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ふるさと(3)

2015年8月1日(土) 晴れ

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「ふるさと(3)」

 竜王というのは、密教で雨を祈る本尊としており、日照りなどに際して「雨乞い」をする対象である、といわれている。わが村にその竜王を冠した山がある。つまり竜王山である。いまもその山は他の山を押さえて聳え立っている。近隣の山でもっとも高い山だ。朝日が昇ってくるときも、この山の峰より太陽が顔を出す。

短歌 (「踏鞴」(たたら)32号に掲載)

北風に真向いて咲く紅い花山茶花なりし冬を越えゆく

聳え立つ竜王山は彼の山か昔茸とり目白追いし山


 竜王山は子どもの頃、わたしたちの誇りと畏敬の念をもった山として親しまれた。小学生、中学生の頃、この山に登ること、登れたことは、子どもたちの自信と誇りとなった。半歩、一歩と成長したことを証明するものである。始めて竜王山に登った子どもたちは、胸を張って友達に伝えるのだった。「わが竜王山は憧れの山である」



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ふるさと(2)

2015年7月31日(金) 晴れ時々曇り

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「ふるさと(2)」

 冬に太陽が昇りくると、瀬戸内の海は「蝶が乱舞するように」光り輝く。その光景を見ていると、いつまでも飽きるということがない。「蝶の乱舞」にはいつも感動してしまう。消えては光り、光っては消えるそのようすはまるで蝶が飛んでいるように映る。その光りの中を、滑るように牡蠣(かき)船が走りゆく。

短歌 (「踏鞴」(たたら)32号に掲載)

ふるさとは海のある村ひたひたと波打ち寄せて潮騒聞こゆ

光る海潮騒の音響きくる牡蠣船がゆく滑るがごとく


 瀬戸の海が穏やかなときには、もちろん潮騒を聴くことができない。しかし、上げ潮になって、潮がいきおいよく村に押し寄せてくる時、潮騒を聴くことができる。そして岸辺に打ち寄せる波の音を聴くと、心がすがしくなる。岸辺に佇んでいつまでも耳を済ませている自分がいたりする。わが村は「潮騒の村」である。



ふるさと(1)

2015年7月30日(木) 晴れ時々曇り

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「ふるさと(1)」

 次の歌は踏鞴32号に掲載されたものである。季節は巡ってはいるが、その時の心情を記してみたい。わたしの村の前は瀬戸の海が悠然と広がっている。小さな島々が浮かんでいるがその果ては四国である。天気のいい日には、四国山脈の稜線が島々の上にかすんだように見える。その瀬戸の海を見るために、岡山市や福山市からやってくる人も少なくない。

短歌 (「踏鞴」(たたら)32号に掲載)

眼前の海はるかなり空と海分ける一線ゆるやかに延び

菜の花が光を浴びて揺れており岬の果ては春風強し


 この歌は春に詠んだものだが、水平線がなだらかに弧を描いており、岬から眺めるとほぼ180度見渡せる。岬の果てには菜の花畑があり、「春は名のみの風の寒さや」の早春賦の通りの風が吹いている。菜の花と風、花を眺め風が頬に触れると、一種の感動が胸に湧いてくる。春はもうそこまで、駆け足でやってきている。



這いずりながら

2015年7月29日(水) 晴れ時々曇り

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「這いずりながら」

 最近、ふたつの光景に遭遇した。ひとつは老女ふたりが、畑の斜面に這いつくばって草をぬく光景である。炎暑の日だった。30度を超えて猛烈な暑さの中、老女が斜面の畑を這いずりながら、草を抜いている。そんなにしてまで草を抜かなければならないのか、という疑問が湧くような光景だ。が、その老女のひたむきさに感動する。

短歌

炎暑の日媼(おうな)ふたりが這いながら憑かれたように草を抜きおり

戦争法媼(おうな)の覚悟たとえ倒れ這いずろうともデモに出でゆく


 ふたつには、もう傘寿を迎えようとしている老女が、反戦争法と反核のデモに出かけるという光景である。「まだらボケ」するような老女であるが、そのデモの日はしっかり覚えていて、使命感のようなものがひしひしと伝わってくる。「無理をしないで」とわたしなどは止めるのだが、それを押してデモにゆく。「決して日本を戦争する国にしてはならない」と、きっぱりといい放つ老女である。



ああ悲しけり

2015年7月28日(火) 曇り

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「ああ悲しけり」

 時おりわたしは海の見える山道へ散策にゆく。すると山の斜面に貼りつくように、大きな墓地や小さな墓地があちこちにあるのが見える。先日山道から海を眺めていると、ごく小さな墓地が視界に入ってきた。墓石は20基足らずのものだったけれど、四角錐の戦死墓が4基も建っていた。わたしは何かに駆られて急な斜面を下りていった。

短歌

わが村の小さな墓地に戦死墓いくつも建てりああ悲しけり

わが村の南の島の戦死者は戦争法をどう想うだろう


 墓地に降り立って戦死墓をみると、比島のブンカンで、27歳で戦死となっている。次の墓はボルネオで、30歳で戦死、そして旧満州のハルビンでは26歳で戦死していた。あとの墓には何も刻まれていなかった。ただ、年齢は25歳と記されている。このような若者が先の戦争の犠牲者になっている。いま審議されている戦争法案は、必ず葬りさらなければならないと思う。戦死墓は声なき声を挙げている。



蝉は何想う

2015年7月27日(月) 曇りのち雨

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「蝉は何想う」

 今年になって初めて蝉の鳴き声を聴いた。もう少し早くから鳴いていたのだろうが、わたしが耳にしたのは初めてだった。昆虫や鳥が鳴いたり光ったりするのは、だいたい求愛行動だと思って間違いないが、蝉も例に洩れず求愛行動に他ならない。メスは鳴かないで、オスだけが自分の居場所を知らせるために鳴くらしい。

短歌

鳴きつのる蝉よお前は何を見て何を想うかただ鳴くばかり

上半期終え来し方を振り返り心新たに散髪にゆく


 蝉の成虫の命は一週間ほどだと昔から伝えられてきていたが、本当は一カ月あるいは二カ月という説もある。真実のところはよく分からないが、いずれにしても短命であることには変わりがない。5年から15年も幼虫として土の中にいて、1~2カ月の命である。儚いといえば儚い命だ。その短期間のうちに子孫を残すという宿命がある。だから、蝉はひたすら鳴くのだろう。



海は思考する

2015年7月26日(日) 晴れ時々曇り

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「海は思考する」

 梅雨は明けたというのに、雨が降ったり曇ったりという日が2~3日あった。原稿用紙を開いても、なかなか短歌ができなくて、途方に暮れていた。そんなおりパソコンを落として村を回ってみた。わたしひとりだけの「吟行」である。村を回るといっても海の村なので、海を見にゆくということになる。

短歌

灰色の海しずかなり物思いにふける海は何も語らず

歳かさね心の悩みなかれども軍靴の音に心痛める


 その日は曇っていて、空は灰色の雲に埋め尽くされていた。空がどんより曇っていれば、当然のように海も灰色だ。「灰色の海」である。そんな日の海は穏やかで静かである。青い海の時のように、光りかがやくということもない。ただただ静かである。不気味な静けさで、しのびよる軍靴の音を聴いているのか、あるいは嘆いているのか、海は何を想っているのだろう。「灰色の海は思考する」



深い白

2015年7月25日(土) 晴れ時々曇り

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「深い白」

 最近「深い白」という言葉を知らされた。いままで白色に、深いとか濃いとか薄いとか淡いとかの表現に出会ったことがなかった。だから、「深い白」という言葉に出会ったとき、身体に電流が走った。が、「深い白」というのはどういう色なのだろうか、という疑問を抱いて過ごしていた。

短歌

夏空に乳色の雲浮かぶなりいよいよ青くいよいよ白い


 ところが、梅雨も明け照りつける陽射しも強かったので、偶然空を見上げた時だった。空が「深い青」に気づいた。眩しいくらいの「深い青」である。そして、その空に浮かんでいる雲が白い、「深い白」だった。わたしはいつまでも、その雲を眺めていた。「深い白」の雲なのだ。まさに眩しいばかりの「深い白」だった。



鳥の心が知りたい

2015年7月24日(金) 曇りのち晴れ

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「鳥の心が知りたい」

 中国地方も梅雨が明けた。いよいよ真夏の到来である。冬が厭なわたしにとっては、歓迎すべき季節だ。書斎から空を見上げると、深い青空と深い白い雲が浮かんでおり、夏になったことを告げている。裏の家の庭にはビニール製の子ども用のプールも出されていて、水が温かくなるのを待っている。昼下がりには、子どもたちがプールで水遊びをするのだろう。

短歌

翼もつ鳥の心を知りたくていついつまでも空見上げおり

一軒また一軒と電話する多数者革命心に秘めて


 空には黒点となってトンビが舞っている。悠々と風に乗って飛翔している。わたしは翼が欲しいとも鳥になりたい、とも思わない。ただ、鳥の心は知りたいと切に思う。彼らは何を思って青い空を飛んでいるのだろうか。彼らには人間のように、喜怒哀楽などというものはないのだろうか。その鳥の心を知りたいとわたしは思う。



うぐいすとほととぎす

2015年7月23日(木) 曇り時々雨

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「うぐいすとほととぎす」

 わたしの町は田舎といってもいいでしょう。が、片田舎というにはすこし違っているような気がする。とくに「へんぴな村里、田舎」というわけでもない。しかし田舎であることには変わりがない。ところがわが家の周辺には、小さな自動車整備工場、小さな縫製工場、小さな木材工場、そして終日鳴く犬の住宅がある。

短歌

ひもすがらほととぎす啼くひもすがら吾は書斎で読書するなり

ひもすがらほととぎす啼く吾ひとり北の書斎で綱領を読む


 それを三十一文字(みそひともじ)で表現するとこうなる。

しゅーしゅー
トントンきぃーん
ワンワンと
わが家のまわり
騒音のうず

 できうるなら、わたしはこの地から引越ししたい。夜はもちろんこのような音はしないけれど、わたしはほとんど終日書斎にこもっているので、この音にはうんざりだ。読書にはそれなりの集中力が求められる。が、これらの音がそれを妨げる。そんな中にあって、ほととぎすやうぐいすの鳴き声は、いらだつわたしの神経を癒やしてくれる。



厄介な短歌

2015年7月22日(水) 曇り時々雨

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「厄介な短歌」

 今日は短歌の話をさせていただこうと思う。次のふたつの短歌のうち、最初のものは無定型短歌である。この歌を果たして短歌と呼べるかどうかも疑問だ。そして、ふたつ目の歌は、57577をきちんと守っている定型の短歌である。が、しかしどちらの歌が、作者の実感に添っているかといえば、もちろん最初の歌だ。

短歌

わたしも
人並みに
死ぬほどの
恋をしたことが
あります

吾もまた世間並みには死ぬほどの恋したことがあったんですよ


 二首目の歌は、リズムが良くないし、無理矢理57577の定型にしたために、無駄な言葉を費やしている。短歌はできるだけ言葉を削りに削って、ゆかなければならないのに、この歌は一首目と比べて冗漫に過ぎる印象を否めない。短歌とは実に厄介な文学である。が、それにもかかわらず、わたしは定型短歌をめざしてゆきたい、と思っている。



大空を自由に翔ける

2015年7月21日(火) 曇り時々晴れ

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「大空を自由に翔ける」

 今回の台風はいつになく怖かった。四国の室戸岬あたりに上陸し、そのまま北上をつづけ瀬戸内海を渡って、わが村の近くに再上陸した。風速25メートル前後の暴風が時折「ごーっ」とうなりを上げていた。その風は夜明けまで吹きつづけた。しかし、闇が明けると嘘のように風はやんでいた。時々吹き返しが「名残り風」のように吹きつけてくるだけだった。

短歌

闇が明け台風一過鳥たちが嬉嬉として空自由に翔ける

戦争法強行採決黒き群れ鴉がさわぐわが村の空


 朝を迎えてその日は台風一過とまでは、いえないまでも穏やかな一日となった。雨は降りつづけていたが、静かな平常が戻ってきた。その翌日には雲の間から、光も射して嵐の去ったことを実感させた。それをもっとも敏感に感じとったのは、鳥たちではないでしょうか。それまで何処かに身をひそめていた鳥たちが、空を飛翔しているのが印象的だった。



招かれざる客

2015年7月20日(月) 曇り時々晴れ

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「招かれざる客」

 台風11号が17日深夜、倉敷市を直撃した。わたしの町からは20キロほど離れたところなので、ほぼわたしの町もそれに襲われたといってもいいだろう。この台風は風がとても強かった。いったん止んだかと思うと、ふたたび強風が吹き荒れた。風も吹きっぱなしというのでなく、強くなったり弱くなったりを繰り返す。

短歌

わが村が眠りに落ちた深き夜招かれざる客台風がくる

戦争法峠の寺の上空を黒雲がいと疾く流れる


 おそらく風速25メートルくらいの風が吹き荒れていたように思う。午前3時に目が覚めて、風の音を聞いていると怖くなってきた。そのうち停電もし、懐中電灯で家の中を見回った。しばらく眠られなかったが、強風におびえながらいつのまにか眠っていた。朝起きると、ポリ缶が飛ばされたり、物干し竿が落下したりしていた。まさに「招かれざる客」である。



ほととぎすとカラス

2015年7月19日(日) 曇り

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「ほととぎすとカラス」

 7月15日に「安保法制」、戦争法案が強行採決されましたね。この法案に反対する世論は過半数にのぼり、また説明不足という意見は7~8割で、「もっと審議を尽くして欲しい」という国民の声は大多数にのぼっていた。にもかかわらず、速記もとれないような情況のなかで、国民の多くの願いを踏みにじって、衆院の特別委員会で強行採決された。

短歌

戦争法強行採決の深き夜ほととぎす闇切り裂いて啼く

戦争法強行採決の昼下がり墓地上空を鴉群れ飛ぶ


 憲法と国民主権を踏みにじって強行された法案は、決して認めることはできない。政府与党の自民・公明は必ず国民から大きな反撃を食うことになるだろう。安倍内閣の「終りの始まり」ともいえるものである。7月16日、戦争法案は衆院を通過したが、国民のたたかいは、ますます広く深く大きく展開されることになるだろう。



寺の鐘

2015年7月18日(土) 曇り

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「寺の鐘」

 わが家からちょっと北へ登ったところに峠がある。東の山の稜線が落ち込み、西の山の稜線が途切れる辺りが、峠となって県道が走っている。その峠の丘に古刹がある。檀家が千人を優に超す大きな寺だ。その寺の鐘があかつきに鳴らされる。わが村の一日の始まりを告げるようにそれは鳴る。厳かで低い鐘の音だ。おそらく息災を祈って鳴らされているのだろう。

短歌

黄昏に村の峠の寺の鐘打ち鳴らされてひと日が終わる


 黄昏になると、やはり朝と同じように寺の鐘は打ち鳴らされる。が、夕暮れの鐘の音は朝とは違った趣がある。一日が無事終わったような、そんな鐘の音だ。しかし、村人が熱中症のために畑で倒れ、心臓が止まってもその鐘は打たれる。無事一日が終わらなくても、それは弔いの鐘となって打たれるのだろう。寺の鐘はわたしの暮らしの中に生きている。



子どもたちの影

2015年7月17日(金) 雨

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「子どもたちの影」

 わが家の裏の敷地に新しい家が建った。お嫁さんの実家が隣にあり、東京から越してくるということだ。わたしの棲む団地も廃屋が数軒あり、高齢化の波が押し寄せている。新しい家に棲むのは、夫婦と子ども二人とお腹に要る赤ちゃんだ。この住宅団地から子どもの声が消えて久しい。

短歌

リビングに灯かりが点り声高く子どもの影がふたつ跳ねてる


 先日の夜、新しい家に灯かりが点った。引越しは二十一日だそうだが、何か荷物が運び込まれているようだった。その灯かりがなんとも温かい。黒い闇の中に橙色の灯が点り、その新しい家で新しい生活が始まろうとするなんとも温かい灯だ。これから、一家五人の新しい営みが始まる。



人間は変わりゆく

2015年7月16日(木) 雨時々曇り

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「人間は変わりゆく」

 わたしも年相応に「少し腹が出て、頭も白髪混じり」になってきた。年だから仕方ないことかも知れないけれど、しかし気にならないという訳ではない。鏡を見るたびに不愉快な思いにさせられる。あの若い頃の姿は、いまはもうない。あの頃が懐かしく感じられる日々である。

短歌

腹が出て白髪が増える気にするな心も太く変わりゆくなり


 「人間は変わりゆく」ものということを、実感させられている。しかし、悲観するには及ばないという思いも一方にある。それは「いままで見えなかったものが、よく見えるようになったり、心も身体と同じように太く、強くなったりする」ということでもある。したがっていつの世代でも、その一瞬、一瞬を精一杯生きるということが、求められているということだろう。



短歌の怖さ難しさ

2015年7月15日(水) 晴れ時々曇り

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「短歌の怖さ難しさ」

 短歌を始めてはやというか、ようやくというか、いずれにしても6カ月が経過した。この頃やっと短歌というものが少し分かりかけてきた。しかし、歌会などで詠草の批評会をやると、ほとんどといっていいほど異がとなえられる。そのおもなものは、読者に意味が通らないということと、事実と違う表現がなされているということである。

短歌

歌会にて三十一文字に表現す難しさまた思い知らさる


 たとえば、「青空の高き枝々合歓が咲く蝶が舞うごとひらりひらりと」という歌でいうと、「合歓の木」は、高くないという指摘を受ける。そして、辞書を引いてみると「マメ科の落葉小高木」と記されている。さらに調べると、小高木とは10m未満の木々をいうそうだ。10m未満の木を「高き枝々」と表現してはいけないのかということになる。このように、「短歌の怖さ難しさ」を思い知らされ、それが分かりかけたこの頃である。



恋人の手紙を待つように

2015年7月14日(火) 晴れ時々曇り

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「恋人の手紙を待つように」

 わたしの書斎は二階にあり、だいたいそこで読書をしたり、仕事(情報入手や文学のためのパソコン作業)をしたりしている。郵便受けは玄関にあり、だいたい書斎の下あたりである。だから、郵便局のオートバイのエンジン音が止まったら、我が家への配達だということが分かるようになっている。午後3時を過ぎると、それがいくらか気になってくる。

短歌

恋人の便り待つごといち早く郵便受けに駆け下りてゆく

電線が二本かすかに揺れている南の海に台風があり


 つまり、わたしはいい報せをいつも待っているのだ。しかし、実際に届くのは市役所からの、国保税や固定資産税の納付書であったり、電話代やガス代の請求書であったりすることが多い。が、オートバイが止まると、わたしは2階から駆け下りてゆき郵便受けの封書などを取り出す。まるで、「恋人からの手紙を待つように」封を開ける。その心持ちはささやかな倖せのような気がする。



逃げ水

2015年7月13日(月) 曇り

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「逃げ水」

 遠い日のことだが、わたしが小説の中で「逃げ水」のことを蜃気楼だと表現したら、先輩が「蜃気楼は富山県だけで見られる現象だ」ということで、鋭い指摘を受けたことがある。ところが最近辞書で「逃げ水」を引いて見ると、「蜃気楼の一種、草原などで遠くに水があるように見え、近づくと逃げてしまう幻の水」との記述がある。

短歌

夏来たり日ごと光りは強まりて日ごと翳りは濃くなりてゆく

ひたすらに駆けてゆけども逃げ水は先へ先へと遠のくばかり


 わたしは高校時代長距離ランナーだった。夏の暑い盛りにアスファルト道路を走ったことがある。すると、前方にちょうど水がまかれたような現象がおこった。わたしはその水を追うように、ひたすら走り続けたことがある。しかし、その水はゆけどもゆけども遠のくばかり。それが蜃気楼の一種の「逃げ水」だった。遠い日の思い出である。



うぐいすの谷渡り

2015年7月12日(日) 曇り

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「うぐいすの谷渡り」

 わたしは本が好きで暇があれば本を開いている。わたしの棲むところは海の町であるが、背後には山が聳え立っている。わたしの書斎からは裏山がすぐそこに見える。裏山が迫っている趣である。そんな書斎で本を読んでいるのだが、なぜかよく疲れてしまう。たびたび本を閉じて、窓の外の風景をぼーっと眺める。

短歌

書斎にて読書に疲れ本閉じる窓見上げればうぐいすが鳴く

乳色の朝霧立ちて光り射し山は遠くにかすんで見える


 東の山と西の山が交わる麓の峠に古い寺がある。その辺りを眺めていると、不意にうぐいすの鳴き声が聴こえてくる。うぐいすの谷渡りである。うぐいすはなぜあんな美しい声で鳴くのだろうか。読書に疲れたわたしは、うぐいすの鳴き声でずいぶん癒やされる。その裏山に新しい道路がつくという。なぜこんな片田舎に新しい道がいるのか、不思議でならない。うぐいすの鳴き声を奪わないようにして欲しい、と切に願っている。



サッカーを文化に

2015年7月11日(土) 曇り時々晴れ

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「サッカーを文化に」

 いったいあんなことがあるのだろうか。前半16分の間に4点を失うということが、とても考えられないことだ。みなさんもご存知のように、女子サッカーワールドカップの決勝戦のことである。まるで悪夢を見ているようだった。これはアメリカの知恵を絞った作戦勝ちのように思う。非常に残念で悔しい思いをさせられた。だが、日本はそれでも諦めず2点を奪い一矢を報いた。最後までよくたたかったと言えるだろう。

短歌

サッカーを文化に!と言う宮間あや準優勝の誇れる言葉


 試合には敗れはしたが、懸命にボールを追う選手の姿には感動した。逆境にあっても試合を投げることなく、最後までよくたたかったと思う。そして何より感動的なのは、試合後のキャプテン、宮間あやの言葉である。「女子サッカーをブームに終わらせることなく、文化にしたい!」という言葉は、優勝にさえ劣ることのない、志しの高さを示すものとして、わたしの心を強く打った。



広島球団の深意

2015年7月10日(金) 曇りのち晴れ

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「広島球団の深意」

 わたしは子どもの頃から巨人の大ファンだった。わたしの故郷から近い広島でもなく阪神でもなかった。わたしの巨人ファンは、ほとんど兄の影響によるものだったように思う。もの心つく頃にはもう自然に巨人を応援していた。そこへ、王、長島の登場で巨人ファンは揺るぎないものになっていった。しかし、わたしが大きくなって、巨人への疑問はいくつも重なってゆき、いつしか広島を応援するようになった。

短歌

ヒロシマが胸にPEACEを背番号八十六をつけ試合する



 今年は戦後70年である。広島球団は先の戦争と原爆投下の日を決して忘れてはならない、風化させてはならないとして、胸にピース、背に86の番号をつけて試合をする、と発表した。「粋な計らい」と、言えなくもないが、この決断はもっと深い意味があり、重いものがある。8月6日に阪神とたたかうということだ。広島ファンとして、この決断に賛意を表したい。



小石が落ちるように

2015年7月9日(木) 曇りのち雨

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「小石が落ちるように」

 みなさんはこういう経験はないでしょうか。ぼんやりと窓の外の風景を見ているとき、サーッと垂直に落ちる小さな物体。それはまるで小石が落下するように、眼前を過ぎ去ってゆく。「あ!」と思って息を呑んでいると、また何物かが舞い上がってゆく。そこで初めて小鳥だと分かる。

短歌

垂直に落下するごと鳥が落つ窓に映りてまた舞い上がる

苦労して歌のひとつも作れない夜むなしくて気分憂うつ


 その何秒かの出来事に胸がさわだつ。小石のように垂直に落下した物体がまた舞い上がる。それが小鳥だったという発見、それに感動する。なぜ小鳥は垂直に小石のように落ちてゆくのか、餌を見つけたのか、あるいは外敵から逃げてゆくためか、それとも求愛行動か、それはいまも謎である。



砂を嚙むような

2015年7月8日(水) 曇り時々雨

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「砂を嚙むような」

 わたしはわたしなりに、日々を退屈しないように送っているつもりである。定年になったあとも、生活のリズムは比較的保たれている。定年になると日々何をしていいか困る、というようなこともなく過ごしている。図書館などに行くと、所在なく新聞や雑誌コーナーで、時間を潰している人をよく見かける。

短歌

孫娘まりもの土産匂い立つ風とみずうみ君の黒髪

砂を嚙むような暮らしに少し飽き手にとる歌誌は「新日本歌人」


 そんなわたしだが、ふと味気ない一日だなと感じることも少なくない。心が乾いてきて潤いがなくなるのを実感する瞬間がある。まさに、砂を嚙むようなひとときに襲われるのだ。そんなとき手にするのは本である。どんな本でもいいが、わたしにはやはり文学書が合っている。本を開くと心が満たされてくるのが分かる。そんな日々を送っているわたしである。



わたしの原点

2015年7月7日(火) 曇り時々雨

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「わたしの原点」

 いまわたしは六十七歳、まだまだ衰えてはいられない、まだまだやることがあるという思いがある。いまひとつは短歌の道である。今年になって始めたばかりだが、もう半年経った。そしていま思うのは、短歌の道の難しさと険しさ、怖さである。半年は無我夢中でやってきて、楽しさに包まれていたが、いまひとつの壁ともいうものに突き当たっている。だが、どんな道も平坦な道ばかりではなく、いばらの道がありそれを乗り越えてゆくことが求められている。

短歌

遥かなるわが人生の原点は高校生の文芸部なり

文学に目覚めたるは遥かなる高校時代の文芸部なり


 ふたつには社会をよりよくする、したいと夢である。この文学の道と社会変革の道の原点は、高校時代の文芸部にある。その原点がわたしをささえ、ここまで突き動かしてきたように思う。ちょうどあれから五十年である。人間も不思議なもので、原点から大きく道をそれることもなく、よくここまでこられたものだ。五十年目の節目にあたって、ひとつの感慨がある。



若き高校時代

2015年7月6日(月) 曇り

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「若き高校時代」

 先日、孫の女高生を駅まで迎えに行った。彼女は明るく社交性があり、人に対してとても親切だ。将来は保育士か幼稚園の先生になりたいという夢を描いている。まだ高校に入学したばかりだが、自分の夢を叶えるために、もう大学選びを始めている。彼女の心の内を訊いたわけではないが、いまがもっとも多感な思春期である。きっとふたつやみっつの悩みを抱えながら過ごしている筈だ。

短歌

わが孫は十六歳の女高生夢と悩みで揺れる思春期

人間はなぜ生きるのか思いつむ遠き日のこといまだ忘れず


 わたしの高校時代は悩み多き季節だった。とくに「人間は何のために生きるのか、生きているのか」ということなどを、真剣に考えていた。弁論大会にも出て、そのことを学友に問いかけたこともある。高校時代はわたしの生きる原点になっている。彼女にも高校生活は夢を追うと同時に、大いに思い悩む時代であって欲しい、と願っている。



くらし楽にならざり

2015年7月5日(日) 曇り時々雨

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「くらし楽にならざり」

 わたしは家計簿をつけている。昔と比べて家計簿はずいぶんつけやすくなったように思う。いまはレシートや領収書がほとんど発行されるから、それをパソコンに入力するだけなので、手間ひまをかけるということはない。家計簿をつけていいと思うことは、「台所から社会や政治が透けて見える」ということだ。家計簿はいまの社会や政治を、リアルに反映し深く捉えているように思う。

短歌

ぎりぎりの苦しき暮らし家計簿を開いてみてはため息ばかり

消費税社会保障のためと言い為すことすべて逆行ばかり


 「くらし楽にならざり」は、啄木の時代だけではない。いまもなお、庶民の暮らしは楽になったとは言い難く、わたしも家計簿を見ては、ため息をついている。富裕層と庶民の暮らしの格差はずいぶん広がっており、庶民のための社会・政治が強く求められている。

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活楽にならざり
 ぢっと手を見る
             石川啄木



新たな出発

2015年7月4日(土) 曇り時々晴れ

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「新たな出発」

 2015年早くも上半期が終わりました。わたしはこの半年何をしてきただろう、という思いに囚われている。もっとも厭な季節から春へ、そして夏へと季節は巡ってきたが、わたしの心の内側は満たされていただろうか、という想いである。わたしの生き方が大きく変わったのは、小説の創作から短歌への道へと踏み出したことだろう。

短歌

水無月の最終日なり振り返り心新たに散髪にゆく

年始より短歌はじめて六ヵ月気持新たに暦をめくる


 何よりも大きく変わったのは友人である。小説の仲間との交流がまったく途絶えたわけではないが、新しい友人がたくさんできたことは本当に嬉しい。小学生の歌人から百歳の歌人との交流は、刺激的でわたしの心をときめかす。下半期が始まってわたしは新たな出発をしたいと思っている。短歌だけではなくて、厳しい現実と鋭く切り結んで生きてゆきたい、と願っている。



友の熱い心

2015年7月3日(金) 曇りのち晴れ

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「友の熱い心」

 わたしには少なくない友人・知人がいる。そのうちのひとりの友人は、いま国会で審議されている「安保法制」、いわゆる戦争法案に対して、大きな憂慮の念を抱いている。いままで、社会や政治にあまり関心のなかった友人である。ところが、この戦争法案は明らかに憲法違反だとして、わたしや自分の知り合いに、そのことを説いて歩いている。

短歌

喫茶にて戦争法の違憲性つばき飛ばして友は説くなり

雨上がり戦争法の訴えに靴紐しめて出でてゆくなり


 友人は「いま、日本は平和と戦争の岐路に立たされている」として、熱く語っている。早朝の駅頭にも立って、出勤・通学の市民のみなさんにも、メガホンで訴えている。瀬戸内寂聴さんも、病気上がりの身体で、国会前集会に参加して、「いま、寝ているときではない」として、「どんな戦争であっても許されない」と、この法案の成立にノーの声を挙げている。わたしも、友人や寂聴さんの呼びかけに応え、靴紐をかたく締めて署名行動に出かけている。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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