スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

‘14年ささやき日記 「僕の後ろに道は出来る」

2014(H26)年7月31日(木) 曇り時々晴れ

   タイトル 「僕の後ろに道は出来る」

 高村光太郎の「道程」。僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る いい詩だな、というのを実感している。この道は、人生でもあり、ものごとの在りようでもある。

 私は、ほとんど毎日散策しているが、そのことを痛感している。夏のウオーキングは、日かげを求めて山道を歩いている。

 すると、人が足をあまり踏み入れないので、道に草木があったり、道の上を樹の枝が覆っていたりする。歩くのに足元の草木が邪魔になったり、枝が前に進むのをはばんだりする。

 私は散策のたびに、草木を折ったり、引き抜いたりする。また、樹の枝を折り曲げたり、他の樹にくくりつけたりしている。こうして、歩きやすい新しい道ができつつある。まさに、「僕の後ろに道は出来る」である。



スポンサーサイト

‘14年夢日記 「7月を回顧する」

2014(H26)年7月31日(木) 曇り時々晴れ

   タイトル 「7月を回顧する」

 私の友人は猛暑・酷暑のためにダウンした。1日寝込んだという。また、町内会の人が、グラウンドゴルフをしている最中に気分が悪くなって、救急車で運ばれた。このように、7月23日から7月27日までは、35度、36度、37度という気温がつづいた。私もその暑さには閉口したが、身体の異変は起こらなかった。

 何よりも私の心をとらえて放さないのは、倉敷民商事件で逮捕・勾留されている3人の事務局員たちのことである。彼らにはエアコンはもちろん、扇風機さえも与えられていない。あるのは団扇(うちわ)1枚だけである。しかも、2畳ほどの独房で、蚊に喰われ暑さに襲われている。身体を拭くことが許されているのは、夕食後の1回のみである。

 彼らには、この暑さは拷問に等しいと言わなければならない。私が書斎で扇風機を回していても、頭がくらくらするくらいだから、団扇1枚ではとても耐えられるものではない。が、彼らは無罪を主張し、容疑を否認し、倉敷民商への弾圧に対して、毅然とたたかっている。彼らが釈放されたら、温泉地にでも保養にいかせてやりたい思いでいっぱいだ。

 7月はいろんな集会や学習会に出かけることになった。①憲法の学習会 ②共産党の演説会 ③倉敷民商事件・禰屋(ねや)町子さんの第3回公判 ④すます伸子さんを囲む集い ⑤倉敷民商を支える市民集会など多彩な催しに参加して、私の生きる力を前へと押し出してもらった。

 このような集会や学習会への参加は、私の背中を押してくれる。ただ単に書斎で読書をしているのとは違った学びがある。これからもできるだけこのような催しには参加したいと思っている。小さな村でしかも書斎にこもっていることが多いので、街へ出かけて行って、街の空気に触れることも必要である。

 読書は比較的すすんだ。ちょっと挙げてみると、長瀬佳代子の「梅の木のある家」、「民主文学」8月号、旭爪あかねの「歩き直してきた道」、黛まどかの「うた、ひとひら」、山田善二郎の「日本近現代史のなかの救援運動」、山田洋次の「寅さんと日本の民衆」、「世界一素朴な質問と宇宙一美しい答え」、山田洋次・三上満共著の「映画・教育・愛」という本を読んだ。

 これらの本からも多くのことを学ぶことができた。私は手元に本がないと、「夜も日も明けない」ので、これからも愉しみながら読書をしてゆきたいと思っている。「書くほう」は、7月から夢日記に加えて、ささやき日記を書くようになった。が、このささやき日記が、意外に難しいのだ。原稿用紙1枚くらいを目途にしているが、モチーフに苦しんでいる。

 「健康のために何かいいことをしていますか」と問われたら、私はためらわずに、「ウオーキングとゴルフ」と答えるだろう。昨年までは、夏の歩きはウオーキングマシンによって室内でやっていた。YouTubeの音楽と動画を見ながら、ウオーキングをやっていたが、今年からは室外で行うようにした。

 格好のウオーキング場所を見つけたのだ。午後4時30分になると、西の山に陽が隠れる。そうすると、山の麓の道は日かげになる。そこを散策するのだ。このようにして、7月は大過なく過ごすことができた。ほぼ、「7月をデザインする」、という計画どおりにやれたのではないだろうか。下半期の第1の月である7月を無難に送ることができたように思う。



‘14年ささやき日記 「愉しい読書」

2014(H26)年7月30日(水) 晴れ時々曇り

   タイトル 「愉しい読書」

 本がなければ、「夜も日も明けず」というのが、私の日常である。だから、私の手元には必ず本がある。しかし、最近、難しい本はちょっと億劫(おっくう)になってきた。

 だから、これから読む本は愉しめるものを選んで、読みたいと思っている。「人生を楽しむ」というのが、私のひとつのモットーだから、それに添ったものを読むつもりだ。

 社会科学の文献は、嫌いじゃないので、引きつづいて読んでゆくだろうが、あとは面白い小説やエッセイに親しんでゆきたいと思っている。

 できれば、希望に満ちた本がいい。未来に視座をおいて、人生を半歩でも一歩でも前に押し出してくれるような本がいい。そのためには、その本の背後に、いまの社会や政治をしっかり認識したものがいい。それが、「愉しい読書」となる。



‘14年夢日記 「倉敷民商を支える市民集会」

2014(H26)年7月30日(水) 晴れ時々曇り

   タイトル 「倉敷民商を支える市民集会」

 まず、倉敷民商事務局員の3人の家族の訴えについて、記しておきたい。「私の夫は逮捕・勾留されてから、すでに5カ月が経過した。それまで一度の面会も許されていなかったが、一部接見禁止解除がなされて、7月25日に30分だけ面会することができた。高校生の娘とともに拘置所を訪れた」

 「夫は2畳ほどの独房に拘束されている。もちろん冷房はなく、扇風機も許されていない。25日には岡山市は36度にもなったが、許されているのは団扇(うちわ)1枚だけである。団扇を使っても暖かい風が来るだけだし、腕を動かすのに疲れ、あまり使用してないようだ」

 「この暑さの中でも、自由に身体を拭くことは許されていない。夕食後1回だけ身体を拭くことができる。蚊も入ってくるし、食欲も落ちている。風呂は週2回許されているだけである。しかも、かけ湯は13回までと決められており、誤って14回のかけ湯をした。すると、懲罰委員会にかけられて、始末書のような文書を書かされたということである」

 「容疑を否認し、弾圧事件だという旗を掲げているために、保釈されないということだ。容疑を認め、弾圧事件だという旗を降ろせば、釈放するという。私は日本の司法がこれだけ封建的だということをまったく知らなかった。まさに『人質司法』ということを実感している」ある事務局員の妻をこのように述べた。

 「妻はすでに6カ月の勾留生活を余儀なくされている。私の母は90歳で、軽い認知症状が出ている。その母が、嫁がいなくなったのは、介護をめぐっていさかいがあり、出ていったのではないかという心配をしている。また、私が岡山に行くと言うと、こっそり嫁に会いにいくのではないかと疑っている。身体的な暴力は加えられないけれども、精神的な拷問に等しいと妻は(弁護士に)言っている」

 「私は今年のはじめに心肺停止で倒れた。奇跡的に回復したが、私は息子の逮捕のことはしばらく聞かされなかった。息子のことを聞かされたのは、ずっとあとのことだった。私の息子が悪いことができる筈がない。息子は信念の強い男だ。決して、自分の言い分を曲げるようなことはしないだろう。息子はきっと最後まで、信条をつらぬいていってくれると信じている」

 3人の被告の、家族の方々が縷々(るる)語り、私の胸に込み上げるものがあった。ひとりの家族の方は涙ながらに語った。この集会の特徴的なことは、沖縄民商、大阪の西成民商、神戸の民商から駆けつけてくれたことである。神戸の民商の方は、「この倉敷民商弾圧事件は、決してひとりここだけの問題ではない。自らの問題と位置づけてたたかってゆきたい」と連帯のあいさつを述べた。

 弁護団からは、清水団長、則武弁護士、千田弁護士の3人から報告があった。倉敷民商事件の本質とは何か、それは明らかな倉敷民商に対する組織弾圧事件であることをいくつかの、角度から解明した。そして、民商・全商連の生い立ちと歴史に触れ、その弾圧の歴史も明らかにした。また、身柄拘束については、①保釈 ②接見禁止の解除 ③一部解除とあるが、検察・裁判所の立場は、自白しないと釈放しないというものである。

 倉敷労働会館は、用意した椅子では足らないほどの人がつめかけた。全国からも署名やカンパが続々と寄せられているという報告があった。永いたたかいになることは間違いない。が、私はこの弾圧事件の勝利をめざして、最後まで支援をつづけてゆきたいと、心を新たにした。「私は無罪である」と、毅然とたたかう3人に、励ましと連帯のエールを送りたい。



‘14年ささやき日記 「なぜ、ゴルフ?」

2014(H26)年7月29日(火) 晴れ

   タイトル 「なぜ、ゴルフ?」

 日曜日にゴルフに出かけた。といっても、コースに出るわけではない。ゴルフ練習場での打ちっ放しである。これからもコースに出るつもりはない。

 それは、ひとえに経済的理由からである。1回で2万円近い支出は考えられない。打ちっ放しなら、終日でも1,000円である。コースに出なくても楽しいのかと思いつつ、なぜ、打ちっ放しをするのかという自問もある。

 ひとつは、健康のためである。2時間も打てば足腰が鍛えられたように感じる。鍛えられないにしても、体力維持には確実に役立っているように思う。

 ふたつには、ゴルフボールを飛ばす爽快感を味わうためである。日ごろ書斎にこもることが多い生活なので、「外に出て、白球を打つ」のは、精神が解放される。冬にはどうするか分からないが、いい季節にはゴルフを楽しむつもりである。



‘14年夢日記 「『旭爪あかねの本』を読む」

2014(H26)年7月29日(火) 晴れ

   タイトル 「『旭爪あかねの本』を読む」

 旭爪あかねの「歩き直してきた道」という本は、岡山県立図書館にリクエストして、購入してもらった本である。私は本というものをほとんど買わない。それは経済的理由によるものだが、図書館でだいたい間に合う。無いものはリクエストして取り寄せて貰っている。だから、わが家には比較的大きい本棚がふたつあるだけだ。

 この本、「歩き直してきた道」というのは、夢中になって読んだ。時の経つのも忘れるくらい興趣のある本だった。ただ、これが彼女の体験にもとづくエッセイであるだけに、切実な内容となっている。決して安易には読めない重たいテーマに挑戦しており、彼女の人間性が余すところなく表出している。

 彼女は20代のほとんど10年間を、「ひきこもって」生きてきた。その原因を彼女に言わせれば、少女期から思春期まで「いい子を演技」してきたことによる破綻だという位置づけをしている。「いい子を演技」するということはどういうことか。それは人の評価を必要以上に気にするということである。

 たしかに、差別と選別の教育がなされてきたという背景があるが、しかし誰でもが「ひきこもり」になるわけじゃない。それは彼女自身の持っている性質と性格とに深く関わっている。が、それにしても、いまの日本で70万人もの人たちがひきこもっているという現実は、ひとり個々人の性質や性格だけに原因を求めることはできない。

 彼女はこの本を書くにあたって、「嘘は書かない」ということを心に誓って書き始めたとある。それだけに、彼女の48年の人生が赤裸々に綴られている。アルバイトを転々と変わったことや就職したものの職場に行けなくなったことなどが述べられている。対面恐怖症のようなことがあり、大学院を出た女性が新聞配達しなければならないというのは、いかにも痛々しい。

 ひきこもって酒を飲むというのも、読者の胸をつまらせる。しかし、彼女はひきこもりから半歩、一歩と前へ踏み出そうと小説を書くようになる。ある文学団体の創作講座に通い、文学仲間と同人誌を出すようにもなる。そういう中で、他者との交わりも次第にできてくる。しかし、それで対人関係がなんのこだわりもなく出来るようになったかというとそうではない。

 そんな中で、小説の新聞連載の話が持ち上がる。新聞に自分の小説が発表できるという想いと同時に、それ以上に「お金を手にすることができる(経済的な自立)」ということが、彼女の心を占めることになって、決断するのである。この作品は「稲の旋律」というもので、ひきこもりの若い女性が、稲づくり、農業体験を通じて、前に一歩踏み出すという物語である。

 この小説は、賛否両論があったが、多くの読者を獲得した。が、彼女は一日の原稿を書き終えるとぐったりとして、酒を飲んで寝るという状態だった。「稲の旋律」が本になり、しばらくすると、映画づくりの話が持ち上がった。紆余曲折はあったが、「アンダンテ~稲の旋律~」という映画が完成した。そして、自主上映にも関わらず22万人もの人が観賞したのである。

 が、彼女はそれで、対人関係や人の評価を気にすることがなくなったわけではなかった。彼女は小説を書き始めてすでに6冊もの本を刊行しているが、まだ、ひきこもりの後遺症を引きずっている。まだ、「節酒や休肝」を心がけなければならないという。が、彼女は、本の最後にこのように書いて締めくくっている。

 「ひとりひとりの小さな格闘と、結び合わされた大きな格闘とが、生きるに値する世界という希望の果実を実らせることを信じます」

 私は、その彼女の誓いに対して、心からその願いが叶うように祈らずにはおられない。これはそんな本である。



‘14年ささやき日記 「さすがに暑い!」

2014(H26)年7月28日(月) 晴れ

   タイトル 「さすがに暑い!」

 私は夏に強いし好きな季節である。が、7月24日から26日まで、35度、36度、37度と気温が推移してきた。夜も25度を下るというようなことはなかった。

 さすがに暑い。これはまさに異常というほかない。フィリピンの東海上の海水温が高く、日本列島を高気圧がすっぽり覆っているからということである。

 が、私はエアコンを使わずにいる。26日37度のときも、扇風機だけで乗り切った。今年はエアコンを使わないと誓ったので、それを守っている。

 けれど、こんな暑さでも私は冬よりか夏の方が好きである。やがて、この夏も平年並みの温度に戻るだろう。この異常気温も地球温暖化のなせるわざなのだろうか。だとすれば、地球の人間への警告だといわざるをえない。



‘14年夢日記 「『寅さんと日本の民衆』を読む」

2014(H26)年7月28日(月) 晴れ

   タイトル 「『寅さんと日本の民衆』を読む」

 山田洋次監督の映画は好きで、ほとんど見ている。「寅さんシリーズ」をはじめ、「家族」、「同胞」、「幸せの黄色いハンカチ」、「キネマの天地」、「ダウンタウン・ヒーローズ」、「学校」、「息子」、最近では「母べえ」、「小さいおうち」などがある。日本でも有数な映画監督といってもいいだろう。

 その山田監督が、この本で「映画づくりについて」や「寅さん」、「渥美清について」などについて語っている。監督はまず映画のテーマについてこう述べている。「よく、この映画でどんなことをいいたいんですかとか、どんなテーマなんですかという質問をされると、とても面食らいます」

 「ぼく自身が自分のつくった映画を振り返ってながめながら、ああ、そうか、ぼくはこんなことをいおうとしていたんじゃないかとか、それだったらこういうふうに作ればよかったんだな、というふうに考えたり、反省したりする。ですから、『こういうことをいいたいんだから、こういう映画を作ります』、というものでは決してないんです」このように彼は語っている。

 これは、小説を書く時でも同じようなことがいえる。おおよその「書きたいことや題材は持っているけれど、テーマは何か? というように大上段に構えて書く」作家はあまりいないように思う。私も小説を書く時、題材や人間像は強く意識するけれど、テーマについては、比較的「ふわっと」したものを心にいだいているということが多い。

 が、誤解があってはいけないので、ひとこと述べておきたいのは、明確なテーマを持って書く作家も少なからずいるということだ。だから映画づくりでも、小説づくりでも、いろんな創作方法があるということを言っておかなければならない。ある作家は、主人公のイメージが浮かんできたら、筆をとって書き始めるという。あとは主人公がステージで自由に動くのにまかせる。だから、創作方法は多種多様、多彩だということである。

 山田監督は、「寅さんという映画は、観客が笑ってくれる映画で、笑ってくれることによってぼくたち作り手は幸福なんです」と語っている。「作り手はおかしい映画をつくるとか、悲しい映画をつくるというようなことを考えずに、まじめにつくればいいんだということです」と、「寅さんの映画づくり」の気持ちの在りようを述べている。

 渥美清という役者がいなかったら、「寅さん」という映画は誕生していなかったとして、監督は渥美清について熱く語っている。「なんといっても主演の渥美清さんという人がすばらしい人間なんです。単に芝居がうまいということだけじゃない。ものの考え方、見方、人間を観察する能力、どういう視点で人間をとらえるかという、その目の高さ、その辺がぼくたちがいつも学ばせられるところです」

 「そして、ぼくの周りにも寅のような少年がいたわけで、勉強にはまったく関心がなくって、学校以外の場で大活躍しているような、本当はぼくよりそういう不良少年のほうが偉いんじゃないかなという気持ちが、どっかにありました」

 「考えてみると、そういう不良少年の典型ともいうべき人、つまり渥美さんとぼくはめぐりあって、彼へのあこがれを描きつづったのが寅さんという人物像なんじゃないのかな、という気もしているんです」、まさに寅さんと渥美清は、日本の民衆の「心のふるさと」という趣きがあり、なつかしい日本人の心の底流を流れるものを描き出している。「寅さんの映画」はいつまでも語り継がれる、すぐれた映画である。



‘14年ささやき日記 「旭爪あかねの本に夢中」

2014(H26)年7月27日(日) 曇り

   タイトル 「旭爪あかねの本に夢中」

 旭爪あかねの「歩き直してきた道」という本が、実に面白い。まだ読み始めたばかりだが、私を夢中にさせている。時間も忘れて読みふけっている。

 面白いというのは、「おもしろ可笑しい」という意味ではない。辞書によれば、「心をひかれるさま、興趣がある」と記されているが、「あじわい」があるということである。

 彼女は大学院まで出ていながら、対人恐怖症のようになり、新聞配達をしたり、さまざまなアルバイトをしたりする。いわゆる「いい子」を演ずるような生き方のなかで、やがて引きこもりになる。

 引きこもりのなかで、お酒におぼれるようにもなるが、やがて彼女は「子どもの頃からのあこがれであった、小説を書き始める」。まだまだ話はこれからだ。彼女の心に触れることができる、そんな本だ。



‘14年夢日記 「安倍内閣急降下」

2014(H26)年7月27日(日) 曇り

   タイトル 「安倍内閣急降下」

 安倍内閣の支持率が急降下しつつある。時事通信の7月の世論調査で、前月比6.4ポイント減の44.6%に落ち込んだ。不支持率は8.1%増の34.6%で、政権発足後最高を更新した。時事通信は、集団的自衛権行使容認の閣議決定への国民の理解が広がらず、支持率が低下したとみられる、と分析している。安倍内閣発足以来支持率は最低を記録した。

 安倍内閣発足以来、彼がやってきたことで、国民の暮らしやいのち、平和と民主主義を守り前進させるというようなことがあっただろうか。暮らしやいのちを守るという点では、真逆(まぎゃく)な政策を実行してきているように思う。まず消費税を5%から8%へと増税させた。3%の増税で6~8兆円の増税だともいわれている。

 消費税は最悪の不公平税制である。つまり、所得の少ない世帯・人にこそ負担がより大きくなるというものだ。消費税に頼らなくてもいい他の道がある。それは応能負担という原則である。企業であれ個人であれ、この原則をつらぬいてゆくというのが、正しい税制のあり方だろう。

 「消費税は全額社会保障にあてます」という答弁を繰り返してきたが、それが嘘・偽りであることが浮び上がってきている。社会保障は、ずたずたに切り刻まれているのが実情だ。生活保護費の削減、医療・介護保険の大改悪、そして年金の削減である。一方、大企業や大資産家には、法人税率の引き下げ等によって、彼らに奉仕し優遇政策を実行しようとしている。

 TPPの問題も看過できないが、平和と民主主義の問題は、国の進路、戦争か平和かの岐路に立たされている重要な問題である。特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定などは、戦前への回帰を彷彿とさせるものだ。安倍首相は、選挙中に「日本を取り戻す」と盛んに訴えていたが、つまりは戦前の社会を取り戻すということだった、ということが明らかになりつつある。

 原発問題はどうだろうか。鹿児島県の川内原発の再稼動にあたって、彼は九州財界の会合で「川内はなんとかしますよ」という発言をしたとされている。まだ、福島原発の原因もわからず、炉内がどうなっているかも不明で、何万人もの避難者がいるというのに、再稼動というのは決して容認できない。

 沖縄の基地問題はどうだろうか。名護市民は辺野古の海に基地はいらないとして、選挙できっぱり審判を下している。にもかかわらず、辺野古へ基地を建設する動きが実際にすすめられており、重大な局面である。沖縄の基地が日本を守るというのは幻想にすぎない。イラク侵略戦争でも沖縄の基地を拠点にして遂行されたのである。ただちに辺野古への新基地建設はやめるべきである。

 安倍内閣の政策が根本的に欠落しているのは、「主権在民」という思想である。それをやさしく言えば、「人間不在の政治」ということがいえるだろう。「主権は国民にある」、「人間愛」という思想の欠片(かけら)もないところに、いまの政治のゆがみがあるといわなければならない。

 安倍内閣の支持率が急落した背景には、こうした政策を実行してきたことがよこたわっている。彼はさらにその政策を強力に推し進めようとしているので、国民との矛盾は深まるばかりである。さらに支持率は右肩下がりをつづけ、いずれ内閣の危機が訪れるだろう。いままさに、彼にレッドカードを突きつける時である。



‘14年ささやき日記 「旭爪あかねの本が届く」

2014(H26)年7月26日(土) 晴れ時々曇り

   タイトル 「旭爪あかねの本が届く」

 岡山県立図書館にリクエストしていた本が、最寄りの図書館に送られてきた。旭爪あかねの「歩き直してきた道」という本である。

 リクエスト(購入希望)した本が、こうして手に入るのは、嬉しい限りである。さすが、日本一の貸し出し冊数を誇る、図書館ならではのことなのだろうか。

 私は旭爪あかねのファンである。1冊を除いて全部読んでいるが、彼女の人間を見る眼が温かい。それは作者自身が、引きこもりになった体験をもっているからのように思う。

 さっそく、今日から読み始めるつもりでいる。これは小説ではなく、自身の体験に根ざしたノンフィクションのようだが、読む前からワクワクした気持ちである。



‘14年夢日記 「対談、山田洋次・三上満」

2014(H26)年7月26日(土) 晴れ時々曇り

   タイトル 「対談、山田洋次・三上満」

 山田洋次と三上満の対談集を読んだ。本の表紙には、「めんどうくさいもの・人間」、「映画・教育・そして愛」と記されている。1991年に刊行されているので、今からもう23年も前の本である。が、その内容がちっとも色あせていない。それどころか、この中で指摘されている問題が、いよいよ深刻になり、この本の役割が大きくなっているのを感じる。

 まず、この本の中で論じられている映画について挙げておきたいと思う。「男はつらいよ・知床慕情」、「椿姫」、「男はつらいよ・幸福の青い鳥」、「男はつらいよ・寅次郎あじさいの恋」、「男はつらいよ・寅次郎純情詩集」、「男はつらいよ・寅次郎かもめ歌」、「男はつらいよ・寅次郎サラダ記念日」、「続・男はつらいよ」「同胞(はらから)」、「下町の太陽」、「息子」、「男はつらいよ・寅次郎心の旅路」、「幸福の黄色いハンカチ」、「男はつらいよ・寅次郎の休日」、「男はつらいよ・ぼくの伯父さん」、以上の映画について、触れられている。

 三上満というのは、当時、全日本教職員組合(全教)の委員長だった。このふたりの対談が実にいい。お互いに同じような問題意識をもっており、教育・人間について縦横に語っている。私は本を読むと疲れるので、1時間読んだら必ず15分くらい休憩をとるようにしている。が、この本は興味が尽きなくて、休みなしで一気に読むことができた。

 この本がすぐれているのは、聞き手である三上満が山田監督と同じような問題意識を持っていることと、彼がしっかりした「映画観・人間観・教育観・そして愛情観」を持っているからである。「徹子の部屋」の徹子のような役割を三上満が果たしている。山田監督の内に秘めた想いを十二分に引き出している。

 三上満は、この対談の中で、「神戸の高塚高校で、門扉で女子高校生が圧死させられた事件」を手がかりに、教育の問題・生徒の問題・教師の問題・人間の在りようの問題を山田監督に投げかけて、それらの問題に迫ろうとしている。門扉圧死事件というのは、決められた時間になると、門扉を閉めるというもので、1分でも遅れたら校門からシャットアウトするという中で起きた悲劇である。

 ここには、さきほど挙げたいくつかの問題が、集中しており、そのなかに今日の問題が隠されている象徴的な事件である。これが、寅さんの生き方との対比で追求される。つまり、規則、規則で生徒を縛りつけていいのか、教育の効率化、道徳教育、日の丸、君が代の強制のなどの問題がきびしく問われている。

 寅さんなら、毎日遅刻で学校には入れてもらえないだろう。生徒1人ひとりの生活の事情、生き方の配慮がなされていないのではないか。教育はもっと人間的であるべきではないか。規則や効率というのは、一面、教育とは相反しているのではないか、と疑問を投げかけている。

 「世の中に、自信満々で、おれは何一つ欠点がない、完璧な人間だと思っているような人がいたとしたら、その人は頭のネジがおかしくなっているとしか言いようがない。だれだって、なぜこう自分はだめなんだろうとか、なぜこんなに才能がないんだろうとか、なぜ自分はこんなにみっともないんだろうとか、いろんな劣等感を持って生きてるんだと思うんですよ」

 「映画にもいろんな映画があるけれど、ぼくが好きな映画っていうのは、観客がその映画を見終わって、見る前よりもちょっと偉くなったような気持ちっていうのかな、「おれもまんざらでもないな」というような気持ちになれる映画です」

 山田監督はこのように語っている。ここには、先に挙げた問題の核心に触れているように思う。山田監督と三上満の対談の核は、「人間愛」ではないだろうか。私はこの本を読む中で、映画の場面が甦ってきて、一再ならず涙が滲んできた。いまの社会と政治は、「人間愛」という視座が欠落しているのではないだろうか。この社会が「人間愛」というものを、基底にすえていくことこそが、今求められているように思う。



‘14年ささやき日記 「実りの夏」

2014(H26)年7月25日(金) 晴れ時々曇り

   タイトル 「実りの夏」

 「実り」といえば「秋」ということになっていて、「実りの秋」と呼ばれるのが通例である。が、夏も決して秋に劣らない実りの季節である。

 散策していてわかることだが、スイカやいちじく、ナスやトマトなども、たっぷり太陽を浴びてふくらみ色づいている。もう収穫の時期である。

 先日、ぶらぶらと歩いていると、桃畑のほとりの道に出た。桃の実に袋かけをしているので、下から覗いてみると、色づいて大きくなっている。

 4月に花を咲かせて、野山をピンクに染めた桃畑だったが、農民が受粉作業を行い、青い実をつけると袋かけをする。そんな手間ひまをかけて、ようやく収穫の季節を迎えた。

 しかし、これからは、虫や鳥たちとのたたかいである。油断していると、鳥が袋を引き剥がして、桃の実を齧(かじ)ってしまう。

 岡山県ではほとんど袋かけをするが、福島県では無袋栽培もやられている。このほうが、色が赤く染まり、甘い実になるそうだ。

 野菜や果樹の実りを眺めていると、自然の生命力を感じる。また、それを食べて身体のエネルギーをたくわえる。まさに、いまは「実りの夏」である。



‘14年夢日記 「すます伸子さんを囲む集い」

2014(H26)年7月25日(金) 晴れ時々曇り

   タイトル 「すます伸子さんを囲む集い」

 来年の4月にいっせい地方選挙がおこなわれる。その岡山県議会議員の候補者が「すます伸子」さんである。いま、選挙区である倉敷・都窪郡を精力的に歩き回っている。4年前共産党は、この選挙区から2人立候補させて共倒れになった。私はちょっと「無謀だな」という思いがあったけれど、残念な結果に終わった。

 今回は候補者をひとりに絞って、議席の回復をめざしている。しかし、当選するのは容易なことではない。下馬評では「現職強し」ということがささやかれている。現職14人の中に割って入るのだから、安易に考えることはできないだろう。いっせい選挙の焦点は、県議会議員選挙で、共産党が2議席から3議席に伸びるかどうかである。

 彼女は今年48歳である。高等看護専門学校などを卒業し、まず就いた仕事は看護師だった。それから早島町議会議員に当選し、3期12年務めている。彼女とわが家とは無関係ではない。娘が高校生のとき民青に入り、いろんな援助や指導を受けたからである。その頃、彼女はまだ独身で「石川」と名乗っていた。私は石川さんの援助をいまでも忘れることができない。

 「すます伸子さんを囲む集い」は、倉敷市水島で開かれた。まず、倉敷市議会議員の田辺あきおさんが倉敷市政の現状を報告した。いま倉敷の焦眉の問題は、「倉敷駅鉄道高架事業」を推進しようとしている、伊東市長とそれに真っ向から異議を唱えている共産党の議員団とのせめぎ合いである。この事業に市長は600億円以上の巨費を投じようとしている。

 市長は倉敷駅の南と北の街を一体化し、交通の便をよくするというが、いま出されている案によると、踏切が3カ所だけなくなるだけで、これでは一体化も交通の便もよくならない。倉敷市政のめざすところは何なのか、大型開発をすることではなくて、市民の「暮らしといのち」を守るという視点が必要ではないのだろうか。

 すます伸子さんは、国政と県政の問題について、タブレットを使って非常に分かりやすく、参加者に語りかけた。まず、県政については、①くらし ②福祉 ③教育 ④防災について、の政策を明らかにした。おもなものは、住宅リフォーム助成制度の新設、倉敷駅鉄道高架計画の中止、子どもの医療費を中学校卒業まで無料に、払える国民健康保険料に、正規教員の増員、少人数学級を、水島コンビナートの防災体制強化などなどである。

 国政で、私のもっとも大きな関心を呼び起こしたのは、やはり集団的自衛権容認の閣議決定問題である。武器をもって、戦闘地域に行くということは、戦争をするということにほかならない、ということが強調された。そして、これによって失われるものは何かが解明された。①若者の命と人生が失われる ②憲法9条が築いてきた国際的信頼が失われる。 ③日本社会から人権と民主主義が失われる。

 私がもっとも危惧するのは、日本社会が暗黒の社会へと、一歩二歩足を踏み出すことである。そのために、民主主義が制限されてゆくことになる。もし、仮に戦争へと歩み出してゆけば、民主主義は大幅に制限されることになるだろう。

 戦前の社会が「自存自衛の戦争だ」ということを口実にしたように、「戦争する国づくり」をすすめている彼らも、必ず「自衛」を口実にすることは明白である。そして、国民の目、耳、口をふさぐという、民主主義の制限がなされるだろう。

 「すます伸子を囲む集い」は、国政、県政を国民本位に変革してゆく展望を語る会として、成功裡に終わった。安倍内閣を打ち倒してゆくためにも、来春のいっせい地方選挙での勝利が求められている。



‘14年ささやき日記 「歩くということ」

2014(H26)年7月24日(木) 晴れ時々曇り

   タイトル 「歩くということ」

 わが町内会は、17世帯あったが、30年を経て、10世帯になってしまった。過疎化といえなくもない。その10世帯のほとんどに、歩行困難者がいる。

 といっても、まったく歩けないというわけでなく、足を引きずって歩いたり、心もとない歩き方をしたりしているのである。

 それは病気が原因であったり、事故に遭ったりしたために、歩行がスムーズにできない。また、高齢化のために、歩行が困難になっている人もいる。

 それらの人たちを見ていると、歩幅がずいぶん小さくなっていることが分かる。大人の歩幅はだいたい50~60センチだと思うけれど、15センチ前後で歩いている。

 人間が活動的に生きてゆくためには、「歩くということ」が欠かせない。ところが、病気や高齢のために、歩くことがきわめて難しくなってくる。

 つまり、人間は不健康や高齢になると、まっさきに「足にくる」のだ。私は健康で、毎日3キロのウオーキングをしている。

 それも、歩行困難者にならないためである。70になっても、80になってもしっかりと歩けるような、そんな健康な身体でありたい、と願っている。



‘14年夢日記 「さらに謎は深まる」

2014(H26)年7月24日(木) 晴れ時々曇り

   タイトル 「さらに謎は深まる」

 「世界一素朴な質問、宇宙一美しい答え」という本を、図書館から借りてきて読んだ。この本はイギリスの小学生たちからの100の質問に、各分野の第一人者が楽しい答えや興味ぶかい説明を寄せている。たとえば、「ミミズを食べても大丈夫?」、「どうして音楽があるの?」、「サルはどうしてバナナが好きなの?」、「どうしてゾウの鼻は長いの?」といった質問に、答えている。

 日本にもこれと同じような質問をラジオで受けつけて、それに専門家が答えるという「子ども電話相談室」という番組があった。イギリスでも日本でも子どもたちの興味は新鮮で、大人たちが一瞬目を白黒させるような質問がなされる。この本も大人にとっては微笑むような質問がなされているが、子どもたちは真剣である。

  「真実や美を探究することは、
  われわれが一生涯子どもであり続けることを許されている
  活動領域である」
   ――アルベルト・アインシュタイン
 この本の巻頭に、この言葉が添えられている。

 「血はなぜ赤いの? どうして青くないの?」
 王様と女王様の血は青いなんて話を、聞いたことがあるかもしれないね。そうだったらおもしろいけれど、それはほんとうじゃないな。血が青い人なんて、ひとりもいないのさ。人間の血はいつだって赤い。それじゃあ、血はなぜ赤いのだろうか。それは「ヘモグロビン」という、血に含まれているとても大切な化学物質のせいだ。

 ヘモグロビンは、きみが肺から取りいれた酸素を、からだのすみずみにまで運んで、動くエネルギーをくれる。ヘモグロビンの色は、少しだけ変わることがあるけれど、ぜったい青にはならない。ただし、血が青い動物も少しはいる。どんな動物か知っているかな?
 タコ、イカ、ロブスター、カブトガニ――こういう動物の血は、みんな青いんだ!

 「風はどこからくるの?」
 風というのは、空気の流れのことなんだ。空気があっちの場所からこっちの場所へと移動しているんだよ。風を起こしているのは太陽だ。空気はあたたまると軽くなるので、上に向かって動く。空気のかたまりがもち上がっていくと、ここが大事なところなんだが、なにかがそのあとを埋めなくてはならない。そこで、まだそれほどあたたまっていない重い空気が下に流れこんでくる。

 あたたかい空気が上にのぼって、冷たい空気があとを埋める。ほらね、こうやって空気が動くのが風なのさ。大気は四六時中、あたたまったり、冷えたり、動いたり、まざりあったりしている。だから天気が変わる。(このようにして風は起こるんだ)

 このような素朴な質問が100あり、答えが100ある。最後に私の好きな質問と答えを紹介しておこう。「オリンピックに出たいなら、なにをしなくちゃいけない?」、その答えは、単純明快で核心をついている。
 いっしょうけんめい練習すること。
 自分のからだと心をたいせつにすること。
 うまくいかなかったときのことを、クヨクヨ考えな
 いこと。

 この本は大人が読むに耐える本である。私は読んでみて、疑問が解けたものもあったけれど、さらに「謎が深まったもの」も少なくない。そして、この本でも言っているが、この答えが唯一正しい答えではないということだ。子どもにしろ大人にしろ、疑問がさらに深まったなら、さらに勉強し、研究していくことが求められる。そんな本だ。



‘14年ささやき日記 「わが村に喫茶店が――」

2014(H26)年7月23日(水) 晴れ時々曇り

   タイトル 「わが村に喫茶店が――」

 わが村は、ほんとうは浅口市寄島町と名づけられています。三町が合併して市になったのは、7、8年前のことです。が、いまだに市という呼称になじめないでいます。

 また、寄島町というのも、村といったほうがいいような町です。だから、私はこの町を表現するとき「わが村」という言葉をよく使います。それがぴったりの町なのです。

 漁業とバンコック帽子製造が、特徴的な産業で、海と山に囲まれた「村」なのです。若い世代が村から出て行って、高齢者と過疎の村になりつつあります。

 そんな村に、このたび喫茶店ができたのです。10メートル先は海です。だから喫茶店の名前も「ビュー・なぎさ」となっています。なぎさの光景・眺めといったところでしょうか。

 この喫茶店を始めたのは、この4月まで浅口市の市議会議員をしていた人です。共産党の女性議員でした。高齢になったので、議員を勇退し喫茶店を始めたのです。

 非常に海の眺めのいい喫茶店です。店の前には瀬戸内海が広がっています。天気のいいときには四国山脈も見渡せます。青い海の遠くを貨物船がゆっくりすすんでゆきます。

 わが村に素敵な喫茶店ができました。それはひとつの文化施設のような趣きがあり、村人の交流と憩いの場になっています。村人の「癒しの場」でもあります。



‘14年夢日記 「私のセカンドライフ」

2014(H26)年7月23日(水) 晴れ時々曇り

   タイトル 「私のセカンドライフ」

 倉敷医療生活協同組合の「搏動」という冊子を、女性の友人から戴いた。それには彼女の「絵と文」も掲載されている。彼女とは、かれこれ40年も前に、演劇鑑賞活動をともにやっていた。が、私がその街を離れ古里に帰ってきたために、永い間音信が途絶えてしまった。彼女は薬剤師である。ある時、ふと思いついて彼女の職場を訪ねた。30年ぶりの再会だった。

 彼女は以前住んでいた街の薬局に勤めていた。そこへ文学の同人雑誌を持って訪ねたのである。私は小説を書いているから、是非彼女に読んで欲しいという思いだった。私の小説の載っているバックナンバーを数冊持って伺ったのである。突然の訪問だったので、彼女は不思議そうな顔をしていたのを憶えている。

 それからまた、そんなに深くはないが交流がつづいている。それは私が2カ月に1回病院に出向き、薬を処方してもらうので、その折、彼女と少し話をするのだ。今回は院内誌の「搏動」を恵贈されたというわけである。彼女はいつから絵を始めたのだろう。青年時代にはそんな素振りを見せなかったから、それ以後だろうか。

 その「搏動」のページを繰っていると、「定年~私のセカンドライフ」というタイトルに目を奪われた。セカンドライフの渦中にある私は、こういう話題には興味が尽きない。6人の方が執筆していたが、私は一気に読み進んだ。が、その内容はセカンドライフというより、定年にあたって職場での思い出という趣きが強くて、いささかがっかりした。

 が、編集部の記事は私の心を打った。それは作曲家のタケカワヒデユキの言葉に心を惹かれたのである。――まず「毎日を楽しむ」。それから「ちょっとした目標を持つ」、「自分に自信を持つ」、「好きなことを持つ」、「愛する人たちを持つ」。お伝えしたいのはこの五つです。――これからの時間は、これまでの人生で育んだ黄金に輝く稲穂を刈り取るためにあります。ゆっくりじっくり、その実りを味わうべきなのです。

 この五つの言葉は素敵なものだ。果たして私のセカンドライフはどうだろうか、この言葉の前で私は立ち往生してしまった。「毎日楽しんでいるだろうか? ちょっとした目標を持っているだろうか? 愛する人たちを持っているだろうか?」と、問いかけてくるのである。いささか首を傾げることもあるが、それなりに私のセカンドライフは、彼の言葉に近い生き方をしているのではないかと思う。

 私は書くことを軸にして毎日の生活が回っている。私は毎日400字詰め原稿用紙にして、最低4枚書いている。むろんつらいと思うこともないわけではないが、書くことは実に楽しい。彼のいう「毎日を楽しむ」という言葉に、それは叶っているように思う。読書もまたそれに当てはまるだろう。「ちょっとした目標を持つ」ということは、「書くということと読むということ」になる。

 「好きなことを持つ」というのは、「書くこと読むこと」の他にゴルフがある。週一回のゴルフの練習はまことに楽しい「好きなこと」である。また、週1回のビールの日も好きなことには違いないが、いまひとつというところがある。「愛する人たちを持つ」とは、同じ価値観を持つ人たちと、行動をともにすることである。

 このように、私は五つのうち四つまでは、彼の言葉に叶っているけれど、「自分に自信を持つ」ということだけは、できない。まだまだ、私は「自分に自信を持つ」ための途上だ。それが私の「ちょっとした目標を持つ」ということだ。「セカンドライフ」を楽しみながら生きてゆきたいと思う、今日この頃である。



‘14年ささやき日記 「青年は荒野をめざす」

2014(H26)年7月22日(火) 晴れ時々曇り

   タイトル 「青年は荒野をめざす」

 五木寛之の「青年は荒野をめざす」という作品は、1967年、文藝春秋に発表されています。私が高校を卒業したのは1966年の3月なので、その翌年ということになります。

 私は倉敷市役所の建築課に就職が決まって、近所の人たちからは、羨ましがられていました。何よりも安定した職場だということだったのでしょう。母もずいぶん喜んでいたのを憶えています。

 が、私はそれほどでもなかったのです。「建築の仕事が好きだとか、安定した職場だ」という想いは、ほとんどありませんでした。私の「こころざし」は他にあったのです。

 まさに、「青年は荒野をめざす」という言葉がぴったりの夢を持っていました。私は青年運動や演劇鑑賞活動、うたごえ運動や組合活動に夢中でした。また、詩人になりたい、というような想いも抱いていました。

 そんな具合でしたから、私は3、4年で市役所を辞めてしまいました。同期の友人は真面目に勤め上げて、最後には建設部の部長になりました。が、私は決してそれを羨むとか、後悔するとかいうことはありませんでした。

 あの頃もいまも、青年はいま住んでいる町や家から離れて、都会へと憧れます。それは青年の特権です。青年は誰でも「荒野をめざす」ものなのです。たとえ、それが挫折に終わったとしても――。それが青年というものです。


‘14年夢日記 「快適な夏」

2014(H26)年7月22日(火) 晴れ時々曇り

   タイトル 「快適な夏」

 九州南部は梅雨明けとなったが、中国地方もたぶん今週には梅雨明けの宣言がされるだろう(7月20日に梅雨明け)。天気予報をみると、月曜日からは基本的に晴れか、晴れ時々曇りという予想である。気温の予想も連日真夏日で、30度を超える日が続くもようである。夏が苦手な人にとっては、もっとも厭な季節ということがいえるだろう。

 が、私は特異な体質とでもいうのだろうか、冬は極端につらいけれど、夏は好きな季節である。レジャーで、山や海に出かけることができるからというような理由からではなく、とにかく冬のように寒いということがないからだ。日中はほとんど2階の書斎にいて、夜になると1階の床の間のある和室で読書というふうに決めている。

 わが家では今夏まだ一度もエアコンを使っていない。妻は暑がりなので、エアコンを使うだろうが、私はたぶん使わないだろう。が、扇風機は今も使っている。さすがに扇風機なしでは、真夏日の2階で仕事(趣味)をすることはできない。インターネットで調べたら、電気代はエアコンの約10分の1か2だということなので、経済的にも夏のほうが助かる。

 が、冬は完全防備の暮らしをしている。エアコンは冬の初めと終りに使うだけで、あとは石油ストーブをガンガンたくことになる。灯油販売店の店員があきれるくらい灯油を使う。風呂も灯油のボイラーなので、18リットル缶を5缶車に積んで、月に数回灯油販売店にゆく。だから、冬は経済的にも灯油に圧迫され、苦しい季節なのだ。

 冬は、灯油だけではなく、電気もよく使う。おもなものは、電気ゴタツと電気毛布である。私は電気毛布がないと寒くて眠れない。また、電気ゴタツは1階の床の間に備えつけて、横になったり読書をしたりするので、電気代も莫迦にならない。このように、私は冬に弱いので、灯油と電気暖房がなくては暮らしてゆけない。

 私の知人で、冬は暖房器具なしで過ごすという人がいるが、私にはとても考えられない。その人は家の中でも、外出する時と同じような格好をして暮らしているらしい。つまり、ダウンジャケットを着て、マフラーを巻いて、家で過ごすというのだ。レッグウオーマーやアームウオーマーも使用するらしい。何か、滑稽なような気もするが、人それぞれ価値観が違うのでそれはそれでよいと思う。

 私は夏には活動的になる。いろんなイベントに積極的に参加するようにしている。もうレジャーをするような歳ではなくなったので、文化的な催しや学習会などに出てゆくのである。知人が「外に出る」という優れた小説を書いているが、私も夏には「外に出る」回数が多くなる。書斎だけに、じっとしておれないのだ。

 梅雨が明ければ、いよいよ本格的な夏になる。真夏日はもう当然で、猛暑日、つまり35度以上の日がつづくことが予想される。が、私にとっては「快適な夏」なのである。この夏をじゅうぶん満喫しておかないと、すぐに秋がやってきて、こがらしが吹くようになる。それを思うとぞっとする。

 が、経済優先による地球温暖化については看過できない。この地球温暖化は、資本主義社会の「あとは野となれ山となれ」方式の利潤追求が生み出す弊害に他ならない。だから、この資本主義社会を乗り越えて、新しい社会の到来が望まれる。



‘14年ささやき日記 「鐘の音を聴く」

2014(H26)年7月21日(月) 晴れ時々曇り

   タイトル 「鐘の音を聴く」

 書斎の椅子に座って外を眺めると、山が見えます。東の山の稜線が落ち込んでいるところがあります。また、西の山の稜線が落ち込んでいます。

 両方の山の稜線が落ち込んで谷になっています。その谷を県道が通っています。南から登る県道は坂道になっていて、谷のところが峠です。

 冬になると、この峠を境にして寒さがずいぶん違います。峠の北側は霜が降りているのに、南側はなんともないのです。

 その峠の脇に古刹(こさつ)があります。私は午前6時に起床するのですが、ちょうどその時間に寺の鐘が、打ち鳴らされます。毎日欠かさずに鐘はつかれています。

 その鐘の音(ね)を聴くと、心がおだやかになり、気持ちが落ち着きます。鐘の音は静かに一日の始まりを告げるのです。

 窓をすかして、境内の銀杏(いちょう)が見えます。その左奥に本堂があります。その横が庫裏(くり)です。わが村の寺は今日も、平和と檀家の暮らしの平穏を祈って鐘をついています。


‘14年夢日記 「暮らし向き、大変苦しい」

2014(H26)年7月21日(月) 晴れ時々曇り

   タイトル 「暮らし向き、大変苦しい」

 7月15日、厚生労働省の「国民生活基礎調査」が公表された。まず、1世帯当たりの平均所得(12年)は、前年比2%減の537万2,000円で、85年以降過去4番目の低さである。また、17歳以下の子どもの貧困率は前回を0.6ポイント上回る16.3%に達し、6人に1人が貧困の中にあることが浮き彫りになった。

 暮らし向きを尋ねたところ、「大変苦しい」、「やや苦しい」と答えた人が計59.9%(約60%)に上り、上昇傾向が続いている。つまり、日本の家庭の経済を、10人のうち6人までが、「生活が苦しい」と認識しているのだ。以前の「一億総中流」といわれた社会は、いったいどうなってしまったのだろうか。

 「一億総中流社会」は、もろくも崩れ去ったのである。1997年以降は、年収300万円以下の層と1500万円以上の層が増加し、格差は拡大傾向にあった。それがついに、国民の6割の人が「生活が苦しい」という悲鳴を上げている。まさしく貧困家庭が増加している。これは決して自然現象ではない。社会、政治の在り方が如実に反映している結果である。

 わが家も例にもれず、「やや苦しい」ではなくて、「大変苦しい」という範疇(はんちゅう)に入る。わが家は、年金生活なのでもともと豊かな生活を望んではいない。けれども、私が年金生活者になって、社会や政治は、どんなことを為してきただろうか。まず、収入源である年金だが、これが2.5%減額される予定だ。(実際は来年4月に減額の%が確定する)が、すでに減額になったのは、1.7%である。

 そして、今年4月から消費税が、5%から8%になった。もし仮に300万の年金収入があったとしたら、9万の増税ということになる(全部消費に回すとして)。8%なら24万円の消費税である。さらに、軽自動車税が7200円から10800円に増税される。わが家の固定資産税も僅かに上がった。その上に物価値上げである。便乗値上げの一面もあるが、国の政策がそれをもたらしている。

 これでは、病気にもなれない。私も妻も通院しているが、その医療費も莫迦にならない。家計を圧迫する要因にもなっている。これが大きい病気ではないので、なんとか遣り繰りしているが、病気への不安は消えない。ハラハラドキドキ、まさに薄氷を踏む思いで生活している。このように、わが家のような家庭が、6割もあるというのだから、これはもう「自己責任」という言葉でくくることはできない。

 一方、大企業や富裕層への対応はどうだろうか。政府は「骨太の方針」で、法人税を20%台に引き下げてゆくという方針である。消費税増税の理由を社会保障の充実のためといいながら、消費税を大企業の減税の穴埋めに使おうというのだから、ウソ、偽りの政治というより言いようがない。また、大企業にはそれだけ手厚い優遇をしておきながら、中小企業に対しては、赤字でも税金を徴収しようという方針が打ち出されている。

 まさに、国民の「生活が苦しい」というのは、自然現象でも、その他の要因でもなく、社会と政治の「庶民いじめ」の政策が為せるわざである。つまり、人為的に庶民から収奪し、大企業や富裕層に対して優遇するところからきているのだ。国民は苦しい生活を強いられている。が、それが人為的であるということは、国民の一人ひとりが声を上げることによって、その社会や政治が変えられるということでもある。そこにこそ、私たちは希望を持っていたい。希望を失えば、彼らの思う壺にはまるということを、心に留めておきたい。



‘14年ささやき日記 「至福のとき」

2014(H26)年7月20日(日) 曇り時々晴れ

   タイトル 「至福のとき」

 朝は6時に起きます。週2回は「しんぶん」を配達しているので、もう少し早く起きますが――。まずやることは、シャワーを浴びてスッキリします。

 シャワーを浴びるのは、髪の毛が寝癖のために乱れているためです。与謝野晶子の「みだれ髪」です。毎日は、洗髪はしません。シャワーを浴びれば髪がしなやかになるので、寝癖が直るのです。

 それから朝食です。コッペパン、牛乳、ヨーグルト、青汁、粉末の植物繊維を食べたり、飲んだりしています。これも楽しいひとときです。

 が、至福のときは、音楽を聴きながら、コーヒーを飲み、「しんぶん」を読むときです。「しんぶん」は、まず、一面から始まって、すべてのページの見出しを全部読みます。

 それから、惹かれる記事を読むようにしています。が、朝は見出しを読むのが中心で、あとは時間のあるときに読むのです。

 私の至福の時間は、このときです。いながらにして、世界を知ることができるのですから、この上ない倖せです。そして、私の一日が始まります。


‘14年夢日記 「党創立92周年記念講演会」

2014(H26)年7月20日(日) 曇り時々晴れ

   タイトル 「党創立92周年記念講演会」

 日本共産党の誕生は、1922年7月15日である。今年の7月15日に、92回目の誕生日を迎えた。それを記念して、記念講演会が東京・日本青年館で開催された。志位委員長が記念講演を行った。まず、私の感じたことは、現在の日本社会と政治の根本問題、焦眉の熱い問題を解明し、今後の展望を明らかにしたことである。私の心に希望と勇気の灯をともし、限りない励ましを与える記念講演会であった。

 この記念講演会が愉しみで、午後5時から夕食を摂り、30分眠って頭をすっきりさせ、6時30分からパソコンの前に座った。インターネット中継はトラブルもなく、気持ちよく視聴できた。30分眠っているので、睡魔におそわれることもなく、志位さんの話を集中して聞くことができた。

 志位さんの話の中で、私の心をもっとも惹きつけたのは、安倍政権のとらえ方とその規定である。「みなさん。集団的自衛権、暮らしと経済、原発、米軍基地――四つの問題を見てきましたが、安倍政権がやっていることは、どの分野でも、日本の国を亡ぼし、日本国民を亡ぼす、文字通りの「亡国の政治」ではないでしょうか」と、志位さんは問いかけている。

 そして、「安倍政権は、歴代自民党政権のなかでも、戦後最悪の反動政権と言わなければなりません」と述べている。つまり、「戦後最悪の反動政権」という規定をしたのである。私も安倍政権の1年半の在り方を見る中で、いままでこんな悪い政治を推し進めた政権があっただろうか、という疑問を持っていた。記念講演会で、このような規定がなされたことは画期的である。私はそれを歓迎する。

 そして、これが重要なのだが、志位さんはこのように語っている。「このような内閣は、1日続けば、その分だけ、日本と国民に災いをもたらすことになることは、もはや明らかではないでしょうか」と問い、「私は心からよびかけたい。安倍政権打倒の国民的大運動を起こそうではありませんか」とよびかけていることである。

 私はいつになったら、安倍政権打倒の方針が出されるだろうか、という心持ちでいた。内閣打倒の方針は、やみくもに出すものではない。その瞬間というのは、きわめて慎重に吟味されなければならない。それが、いよいよ到来してきたということである。まさに、志位さんが言うように、「1日続けば、その分だけ、日本と国民に災いをもたらす」という判断から、このような結論が導き出されたように思う。私はこの方針を心から歓迎したい。

 最後に、志位さんが解明したのは、日本共産党論である。「第一は、日本共産党が綱領という未来への確かな羅針盤を持っているということです」と述べている。「第二に、日本共産党はちょうど今日で党をつくって92年になりますが、確かな歴史を持つ党でこそ、未来を拓く先頭に立てるということを私は訴えたいと思います」と語っている。

 「第三は、日本共産党が草の根で国民と結びつき、国民とともに未来を拓く政党だということです」、「日本共産党は、全国に2万の党支部、30万人を超える党員、2687人の地方議員をもち、草の根で国民としっかり結びついた自前の組織をもつ唯一の政党です」と、三つの視点から日本共産党論を語り、「未来に責任を負う党――日本共産党を強く大きく」とよびかけている。

 それこそが、「『亡国の政治』と決別し、未来に責任を負う新しい政治」が切り開かれる保障であると述べている。戦後最悪の安倍政権を打ち倒し、新しい政治への展望を指し示した、「記念講演会」であった。



‘14年ささやき日記 「セカンドライフの生き方」

2014(H26)年7月19日(土) 曇りのち雨

   タイトル 「セカンドライフの生き方」

 セカンドライフの生き方

 「毎日を楽しむ」

 「ちょっとした目標を持つ」

 「自分に自信を持つ」

 「好きなことを持つ」

 「愛する人たちを持つ」

 これからの時間は、これまでの人生で育んだ黄金に輝く稲穂を刈り取るためにあります。ゆっくりじっくり、その実りを味わうべきなのです。
 作曲家のタケカワヒデユキさんの言葉です。

 私のセカンドライフもこうありたい、と願っています。


‘14年夢日記 「『王さん』を読む」

2014(H26)年7月19日(土) 曇りのち雨

   タイトル 「『王さん』を読む」

 「民主文学」8月号に載っている「王さん」は、短編小説で芝田敏之の作である。彼も何度か「民主文学」に登場し、いくつかの作品を私も読んでいる。この作品の主人公、松村幸二は私と同年代の人物である。作者と主人公は、ほぼ等身大のように思われるので、彼もまた団塊の世代に違いない。「民主文学」では、団塊の世代がよく活躍している。

 松村は午後7時のテレビニュースを見ていた。日本のある経済団体が中国を訪問し、中国の要人と会談する映像が流れた。その瞬間、松村はひとりの女性に惹きつけられた。中国側の要人背後で通訳をしている女性だった。「あっ、あの娘(こ)だ。王(おう)さんだ」と、松村は声を上げた。

 松村は14年前のことが鮮やかに甦ってきた。彼が52歳のときのことである。松村は名古屋にある私立J大学の国際交流課の係長だった。彼は日中短期交換留学に関する打ち合わせのため、三泊四日の予定で北京に出かけてきた。短期交換留学というのは、夏休み中の約二週間日本のJ大学と、北京のC外国語大学日本語学科が、互いに五人の学生を招き交流するというものである。

 その松村を北京で迎えてくれたのが、C外国語大学の王雪梅さんと熊(ゆう)雀花さんだった。ふたりが北京を案内する係に選ばれていた。王さんが中国の元と交換しましょうというので、一万円札を渡した。すると、王さんは一万円札を見つめている。「この人、フクザワ……」という。「そう、福沢諭吉。詳しいんだね」と松村はいった。王さんは、不機嫌な表情をしている。

 松村は夕食のあと、宿舎でくつろいでいた。すると、王さんから電話がかかってきた。「日本では福沢諭吉は、良い人ですか、悪い人ですか」という質問だった。松村は福沢諭吉の言葉として知られている、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という彼の言葉を出して、「良い人かな」といった。すると、王さんは、「じゃあ、先生の見解は」と聞いてきた。

 彼は逆に、「中国ではどんな人物だと見られているんですか」と聞いた。「中国人はチャンチャンだ、ブタだ、殺せ、と言って日本軍の出兵を勧めた人です」と王さんはいった。松村は、「そんなことを言ったんですか。知りませんでした。帰ったら勉強します」といって、電話を切った。

 二日目、中国人民抗日戦争記念館に案内された。館内には1937年7月7日の盧溝橋事件の現場が大規模に再現されていた。「それは一発の銃声から始まった。どちらが撃ったものかはわかっていない……これを口実に日本帝国主義は中国に大軍を上陸させた」という声がスピーカーから流れてきた。そして、731部隊の、まさに生体解剖を始めた等身大の蠟人形が展示されている。また、戦争に反対した日本人がいたことを示すものもあった。

 松村はそれから、天安門広場と故宮へ案内された。天安門広場には工事中で入れなかった。三日目は明の十三陵と万里の長城の見学であった。四日目は帰国の日である。王さんと熊さんは天津まで送ってくれた。そして機上の人となった。「帯に短し襷に長しという言葉が日本にあるけど、帯と襷はどのくらいの長さですか」、「畳の上の水練、という言葉があるけど、畳ってどんなものですか」という質問が王さんからあった。

 その年の9月8日、名古屋空港に王さんたち女子学生五人が降り立った。女子学生たちを、東海地方の海や観光地、イベント会場などを案内した。それは松村ではなく、日本の学生たちがやってくれた。自動車や清涼飲料水、リサイクル製紙工場などにも案内した。最後の土、日の二日間日本の学生の都合がつかなくて、松村が世話をすることになった。

 彼は「日中不再戦の誓い」の碑がある通称化石山に案内した。その日は、中国人殉難者慰霊祭が行われる日だった。留学生の五人は、慰霊祭のようすを食い入るようにみていた。「日本に来て一番感動しました」、「日本にもこんな人がいるのかと、日本人を見直しました」、「みなさんに出会って、日本語を学ぶ道を選んで、本当に良かったと思いました」という感想が縷々のべられた。

 そして、彼女たち五人の留学生たちは名古屋空港から帰って行った。その後、王さんは日本のO大学大学院に入学した。それに際して、松村は王さんに一時的に72万円貸した。妻の反対があったが、その金は半年後、松村の銀行口座に入金されていた。王さんは、一年後大学院修士課程を修了した。そして、彼女が日本を離れることになった。松村は別れに際して熱いものがこみ上げてきた。恋人に別れを告げるような淋しさだった。

 この小説も神林規子の「小さな戦争遺跡」と同じように、どちらかというと、随筆といったほうがいいような作品である。が、私はこの作品が面白かった。つまり、面白いというのは、辞書にあるように「心をひかれるさまである。興趣がある」という意味で、魅力的な作品であった。中国の人との気持の落差はあるけれど、話し合えば分かり合えるということが、よく描かれている。



‘14年ささやき日記 「サラリーマン川柳」

2014(H26)年7月18日(金) 曇り

   タイトル 「サラリーマン川柳」

 サラリーマン川柳が好きで、毎年楽しみにしています。2014年度の中から、順位に関係なく私が選んだものです。

帰宅して うがい手洗い 皿洗い    しゅうくりーむ

休みより 心落ち着く 出勤日    寝ぐせ隊長

除夜の鐘 税込価格で 108つ    煩悩売り

大掃除 どこからやるか? 居間でしょ    拳シロー

きれいだと ほめてもらった 胃の写真    微女

 いかがですか? 川柳もいいですね。


‘14年夢日記 「『小さな戦争遺跡』を読む」

2014(H26)年7月18日(金) 曇り

   タイトル 「『小さな戦争遺跡』を読む」

 「民主文学」8月号に掲載されている短編小説で、神林規子の作品である。彼女の作品は何作か読んできて、筆力のある作家だという印象がある。この作品もまた一定の水準を保っており、文章のそつのなさが読者に伝わってくる。が、小説というよりも随筆のような趣きの作品である。随筆として読者の前に提示しても何ら違和感はなく、むしろその方がふさわしいように思われる。

 主人公の捷子(しょうこ)は、俳句仲間と興福寺宝物殿の特別展を観たあと、彼女の母校である奈良女子大学を訪ねた。すると、仲間のひとりが「あの倉庫みたいな建物はなんですか」と、指差した。捷子は「あぁ、あれは奉安殿です」と答えた。彼女はそう答えて、自身の奉安殿との関わりをふと思い出した。昭和二十年、国民学校へ入学した時のことだ。

 先生も生徒も奉安殿の前を通る時、脱帽と最敬礼が強制された。奉安殿は、天皇・皇后の写真と教育勅語を保管していた建物である。教育勅語を読み間違えた校長が辞任させられたり、奉安殿が焼けて、責任を感じて自害した校長がいた。このようにして、天皇崇拝と軍国少国民が作り上げられていったのである。奉安殿は軍国日本の象徴だった。

 敗戦後、GHQの神道指令によって、全国の奉安殿は撤去されたり、地中に埋められたりした。それなのに、奈良女子大学にいまもあるのはなぜか。絶対命令だったのに従わなかったのはなぜか。そこに何があったのだろう。捷子はふとそんな疑問が湧いた。それは謎ともいっていいものである。それから彼女はその謎を追い始めた。

 捷子は何人かの先生が思い浮かんだが、もう鬼籍に入っている人もいたり、連絡が取れた先生も分からないという。図書館で調べてみたらという助言をもらって、彼女は奈良女子大学の図書館を訪ねた。しかし、奉安殿のことはなかなか分からなかった。が、佐保会(同窓会)の「佐保会報」にそれに触れた部分があった。奉安殿は佐保会が寄贈したものだった。いまは、倉庫として使っているということである。

 しかし、なぜ奉安殿がいまも残されているのかということは、分からなかった。そして、年が新しくなって、電話があった。戦後、奉安殿は「キイロショウジョウバエの飼育室だった」という報せである。しかし、なぜ奉安殿がハエの飼育室になったのかは、分からなかった。

 後日、また連絡が入った。そこで分かったことは、生物博士の稲葉文枝先生が、GHQ長官のヘンダーソンとかけあって、奉安殿をキイロショウジョウバエの実験室にする許可を取った、ということだった。捷子は色んな人の力を借りて、ようやく奉安殿がいまも残っているという謎を解くことができた。

 そして、二年後パンフレットが捷子のところに届けられた。発行は「奈良女子大学広報企画室」だった。「一説によれば、本学の生物学教員が当時日本を占領していたGHQと交渉し、遺伝の研究用にキイロショウジョウバエの飼育室としてこの奉安殿を使用する許可を得たため、破壊を免れたとも言われています。時代の変遷を物語る貴重な歴史の証人」ですと記されていた。

 天皇という神と、ハエがなんとも奇妙な取り合わせのように思える。が、それは戦後、日本人の価値観が百八十度変わったということに他ならない。この「小さな戦争遺跡」が、私たちや子どもたちに、正しく伝えられることを祈らずにはいられない。再び軍国主義への道へ踏み出そうという動きが強まっているいまこそ、奉安殿の負の遺産を見つめることが求められている。



‘14年ささやき日記 「朝顔の花が咲いていた!」

2014(H26)年7月17日(木) 曇り

   タイトル 「朝顔の花が咲いていた!」

 朝顔といえば、夏を代表するような花ですね。ウオーキングをしていて、その花を見つけました。ムラサキの花が鮮やかに咲いていました。
 朝顔は庶民の花ですね。幼い頃、わが家は貧しさの底で苦労していました。そんな家であっても、母は朝顔を育てていました。貧しい家であっても朝顔はよく似合います。
 傾いた塀、雨漏りのするような家、なぜか朝顔はそんなところにも合うのです。「つん」とすましたところがない、庶民の暮らしに寄り添うようなところがあります。
 東京でも、「下町の夏の風物詩」として、入谷の朝顔まつりが有名です。毎年40万人の人出で賑わうそうです。やはり朝顔はどこでも、庶民に親しまれている花ですね。


‘14年夢日記 「『墨ぬり』を読む」

2014(H26)年7月17日(木) 曇り

   タイトル 「『墨ぬり』を読む」

 「民主文学」8月号に掲載されている短編小説で、作者は寺田美智子である。作者の紹介がないので、「民主文学」初登場ではないらしいが、私は彼女の記憶がない。が、ネットで調べてみると、昨年の10月号に「朝焼け」という短編小説を書いている。私は確かに読んでいるのだが、その内容が思い出せない。多分、印象が薄かったからだろうと思う。

 「墨ぬり」という作品も印象の薄い作品で、1年も経たぬうちに、その内容を忘れてしまうかも知れない。が、読んだからにはその作品に触れておきたいと思う。時代背景は終戦直後のことで、墨ぬりというのは教科書に墨をぬることである。主人公の京子は、17歳で5年女子組の担任をしている。17歳で小学校の担任をしているというのは、いま考えると不思議であるが、その辺の事情については作品に書かれている。

 京子は女学校を4年で繰り上げ卒業し、国民学校の教員になった。男性教員の多くが軍人として出征し、教員の不足を補うため、終戦の年の5月に採用されたのである。そして、8月15日に終戦となった。9月1日、新学期、京子が学校にいくとそのようすが変わっていた。「八紘一宇」、「大東亜共栄圏」、「忠君愛国」などと書いた紙が全部はがされていた。

 京子は5年女子組の教室の前で足が止まった。深く息を吸ってから、震える手で戸を開けた。教壇に立つと京子は、「すずり箱を出して」と生徒に指示した。生徒に墨をすらせて国語の教科書を出させた。前に座っている生徒の教科書と筆を取って、京子は「一、 明治神宮」の、題の一行に一気に筆を走らせた。子どもたちは、口々に「えっ」「なにっ」「なにっ」と声を上げた。

 十月、GHQから、教育制度に対する管理政策、神道教育の排除、修身、日本歴史、地理の停止と次々に指令が出された。市の教育委員会は、国語教科書の墨ぬり要領を作成し各学校に配布した。その指示に従って、京子は子どもたちに墨ぬりをさせているのである。京子はそれに疑問を持っていた。一心に教えてきたことが、うそだったというのか。感動して受けとめた子どもたちの心の中に、墨をぬりたくっていくのか。

 京子は悩んでいた。もう子どもたちの前には立てない。教師を続けることなどできない、と思っていた。そんな折、生徒の陽子の父から手紙が届いた。陽子が「これ、おとうさんからのお手紙」といって、学校にもってきたのだ。それには、「我が家に寄って下さい」という言葉がしたためられていた。ここのところが、この小説でいえば、起承転結の「転」にあたるところである。

 陽子の父というのは、平田雄三である。彼は戦前教師をしていたが、治安維持法によって検挙され、教員を辞めされられていた。治安維持法違反とされたのは、教育科学研究会に関わっていたためである。その会は、子どもの生活をみつめるために、綴り方教育を中心に学習していた。ところが、国策に反する非国民だとされたのである。

 後日、また雄三から手紙が届いた。それには、教育科学研究会の再建学習会への誘いが書かれていた。しかし、京子は「私にはとても参加する資格も力もない」と、いったんは断ったが、雄三の言葉を聞いて、その学習会へ参加することを決めた。京子が戦後の教師として第一歩を踏み出すところで、この物語は終えている。京子の戦後の生き方、その歩みの第一歩を切り取った作品である。



プロフィール

FC2USER634322BTA

Author:FC2USER634322BTA
FC2ブログへようこそ!

 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

♪♪♪リンクは、ご自由に!

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。