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新たなる年

2016年1月1日(金) 晴れ時々曇り

 ようこそ、当ブログにご訪問いただきまして、誠に有り難うございます。心より感謝申し上げます。

 ブログをお持ちの方のご訪問につきましては、毎日訪問させて頂いていますので、どうか今後ともよろしくお願い致します。なお、お持ちでない方への訪問はできませんが、ひきつづきご愛顧を賜りたく存じます。

 拍手コメントには、ご返事できていませんが、拝読させて頂いています。これからもどうぞお気軽にお寄せ下さい。 千春



♪♪♪ 【新たなる年】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 新年明けましておめでとうございます。昨年は何かとお世話になり有り難うございました。どうぞ、本年もよろしくお願い致します。

 何となく、
 今年はよい事あるごとし。
 元日の朝、晴れて風無し。


 これは石川啄木のよく知られた歌ですが、わたしもそのような心境で、新しい年を迎えることができました。1912年元旦、啄木はその前年に慢性腹膜炎および肺結核を発症し、校正の仕事に就いていた新聞社への出勤も途絶えがちで、極貧のなかにありました。そういう背景を頭に描いてこの歌を読むとき、切なくなると同時に何かしら、希望を抱かせるものになっていて優れた短歌のように思います。

短歌

新年は何かいいことありそうな朱に染まりたる陽が光るなり

新年に世界の平和祈りつつ朱に染まりたる朝日を迎える


 私の棲む岡山も啄木が詠ったように、おおむね晴れて風もない状態で「新たなる年」は、「何かいいことがありそうな」予感がしています。NHKのゆく年くる年は、毎年欠かさず観るようにしていますが、寺や神社へお参りするみなさんのようすを見ていると、どうか新年が穏やかで平和な年であってほしいと、願わずにはいられません。わたしは今年も健康で、ブログの更新が毎日できることを祈っています。写真などもなく、何の変哲もないブログですが、どうぞお気軽にご訪問下さるようにお願い致します。



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生きる力

2015年12月31日(木) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【生きる力】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 2015年も今日で終わりです。まずご挨拶を申し上げなければならないのは、わたしのブログに訪問して下さった方々への感謝の気持です。日々の生活で忙しい中、時間を割いていただいて誠に有り難うございました。新しい年も毎日更新することをめざしてゆくつもりですので、引き続きよろしくお願い致します。また、皆様方にとって来たるべき年が、よりよき年になりますように、心からお祈り申し上げます。

短歌

柔らかい冬の光が射し込んで生きる力をわれに与える


 わたしにとって、2015年は大きな転機となる年でした。20代から始めた小説に一応終止符を打って、短歌というジャンルに挑戦を始めた年でした。短歌をはじめて約1年になりますが、右も左もわからないまま、ほとんど毎日欠かすことなく詠んできました。その数はおおよそ1200首になります。わたしのブログは、「短歌とエッセイ」のコラボレーションなので、「いい短歌」ができないと「いいエッセイ」が書けません。2016年も生活の中心に短歌をおいて、いいエッセイを書いてゆくつもりです。そして、皆様方に親しんでもらえるブログをめざしてまいりますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。最後に、「よいお年をお迎え下さい!」、心よりお祈り致します。



図書館にて

2015年12月30日(水) 晴れ

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♪♪♪ 【図書館にて】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町の図書館は海に向かって開いた窓に添って、閲覧用の机が設置されている。椅子に座れば瀬戸内海が一望できるのである。こんなに恵まれた図書館もめったにないに違いない。だから、本や雑誌を投げ出して、しばらくぼんやりと海を眺めることも少なくない。カモメが飛び、漁船が白い尾を曳いて滑るように走ってゆく。ときには比較的大きい魚が飛び跳ねて、波紋をつくるのが見える。

短歌

図書館の窓に広がる青い海 本も雑誌も読まず眺める


冬の日に小島のようなタンカーが図書館の窓を横切ってゆく

 私の町の東には、日本でも有数なコンビナートがある。倉敷市水島の臨海工業地帯である。製鉄所、自動車製造工場、製油所などなどが広大な土地を占有している。そこへ出入りする貨物船が終日行き交っている。なかでもタンカーは巨大である。海を眺めていると、小島のようなタンカーが図書館の窓をゆっくりと横切ってゆく。また、海の果てに白く輝く瀬戸大橋が倉敷から四国へと貫いている。近隣の街からそれをひと目見ようと、やってくるくらいである。図書館から眺める海は、決して飽くということがなく、さまざまな風景を見せてくれるのである。



「しんぶん」配達

2015年12月29日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【「しんぶん」配達】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「しんぶん」の配達はこれからが辛い季節になってゆく。今年は暖冬でいくらか辛い気分も薄らいでいるが、しかし先日は岡山でも氷点下になった。そのときちょうどわたしの「しんぶん」配達日で、寝床にいる時から部屋の冷気が感じられた。玄関を出て駐車場までゆくと、フロントガラスは凍っていた。手袋をはめて削ろうと試みたが、滑っていっこうにはがれない。

短歌

にちにちに寒さがつのる師走なり風に真向い「しんぶん」配る


 そこで近くにある水道管にホースをつないで、フロントガラスに水をかけた。するとようやく氷が解けて視界が開けてきた。師走になって、三度そういう作業をして配達に出かけた。まだ12月である。これから1月、2月とにちにちに寒さがつのってくるだろう。が、楽しみがないわけではない。夜空が澄んで星や月が綺麗に見えたり、朝日の昇ってゆく瞬間は感動的である。1月2月を超えれば、もう3月である。「明けない夜はない」と言われるように「明けない冬もない」のだから、「冬来たりなば春遠からじ」である。そんな思いで、「しんぶん」の配達に精を出してゆきたいと思っている。



海が染まる

2015年12月28日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【海が染まる】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)


 どこから望む朝日も美しいにはちがいないが、瀬戸の日の出もまた「あ!」と声を挙げたくなるような美しさである。瀬戸の朝日は多島美で知られる大小の島影から立ち昇ってくる。はじめ爪のような太陽が半円になり、円となってくれないに空を染め、海を染める。村は金色に染まり深い眠りから目覚めてゆく。

短歌

島影に朝日が昇り海を染め老婆がひとり手を合わせいる


 その朝日に向かい手を合わす老婆に、時折りでくわすことがある。何を願い、何を祈っているのか知る由もないが、その姿は実に印象深いものだ。が、一日の平穏を祈り、感謝を捧げているような思いが伝わってくることはたしかだ。空を染め、海を染め、村を染めゆく朝日は、かけがえのないものである。



瀬戸の砂浜

2015年12月27日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【瀬戸の砂浜】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる


 これは有名な石川啄木の歌であるが、いったいこの「東海の小島の磯」は、どこを指しているのだろう。いろんな説があるが、ここは函館の大森浜を念頭に置いて詠われたというのが定説らしい。ここはわたしも訪ねたことがある。もう随分むかしのことで記憶はうすらいでいるが、身体と心にかすかに残っている。たしかハマナスが風に揺れ、光を浴びていたように思う。

短歌

冬の日に瀬戸の砂浜歩きたり砂を掬うとはらはらと落つ


 「東海の小島の磯」の砂は白砂だったと詠われているが、わたしの棲む「瀬戸の小島の磯」の砂も、白砂と呼んでも間違いではないだろう。その砂浜は100メートルくらいもつづいており、美しい浜である。夏にはいくらか賑わうのだが冬の砂浜には誰もいない。まさに「誰もいない海」である。その浜をひとり歩いてみる。足跡だけが淋しそうにその痕跡をとどめている。たわむれに両手で砂を掬うと指の間から、はらはらと乾いた砂が落ちてゆく。冬の砂浜は真実淋しいものである。



岬の果て

2015年12月26日(土) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【岬の果て】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町は瀬戸内海を抱き込んだ入り江の町である。したがって西と東に牛の角のような岬が突き出ており、その岬と岬を結んで入り江ができている。その入り江の背後には山があり、海辺と山との間の斜面に家々が建って人々が暮らしている。だからわが町は坂の町でもある。平野というか平らな土地はごく僅かだ。町の西部に平らな土地が少しだけあって、畑や田んぼをつくっている。

短歌

春雨に岬の果てはけぶりおりかすかに見える低き稜線


 わが町の東には、岬がずっとつづいている。むかし「岬めぐり」という歌が流行(はや)ったことがあるが、まさにわが町から隣りの街まで行こうと思えば、岬をめぐってゆくことになる。隣りの街まで病院へ行ったり、映画を観に行ったりするときは、「岬めぐり」をしてゆくことになる。春雨でその岬がよくけぶることがあるが、岬の果てに低い稜線がかすかに望める。海を見ながらの「岬めぐり」もまたいいものである。



眉月

2015年12月25日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【眉月】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 恥ずかしながら、眉月(まゆづき)という言葉を知ったのは、今年になってからのことである。広辞苑によると、「女の眉に似た細い月」というふうに、記されている。それまでわたしは、細い月を見ると「爪の先のような」とか、「玉葱を切ったような」という表現を使っていた。それも悪くないと思うけれど、眉月というほうがぴったりとくる。しかし、「爪を切ったような細い月」というのも捨て難く、これからは両方使い分けるようになるように思う。

短歌

眉月が西の空にて光りおり風立つ池に月影ゆらぐ


 わたしが夜空を見上げるようになったのは、ずっと遅く定年になって第一線を退いてからである。それまでは仕事に追われて夜空を見上げるという余裕もなかった。しかし最近はしばしば夜空を見上げることが多くなった。星座はまだ詳しくないが、少しずつ覚えていっている。「明けの明星」などを見つけると、やはりちょっとした感動に包まれる。星座や星の名前を知ることによって、自分の世界が広がってゆくように思えるので、これからもときどき、夜空を見上げてみたいと思う。そして、「爪の先を切ったような月」にも出会いたいものである。



朝霧晴れて

2015年12月24日(木) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【朝霧晴れて】 ♪♪♪  (短歌とエッセイ)

 瀬戸内海はそれほど霧が立つ海というわけではない。北海道の北部太平洋では夏になると、海霧(かいむ)がよく発生するらしい。「海霧のある原野」という小説があり、1978年に窪田精が多喜二・百合子賞を受賞しているくらいである。瀬戸内海では広島県・三原沖の海霧(うみぎり)が有名である。しかしわたしの棲む町の沖合いに、頻繁に海霧が発生するということはない。

短歌

瀬戸の海朝霧晴れて広がれり水平線は弧を描くなり


 だが、時折り岡山と高松を結ぶフェリーの連絡線が欠航するというくらい濃い霧が発生することがある。霧が発生すると空と海とが溶け合って、水平線ははっきりと分からなくなる。まさに灰色の空、灰色の海が渾然(こんぜん)と溶け合うのである。その霧が晴れると、水平線がくっきりと浮かび上がってくる。海辺からそれを眺めると、水平線が弧を描いているのがよく分かる。太平洋や日本海のような遥かなる水平線ではなく、手を伸ばせば届くのではないかと思えるくらいの水平線だ。しかし朝霧が晴れると、くっきりと水平線が弧を描くのである。



墓参り

2015年12月23日(水) 曇りのち雨

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♪♪♪【墓参り】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 父・母、そして兄の墓参りはもう少し先でと思っている。たぶん大晦日になるだろう。その墓には多くの先祖が眠っているらしいが、わたしが知っているのは、父・母と兄のみである。祖父や祖母を知らないというのはどういうことだろう。それらの経緯(いきさつ)を両親から聞いたことがなかったし、こちらから訊くということもしなかった。怠慢といえばわたしの怠慢である。お墓の前に立てば、やはり父・母、そして兄の姿をくっきりと思い出す。

短歌

墓参り枯れ果てた花集め火を放つなり焔がゆらぐ


 お墓にゆくと、まず枯れた花を集めてそれに火を放つ。枯れた花は勢いよく焔と煙を噴き上げて燃える。そしてタオルを濡らしてお墓の汚れを落とすのである。ひと通り掃除が終わると、納骨室の入口を開け父・母、そして兄の壷を確認して手を合わす。そして花を手向け線香に火をつける。線香からはひとすじの煙が立ち昇ってゆく。父・母は九十歳を超えて亡くなったが、兄はわずか三十六歳だったので、思い入れは深く強いものがある。そこで歌をひとつ捧げたい。

父母・兄よ花たずさえてまた来たよお墓のなかは寒くないかい



カモメが騒ぐ

2015年12月22日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【カモメが騒ぐ】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが町の漁(りょう)は、ほとんど底引き網漁である。瀬戸内海は遠浅で、水面下の底が平らになっているということと関係しているのかも知れない。わたしは実際の底引き網漁に乗り合わせたことはないが、観光漁で何回か経験している。網を海に投じるとエンジンのパワーをあげるのだが、速度は極端に落ちる。やはり網を曳くというのは相当な負担がかかるのだろう。

短歌

黄昏に底曳き網を揚げるとき船を追いきたカモメが騒ぐ


 網を曳いてゆくと、カモメが白い翼を羽ばたかせて、そのあとを追って来る。カモメという鳥は、鴉(からす)などと違って、美しくその生態も上品に思っている方がいるかもしれないが、しかしその趣きはずいぶん違う。テレビの映像や絵画などでは美しく描かれることが多いが、餌を前にするとすっかりその姿を変える。底引き網漁の船を追尾してきて、網を揚げるときになると、カモメが群れ立って、いっせいに騒ぎ出す。優雅に見えるカモメが態度を一変させ、獰猛(どうもう)になるのである。やはり彼らも生きるために必死なのだろう。網を船に引き揚げると、カモメはいっせいに騒ぎ出すのである。



髪を切る

2015年12月21日(月) 雨のち曇り

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♪♪♪【髪を切る】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 年末に散髪にゆくというのは、普段とはちょっと違った心持ちででかける。わたしはだいたい3カ月に一度髪を切るのだけれど、今回は年を越すというわけにもいかず、早目に散髪にいった。いくらか時期が早かったのか、理容院には誰もいなくて、すぐに対応して貰った。今回の散髪は、ひとつには今年の小さな悔いを残さないように、それをすっぱりと切り落とすことである。今年も小さな後悔はいっぱいわたしの中に存在している。それを心残りのないように切ることである。

短歌

年末に悔いを残さず大小の決意を秘めて髪を切るなり

佳き年よ!やって来いよと祈りつつ決意も秘めて散髪に行く


 ふたつには、大きな願いと小さな決意を願っての散髪である。大きな願いといえば、やはり世界の平和を願わざるを得ない。小さな決意はいっぱいある。新年こそはウオーキングをつづけることや無駄遣いをしないように戒めることなどなどである。そしてちょっぴり金も蓄えたいなどと、小さな決意をしている。いずれにしても、2016年が佳き年となるように祈るばかりだ。小さな悔いと小さな決意を心に秘めて、長い髪を切って貰ったのである。



牡蠣(かき)船

2015年12月20日(日) 晴れのち曇り

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♪♪♪【牡蠣(かき)船】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが町は漁師町で底引き網漁が主体であるが、冬季には牡蠣の水揚げの最盛期である。牡蠣の生産の前は、海苔(のり)をつくっていたが赤潮などのために、色づきが悪く採算が合わないので牡蠣に替えた。それが大当たりで、岡山県では備前市に次ぐ生産量を誇っている。この季節には県外への出荷も多く宅配業者の店先には、箱詰めされた牡蠣が大量に山積みされている。

短歌

冬の海水面を切り裂き牡蠣船が妻たちの待つ港へ帰る


 海の沖合いには、牡蠣イカダが幾つもいくつも浮かんで、相当な面積を占めている。こちらの海岸で眺めていると、ウインチで牡蠣を吊り上げて、収穫しているようすがよく見える。それを牡蠣船に積み込んで、冬の海を滑るように白い尾を引いて港へ帰ってゆく。港では妻や家族の人たちが待っていて、水揚げを手伝うのだ。牡蠣の収穫のようすはわが町の冬の風物詩である。



金のなる木

2015年12月19日(土) 晴れ

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♪♪♪【金のなる木】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしはいまちょっとした倖せ気分で年末を迎え、送っている。玄関のポーチに置いていた「金のなる木」が、いっせいに花芽をつけたのである。この木は家を新築してずっと一緒に暮らしてきたのだが、いままでただの一度も花をつけたことがなかった。もちろん花を咲かせる育て方はあるらしいが、わが家ではほったらかしてきた。

短歌

新年に何かいいことありそうで金のなる木が花芽をつける

玄関の金のなる木が花芽つけ何かいいこと招く予感す


 その「金のなる木」がいっぱい花芽をつけたのだ。さっそく年末の宝くじを買いに行こうと思ったが、それはやめた。一等賞はドラム缶いっぱいの白い米の中から、一粒の赤い米を摘み出すようなものだと聞いたから、それはあきらめた。しかし、その赤い米を夢見て買う宝くじも「ちょっとした倖せ気分」を味わえるので悪くはない。しかし、新年は何かいいことがありそうな、そんな心持ちになっている。「金のなる木」の花芽は、宝くじを買い求めたような倖せ気分を抱かせてくれるのである。



冬の陽射し

2015年12月18日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【冬の陽射し】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 人間が日々生き、暮らしていくというのは、なかなか大変なことである。大病でなくても、虫歯になって痛くなったり、風邪を引いたりして熱や咳に悩まされる。また、経済的な悩みも尽きることがない。収入は減ってゆくのに支出ばかりが増えてゆく。たとえばわが家では築18年になるので、色んな器具、エアコンやガスレンジ、灯油のボイラーや洗濯機などが替えどきにきている。またいろんな人間関係にも悩まされる。

短歌

哀しくて生きてゆくのが辛い日は冬の陽射しが悩みを溶かす


 そんな生きてゆくのが辛い日が日々生起するのが人間生活というものだろう。そんななかを人間は、ひたすらに懸命に生きている。そういう辛い日にリビングでうつうつと過ごしているとき、冬の陽射しが部屋に斜めに入ってきたりすると、身体だけでなく心まで温めてくれる。そこで小さな倖せを感じることができる。小さな悩み、大きな悩みを冬の柔らかい陽射しが溶かしてくれるのだ。そこで人間は、「さあ!」と半歩、一歩と足を踏み出してゆくのである。



蝶のごとく

2015年12月17日(木) 曇り時々晴れ

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♪♪♪【蝶のごとく】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 冬になったので図書館通いを始めるようになった。それは暖房費の節約のためである。今年は暖冬のために、まだわが家では石油ストーブを出していないが、例年だともうとっくに出して使っている頃である。一日中ストーブを付けるとなると、灯油代に泣かされることになる。それを避けるために図書館にゆく。

短歌

乱舞する蝶のごとくに光る海白波立てて漁船ゆくなり


 図書館では、約30首の短歌を読むことと、3首の歌を書き写すことにしている。そしてメインは何といっても歌創りである。図書館の前に広がる瀬戸内海を眺めながら、素材を探したり休憩したりしながら、歌を創っている。そして「あ!」と思うことは、瀬戸の海にさざ波が立って、海に蝶が乱舞しているように見えることである。この蝶の乱舞は実に美しい。さざ波のカケラが一つひとつの蝶に見える。冬の海では光が柔らかいので、いまひとつなのだが、春の海の蝶の乱舞は実に見事だ。こうしてわたしは、図書館で冬ごもりとしゃれ込むつもりである。



降りしきる雨

2015年12月16日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【降りしきる雨】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日の雨は冬としては稀に見るものだった。日本各地で何年ぶり、数十年ぶりという報道もなされていた。岡山県では深夜から未明まで本降りの雨がつづいた。その雨音で目を覚ましたくらいだった。それは太平洋高気圧に覆われて気温が異常に高くなったからだろう。三重県の方では25度を超えたという報せも入った。この気温が烈しい雨を呼び込んだのだろう。

短歌

合羽着て「しんぶん」配る降りしきる雨の中へと踏み出してゆく

降りしきる雨の中へと出でてゆく合羽をつけて「しんぶん」配る


 わたしはその日「しんぶん」の配達日にあたっていた。深夜に雨音を聞きながら、憂うつな気持になった。雨の日の「しんぶん」配達は辛いものである。宮澤賢治は「雨ニモマケズ風ニモマケズ」というけれど、わたしなどは雨に負けそうになる。しかし「しんぶん」を配達しないわけにはいかない。思い切って、降りしきる雨の中へと出でてゆく。思い切って、足を踏み出してゆくのである。ふるさとで最も高い竜王山は、雨にけぶって乳色に染まっていた。乳色に染まった山もまたいいものである。



傘がなくて

2015年12月15日(火) 曇りのち雨

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♪♪♪【傘がなくて】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いまの日本の社会で傘がなくて、学校へ行けないという小中学生がいるのだろうか。そんな子どもはほとんどゼロだと思うけれど、しかし6人に1人の子どもが貧困状態におかれているということだから、何があってもおかしくない社会である。昨日のテレビでは、4人家族で税引き後の年間所得が約240万以下の家を貧困家庭というらしい。4人家族で240万以下というのは、やはり貧困状態と定義されてしかるべきだろう。

短歌

幼き日雨降る日には傘がなく学校休み空を睨むなり

幼き日降りしきる雨傘なくて学校行けず悔しむわたし


 だが、わたしの小中学校時代には、戦後の貧窮時代だったので、傘の買えない家庭が少なからずあったに違いない。たしかに言えることは、わが家は傘が買えなかった家のひとつである。だから小雨くらいなら学校へ行った記憶があるが、降りしきるような雨なら学校を休まざるを得なかった。学校を休み雨戸をちょっと開けて、級友たちのようすを眺めたり、雨空を睨んだりしていた。こんな話や蜜柑が食えなかった話を40代の文学仲間にしても、信じて貰えない。それほどにそのころの生活は窮乏していたのである。



ひこうき雲

2015年12月14日(月) 曇り時々晴れ

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♪♪♪【ひこうき雲】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 病院というところは何故こうも待たされることが多いのだろう。予約制なのに受診する科でまず待たされる。今日も「まだですか」と訊きにいった。次は診察料や処方箋を出す窓口である。受付票を握りしめて、番号の表示されるディスプレーをいらいらしながら眺める。そして次は薬局である。いまは薬局と病院は別になっているが、それでも30~40分待たなければならない。

短歌

冬の空青いカンバス裂くようにひこうき雲が真っ直ぐ伸びる


 そうして、やっと薬を貰い一回の通院が終了である。わたしは心が穏やかではない。いらいらした心持ちで家路につく。そんな晴れない気持で、なんとなく空を見上げた時である。初冬の青空にひこうき雲がくっきりと浮かんでいる。それがぐんぐん直線に伸びてゆく。そのひこうき雲は鮮烈で、「あ!」と声を挙げそうになるくらいだった。倉敷の大原美術館にある、真っ赤なカンバスをナイフで裂いたような絵を思い出した。冬の青空を裂いたようなひこうき雲もまた美しいものだ。が、それが軍用機でないことを祈るばかりである。



不肖の息子

2015年12月13日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪【不肖の息子】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが二男は不肖の息子である。こんなことを書くと息子は怒るに違いないが、子どものころから彼はやんちゃだった。友だちをいじめたり、学校の火災報知機を面白がって押したりというようなこともあった。その二男は双子の弟で、長男とはずいぶん性格が違う。長男は長男らしくと言おうか、物事の判断を理性的に行う。が、二男は感情の方が勝っていて、それに従って行動するようなところがある。

短歌

乳呑み子を連れて遊びにやってくる不肖の息子気は優しくて


 しかし、人間臭いのは二男の方である。言ってみれば、「男はつらいよ」の寅さんにいくぶん似ている。寅さんがだんご屋で、しょっちゅう騒動を起こすのは、人間臭さの表れである。それによく似ているのだ。村の祭りでも神輿の先達を務めたりして、村の人気者でもある。そんな彼がわが家にときどき遊びにくる。生まれたばかりの乳呑み子を連れてきたり、いま旬の「殻付きカキ」を土産に持ってきたりする。「不肖の息子」は、本当は実に優しい子どもである。



家計簿

2015年12月12日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【家計簿】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは安定した平穏な生活をするために、家計簿を付けている。家計簿というと、煩雑で面倒だという方がいるかも知れないが、わたしの場合はいたって簡単で一日2~3分もあれば事足りる。出費のない日も少なくないので、面倒だと思ったことは一度もない。買い物をすれば、ほとんどレシートが発行されるので、それをパソコンに入力するだけである。もう5~6年つづけている。

短歌

家計簿を付け見直せば今月もまた赤字なり溜め息をつく


 しかし、家計簿を付けていて溜め息をつくことが多く、最近その溜め息は深く大きくなっている。

はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る


 石川啄木に言わせると、「溜め息をつく」ではなく「ぢっと手を見る」ということになる。そして家計簿を付けていていいと思うのは、いまの社会と政治が台所からリアルに見通せるということである。年金の減額、国民保険料や介護保険料の増額、消費税の増税、物価の値上げなどなどが手にとるように分かる。その社会から目をそらさずに、真向かって生きてゆきたいものである。



青い焔

2015年12月11日(金) 雨のち曇り

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♪♪♪【青い焔】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、ガスレンジを新しいのに替えた。システムキッチンのガスレンジなので、高額な買い物になってしまった。毎月少しずつ貯金していたカネを相当吐き出した。嫁いでいる娘と、孫にそれくらいの金額を贈りたいと考えていたが、いま少し考え直さなければなどと思っている。しかし18年使ってきて、相当傷んでおり、コンロなどは欠けたり、青い焔でなくオレンジ色の焔が出たりして、不完全燃焼していた。ちょうど替えどきを迎えていたのだろうと思う。

短歌

ガスレンジの青い焔がほとばしるオデンの匂いが食堂に満つ

新しきガスレンジにてオデン炊く青い焔が烈しく噴き出す


 新しいガスレンジから噴き出す焔は、本当に美しい青い焔である。普通、ロウソクやスミや野焼きの火はオレンジであるが、プロパンガスの焔は青い、それがとても美しい。なぜ青色かというと、高温であるということと、完全燃焼しているということである。青い焔が美しいので、何回かスイッチを入れたり切ったりして、それを確認して眺めたりしている。焔の調節を強にすると、シューという音を発して勢いよく焔がほとばしる。これでよき新年を迎えられるはずである。



押し黙るなり

2015年12月10日(木) 曇りのち雨

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♪♪♪【押し黙るなり】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 先日、テレビでシングルマザーの家族の実態が放映されていたが、母親は病気になっても子どもが優先で、自分は病院に行かないと話していた。いま一般の人の自己負担は3割である。その母親はその3割負担も払えなくて病院に行かれないということだ。この高度に発達した先進国といわれる社会にあって、経済的理由で病院に行けない、行かれないという人が多数存在するというは、きわめて不条理である。

短歌

医療費の高きに驚き帰る道われと妻とは押し黙るなり


 わが家は病院に行けないというわけではないが、その負担は家計に重くのしかかっている。高額の国民健康保険料、高額の医療費に庶民の多くは泣かされている。わが家はわたしが2カ月に1回の通院、妻が3カ月に1回の通院をしている。その他に突発的に発症する内科や外科、歯科などにも足を運ぶことも少なくない。そして、先日のことであるが、妻の持病である腰痛の治療代を1万円も請求された。わたしは唖然とした。しぶしぶ払ったが、帰りの車の中でわたしは不機嫌に押し黙ったまま運転していた。それを察してか、妻も押し黙り気まずいまま家路を急いだ。こんなことのないような、平和で平穏な家庭を築く社会保障制度を望むものである。



信ずる道

2015年12月9日(水) 晴れ

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♪♪♪【信ずる道】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 これまでのわが人生は、筆舌に尽し難い困難や悩み、死へと傾きかけたことも一再ならずあった。幼少期、少年期は戦後の後遺症ともいえる貧窮に苦しんできた。思春期には身体的、精神的苦悩のなかで、とくに劣等感にとらわれて面(おもて・顔)を上げて生きてゆくということができなかった。わが人生に光と影があったとすれば、高校時代まではほとんど影の時代だといっても過言ではない。

短歌

ひたすらに信ずる道を五十年悔いなき人生歩みてきたり


 ようやくわが人生に黎明(れいめい・夜明け)が訪れたのは、高校時代からであった。それは高校の文芸部との出会いが、わたしの人生を大きく変えたということができるだろう。文芸部の活動のなかで、わたしは文学へ傾倒してゆくようになった。高校のときは「将来は詩人になりたい」というような、野望をいだいたこともあった。そして社会に出てからは、小説と運命的に出会うことになる。小説とのつきあいは67歳までつづき、「鬼藤千春小説短編集」を上梓して一応の決着とした。そしていま嵌(はま)っているのが、短歌である。短歌はわが人生の終焉までつきあうことになるだろう。このように見てくると、わたしは信ずる道を心に決めたままに五十年、生きてきたのである。



心をあつめて

2015年12月8日(火) 晴れ

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♪♪♪【心をあつめて】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは「しんぶん」の配達を、今月は週5日している。同僚が出張しているためである。この「しんぶん」の配達も難儀である。わたしは専任の配達員ではないが、週5日ともなると、「新聞屋」のようなものだ。とりわけ朝起きるのが辛い。これから寒くなると尚更である。先日の朝には霜が降りて、畑はうっすらと白く染まっていた。

短歌

二度三度足を運べど「しんぶん」の集金かなわず泣く思いなり

二度三度足を運べど「しんぶん」の集金かなわず夜空には星


 「しんぶん」の配達よりもさらに困難なことは、集金である。1回目の集金でだいたい半分が留守で、2回目の集金でまたその半分が留守だ。あと数軒は、一軒、また一軒と電話をしてからでないと、集金ができない。二度、三度と訪問しても、留守のときは「泣くような思い」がする。空を見上げると、夜空に星がまたたいている。しかし、しかしだ。「しんぶん」の配達は、「心とこころを結ぶ」役割があり、集金は「心をあつめる」貴重な仕事である。これからもわたしはこの仕事に誇りをもってやってゆきたい、と思っている。



手紙

2015年12月7日(月) 晴れ

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♪♪♪【手紙】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ずいぶん遠い日のことである。別れた女性の手紙の処分というのは、なかなか複雑な気持にさせられる。あくまで一般的な話であるが、あるいはそれは俗説であるかも知れないが、女性の方がそう言う場合、毅然と振る舞うということを聞いたことがある。しかしそれも人によりけりで、女性の方が彼氏の手紙をいつまでも、密かに持っているということもあり得ることである。が、世間ではだいたいにおいて、男性の方が彼女への想いをいつまでも、引きずるといわれている。

短歌

あなたへの想いが残る手紙あり集めた束に火を放つなり 


 わたしの場合でいうと、それは殆んどあたっている、と言えるだろう。つまり、未練がましいのである。すっきりと想いを断ち切れないのである。よく言えばロマンチシストと言えなくもないが、人から見れば笑い種(ぐさ)である。そんなわたしが彼女の手紙を集めて、その束に火を放ったことがある。その心の在りようは、彼女への想いを断ち切るという決断である。揺れている心に決着をつけるという意味合いが濃かったように思う。そこには彼女への憎しみの感情はいささかもなく、甘い感情がほんのりと残っていた。これも遠い日の苦い思い出である。



気高い精神

2015年12月6日(日) 曇り

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♪♪♪【気高い精神】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの友人は最近、悪性の前立腺ガンと宣告され、新年があけて1月にはガンの手術を受けることになっている。にもかかわらず、彼は「戦争ノー」、「憲法守れ」という宣伝に出かけて行っている。来月には手術があるというのに、なぜ彼をそこまで駆り立てるのだろうか。

短歌

わが友はガンと宣告されてなお憲法守れと街頭に立つ 

尿もれのオムツをはいてわが友は戦争ノーの街頭に立つ 

わが友の心知りたしガンなれど憲法守れと街頭に立つ


 しかも、前立腺の症状はずいぶん悪くて、いつとはなく尿もれを起こすそうである。したがって、彼は紙オムツをはいてそういう行動に出かけてゆく。わたしはそんな彼の心がよく分からないでいる。わたしを彼の立場に置き換えて考えると、とても彼のように振る舞えないような気がする。しかし、登山家の田部井淳子なども、ガンとたたかいながら登山をしてきたというから、信じる道を歩んでゆくというのは、決して悪いことではないのかも知れない。わたしは彼の生き方に感動、感銘を受けている。ここにも、気高い強靭な精神の人間がいる。人間の誇りであり、尊厳であり、美しさであり、わたしは彼の心にしたたかに打たれている。




夾竹桃

2015年12月5日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【夾竹桃】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ちち・ははの墓は隣り町の寺墓地のなかにある。この墓は寿陵(じゅりょう)と言って、生前に父が建てたものである。父は婿養子で実家は寺のすぐ傍らにあった。いまはもう廃屋となり撤去されているが、わたしが子どもの時はよく遊びに行っていた。父が生前墓を建立するときは、ずいぶん嬉しそうだった。それは自分の生まれた土地のすぐ隣りに還り、終の棲家となるからだった。写真なども撮って、額の中に納めて眺めたりしていた。

短歌

墓参り夾竹桃の道をゆく寡黙な父の声よみがえる


 だいたいわたしの墓参りは年4回である。正月、春彼岸、盆、秋彼岸という具合だ。そして思い出したときに不意に訪ねることもある。お盆の墓参りのときは、夾竹桃の咲く道を登ってゆく。薄紅の花の咲く道をゆくのである。父は寡黙な人だった。腕のいい大工職人でみんなに慕われていた。わたしは饒舌な人よりもあまり目立たない、寡黙な父を尊敬していた。墓参りをすると、そんな父の声が甦ってくる。

短歌

ちちははよ花たずさえてまた来たよお墓のなかは寒くないかい



ガスレンジ

2015年12月4日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【ガスレンジ】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わが家は新築してもう18年になる。したがって色んなところにガタがきつつある。ちょうどリフォームの時期なのだろう。業者はそれをよく知っていて、外壁、屋根、風呂、配管などの営業に廻ってくる。しかしわたしはリフォームするつもりはまったくない。わたしたち夫婦が終焉を迎えるまで、いまのままで棲みつづけるつもりである。第一そんな金もないし、わたしたちの後を継ぐ子ども(4人いるが)もいないので、リフォームする必要もないだろう、と思う。

短歌

ガスレンジお疲れさまと呟いて十八年の労を謝すなり

ガスレンジわが胃袋を満たしきて十八年の労を謝すなり


 だが、家ではなくいろんな器具はもう寿命が尽きつつある。システムキッチンのガスレンジもそのひとつである。グリルはもう使い物にならないくらいになったし、コンロも相当傷んでいる。そこで思い切って、新しいものに替えることにした。まだ使って使えないことはないがそろそろ替えどきだ。なんと18年間も毎日、わたしたちの胃袋を満たしてくれたガスレンジである。システムのガスレンジなので、それなりの出費となるが仕方がない。18年の労に「お疲れさま」と言って、送り出すつもりである。



歌とエッセイ

2015年12月3日(木) 曇り時々雨

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♪♪♪【歌とエッセイ】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしが短歌を始めたのは、ことしの2月だったように思う。それから約300日が経過した。また、エッセイを書くようになってから、約180日である。正直いってここまでつづくとは思っていなかった。最初は闇のなかに船を漕ぎ出すような、心もとない気持で出発したのだった。これまでつづけることができたのは、わたしの拙(つたな)いブログに訪問して下さっている読者の皆さんのおかげに他ならず、感謝の気持でいっぱいである。

短歌

酒もやめ煙草もやめてにちにちに歌をひとつとエッセイひとつ


 しかし、わたしもわたしなりに、努力をしてきたつもりである。一番大きい変化は、お酒をやめたことではないだろうか。もともと酒は強くはなかったが、それなりに飲んでいた。酒を飲めば夜の仕事(歌づくりやエッセイを書くこと)に支障が出ることになる。午前1時ころまで起きて、いろんなことをしているので昼よりも夜の方が、仕事がはかどる。煙草はやめてちょうど8年になるので、歌づくりやエッセイと直接関係がないが、こうしてわたしは、歌とエッセイをほとんど毎日書いている。これからどうなるかは分からないが、出来得るならば自身の生き甲斐としてつづけてゆきたいと思っている。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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