する。そして羽化した蝉は、命を惜しむ如くひたすらに鳴くのである。いわゆる蝉しぐれである。



ヒバリ

2016年3月14日(月) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【ヒバリ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 昨年まではわたしの町の干拓地に草原が広がって、ヒバリの絶好の棲みかだったのだが今年はどうだろうか。というのは、太陽光発電所が3~4カ所もできたために、その草原がずいぶん狭められたからである。今年はまだヒバリのさえずりを聞いていない。再生エネルギーは推進されなければならないので、歓迎しているがヒバリの啼き声もまた惜しまれる。もう少し暖かくなったら干拓地を散策したいと思っている。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

かすみたる空に黒点ひとつなり舞い上がりつつ囀るひばり


 ヒバリが高く舞い上がり、青空に黒点をつくって啼くようすを思わず見上げてしまう。いつまでもそのヒバリを追っているわたしの姿がある。ヒバリはあまり飛翔しないで、そこに留まって懸命に翼を羽ばたかせている。それがまるで、黒点のように見えるのである。青空でも灰色の空でも黒点のように見えるヒバリは愛おしい。太陽光発電所は、敷地にコンクリートやアスファルトを張ってないので、今年もきっと黒点が見られるに違いないし、見たいものである。



わがふるさと

2016年3月13日(日) 曇り

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♪♪♪ 【わがふるさと】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは高校を卒業すると都会へ出た。都会といっても中都市といえるかどうか、そんな中途半端な街である。わたしは市役所へ入職するのだが、希望と未来は拓けていたし、生き生きと暮らし生きていた。仕事への情熱はそれほどでもなかったが、労働組合や青年運動、演劇活動やうたごえ運動などに関わって、青春時代を送ってきた。それはとても充実した有意義な時代のように思われていたが、しかし一方でわたしの心身を蝕んでいた。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

都会での暮らしに疲れ逃げてきぬ心癒さんわがふるさとよ


 母が安定した職場だと喜んでいた市役所は、3~4年で退職し、民間の建築会社で現場監督の職についた。そんな仕事をつづけながら、わたしは作家をめざして、慶応大学の通信教育を受け、スクーリングなどにも参加して、ハードな生活を送っていた。そのうち耳鳴りがするようになり、真っ直ぐ歩けないような状態に陥った。心身が侵されてしまったのである。やがてわたしは都会を逃げるように去って、故里へと帰ってきたのである。故里の海や山、そして人間は、わたしを温かく迎えてくれて、心身ともに甦ったのだった。わが故里はわたしを再生させた愛すべき町である。



海鳴り

2016年3月12日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【海鳴り】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 瀬戸内海は穏やかな海である。まるで湖のように、鏡面のように波の立たない日も少なくない。だから北海のように、荒れる日が多くて漁に出てゆけない、という日も限られている。春の陽が降り注ぐ海面は、ガラスのカケラが光っているようにきらめいて、眩しいほどである。多島美で知られる瀬戸の海は、春になるとかすんで、島々がぼんやりと見える。わたしたちはこの海とともに生きてきた。漁師だけでなく、子どものわたしたちもこの海に育てられたといっても過言ではない。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

穏やかな瀬戸内海が荒れる夜吠える如くに海鳴り聞こゆ


 しかしそんな穏やかな海が、春の嵐や台風によって荒れることもないわけではない。わたしの家は海辺に建っていたので、台風がやってくると、打ちつける高波によって家が洗われるということも少なくなかった。波が岸壁に打ち寄せ、砕けた波が風に乗って屋根まで洗うのである。そうなると、わが家は畳を上げて、坂道の上にある親戚の家に泊まりにゆくということも折々にあった。そんな夜には、何かが吠えるように海鳴りがするのである。海鳴りを聞きながら眠りに落ちるというしだいである。



空を切りとる

2016年3月11日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【空を切りとる】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町に竜王山という山がある。北アルプスのような3000メートル級の山ではなく、その10分の1くらいの高さの山である。が、わたしの町の近くではもっとも高い山である。この山は子どもの頃、憧れと畏怖の山としてわたしたちは位置づけて親しんできた。わたしの町には、この竜王山と瀬戸内海があることで、どれだけ人々の心を豊かにしてきたことだろうか。

短歌 (「新日本歌人」3月号に掲載)

悠然と夕陽を浴びて聳え立つ竜王山は空を切りとる


 短歌の会で「空を切りとる」という意味が分からない、という疑問が出された。たしかに分かりにくい表現かも知れないが、朝に陽が昇ってくる頃にこの山を見上げると、はっきりとその意味が分かって貰えると思う。東の空が白み始めると竜王山はくっきりと、シルエットとなって浮かびあがる。その峰々が山と空を区切っているのである。まさに空を竜王山が切絵のように「切りとって」いるのだ。それをそう表現したもので、ここで夕陽と詠んだのは文学的創造である。



団塊の世代

2016年3月10日(木) 曇り

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♪♪♪ 【団塊の世代】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、NHKのテレビを観た。わたしはテレビなどというもの、めったに観ないのだが、NHK、Eテレの「団塊スタイル」という番組は、気が向いたら見るようにしている。その中で、団塊の世代の悩みについて放映されていた。恋愛問題、生き甲斐の問題などの相談について、助言者が答えていた。その中で、わたしの心を惹きつけたのは、生き甲斐の問題だった。

短歌

虚しさは心が空洞になりており満たされぬとう団塊の世代


 団塊の世代というのは、昭和22年から24年に生まれた、ひとつの塊の世代のことである。その団塊の世代の人は、一般的にもう定年退職して、第一線から退いている。その中で生まれる悩みがあるというのだ。それは、時間はあっても、何か心が空洞で満たされないというのである。その悩みにはわたしも共感できるところがある。生きている実感、充実感、それが得られないというのである。わたしもそれを経験しているので、他人事(ひとごと)ではない。しかしわたしは短歌と出会うことによって、その悩みから救われた。まだまだ、歩み始めたばかりなので心もとないが、「短歌のある人生」を、創造してゆきたいと思っている。



春はきぬ

2016年3月9日(水) 雨時々曇り

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♪♪♪ 【春はきぬ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、山陽地方は気温が20度まで上がった。まるで3月を一気に越えて4月のような陽気であった。わたしは心が弾んで家を出て村々をそぞろ歩きをした。すると3人の婦人たちも、散策を楽しんでいた。その日の夜明けを詠ったものが、第一の短歌である。朱に染まる太陽が、海を黄金に染め上げていた。その陽射しは雲ひとつない青空のもと、村々に降り注ぎぐんぐん気温を上昇させていった。まさに春到来である。

短歌

赤赤と岬の果てに昇りくる朝陽が海を黄金に染める

春の陽が射し込んできて暖かくコタツの電源OFFにするなり


 その日は散策から帰り、コタツに入って歌を創っていたのだが、春の陽が障子を黄金に染めて、とても暖かかった。思わずわたしはコタツの電源を切った。今冬で初めてのことである。寒がり屋のわたしが電源をOFFにするくらいだから、よほど暖かかったに違いない。気温が20度まで上がれば、暖房も必要なくなるのだろう。ここで、藤村の詩を紹介しておきたいと思う。

春はきぬ
  春はきぬ
初音やさしくうぐひすよ
こぞに別離(わかれ)を告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳(こぞ)の冬



オムツを穿いて

2016年3月8日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【オムツを穿いて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 2月の始めに前立腺がんを、手術をした友人がいる。20日ほどで退院し、もう日常生活を普通に送っている。しかし、まだ完全に腫瘍が摘出できたかどうか分からないと、医師が言っているとのことである。まだ、放射線治療を要するとのことで、まだ不安を抱えたままだ。そしてまだ尿漏れがするらしく、オムツを穿いて生活をしているそうである。これが普通の生活かどうかというと、多少疑問の残るところである。

短歌

街宣に前立腺の手術せし友が出でゆくオムツを穿いて

街宣にオムツを穿いて出でてゆく前立腺の手術せし友


 3月3日は、桃の節句、雛祭りであったが、3日という日は、澤地久枝さんの呼びかけで、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げる日になっている。この書を揮毫したのは、俳人の金子兜太さんである。この行動に退院したばかりの友人が参加するというのである。オムツを穿いて出てゆく友人に思いを馳せるとき、その心持ちに敬服するばかりである。その心持ちは、案外友人の気持を前向きにさせているのかも知れないが、くれぐれも病気に支障のないようにと願っている。



山口へ

2016年3月7日(月) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【山口へ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 岡山と山口を隔つ距離は約300キロである。その山口へ今月から数カ月にわたって、月一度往復するつもりでいる。山口の「あらくさ短歌会」は、全国的にみても活発な会であることが知られている。そこには松野さと江さんという、すぐれた歌人もいるし、啄木コンクールで入賞をした新人もいるし、魅力的な短歌会である。また中堅・ベテランとすぐれた歌人たちが揃っている。わたしの属している「水島短歌会」には、残念ながら指導者がいないので、松野さと江さんに添削などをして貰っている。

短歌

ひたすらに短歌を学びし心あり山口めざし電車に乗り込む

かろがろとたかが短歌と言うなかれ後半生の生きてく力


 そんな短歌会へ出向いて、短歌の神髄を学んできたいと心に決めたしだいである。3月からは「短歌文法」の学習と歌会をやるということなので、なおさらわたしの心を山口へと向かわせた。「短歌文法」をほとんど知らないわたしは、歌を表現してゆくうえでの大きな壁となっている。その文法を身につけることができうるならば、短歌の表現は大いに広がっていくように思う。

短歌

岡山と山口隔つ三百キロ短歌のいのち知りたくて行く

岡山と山口を隔つ三百キロ歌を学びに電車に乗りぬ



媼の哀しみ

2016年3月6日(日) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【媼(おうな)の哀しみ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは「しんぶん」の拡張も自分の仕事として取り組んでいるが、なかなかに難しい。とりわけわたしの棲む町は高齢者が多くなっており、世間への好奇心も希薄になっているのが現状である。それと同時に高齢者の身体の衰えと貧困が背景としてある。日本の高齢者はなぜもこんなに、疎まれなければならないのだろうか。今の日本は決して長寿が倖せとはいえない情況にある。

短歌

「八百円は二日分の食費だよ」と言いて「しんぶん」が取れぬ媼の哀しみ


 「しんぶん」を勧めにゆくと、まず目が見えない、活字を追うことができないという人が多くいる。身体的な衰えと生きる気力が萎えているように思えて仕方がない。いくら齢をとっても死ぬまでは、生きてゆく気力を保ちつづけたいと思う。そして今一つは、高齢者の貧困である。わたしは週一回のみの「日曜版」を勧めて歩いているが、お金がないために読めないという人が多い。わたしの勧めているのは、一カ月823円の「日曜版」であるが、老女はわたしに言う。「八百円は二日分の食費だよ!」というのである。それで「しんぶん」が取れないと断られる。高齢者は一日僅かの食費で生きているようすが、リアルに伝わってくる。高齢者がもっと生き生きと生活を楽しめるような社会でありたい、と切に願わずにはいられない。



女高生の孫

2016年3月5日(土) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【女高生の孫】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 女子高校生の孫は、3月1日が卒業式にあたるため、1年生は休みだそうだ。そこで彼女から電話がかかってきて、最寄の駅まで送って欲しいという。朝9時28分の電車に乗りたいということだった。送る車の中で訊いたら、倉敷市の大型ショッピングセンターに、友だち4人で遊びにゆくという。2000円でスイーツの食べ放題の催しがあるのだそうだ。わたしは彼女を駅まで送って、「気をつけて!」と言って別れた。

短歌

女高生の孫が街へと出でてゆく未知なる世界を覗くごとくに

新しきベールを剥ぐごと街へ出てゆく孫ありて何かをつかむべし


 女子高生1年の彼女にとっては、まだまだ未知なる世界は膨大なものだろう。そんな彼女は、一枚ずつベールを取り除いてゆくように、半歩、一歩と前へと足を踏み出していっている。カーテンを少しずつ少しずつ開いて、世の中というもの、世界というものを覗き見しながら、安全を確かめながら、歩んでいるという感じである。未来の素晴らしさも、世間の怖さを知るのもこれからである。そんな彼女の未来が、希望に満ちたものになるように願っている。



春告げ鳥

2016年3月4日(金) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【春告げ鳥】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ウグイスは春告げ鳥とも呼ばれている。それはウグイスが春に先駆けて、里に下りてきて啼くからだろう。わたしが今年初鳴きを聞いたのは、2月28日のことである。まだ寒気が残っていて寒い朝だった。「ケキョ、ケキョ」という幼い啼き声ではなく、しっかりとした啼き声だった。裏山から「ホー、ホケキョ」と、いう綺麗な啼き声だった。

短歌

あかときに春告げ鳥の初音聞くわが故里に春がくるなり

ウグイスの初音が遠く聞こえくるいよいよ春が故里にきぬ


 調べてみると、今年は西日本ではだいたいのところが、例年よりも初鳴きが早いそうである。山陽地方は4~5日早いということだ。他の地域では10日も早いところがある。やはり暖冬のせいなのだろうか。それをウグイスは察知しているのだろう。春告げ鳥といわれる通り、山陽地方の気温はこれから、17~19度で推移するようである。もちろん寒さのぶり返しも覚悟しておかなければならないが、ジグザグを繰り返しながら、桜の季節へと向かってゆくに違いない。ウグイスの初鳴きは、歓迎すべき春の使者の啼き声である。



春を待つ

2016年3月3日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【春を待つ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 春が待たれる今日この頃である。わたしは四季のなかで、もっとも厭な季節が冬なので、とりわけその気持は強い。今年は暖冬といわれながら、それでも猛烈な寒波などもやってきたりして、わたしは震え上がった。「金のなる木」やその他の花も、凍傷にかかったようになって、しおれてしまった。「金のなる木」は、求めて初めて花を咲かせたというのに惜しいことをした。

短歌

あと五日残っておれど三月の暦にかえて春を待つなり


 春を待つ気持が強いのだろうか、願望だろうか、わたしは2月が5日も残っているのに、早々と3月のカレンダーに変えた。それで春が早く来るということではないけれど、それは心の問題である。そのカレンダーを見ていると、3日が雛祭り、5日が啓蟄という風に、心を柔らかく、温かくしてくれるから不思議である。心に春がやってきたように思えるのである。春になるとわたしは大いに活動の量と幅を広げて、生きてゆきたいと思っている。



空模様短歌

2016年3月2日(水) 晴れ

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♪♪♪ 【空模様短歌】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは短歌を始めた昨年の2月から殆ど毎日、3~4首の歌を詠んできた。しかしこれはなかなか大変なことである。わたしの友人は俳句結社の主宰をしているが、彼は会員たちに「一日一句」を提唱している。が、それが実行できている人は、皆無だそうである。いまはどうなっているか分からないが、いずれにしても、毎日一句なり一首創るということは、難儀なことに変わりはない。短歌にしても「一日一首」はかなり難しいことである。わたしも途方にくれて頭をかかえることも少なくない。

短歌

昼晴れて斜めに射し込む冬の陽が白い障子を黄金に染める

夕方に灰色の雲におおわれて細かい雨が降り出してきぬ


 しかしわたしは「一日一首」はもちろんのこと、一日3~4首創るのが夢である。そこで考えたのが、「空模様短歌」である。つまり、毎日天気のようす、そのぐあいを歌にするということだ。天気は365日、一日たりとも同じということはない。毎日変わる空模様を歌にしてしまおうという試みである。この試みは、自然に対する感受性、感性、ひいては人間や社会に対する関心や好奇心を醸成するに違いない。このような自然や人間、社会に対する感受性は、短歌を創ってゆくうえで、とても大切なことである。とにかくわたしは、より多く歌を詠うことをめざしてゆきたいと思っている。



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 1947年生まれの70歳で、
 日々の暮らし・想いを自由に 綴って
 ゆきたいと思います。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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