‘14年夢日記 「5月を回顧する」

2014(H26)年5月31日(土) 晴れ

     タイトル 「5月を回顧する」

 5月は思いがけないことが、いくつかあった。まず歯茎の腫(は)れと膿(う)むという症状が、突然あらわれたことである。これもやはり歯の病気で、「歯が溶けて」歯茎が炎症をおこしたためだ。

 この治療は、抗生剤の投与と2回の通院によって治癒することになった。が、根本的な治癒というわけではない。目前の歯茎の腫れと膿みの症状が治まったにすぎない。

 根っこの「歯が溶けて」炎症をおこしているので、いつまた歯茎の腫れと膿みの症状が出るか分からない。したがって、その再発をくいとめるための手立てが必要である。

 そこで、「歯が溶ける」要因になっている、コーヒーの摂取を控えることが求められており、私は「コーヒー革命」を断行することを誓った。

 コーヒー依存症に罹っている私にとって、コーヒーをやめるということは、かなり難しい宿題である。ギャンブルや煙草、飲酒の依存症からの脱却と同じような困難さをともなう。

 が、今のところ、スムーズに「コーヒー革命」はすすんでいる。コーヒーを口にしてよいのは、朝の新聞の時間と「もの書き」の時間と決めているが、それがほぼ守られている。

 「倉敷民商弾圧事件」については、5月25日にこの事件の本質と性格、たたかいの展望などの講演と学習会があった。このなかで、より深くこの事件の内容をつかむことができた。

 倉敷民商を支える会の会報「私は無罪」が創刊されたことも、大きな意義がある。この会報の輪を広げて、法廷外の支援活動を発展させてゆかなければならない。

 文化に触れるということでは、10本の映画を観賞した。ホームシアターであったが、「砂の器」、「名残り雪」、「精霊流し」などは、私の心に刻まれる作品である。

 読書は比較的すすんだと言えるだろう。「民主文学新人賞」の受賞作と佳作の3編をはじめ、右遠俊郎の「告別の秋」、柴崎文子の「校庭に東風吹いて」などが印象に残っている。

 読書では、「文章教室・文章読本」ともいわれる本を数冊読んだことが、特徴的である。藤本義一と本多勝一の本からは、大いに学ぶことができた。これからの文章づくりにも生かされるだろう。

 吉沢久子「96歳いまがいちばん幸せ」、向田邦子全集の中の小説集を2冊読んだが、倖せの気分や希望を運んできてくれた、と思わせるちょっと得をした心持ちになった。

 「書くこと」もなおざりにしないで、予定通りすすめることができた。「読むこと」と「書くこと」は、私のライフワークなので、これを手抜きすることはできない。

 「書くこと」では、藤本義一や本多勝一から、「お前の書くもの、書くこと、書き方は、まだまだやなあ」と、言われたような気がしている。その通りである。まだまだ、修行が足りないと思っている。



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‘14年夢日記 「ホトトギス」

2014(H26)年5月30日(金) 晴れ

     タイトル 「ホトトギス」

 「夏は来ぬ」

 卯の花の 匂う垣根に
 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 これは佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」の一節である。この中で、「卯の花」と「時鳥(ホトトギス)」の啼き声のふたつを、夏の到来を象徴するものとして、うたい込んでいる。

 目に青葉 山ほととぎす 初鰹   山口素堂

 木がくれで 茶摘ときけや ほとゝぎす  芭蕉

 薄墨を 流した空や 時鳥(ほととぎす) 一茶

 このように、俳句にも詠われているホトトギスである。私たちにも馴染みの鳥で、ウグイスが「春告鳥」なら、もっぱらホトトギスは「夏告鳥」ということができる。

 その初音(はつね)を私は5月26日に聞いた。1階の和室で本を読んでいたら、しきりに啼き声がする。耳を澄ませば、「トッキョキョカキョク」、「トッキョキョカキョク」と啼いている。

 わが家の裏山から聞こえてくる。私は初春のウグイスと初夏のホトトギスの啼き声を、心待ちにしているので、それを聴いたときは喜びでもあり、感動でもあった。

 ホトトギスは夏の季節を告げる、代表的な渡り鳥である。東南アジアから渡来するといわれている。万葉集には、ホトトギスの啼き声は、「田植えをしろ」と促すために啼く、とあるそうだ。

 そういえば、わが村でも「田を起こし、代を掻いて」田植えの準備をする農民の姿を見かけるようになった。田圃の脇からは野焼きの白い煙が立ち昇っている。

 ホトトギスは托卵(たくらん)といって、主にウグイスの巣に卵を産み込み、ヒナを育ててもらう。したがって、ウグイスが生息している場所に渡来することが多いそうだ。

 わが家の裏山にもウグイスが生息しているので、ホトトギスがやってきたのだろう。「ホーホケキョ」と「トッキョキョカキョク」と、裏山で盛んに啼き交わしている。

 ホトトギスの特徴は、渡来初期には夜昼かまわず啼くことである。山や民家が闇に溶けて暗くなっても、啼くことをやめない、不思議な鳥である。裏山の藪ののなかで、しきりに啼いている。

 ホトトギスの啼き声を、私は心待ちにしていた。私は夏という季節が好きだから、「夏告鳥」の到来は心を騒がせる。まさに「夏は来ぬ」であり、私の生き方・暮らし方も変わってゆくことだろう。

 ひとつ憂慮していることは、裏山を新しい道が通る計画があることである。山が崩されて、ウグイスやホトトギスの生息の場所がなくなりはしないかと心配している。

 やはり、ウグイスの「春告鳥」やホトトギスの「夏告鳥」が、わが家の裏山に棲み、季節を告げにやってくるというのは、生きている人間への限りないメッセージである。懸命に生き啼く鳥たちとともに、しっかりと生きてゆきたい、と思っている。



‘14年夢日記 「倉敷民商事件の講演会」

2014(H26)年5月29日(木) 晴れ

     タイトル 「倉敷民商事件の講演会」

 倉敷民商事件の講演会が、5月25日(日)倉敷市で開かれた。主催は日本国民救援会倉敷支部である。講師は、救援会本部副会長の本藤修氏であった。

 本藤氏は18枚にのぼるレジュメにもとづいて、約1時間30分の講演を行った。講演会の主題は3点だとして、それを「はじめに」明らかにした。

① 事件の本質と性格を明確にする。
② 裁判の争点・対決点、現状、展望を明確にする。
③ 法廷外運動の基本を身につけて、日々の活動の具体化に活かすヒントをつかむ。

 事件の本質と性格は何か? まず、事件の本質は、民商活動の基本理念にもとづく基本的活動への弾圧である。法人税法違反(脱税ほう助)は、冤罪で、税理士法違反は、弾圧であることを述べた。

 事件の性格は、行為の具体的事実と法解釈が密接に結びついているということである。法人税違反(ほう助)は、「故意」あるいは「未必の故意」という「内なる心理」が認定できるのかどうかが争われる。

 また、税理士法違反では、税理士の独占業務である、「自己の判断」で「申告書を作成」することが、犯罪成立の要件とされている。

 ところが、これと密接な関係にある「会計実務」は犯罪にあたらない。したがって、この点が争点となり、税理士法自体の問題点も争われることになる。

 以上が事件の本質と性格であり、支援者はこれをしっかりと認識して、またそれに確信をもって、法廷外の運動を発展させる必要性を訴えた。

 裁判の争点や展望が詳しく述べられたが、そもそも起訴するべき事案ではない弾圧事件であり、公訴権の濫用であるから、「公訴棄却」の判決をするべきである。

 税理士法52条の税務実務の税理士独占規定の重大な問題点が明らかにされるとともに、膨大な押収資料(証拠)を隠したままで、有罪判決を得ようとするのを許してよいのか、ということが指摘された。

 必要もない、見せしめ的な長期勾留を許してよいのか、という問題点が浮き彫りにされた。そのうえに立って、この事件の展望が示された。

 まず、日本国憲法下での税制の基本理念は、戦前の納税制度と違って、自主記帳、自主計算、自主申告という納税者基本権(納税者主権論)が打ち立てられている。

 民商運動の基本理念と日常活動は、中小業者の自主的・民主的団体として、憲法の国民主権原理を基底におき、「納税者は主権者」の立場で、運動を展開していることである。

 国家権力による民商敵視・攻撃がその背景にあり、今の政治情勢と無縁ではない。つまり、国民の目・耳・口をふさぎ、戦争する国づくりということが背景にある。

 税理士法事件は判例の変更(「犯罪構成要件の厳格化、法の限定解釈)をめざすたたかいだとする、以上5点にのぼるたたかいの展望が示された。

 さいごに、法廷外運動「大衆的裁判闘争」の基本が述べられた。

① 当事者の団結を基礎に
② 法廷闘争と連帯して
③ 事実と道理にもとづいて
④ 事件の真実を法廷外に広く訴えることにより国民の良心を結集し
⑤ その良心を裁判所に集めることによって、裁判を監視・批判し、裁判官に対して良心と勇気の発揮を呼びかけて
⑥ 真の意味での公正な裁判を実現するとともに
⑦ 再び権利侵害を起こさせない力を国民的に強め広げる

 以上7点にわたって、法廷外運動を強め、すすめようと行動提起された。私もこの運動を広げるために、微力ながら力を尽くしてゆきたい、と心を新たにした。



‘14年夢日記 「『中学生からの作文技術』を読む」

2014(H26)年5月28日(水) 晴れ

   タイトル 「『中学生からの作文技術』を読む」

 これは、本多勝一の著書である。「中学生からの……」となっているが、大人が読むにたえる内容だ。いや、むしろ大人が読むにふさわしい本である。

 ここで、この著書のすべてに触れるわけにはいかないので、紋切型の文章に限って、その内容を復習するつもりで書いてみたいと思う。

 著者は例文を引用して解説しているが、ここではそれを引用するだけの余裕はないので、割愛してすすめてゆきたい。

 紋切型の表現、手垢のついた、いやみったらしい表現として、次のような言葉が取りあげられている。「このおばさん、ただのおばさんではない」と書いているが、この表現は、どうにもならぬ紋切型だと指摘している。

 「ひとたびキャラバンシューズをはき、……」は、上記の引用文と同じく、文自体が笑っている。落語家が自分で笑っては、観客は笑わない、としてその文を戒めている。

 つづいて、「どうしてどうして」だの「そんじょそこらの」だの「足もとにも及ばない」という言葉は、手垢のついた低劣な紋切型として、手厳しい批評が加えられている。

 さらに「ことごとく」、「踏破」、「征服」といった言葉も、大仰な紋切型だと注文をつけている。「古き若者」、「学ぶべきところ大」というような言葉も安易な紋切型だとしている。

 そして、この引用とは違うが、紋切型の言葉として、次のような言葉が挙げられている。それらは、少なくない書き手が使いたくなる言葉なので、自戒したいところである。

 「ぬけるように白い肌」、「顔をそむけた」、「嬉しい悲鳴」、「大腸菌がウヨウヨ」、「冬がかけ足でやってくる」、「ポンと百万円」などの言葉である。

 雪景色といえば「銀世界」。春といえば「ポカポカ」で「水ぬるむ」。カッコいい足はみんな「小鹿のよう」で、涙は必ず「ボロボロ」流す。そして、「穴のあくほど見つめる」などの言葉である。

 そして、入江徳郎氏の文章を引用して、紋切型の言葉について論じている。入江氏は、「――とホクホク顔」、「――とエビス顔」、「複雑な表情」、「ガックリと肩を落とした」という紋切型の言葉を論じたあと次のように述べている。

 「紋切型とは、誰かが使いだし、それがひろまった、公約数的な、便利な用語、ただし、表現が古くさく、手あかで汚れている言葉だ。これを要所要所で使用すれば、表現に悩むことも苦しむこともなく、思考と時間の節約になる。それ故に、安易に使われやすい」

 「しかし、紋切型を使った文章は、マンネリズムの見本みたいになる。自分の実感によらず、あり合わせ、レディーメードの表現を借りるのだから、できた文章が新鮮な魅力をもつわけがなかろう」

 以上が、紋切型の言葉についての記述であるが、その本質は、「紋切型の言葉」は、書き手の実感を表現していないだけでなく、事実に反する表現になることが致命的である。

 「……とAさんは唇を嚙んだ」、や「えんぴつをなめなめ」書いたという言葉などは、ずいぶん「怪しい」と指摘している。これらの言葉は本当に事実に即しているだろうか、と疑問を投げかけている。

 「菫(すみれ)の花を見ると、「可憐だ」と私たちは感ずる。それはそういう感じ方の通念があるからである。しかしほんとうは私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちをいだくのである」

 これは、伊藤整の文章であるが、「可憐」という表現が実感と異なることを述べている。このように、紋切型の言葉と文章は、実感と事実からはなれることが、問題なのである。

 このように、紋切型の文章・言葉に限って論じても、これだけの紙数を費やすことになる。したがって、文章を書くということが、どれだけ奥の深い営為であるかということが分かる。だが、それにめげずに文章の修行をつづけたいと、私はひそかに誓っている。



‘14年夢日記 「『告別の秋』を読む」

2014(H26)年5月27日(火) 晴れ時々曇り

     タイトル 「『告別の秋』を読む」

 これは右遠俊郎の短編小説である。小林昭が、「人間を描く、ということ」と題して、「民主文学」5月号で取り上げた作品だ。

 「人間を描く」、ひとつの典型として紹介されている。そこで私も改めて読み返してみたが、小林昭のお薦めの通り、優れた作品である。

 これは、かつて「人間裁判」とよばれた朝日訴訟を題材にしている。その訴訟へ踏み込んでいく、朝日茂という人間を描いている。

 この中で、私は三つの点に心を惹かれた。ひとつは右遠俊郎の文章・文体である。二つは、登場人物たちの形象化だ。三つは、国・行政機関の非人間的な行為に対する告発である。

 まず、文章・文体であるが、緊張感のある濃密な文で綴られている。一点のゆるみもなく、息詰まるような文体で読者に迫ってくる。

 この作品の中で、「ン?」と疑問を感じさせるようなところは、まったくなかった。紋切り型の言葉、手垢のついた言葉などの乱用は皆無である。

 それは、一流の作家なので、当然といえば当然であるが、文章・文体もこの作品の魅力である。繰り返しの言葉の処理、文末の処理もきちんとなされている。

 が、文章・文体の問題は、ひとり作品の中で独立して論じられるものではない。それは、作品の内容と深く関わっているということである。

 作品の内容が、文章・文体を規定しているともいえるし、また、文章・文体が内容を決定づけているともいえる。それは、相互に弁証法的に関連しあっている。

 二つには、登場人物たちの形象化である。この作品の中で名前をもって登場する人物は、四人いる。その四人の存在感は、読者の心を捉えてはなさない。

 まず、朝日茂、そして、奥村紅人、木谷広子、原知子の四人である。この四人の人物形象が優れていて、「人間を描く」ということに成功している。

 物語の中で、一人ひとりが紙人形のように薄っぺらでなく、血と肉をもった立体的な人間として描かれている。とりわけ、朝日茂の人物形象は、読むものの心を、作品世界へといざなう。

 三つは、国・行政機関の結核患者に対する、非人間的な扱いへの告発である。まさに、憲法でいうところの「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利を、ことごとく踏みにじるさまを浮き彫りにしている。

 まず、「付添制度廃止」、重症患者を個室から枕頭部屋(四人部屋)へと移行させる処置である。重症患者を相部屋にすることによって、さらに症状は悪化し、患者は次々に死んでゆく。

 そして、朝日茂への兄からの1500円の送金が、彼のところに残るのではなく、そっくりそのまま、厚生省に納められるという事態が起こる。

 このような、国・行政機関のあり方は、私の怒りを抑えることができない。その非人間性、だから、朝日訴訟が「人間裁判」といわれる所以である。

 このように、私は三つの角度からこの作品をみてきたが、まごうことなき佳編だ。二度、三度と読むに値する作品だろう。私にとって、心の底にいつまでも残る短編小説である。



‘14年夢日記 「66歳の倖せ」

2014(H26)年5月26日(月) 雨時々曇り

     タイトル 「66歳の倖せ」

 今、私は66歳である。いままでの人生の中で、いまがもっとも倖せの瞬間(とき)のように思う。おだやかで、自身を慈しみながら日々を送るのは、素敵なことである。

 私は、今は亡き母から、「千春は大器晩成型だ」と言われて育ってきた。母は何を根拠にそう言っていたのかよく憶えていないが、よく呟いていたものだ。

 が、私は大器晩成という風にはならなかった。しかし、自身の倖せを66歳にしてようやく掴みとったという点からいえば、母の予見はあたっているように思う。

 私は18歳から社会変革の事業に関わってきたが、その道のりは決して平坦な道ではなかった。一再ならず挫折も経験したし、その途上で不可解な病気にも罹った。

 が、18歳の初心は今も変わることがない。その志はおそらく生涯に渉って、貫かれることになるだろう。その生き方は、まもなく50年になろうとしている。

 だが、社会変革の事業に携わるということは、夢や希望に満ちたものであるはずだ。しかし私は個人的な悩みをかかえたりして、苦しんだ時期も少なからずあった。

 しかし、今はそれを乗り越え、新しい地平に立っているように思えるのである。自然や社会と、そして自身がよく見える地平へ踏み出してきたように思う。

 私は今、日々の暮しが愉しい。が、だからといって、毎日特別なことがあるわけではない。どちらかといえば、平凡でつましい生活を送っているといえるだろう。

 問題は、その生活を愉しいと思えるか、倖せと思えるかということだろう。自身の生き方を愛しているか、自身を大切にしているか、ということだろう。

 私は午前6時に起床して、まずシャワーを浴びる。それで気持ちがシャキッとする。それから朝食である。朝食は書斎でひとり摂る。愉しいひとときである。

 朝食はパンである。そして、牛乳、ヨーグルト、青汁、植物繊維の飲み物を摂る。YouTubeの音楽を聴きながら、朝食を摂るのである。

 音楽はポップスだ。井上陽水、沢田研二、松山千春、山崎ハコ、加藤登紀子、竹内まりや、杏里、沢田知可子などの歌を聴きながらの食事である。

 昼食は毎日うどんと決めている。軽く済ますのである。そして、夕食は白米と味噌汁、魚と野菜、豆腐など色々である。わが家の夕食は粗食であるが不満はない。

 私のライフワークは、「書くこと」と「読むこと」なので、それを軸にして生活は回っている。その生活は、つまりは「よく観、よく感じ、よく表現する」ということである。

 そんなつましい生活の中で、人生の喜びとなっているのは、週一回のゴルフとビールの日である。今は、「ゴルフとビールのない人生なんて」、ワサビのない刺身のようなものと思っている。

 大器晩成というか、66歳になって初めて人生の悦びを感じている。こういう暮しを70になっても80になってもやりたいと思っているが、「66歳、いまがいちばん倖せ」の瞬間(とき)である。



‘14年夢日記 「『吉沢久子の本』を読む」

2014(H26)年5月25日(日) 晴れのち曇り

     タイトル 「『吉沢久子の本』を読む」

 吉沢久子の「96歳いまがいちばん幸せ」という本を読んだ。彼女は家事評論家、エッセイストである。この本は、他人(ひと)を倖せにする素敵な本だ。

 この本を読んで感じたことは沢山あるが、ここでは自身にひき寄せて、私のこころに強く響いたことについて触れてみたい。

 96歳といえば、一般的には疾(と)うに引退している年齢だが、彼女はいまだ現役である。ひとり暮らしをしながら、しなやかに、たっぷりと生きている。

 彼女の日中は、原稿を書く、手紙を書く、取材を受けるなどで、せわしなく過ぎていく。仕事は優先順位をつけて、原稿があれば、まずそれを真っ先にすることにしている。

 96歳でいまだに出版社などから仕事の依頼がくるというのだから、驚きである。私の96歳というのは想像もできないが、自身のライフワークをまだやれているだろうか、いささか心許ない。

 その原稿ができ上がるまで、考えたり、調べたりしながら、仕上げていくらしい。仕事は、彼女にとってもっとも大切なことなので、おろそかにしない。

 彼女は毎日、「今日が最高!」と、いま持っている幸せをかみしめながら、元気で暮らしている。彼女は姑と夫を送り、いまひとり暮らしだが、「ひとりがいい」と語っている。

 朝は、ゆっくり八時半くらいに起きる。夏などは、寝室の窓を開け放ち、風を通す。そして、メダカにエサをやったり、庭の植物や鉢植えの花に水を撒いたりする。

 朝食のメニューは、イギリスパンのトースト、卵、野菜、果物、紅茶、ヨーグルトである。私の朝食と較べてもずいぶん豊富なメニューであり、これが元気の源なのだろう。

 私の琴線に触れた言葉は、「価値観の違う人とはつきあわない」ということを、信条にしていることである。そういう人とは、ムリをしてつきあう必要がないということだ。

 私もまったく同感だ。若い頃ならまだしも、老年の境地に入ったら、心地よい人とだけつきあうというのは、賢明な選択だといえるだろう。ムリや義理でつきあう必要はない。

 私も10年所属していた「ある会を辞めた」ばかりである。それは、価値観の異なる人がその会に入ってきたためである。会というものは、おおよそ価値観の合う人の集まりのはずだ。

 吉沢久子さんの言葉を聞いて、私の考えは間違っていなかったということを感じた次第である。その会を辞めたことで、私の世界はかえって広がっている。

 世界観の合う人々と幅広くつきあうようになったからである。つまり、私は新しい地平へ踏み出して、そういう人々と心の交流をすることができるようになったのだ。

 最後に、彼女は「金」についても触れている。こういう本で、金について論ずるのは、はばかれるものだが、それについてもしっかりとした哲学をもっている。

 社会学者の上野千鶴子と経済ジャーナリストの萩原博子の言葉を引用している。老後のひとり暮らしに欠かせないものは、「家と友と一千万円」だと、言っている。

 これは彼女の言葉ではないが、同感の意思を表している。もちろん私は、医療や介護にしても「自己責任論」によって、国がその責任を放棄していることは容認できない。

 だからといって、老後を愉しく、倖せに暮らすためには、それなりの経済的ゆとりが必要である。そのための、節約と蓄えについて無関心であってはならない。

 吉沢久子は、「今日が最高!」は、いま、持っている幸せをかみしめることばだという。毎日、毎日「今日が最高!」と思って暮らしたい、と語っている。



‘14年夢日記 「小満(しょうまん)」

2014(H26)年5月24日(土) 晴れ

     タイトル 「小満(しょうまん)」

 季節に敏感になったのは、還暦を過ぎた頃からである。二十四節気についても、その頃から興味を持って暦をみるようになった。二十四節気の一である小満は5月21日である。

 小満は、陽気が良くなって、万物が次第に長じて天地に満ち始めるころ、といわれている。つまり、命が満ち満ちてくるころである。

 ようやく暑さも加わり、麦の穂が実り、山野の草木が実をつけ始め、紅花が咲き乱れるころである。実際、ウオーキングをしていると、小満の季節を肌で感ずるこのごろである。

 ウオーキングのコースは、田圃や畑の広がった道である。そのコースを歩いてゆくと、山裾にある池に川から水が導かれている。冬には干上がっていた池である。

 今では池の水がたっぷりと満ちて、いつ田植えが始まってもいいようになっている。田圃や畑には農家の人が出て、農作業にいそしんでいる。あちこちで、雑草の野焼きの煙が上がっている。牧歌的な風情である。

 雑草が刈られ、耕運機の音が高く響いて、田が耕されている。畑には種が撒かれ、芽が勢いよく伸びている。万物の命が満ち満ちているのを目の当たりにすることができる。

 果樹の実もふくらんでいる。イチジクや梅の実が瑞々しい。それぞれ、枝葉のかげで青い果実が実っている。それらを見ると、一瞬、感動で声を挙げそうになる。

 が、ホトトギスの鳴き声は、まだ聞かない。家の裏山には毎年、ホトトギスがやってきて、「トッキョキョカキョク」、「テッペンカケタカ」、としきりになくのである。まもなく、その鳴き声も聞こえるだろう。

 万物が長じて天地に満ち始めるころ、というのは何も自然界に限ったことではない。もちろん人間も万物に入る。とりわけ私はこれからの約半年が、最も好きな季節である。

 私は沖縄あたりに住めばちょうどいい体質をしている。夏には滅法強いが、冬はまったく駄目である。だから、6月から10月の5カ月間が、私の季節である。

 真夏でもほとんどエアコンは使わないし、汗もそれほどかかない。今まで身体を縮めて過ごしてきたが、これからの季節は、胸を張って生きてゆくことができる。それを思うとワクワクしてくる。

 これからの季節は私の活動期である。外へ出かけることはもちろん、「もの書き」や「読むこと」も旺盛に展開することができるだろう。まるで、冬ごもりの動物が、巣穴から出てきたような趣である。

 小満の言葉通り、私の生命も活気に満ち満ちて、生きてゆけるように願っている。私のひとつの目標は、自然や社会を「心の目」で観てゆくことである。そんな生き方をしたい。



‘14年夢日記 「1000万本のポピー」

2014(H26)年5月23日(金) 晴れ

     タイトル 「1000万本のポピー」

 むかし、アグネスチャンが「ひなげしの花」という歌を唄っていた。その歌詞はこうだ。山上路夫の作である。

 丘の上ひなげしの花で
 占うあの人の心
 今日もひとり
 来る来ない帰らない帰る
 あの人はいないのよ遠い
 街に行ったの

 高い澄んだ声で、いくらかたどたどしい日本語で唄っていた。この歌詞は、「丘の上で、今日もひとり」だったから、別れの歌が生まれたのだろう。

 ポピーは、「ひなげし」でヨーロッパ原産のケシ科の一年草である。虞美人草(ぐびじんそう)、雛罌粟(こくりこ)とも呼ばれる。

 ああ皐月(さつき) 仏蘭西の野は 火の色す
                     君も雛罌粟 われも雛罌粟
                                  与謝野晶子

 陽に倦(う)みて 雛罌粟(ひなげし)いよよ 
                        くれなゐに
                            木下夕爾

 このように詩(うた)にも詠われている。ちなみに木下夕爾は広島県福山市の詩人で、私は数年間彼の息子と一緒に仕事をしたことがあるが、父のことを話題にすると、極端に忌避したことを憶えている。

 ポピーの花言葉は、恋の予感、いたわり、思いやりなどがあるが、その言葉通り、可憐で繊細な花である。フランスの国旗の赤を表す花だといわれている。

 「そのポピーが1000万本咲いている」、というのを聞いて、私は車で出かけた。笠岡市の干拓地である。4月には、菜の花が1000万本咲いていたとなりの畑である。

 駐車場に車を停めると、その前方に真紅に染まった畑が一面に広がっている。圧巻である。車を降りてポピー畑の中に入ってゆくと、自身が真紅に染まりそうである。

 私は展望台に登ったり、散策路を歩いたりしてポピーを観賞した。1000万本のポピー。圧倒的な美しさである。しかし、よく観ると、ポピーは一色ではない。赤、白、ピンクと三色の花に彩られている。

 空は雲ひとつない快晴である。五月の青い空が360度広がっている。その空に飛行機雲が青い画布を切り裂いたような、白い線を描いていた。五月の風が光っている。

 ポピー畑の中を、手を繋いでゆくカップルがいたり、若い女性が二、三人連れでしきりにカメラのシャッターを切ったりしている。子どもたちは花とたわむれ、かくれんぼなどをしていた。

 1000万本の畑は、四ヘクタールだそうである。去年の十月に種をまき、五月に見ごろになったというわけだ。この干拓地は、1000万本の菜の花とポピー畑として、多くの人に知られることになった。

 私は、ポピー畑をあとにして、瀬戸内の海と島を眺めながら、帰路についた。海は五月の陽光に輝いていた。が、風に揺れるポピーの花びらが、瞼の裏に鮮やかに甦ってくる。忘れ得ぬ花である。



‘14年夢日記 「『文章教室』を読む」

2014(H26)年5月22日(木) 晴れ

     タイトル 「『文章教室』を読む」

 藤本義一の「文章教室」を読んだ。こうした類いの本を読んだからといって、すぐに効用があるというものではない。だから、その本の内容が、潜在意識の中に沈んでいて、それがある時、顕在化すればいいと思っている。

 が、齋藤孝の本を読んで、私は「3の法則」というものを、日常生活の中に取り込む習慣ができつつあるので、こうした本もあながち悪いとは言えない。悪いと言うよりも、軽くみてはいけないということだ。

 「3の法則」というのは、例えばある花を見て「美しい」と感じたとする。それを人に「美しかったよ」と話す時、それだけではその美しさは伝わらない。そこで「3の法則」を活用するのである。

 とにかく、「美しかった」と感じたことを、なぜ「美しいと感じたのか」、その理由を三つ挙げるのだ。そうして、なぜ美しいと感じたのかが、浮かび上がってくるのだ。そうした思考方法が、私の内側に育ちつつある。

 さて、藤本義一の「文章教室」だが、私の心に強く刻まれているものから書いてゆきたい。すべてに触れるということはできないので、印象の強いものから順に書いてみたい、と思っている。

 ――私は妻と結婚して二十年が経った。
 これは、たしかに文章になってはいるが、どこか凡庸ではないだろうか。そこで彼は、
 ――妻と結婚して二十年が経った。
 つまり、私というのは不要だというのである。しかし、これではまだいただけない。

 ――妻と二十年が経った。
 ――結婚して二十年が経った。
  さて、どちらをとるか。――結婚して二十年が経った。を残したとして、どうもありきたりである。思い切って、
 ――二十年が経った。というふうに文章の冒頭から切り込んでみる。

 すると、読み手の方は、? と思うだろう。これが文章の意外性である。そして、次のように語るのだ。
 ――二十年が経った。結婚してから……。
 これで一応、文章の入り口に立ったということになる。

 が、これでもまだ十分ではない。
 ――私と妻との二十年間の歳月。
 結婚が消えてしまった。
 ――妻との二十年間の歳月。さらに、
 ――妻との二十年間。としなければいけない。

 しかし、まだまだだ。
 ――妻との二十年。
 ここまできて、やっと文章らしくなってきた。
 ――私は妻と結婚して二十年が経った。という文章が、半分以下の文字数になって、
 ――妻との二十年。になった。このようにして、文章はつくられていく、ということを学んで欲しい。

 紙幅が尽きてきたので、もうひとつ私の心をとらえた話を記してみたい。それはドラマの構築ということである。ドラマの構成は大きく分けて、五つの部分に分かれる。

① 発端 ②葛藤 ③危機 ④頂点 ⑤結末 ということであるが、これは古くからいわれる「序・破・急」にしろ「起・承・転・結」にしろ、すべてこの五つの部分を内蔵している。

 つまり、ドラマは視聴者を「ハラハラ・ドキドキ」させなければならない。ドラマはギリシャ語で、闘争・相剋(そうこく)・葛藤という意味である。

 これは、ドラマに限ったことではない。エッセーや小説、文章づくりにもこのことを心に刻んで、書いてゆくという態度、姿勢が求められている。今までみてきたように、文章づくりというのは、とても奥の深い作業だということが判る。



‘14年夢日記 「コーヒー革命」

2014(H26)年5月21日(水) 晴れ

     タイトル 「コーヒー革命」

 歯茎の腫れと膿(うみ)は、歯科医院の適切な治療によって、2回の処置で治癒することになった。また、歯のレントゲンも撮り、虫歯の検査もなされたが、とくに異常は見つからなかった。

 歯石や歯垢の除去も比較的簡単に終えることができた。これは日頃の入念な歯磨きのおかげだろう。したがって、今後とも「歯磨き」、「歯間ブラシの使用」、「歯茎のブラッシング」という三要素のケアは、引き続きやってゆくつもりである。

 が、医師が言った「歯が溶けてるよ」という言葉は、私の脳裏に強い印象として残っている。歯茎の腫れと膿の治療が終わったからといって、「溶けている歯」が元通りになったわけではない。依然として溶けている歯は、溶けているままである。

 私の奥歯は3本の根っこで支えているのが正常なのだが、1本が溶けて2本でやっともちこたえているのである。だから、治療は終わったけれど、根本的に直ったわけではない。いつ歯茎が炎症を起こしてもおかしくはないのである。

 そこで、今回の事態を招いた原因を除去することが求められている。その原因は私の「コーヒー依存症」である。これから脱しないと、ますます歯は溶けてゆくし、歯茎の炎症が再び起こることは眼にみえている。

 私のコーヒー依存は、酒や煙草の依存と同じようなものである。私は終日コーヒーを舐めていないと落ち着かないし、精神が集中できない。ものを書いている時や本を読んでいる時は、もちろんコーヒーを手放せない。

 私はいつでもどこでも、コーヒーを舐めることができるように、2階の書斎と1階の和室、そして車の中にコーヒー缶を置いている。また、ダイニングルームを使う時には、そこにもコーヒーを持ち込む。つまり、私はコーヒーを持って歩いているようなものである。

 そこで、これ以上「歯が溶ける」のを防ぐために、「コーヒー革命」をすることを心に誓った。まず、車と1階の和室、ダイニングルームから「コーヒー缶」を撤去することにした。

 そして、コーヒーを飲むのを限定した。コーヒーを飲むのを一日2回にしたのである。1回は朝食後の新聞の時間と、もう1回は「もの書き」の時間に限り許すことにしたのである。

 これで、一日、コーヒーのショート缶1本で済むことになる。この他に例外として、週一回のゴルフの時には、1本飲むことを認めることにした。が、コーヒーの「禁断症状」が起こることは考えられる。

 もう、すでにそれが起こっているので、コーヒーの代わりに、白湯を飲んだりキシリトールガムを噛んだりしている。一日、コーヒー缶1本というのが定着するまでには、しばらく時間を要するだろう。

 「コーヒー革命」も生易しいことではない。が、「歯が溶けてるよ」という医師の声が聴こえてくる。それを肝に銘じて、コーヒー依存症から解放されたいと思っている。



‘14年夢日記 「走る人生」

2014(H26)年5月20日(火) 曇りのち雨

     タイトル 「走る人生」

 倉敷革新懇の記念講演会に参加した。ウルトラマラソンの女王、貝畑和子さんの話が聞けるとあって、わくわくしながら出かけた。彼女は1953年生まれの60歳で、倉敷市在住の主婦である。

 「走り続ける人生から見つけたもの」と題して話されたのだが、感動を超えて驚きの連続だった。彼女の講演で、私はみっつのことに心を打たれた。ひとつは、ウルトラマラソンにまつわる話だった。ふたつには、日常生活の在りようである。みっつには、自身を含めた家族の病気などとたたかいながら、走り続けてきたことである。

 彼女は、大阪国際女子マラソンに18回連続出場という記録をもっているが、ウルトラマラソンとは、42.195km以上の50kmとか100kmの距離を走ることをいう。

 ウルトラマラソンでは、何といってもシベリア大陸の横断に成功したということである。距離はなんと、10417kmだそうだ。が、私にはぴんとこないので、マラソンの42kmで換算すると、実に248回ということになる。それを217日間で走破したというのだから驚くべきことだ。一日平均48kmである。

 シベリア大陸横断は、2004年2月から10月にかけて挑戦した。マイナス35度という日々が続いたかと思うと、夏になると一変、38度という苛酷な気象条件の中を走りぬけたのである。

 また、視覚障がい者と日本列島を縦断をしたこともある。全盲の宮本武さんと宗谷岬から佐田岬まで駆けぬけたのである。全長3300km、一日50~60km、63日間の旅であった。そして、北米大陸横断レースに出場して女子の部で優勝を果たしている。4961km、一日約70kmを走り、砂漠では10日間、57度という酷暑の中を走りぬけたのである。

 このように、彼女は超人的な走りを続けてきているが、私は日々の生活のほうにも興味をもった。彼女は、朝9時頃から午後5時まで、毎日走り続けているというのである。実に毎日7、8時間走るというのだから驚異的である。

 私は毎日、3、4kmウオーキングをしているが、ともすれば、サボる口実を見つけて休むことも少なくない。それを、一日7、8時間、毎日走るというのだから、俄かには信じがたいほどである。

 みっつめには、家族と自身の闘病を乗り越えて、走り続けているということである。彼女は小学校から高校まで、腎臓が悪くてほとんど運動はできなかったそうだ。学校でも体育の授業は見学のみという状態だった。また、大腸ガンを患ったが、もう一度走りたいという執念で、それを見事に克服したのである。

 家族は、次男が白血病に罹り、3年間の治療のかいもなく、6歳の時に黄泉の国に旅立ったという。また、長男は、脳性小児麻痺に罹り学校に行っても、歩けない、喋れないということだったが、養護学校ではなく一般の小学校に入学したそうだ。

 この家族には、困難が次々と起こるのだが、それを一つひとつ克服してゆく力が漲っているように思える。長男は、今ダイビングを始めているらしく、この家庭には、マイナスをプラスに転化する不思議なものが存在するように思えてならない。不幸と思えるものが、舌を巻いて逃げ出すのである。

 が、それは不思議でも何でもなく、彼女の走る人生が、次々に襲ってくる困難を克服しているのだろう。次男が逝って、一年くらいは精神的に落ち込んでいたのだが、それがきっかけで、30歳の時から走り始めたのである。初めて走った距離は、200mだったという。彼女は語っている。「大変な道こそ、面白い」というのである。

 私は彼女の話を聴いて、どれだけ励まされたことだろうか。人間というのは、限りない可能性を持っているということである。人間は闇の中でも「光を放って」、周りの人々に勇気と希望を与えることができる存在だということを学ぶことができた。素晴らしい講演だった。



‘14年夢日記 「『向田邦子の小説』を読む」

2014(H26)年5月19日(月) 晴れ

     タイトル 「『向田邦子の小説』を読む」

 向田邦子の小説を初めて読んだけれど、実にいい。今まで彼女の作品は、エッセーを少し読んだくらいのものだった。「父の詫び状」というエッセーが良かったので、全集の中の小説集を図書館で借りてきた。

 全集には、4巻の小説集があって、今回読んだのは「小説三」である。明日にでも次の巻を読みたいという思いでいっぱいだ。「小説三」には、9編の短編が収載されているが、それをいちいち論ずるわけにはいかない。

 したがって、彼女の小説を読んでの概論を述べてみたいと思う。まず、そのひとつは、人間の形象がリアルであるということだ。ふたつには、作品の中ですべてを語らず、余韻を残して読者の想像力にゆだねるという作風である。みっつは、男と女の心の機微をうまく掬いとっていることだ。

 まず、人間の形象化であるが、登場人物が生きている。物語の中で生き生きと活写されているのだ。私たち素人が書くと、紙人形のような平板な人間しか造形できないのだが、彼女の場合は違う。

 三次元、つまり、人間が立体的なのである。丸太の木材から、ノミやナタで彫り出したような人間が、物語の中で動くのである。だから、読後感はその人間をいつまでも忘れることができない。

 これだけ存在感のある人間像を生み出すということは、並大抵のことではない。素人が書くと、薄っぺらな人間になってしまうのだ。彼女の描く人物は、言葉によって描写されているのだが、それがまさに彫像のように、浮き彫りにされている。

 ふたつには、余韻を残すということである。だいたい、文学を志す人たちは、読者にはもう分かっていることなのに、すべてを語ろうとするのである。語るだけならまだいい。ところが、すべて説明してしまうのだ。

 余韻を残す、ということはずいぶん難しい。というのは、書き込み不足ということと、隣り合わせだからである。書き込み不足になると、読者には何のことを書いているのか分からない。余韻を残す、というのは諸刃の剣である。

 みっつは、男と女の心の在りようと、動作の描き方が実にうまい。それは、男と女の心の機微を過不足なく描出してゆく腕は、冴えている。また、心の機微だけでなく、男と女のちょっとした仕草や動作の描き方も、ちゃんと心得ている。

 だから、男と女の物語を読んでも、読者はハッと発見させられることがよくある。ここまで、男と女の心、男と女の仕草・動作を描くことができれば、読者の心を掴んで放すことはないだろう。

 全集の小説集は、1から4巻まであるので、それをまた図書館で借りて読むことにしたい。そして、彼女の小説作法を学びとりたいと思っている。

 が、彼女と私のそれは根本的に違っているので、そううまくはいかないだろう。だから、掬いとることのできるものだけを、自身の内に吸収できればいいと思っている。



‘14年夢日記 「ホームシアター」

2014(H26)年5月18日(日) 晴れ

     タイトル 「ホームシアター」

 私は連休の後半から、「ホームシアター」としゃれ込もうと思って、ビデオレンタル店よりDVDを仕入れてきた。喜劇からシリアスなものまで多彩な内容のものを10本借りた。

 連休に私は、どこにも出かけることがなかったので、DVDの映画が唯一の娯楽となった。私はちょっとヘソ曲がりのところがあって、人が楽しそうに繰り出す場所へはあえて出かけない。そこで、「ホームシアター」を選んだというわけである。

 「ホームシアター」といっても、特別なことはしない。ダイニングルームのカーテンを引き、外の光が画面に映らないようにする。もちろん、DVDの観賞は部屋を明るくして観るというのが鉄則なので、蛍光灯を点ける。そして、コーヒーとメモ用紙を手元に出して、準備完了である。

 一週間ほどで10本の映画を観たが、私は喜びよりも失望のほうが大きかった。10本のうち、私の心に響いてきたのはたった2本だけだった。あとの8本は、渥美清主演の喜劇や野村芳太郎監督のものがあったが、心を打たなかった。

 他に、「武士の家計簿」や「わが母の記」なども観たが、いずれも退屈させるような映画だった。しかし、笠岡市のビデオレンタル店に行って、一時間以上も棚を探して見つけたものである。

 笠岡市のレンタル店には、もう私の心を惹きつけるようなDVDは底をついてきたということだろう。山田洋次や野村芳太郎、黒澤明や小津安二郎、溝口健二や木下恵介監督のものは、ほとんど観ている。

 洋画のいい作品をまったくおいてないというのは、田舎のレンタル店からだろうか。鉄道員や自転車泥棒、ローマの休日やカサブランカ、ひまわりやチャップリンの作品が見あたらないのだ。こういう作品もおくべきだと思うが、需要が少ないに違いない。だから、名作を取り揃えていないのだろう。

 が、10本のうち2本良かったと思うのは、「なごり雪」と「精霊流し」だった。奇しくも、この2本は歌の題名であり、内容もこの歌をモチーフに創られている。

 「なごり雪」も「精霊流し」も歌詞の内容をふくらませて、実にいい映画に仕上がっていた。「なごり雪」は、50歳前後の男たちが、青春時代を回顧するという、とても切ない物語である。

 それを三浦友和が好演していた。「なごり雪」のヒロイン、雪子が枕に詰め込む布の小片を、まるで雪のように降らす場面は、非常に幻想的で美しかった。脚本家と監督の想像力に、私は深くとらえられた。

 「精霊流し」は、背景に長崎の原爆があり、この作品も切なく哀しい物語だった。松阪慶子扮する被爆者が、黄泉の国に旅立ってゆく。その精霊を送るために豪華な船を作って、精霊流しをする。心を締め付けるような映画だった。

 10本のうち、心を打ったのは2本だけだったけれど、それは今も心の奥底に余韻として残っている。こうした映画があるから、「ホームシアター」も映画観賞もやめられない。また、優れた映画に出会えることを祈りたいと思う。



‘14年夢日記 「『せつなげな手』を読む」

2014(H26)年5月17日(土) 晴れのち曇り

     タイトル 「『せつなげな手』を読む」

 この作品は、第11回民主文学新人賞受賞作である。作者は、竹内七奈で1974年生まれ、今年40歳になる。今まで、様々な文学賞に応募してきたようで、その努力が実ったということであろう。

 私は、この作品を三つの角度から見てゆきたいと思っている。ひとつは、主人公「私」の心の在りようをさぐってみたい。ふたつは、「私」の仕事についてである。みっつは、桜木拓真との関わりだ。このみっつに迫ることができれば、この作品の全体に切り込むことができるだろう。

 この主人公の「私」は、とても魅力的な人物として形象化されている。むろん、こういう人物に共感が持てない人がいるかも知れないが、私はこういう危うく心が繊細な人間に心が惹かれる。「私」は、未熟児で生まれ、摂食障害があったため、周囲から差別されてきたが、それでも一生懸命生きている。

 彼女は二十歳のとき、死のうとして失敗したことがある。薬を大量に飲んだのだ。一時は昏睡状態となったが、一命を取り留めた。その後、日常生活もままならないほど程衰弱し、外に出ることすら出来なかったのである。そして、精神病院へいったが、効果はほとんどなかった。

 「私」は、人間関係に揉まれず、生身の人間を避ける日々が続いた。元々口下手だったのが更に進行してしまうという事態が起こった。停滞する「私」を尻目に、進んでゆく一方の世の中は、「私」を必要としていないような気がするのである。

 このような彼女は、人間や社会の現象に対する様々なことに対して、鋭利な感覚でとらえ、それがとても新鮮である。この社会の功利主義的な現象について、しなやかな心で見つめるところなどは、彼女の人間性の魅力となっている。

 「私」は、都内の郵便局に非常勤職員として働いている。郵便局で小包等の処理をする部署だが、単に小包を扱うといっても、なかなか複雑な仕事の内容である。決して単純でない仕事の内容を描写して、私は新しい発見をさせられた。

 彼女は、郵便局の民営化後の利益至上主義について、何かが歪んでいるように感じている。たとえば、年賀状の販売のノルマは、局員は一万枚、非常勤職員は千五百枚さばかなければならない。それができなければ、上司に呼ばれて事情聴取される。

 そこで、ノルマをこなすために、売れない人は自分で買い取り、金券ショップに売ったりしている。そして、暑中見舞、「ふるさと小包」なども同じようなことがやられ、これによって、従業員を追い込んでゆくというやり方などに、疑問を持っている。

 さて、最後になるが、桜木拓真のことである。拓真は、タレントであった。タレントといっても、拓真は口数が少なく、進んで前に出るタイプではなく、全てに於いてタレントとはかけ離れているような存在だった。そういう彼に「私」は好感を持っていた。

 その彼が、「私」と同じ郵便局で働いていることが判明した。しかし、拓真は最早タレントとしての面影すらない、しぼんだ風船のように弱っていた。そして、彼は言った。「事務所は俺を、飼い殺しにしているだけです。だから、こんなふうにバイトしないと、やってゆけないんです」

 そして、拓真が自宅マンションで死亡していたという新聞記事を見た。死因は蜘蛛膜下出血ということだった。「私」が好感を持っていた拓真が死んだ。「私」は、今一度彼の痕跡を辿ることで、生を省み、これからの糧を得たいと思うのである。

 まだまだ、書き足りないことはいっぱいあるが、紙幅が尽きてしまった。拓真はタレントとして、華やかな世界に身を置いていたように見えるけれど、しかし、彼はどこか違っていた。握手会で手を合わせた時も、郵便局で彼の手に触れた時も、なぜか「せつなげな手」をしていたのである。

 この作品は、主人公の「私」の人物形象が優れており、それが作品の奥行きを深くしている。「私」は「砂の器」のように、ちょっとした風や波によって、崩れてしまいそうな人物だけれど、だからこそ、人間や社会を見る眼は透き通っていて鋭い。

 「私」は内部に鬱屈したものを持ちながらも、人間や社会に対して、つながろうとする心をもっており、それが「こわごわ触れた拓真のせつなげな手」であった。実は「私」も「せつなげな手」なのである。青い果実として登場した竹内七奈が、紅く実ることを願ってやまない。



‘14年夢日記 「ゴルフとビール」

2014(H26)年5月16日(金) 晴れ

     タイトル 「ゴルフとビール」

 「今、いちばんやりたいこと」ということで、先日書いたが、そのゴルフに行ってきた。ゴルフといっても、コースに出たわけではなく、ゴルフの練習場である。かれこれ3、4年ぶりだろうか、クラブが錆びているのではないかと心配したが、バッグを開けたらアイアンは光っていた。

 いささか緊張してボールの前に立って、ピッチングウエッジを振ったら、うまい具合にボールが上がって約100ヤード飛んだ。第一打にしては上出来である。ゴルフも自転車や水泳と同じだな、と思った。自転車や水泳も何年離れていても、乗ったり泳いだりすることができるのである。

 私は練習場のメンバーに加入することにした。メンバーになるためには、年間5,500円の会費が必要だが、しかし、特典として打ち放題1,000円というのが魅力である。私はさっそくサインして、メンバー登録してもらった。

 この日は初日なので、ピッチングウエッジと7番アイアン、3番ウッドと4番ウッドを使った。田舎の練習場なので、比較的狭く天井のネットも低い。けれども、前方には山があり、その上には広く青い空が広がっている。その空に向けて打つ心持ちは実に爽快である。

 2時間ばかりスイングしたが、7、8割はうまくヒットして、真っ直ぐ飛んでくれた。「くれた」、というのは、自身の実力というより、たまたまという思いが強いからである。ゴルフはそんなに甘くないし、奥の深いものだ。

 これから私は、毎週火曜日に練習場に通うことにした。そう頻繁に通う経済的余裕もないし、時間もない。が、これで私の人生にひとつの華が咲いたように思える。少し大げさなようでもあるが、しかしここまで歳を重ねてくると、ちょっとしたことが人生の愉しみになる。

 人生の愉しみというと、週一回のゴルフと週一回のビールの飲酒である。ビールを飲むのは、毎週木曜日と決めている。これもまた待ち遠しいし、愉しみのひとつである。ビールと言ったって、私は250ミリリットル缶を1本飲むだけだ。

 私は酒が強いわけでも、好きなわけでもない。が、週一回ビールを飲むのは愉しみだし、これがなければ人生も味気ない。平凡で代わり映えのない日々を送っている身にとっては、こういうささやかなことが、人生に色彩を与える。

 これで、私は人生でふたつの華、愉しみをもつことになったのである。つまり、ゴルフとビールである。若い頃、このふたつはよく愉しんだけれど、それはただ若さに任せてのものだったので、人生と関わらせて考えたことはなかった。

 が、3、4年もすれば古希を迎えるような歳になると、非常に人生がいとしくなるものである。たかがゴルフやビールを、人生と結びつけて考えるようになる。つまり、今この時こそ、人生を愛し時間を惜しむようになっているのである。

 私にとっては、ゴルフもビールも人生のちょっとした薬味のようなものである。これが、人生に華を添えるのだ。「読むこと」と「書くこと」をライフワークとしながら、人生を愉しむことも忘れてはならないと思う。



‘14年夢日記 「『リバティーに愛をこめて』を読む」

2014(H26)年5月15日(木) 曇り

  タイトル 「『リバティーに愛をこめて』を読む」

 第11回民主文学新人賞の佳作となったこの作品は、1945年台湾台北市生まれの、長谷川美智子の作である。リバティーというのは、貨物船だが船の名前ではなく、第2次世界大戦中にアメリカで大量生産された船の型の名称である。

 この物語は、終戦後アメリカから提供されたこの貨物船で、2カ月足らずの間に台湾在住の日本人50万人が送還されたようすを描いている。語り手はわたしこと、英一で今すでに83歳になっている。その英一が、台湾からの帰還のもようを回顧している。

 この話は、第1章「さようなら、台湾」、第2章「巡り合い」、第3章「故郷へ」という構成からなっている。満州(中国東北部)や朝鮮からの引き揚げの話は、よく小説になっているが、台湾からの引き揚げの話はごく稀である。作者はその問題をすくいとって、描いて見せたということだけでも、意義深いことである。

 作者は、帰還にあたって、「奇跡が三度起きた」と書いている。ひとつは、家族6人全員が台北から汽車で1時間のキールン港までゆき、艀(はしけ)から縄梯子を伝って、リバティーに乗れたことである。

 ふたつは、リバティーの乗組員で父の教え子である「明珍」と巡り合えたことだ。みっつには、日本本土について、故郷鹿児島への汽車に乗れたことである。英一は、世界一運の良い人間だという感慨をいだくのだった。

 リバティーに乗ることは、とても難儀なことだった。艀から転げ落ちる人もいたし、縄梯子から落下する人もいた。1歳の瑠璃子を背負った母の後ろを支えながら、父が縄梯子をのぼる。その後ろに小学1年の沙織、小学3年の裕と続く。最後に中学3年の英一が裕を支えながらのぼってゆく。

 たとえリバティーに乗ってもとても危険で、2714隻のうち、何百隻もの船が整備不良やあるいは機雷に触れ沈んでいったのである。まさに、悲惨な事故と隣り合わせの船でもあった。ちなみに、リバティーは、七千百八十トン、全長百二十五メートル、幅十七メートルで、乗船者は二千人の巨大な船であった。

 船の中で裕はチフスに罹り、明珍の世話で一命をとりとめたのである。明珍との巡り合いが、家族の誰をも喪わずに済んだのだ。そして、また本土に上陸して汽車に乗れたこと、生死の境をさまよっていた瑠璃子の命を甦らせたことは、まさに奇跡であった。

 こうして、家族6人は命からがら、鹿児島の故郷へとたどりついたのである。この物語は、声高に反戦を唱えているわけではないが、台湾からの帰還のようすを丁寧に描くことによって、静かに戦争の悲惨さを読者に伝えている。

 この作品を読んで、私は新しい発見をすることが多かった。が、この小説だけで納得するのでなく、「戦中、日本は台湾でどのような立場にあったのか?」、「台湾の人々と日本人・軍隊との関わりはどうだったのか?」、「帰還の在りようはどうだったのか?」について、学ぶことの必要性を痛感させられた。

 「あれから、わたしたちは戦争のない世のなかを作ってきました」、「本当に、そう報告できる日が来てほしい」という思いが、この作品の根底に流れており、それがモチーフとなっている。



‘14年夢日記 「『望月所長へのメール』を読む」

2014(H26)年5月14日(水) 晴れのち曇り

    タイトル 「『望月所長へのメール』を読む」

 この作品は、第11回「民主文学新人賞」の佳作で、作者は石垣あきらである。彼は1951年生まれなので、今年63歳になる文学会準会員だ。

 「望月所長へのメール」は、ケアマネジャーの前田から望月への呼び出しによって、ひとつの事件が明るみになる。前田が言うには、望月の事務所に所属するヘルパーに、利用者の藤倉が3万円盗まれたということだった。これが事の発端である。

 12月11日の水曜日になくなったということなので、その日の担当は美紀であった。彼女は24歳でいつも仕事中は笑顔を絶やさない、可愛らしいヘルパーである。しかし、こういう疑いをかけられ、おおやけになると、ヘルパーの事業所は窮地に立たされる。

 そこで望月は、右腕として支えてもらっている川上と一緒に美紀に会うことになった。そして、藤倉が金を盗まれたと言っていることを告げた。それで何か心当たりはないかと訊いてみたが、美紀は「私は、そんなことしていません」と、否定した。

 そして美紀は、「藤倉の入浴介助から外して下さい、いつもあの人は私を困らせるんです」と言った。「美紀ちゃん、どういうこと、話してもらえないかしら」と望月は尋ねたが、「私の口からは言えません。あの人に聞いて下さい」。美紀の言葉である。

 そこで、望月は前田とともに、藤倉のところを訪ねた。藤倉に「担当者に何度も確認したが、心当たりないと言っている」と告げると、彼は激昂し、「違う、違う。そんなことを言うんだったら警察に訴える」と、言うのだった。

 「藤倉さん、分かりました。望月さんのところでもっと調べてもらいます。ですから、警察への通報は少し待ってもらえませんか」と前田は言って、望月とともに藤倉の家を辞した。

 そして再度、望月と川上は美紀と会うことにした。が、ここでもことの真相は分からなかった。美紀は別れ際に、「望月所長にメールを送ってもいいですか」と美紀はいい、彼女は走って帰っていった。

 美紀からのメールは深夜に届いた。それによって、謎が解け、真相が明らかになった。「正直に書きます。私は、藤倉様から3万円もらってしまったんです。12月4日、藤倉さんのところにサービスに入ると、美紀様へ、という封筒に宛名が書いてあったので、仕事のメモかと思い、そのままバッグに入れてしまったんです」

 「事務所に着いてから封筒を開けたら3万円入っていました。すぐに返しに行ったら、もうそれはアンタのものだから、いらないと言ったんです。私は玄関に封筒を投げるようにして帰ってきました」

 「11日にまたあの人のところへサービスに入りました。そして帰り際、あの人が謝りだして、お詫びの印だと言って、封筒を渡そうとしたんです。そして、私はポケットに封筒を入れてしまいました」

 「次の週にサービスに入ったら、短パンの中に手を入れようとしたんです。私は嫌だったので、極端に拒否の態度をとって、あの人の身体を撥ね除けてしまったんです。そして、次の日に、金を盗まれたと言い出したんです」

 このように、メールによって、事件の謎が解け、真相が明らかになった、という話である。小説としてメールによって、ことの真相を明らかにすることがいいのかどうか、という疑問は残るが、利用者のセクハラの思惑にはまってしまった、美紀の情況が詳しく語られている。

 ヘルパーの複雑で、困難な仕事の内容の断面を切り取った作品として、評価されてもいいだろう。もちろん、美紀はセクハラをもくろむ利用者に、毅然と対処をしなければならない。しかし、過ちを犯してしまったのである。

 小説は、道徳や倫理を説くのが目的ではない。それにそむく人間を描くことも、小説の仕事である。そうすることで、その背景を描き、読者に問題提起をし、読者に考えることを求めるのである。

 望月は、明日から出直すんだ。美紀も、うちの事業所も。と、心を引き締めて、希望への光を見い出そうとしている姿を描いて話を終えている。



‘14年夢日記 「詩の朗読会とリサイタル」

2014(H26)年5月13日(火) 晴れ

     タイトル 「詩の朗読会とリサイタル」

 『ぞうきん』

 こまった時に

 思い出され

 用がすめば

 すぐ忘れられる

 ぞうきんになりたい

 『手』

 黙って施すだけ

 受ける手を持たない

 太陽よ

 空気よ

 愛よ

 『せんたく』

 おかあちゃん

 ぼくがよごした着物

 洗ろてくれたんか

 つめたかったやろ

 はよこたつへはいりな

 肩たたいたろ

 これは河野進(こうのすすむ)の詩である。彼の「詩の朗読会とリサイタル」が、倉敷市玉島であったので、出かけてきた。私は今日まで彼と彼の詩を知らなかった。彼の60の詩が朗読され、彼の詩に曲をつけた歌が披露された。

 河野進は、1904年に和歌山県に生まれ、神戸の神学校を卒業し、玉島伝道所に赴任してきた。長島愛生園などハンセン氏病の島への慰問をしたり、保育園を創立したりした。児童養護施設玉島学園の運営に関わり1990年に永眠した。彼は「宗教者であり詩人」であった。

 上記の詩を読んでもらえばわかるように、説明のいらない簡潔で平明な言葉で語られている。そして、この世のすべてのものに対する愛と優しさ、目立たぬ「ぞうきん」や見えないものや弱者へ注ぐまなざしが温かい。

 彼は宗教者であるが、それを超えた大きな愛に支えられて詩を紡いでいる。「手」の詩のように、太陽や空気などへの感謝の気持ちにも満ちている。自然や社会、人間や宇宙への関心、広く豊かで深い彼の心に触れると、読むものの心も浄化される。

 詩の朗読のあと、リサイタルが催されたが、これも聴くものの心を優しく包み込む素敵な歌声であった。こうした「会」に出合えて倖せな時間を送ることができた。最後にもう一編「詩」を紹介して、この話を閉じることにしよう。

 『使命』

 真っ黒いぞうきんで

 顔はふけない

 まっ白いハンカチで

 足がふけない

 使命がちがうだけ

 とおとさにかわりがない



‘14年夢日記 「歯が溶けてるよ」

2014(H26)年5月12日(月) 曇りのち雨

     タイトル 「歯が溶けてるよ」

 先日、床に就くまではなんともなかったのに、朝目覚めると口の中に違和感を覚えた。はっきりと目覚めて、頬をなでてみると歯茎が痛いのが分かった。そうっと口の中に指を差し込んでみると、歯茎がはれていた。

 これはヤバイ、と思った。虫歯のせいで歯茎がはれているのか、それとも歯茎だけが炎症を起こしているのか、素人の私には分からなかった。しかし、いずれにしても、歯の病気だということは理解できる。また、歯科医院通いかと思うと、憂うつになった。

 私はもう2年以上歯科医院とは縁がない。前回、医院と縁が切れて、歯についてはずいぶん気をつけてきたつもりだった。私の歯磨きの時間は朝晩30分ずつである。30分歯磨きする人は、そんなに多くはないだろう。ない、ということはないが、珍しい部類に入ると思う。

 私の歯磨きは、三つの要素を取り入れている。一つは、ごく普通の歯磨きだ。つまり、上の歯と下の歯の表面と、裏側を丁寧に磨くのである。二つ目は、歯間ブラシを使って、歯の間の汚れを落とす。そして、仕上げが柔らかいブラシで歯茎のブラッシングである。

 この三要素を組み合わせた歯磨きをすれば、当然30分はかかる。だから、私はYouTubeの音楽を視聴しながら、せっせと磨いている。それは決して苦ではなく、食後の一つの仕事として割り切っている。また、夜10時になったら、キシリトールガムを噛んで就寝に備えている。

 ここまでやっているのに、歯の病気になったということはショックだった。しかし、それもまた当然かなという思いもある。なぜなら、私は甘い缶コーヒーを、終日口にしていることが多いのだ。だから、不思議な思いとともに、「ついにやってきたか」という思いもある。

 歯科医院にゆき、椅子に座って口を開けると、歯科衛生士が、「膿(うみ)が溜まってる」と、言った。膿? なぜ膿が? 私には分からなかった。医師がレントゲンを撮るように指示を出した。私は不安が大きくなった。

 医師はレントゲン写真を見ながら、私に説明した。医師は「歯が溶けてるよ」というショッキングなことを私に告げた。しかし、私が写真を見ても何も分からなかった。歯には3本の根があって、1本が溶けて2本で支えているというのだ。

 「歯が溶ける」? 私には原因はよく分からないが、多分缶コーヒーを終日舐めているのが原因に違いない。帰って、インターネットで調べても、だいたいそれが原因のようである。

 医師は、膿を処理する手当てをしてみるけれど、最悪の場合は、歯を1本抜かなければならない、と言った。しばらく歯科医院通いになるに違いないが、できることなら、歯を抜くことがないようにと願うばかりである。

 私は甘党なので、虫歯の病気にはよくなる。こんなになっても、缶コーヒーをやめる勇気が起こらない。ただ、缶コーヒーを舐める時間を、極力縮めることを考えているくらいで、これといっていい知恵は浮かばない。

 が、「歯が溶けてるよ」という医師の声が、今でも耳に残っている。何かいい方途を考えることが求められているように思う。



‘14年夢日記 「今、いちばんやりたいこと」

2014(H26)年5月11日(日) 晴れ

     タイトル 「今、いちばんやりたいこと」

 私の趣味は決して少ないとは言えないだろう。理数系はからきし不得手だけれど、人文系はだいたいのものに興味をもっている。人間というのは右脳と左脳の働きが、どちらが優位かということで、理数系、人文系というようになるらしい。

 右脳は人文系で、芸術・文化に関することに興味を示し、そちらの方面が得意らしい。左脳は理数系で、計算や論理的な思考をつかさどると言われている。だとすれば私の脳は、はっきりと右脳の働きが活発だといえるだろう。

 私が興味を引くのは、芸術・文化の方面で、映画や絵画、音楽や読書(小説や詩、短歌など)などである。だから、それらの観賞が私の趣味となっている。それは私の家の本棚を見れば一目瞭然である。理数系の本はほとんどなくて、もっぱら小説や詩や短歌の本で埋まっている。

 私の趣味は映画や絵画、音楽や読書だけれど、書くことも決して嫌いではない。小説を書いたりエッセーを書いたりすることは、好きな部類に入るだろう。小説を書くことを趣味だといったら、知人の作家から叱責されたことがある。

 たしかに、小説を書くことは、人間を描くことであり、どう生きるかという人生を追求してゆく営為なので、趣味というのとはちょっと違っているかも知れない。人間の人生と真向かって、その真実を探ることなので、もっと深く重い範疇に入るのだろう。

 だから、私は映画館や美術館、音楽会や詩の朗読会に足を運ぶことも少なくない。そして、スポーツをやること、観ることも私の趣味のひとつである。スポーツのテレビ観賞は、メジャーリーグ、大相撲、サッカー、ゴルフなどである。

 したがって、私は多趣味の人間ということができるかも知れない。そして、「今、いちばんやりたいこと」はゴルフである。もう何年もコースに出たことはないが、その思いが日々強くなっている。しかし、経済的理由から、その思いを封印してきた。

 決して私はゴルフが巧くはない。職場で月に2、3度コースに出ていたこともあるが、「120友の会」の会員だった。つまり、スコアが120前後の人が「友の会」をつくっていたのである。

 しかし、ゴルフはヘタでもとても楽しいスポーツである。ティーグラウンドに立ったとき、前面に広がる緑の芝生がなんともいえない。その芝生に向かって打ち放つ心持ちは、緊張感とウキウキ感が混在していている。ボールを林の中に打ち込むことも少なくないが、それはそれで楽しい。

 が、今、コースに出るということは、やはりできそうもない。消費税が増税され、社会保障が削減されて、ゴルフをするというささやかな楽しみも奪われてしまっている。しばらくの間、私のゴルフの封印は解かれることはなさそうだ。

 が、ゴルフの「打ちっ放し」の練習には、出かけたいと思っている。わが町から10分くらいのところに、ゴルフ練習場があるので、当面はここで我慢することにしたい。それが、私の「今、いちばんやりたいこと」である。

 ゴルフの「打ちっ放し」も決して莫迦にはできない。アイアンで100ヤードのアプローチをしたり、ドライバーで思い切りボールを叩いたりするのは、それぞれに面白い。この練習をしばらく続けて、そのうちコースに出るのが夢である。



‘14年夢日記 「文化の発信地」

2014(H26)年5月10日(土) 晴れ

     タイトル 「文化の発信地」

 わが町のいいところを三つ上げるとすると、一つは自然に恵まれていることだろう。私の家の二階にあがって、窓辺に立てば海を臨むことができる。瀬戸内海の多島美といわれる島々が、ちょうど浮かんでいるように見える。

 私の書斎からは、山を眺めることができる。東の山の裾野と西の山の裾野に峠がある。その峠には古い寺があり、午前6時になると鐘楼の鐘がなって、書斎にも厳かな響きが届く。海と山があり、そして広い空が、折々に色彩を変えて飽きることがない。

 二つには、活きのいい魚をたべることができることだ。わが町は漁師町で、豊富な魚が店頭に並ぶのでほとんど毎日、わが家の夕食の卓には新鮮な魚がのぼることになる。とくに、酒の肴にするカキ、シャコ、カニ、貝柱などは私の最も好きなものである。

 そして、三つ目がわが町の文化の発信地ともいえる図書館である。全国にもあまり例のない、海べりに建つ図書館で、立地条件はいうことはない。私はこの図書館によく足を運ぶ。

 小さな町なので、蔵書はあまり多くないが、県立図書館や他の図書館と連携しているので、さほど困るということはない。近くの図書館なら翌日には届くし、県立図書館ならインターネット予約しておけば、そのうち届くのである。

 この小さな図書館が、わが町の文化の発信地である。先日には、向田邦子原作の「父の詫び状」という映画会が催された。私も観にいってきたけれど、10人ほどの人たちが観賞し、こぢんまりとした映画会だった。

 その前には、「大人のための紙芝居」という会が催された。図書館の若い職員が演じてくれるのだけれど、とても巧い。このように、小さな図書館だが、職員が色んな知恵をしぼって、「子どものためのお話の会」なども開いている。

 わが町は、比較的文化の遅れた町のように見えるけれど、図書館の職員が創意工夫をして、親しみのある、温かい文化の発信の地となっている。私はほとんど本というものは買わないで、図書館を利用しているから、貴重な存在である。

 昔は、惜しみなく本を買っていたけれど、今はその経済的余裕もないし、わが家の部屋も狭くなるので、私にとって、図書館はかけがえのないものである。わが町に図書館があるというだけで、心が豊かになると思えるから不思議である。

 今日行って書棚を眺めていたら、藤沢周平の全集と向田邦子の全集があることに気づいた。いずれこれらの全集を少しずつ読んでゆけたらと思っている。二つの全集に出会っただけで、私の心はうきうきしてくる。

 「まだ、死ねないぞ」と思う。まだまだ、読みたくて読んでいない本は、数限りなくある。一冊でも多く読んで死にたいと思うと、まだまだ死ねない。わが町の「文化の発信地」、寄島図書館は、私にとってなくてはならないものである。



‘14年夢日記 「私の日活」

2014(H26)年5月9日(金) 晴れ

     タイトル 「私の日活」

 「日活」と言ったら、読者の皆さんに分かってもらえるだろうか。私自身も初めて使う言葉である。映画会社の名前ではない。私が「日活」という言葉を思いついたのは、ある新聞が「私の朝活」という言葉を使っていたからだ。

 「私の朝活」として、つまり「朝の活動」、もしくは「朝の過ごし方」というような意味で、投書を募集していたのである。それに沿って、私も自身の「朝活」を書いてみればいいと思うけれど、しかし怠惰な朝の生活をしている私には「朝活」は書けそうにない。

 そこで、「私の日活」、つまり「一日の活動」、または、「一日の過ごし方・生き方」くらいなら、書けそうだと思ったしだいである。いくら、私がのらりくらりと生きていたとしても、一日のスパンならそれなりのことはして生きているものだ。そこで、「朝活」に対抗して「私の日活」を記してみたい、と思っている。

 今、午後7時15分だ。私は夕食を終え、書斎で歯磨きをしている。洗面所で歯磨きではなく、書斎とはまた理解できないかも知れない。私の歯磨きは3分や5分では終わらない。だいたい30分かかるのである。

 洗面所に30分も立っていられない。書斎で山崎ハコや杉本真人、カルメンマキや因幡晃、西島三重子や薬師丸ひろ子の音楽を聴きながら、歯を磨くのである。そして、夕景を眺めてひとり感嘆している。西の空はうす紅色に染まり、空はまだ闇に呑まれていなくて、うすいブルーを留めている。

 歯磨きが終わると、私はそれからひと仕事残っている。およそ3時間、読書をするか「もの書き」をするかである。そして、11時になったら、知人や国会議員のブログやツイッターに眼を通す。これらから得る情報は決して少なくない。

 「詩の朗読会」や「平和美術展」、「教育講演会」や「憲法のつどい」などの催しを知らされるのだ。それで、午前0時になると、私は「鬼藤千春の小説」のブログを更新して、就寝という日々を送っている。だから、今日の天気は、あくまでも気象庁の予報なので、外れることもよくある。これが、「私の晩活」である。

 「私の朝活」は、午前6時に起床して、シャワーを浴び、書斎で朝食を摂る。朝食は妻の手は一切わずらわせない。パン、牛乳、ヨーグルト、青汁を自分で用意して、2階の書斎へ上がってくるのだ。そして、音楽を聴きながら朝食を摂るのである。

 「私の朝活」は、なんとも頼りないものだ。買い物があるときは、リュックを背負って、わが町の「銀座通り」まで買出しにいく。なんともその格好が滑稽である。戦後の闇屋のようなもので、肌着に麦わら帽子を被って、リュックを背負ってゆくので、みんなに不思議がられていることだろう。

 「私の昼活」は、やはり「読書」か「もの書き」である。私の仕事は、朝1時間、昼3時間、晩3時間の、約7時間というところだろうか。8時間取りたいところだが、色んなことがありグズグズしていて、そううまくいかない。たまに、8時間という時もある。

 これが、「私の日活」だけれど、いったい私のこの過ごし方、生き方は、倖せといえるのだろうか。「倖せ」とも言えないし「不倖せ」ともいえないような気がする。代わり映えのしない、平凡な日々を送っているという情況である。が、つましく平凡なことが、何よりも「倖せ」であるかも知れない。



‘14年夢日記 「『砂の器』を観る」

2014(H26)年5月8日(木) 晴れのち曇り

     タイトル 「『砂の器』を観る」

 野村芳太郎監督の映画「砂の器」は、もう何回観たことだろう。片手ではとても数え切れない。何回観ても涙が込み上げて抑えることができない。連休でも何処に出かけることもなかったから、ホームシアターで観賞した。

 「砂の器」は、私のなかの映画ベストテンにランクインされているもので、「宿命」の音楽が流れるだけで、突き上げてくるものがある。そして、瞳が滲んでしまうのだ。本浦千代吉とその息子、秀夫の放浪の旅が甦ってくる。

 この事件の発端は、東京蒲田での殺人事件だ。60歳くらいの男が殺されたのである。が、被害者も加害者も何ひとつ手がかりがない。唯ひとつあるとすれば、スナックで話していた東北なまりの「カメダ」という言葉だけである。「カメダ」が土地なのか、人なのかも分からない。

 今西刑事がそれをひとつの頼りとして、追跡してゆくのだ。「カメダ」は土地だとして刑事は動いてゆく。しかし、東北の「亀田」へ飛んだが、何の収穫を得ることもできなかった。

 ここが、松本清張らしいところだが、東北なまりは山陰でも使われることを突き止め、「亀嵩(カメダケ)」という土地を割り出す。そして、被害者の三木謙一は、昔ここで警察官をしていたことを知らされるのである。

 三木謙一は、「お伊勢参り」の旅に出て、この被害に遭ったのだ。なぜ、お伊勢参りの旅が、東京へとつながってゆくのか。それも謎のひとつだった。今西刑事は伊勢に赴き、その謎を解くのである。映画館に掛かっていた写真に音楽家の秀夫、つまり和賀英良が写っていたのである。

 三木謙一は、東京まで、秀夫(和賀英良)に会いに行ったに違いない、と今西刑事は確信する。が、三木謙一と秀夫がどうつながっているのか。それも謎のひとつであった。

 が、本浦千代吉と秀夫は、山陰の「亀嵩」に放浪の旅の途中、立ち寄ったことがあるのだ。千代吉と秀夫は乞食同然の旅をしていた。秀夫は子どもたちにいじめられたり、千代吉もまた村を追われる目に遭ったり苛酷な旅だった。

 が、亀嵩の三木巡査だけは違っていた。彼らを温かく迎え、食事なども与えるのである。今西刑事は最初、怨恨の線で追跡していたのだが、三木巡査は神か仏かという人物だという村の人々の話で、その線からの追跡は、暗礁に乗り上げた。

 三木巡査は、千代吉がらい病(ハンセン氏病)に罹っていることを知り、岡山県の療養所へ送り、秀夫は自分の子として育てる決意をする。しかし、秀夫は、この亀嵩から脱出して行方が分からなくなる。

 三木謙一は上京しスナックで、秀夫に父の千代吉に会うことを進言し、首に縄を付けてでも連れてゆくというのだった。しかし、それが三木謙一の殺害の直接の動機になって、和賀英良は手を下すのである。

 この物語の背景には、らい病(ハンセン氏病)という社会の「偏見と差別」が、大きく横たわっている。原作も映画もその問題と対峙して、和賀英良の音楽家としての名声が「砂の器」のように崩れるさまを描き切った優れた映画である。

 和賀英良の名声を不動のものにする「宿命」という音楽会で、彼はピアノを弾きながら、「宿命」とは、「生まれてきたこと、生きていること」と、想いをいたしながら、「父、千代吉に音楽の中で会っている」と、今西刑事は毅然と言い放ち、音楽会の成功とともに、幕が閉じられる。

 何度観ても、飽きることのない映画である。私はこれからも、この映画から卒業するということはないだろう。それだけ、重くて深い作品なのだ。そして、人間の在りようを、見事に描き出しているのである。



‘14年夢日記 「小説は人間を描くもの」

2014(H26)年5月7日(水) 晴れ

     タイトル 「小説は人間を描くもの」

 「小説は人間を描くものだ」と言われても、それは至極当然のように思われるけれど、いざ実際に書いてみると、それがなかなか巧くいかない。小説を志している者も作家としてやっている者にしても、魅力的な人間像を生み出すために腐心している。

 「民主文学」5月号に、評論家の小林昭が「人間を描く、ということ」と題して、そのあたりのことを考察している。その評論を参考にしながら、人間を描くということを、少しく考えていこうと思う。

 絵画や音楽、俳句や短歌は、そこに人間がいなくても作品は芸術として成り立つ、と小林昭はいう。が、それらの作品を鑑賞する人は、人の姿がそこになくても、作品の中に作者の眼、人のまなざしをおのずから感じている。

 しかし、小林昭がいうのは、小説ではもっと直接に、作品の中に人間が登場していなければ小説にならない、というのである。それを彼はルネッサンスまで遡って考察している。

 ルネッサンス、つまり、文芸復興、学芸復興、人間復興が、「小説は人間を描くもの」と深く関わっているという論を立てている。人間中心の世界観の復活再生が、小説誕生の前提としてあった、としている。

 ルネッサンスがあり、教会から自由になった人々の生き方があった、この過程に小説の始まりを考えてみると、「人はどう生きるのか」という、最も根源的な問いを小説はもともとその根底に持っていた、とする。

 人はどう生きるのか、を問う芸術が、人間を描かないでは成り立たないことは、自明のことだった。小説が人間を描くのは、ここから始まっていたのではないか、と考察している。

 そして、彼は日本の近代文学へとその眼差しを向けて考察してゆく。「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と「小説神髄」で説いたのは、坪内逍遥である。この論は、これから始まる近代日本の文学に、人間を描くことを重視した点で評価している。

 現代でもそうだが、人々の生きる姿に時代を描こうとして、ただ風俗を描くだけに終わってしまうのは、小説が今に至るも陥りやすい盲点になっている、と注意を喚起している。

 小説は人生のすぐ隣りにいる芸術だ、と説いたのは安部昭であった。小説を読んで、「そうか、これが人生というものか」という、われわれの心に呼び起こす感動の声は、それに尽きると彼は書いている。

 人間を描くことは人生を描くことだ。それとともに、その人間が生きた時代をあわせて描くことだ。ということを、小林昭は述べている。しかし、時代を描くというとき、よく陥りやすいのが、時代の風俗は描くけれども、時代と人間・人生が乖離するということである。

 小説は人間が描かれていなければならない、とそのことがしばしば強調されるのは、「人間を描いていない小説、あるいは不十分にしか描いていない小説があまりにも多い」ということの証左に他ならない。

 最後に小林昭は、すぐれた人間・人生を描いた作品として、右遠俊郎の「告別の秋」と「残った松笠」を挙げている。この小説は、事柄を背景にして、事件ではなく人間を描いている、としている。

 たしかに、私たちは事柄や事件を描こうとして、人間や人生がおろそかになるということはよくあることだ。したがって、「小説は人生のすぐ隣りにいる芸術だ」ということを、しっかり心に留めて、人間を描くことに務めてゆきたいと思うものである。



‘14年夢日記 「平和を、仕事にする」

2014(H26)年5月6日(火) 晴れ

     タイトル 「平和を、仕事にする」

 日本国憲法が施行されてから67年になる。つまり、1947年5月3日に現憲法が施行されたのである。1947年といえば、私の生まれた年で、私は戦後の憲法とともに歩み生きてきた。だから、この憲法への思い入れは、特別のものである。

 この憲法は、アジア・太平洋戦争で310万人以上の日本国民と、2000万人を超すアジアの人々の犠牲のうえにつくられたものだ。だからこそ、憲法前文で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」と謳われているのである。

 だが、その憲法がいま危ない。集団的自衛権行使容認に向けて、安倍自公政権は暴走を始めている。明文改憲ではなく、当面は憲法の解釈の変更によって、「海外で戦争する国」づくりをすすめようとしている。これは、憲法施行から67年間平和憲法を守ってきたものを、あからさまに壊す「壊憲」にほかならない。

 集団的自衛権の行使が容認されれば、「戦争放棄」を謳った憲法を蹂躙(じゅうりん)し、同盟国・アメリカといっしょに海外で戦争することになる。同時に、「多国籍軍」への参加も可能になり、戦後の憲法下で一度もなかった、自衛隊の実戦参加に道が開かれるのである。

 私の手元に、陸海空自衛官募集のチラシがある。それには、こう書かれている。「平和を、仕事にする」、「自衛隊で働く人を募集しています」。集団的自衛権の行使が容認されれば、こんな暢気(のんき)なことは言っておれない。

 2001年のアフガン戦争では、派兵した諸国のうち29カ国で、3435人の兵士の命が失われ、1万7千人を超えるアフガンの民間人の命が奪われている。

 2003年のイラク戦争では、派兵した諸国のうち23カ国で、4807人の兵士の命が奪われ、12万人から13万人のイラクの民間人の命が奪われている。

 日本をこのような、「殺し、殺される国」にしていいのか、が鋭く問われているのだ。アフガン戦争やイラク戦争のこの実態をみるならば、自衛隊が「平和を、仕事にする」とは決していえないのである。

 この二つの戦争にさいして、日本は自衛隊を派兵した。しかし、どちらの場合も、自衛隊派兵法の第2条で、「武力の行使をしてはならない」、「戦闘地域に行ってはならない」という歯止めがかかっていた。

 それは、「海外での武力行使をしてはならない」という憲法上の歯止めがあったからだ。しかし、集団的自衛権が行使できるようになれば、この歯止めが外されてしまうのである。

 私は1947年生まれの「憲法の落とし子」として、憲法の平和条項を守るために、明文改憲も解釈改憲もともに許すことは決してできない。私は自衛隊のまやかしの「平和を、仕事にする」ためではなく、真に「平和を、仕事にする」ために、生きてゆきたいと思う。

 世論調査で、憲法9条を「変えない方がいい」という意見は、「朝日」では昨年の52%からことしは64%になっている。また、「東京」でも58%から62%に増えている。

 このように、平和憲法を守る人々はいまや多数派である。この声の広がりをもっともっと広げて、安倍自公政権のもくろみを打ち破りたい。何よりも「平和のために」、「平和の仕事を推し進めるために」、力を尽くしたいものである。



‘14年夢日記 「私の人生を変えたもの」

2014(H26)年5月5日(月) 雨のち曇り

     タイトル 「私の人生を変えたもの」

 2014年4月25日、倉敷民商事件の被告のひとりである、禰屋(ねや)さんの初公判が開かれた。私はその傍聴にでかけて、禰屋さんの姿を見て大きな衝撃を受けた。

 禰屋さんは、腰縄につながれ、手錠をはめられて、表情のない顔をした二人の係官に伴われて入廷してきた。そのようすを見て、私は国家権力の非道さをまざまざと感じたのである。

 禰屋さんは、倉敷民商の事務局員である。1月21日、法人税法違反(正犯)の容疑で逮捕され、2月10日に法人税法違反(ほう助)で起訴された。また、3月5日に税理士法違反で追起訴されたのである。

 その二つの容疑で起訴され、4月25日に初公判となったのである。禰屋さんは、法廷で「許せない」、「たたかう」と毅然と述べ、無罪を主張した。法人税法違反(ほう助)の容疑に対しては、理不尽で不思議なことが起こっている。

 つまり、法人税違反の正犯である五輪建設は、3年間で7000万円もの法人税を脱税しておきながら、逮捕も勾留もないのである。正犯が逮捕・身柄も拘束されず、逆に「ほう助」とされる禰屋さんが、逮捕され身柄が長期にわたって拘束されているのだ。

 上記脱税で、禰屋さんに何の得があったのか、むろん彼女には何の得もない。もちろん、見返りを望んだものでもなかった。だから、この事件が冤罪であり、民商活動への弾圧だという本質と性格が導き出されるのである。

 戦後だけでも、冤罪事件は無数に起きている。たとえば、松川事件、恵庭事件、白鳥事件、堀越事件、袴田事件といったように、枚挙にいとまがない。この事件も倉敷民商への弾圧であり、冤罪である。この事件は、ひとり倉敷民商だけの問題ではなく、広く民主主義に対する国家権力の挑戦である。

 私は現在66歳、定年退職し仕事の第一線からはなれている。おかげさまで、4人の子どもたちを育て、それぞれ独立した家庭を築いている。また、念願だったマイホームも建てることができた。そして、ひとつの夢だった「短編小説集」も上梓することができたのである。

 したがって、私はもう自分の人生の仕事をひと通り終えたと思っていた。だから、これからの後半生は、「のんびり、ゆっくり」暮らそうと思っていたのである。つまり、スローライフをモットーに生きてゆきたいと思っていたのだ。

 だが、4月25日の禰屋さんの初公判を傍聴して、私のその想いはあっけなく、くつがえされた。禰屋さんはもう3カ月以上も、留置場に身柄を拘束されているのである。また、税理士法違反で起訴されている、小原さん、須増さんも逮捕・勾留されてまもなく3カ月になろうとしている。

 私はこの3人に会ったことはないが、まぎれもなく私たちの仲間である。活動の分野は違っても、同じく民主的な活動をしている。その仲間が3カ月も留置場に拘束されているのである。それを看過することができるだろうか。

 私の人生を変えたもの――それは、倉敷民商弾圧事件である。もう「のんびり、ゆっくり、スローライフ」と、言ってはおれない。この事件の冤罪をはらし、無罪をかちとり、民主主義を守るために、活動を展開してゆくつもりである。



‘14年夢日記 「『探偵倶楽部』を読む」

2014(H26)年5月4日(日) 晴れのち曇り

     タイトル 「『探偵倶楽部』を読む」

 「探偵倶楽部」は、東野圭吾の推理小説で、1990年の作というのだから、24年も前の作品である。私は図書館に行って、肩の凝らない気軽に読めるものをと探していたら、この本にぶつかったというわけだ。

 私は、推理小説というのは得意でなく、いくらも読んではいない。松本清張、宮部みゆき、東野圭吾などの作品を多少読んでいるに過ぎない。その中に私の琴線に触れてくるものもなくはなかったが、トリックものは苦手である。

 松本清張の「天城越え」、「砂の器」、「張り込み」、「鬼畜」、宮部みゆきの「火車」などは印象深い作品として、心に残っている。私はどちらかというと、推理小説といえども社会性を持った作品に惹かれる。「砂の器」や「火車」などは、私の胸を打つ優れた推理小説である。

 東野圭吾の作風も以前と比べたら、ずいぶん変わっていて、今は社会性のある作品も書いているらしいが、私はまだいくらも読んではいない。この「探偵倶楽部」は24年も前のものだから、トリックに重きをおいて書かれている。

 「探偵倶楽部」には、「偽装の夜」、「罠の中」、「依頼人の娘」、「探偵の使い方」、「薔薇とナイフ」が収録されている。私は作品の良し悪しというよりも、気軽に愉しませてもらったという心持ちがしている。そして、小説作風、文章作風について学ばされたという思いが強いのである。

 「チェーホフの銃」というのがあるが、これは「壁に掛けられた銃は、必ず発砲されなければならない」ということである。これは、言ってみれば伏線ということだろうと思うけれど、伏線を張っておきながら、それが結末までに明かされないとすれば、それは伏線でも何でもなく無意味なだけである。

 この「チェーホフの銃」を生かしているのが、「偽装の夜」である。この中で、殺された藤次郎の前歯、「差し歯」が物語の前半部分で出てくるが、それを結末部分で再度描いている。

 つまり、結末の文章は「決定的な証拠は、高明の車のトランクから発見された、藤次郎の差し歯だった」となっており、「チェーホフの銃」に従った描き方をしているのである。

 だから、逆にいえば、物語の中で登場した、登場させた人物や小道具は、必ず処理されなければならないのである。まだ、書きなれてない人の小説を読むと、登場させた人物や小道具が、物語の途中で消えるということがよくある。つまり、正しく処理されず、決着がつけられていないのである。これでは、読者の期待を裏切ることになる。

 そして、私が「探偵物語」を読んで感じたのは、しっかりした物語の構築がなされていることである。推理小説の作者は、物語を書き出す前に十分構成し、構築し、設計してから書いてゆくということだ。それを痛感させられた読書であった。

 純文学を目指している私たちも、このような推理作家の創作方法から学ぶことが、強く求められているように思う。私たちはそうした創作方法がまだまだ生かされていないのである。推理小説から、物語を構築してゆく方法を大いに学ぶべきだ。



‘14年夢日記 「おとうさん、がんばってぇ――」

2014(H26)年5月3日(土) 晴れ

   タイトル 「おとうさん、がんばってぇ――」

 倉敷民商事件の小原さん、須増さんの初公判が、4月28日に開廷された。岡山地方裁判所の100号法廷に、弁護団、検察官、裁判官が着席すると、まず小原さんが、腰縄、手錠をはめられた痛ましい格好で入廷してきた。ろう人形のように表情のない、二人の係官に伴われていた。

 私は記者席のすぐうしろに座って凝視していたが、権力の不当性と怖さを感ずるとともに、怒りが涙とともに込み上げてきた。が、小原さんは、入口に一瞬立ち止まって傍聴席を見渡し、毅然とした眼差しをして確信に満ちているように見えた。

 小原さんは、検察官の起訴状に対して「私は無罪です」と、主張した。その中で、「私を取り調べた検事は、『留置場の食事はデトックスになるから身体にいいだろう』とあざ笑うように言われました」と、告発した。

 「毎日、民商の仲間のことや家族のことを思い出し、心配で胸が張り裂けそうです。一刻も早く家族のもとに帰りたい。この苦しみから早く解放して下さい」と、訴えた。

 デトックスというのは、体内から毒素や老廃物を取り除くことである。アルコール依存症や薬物依存症の際に、身体から薬物を減少させる治療を解毒と呼び、デトックスという場合もある。おそらく、検察官は後者の方の意味で使い、嘲笑したのに違いない。

 留置場の食事は、麦飯でありそれを冤罪ともいえる小原さんや須増さんに食わせながら、デトックスとはなんという言い草だろうか。二人の勾留はすでに2カ月以上も続き、一刻も早い釈放を求めてたたかいの輪を広げてゆきたいものである。

 須増さんは、「私は無罪です。私のどのような行為が犯罪になるのか分かりません。民商に対する弾圧であるとしか思えません」と、無罪を主張した。

 須増さんの娘さんは高校二年生である。被告人控え席の斜め前の最前列に座っていた娘さんは、身体を折って父親の顔を眺めながら、終始、笑顔を父親に送っていた。須増さんは、娘さんの顔をちらっと見ながら、頬の緊張をゆるめおだやかな顔をしていた。

 腰縄、手錠姿の父親に70数日振りに会って、娘さんの胸中には、どんな想いが去来しただろうか。閉廷後、娘さんは検察官の顔を睨みつけながら、「私は決してあんな仕事につきたくないなァ」と、呟いていたのが印象的である。

 この娘さんは、「倉敷民商を支える会」のリーフレットに、小原さん、須増さん、禰屋(ねや)さんの似顔絵を描いて、親しみの湧くものになっている。娘さんの笑顔を見ていると、逆に私たちが励まされる。胸の奥には、色んな想いが宿っているのだろうが、法廷での彼女の姿は凛としていた。

 須増さんの初公判が終わって、彼が被告人控え席で、ふたたび腰縄でつながれ、手錠をかけられて退廷の時がきた。私たちが須増さんのようすを見守っていると、係官は退廷を促した。私たちは初公判が終わって、ほっとしていると、突然、法廷内に澄んだ声が響いた。

 「おとうさん、がんばってぇ――」
 高校二年生の娘さんの声である。その声は凜として清冽であった。



‘14年夢日記 「『校庭に東風吹いて』を読む」

2014(H26)年5月2日(金) 晴れ

     タイトル 「『校庭に東風吹いて』を読む」

 この本の著者は、日本民主主義文学会会員の柴垣文子である。今までに、「おんな先生」と「星につなぐ道」を著している。「星につなぐ道」は、感銘深い本で、私の心に深く刻まれている。「校庭に東風吹いて」もまた、印象深い本で、いい仕事を残したと言える本である。

 この本の結末部分を引用して話を進めようと思う。「その日は土曜日だった。午後、知世は学級園を見にいった。柿の木の傍に梨の木があり、その向こうにぶどう棚がある。傍に二人の子どものうしろ姿が見えた」

 「ショートカットの赤い縮れ毛、背中までたらした黒い髪、和久夏海と蔵田ミチルだ。二人は少し離れて立っている。知世はゆっくりと梨の木の方へ歩いた。『ナッちゃん、ナッちゃん』 突然、女の子の声がした。知世は息をのんで立ちすくんだ」

 声を出したのはミチルである。ミチルは場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)で、学校ではなぜか声が出せない。そのことについて、養護教諭の静香は「失語症の原因は、ほとんどが病気だと思います。が、場面緘黙症の場合は、話すことができるのに話せない。多くの場合、家では話せます」と知世に説明した。

 そのミチルのいる三年生のクラスを知世は担任することになった。この本のテーマは、障がいをかかえたミチルが、主人公、知世の「教育の力」でどう変わってゆくかを追いながら、「教育とは何か」について迫ってゆくところにある。

 つまり、知世の三年生のクラスに、そのステージにミチルを登場させることで、「教育とは何か」「教育の力とは何か」を考えようとしているのである。したがって、ミチルの成長・変化もさることながら、知世が試されている。そして学校が試されているのである。

 学校の中には、成果主義というのがあって、ミチルの存在をうとましく感じている雰囲気がある。また、父兄のなかにも、ミチルに手をかけすぎるという声があって、知世に対して非難めいた言動もある。

 そういう中にあって、知世はミチルの成長・変化を信じて、温かく見守ってゆくと同時に、ミチルの両親や生徒たちに辛抱強く働きかけてゆくのである。この小説の見どころは、知世の「教育観」が実に弱者に寄り添っているところである。

 現代の教育は、成果主義、成績主義、競争主義を推し進めている。たとえば、不登校の生徒の多い少ないを競わせたり、テストの点数を競わせたりしているのである。そういう観点から教育をすすめてゆけば、ミチルのような生徒は、うとましいということになる。

 だが、知世はそういう学校教育の逆流の中にあって、ミチルへの温かい援助はもちろん、子どもたち、両親や父兄、教職員の心の中に知世の考えを理解してもらうために努力するのである。それが、周りの人々に深く浸透してゆくことになる。

 そして、ついにミチルは、
 「ナッちゃん、ナッちゃん」
 と、声を挙げるのである。

 ここにこそ、教育の原点がある。それを、柴垣文子は見事に描き出したのであり、すぐれた長編小説となっている。



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