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「しんぶん」の集金

2016年3月1日(火) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【「しんぶん」の集金】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは「しんぶん」の配達とともに、集金も受け持っている。「しんぶん」の配達は、ポストに届けるだけでいいけれど、集金はお客さんと会わないと出来ない。集金はとても難儀な仕事である。最初の訪問で、だいたい二分の一の集金ができる。つまり、約半分は留守である。そして2回目の集金で留守宅の二分の一ができる。つまり、留守宅の約半分が、また留守なのである。

短歌

集金に三度訪ねてやっとでき西の山影に夕陽が沈む


 そして三度訪ねてやっと集金ができるという具合である。例外的には、アポイントをとって、訪問しないと集金できない家もある。こうしてやっと、集金が完了するのである。全部集金ができたときは、「やったー」という気持になり、スーパーで刺身などを買って帰るのである。今回は「赤貝」を買って夕食前に食べた。そして、集金時に心配するのは、「今月で終わりにして!」という言葉が掛からないかどうかである。まさに「ハラハラドキドキ」の集金の仕事である。しかし、集金を終えて、夕陽が山影に沈む光景や白く輝く月を見ると、心が晴れるのである。



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ひとつの哀しみ

2016年2月29日(月) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【ひとつの哀しみ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの棲む町は高齢者の町である。人口5500人のうち未成年者はたった800人に過ぎない。こういう現象は、ただわたしの町だけではなく、全国いたるところに見られるのではないのだろうか。もちろん日本の人口構成が、団塊の世代をはじめとして、いびつになっていることは確かだが、たんにそれだけではないだろう。最近の少子化は、国の施策によるところが大きいように思う。

短歌

今日もまた村の有線は死者を告げ哀しみがひとつ広がりてゆく


 今日の若い世代が、非正規社員とならざるを得ず、そのために子どもが産めないという現象が起こっている。また、正社員だとしても、低賃金で子どもを3人4人と産むことができなくなっている。社会保障が充実していないので、保育、子育て、教育費などの負担を考えると、子どもが産めないのである。そういう若い世代が多く、その反対に高齢者はさらに高齢となり黄泉の国へと旅立つ人が増えている。わたしの町でも毎日のように、有線放送で死亡届けのあった人の報せが流れている。このままいけば、日本の人口は確実に減少してゆくことだろう。これもまた国の施策の責任ではないだろうか。



如月の海(3)

2016年2月28日(日) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【如月の海(3)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日のことである。今冬最後のような寒気が、山陽地方まで下りてきた。真冬のような寒さが2、3日つづいた。その日わたしは机の前に座って、短歌を考えていたのだが、いい題材が思いつかず途方に暮れていた。そこで思い切って吟行のような、ドライブのような軽い気持で家を出た。わたしは海に沿った道を、車を走らせていった。すると、意外に風が強く道端の幟や竹林なども大きくあおられていた。

短歌

真っ白きうさぎの群れが跳ぶごとく荒波の立つ如月の海


 海に目をやると、三角波が立って瀬戸の海は荒れていた。そこで思い出したのが、小林多喜二の『蟹工船』である。その中に「兎が飛ぶどオーー兎が!」という一節がある。その日の瀬戸内海も荒れて、兎が跳んでいた。もちろん、『蟹工船』の北の海とは比較にならないが、それでも三角波が砕けて白い波が立っていた。兎が群れて跳んでいるように見えるのだ。そんな表情を見せる瀬戸内海もある。いくら穏やかな海だといっても、舐めたら大変なことになる。この海に呑み込まれた漁師は決して少なくない。そんな兎の跳ぶ如月の海だった。



「新日本歌人」

2016年2月27日(土) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【「新日本歌人」】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 広島の短歌の仲間から電話があった。「鬼藤さんの歌が、いいところに載っているよ」というものであった。詳しく訊いてみると、「新日本歌人」3月号の「月集」欄に、わたしの短歌が8首掲載されているということだった。「新日本歌人」という歌誌は、約500名の会員に、毎月8首の短歌を応募するように呼びかけている。それに応えて多くの会員が短歌を投稿している。

短歌

人生の岐路で短歌に出会いけり新たな地平にわれは立つなり

「新日本歌人」の月集に選ばれ人生が変わる予感するなり


 そして月集に掲載されるのは、そのうち12人(定型短歌)のみである。それにわたしの歌が選ばれたのである。わたしは「新日本歌人協会」に入ってちょうど1年になる。その間(かん)に、「わたしの歌が月集に載ることなど、生涯にわたってないのではないか」と、悲観的な想いで過ごしてきた。それが幸運にも、3月号に注目作として載ったのである。この1年約1200首詠み、一日3首書き写しをし、一日数十首読むことを課した努力が報われたように思う。追ってその作品をこのブログでも紹介していきたいと思っている。これを契機にわたしは「新しい地平に立つ」ことができたように思う。また、わたしの生き方、人生も変わってゆくような予感がする。



和夏奈(2)

2016年2月26日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【和夏奈(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしには7人の孫がいるが、和夏奈はもっとも幼い孫である。誕生して6カ月になるかならないかといったところだ。大きい孫は今春高校を卒業することになっている。そんな孫たちの中で、6カ月前後の和夏奈はとても可愛い。だから、短歌をやる人のなかには、「孫は可愛いに決まっているのだから、安易に短歌に詠むな!」と、いう人がいるくらいである。

短歌

久し振りに孫の和夏奈がやってきて吾を見つめて微笑み返す


 つまり、歌が甘くなるというのである。わたしの短歌も、その甘さがあらわれている歌そのものである。しかし、実際のところ和夏奈は可愛いし、歌にもしたくなる。甘くなるということは、真実から遠ざかるということでもあるのだが、わたしはそのことを配慮しつつ、これからも和夏奈を詠っていくような気がしている。6カ月前後だと、明瞭には人の顔を認識できないのではないのだろうか。まだぼんやりとしか見えていないのかも知れない。しかし、わたしがあやすと微笑み返してくる和夏奈である。



冬陽に誘われて

2016年2月25日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【冬陽に誘われて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 2月はまだ冬のただなかにある。しかし気温が上昇し、冬陽がやわらかく射し込んでくると、春の一日を思わせる。そんな日には子どもたちは、家に閉じこもっていることを嫌がり、防寒着をぬいで外へ出たがるのである。先日もそんな日があった。わたしが海に近い公園に行ってみると、子どもたちが母親に連れられて、何組もきていた。

短歌

菜の花の咲く公園で幼な子が高き声あげブランコに乗りぬ

水ぬるみ花鯉の泳ぐ公園で幼な子たちが高き声上げぬ


 幼な子たちは、母親に見守られながら、いろんな遊具に乗って遊んでいた。ブランコや滑り台、ジャングルジムに登ったり、乗ったりして楽しんでいる。公園には小さな池がつくってあって、花鯉(錦鯉)が泳いでいる。紅白の色鮮やかな緋鯉が、尾びれを振ってゆったりと泳いでいた。その傍の遊園地で、幼な子たちが、高い声を上げてはしゃいでいる。子どもたちは、きびしい冬を越えて訪れた春のような一日を楽しんでいる。子どもたちのソプラノの高き声が、公園に響きわたるのである。



如月の海(2)

2016年2月24日(水) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【如月の海(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは読書をして疲れたりすると、海を見にゆく。わたしの家のベランダからも眺められるが、やはり潮の香をかぎ、潮騒を聴くために海にでかける。海を身近に見るのには格好の場所がある。岬のように突き出たところに小さな広場があって、そこから眺める瀬戸内海は絶景である。その岸辺にひたひたと波が打ち寄せ、それが白く砕ける。波音も気持がいい。そこでメモ用紙を出して歌を創ったりすることもある。

短歌

ひたひたと寄せくる潮が岸を打ち騒立つ波が白く砕ける

はるかなる水平線が弧を描く風花が舞う如月の海


 目を転ずると、はるかな島影に水平線が弧を描いているのが見える。180度開けた瀬戸内海である。そんな海に風花が舞うことがある。海の上空は青く晴れているのに、小雪がちらつくのだ。それは北の空から飛ばされてくる雪のカケラのようなものである。海は光っている。しかし風花が舞う。わたしは車のなかでその光景をしばし眺める。それはまさしく如月の海である。



おとうと

2016年2月23日(火) 曇り

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♪♪♪ 【おとうと】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いま弟は札幌にいる。もうずいぶん会っていない。彼と会ったのは、ちちははが他界したときだから、ずっと前のことになる。彼は大手の建設会社で役職についていたが、定年退職してのんびり暮らしている。この弟はデキがよくて、わたしは何をしても叶わなかった。たとえば将棋をしても、わたしはいつも負けてばかりいた。縁側に将棋盤を出してやるのだが、わたしは卑怯そのもので、形勢が不利になると、将棋盤をひっくり返したりしたものだ。

短歌

弟に勝るといえば文学で敵わなかったスポーツ勉強


 将棋で敵わないとなると、わたしは弟と相撲をとって打ち負かしたいと思うのだが、見事に敗れてしまうのだ。庭に円を描いて相撲をとると、いつも尻持ちをつくのはわたしだった。つまり、弟には勉強でもスポーツでも敵わなかった。よくデキた弟だった。しかしそんなわたしだが、文学だけは弟に勝っていたように思う。文学に勝ち負けなんてないので私のほうが、文学が好きだったというに過ぎない。まさに愚兄賢弟の典型のような兄弟だった。そんな弟ははるかな北海道にいて、会うこともままならない日々である。



冬芽

2016年2月22日(月) 曇り

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♪♪♪ 【冬芽】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 隣の街の市議会選挙に出る知人の応援に時々赴いているが、その時庭先にいた婦人がわたしを認めて声をかけてきた。「兄さん、これを見て、霜の降りるような寒い日がつづくのに、百合が、ほら芽を出しているんよ」と、わたしをそこへ連れていった。よく見ると、芝生のほとりで、百合の鋭い芽が土から覗いていた。まだまだ小さく、土からほんの僅かに顔を出しているに過ぎなかったが、その芽は鋭く錐のように土中から突き出ている。

短歌

市議選の応援にゆき庭先に鋭き百合の冬芽を見たり


 その時、思い出したのは、宮本百合子の言葉だった。

うららかな春は
きびしい冬のあとに来る
可愛い蕗のとうは
霜の下で用意された


この百合の芽も、「霜の下で用意された」ものである。まだ、春への道のりは、一進一退をつづけているが、しかし、百合や蕗のとうは確実に春へと向かっている。まさに、「春遠からず」である。



街をゆく

2016年2月21日(日) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【街をゆく】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは普段、田舎に引っ込んでいるが、たまに街に出かけることがある。街の雑踏の中、人をよけながら歩んでゆくことがある。たまに街を歩くというものはいいことだ。人が多くてわずらわしく、疲れるということもあるが、人いきれ、つまり人の身体の熱気やにおいに触れると、こちらも活気がみなぎってくることがある。啄木は詠っている。

ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみのなかに
そを聴きにゆく


わたしも人ごみのなかに、自分を押し出してゆきたいと思うことがある。

短歌

街をゆけば雑踏のなか別れたる君が過ぎ去りわれは振り向く


 そんな街を歩いていると、ふとむかし別れた女性に似た面影に出会うことがある。「あ!」と思い、思わず振り向いてみてしまう。その女性のうしろ姿をいつまでも眼で追っている自分がいる。とても懐かしく、むかしの思い出が一瞬に甦ってくる。あるいは、わたしが街に出てゆくのは、そんな彼女をどこかで求めているのかも知れない。



短歌会

2016年2月20日(土) 雨時々曇り

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♪♪♪ 【短歌会】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの参加している短歌会には各世代の人たちが集っている。60歳代から100歳代の、初老から年を重ねた人たちまでが加入している。言って見れば、年を積み重ねた人たちの集まりである。世間的には老人に違いないが、しかし短歌をやっている人たちは、老人とは言い難い精神的な若さがある。だから、たとえ100歳(夏には101歳になる)の人でも老人と呼ぶにはどこか違和感がある。わたしは68歳であるが、それらの人たちを決して老人とは呼べない。

短歌

年老いた人らが集う短歌会各年代の生きざまを見ゆ


 わたしは短歌会のなかで、70代、80代、90代、100歳代の人たちと付き合っているが、その人たちの生きざまを見ると、とても励まされる。もうすぐ101歳の人は、自分で食事をし、掃除をし、風呂にもひとりで入る、そして短歌を創る。90歳代の人は、毎日畑仕事をし、グラウンドゴルフをし、短歌を詠んでいる。それらの人たちはわたしにとっての希望である。やはり、ものを創る仕事に携わることは、精神を若返らせるような気がする。わたしも生涯にわたって、短歌とともに生きてゆきたい、と願っている。



春一番

2016年2月19日(金) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【春一番】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 中国地方に春一番が吹いた。2月14日のことである。春一番とは、「立春後、はじめて吹く強い南寄りの風」と、広辞苑にはある。昨年より8日早いといわれている。西高東低の気圧配置が、南高北低の気圧配置になり、南風が吹いたのだろう。しかし、まだひとすじの道を通って、春に向かうというわけではない。これからも紆余曲折を繰り返しながら、春への道を辿るのが季節というものである。

短歌

冬ざれのわが故里に吹きぬける春一番が唸りを上げて


 春一番の吹いた日にはわたしは家にいたが、家の中の襖がガタガタと鳴って、風の強さを感じることができた。わが家は欠陥住宅かどうか知らないが、外の窓をすべて閉め切っていても襖が鳴る。窓はサッシなので殆んど音を立てないのだが、襖だけが大きな音を立てて鳴る。耳を澄ますと、裏山の木々も唸っているのが聴こえてくる。「ああ、これが春一番というものか」と、気象庁の発表よりも先にそう感じたしだいである。紆余曲折はあろうとも、季節は確実に春に向かって進むことだろう。歓迎すべきことだ。



バレンタインデー

2016年2月18日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【バレンタインデー】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしはそもそもバレンタインデーに、チョコを贈ったり、その他の贈り物をしたりすることに否定的である。それはメディアが大きく取り上げたり、業者の宣伝があったりして、本来の趣旨からはずれると考えるからである。バレンタインデーのたった1日で、チョコを年間売り上げの10パーセント以上、500億円以上売り上げるというから驚きである。いまやバレンタインデーは商業主義におちいっているように思えて仕方ない。

短歌

孫からのバレンタインの贈り物ややはにかんでそっと差し出す


 そのように考えているわたしのところに、女高生の孫がインターホーンを押してやってきた。誰かと思って玄関に出て見ると孫娘が、玄関の外に立っていた。彼女は玄関に入って、はにかみながら、わたしにチョコを差し出してきた。手作りチョコである。彼女はチョコを差し出すと、そそくさと帰っていった。彼女の恥ずかしそうな微笑みが印象的だった。このようなバレンタインは、とても心がこもっていて、ほほえましい光景である。わたしは爽やかな春の風が吹きぬけていったような心持ちになった。



日本の貧困

2016年2月17日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【日本の貧困】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 テレビでやっていたのだが、若い人たちの子どもを産みたい希望は、2~4人である。ところが、0~2人にとどまっている。その理由を尋ねていたが、その最大のものは、経済的理由によるものである。子ども育てるために必要な費用は、生活費などはもちろんであるが、保育・教育などに多額の金を要する。そして、顧みて自家の収入を眺めるとき、とても希望するだけの子どもは産めない、ということになっている。

短歌

金なくて子が産めないという異常 経済大国日本の貧困

子を産めぬ主たる原因は経済的理由によると若きらの声


 日本は世界で有数な経済大国である。そんな国で、望むだけの子どもを産めないということがあっていいのだろうか。わたしの棲む町は、人口約5500人で、有権者は実に4700人にものぼる。つまり、未成年者が圧倒的に少ないのが現状である。この現実は少子化を如実に物語っている。その主たる原因は、若い世代の貧しさにある。そして、その根っこにあるのは、経済大国、日本の貧困である。



ビラ配り

2016年2月16日(火) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【ビラ配り】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日も書いたように、わたしの知り合いが隣りの市議会議員選挙に立候補することになった。そこでわたしも、ささやかながら応援をしている。わたしが応援に入ったのは、雨が降る前の春の陽射しが降り注ぐ日である。二百枚のビラを配って欲しい、というものだった。わたしは天気もいいことだし、のんびりと村の人々と対話しながら、ビラ配布をすればいいと安易に考えていた。しかし実際のところは、極論すれば崖を登るようなところだった。

短歌

足腰の痛みをこらえ市議選のビラ配りゆく坂多き町

見上げれば萎えそうになる坂の町市議選のビラ配りぬくなり


 わたしの肺年齢は九十三歳という診断が出ている。したがって、わずかな坂道でも息が切れるのである。が、わたしが担当した集落は、わずかな坂道ではない。背後の山から瀬戸の海に斜めに落ち込んだようなところにある集落である。「坂の町」という表現は、甘いような気がする急峻な町だ。だから、わずか二百枚のビラを配るのに四時間もかかってしまった。集落の人々と対話するような情況ではなかった。息を切らしつつ、足や腰に痛みを感じつつ配るのがやっとだった。が、心が萎えそうになったが、配りぬくことができた。ひとつの小さな倖せを感ずることができた瞬間でもある。



野焼き

2016年2月15日(月) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【野焼き】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 雨の降る前の日は、全国的に快晴のところが多かったようだ。わたしは丘の上に登り瀬戸内海の光る海を眺めていた。まさに春の趣だった。太陽が照射する海は帯状になって、光りを返していた。丘から眺める島々は紫色に彩られて、海に浮かんでいた。はるか彼方に、四国山脈が霞んで見える。波も穏やかで、貨物船がゆっくり動いてゆくのが見える。

短歌

暖かな春の陽射しのおちこちで野焼きの焔と煙が上がる

枯れ草を熊手であつめ火を放つ焔と煙が噴き上げるなり


 ふと、野山や畑に目を転ずると、あちこちで煙が上がっているのが見えた。野焼きである。農民が春のような陽射しに誘われて、農作業をしているのだ。よく見ると枯れ草や木切れを一カ所に集め、火を放っている。その火はたちまち燃えあがり、焔と煙を噴き上げてゆく。焔は風に揺れながら、空をめざして伸びている。農家の人にとっても、待たれていた春がようやくやってきたという風情だった。これからも、一進一退を繰り返しながら、春へと向かうのだろう。



うどん

2016年2月14日(日) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【うどん】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「アベノミクス」と言って、経済の再生をうたい文句に登場したアベ政治は、わたしたち庶民に、豊かな暮らしをもたらしただろうか。たしかに財界・大企業は空前の儲けを上げ、内部留保も積み上げることになったが、労働者・庶民の暮らしの方は、悪化の一途をたどっている。財界・大企業が儲かれば、その恩恵が庶民に回るというトリクルダウンは、一向に機能しなかった。財界・大企業・富裕層と庶民の暮らしの格差をもたらしたのが、「アベノミクス」だったような気がする。

短歌

昼食は日ごと百円のうどんなり消費税上がり年金下がりて


 庶民にもたらしたものは何だったのだろうか。消費税・物価の高騰と社会保障の改悪だったのではないのだろうか。消費税は上がり年金は減額の一途をたどっている。そんな中で、庶民の生活防衛は大変厳しい情況におかれている。6人に1人の子どもが貧困層で、中には空腹を満たすために、チッシュを口にする子どもいるらしい。それは他人事ではない。わたしも昼食は1玉35円のうどんを買い、それに蒲鉾、天ぷらを刻んだものを添えて食べている。たぶん一食百円に満たない昼食ではないだろうか。こうした暮らしを余儀なくされている。財界・大企業への優遇策をやめ、庶民のふところが温まる政治への転換は急務である。



新しき家

2016年2月13日(土) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【新しき家】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 看護師をしている長女から、先日電話があった。新しい家を求めるというものである。わたしはかねてから、コーポの家賃を払うよりは、思い切って家を購ったほうが賢明だよ、と助言をしてきていたのだが、それがなかなか受け入れられなかった。長女の家は三人の子どもがいて、夫も看護師である。だから、うまく遣り繰りしさえすれば、新しい家を求めることができると考えていた。

短歌

長い夜過ごす看護師の長女なり家を持つとう嬉しき知らせ


 わたしにとっては、長女からの電話は嬉しい知らせとなった。月の三分の一近く夜勤をする長女は、大変な重労働である。人が休んでいるときに、長い夜を過ごすのである。そんな彼女の夜勤明けに休むコーポは狭く、ゆっくりと寝に就くこともできない。わたしは重労働につく彼女が、伸び伸びと暮らせるような家を望んできた。それが叶って、わたしは心から喜んでいる。



憂う日々

2016年2月12日(金) 曇り

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♪♪♪ 【憂う日々】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 冬の陽がリビングに斜めに射し込んできている。レースのカーテンを黄金色に染めて、柔らかい陽が卓上に降り注いでいる。朝のひととき、そこで温かいコーヒーを淹れて飲むというのは、至福の刻である。わたしはコーヒーを飲みながら、壁にかかっている静物画を眺めたり、時計の秒針の音が鳴るのを静かに聴いたりしている。また、「しんぶん」を開いて、見出しに目を通したり、四コマ漫画を楽しんだりする。

短歌 (「新日本歌人」2月号に掲載)

リビングで珈琲を飲むこの平和いつまで続くと憂う日々なり


 まさに平穏で平和なひとときである。しかし、最近の社会や政治の動向を見るとき、この平和がいつまでつづくのだろうか、という不安、危惧を抱かざるを得ない。最近、憲法9条を変えようというような発言があいついでいる。日本の憲法は、戦力不保持、交戦権を否定している世界でも稀なすぐれた憲法である。それを解釈改憲から明文改憲へと、突き進もうとしている。リビングでゆっくりとコーヒーを飲む平和が、くずされようとしている。それを憂う日々である。



多喜二

2016年2月11日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【多喜二】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 小林多喜二の小説は好きだ。彼の本に出会ったのは高校生のときである。文芸部に入っていろんな本に接してゆくうちに彼に出会った。文芸部では内外の名作に触れたように思うが、わたしの心を打ったのはやはり多喜二だった。とくに彼の「蟹工船」や「一九二八・三・一五」は、烈しくわたしの心を揺さぶった。

短歌 (「新日本歌人」2月号に掲載)

「このままじゃいけない」とまず部屋をはき多喜二の本を取り出して読む


 「我々の芸術は、飯を食えない人にとっての料理の本であってはならない」と、多喜二は語っている。それを彼は実際の創作のなかで、自ら実践した人である。高校時代から20代に読んだ彼の作品の数々は、今もわたしのなかで息づいている。少し自分の心が萎えたときには、今でももう一度、多喜二に会いたくなる。彼の本はわたしにとって、永遠の友である。彼の本はもう卒業したということはなく、折々に本棚から取り出して読んでいる。



小百合の祈り

2016年2月10日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【小百合の祈り】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 『吉永小百合の祈り』という本は、真っ白で、清潔感にあふれ清純そのものである。図書館に購入のリクエストをしていたもので、先日入ったという知らせがあって、すぐに駆けつけて借りてきた。とても読みやすく一気に読んでしまった。この中で印象に残った吉永小百合の言葉は、「戦後何年という言い方が、ずっと続いてほしい」というものである。それは小百合が、最近の情況を目にするとき、新しい戦争への危惧をいだいているということだろう。

短歌

核ノーの真白き本に込められた『吉永小百合の祈り』を読みぬ

静かなる苦悩と怒りを表白す『吉永小百合の祈り』を読みぬ


 小百合が原爆詩の朗読を初めてしたのは、1986年2月22日に渋谷の山手教会だった。それから今日まで、原爆詩の朗読は彼女のライフワークとなって、多くの人々の共感を得ている。彼女は本の中で語っている。「やはり戦争っていうのは、人間を……、人間同士が殺しあうことですよね。やはりどんなことをしても避けなければいけない (中略)
原爆は、二度と地球で使われてはいけない。核廃絶ということ……、声に出して言いたいと思います」この言葉は、小百合の苦悩と怒りと祈りである。この本が多くの人に読まれることを祈ってやまない。



熱帯魚

2016年2月9日(火) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【熱帯魚】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 前立腺肥大ではないかと思って泌尿器科を受診した。この頃、調子がよくないのである。泌尿器科の受付にゆくと、椅子は満席であった。多くの人が泌尿器のトラブルで困っているのを目の当たりにした。わたしはひと安心して順番のくるのを待った。そしていろんな検査をして貰った。前立腺肥大はもちろんのこと、ガン検査まで受けた。前立腺ガンはわたしの恩師も、そして友人も罹っているので、気が気ではなかった。

短歌

気をもみつ待合室の熱帯魚診察結果を待ちつ眺むる

群れ泳ぐ熱帯魚を眺めつつ診察結果を気を揉んで待つ


 検査結果が出るまでには、しばらくの時間があった。待合室には熱帯魚の水槽がしつらえられている。熱帯魚は光りを返して鮮やかに輝いている。浮いたり沈んだりしながら尾びれを小さく振って泳いでいる。わたしは気を揉みながら見ていたが、いつのまにか熱帯魚に夢中になっていた。熱帯魚がこれほどに患者の心を静めてくれるとは不思議だった。泌尿器科にもどって検査結果を聞くと、前立腺の肥大はいくらかあるものの、ガンではないということだった。わたしは安堵して、足取りも軽く病院をあとにした。



如月の海

2016年2月8日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【如月の海】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 二月の瀬戸の海はいろんな表情を見せる。言ってみれば、一日として同じ表情はないということである。短歌で詠ったのはごくごく一部の瀬戸の海だ。寒波がやってきて北風が吹くと、空は鈍色(にびいろ)に垂れ込め、波立ち荒れるという表情も持っている。海には三角波が立ち、多喜二が書いたように、兎が飛ぶような表情も見せるのである。また、荒れるということはないが、鈍色の空と鈍色に沈み込んだ静かな姿も見せる。そうなると水平線はけぶって、空と海が溶け合うのである。

短歌

鈍色に垂れ込めた空鈍色に波立ちうねる如月の海

鈍色に垂れ込めた空鈍色に深く沈んだ如月の海


 そして天気のいい日には、瀬戸の海は「ひかる海」となる。冬の陽射しが射し込んでくると、蝶が乱舞しているようにきらめく。光りのカケラが、まるで蝶が舞っているように耀くのである。わたしはその蝶を飽くことなく見守っていたりする。その海は春の予感をともなって、たゆたっている。このように瀬戸の海は、いろんな表情をわたしたちに見せるのである。



柔らかい陽

2016年2月7日(日) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【柔らかい陽】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 この季節の陽射しはとても貴重なものである。肩をすぼめて生活していても、ほっと肩の筋肉がゆるむようだ。この時季の太陽は軌道が低くて、部屋の奥の方まで射し込んでくる。これからしだいに軌道は高くなってゆくが、今はまだ部屋に斜めに降り注ぐ。まっ白い障子を黄金色に染めて、部屋をぽっと明るくする。そうして障子も開け放って光りを取り込むのである。

短歌

立春の柔らかい陽がちちははの眠りし墓に斜めに射しいる

立春の柔らかい陽が射し込んで白き障子を黄金に染める


 ちちははの眠る墓にも柔らかい陽射しが斜めに射し込んでくる。ちちははは、男ばかりの4人の子どもを戦中から戦後にかけて、懸命に育てたように思う。もっとも厳しい社会、経済状況のなかで子育てをしたのを思うとき、ちちははへの思慕はつのるばかりである。父もそうだが、特に母はいつ寝ているのかと思うほどに、朝から深夜まで働きづめだった。その、ちちははの墓にも冬の陽射しが、柔らかく降っている。もう一カ月もすれば、周りの山からウグイスの啼き声が聴こえてくるだろう。



熱きコーヒーを飲む

2016年2月6日(土) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【熱きコーヒーを飲む】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの知り合いが隣りの街に棲んでいて、4月に催される市会議員選挙に出るというので、少しだけ手伝っている。先日には、本人の市政に対する抱負を刷ったチラシを配布した。新人なので知名度がほとんどないということで、顔写真入りのチラシを一戸、また一戸とひとつの集落を受け持って届けて歩いた。
その集落はわたしの町と同じようなところで、坂の多いところである。海風も強く吹き付けてくる。


短歌

震えつつビラ配り終えゆっくりとリビングで熱きコーヒーを飲む


 立春といってもまだまだ寒い日がつづいている。坂の上なので風がよく通るのである。その坂道を辿りながら、200戸ほどの家にチラシを配った。そうすると、身体が冷えて手がかじかんでくる。震えながらの作業であった。が、知り合いの当選を祈りつつ、無事にチラシ配りを終えた。わたしは急いで自宅に帰り、リビングで熱いコーヒーを淹れて飲んだ。熱いコーヒーが身体を温め、疲れを癒してくれた。熱きコーヒーに感謝である。



三十四の瞳

2016年2月5日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【三十四の瞳】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、春センバツの出場校が発表された。その中に、小豆島高校が含まれていた。21世紀枠での出場である。わたしはおおいに歓迎するものである。小豆島といえば「二十四の瞳」でよく知られた島だ。「二十四の瞳」では、12人の子どもたちのうち、5人が男である。5人のうち3人が戦死している。短歌で詠んだ「タンゴ」(森岡正)も出兵し戦死している。ソンキ(磯吉)は、戦争で盲目となった。そんな「二十四の瞳」の島からの出場なのである。

短歌

「二十四の瞳」の島より甲子園 タンゴよ起きろボールを投げよ

「二十四の瞳」の島より甲子園 三十四の瞳かがやく


 小豆島はわたしとの縁も深い。20代の頃には、市役所の仲間とオートバイでツーリングをした思い出があるし、「二十四の瞳」は繰り返しくりかえし観賞し、壺井栄の原作も何回か読んだ。その小さな島からの出場を、小躍りするような気持で喜んでいる。部員はわずか17名(三十四の瞳)である。大都会の100名前後の部員数を要する高校と比較すると、大きなハンディがある。しかし、21世紀枠らしく、溌剌と元気よく、投げ、走り、打ってほしいと願っている。きっと、大石先生も見守っているに違いない。



降りしきる雨

2016年2月4日(木) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【降りしきる雨】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 猛烈な寒波のあと、平年並みかそれ以上の気温にもどった。寒波のあとだけに、ほっと身体が温まるように感じてしまう。そのあと2~3日雨が降った。通常ならこの時季の雨は、氷雨(ひさめ)といわれる冷たい雨のはずだが、そうは感じなかった。2日目は降りしきる雨が大地を叩いて、雨音も部屋に届いてきた。

短歌

降りしきる雨、雨、雨が大地うちわれは出でゆく「しんぶん」配り

降りしきる雨よあなたは春の使者かすかに匂う春の兆しよ


 しかしこの雨は、春雨の趣があった。この日も「しんぶん」を配りに出たが、身体を打たれても冷たいというふうには感じなかった。それよりも春の匂いをかすかに乗せて降っていた。まさに春の使者のような雨だった。春の兆しを感じさせる雨である。ちなみに、「春の使者」というような言葉は、「エッセイや短歌の世界」では、常套句として敬遠されている言葉である。テレビや新聞ではしきりに使われるが、文学の世界ではあまり使わない。が、わたしは今回の雨を「春の使者」のように感じたしだいである。



カルガモ

2016年2月3日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【カルガモ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 山の上の集落に池がふたつもある。田んぼも殆んどないのに、なぜか不思議な光景だ。が、やはり田畑の農作業と、防災などのために使われてきたのだろう。その池のひとつにカルガモが棲みついている。誰かが放したのだろうか、二十数羽も群れている。冬のやわらかい陽射しを浴びてたわむれている。わたしは車を道の脇に停めて、カルガモの仕草をじっと眺めていた。

短歌

カルガモが池の水面を切りてゆく冬の碧空映して青し

カルガモの群れがたわむれ冴えざえと池の水面に波紋が泛ぶ


 カルガモが水面を切って進んでゆく光景は、なんとも愛らしい。カルガモが胸を突き出して前へ進み、そのあとには扇形の水紋ができる。カルガモの胸はふくらみ、それを突き出し堂々と水面を切ってゆく。数羽がそんな仕草をしているが、あとは群れをつくって戯れている。その光景を眺めていると、飽きるということがない。しばらくしてわたしはそこを離れたが、冬の碧空を映して水面は青くかがやいていた。



希有な人

2016年2月2日(火) 曇り

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♪♪♪ 【希有な人】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは20代に、ある先輩から小説を書くように勧められ、日本民主主義文学会(当時は日本民主主義文学同盟)に加入して、小説を書くようになった。一時期、仕事に追われ離れたことがあったが、57歳からまた夢中になって、10年間書きついできた。その間、岡山支部の事務局長や支部長を任されてやってきた。そして10年間の小説をまとめ、「鬼藤千春短編小説集」を上梓した。それを区切りに小説から短歌へとジャンルを替えた。

短歌

四年間に「民主文学」四百部増やしし人に励まされおり


 最近、「民主文学」の2月号を取り寄せて、感動したことがある。それは小説や評論に胸打たれたのではなく、「民主文学」という文芸誌の拡大についてである。その記事によると、「民主文学」を四百部拡大したというものだった。わたしはその記事に疑問をもった。わたしの読み間違いではないかと思い、何回もその記事を読み直した。そして直接本人に電話して尋ねると、「四年間に四百部」拡大したということだった。わたしの経験からいうと、そんなに増えるものではない、というのが実感である。わたしは10年間で2~3部しか拡大できなかった。まさにこの人は「希有の人」である。わたしはもう「民主文学」を拡大することもないと思うけれど、「諦めたら、アカンゼ!」というその人の言葉は、強く心に残っている。わたしは「しんぶん」を増やすという仕事に関わっているので、その人の行動と言葉に限りなく励まされている。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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