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蝉の羽化

2015年12月1日(火) 晴れ時々曇り

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 千春



♪♪♪【蝉の羽化】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 蝉は哀しい生き物だ、と思うのはわたしだけだろうか。卵から幼虫になって、3~17年も土の中で生きてゆくことになる。土の中で木の根の樹液を吸って生きるのだ。太陽の陽射しを浴びるということもなく、闇のなかで生命をつないでゆく。土の中は安全のように思えるけれど、モグラ、ケラ、ゴミムシなどの天敵がいる。そして幼虫を侵す菌などからも身を守らなければならない。

短歌

幼虫が蝉へとかわる瞬間は木に爪を立て殻を脱ぐなり


 しかし、わたしが感動的だと思うのは、幼虫から成虫へと羽化する瞬間のドラマである。幼虫は夕方地上にあらわれて、周囲の樹などに登り、日没後に羽化を始める。わたしの心を魅了するのは、幼虫が木の幹や葉の上に爪を立てて、羽化を始めるということである。この羽化というのは、人間の誕生と同じように大事業である。人間の誕生も陣痛が始まって、妊婦は痛みをこらえながら精一杯の力を込めて、新しい生命を産み出すのである。バーに掴まったり、助産師さんに掴まったりして「いきむ」ことも少なくない。蝉の幼虫はバーではなく、木に自分の爪を立てて、渾身の力を振り絞って羽化する。爪を立てる、それなくして羽化することはできない。その爪にわたしは感動する。こうして見てくると、決して蝉は哀しい生き物ではない、ということが分かる。そう思っているのは人間だけである。



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ゴッホの画集

2015年11月30日(月) 晴れ時々曇り

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千春



♪♪♪【ゴッホの画集】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 人の意見というのは、限りなく尊重されなければならない、とわたしは思っている。わたしは人の意見に対して異論があっても、いったん自分の胃袋に呑み込むように心がけているつもりでいる。いったん呑み込んだあとで、その人の意見や立場、思想について思いを寄せてみる。そしてその人の意見や立場、思想がどこから生み出されているか、その背景を探ってみる。そして総体としてその人という人間を理解するようにしている。

短歌

また友と言い争いて帰る日はひとりゴッホの画集をひらく


 しかし、人間関係というのはそんなに簡単ではない。わたしの努力にも関わらず、その人がわたしの領域に土足で踏み込んでくるときは、わたしも黙っているわけにはいかない。わたしも反撃にでる。そこで言い争いとなり口論となる。だが、たいていの場合その言い争いは徒労に終わり、実りある話し合いにはならない。お互いに気分を害したままで別れるということになる。ささくれだった気持を静めるために、花を買うのも良かろう、家に帰ってゴッホの画集を開くのも良かろう。しかし、いずれにしてもわたしは、言い争いは避けて生きたい性質の人間である。



さわぐ児

2015年11月29日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪【さわぐ児】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは図書館が好きで、岡山・広島県の図書館カードを10枚近く持っている。もちろん日常的に行くのは、わたしの棲む町の図書館である。時には1.5時間近くかけて、県立図書館や岡山市立図書館などにいくこともある。以前は、月1万円くらい書籍代に使っていて、図書館にいくことも少なかったけれど、年金生活者になって今はほとんどが図書館で借りて読む。そして閲覧室で読書をすることも少なくない。

短歌

図書館でさわぐ児ありて叱りたり叱りてしばし淋しくなりぬ


 いつ頃のことだっただろうか、閲覧室で読書をしていると、小学生らしき児が3~4人でやってきて、大きな声で話したり笑ったりして騒がしくしていた。わたしは我慢して本を読んでいたが、あまりにも喧しいので、本を投げ出して彼らのところへ歩み寄った。そして厳しく叱ったのである。彼らは神妙にわたしの苦言を聞いていたが、しばらくして図書館を出て行った。しかしわたしの気持はすっきりとしなかった。叱ったことにいくらか後悔する気分になっていた。わたしの心に淋しさが込み上げてきた。人を叱るということは、ブーメランみたいに自分にも跳ね返ってくるというのを感じたのである。



上弦の月

2015年11月28日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪【上弦の月】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いまは妻といさかうということが、ほとんどなくなった。それが本当にいいことなのかどうか、疑問に思うところがある。あるいはそれは愛が冷めてしまって、相手に無関心になっているということではないのだろうかと思う。喧嘩をするということは、やはり相手に対する関心があるということだろう。お互いに自立した生活を送っているといえば聞こえはいいが、真実のところは相手への無関心であるように思う。それは本当は哀しいありようである。

短歌

寒き夜妻といさかい外に出る見上ぐる空に上弦の月


 しかし、まったく喧嘩をしないということはなく、3カ月に1回あるいは6カ月に1回くらいはあるだろうか。いずれにしても年に数回というところだろう。若いときは頻繁にあったが、もう悟りを開いたような状態である。わたしも妻のやることに口出ししないし、妻もわたしのやることに口出ししない。それはお互いが無関心というのか、お互いを認め合っているというのか、はっきりとは分からない。だが、たまに喧嘩することがあるが、そのときは怒りが込み上げ、虚しくなって堪えがたくなる。そして寒い夜に家を飛び出すこともある。空を見上げれば月がかかっていることがあり、それを見つめていると心が安らぐ。上弦の月はささくれだった気持を静めてくれるのである。



秋立ちて

2015年11月27日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪【秋立ちて】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは気候のもっとも良い秋の中頃に生まれたにもかかわらず、もっとも好きな季節は夏である。たいていの人は夏という季節をいやがる。だが、わたしは不思議に夏が好きだ。したがって、もっとも厭な季節は冬である。冬になるとわたしは冬眠でもしたくなる。極端な寒がり屋なのだ。灯油販売所の店員が首をかしげるくらい灯油を使う。冬の間は家計簿も赤字になりそうだ。

短歌

炎暑の日いつしかに果てひそけくも朝な夕なに秋風が立つ


 だから、わたしは夏の終わりがとても淋しく感じられる。秋風が立つのは嬉しいことなのだが、その秋は短くすぐに冬がやってくる。冬がくる前に、わたしは冬の準備にすぐとりかかり万全を期す。しかしそんなに寒がり屋のくせにここ数年来、風邪で寝込むというようなことは一度もなかった。そうは言っても、一日中灯油を焚くわけにはいかないので、本を読んだり短歌を創ったりするときは、図書館へと足を運ぶ。わたしの冬眠の場所は図書館である。



蝉しぐれ

2015年11月26日(木) 曇りのち晴れ

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♪♪♪【蝉しぐれ】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 蝉の命は1~2週間と言われてきたが、本当は1か月、それ以上とも言われている。わたしは子どものころから、蝉の命は一週間だと聞かされて育った。そして幼虫は7年地中で生活すると聞かされてきたが、実際は3~17年(アブラゼミは6年)土の中で生きるということである。それにしても、3~17年土の中で暮らして、成虫して1か月の命というのは、やはり短いと言えるだろう。土の中の幼虫は、くちばしで木の根っこの樹液を吸って生きぬくのである。

短歌

蝉しぐれ短き命知るごとく翅ふるわせてひたすらに鳴く


 それにしても、蝉は夏の暑い盛りに声を限りになぜ鳴くのだろうか。それは他の昆虫と同じように、求愛行動だと言われている。昆虫が光ったり鳴いたりするのは、たいてい求愛行動と思って間違いがない。蝉が鳴くのはオスだけで、メスを呼ぶために鳴く。メスは広い地上で、オスの鳴き声を頼りに集まり、出会って交尾することになる。メスはより大きく鳴く蝉がいいと言われているので、オスは命を限りに鳴くのだろう。ひたすらに鳴く蝉を思うとき、切ないようにも青春の謳歌のようにも思えてくる。



ヒバリ

2015年11月25日(水) 曇りのち雨

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♪♪♪【ヒバリ】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの町には広い干拓地があって、太陽光発電所や隣町の高校のグラウンド、公園などがある。そこでのスポーツも盛んで、ペタンクやグラウンドゴルフ、ソフトボールやサッカーなどが行われている。町民の格好のスポーツやレクリェーション、憩いの場所となっている。瀬戸の海に接しており、前面には広い海が広がっている。鯉の泳ぐ池もあり、遊園地では子どもたちの泣き声や歓声が沸き立っている。

短歌

かすみたる空に黒点ひとつなり舞い上がりつつ囀るひばり


 その干拓地を散歩することがあるが、春にはウグイスやヒバリの美しい鳴き声を耳にすることができる。山(以前は島だったが埋め立てられて山となっている)や雑木林もあり、ウグイスの棲みかとなっている。また草原も広がっており、ヒバリの成育にとっては格好の場所である。そのヒバリが春がすみの空高く舞い上がり、さえずっている。それが広い空に黒点となって見える。一瞬、黒点のように見えるがそれはヒバリの姿で、黒点がいくつも舞っている。



海鳴り

2015年11月24日(火) 曇り時々雨

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♪♪♪【海鳴り】♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 瀬戸内海はだいたいにおいて穏やかな海だ。わたしの町はその海をふところに抱いた入り江の町である。幼き日には遠浅の海は干満を繰り返し、引き潮のときは海に入り魚介類を獲って夕飯のおかずにした。満ち潮のときは、魚釣りをしたり泳いだりして遊んだ。いまは潮の流れがかわり、いつもひたひたと波が岸辺に打ち寄せている。引き潮でも沖へ潮がしりぞくということがなくなった。いつも波が岸を洗っている。

短歌

穏やかな瀬戸内海が荒れる夜吠える如くに海鳴り聞こゆ


 そんな穏やかな海だが、あるときには荒れるときがある。台風や木枯らし、春の嵐や青嵐のときである。瀬戸内海だといって、海を甘くみることはできない。あるときには凶暴になり、何人もの漁師を海のなかに呑みこんできた。瀬戸内の海も「静と動」の顔をもっている。瀬戸内の民は、「静と動」の海とうまく共存してきたのである。穏やかな海が荒れると「海鳴り」がする、そんな町である。



竜王山

2015年11月23日(月) 曇りのち雨

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★ 『竜王山』★ (短歌とエッセイ)

 竜王というのは、「密教で雨を祈る本尊」とされている。竜王山は瀬戸内海沿岸を中心に各地にある。それは水、雨をもたらす竜王を山頂に祀り、いわゆる雨乞いを行う山の意が込められている。近隣の町村にも竜王山という山は、いくつも存在している。ここで取り上げる竜王山は、わたしの棲む町と隣町にまたがる山である。標高約300メートルの山で、近隣ではもっとも高い山である。

短歌

悠然と夕陽を浴びて聳え立つ竜王山は空を切りとる


 子どものころ、わたしたちの憧れの山であり、畏敬の念をもって接してきた山である。この山に登ることができた子どもたちは、自信と誇りを獲得して、仲間にも胸を叩いて鼻高々であった。その山には、目白や松茸を獲りに入っていったものである。竜王山はいまも悠然と聳え立っている。朝日が昇るころ見上げると、竜王山はシルエットとなって、空を切りとって屹立している。わがふるさとの雄大な愛すべき山である。



疲れたる都会の暮らし

2015年11月22日(日) 曇りのち晴れ

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★ 『疲れたる都会の暮らし』★ (短歌とエッセイ)

 わたしが都会に出たのは18歳のときである。高校を卒業して倉敷市役所に入ったからだ。その倉敷に30歳過ぎまでいただろうか。わたしは3~4年で市役所を辞め、民間の会社へ入り、しばらくして民主的な商工会で働いた。そして30歳過ぎで、都会の暮らしに疲れ故郷(ふるさと)へ帰ってきたのである。ひとつの人生のつまずきであり、挫折であった。都会での暮らしには、光と影があった。決して黒一色に塗り潰された青春だけではなかった。

短歌

都会での暮らしに疲れ逃げてきぬ心癒さんわがふるさとよ


 都会での暮らしで学んだことは、決して小さくないし、少なくもない。いまこうして希望をもって生きてゆけるのも、その都会での暮らしがあったからである。わたしは都会で悩みながらも、懸命に生きて人間の生き方を学びとってきたのである。そのなかで、人間とは何か、人間らしく生きるとはどういうことかを掴んだ都会での暮らしだった。しかし結局、その都会でつまずき故郷へ逃げてきたのである。その故郷(ふるさと)は、わたしを温かく迎えてくれた。青い山、青い海、青い空はわたしの疲れた心と身体を大きく包み込んで、癒してくれたのである。人生の復権であり再生である。



哀しみの裏側

2015年11月21日(土) 曇り時々晴れ

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★ 『哀しみの裏側』★ (短歌とエッセイ)

 もう2年ほど前になるだろうか。わたしの友人が他界した。その彼はわたしの人生に大きな影響を与えた人物のひとりである。彼と出会ったのは高校時代であった。文芸部で一緒になったのである。文芸部では日本と世界の文学の優れた作品を読んだりしたが、その活動の中心は文集づくりであった。いまでも忘れることのない「さわらび」という文芸誌を発行することに情熱を傾けた。創刊号には20人余の級友が、随想、詩、小論文などを投稿し、立派な文集ができあがった。

短歌

哀しみの裏側にある友の死よ遣り切れなくて吾は海へゆく


 鬼籍に入った彼は、文芸部の中心的存在であった。わたしは随想や詩を投稿したが、彼はベトナム戦争や日韓条約などについての論考を発表した。彼は高校を卒業すると名古屋の福祉大学に入り、いろんな社会的活動をしていたが、中途退学し故郷へ帰り印刷屋を起こした。その彼とは死の直前まで交流があった。高校生のときから気管支炎を患っていたが、結局最期はそれがもとで亡くなった。65歳前後の死である。あまりにも若すぎる生命を喪った友人の死は、わたしに衝撃を与えるものとなった。遣り切れなくなってわたしは海へ、海へと車を走らせたのである。



朱に染まる

2015年11月19日(木) 晴れ

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★ 『朱に染まる』★ (短歌とエッセイ)

 秋が深まってくると、わたしは紅葉狩りにゆく。たいていわたしが行くのは寺めぐりである。寺には桜もあるが楓もある。しかし、県南の寺の楓はまだ色づき始めたばかりで、紅葉狩りというわけにはいかない。もう少し秋が深まってくると、わたしは心を弾ませて寺を訪ねる。

短歌

朱に染まる楓の木々に息をのむ疲れた心を励まされたり


 短歌で詠んだ光景は、県北の地でのことである。岡山県は暖かい土地柄であるが、県北は山陰の鳥取と接しているので紅葉も早い。先日、わたしはある会議のために北の地へでかけた。その地で見た楓の紅葉に息をのんだ。朱に染まった楓は、まるで血の色のようだった。しかも一本や二本ではなく、数多くの楓が連なっていた。会議も熱気に溢れたものだったが、朱に染まった楓にも感動した。まもなく県南の楓も朱に染まってゆくはずである。



黄泉の国

2015年11月18日(水) 雨時々曇り

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★ 『黄泉(よみ)の国』★ (短歌とエッセイ)

 わたしの町には各地域にスピーカーを設置してある。そのスピーカーで町のほとんどの行事が知らされる。たとえば、「海と魚の祭典」や「花火大会」、消防団の諸行事などである。それとともに、死亡した人の報せがあり、通夜や告別式の会場や時間が流される。先日にはわたしの同級生の名前がスピーカーで告げられた。まだまだ若い68歳である。68歳といえば、定年になってこれから人生の第2幕が開(あ)くという年齢である。心不全で意識を喪い数日後に亡くなった。またひとり、黄泉の国へと旅立ったのである。

短歌

またひとり黄泉の国へと旅立ちぬああ哀しわが同級生なり

明日われは六十八になるけれどまだ残したる短歌の仕事
 

 わたしの同級生は両手に余るほど鬼籍に入っている。小さな町でそれだけの人を喪っている。しかしわたしはまだまだこれからだという想いを強くしている。先日、Eテレで90歳代のアスリート、60歳代のモデル・歌手、99歳の精神科医が紹介されていた。これらの人たちは、晩年のステージで輝いて生きている人たちである。わたしも彼女たちと同じように、生きてみたいという心持ちが湧き出ている。わたしには67歳から始めた短歌がある。歌集の2~3冊は出したいという希望を持っている。まだ黄泉の国などわたしには縁がない。第2ステージを存分に生きてみたいものである。



朱の空の鴉

2015年11月17日(火) 曇りのち雨

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★ 『朱の空の鴉』★ (短歌とエッセイ)

 以前、「晩鐘」というエッセイを書いたが、今回はいささか不気味な話である。舞台は前と同じ峠の古刹(古い寺)である。最近、わたしの町で火事が発生した。木材を扱う作業場で火事が起こったのである。その作業場は全焼したが、隣りの家に火が移りそうだった。そこで消防車も類焼を防ぐために懸命に消化にあたった。隣りの家には、50キログラムのプロパンガスのボンベが2本備えつけていた。50キログラムといえば、普通家庭で使うボンベの中では最も大きいものである。

短歌

朱の空に黒い鴉が群れ立ちて峠の寺の晩鐘が鳴る


 そのボンベが爆発するのを避けるために燃料店の社長が、火が迫りくる中、それを取り除こうとして倒れたのである。心臓麻痺のような症状だった。救急車で運ばれたが、意識不明が数日間つづいたのち、社長は亡くなった。哀しい、本当に哀しい死であった。短歌に詠ったのは、その彼の告別式が執り行われた日のことである。朱に染まった西の空を、黒い鴉が群れ飛んでいたのである。そして哀しく晩鐘が鳴っていた。死人(しびと)が出ると鴉が舞うというのが、本当のように思える光景である。



もう少し生きてみよう

2015年11月16日(月) 晴れ

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★ 『もう少し生きてみよう』★ (短歌とエッセイ)

 わたしの今日の短歌に触れると、驚かれる方がいるかも知れないが、現在のわたしの心境ではない。遠い青春時代の話である。この短歌を発表するには少し勇気がいった。人は誰にも語りたくない秘め事を、ほとんどの人が持っているはずだ。人はどう思うだろうとか、自分の恥部を赤裸々にさらす必要があるのだろうか、ということで逡巡する。「蛇にピアス」を書いた芥川賞作家の金原ひとみの父は、どうせ小説を書くのだったら、「自分がいるところに棲めないくらい恥ずかしいものを書け」といったそうだ。

短歌

今日死のうか明日死のうかもう少し生きてみようか若き日のわれ

今日死のうか明日死のうかもう少し生きてみようか夜半(よわ)に時計が鳴る


 しかし小説と短歌は少し趣が違う。小説は基本的に虚構であるのに対して、短歌はほとんど事実に基づいたものを詠うのが原則となっている。金原ひとみは「蛇にピアス」で恥ずかしいような小説を本当に書いた。わたしの好きな小説ではなかったけれど、それなりの覚悟をもって書いた小説である。わたしの短歌はほとんど事実であるが、しかしまだオブラートに包んで詠んでいる。だが、いまのわたしにはここまでが精一杯である。ただ、わたしは青春時代に悩み苦しみ精一杯生きてきたように思う。そういう青春時代だった。



灯りの滲む街

2015年11月15日(日) 晴れ時々雨

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★ 『灯りの滲む街』★ (短歌とエッセイ)

 短歌には「遠い街」と詠っているが、水平線の果てにある街で、わたしの町から眺められる街である。その街に、詩人で画家、歌人が棲んでいる。その君は若い頃、小さな港町で小さな酒場を開いていて、ママをしながら詩を書き、油絵を描き、歌を詠んでいた。鋭い感性の持ち主で、小説を書いていたわたしなどとは、少しぬきんでていた。その酒場は文学を志す若者たちのたまり場だった。彼女は、二科展に何回も入選し、詩集の発行では新聞にも取り上げられた。

短歌

君の棲む遠い街の夕暮れは遥かにかすみ灯りがにじむ


 その彼女が心を病んで、その街に棲んでいるという。四十前後だろうか、心を病んでその街を離れ、遠い街に入院し療養していたのである。そして故郷に帰ってきてひっそりと暮らしているらしい。もう一度彼女に会いたいと思うけれど、その願いは叶いそうにない。だから、ときどき彼女の短歌の載った文芸誌を出して、繰り返し読んでいる。その街は遥かにかすみ、灯りが滲んでいる。



魚市場

2015年11月14日(土) 雨時々曇り

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★ 『魚市場』★ (短歌とエッセイ)

 わたしの町には三つの漁港がある。むかしには漁師町といわれるくらい、それで生業(なりわい)を立てている家が多かった。その頃には町に勢いがあった。1万人(現在は5千5百人余)余の町であったが、劇場がありパチンコ屋もあった。大相撲の巡業を町に呼ぶ勢いもあり、町の漁師たちは「荒くれ」で近隣の町村の人たちに恐れられていたこともあった。しかし、近くにコンビナートができ、その廃液で漁場は死んだようになった。そして生活排水がそれに輪をかけることになる。だが、いまも漁業を生業にする家も少なくない。

短歌

朱の空に村は目覚めて動き出し浜の市場は賑わいを増す


 むかしは夜、漁に出てゆくことが多かったがいまは朝、漁に出てゆき夕方帰ってくる。東の空が白み始めると一斉に漁船が三つの港から出てゆく。そして、東の島影が朱に染まるころ、町は深い眠りから覚め、魚市場も賑やかに競(せ)りがおこなわれる。魚市場を覗くと、町の男たちが懸命に立ち働いている。わが町に活気がみなぎる時間であり、こうしてわが町の一日が始まるのである。



わが暮らし楽にならざり

2015年11月13日(金) 曇りのち雨

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★ 『わが暮らし楽にならざり』★ (短歌とエッセイ)

 はたらけど
 はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
 ぢっと手を見る

 
 これは石川啄木の歌であるが、啄木の生活のありようを見事に詠っている優れた歌である。明治時代の終わりごろに詠まれたといわれているが、その当時の啄木は、家族四人(妻、娘、父、母)を養うために病弱な体に鞭打って、働きに働いた。こうした無理もたたって啄木は、わずか26歳でこの世を去った。

短歌

倹約を重ね重ねて来たけれど暮らしはきびしくなるばかりなり


 21世紀の現在の庶民の暮らしも、啄木と同じような「わが暮らし楽にならざり」という情況がつづいている。わたしは年金生活者であるが、年金生活者のみならず、勤労者、ひとり親家庭、下流老人と呼ばれる高齢者、子どもたちという具合に、全階層にわたって貧困が広がっている。これはひとり庶民の所為(せい)だけでなく、その根本にはいまの社会、政治の責任が大きく横たわっている。わたしは家計簿をつけ、無駄な生活を排して、賢い消費者をめざしているが、一向に生活はよくならず、反対に悪化の一途をたどっている。よりよき社会、政治を切に望むものである。



ふるさと(9)

2015年11月12日(木) 晴れ

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★ 『ふるさと(9)』★ (短歌とエッセイ)

 ふるさとの山に向ひて
 言うことなし
 ふるさとの山はありがたきかな


 これは石川啄木の歌であるが、望郷の念にあふれた優れた歌である。ここで詠われている山というのは「岩手山」であり、標高2000メートル余の大いなる山である。そして啄木にとって身近にあったのは北上川である。啄木の「ふるさと」には、大きな山も川もあり、文学と風土の関わりが啄木の歌には大いに反映している。

短歌

ふるさとは大きな山も河もなしただただ海が広がりており

ふるさとは大きな山も河もなしただ遥かなる海広がりぬ


 しかしわたしの「ふるさと」には、大きな山も河もない何の変哲もないところである。山といえば標高200メートル余の竜王山と青佐山があるが、川と呼べるような川はない。だが、わが「ふるさと」には、山も河もないけれど、はるかなる海がある。わたしはいままで小説を書いてきたが、海を題材にしたものがかなりある。まさに文学と風土ということを、強く感じさせられている。我が家の2階のベランダに出れば、はるかな海が眺められる。心が渇いたときには、海の香と潮騒に触れるために、海辺まで出かけてゆく。まさにわたしにとって、海はわが「ふるさと」である。



君の足音

2015年11月11日(水) 晴れのち曇り

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 千春

★ 『君の足音』★ (短歌とエッセイ)

 もうかれこれ40年も前の話である。そんな昔の光景がふっとカラーで思い出されるから不思議である。わたしは2階建ての安アパートに棲んでいた。6畳ひと間で、1畳ほどの炊事場と入口があった。わたしは階段の横の部屋で、人の上り下りがよく分かった。君の足音はとくによく分かり、部屋にいるわたしの心はときめいた。彼女は小学校の教師をしていたが、その足音は高く弾んだような音を響かせて、いつもやってきた。その足音はわたしの心に深く刻まれ忘れるということはなかった。

短歌

アパートの木の階段を上りくる君の足音忘るることなし

知り尽くす君の足音階段を下りてゆくのを聞きつつ泣きぬ


 しかし彼女の足音もそう長くはつづかなかった。1~2年くらいだっただろうか。その期間は詳しくは覚えていない。同じ夢を見ていたこともあったが、わたしたちに別れの時がやってきた。将来の夢を別々に見るようになっていったのである。しかし、わたしは別れることを希望したわけではなかった。わたしの優柔不断さが、彼女のなかに別れの感情を芽生えさせ、彼女はわたしのもとから去っていった。彼女の階段を下りてゆく足音は、いまでも忘れることができない。彼女はそれを最後に、二度と階段を上ってくることはなかった。



晩鐘

2015年11月10日(火) 晴れ

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 千春

★ 『晩鐘』★ (短歌とエッセイ)

 我が家の北には峠があって、ちょうどその峠に寺がある。その峠は海の町と北の町を分ける分水嶺のようなところで、冬などには峠の北は霜が降りていても、南は降りないという境界線になっている。その峠の寺の鐘が夕暮れに鳴らされる。晩鐘である。我が家にいればその晩鐘がよく聴こえる。

短歌

災厄を鎮めるごとく厳かに峠の寺の晩鐘が鳴る


 その晩鐘はなぜ鳴らされるのだろうか。除夜の鐘は普通108つ撞かれるが、それは人間の煩悩を断って、悟りの境地にいたるとされている。晩鐘にも仏教的な意味合いがあるのだろうが、しかし晩鐘はもっと人間に近しいもののように思われる。わたしの棲む小さな村にも、災厄はよく起こる。毎日のように死人(しびと)はでるし、漁師が船から落ちてなくなったり、火事なども起こったりする。晩鐘はその鎮魂と村人の平和な暮らしを祈って、撞かれているのではないだろうか。いずれにしても晩鐘を聴くと、心が澄んでゆくような、穏やかな気持ちになるから不思議である。



空もようは快晴

2015年11月9日(月) 曇り

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★ 『空もようは快晴』★ (短歌とエッセイ)

 わたしが生まれたのは、1947年10月26日である。しかし、その日がどんな天気だったのか、まったく分からないでいた。永い間その疑問を抱いたまま過ごしてきた。両親は教えてくれなかったし、わたしから尋ねるということもなかった。だが、わたしの誕生日の天気は比較的容易に解明することができた。わたしの生まれた日は、快晴だということが分かった。そして、昼間の気温は約20度で秋日和だった。こんなに爽やかで穏やかな日に、わたしはこの世に生を授かったのである。種を明かせば、気象庁と岡山気象台で調べてもらったのである。

短歌

爽やかな秋に産まれし生なれど苦難の道を歩みてきたり

快晴で二十度の日に産まれしが歩める道はいささか険し


 しかし、とても爽やかで穏やかな日に生まれたわたしだったが、その人生の道のりは決して爽やかでも穏やかでもなかった。小・中学時代は貧しさの底で厳しく辛い生活を強いられた。高校時代は青春時代特有の「人間は何のために生きるのか」ということで悩み苦しんだ。20代に入るとある身体的悩みがわたしをとらえ、死んでしまおうなんて思ったこともあった。30代には不可解な病気になって、わたしを苦しめた。ようやく人生が落ち着いてきたのは、40代になってからである。それから今日までは、新しい社会・時代を希求してひたすらに生きている。(高校時代からその希求は始まったけれど……)
 ちなみにわたしが生まれた年は、どんな時代の風が吹いていたかを見ておきたいと思う。2月1日、「アメリカの介入で、2・1ゼネストが中止」、5月3日、「日本国憲法の施行日」、6月1日、「社会党・民主党・国民協同党の三党連立による片山内閣の成立」、9月1日、「労働基準法施行」というような、社会・政治の動向のなかで、わたしは生まれたのである。この時代の風は、おおいに歓迎すべきことと、新しい時代の逆流がもうすでに始まったというふたつの側面をもっている。これからもわたしは新しい社会・時代を求めてひたすらに生きてゆきたいと思っている。



夜勤

2015年11月8日(日) 雨

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★ 『夜勤』★ (短歌とエッセイ)

 現代の社会では夜勤というものがごく普通に行われている。むかしはごく限られた職種だけだったが、いまは広範に拡がっている。わたしの息子も娘も三交代の勤務に就いている。息子は半導体製造の仕事で、娘は看護師である。わたしにはふたりの息子がいるが、その連れ合いのふたりも夜勤をしている。このように社会の構造変化が起こっており、それは一部の仕事をのぞいて、歪んだ働き方といえるかもしれない。

短歌

午前0時吾はこれから眠りに就く君はこれから仕事に就きぬ


 最近まで引きこもっていた町内の娘さんも、足を踏み出して働くようになったが、やはり三交代で夜勤がある。「きつい、きつい」と洩らしているらしいが、引きこもりからいきなり夜勤というのは、つらいに違いない。夜勤というのは、原則として午後10時ないしは11時からとなっているが、彼女の会社がどういう勤務体制かはよく分からない。いずれにしても、わたしが眠りに就く頃に彼女は仕事に就いている。「つらい!」と洩らしながらも、彼女は頑張って深夜に車のエンジンをかけて出てゆく。わたしの心の奥には、「無理して頑張らなくてもいいからね!」という思いがある。



差し押さえ

2015年11月7日(土) 曇りのち雨

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★ 『差し押さえ』★ (短歌とエッセイ)

 わたしは戦後生まれである。戦争による疲弊した経済によって、戦後の庶民の暮らしは窮乏をきわめた。我が家でも例に洩れず貧苦の生活が強いられた。小・中学生の時代にはほとんど米というものを食べることができなかった。米を食べることができたのはお粥である。そのお粥には米が少量で、米汁をすするような状態だった。米の代わりによく食べたのは、麦飯、サツマイモ、じゃがいも、お好み焼きなどである。

短歌

幼き日タンス布団に貼られたる差し押さえの紙は消えない記憶


 そんな厳しい暮らしをしていたにもかかわらず、税金の取立てはすさまじいものだった。我が家も税金の滞納によって、家具や寝具、自転車が差し押さえられた。わたしは大好きな自転車に乗ることも禁じられた。自転車にも差し押さえの証紙が貼られていたのである。わたしは生涯にわたって、この差し押さえの証紙を忘れることができない。このことが、それ以後のわたしの人生、生き方を決めることになったように思う。まさに「三つ子の魂百まで」である。



女が独り

2015年11月6日(金) 曇り 

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★ 『女が独り』★ (短歌とエッセイ)

 わたしの町は、海の波がひたひたと寄せている故郷である。町の南の島(干拓で陸つづきになっている)には、百メートルくらいの砂浜がつづいている。夏にはもちろん海水浴もできるきれいな砂浜である。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」、石川啄木が詠んだような白砂である。わたしは日常の暮らしに心が乾いてくると、そこへよく出かける。砂浜にはザ、ザァーと波が打ち寄せ、沖に目をやれば海が180度広がって見える。青い海にいくつもの島が浮かんでいる。

短歌

風が吹く秋の浜辺をものうげに女が独り歩いてゆきぬ


 夏が去って、爽やかな風が砂浜に吹いている。夏の終わり、それはひとつの終り、ひとつの淋しさでもある。烈しく照りつけていた陽射しは、とても柔らかくなっている。友情や恋の終わりの多い季節でもある。その砂浜を女が独り、うつむき加減に歩いている。瞳はぬれていたかも知れない、あるいは唇を嚙んでいたかも知れない。あるいはぼんやり歩いていたかも知れない。女が独り、ものうげに歩いている。秋の磯の光景である。



形見



2015年11月5日(木) 晴れのち曇り

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★ 『形見』★

 「形見」とは、過去の事を思い出される種となるもの。記念として残した品物、死んだ人または別れた人を思い出す種となる遺品、と辞書には記されている。近所のわかものが十九歳で亡くなった。交通事故で車から投げ出され、ほとんど即死という痛ましいものだった。その彼は少し前までは中学を出て、何もしないで遊んでばかりいたが、死の直前から仕事に行くようになっていた。4年ばかり時間を浪費したが、真面目に働くようになった矢先の事故である。会社の車に乗せられて現場にゆく途中だった。若くして命を喪ってしまった。

短歌

十九で死にたる君の形見なり車はいまも光を放つ

十九で死に逝く君の愛したる車はいまも光を放つ


 その彼は仕事に就くことになって、白い高級車を求め、それを励みに働いていた。彼が亡くなってもう1年余になるけれど、その車は処分されることなく、駐車場に置かれたままである。この車にはもう誰も乗ることはない。これは彼の愛車だった。おそらく家族は彼の形見として、処分しないでいるのだろう。それはまさに墓標のごとく、彼を偲ぶものとして残されている。白き車は秋のやわらかい陽射しを浴びて光っている。



肺年齢93歳

2015年11月4日(水) 晴れ

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『肺年齢93歳』★

 わたしの肺年齢は93歳ということである。にわかに信じ難い数字であるが、2回の検査でこういう数字が出た。しかしいまでも半信半疑で、文字通り「なかば信じ、なかば疑って」かかっている。だってそうだろう。日常生活は普通の人と変わりなく送っているし、とくに困るというようなこともない。しかし病院の肺機能検査によると、わたしの肺は93歳に相当するらしい。

短歌

父母(ちちはは)の墓をめざして登りゆく肺年齢九十歳のわれ


 だが、それを裏付ける症状がないわけではない。たかだか標高50メートルくらいの山に登るのに、息を切らして登らなければならないし、途中息継ぎのための休憩も必要である。そういう自覚症状があって病院に出かけたのだが、そんな結果を突きつけられたというわけである。また、わたしは比類なきヘビースモーカーだった。よく喫うときは20本入りの煙草を3~4箱もカラにしていた。いわばニコチン依存症だった。それがわたしの肺をむしばんでいるのだろう。幸いにもいまのところ肺ガンの兆候はあらわれていない。肺年齢93歳ではあるが、適度な運動を心がけ、きれいな空気を吸って、肺をいたわりつつ暮らしてゆきたい。父母(ちちはは)の墓参りにも、息を切らしつつ坂道を登っている。



真っ赤な花

2015年11月3日(火) 晴れ

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 千春

★ 『真っ赤な花』★

 わたしたち人間は、ひとり孤立して存在しているわけではありません。いうならば、さまざまな人間関係の中で生きている社会的な存在である。職場、地域、学園、家庭などの中で、いろんな人々と協力し合いながら生きている。そういう人間関係があるからこそ、社会は成り立つし、人間として存在することも可能である。

短歌

年来の友といさかい淋しくて真っ赤な花を買いきて活ける


 わたしたちは職場、地域、学園、家庭などの中で生きているが、そのことが一面においては人間関係のトラブルを、少なからず発生させるということにもなっている。そのトラブルはいわば必然的なものであるといっても過言ではない。人間関係のトラブルによって、心がささくれ、心が乱れ、孤立感におそわれ、淋しくなることは避けられません。わたしも年来の友といさかい、いまだ和解できずにいて、心はおだやかではない。その淋しさを癒すために、花屋の店先で真っ赤な花を探し、買ってきて活けた。そうすることで、ささくれだった心を慰めることができる。花というのはそうした役割をも持っている。いまも我が家の食卓には真っ赤な花が鮮やかに咲いている。



生まれた日

2015年11月2日(月) 雨のち曇り

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 千春

★ 『生まれた日』★

 みなさんは自分の生まれた日の天気をご存知でしょうか。わたしはまったく分からないでいる。この頃わたしはリビングで過ごすことが多く、そうしていると秋の光りが斜めに差し込んできて、爽やかな風が吹きぬけてゆく。ちょうどわたしの生まれた日の季節である。ああ、わたしはこんな穏やかな日に生まれたのだろうか、と思いは誕生日に向かう。ああ、なんて倖せの日に生まれたのだろう、と思ってしまう。

短歌

わが命授かりし日はどんな風どんな光りが満ちていたろう

わが命授かりし日はどのような時代の風が吹いていたろう


 しかし実際はまったく分からない。父母(ちちはは)も教えてくれなかったし、わたしも訊こうともしなかった。でも、自分の誕生日の天気は知りたいものだ。が、今となっては両親も他界し、知っている人は誰もいない。しかし10月下旬といえば、もっとも過ごしやすい季節にわたしは生まれ、光りに満ち風がそよいでいたに違いない、と思っている。
 そして、もうひとつ思いを馳せるのは、わたしが生まれた頃の時代の風である。経済はどうだったろう、政治はどうだっただろう、と思ってしまう。ただ分かるのは、我が家の経済は貧苦の底にあったのは間違いない。その貧しさは、それから10年~15年もつづいたように思う。わたしはいま、時代の風と天気のありようを知りたいと思う。



プロフィール

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Author:FC2USER634322BTA
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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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