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‘14年夢日記 「4月を回顧する」

2014(H26)年4月30日(水) 曇りのち晴れ

     タイトル 「4月を回顧する」

 2014年4月という月は、歴史に刻まれる月になった。それは酷税ともいわれる消費税が、5%から8%へと引き上げられたことである。それともうひとつ、「倉敷民商事件」の裁判が開始されたことだ。このふたつは、歴史に残るといっても決して過言ではない。

 まず消費税の問題だが、私の身近な例をとってみると、毎日朝食として食べているパン、110円だったものが、113円になったし、ハガキや封書がそれぞれ2円上がって、52円と82円になった。50円のハガキを投函したら、「料金不足」という付箋がついて帰ってきた。そこで改めて、消費税の増税を思い知らされた。

 醤油が700円だったものが、725円になった。3%の増税なら721円のはずだが、便乗値上げをしている。牛乳、ヨーグルトなども3%の増税だ。つまり、こんな例をいちいち挙げるまでもなく、ほとんどの商品やサービスに3%の増税によって、8%の消費税が課されるのである。

 いまこそ消費税反対の声を挙げなければ、来年10月には10%、さらに10%後半へと増税がもくろまれている。つまり、大増税時代の到来を予感させるのである。決して黙っているわけにはいかない。

 図書館につづく階段の踊り場の壁には、「消費税はすべて社会保障にために使われます」、という政府広報のポスターが貼られている。しかし、こんなに国民をあざむくものはない。

 社会保障を削り、大企業の法人税の減税や大企業のための大型公共事業の推進、軍事費の増額のために使われることは明白なのだ。それを社会保障のためと言って消費税を増税することは決して許されないし、許してはならない。

 そして、もうひとつの歴史的事件は、国家権力の倉敷民商への弾圧、民主主義への挑戦である。倉敷民商はいま機能マヒの状況に陥っている。つまり、事務局員の全員、3名が逮捕・勾留されているのである。

 ひとりは、法人税違反ほう助と税理士法違反で3カ月以上も勾留され、4月25日に公判が開始された。正犯の五輪建設は、3年間で7000万円の脱税をしておきながら、逮捕も勾留もないという検察側の態度は許しがたいものである。

 また、あとのふたりは、税理士法違反(税務書類の作成)で2カ月以上も勾留され、4月28日に公判が開始された。こんな軽微な事件で、2カ月以上も逮捕・勾留するというのは尋常ではない。しかも、捜索・押収した証拠物件というのは、トラック1台では積み切れないほどのものである。

 倉敷民商事件は、民主的な運動に対する弾圧として、民主主義を守るたたかいである。私は後半生をのんびり、ゆっくり生きたいと考えていたが、このたたかいの支援と、3人が無罪を勝ち取り、倉敷民商の組織を守り発展させるような生き方をしてゆきたいと思っている。

 最後に、私の「書くことと読むこと」というライフワークであるが、読書は以下の通りである。「奈良少年刑務所詩集」、「空への質問」、「日本共産党の深層」、「民主文学」5月号、「文章術の千本ノック」、「原稿用紙10枚を書く力」の都合6冊である。

 「書くこと」は毎日原稿用紙3枚という予定通りにすすめることができた。過ごしやすい季節になって、私は心も身体も活動的になってきた。これからは、さらに私の好きな季節になってくるので、「書くことと読むこと」を軸にすえて、いろんな活動を発展させてゆくつもりである。



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‘14年夢日記 「『原稿用紙10枚を書く力』を読む」

2014(H26)年4月29日(火) 雨

  タイトル 「『原稿用紙10枚を書く力』を読む」

 「原稿用紙10枚を書く力」の著者、齋藤孝はまえがきで、この本のテーマを次のように述べている。「だれもが四百字詰め原稿用紙10枚程度の文章を書く力を身につけられる方法を、できるだけ実用的に示していく」

 「そしてもっとも大事なことは、『書く力』を身につけることで、読書力がつくだけではなく、これからの社会でもっとも必要とされる「考える力」をつけることができるということだ」

 私はこの本を読んでとても刺激的で、悩ましい問題にぶつかった。それは、「『書く力』とは構築力である」という第二章の叙述である。この章ではとにかく文を書くためには構築力が必要だ、ということを繰り返し繰り返し説いている。

 しかし、私の文章づくりの方法は、書く前にあらかじめ文章の構築とか構成とか設計をしないのである。が、齋藤孝はそれでは駄目だという。その方法では文章が支離滅裂になったり、破綻したりするということを述べている。

 また、そのやり方をつづけていては、「書く力」も「考える力」もつかないと手厳しい。私の文章づくりは、書く前にいくらか考えるにしても、いきなり原稿用紙に向かって書き始める。つまり、「書いたら書ける」という方法である。

 私は、エッセーや小説、そして日記にしても、ほとんど構築や構成をしないで書き出す。作家の「あさのあつこ」もあらかじめ構成やストーリーを構築しないで書き出すと語っている。彼女の方法は魅力的な主人公がイメージできたら、その主人公に作品の舞台で自由に動いてもらう、ということである。

 私はどちらかというと、「あさのあつこ」タイプである。が、プロの作家と私を同列に扱うことはできない。したがって、これからは齋藤孝流に、文章を創る方法を学んでゆく必要があるように思う。

 彼の主張する文章論の中で、私が今後取り入れてみようと思っていることがある。それは「文章は『3の法則』で構築する」ということだ。「3の法則」とは、文章のキーコンセプトを3つ選び出すということである。

 読書感想文や映画批評などにしても、読んで観て「ああ、よかった」、「素晴らしかった」、「愉しかった」で終わっていたのでは、文章は書けない。だから、そこで「3の法則」を活用せよ、と主張する。

 その本や映画の印象に残ったところを3つ選べというのである。その3つを抽出することによって、文章を構築できるというのだ。だれでも、ひとつはできる。ふたつもだいたいできる。そして、3つとなると、「考える力」が要求される。

 このようにして、3つを選んだら、テーマに沿ってそれを文章化する。こうすれば、文章が支離滅裂になったり、文章が破綻したりすることなく、書き進むことができるというのだ。私はこういう訓練をほとんどしてこなかった。私の文章作法とは少し違うけれど、「3の法則」を試みたいと思っている。



‘14年夢日記 「3人の釈放と公正な審理を」

2014(H26)年4月28日(月) 曇りのち雨

     タイトル 「3人の釈放と公正な審理を」

 倉敷民商事件、「3人の釈放と公正な審理を」求めて、「倉敷民商を支える市民集会」が、4月26日倉敷市内で開かれ、参加者が会場から溢れるような盛り上がりをみせて成功裏に終えた。

 4月25日に禰屋(ねや)町子さんの初公判が、岡山地方裁判所で開かれたばかりで、その翌日にこの集会は開かれた。8人の弁護団を代表して報告に立った千田卓司弁護士は、経過報告と今後の方向について発言した。

 この報告は参加者に勇気と希望を与えるもので、この事件の性格と展望を浮き彫りにするものである。禰屋さんの法人税違反「ほう助」は、正犯ではなくあくまで手助けという位置づけがされている裁判である、ということが示された。

 正犯は五輪建設であり、3年間に7000万円の法人税を脱税しているにもかかわらず、逮捕も勾留もないというもので、禰屋さんの扱いは常軌を逸していることが語られた。禰屋さんは「ほう助」であるにもかかわらず、すでに3カ月以上にわたって勾留されているのである。

 上記脱税で禰屋さんに何の得があったのか、裏金が渡されたのか、決してそうではなく、そういうことは一切ない。これをもってしても、違法な起訴であることは明白である、と述べられた。

 また、事務局員3人に対する「税理士法違反」(税務書類の作成)は、民商の理念、自主計算・自主申告という立場を貫いた活動を展開しており、検察の起訴はとうてい容認できるものではない、ということが強調された。

 よって、今回の事件は、「民商への弾圧」であるという規定がなされ、弁護団としても3人の事務局員とともにたたかう毅然たる態度が表明された。このたたかいを勝利に導くためには、多くの市民の支援が必要であるとし、①公正な裁判の実現 ②3人の事務局員の精神的な支え ③弾圧の拡大を阻止してゆくことが重要であることが訴えられた。

 このあと、集会では家族からの訴えがなされた。Tさんの義母は、突然嫁がいなくなったことで、私の介護が原因で「家を出ていったのではないか」と心を痛めていることが報告された。

 Fさんの奥さんは、毎日心が不安定で夜も眠れないことがあると訴えられた。また、Yさんの奥さんは、午前7時に岡山地検・県警が10人やってきて、玄関の前に立ったという話をした。奥さんはパジャマ姿で、台所で朝食の準備をしていたそうである。

 Yさんは、トイレに入っており、ごく普通の日常の朝を迎えていた。その日常が突然中止させられ、すべての部屋の捜索、タンスもすべて開き調べられた。そして、パソコンやその他の書類が押収され、身柄を拘束されたということである。

 集会はそのあと、「集会決議」「行動提起」が行われ、全員が立ち上がって「ガンバロー」三唱を行って、全員の無罪と倉敷民商を守り発展させることを誓いあった。「たたかいはこれからである」



‘14年夢日記 「熱い涙」

2014(H26)年4月27日(日) 曇り時々晴れ

     タイトル 「熱い涙」

 私は岡山地方裁判所の門の前に立って、その建物を見上げた。6階建ての白い建物は威容を誇って、春の陽を浴びて光っていた。99.9%の裁判で、検察の求める有罪を言い渡すところである。が、袴田事件のように、冤罪を生み出すところでもある。

 玄関を入ると広いホールがある。私が初めて訪れる場所だ。ホールを見渡していると、左の壁の下に白い紙が掲示してあった。近寄ってみると、その掲示版には次のような文言が刻まれていた。

 「被告人、禰屋町子に対する法人税違反ほう助、税理士法違反被告事件の公判は、平成26年4月25日午後4時00分から100号法廷で開廷されます」

 私はそれを読み上げると、身体に緊張が走った。禰屋(ねや)町子さんが、検察から起訴され被告人にされている。しかも、法人税違反ほう助と、税理士法違反のふたつの罪の被告人である。

 禰屋さんは、もう3カ月以上に渡って勾留されている。1月21日という真冬に逮捕され、春がやってきて、初夏を迎えようとしているのに、依然として釈放される気配はない。

 検察は、「黙秘という権利がある」ということを、禰屋さんに告げながら、「容疑を認めれば外へ出られる」というようなことを言ったり、座り方が悪いと言って怒鳴ったり、まさにアメとムチで自白を迫っている。

 法律の専門家に訊けば、上記のような罪状で3カ月以上も勾留しているというのは、極めて異例だそうである。禰屋さんを釈放して、「逃亡や証拠隠滅」の恐れがあるとはまったく考えられない。なのに、勾留を続けている。

 逆にいえば、禰屋さんが黙秘をしているからである。つまり、勾留というのは、彼女が毅然とした態度で、国家権力とたたかっている証左である。夜の8時9時まで尋問をしたり、半日も椅子に座らされたままでいたりする。

 100号法廷が開廷されて、裁判官、検察官、弁護団が着席し、80の傍聴人席が埋め尽くされていた。そこへ禰屋さんが入廷してきた。ふたりの係官に付き添われていた。禰屋さんの姿は痛々しいものだった。

 腰縄をつけられ、手錠をはめられていた。国家権力の姿をまざまざと見せつけられた。禰屋さんは風呂に週1、2回、独房で麦飯を食べさせられているということだった。しかし、彼女の肌の色艶もよく、げっそりと痩せているということもなかった。が、髪は乱れており、勾留生活の厳しさを物語っていた。

 罪状認否に入った。禰屋さんは「私は無罪です」と毅然と書状を読み上げた。つまり、禰屋さんはこの裁判で、検察と真っ向からたたかうことを宣言したのである。

 そして、被告人の控えの席に着いた禰屋さんは、しばらくうつむいていたが、顔を挙げて、傍聴席の方に目を投げた。込み上げてくるものがあるようだった。彼女の目から涙が溢れてきた。

 この涙は、権力にひれふした涙では決してない。傍聴席の知人たちの顔に触れて、思わず込み上げた涙である。独房に閉じ込められていて、3カ月ぶりに親しい知人に会ったのだ。その涙は「熱い連帯の涙」である。――倉敷民商事件



‘14年夢日記 「山笑う」

2014(H26)年4月26日(土) 晴れ

     タイトル 「山笑う」

 わが町の山が萌え、とても美しい。そこで、山に関するフレーズや俳句がいくつか頭に浮かんだ。

 「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」 山口素堂

 「分け入っても 分け入っても 青い山」 種田山頭火

 「木曽路はすべて山の中である」 島崎藤村

 わが町の山は、藤村や山頭火のような深い山があるわけではないが、しかし、山を眺めていると、このような言葉が浮かんでくる。初鰹の便りは聞くけれども、ホトトギスの鳴き声はまだ聞かない。もう少し早いようである。

 書斎のカーテンを開くと、緑の裏山が迫ってくる。が、ひと口に緑の山といっても、緑一色に彩られているわけではない。子どもの頃、写生だといって山を描くと、クレヨンは一色で足りた。

 確かに、遠くの山を描くのであれば、数本のクレヨンでいいだろうが、近くの山を描こうとすれば、子ども用のクレヨンセットでは、とうてい描ききれない。それだけ山の色は多彩である。

 緑の山のように見えるけれども、濃い緑、緑、シーグリーン、明るい緑、薄い緑などに染まっている。また、紅葉したような木々もある。茶色、薄いオレンジ、ベージュ、薄い紫、ラベンダーといったように多彩な色に彩られている。

 このような山の在りようも、子どもの目には緑一色にしか見えなかったのである。見ているけれども見えていない、つまり子どもの目は盲目だった。それだけの人生経験が足りなかったということだろう。目だけではない。耳だって、聴いているのに聴こえていないということもある。

 要は、自然や社会、人間の観察力がまだ育っていないということだ。彼らが自然や人間をよく観察できるようになるには、今しばらくの歳月が求められていると思う。が、今日の教育は、「競争主義」にとらわれて、ますますこの世界を観察する条件が悪化してきている。

 わが町は、瀬戸内海に面した入江の町であるが、背後には山々が連なっている。背後の山すそが海にそのまま落ち込んだような町である。家々はその山すそに建っているので、坂道の多い町である。

 海辺を歩いてゆくと、新緑に彩られた山々に魅せられる。私は、秋の紅葉も決して嫌いというわけではないが、4月から5月の山々のほうが好きである。このころの山々は、生きて躍動しているという趣がある。山が勢いよく盛り上がっている感じなのだ。

 この生命力を私たちに伝えてくれる。そして、青い空が輝いて、薄い雲がぽっかり浮かんでおり、その風情はなんともいえない。いまは「山笑う」季節である。



‘14年夢日記 「『文章術の千本ノック』を読む(2)」

2014(H26)年4月25日(金) 晴れ

  タイトル 「『文章術の千本ノック』を読む(2)」

 今回は、著者の林望氏の添削についてみてみたいと思う。前回、著者の文章作法の考え方について記してきたが、その考えが添削という作業のなかに、具体的にみることができる。その添削を写しとってみたいと思っているが、要点だけに留めざるをえない。

 「課題・私のパートナー」

 「15年目の思い」――★ 題名はもっと面白く考え直すように

 「困窮した」――★ 困り果てた

 「父親譲りである」――★ 父親そっくりである

 「私を困惑させている」――★ 私をギョッとさせている

 「赤い糸」――★ 題名が陳腐! もっとましな題を

 「私と夫と出会ったのは、十七才の時である。――★ つまらない書き出し。これでは読む気がおこらない。

 「課題・あれは美味しかったなあ」

 「最も欲していたもの。」――★ 体言止めが少し多すぎる

 「課題・アブナイ経験」

 「帰り道」――★ 題名をもう一工夫

 「私を追って来るような事はなさそうだ」――★ 私を追って来る気配はない

 「課題・あれは美味しかったなあ」

 ――★ 段落の最初の文字は一字下げ

 「和風!第一印象である」――★ !のあと、一字アケル

 「ここのラーメンにはまってしまった」――★ こういう下品なことは書かぬように

 ――★ ボキャブラリーが貧弱で、せっかくの味が十分に描かれていない

 「私はそんな恐怖に襲われていた」――★ 大げさな表現

 「友人Mの軽い一言」――★ イニシャルにする必要はないのではないか

 「野蛮な旅」――★ 冒険旅行

 「現地はすごい恐怖にふるえていた」――★ 誰もが恐怖にふるえていた

 「ないていた」――★ 泣いていた

 「課題・もう一度行きたい」

 「私の父は戦地で青春時代のまっただ中を過ごして」――★ まっただ中をトル

 「課題・私の好きな人」

 「真上にあったはずの太陽が西の方にあるように見えるのは私の気のせいだろうか」――★ 見えるから後はトル

 「一生懸命になれる人物が私は愛しくてしょうがない」――★ 一生懸命になれる彼女を、私は大好きなのだ

 このように添削されて、もう一度書き直した文章が巻末に掲載されているが、実に見事な文章になっている。①文字を惜しめ ②文章の「客観性」 ③観察 ④文体 ⑤テーマ ⑥文章の品格 ⑦文章とユーモア ⑧悪口は書くな というリンボウ先生の教えに則って、品格のある文章に結実している。

 最後に、リンボウ先生は、文章をパソコンで書くことを勧めている。いままで、そういう主張を説く人に出会ったことがなかった。民主文学会の作家の中でも、パソコンで書くことを嫌がる人はかなりいる。私はパソコンでないと文章が書けないので、ずいぶん大きな示唆を受けた。やはりプロの添削は的を射ている。鮮やかである。



‘14年夢日記 「『文章術の千本ノック』を読む(1)」

2014(H26)年4月24日(木) 晴れ

  タイトル 「『文章術の千本ノック』を読む(1)」

 「文章術の千本ノック」の著者は、林望である。文章の上達のために、文章作法の本など読んだってしようがない、とよくいわれる。私もそう思う。そんな本をいくら読んだって、畳の上で水泳の練習をしているようなものだ、という指摘もある。

 そんなことは百も承知で、私は文章作法の本を見つけると、手にとってみたくなるのである。もう十指に余るほど、このたぐいの本に眼を通してきたような気がする。それが果たして自身の文章によい影響を与えているかどうか、それは分からない。

 文章の上達のためには、「よく読むことと地道にコツコツと書いてゆくこと」、と言われているが、その通りだと納得したうえで、文章作法の本にも手を出してみたくなる。この本も気軽に手にしたものだが、私にとって、とても刺激的な内容の本だった。そこで少しくそれに触れてみたいと思う。

 まず、著者は「お金と文章はけちなほどいい」と述べている。いろいろなことを書きたいという気持は分かるが、あれも書きたい、これも書きたいと思ってやっていると、結局何を言いたいんだか分からない文章になってしまう。とにかく文字はけちって、できるだけ最小限に書く。あとにもさきにもそれが最大の要諦だ、と結論づけている。

 文章を書くときの最大の要点は何か、それはほんとに単純なことなんだけれども、客観性ということだと述べている。文章は、その文章がどのようなものであれ、客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読むには耐えないということです、と説いている。

 いい文章を書こうと思えば、世間一般の通俗な人と同じように眺めていたのでは、どうしたって良い文章は書けません。人が見ないようなところまでよく観察し、発見するという心がけがないと、人が読んでくれるような文章は書けっこありません、と観察の大切さに触れている。

 文章全体の構造として、結論を先に言ってしまうか、それとも結論は謎のまま持ち越して、最後にあっと驚く結論を導いて読者を喜ばせるか、そういう二つの行き方がある。作者はそのどちらを選んでゆくか、よく吟味しなければならない。

 文体として、敬体で書くか常体で書くかということが大きな問題です。敬体というのはいわゆる「です・ます調」といわれているもので、常体というのは「だ・である調」と言われているものです。これはどっちでもいいようなものだけれど、文章の原則は常体だということです。敬体は、本来からいうと例外的な行き方です。

 書き出しと締めくくりというのは、いつも対応していて、書き出しで読者の心をとらえて、締めくくりで納得させる。この二つは、どうしても最大の努力を払って、きちんと書かなければいけません。

 繰り返し強調しておきたいのは、適切な語彙を総動員して、しっかりした描写ができたときには、読者は自動的に「おいしそうだな」「ああ、かわいいな」「あっ、すてきだな」というように思ってくれるので、作者が概念を押し付ける必要はなくなります。

 品格のある文章というのは、中止法、体言止め、そして、流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現の安易な使用、これらを極力避けるようにしなければならない、と述べている。

 著者は最後に、文章にユーモアをとりいれるということと、悪口は書くな、ということを述べて、「文章術の千本ノック」を終えている。この本の魅力は、実際に添削した文章を載せている実践的な文章作法で、それを次回の夢日記で取り上げようと思っている。



‘14年夢日記 「『みちしるべ』を読む」

2014(H26)年4月23日(水) 晴れ

     タイトル 「『みちしるべ』を読む」

 「みちしるべ」は「民主文学」5月号に掲載された、新鋭短編特集のなかの1編である。作者は、中村恵美で以前、東日本大震災の津波をテーマにして、リアルな短編を書き、それを読んだことが記憶に残っている。

 「みちしるべ」は新しいテーマに挑戦した短編で、作者の進化・成長をうかがわせる好編となっている。主人公は佐藤可奈で、春からアルバイトとして地元の予備校で国語の講師をしていた。が、ある時、事務長に呼び出され、系列の私立峰杜高校へ教員として働いてみないか、という打診があった。

 とりあえず、非常勤の採用ということだが、年度末更新の時に正規の専任教員への推薦があり、それによって次年度から教員として働くことができるということである。可奈は両親とも相談して、峰杜で働くことを決めた。

 可奈は職員会議の前に、自己紹介をし、つづけて各科ごとの主任が歓迎の挨拶をした。最後に自動車科の渡辺が、「どうも、もうすぐなくなる自動車科の渡辺です」と言って、首を軽く手刀で切るしぐさをした。

 可奈は校長室にふたたび通され、自動車科のことを尋ねた。「自動車科はすでに募集停止してまして、あと五カ月で廃科なんです」と校長は言った。可奈は月がわりから高校に赴任した。急ごしらえの指導案をもとに、週明けから授業をもった。

 特進科と総合科が入る真新しい三階建ての新校舎には、全室冷暖房が完備され、対して自動車科はプレハブ校舎だった。自動車科が冷遇されているのは、新入りの可奈の目にも明らかだった。

 「最近の自動車科に対する風あたりはもう、本当にひどくて。廃科の話だって理事長の鶴の一声ですよ」渡辺は可奈に向かってそう言った。「理事長はまえから自動車科をつぶしがってたんです。特進科をつくったのも、手のかかる生徒より最初から頭のいい生徒を集めて、イメージアップしようって思いつきですよ」

 年が明けて始業式の日、雪の舞う駅前では、峰杜の保護者がチラシをくばり、署名を呼びかけていた。「私たちはおこってるんです。今夜、廃止反対の集会を行います。ご参加をお願いします」マイクから、そんな声が流れていた。

 集会は放課後、学校近くの公民館で行われた。可奈はおそるおそる会場に足を踏み入れた。「うちは、二次募集でようやく合格して、自動車科が息子を救ってくれて感謝してました。それが入学した途端に廃科って、なんですか」保護者の言葉だった。

 しばらくして、会場の入口でざわめきが起こった。渡辺に手を引かれて、杖を突き、痩せた初老の女性が片足を引きながら現れた。本山先生だった。先生は転勤してすぐに脳卒中で倒れたが、ここまでよく回復したのだった。

 「学期途中に、本山先生を学級担任からはずし、さらに系列校への異動を強要しました。ほかにも組合員ばかりをねらって異動や出向など、あからさまな組合つぶしに出ました」渡辺は訴えた。

 「わたくし、の、い、異動は、ふ、不当労働、こ、行為です。こ、これから、ろ、労働、委員会に、訴えて、か、かならず、また、み、峰杜に、戻ります」
本山は、そこまで言うと、マイクをぐいと高く突きあげた。会場がどよめき、わき返った。そこに、可奈のすすむべき道がしめされている、彼女はそう思って、ひたすら手を打ちつづけた。

 この作品は、自動車科の廃科という保護者と生徒に痛みを押し付けることと、組合つぶしが一体のものとしてすすめられていることを浮き彫りにしている。それを巧みに描いた優れた短編である。

 これで、新鋭短編特集の5編に触れてきたが、いずれも印象深い作品ばかりであった。民主文学会も高齢化がすすみ、若い書き手が待たれているが、この5編をみるかぎり、希望と展望のひらけるものとなっている。これらの若い作家たちのさらなる健筆を祈るものである。



‘14年夢日記 「『日本共産党の深層』を読む」

2014(H26)年4月22日(火) 曇りのち晴れ

     タイトル 「『日本共産党の深層』を読む」

 「日本共産党の深層」の著者は大下英治氏で、いま話題になっている本である。都内の大手書店でも平積みにされ、2月15日刊行ですでに5刷となり2万4千部は出たといわれている。新書で1万部以上出るとベストセラーだそうである。

 赤旗日曜版の記事によると、このように記されている。――なぜ、このような本を書こうと思ったのか――。著者の大下氏はその理由をこう説明します。「以前、編集者に『書きたい人物がいなくなっちゃった』といったんです」

 「民主党は蒸留水みたいな人ばかりになったし、みんなの党も自民党にすり寄ってばらばらになってしまった。そうしたら編集者から『では共産党はどうですか。いま勢いがあるから』といわれ、取材を始めました」

 取材をしてみて大下氏は「いま共産党は本当におもしろい」と語ります。「『キラキラサポーターズ』などでやわらかく人を集めるが、芯はしっかりしている。提起している脱原発、脱格差社会という問題は、日本民族の存亡にかかわる大問題です。庶民の中には、政権をになうところまで行けという声が強い」 (以上日曜版より)

 この本は、現在、過去、現在、未来という構成になっている。まず1913年7月の参議院選挙の共産党の躍進に触れている。この選挙で共産党は、改選3議席に対して比例区で5議席、東京、大阪、京都の選挙区で3議席、合計8議席へと躍進した。

 そして、大下氏は東京選挙区に注目し、吉良よし子に焦点を当てて、その勝因に迫っている。共産党の躍進には、対決、対案、共同という理念と政策と運動が底流にあり、そして支部という組織が草の根として存在し、そのうえで候補者としての吉良よし子の魅力が大きな支持を得て勝利へとつながったのである。

 この本は次に、共産党の歴史に焦点を当てている。大下氏は、綱領の「戦前の日本社会と日本共産党」という第一章を全文引用し、「戦前の暗黒日本」における共産党の理念と政策と活動について迫っている。特に、元衆議院議員の松本善明の生き方と活動からそれを浮かび上がらせている。

 いわさきちひろと松本善明の出会いと結婚にいたるまでの描写は、読者の心を惹かずにはおかない。「花の結婚式」という節で詳しく触れられている。「昭和二十五年の一月二一日、レーニンの命日を選び、松本と岩崎ちひろは、二人だけのつつましい結婚式をあげた。松本二三歳、ちひろ三一歳であった」

 第三章では、戦後世代と日本共産党と題し、穀田恵二、畑野君枝の現、元国会議員の歩みに焦点をあてて、団塊の世代の時代と党活動を描いている。ふたりの生き方、共産党への接近と入党、そして議員としての活動は魅力的である。

 第四章では「しんぶん赤旗と党組織」として、山本豊彦記者に焦点を当てている。赤旗記者の仕事が浮き彫りにされており、新しい発見をさせられる内容である。なぜ、赤旗はスクープを次々に出すことができるのか。それは企業団体献金、政党助成金を貰わず、どんなタブーもないことが語られている。

 第五章では「共産党が目指す社会とは何か」と題して、共産党の「未来社会論」に迫っている。ここでは、日本共産党第二六回大会決議案の「日本における未来社会の展望について」が全文引用されている。このような著者のアプローチの仕方は好感の持てるものである。

 この本を読んで感じるのは、著者の視座があくまで客観的に、日本共産党の姿を捉えようとしていることである。偏見で捉えたり、色眼鏡でみたりすることなく、真摯に共産党という政党に真向かって、真実を見極めようとしている。

 松本善明、市田忠義、穀田恵二、小池晃、畑野君枝、吉良よし子の現、元国会議員、植木俊雄広報部長、山本豊彦「しんぶん赤旗」記者などの取材においても、それを曲解することなく、客観的に叙述しているのがうかがえる。「日本共産党の深層」は、共産党の過去、現在、未来を描いた優れた著書である。



‘14年夢日記 「『黄金の国』を読む」

2014(H26)年4月21日(月) 曇り時々雨

     タイトル 「『黄金の国』を読む」

 「民主文学」5月号に掲載されている、加藤康弘の「黄金の国」は、異色の作品である。文章が魅力的で、それだけでも読者を小説世界へといざなうものを持っている。「二〇〇七年九月のヤンゴンは曇り空が続いていた。」という、冒頭の一行で私はその世界へと引き込まれていった。

 異色の作品というのは、主人公がミャンマーのシャイリンであり、そのことだけでもそのように位置づけられる。シャイリンは、地方からパソコンを習うためヤンゴンに出てきていた。そのヤンゴンは、連日大勢の市民のデモが続き、市内には警官や軍人が武装して異常に緊迫した日々が続いている。

 シャイリンに大きな転機が訪れたのは、そんな激動の最中であった。その日シャイリンは友人のココラットと共にデモに参加していたのである。シャイリンが、今回のデモに参加したのには大きな理由があった。それは祖父の影響である。シャイリンの祖父は一九八八年の民主化デモなど、ミャンマー民主化のために命がけで闘ってきた闘士だった。

 その祖父は、検挙され悪名高いインセイン刑務所に送り込まれて、獄中でなくなったのである。そんな祖父をシャイリンは尊敬していた。だから彼がこのデモに参加するのは至極自然なことであった。が、このデモで、友人のココラットは、軍につかまってしまった。

 その後、シャイリンはタイ国境付近に逃れ、ブローカーの伝手で日本に渡った。そして、外国人支援センターの職員である優香と知り合ったのである。彼女は日本語を教えるボランティアもやっていた。

 シャイリンは、日本で何年か職を転々として、真一のいる西山マシンツールズに就職した。この職場は、社長と従業員が二人で、そのうちの一人が真一だった。シャイリンが日本にきて、心を常にとらえていたのは、家族とココラットの安否だった。日本で生活してきた五年間はそんな苦悩の日々だったのである。

 そんなある日のこと、シャイリンと真一は喧嘩になり、烈しい殴り合いをした。そのことを優香に話すと、先に手を出したシャイリンが悪いという。優香は「謝ったほうがいい」といった。しかし、シャイリンは悩んだ。

 だが、シャイリンは真一に謝って和解すると同時に、心が通じ合うようになる。その頃、祖国はかわりつつあった。連邦議会補欠選挙でNLDから四十四人が立候補して、四十人が当選して大勝した。が、全六百六十四議席の中の四十人である。が、ようやく、自分たちの声が政治に反映される時代がやってきた。

 シャイリンは、そんな中で祖国に帰って、母国を変えたい、という思いを強くしていた。それを優香に告げると、彼女は「軍政はまだ政治犯を釈放していない。いま帰ると危険だ」と止めたが、シャイリンの気持ちは変わらなかった。

 そのことを真一に話すと、彼は俯いたままだった。真一は、じっと下を向いたままポタポタと涙を流していた。夕日が工場の窓から見えている。それはシャイリンには、黄金の国への道標のように赤々と輝いてみえた。

 この作品は、ミャンマーの政治が大きなうねりとなって、変革されようとしている動きが背景としてあり、その中でシャイリンの生き方と真一の友情を掬いとったものである。異色の作品ということができるだろう。

 また、文章がとても流麗で、物語とともにそれがひとつの魅力となっており、読後感もとても爽やかで私の琴線に触れてくる作品であった。まだ四十二歳、これから期待される作家である。



‘14年夢日記 「『恋風』を読む」

2014(H26)年4月20日(日) 曇り時々晴れ

     タイトル 「『恋風』を読む」

 「恋風」は「民主文学」5月号に掲載された、新鋭短編特集の短編小説である。作者は「民主文学」で時々目にする石井斉で、私の好きな作家のひとりだ。「恋風」は私の心にひびいた作品なので、少しく触れてみたいと思う。

 この作品は、特にストーリーというものはなく、統合失調症を患って入院いる妻の久美が、外泊の許可を得て帰ってくる日に、夫の智の行動や心の動きなどを描出した小説である。

 主人公は私で、一人称で話は展開されている。久美は東日本大震災で、統合失調症が再発した。「きゃあ」、「でかい」、大きな揺れが来て、私と久美は肩を抱き合った。が、幸いに家具が倒れたり、本棚から単行本が散乱したりする事もなかった。

 「智、今日も眠れなかったらどうしよう。また地震が来るよう」、「怖いよう」と、久美は繰り返した。私は久美の黒髪を撫でながら言った。「病院は今日休みだから、明日、必ず行こう」。そして、精神科病院へ連れていくと、即、入院となった。

 その久美が外泊の許可を得て帰って来る。私は久美の好きなカレーライスを作って食べさせようと思う。そして、自転車で大型スーパーへ買い物に出かけた。私はスーパーで、カレーのルーを見つけようと店内を回った。私はそこでルーを買い、米や豚肉、牛乳を求めた。「待ってろ、久美。旨いカレーライス、作ってやるからな」と私は呟いた。

 久美の入院中のことが思い出された。私が見舞いに行くと、とても症状が悪くなっていて、久美は閉鎖病棟に入っていた。看護師は鉄格子のはまっている扉の鍵を、音を立てて開けた。私は看護師に両手で身体検査をされた。

 久美は起きていて、私と眼があった。「久美」と呼びかけたが、返事は返ってこなかった。私は無理に笑顔を作り、言葉を探しながら言ったが、久美は私を見つめているだけで無言だった。私は久美の手を握った。別れる時がきたが、もっと久美のそばにいたかった。久美を抱きしめたい衝動にかられた。

 スーパーからの帰り道、自転車がパンクしたので、アパートまで押して帰った。我が家は他と比べて見劣りがしたが、雨樋には黄色いタオルを縛り付けていた。それは、「幸福の黄色いハンカチ」に倣ったものだった。

 久美を迎えるためのカレーライスを焦がしてしまった。カレーライスを失敗してしまったので、久美のために桃色のガーベラを買うことにした。そして、歩きながら久美を想った。久美と一緒の時を過ごせればいい。それだけでいい。爽やかな風が、私を包んだ。

 この作品の智も統合失調症を患っている、精神障がい者だった。智も久美も精神の病に罹っていて、このふたりの生活の在りようがよく描かれている作品である。

 特に、智の久美に寄せる愛情が、この作品の核をなしている。外泊許可の久美を迎える智の喜びと行動に、読者は共感を寄せる。この作品はストーリーをただ単に追うのではなく、重層的に描くことによって、平板ではない物語をつくっている。

 何よりも、この小説の優れたところは、「恋風」という題名のように、ふたりにとって、新しい愛情、新しい恋を描いている点である。通奏低音のように、久美に寄せる愛情が流れており、重い題材でありながら、とても温かい作品に結晶化している。



‘14年夢日記 「浅口市議選を終えて」

2014(H26)年4月19日(土) 晴れ

     タイトル 「浅口市議選を終えて」

 わが街の市議会議員選挙が、4月6日告示、4月13日投票で実施された。私の支持・応援した「くわの和夫」候補は、1101票を獲得し21名中第5位で当選を果たした。

 雨が降ったためか、政治不信のためかよく分からないが、投票率が前回77.11%に対して今回63.96%にとどまった。約13%の低下である。したがって、ほとんどの現職市議が得票を減らしている。

 くわの候補は前回1109票で、今回は1101票でほぼ同数の得票を得ることができた。前回の得票率が約4.74%、今回約5.8%という結果であった。

 くわの候補は、この間、中学校卒業までの子どもたちの医療費の無料化を実現させ、お年寄りたちの足の確保という視点から、コミュニティバスの運行を実現させた。また、ゴミステーションの市からの補助を30万円から、40万円に引き上げるという実績などなど、市政を市民本位に前進させてきた。

 また、二期8年間での市民からの相談件数は900件以上にのぼり、まさに市民のよき相談相手として活動してきた。くわの候補が演説で必ず触れるフレーズがある。それは、「国民の苦難の軽減が、日本共産党の立党の精神である」ということだった。

 そのフレーズを体現した市議の活動を4年間つづけてきたのである。選挙期間中にある女性から手紙が届いたということで紹介されていたが、それには「市民のためではなく、私腹を肥(こ)やすような市議はもうこりごりです。清潔で市民のために働く人こそ当選してもらいたい」という内容であった。

 そして、くわの候補は、スポーツ少年団の監督として、子どもが健やかに育つように指導や援助をつづけてきており、それが多くの人たちから支持される要因になっている。忙しい市議の仕事をしながら、子どもたちの健全な育成に力を尽くしてきたことが評価されている。

 また、地元の町内会から推薦されるということもあった。これは人柄と地元の人々の、身近なよき相談相手となって働いてきたことが、推薦につながったのである。それだけの信頼を勝ち得ることは、並大抵のことではない。

 このような、市議としての実績と信頼を得ることによって、今回の勝利を勝ち得ることができたのだろう。まさに、「日本共産党の立党の精神」を体現した活動が、市民の信頼と支持を得たのである。

 そして、忘れてはならないのは、共産党の政策・理念が理解され、支持が表明されたということだ。消費税・原発・TPP・秘密保護法・解釈改憲による「戦争する国づくり」などの政策と運動――「対決」「対案」「共同」の活動が、この選挙の底流にあったということである。

 だが、私はこの選挙の結果を複雑な思いで受け止めている。現有2議席から1議席になったことや、前回の共産党の得票数1797票(得票率7.68%)からの後退などを直視すると、疑問の残る結果である。候補者をひとりしか立てられなかったことなどは、よく検討されなければならないだろう。



‘14年夢日記 「『アラサー女子がいく』を読む」

2014(H26)年4月18日(金) 雨のち晴れ

    タイトル 「『アラサー女子がいく』を読む」

 「アラサー女子がいく」は、「民主文学」5月号に掲載された、松本たき子の短編小説である。彼女は「民主文学」初登場である。今年32歳になる新人で、まさに「アラサー女子」そのものだ。その彼女が、優れた作品を生み出したことに拍手を送りたい。

 この作品は、金曜日から次の土曜日までの約一週間のアラサー女子の変化を描いている。それは政治的な目覚めともいえるし、アラサー女子の生き方の模索と変化ともいえるだろう。

 金曜日
 昨晩は、大学時代の友人達との三カ月に一度の定例女子会だった。女五人で食べて飲んで喋って歌った。主人公の恵理はそのためか、かったるい朝を迎えた。彼女の勤務先は健康保険組合で、健康保険証を作る仕事をしている。彼女はその通勤の途上のデッキで、赤いのぼりを立て、ビラを配っているのを見た。

 恵理は、このデッキでの政治活動を快く思っていなかった。選挙前しかやらないことや、当選したら言ってたことを全部撤回してしまう、ことなど信用できないことが多かった。しかし、この政党は月に何度かこのように宣伝していた。そして、何よりも恵理の心をとらえたのは、二十代前半と思われる女の子がいたことだった。

 月曜日
 土日は高校の同級生たちと房総半島へ行ってきた。そして、今朝はお土産の落花生クッキーをぶら下げての出勤である。そしてまた、例の赤いのぼりが目に飛び込んできた。その中に、先週見かけた若い女の子もいた。

 今晩は、月一回のフラワーアレジメント教室の日だ。そこへ向かう途中、有楽町駅の前の広場で、マイクで演説しながら、ビラを配っている人たちに出会った。そのビラには特定秘密保護法反対と書かれていた。恵理は、こういう行動はたとえバイト代が出るとしても絶対断る、と心の中で呟いていた。

 水曜日
 通勤途上、電車の中でフェイスブックを開いて眺めていると、中学生の同級生が、「秘密保護法反対!」と書かれた、プラカードを持って彼氏と写っていた。そして、ツイッターをチェックしてみたら、恵理の好きな写真家がつぶやいていた。「何が秘密かは秘密です」。恵理は、さすがにこの問題がちょっと気になりだした。

 金曜日
 定時で仕事を終えると、恵理はネイルサロンを予約していたので、ウキウキとした足取りでサロンに向かった。オーナーのリカさんにネイルをしてもらっている時、彼女が「昨日国会前に行って、秘密保護法案の抗議をしてきた」という話を聞いた。リカさんが? と思ったが、彼女は自分と秘密保護法案の関わりについて色々と話してくれた。

 土曜日
 今日は結婚披露宴の日だ。恵理はいつもと同じ六時に起きるつもりだったが、うっかり二度寝してしまった。飛び起きた彼女はとりあえずテレビをつけた。バタバタと身支度をしていると、テレビニュースが流れてきた。

 「昨日深夜、参議院本会議で特定秘密保護法が成立しました」というものだった。恵理は、なぜかムカついている自分にびっくりして、テレビを消して、乱暴にリモコンを投げつけた。

 この作品は、アラサー女子の日常生活の風俗がとてもよく描けている。そのアラサー女子の生き方が、地に足がついてないように思えるけれど、秘密保護法という政治への関心がしだいに高まっていく様子を無理なく丁寧に描いていて、すぐれた短編になっている。



‘14年夢日記 「『送別会』を読む」

2014(H26)年4月17日(木) 晴れ

     タイトル 「『送別会』を読む」

 「民主文学」5月号は、新鋭短編特集と銘打って若手5人の作品が掲載されている。私は5人のうち3人の作品は読んだことがあるが、あとの2人は初めてである。随時、この5編の紹介と批評をしてゆきたいと思っている。まず、瀬崎静弥の「送別会」を取り上げたい。

 この作品は、民営化されたJRがモデルとなっていて、この職場の組合は複雑で4つの労働組合が存在する。第一組合というのは、労使協調路線をとるUという組合である。

 Uという組合は、他の組合を敵視し、「彼らは会社をつぶそうと企てる恐ろしい人間の集まり」であるとし、彼らと「二人きりにならない、仕事以外の会話はしない、親しくならない」ようにとの指示が出されている。

 この作品の主人公は、22歳の杉崎豪太である。豪太はU組合に所属しているが、新人研修を受けているとき、食堂に集められて酒を飲まされ、U組合に全員加盟させられた。したがって、組合のことは何も知らない。

 ある日、全日本建設交運一般労働組合(建交労)の沢柳と一緒に乗務することになった。豪太は最初、建交労の沢柳を警戒していた。沢柳は運転手で、豪太は車掌である。

 その時は冬で、会社からは、「見苦しいのでチョッキを着てはいけない」という「御触れ書き」が出ていた。他の組合の人たちは、制服の下に頑固にチョッキを身につけていたので、最初、豪太は軽蔑していた。

 沢柳もチョッキを着ている。豪太は寒いと思ったが、会社がだめと言うなら仕方ないと思っていた。沢柳は、「仕方なくないさ。豪太も着たらいいのさ」という。「どうして実情に合わないことをやらせるか」という彼の言葉にもっともだと思う。

 それで、沢柳と当局とのやりとりがあって、三日もたたず、チョッキ禁止令は撤廃された。そして、数年たち、沢柳が定年を迎えて退職してゆく日が迫ってきていた。沢柳はしみじみと言うのだった。「おれはたったひとりで辞めていくんだよな。寂しいよなぁ」

 以前は、会社主催で送別会が行われていたが、いまは行われなくなった。そこで、豪太は友人の純弥と相談して、沢柳の「送別会」を計画し、U組合28名、国労4名、T労3名、そして建交労OB3名の38名が集まって、「沢柳昭さん送別会」を成功させた。

 が、それが当局にばれて、純弥は配転させられ、助役などは、豪太と関わるな、と若い職員に話しているとのことだ。しかし、豪太は、そんな差別やいじめに抗して生きてゆくことになるのだろうか、と自問しながら、たぶん沢柳のような生き方をしてゆくことになるのだろう、という予感をさせて、この物語は終わっている。

 民営化されたJRの厳しい職場、そして複雑な労働組合のなかで、まだ若い豪太がどう生きてゆくのか、がテーマとなっている。そして、この作品は、そういう職場環境の中で、差別やいじめに抗して生きてゆこうとする豪太の人間としての成長、そして人間形象に挑戦したものである。今後の作者の健筆を祈りたい。



‘14年夢日記 「『空への質問』を読む」

2014(H26)年4月16日(水) 晴れ

     タイトル 「『空への質問』を読む」

 「空への質問」というのは、高階杞一の詩集である。「しんぶん赤旗」の「学問・文化欄」で紹介されていたので、図書館で探して借りてきた。私の心にひびいた詩が幾編かあるので、それをまず記してみたい。

   準備

 待っているのではない
 準備をしているのだ
 飛び立っていくための

 見ているのではない
 測ろうとしているのだ
 風の向きや速さを

 初めての位置
 初めての高さを
 こどもたちよ
 おそれてはいけない
 この世のどんなものもみな
 「初めて」から出発するのだから

 落ちることにより
 初めてほんとうの高さがわかる
 うかぶことにより
 初めて
 雲の悲しみがわかる

 この詩は、子どもたちへの、あるいは大人たちへの限りない励ましの詩である。人間が何か始めようとするとき、期待と不安がうまれる。そして、何かに挑戦しようとするとき、空の高さに足がすくむこともあるだろう。

 「飛び立っていくための準備」というのは、これから生きてゆくための人生の準備ということだろう。何かを始めれば、人生の失敗はあるかも知れない。しかし、それによって、「空の高さも雲の悲しみ」もわかるだろう。「雲の悲しみ」という言葉は、詩的飛躍である。

 失敗は、単なる失敗に過ぎないけれど、「何もしないことは大失敗」である。その大失敗は何も生み出すことはない。「落ちて空の高さを知り、うかぶことによって雲の悲しみをしることができる」。さあ、こどもたちよ、おそれずに、思い切って飛び立とう、というエールである。

   空への質問

 ここへ ぼくを呼んだのは
 なぜですか

 ここに今 ぼくがいるのは
 なぜですか

 ここに今 ぼくのいる意味は
 なんですか

 この広い宇宙の中で
 ぼくは
 なんですか

 なんだろう

 この詩は、人間の存在そのものを問いかける「きわめて哲学的な詩」である。人間はどこからやってきて、どこへ向かおうとしているのか。「ぼくは」いったい何者なのだろう。

 「この広い宇宙の中で」、「ぼくは」いったいどんな存在なのだろう。この詩は、やさしい言葉で綴られているけれど、ずいぶん壮大な世界を謳っている。

 まだまだ、紹介したい詩は沢山あるけれど、紙数が尽きたので、またの機会に触れたいと思う。



‘14年夢日記 「『奈良少年刑務所詩集』を読む」

2014(H26)年4月15日(火) 晴れ

    タイトル 「『奈良少年刑務所詩集』を読む」

 寮美千子編の「空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集」を読んだ。これは、寮美千子のエッセーに感銘を受け、それに惹かれて図書館で探したものである。ここで、これらの少年たちの詩を紹介したいと思う。

   「くも」

 空が青いから白をえらんだのです

 この、「くも」と題する詩は、たった一行のみである。編者のコメントによると、次のように記されている。

 Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。

 「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』とぼくにいってくれました。それが最後の言葉でした。おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから、何もできなくて……」

 たった一行に込められた思いの深さ。そこからつながる心の輪。目を見開かれる思いがしました。

   「夏の防波堤」

 夕方 紺色に光る海の中で
 大きい魚が小魚を追いかけているところを
 見ました。
 鰯(いわし)の群れが海の表面をパチパチと
 音を立てて逃げていきました

   「ゆめ」

 ぼくのゆめは…………

 寮美千子のコメントは、次のように綴られている。
 「詩」の概念に、揺さぶりをかけられたような気がしました。夢が多すぎて言い切れないのか、夢のないことに気づいたのか。表現していないことで、こちらに強く問いかけています。

   「こんなボク」

 こんな未来を ボクは望んだだろうか
 こんな未来を ボクは想像もできなかった

 こんなボクの どこを愛せるの?
 なぜ そんなにやさしい眼で見れるの?
 「だいじょうぶ まだやり直せるよ」って言えるの?
 こんなボクなのに……

 こんなボクなのに ありがとう かあさん

 まだまだ紹介したい詩はいっぱいあるけれど、もう紙幅が尽きたので、これくらいにしておきたいと思う。ここで、私が批評するには及ばないだろう。彼らの詩そのものが、彼らの心の内をよく語っている。

 その心は、けなげでやさしく美しく、読む者の胸を打つ。なぜ彼らが、薬物や強盗や殺人や性犯罪をおかしたのか不思議に思える。家庭環境、学校、社会などの生き難さと無縁ではないように思える。それで、彼らに免罪符を与えようと思わないが、その背景もしっかり見つめることが求められているように思う。



‘14年夢日記 「中学生の思い出」

2014(H26)年4月14日(月) 晴れ

     タイトル 「中学生の思い出」

 わが町の桜の美しいところはいくつもあって、そこを巡って歩いた。その中のひとつに寄島中学校がある。塀に沿ってL字型に桜が植わっていて、見上げると花の盛りを過ぎてちらほらと花片が舞い落ちていた。

 しばらく私はそこに佇んで、桜の花に酔いしれていたが、ふと中学時代の甘さとにがさが甦ってきた。私が通っていた中学校は、桜のあるここではなかった。そこで、少し歩いて元の中学校へいってみた。

 そこには、「寄島中学校旧跡地」という石柱が建てられ、町営住宅となっていた。現在の視点でみると、その敷地はずいぶん小さくみえる。中学生の視点でみるのとでは大きな落差を感じさせられる。

 ここには、「中学生時代の甘さとにがさがある」甘さといえば、淡い初恋の感情が思い出される。小学生の時にも、女の先生や女生徒に淡い憧れをいだいたことがあるが、その中学生の想いは小学生のそれとは少し違っていた。

 淡い初恋の感情は、片思いであった。同級生の彼女の動静がいつも気にかかっていて、近くであるいは遠くから、彼女の姿を追っていた。今でも鮮明に思い出すのは、私が校庭の隅の鉄棒あたりにいて、彼女が校庭の一角で友達と遊んでいる姿だった。

 彼女は聡明で、慎み深さがあり、どこか憂いをもったような少女だった。その彼女に憧れ、淡い恋心をいだいていた。いまでも彼女の容姿や言動が忘れられずに、心に残っている。

 中学校時代は、「甘さ」よりも「にがさ」の方がまさっている。「にがさ」の多い中学時代だった。まず、貧しさというものが、私を苦しめた。貧しさそのものの苦しみよりも、人との対比による劣等感が私をとらえてはなさなかった。

 たとえば、昼食の弁当が麦めしだったために、新聞紙で隠して食べていた。決して麦めしが厭だったわけではなく、人が米のめしで、私が麦めしという劣等感が私を苦しめたのである。

 また、私の家の塀は所々に穴があき、少し傾いて貧相なものだった。だから、それを友達に見られるのが厭で、私は真っ直ぐ家に帰らなかった。家が近づくと、私は道を迂回して友達と別々に帰っていた。

 そして、私のうちには雨具がなくて、雨降りの日には、学校を時々休むということもあった。雨降りの日は、実に厭だった。部屋の中から、前の道路を眺めて子どもらの姿をみるのは、とてもつらかった。

 このように、私の中学時代は、「甘さ」と「にがさ」をともなった、思春期を送ってきた。その「にがさ」が、戦争による貧しさ、その後遺症であることが分かるのは、ずっと先のことである。

 思いがけず、桜が「中学生の思い出」を甦らせてくれたが、あれから50年の歳月が経つ。しかし、その思い出は、決して色あせることもなく、今も鮮明に脳裏に刻まれている。



‘14年夢日記 「日本の未来社会の展望」

2014(H26)年4月13日(日) 曇り

     タイトル 「日本の未来社会の展望」

 2014年1月15日~18日まで開かれた、日本共産党の第26回大会で、「大会決議」が採択された。その決議の中の、第6章「日本における未来社会の展望について」という項目を、私は興味深く読んだ。

 これは日本における「未来社会論」であり、私たちに希望と展望を与えるものとなっており、未来に対する大局的なものの見方をさし示していて、私の心にもひとつの灯かりを点す文書となっている。

 まず決議では、中国やベトナム、キューバの現状をどうみたらいいか、という設問がなされている。そして、これらの国ぐには「社会主義に到達した国ぐに」ではなく、「社会主義をめざす国ぐに」――「社会主義をめざす新しい探究が開始」(綱領)された国ぐにという、規定がなされている。

 たとえば、「中国の場合、社会主義という以前に、社会主義の経済的土台である発達した経済そのものを建設することに迫られているのが現状」だという認識が示されている。

 「中国の将来を展望する場合に、この国が、今後もかなり長期にわたって、貧困とのたたかい、所得格差を縮小するたたかい、発展のなかで環境を保全していくたたかい、政治体制と民主主義の問題など、さまざまな問題と格闘を続けていかなくてはならない――そういう国として見ていく必要がある」としている。

 そして、「そこには模索もあれば、失敗や試行錯誤もありうるだろう」し、「覇権主義や大国主義が再現される危険もありうる」と述べている。

 ふりかえって、日本について触れているなかで、「日本における未来社会は、きわめて豊かで壮大な展望をもっている」という節を立てて論じている。

 「中国、ベトナム、キューバが抱える『政治上・経済上の未解決の問題』は、根本的には、これらの国の革命が、経済的・社会的・政治的に発達の遅れた状態から出発したことと不可分に結びついている」

 だが、日本の場合は、「当面する資本主義の枠内での民主主義革命の課題をやりとげて、社会主義への道にすすむ場合には、発達した資本主義のもとでつくられた巨大な経済力の水準を引き継ぐことになる」と述べている。

 だから、「その場合には、現在の中国社会で進行しているような経済の急成長、それにともなう社会的矛盾の拡大という現象は、決しておこらないだろう」としている。そして、「現在の社会的生産の規模と水準でも、日本国民すべてに『健康で文化的な最低限度の生活』を保障し、労働時間の抜本的な短縮を可能にすることだろう」

 「そのことは、社会のすべての構成員の人間的発達を保障する土台となり、社会と経済の飛躍的な発展への道を開くことだろう」としている。

 決議の最後に、「未来社会への移行の過程の条件――自由と民主主義、政治体制について」述べられている。「中国、ベトナム、キューバでは、政治体制の面で、事実上の一党制をとり、それぞれの憲法で『共産党の指導性』が明記されている」

 「日本では、このようなことは決して起こりえないことである」とし、「日本のように憲法で国民主権、基本的人権がうたわれ、議会制民主主義が存在する社会を土台にするならば、未来社会において、それらが全面的に継承され、豊かに花開くことは、歴史の必然である」

 そして、最後にこう結んでいる。「発達した資本主義国から社会主義・共産主義の道に踏み出した経験を、人類はまだもっていない。この変革の事業のもつ可能性は、その出発の諸条件を考えるならば、はかりしれない豊かさと壮大さをもつものとなるだろう」

 この第26回大会の「未来社会論」は、勇気と希望を与えるものとして、多くの人々から歓迎されている。私もそのひとりであり、霧が晴れたような展望を開いた文書となっている。



‘14年夢日記 「恩師を訪ねて」

2014(H26)年4月12日(土) 晴れのち曇り

     タイトル 「恩師を訪ねて」

 恩師が大きな病気を患ったと聞いていたので、訪問することもはばかられて、しばらく音信が途絶えていた。しかし、浅口市議会議員選挙もあって、そのお願いに思い切って出かけることにした。

 恩師の家を訪ねると、奥さんが玄関に出てこられて、私の来訪を先生に告げると、「上がってもらえ」という声が奥から聞こえてきた。私は一瞬意外な思いに囚われた。それは、先生が元気であることの証のように思えたからである。

 私は応接間に通されて少し待っていると、先生があらわれた。私はその姿をみて、「先生お元気そうで、若々しいなあ」という声を思わず挙げていた。病気だとはとても想像できない姿だった。

 私とは10歳の差があって、70なかばのはずだが私よりも若々しく見えるくらいである。頭髪は白髪もなく黒々としており、顔の色艶もとてもよく老人性色素斑も生じておらず、私と同年代に見えるくらいである。

 病気の経過も良好で、2カ月に1回ほど通院して検査をしてもらっているとのことだった。私は病名を聞いていたので、先生の元気そうな顔をみて安堵した。病気が病気なだけに、これからも良好であることを祈らずにはいられない。

 先生は高校時代の恩師であり、世界史を教えていた。また、文芸部の顧問もして、私もそれに加わって、私の人生に大きな影響をもたらした先生である。この時代にこの先生と遭わなかったら、私の人生は大きく変わっていたように思われる。

 先生とは、文芸部時代の生徒の消息について、話題にのぼった。文芸部の中心的な存在だったKは最近、黄泉の国に旅立ったこと、Tはリフォーム会社の代表として活躍していること、童話を書いていたSは、今釣りや旅をしていることなどを話した。

 これらの仲間とは高校時代に、ほんとうに輝いて、生き生きと学園生活を送ってきた。その彼らが自分の道をそれぞれ歩んできたことに、感慨もひとしおである。彼らとともに、先生に一度会いたいという思いを強くした。

 先生とは、今日の日本と世界の未来について話が及んだ。あの頃は、民主連合政府の展望が開かれつつあった時代で、日本革命の展望も視野に入れて未来が語られた時代だった。

 が、今日は日本と世界の展望が、くっきりと見通せるという時代ではなくなっていることを、先生は危惧されていた。私はその展望に決して悲観的ではないが、先生のいうことも理解できないことではなかった。

 この日は、先生が外出の予定があったので、ゆっくり話し合うことはできなかったけれど、また一度先生を訪ねて色んなことを、心ゆくまで話し合ってみたいというふうに思った。また、何よりも先生の健康の回復を願わずにはいられない。



‘14年夢日記 「『わたしの宝物』を読む」

2014(H26)年4月11日(金) 晴れ時々曇り

     タイトル 「『わたしの宝物』を読む」

 「しんぶん赤旗」の「くらし・家庭」欄に、すぐれたエッセーが載っていた。私はとても感銘を受けた。そこで、そのエッセーを紹介して、私もそれの意味するところを考えてみたいと思う。

 エッセーの作者は、作家の「寮 美千子」さんである。この作家の書きものを読むのは初めてだし、名前を聞くのも初めてで、「初めてづくし」だけれど、これから、彼女の著書に触れたいと考えている。ではここで、そのエッセーを紹介することにしたい。

 古都に憧れて首都圏から奈良に移住して8年。奈良少年刑務所の「社会性涵養(かんよう)プログラム」の講師を頼まれました。月に一度、受刑者と絵本を読み、詩を書いてもらっています。

 最初はみんな、心を閉ざしています。それだけひどい目に遭ってきた子なんです。けれど、ここは安心な場所だとわかり心が開けてくると、みんな思わぬやさしさを発揮してくれます。

 「ぼくの好きな色は青色です/つぎに好きな色は赤色です」という詩を書いてきた子がいました。土の塊のように、表情のない子でした。この、詩ともいえない作品にどんな言葉をかけてあげたらいいのか、途方に暮れていると、受講生が、

 「ぼくは☆くんの好きな色を一つだけじゃなく二つも教えてもらって、うれしかったです」「青と赤がほんまに好きなんやなあと思いました」と感想を述べてくれました。すると、土の塊くんが笑ったんです。その日から、彼は人と対話ができるようになりました。

 自分を表現すること、それを受けとめてもらえることで人は癒され、心を開き成長できるのだと、彼らを見ていて、つくづく感じます。人は人の輪の中で育つ。すでに130名を見てきましたが一人として変わらなかった子はいません。

 心を開くと、みんなやさしくなるんです。人を殺すような人のなかにも、こんなやさしさが眠っていたんだと知り、胸が熱くなりました。人間って、本当は悪い生き物じゃない、やさしい生き物なんだ、と実感できました。

 心が開かれると彼らは、自然と自分の罪と向きあうようになり、被害者を思いやり、深く悔いる気持ちも湧いてきます。

 彼らは犯罪者です。しかし「人間という生き物への深い信頼」をわたしに与えてくれた彼らに深く感謝しています、彼らとの時間は、わたしの宝物です。

 以上が、寮 美千子さんのエッセーですが、なんの注釈もいらない、過不足のない優れた文章である。私の娘は、別に犯罪を起こしたわけでもないのに、まるで病的な無口の子どもである。だから、なおさらこのエッセーは私のこころにひびいてくる。

 「ぼくの好きな色は青色です/つぎに好きな色は赤色です」と書いた少年、精一杯な自分の心の表現に私の瞳は滲んでくる。その心の表現を引き出した、寮美千子さんの人間としての貴さを、感じないわけにはいかない。



‘14年夢日記 「35年ぶりの再会」

2014(H26)年4月10日(木) 晴れ

     タイトル 「35年ぶりの再会」

 このたび、岡山県浅口市議会議員選挙があって、私はK候補の応援の手伝いに行った。私が選挙事務所を訪ねて、応援するというのは久し振りだ。それは、私が所属していた文学会を退いたというのも、その一因のひとつである。

 そこでめずらしい人と再会した。実に35年ぶりである。そのMさんとは昔、民主商工会の事務局員として一緒に仕事をしていた。その会の事務所は水島のうどん屋の2階にあって、おそらく民主商工会がもっとも活発に活動していた頃である。

 私は5年近く勤めて30歳過ぎで退職したが、その彼もあい前後して退職したように思う。私はその頃、小説を書き始めた時で、Mさんも小説を書いていて私に見せてくれたことがある。ちょっと変わった小説を書いていたのを憶えている。

 その彼に35年ぶりに遭ったのである。ほんとうに懐かしい出遭いであった。この選挙がなかったら、おそらく遭うこともなかったに違いないが、偶然が重なって邂逅することになったのである。

 彼はブログを開設しているので、そのプロフィールを紹介してみたいと思う。それによると――、

 戦時中の庶民の暮らしを彩った生活用品、毎日の生活で使い込まれ、消えていった消耗品。特別な美術品や工芸品でもなく、選ばれた人や王侯貴族の資料ではなく、今では見ることの無くなったありふれた生活用品に思い入れがあります。

 我輩が生まれたのは1958年。この年は、一万円札の発行、東京タワーの完成、インスタントラーメンの発売、売春防止法の施行。私は本当の意味での「戦後生まれ」の小市民、社会の底辺の暮らしを発掘してまいります、と記されている。

 そして、彼は戦時資料の収集を高校生の頃からつづけ今日に至っているが、その彼がT市議会議員となって、「悪政と自分自身の戦いをつづるブログ」を開設している。「民草の声」という、ちょっと「あやしいブログ」である。

 彼はとてもユニークな人間だ。河馬(カバ)が好きで、人間が好きで、誰とでもすぐに友人になれるという人だ。その彼が、浅口市議会選挙のK候補の責任者となって、指揮をとっている。

 その彼に遭って、私は感じたことがある。人間は変わる。性格にしても、思想や信条にしても変わる。が、それはあるにしても、人間の本質のところは変わらないということである。彼もそうだし、私自身もずいぶん変わったように見えるけれども、人間の本質のところはほとんど変わっていない。

 だから、35年の溝があっても、すぐにその溝を埋めることができるのである。人間というものは不思議なものだ。変わっているようで変わっていないし、変わらないようでいて変わることができる。が、本質のところは変わらない。それが、彼と遭っての印象である。



‘14年夢日記 「花めぐり」

2014(H26)年4月9日(水) 晴れ

     タイトル 「花めぐり」

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 これは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編小説の冒頭部分である。たしかに、彼のいうように桜のあまりの美しさに説明がつかないような、そんな心持ちは分かるような気がする。

 そこで、彼は美と醜を対置させることによって、自身の心のバランスを保とうとしたように思われる。まさに、桜は屍体の化身ではなかろうか。そう考えることで、初めて自分の心を納得させることができる。しかし、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という想像力に感嘆する。

 私はそんな彼の言葉を心に留めて「花めぐり」をした。私の住む町にも近隣の町にも桜の名所はいくつもある。まず、私の町の「三郎島」というひと昔前まで島だった標高60~70メートルという山に登った。

 ここには、山の南側、つまり瀬戸内海に面した方の斜面に、一面桜が咲き乱れていた。坂道の急な登山道を登ると遊歩道が東西に走っている。西へ行っても東へ行っても、桜の淡紅色に山は染まって、思わず眼を細めてしまうほどである。

 この「三郎島」の桜はなんといっても、山の頂上から眺めることである。山頂には展望台があり、そこから眺める桜と瀬戸内海の美しさには圧倒される。梶井基次郎なら、どんな表現をするだろうか。

 瀬戸内海の沖合いには、春霞に包まれた島々が浮かんでいる。青い海には大小の船が、白い波の尾を引いて行き交っている。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の風情である。空を見上げると、青い空に画布を切り裂いたような、飛行機雲が鮮烈に伸びてゆく。

 三郎島を下りて、私はとなり町の「明王院」という寺に向かった。明王院は、伝教大師最澄が入唐の際、立ち寄って開いた天台宗の寺である。ここの寺は四季折々に私が足を運ぶ寺で、それぞれに趣のある雰囲気をかもし出してくれる。

 ここの桜は、三郎島の桜とはずいぶん趣が違っている。本堂がありいくつかの棟の建物が連なり、庫裏がある。その前の境内は庭園のようになっており、四季折々の木々が来訪者を迎えてくれる。本堂から読経が流れたりすると、心が清められるような気がするから不思議である。

 私は多宝塔のある丘に登り、境内を彩る桜を眺めたが、ここでは桜に圧倒されるという心の動きではなく、いかにも心がしっとりと癒される感じである。桜の配置が自然で、寺全体のなかにそれが溶け込んでいるのである。

 桜の美しさを押し付けるのではなく、人の心をやさしく包み込むような趣なのである。それでいて、その桜の美しさは説明がつかないような不思議さなのである。思わず「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と呟いてしまう。



‘14年夢日記 「『いつか陽のあたる場所で』を観る」

2014(H26)年4月8日(火) 晴れ

  タイトル 「『いつか陽のあたる場所で』を観る」

 先日、NHKのテレビドラマを観賞した。「いつか陽のあたる場所で スペシャル」である。これは1年前に連続ドラマとして放映されたもので、今回はそのスペシャル版である。

 この物語は女性ふたりが主人公というような設定になっている。この女性ふたりは、それぞれ前科があって、今は一緒に暮らしている。ひとりは、芭子(はこ)、もうひとりは、綾香である。

 芭子は、出会い系サイトで知り合った男性を眠らせて金を奪い、7年の懲役を経て出所してきた女性だ。綾香は夫が息子に暴力をふるうため、その夫を殺害して、同じく懲役刑を受けて出所してきた女性である。

 こんな前科を持つ女性が、これからどう生きてゆくのか、彼女たちに希望はあるのか。消すことのできない罪を負って、彼女たちは「陽のあたる場所」で生きてゆくことができるのか。一生、日かげで生きてゆかなければならないのではないだろうか。

 これが、この作品のモチーフでもあり、テーマでもある。そのふたりの再生のプロセスを、丁寧に描いている作品である。このふたりに絡む登場人物として、芭子には恋人の圭太、綾香には息子の朋樹が登場する。この恋人と息子の登場によって、物語はテーマに接近してゆくことができる。

 恋人の圭太は、芭子と結婚したいと思っている。そして、みかん農家の実家へ芭子を連れてゆく。両親に会わせるためである。圭太は、芭子に自分の過去は語らないようにというのだが、しかし芭子は両親に自分に前科があることを話すのだった。

 すると両親は怒って、「すぐ帰ってくれ」という。芭子はそういう仕打ちを受ける。が、これは圭太の両親が特別なのではなく、社会・世間というもののごく普通の風であることを、芭子は再認識させられる。

 一方、綾香は息子の朋樹から「パンづくりの上手なおばさん」と呼ばれている。朋樹は施設に入っており、一度綾香が施設を訪問して、パンをつくって食べさせたのである。そして、朋樹はあるとき、施設を抜け出して、綾香に会いにきた。

 綾香は、朋樹にパンをつくって食べさせたり、凧揚げをして遊んだりしているうちに、朋樹が「お母さんと思ってもいいか」という問いを発する。綾香は母とは言わずに、「家族と思ってもらっていいよ」と、その問いをはぐらかす。

 そして、いくつかいきさつがあって、圭太の父親から、芭子のもとにみかんが届けられる。そのみかんは、商品にならない傷ついたみかんたちであるけれど、中味はとってもおいしいよ、という手紙が入っていた。
両親の和解の言葉である。

 綾香は、いつまでも母親であることを隠しておくわけにはいかないように思う。いずれ、朋樹にほんとうのことを告げて、ほんとうの母親・家族になるように一歩踏み出してゆくことが求められている、と心の中で思うのである。

 この物語は、芭子が恋人の圭太との結婚へ、綾香が息子朋樹の母へと、ふたりはそれぞれ「家族」になるために、「いつか陽のあたる場所」に向かって、半歩、一歩と踏み出してゆく希望を描いた作品である。これは、傷を負った人間の再生物語として、上質なドラマとなっている。



‘14年夢日記 「ノーカーデー」

2014(H26)年4月7日(月) 晴れ

     タイトル 「ノーカーデー」

 一般的に都市よりも田舎の方が物価は安いといわれてきた。それはひと昔前の話である。現代では田舎の方が物価は高い。街にはディスカウント・ショップなどもあり、日用品や食料の値段などもずいぶん違う。

 例えば、ガソリン1リットルの価格はわが町で求めれば5円以上も高い。250ミリリットルの缶ビールも、1缶20円も高いのである。日用品にしても、安いうえに街に出れば、7%とか10%の割引券が発行される。

 が、それはわが町の商店が悪いということでは決してない。わが町の商店は、ごく普通の粗利益が出るような商いをしており、自らの商店が成り立つためには、そのような価格設定は止むを得ない。だから、田舎に住んでいる住民は、仕方のないことである。

 ガソリンが1リットル5円以上違うといっても、往復10キロメートル車で走って街へ出かけてゆくと、そのガソリン代は帳消しになり、かえって足が出るということになる。だから、わが町で「こと」を済ます方がいいこともある。

 つまりは、物価の高い田舎に住んでいるということは、致し方のないことである。打つ手立てがなく、その町でささやかに、ひっそりと、賢く暮らす以外に方法はない。田舎に住む者の悩みのひとつである。

 「賢く暮らす」という点でいえば、私は4月から「ノーカーデー」を設けることにした。わが家からわが町の「銀座通り」まで行くには、往復で3キロメートルである。

 「銀座通り」というのは、役場や図書館、農協や郵便局、銀行や喫茶店、そして、いくつかの商店が存在する場所である。その地区に行けば、たいていのことは、片付くようになっている。私も週2、3回そこへ足を運び「用事」を済ますのである。

 そこで、今まではその「銀座通り」まで車で行っていたのだが、4月から散歩がてら歩いてゆくことにした。これは、「一石二鳥」である。ウオーキングとガソリンの節約が同時にできるというわけだ。

 車に乗るといえば、週2回の新聞の配達がある。これは歩いてというわけにはいかない。となり町までゆき、新聞を受け取ってわが町の読者に配達するのである。この週2日をのぞけば、ほとんどのことは「銀座通り」で用を足すことができる。

 4月から消費税も増税になったことだし、社会保障も改悪され、生活が圧迫されるようになったので、庶民は「ささやかな抵抗で、賢く生きる」ことが求められている。「ノーカーデー」もそのひとつである。

 車に乗らずに生活するというのもまたいいものである。まず、自然、風景が違って見えるし、人々との触れ合いも増してくる。「歩く」というのは、そのような効用がある。これも新しい発見である。



掌編小説 「掌編小説 『朝日のあたる家』 (2)」

2014(H26)年4月6日(日) 曇り時々晴れ

   タイトル 「掌編小説 『朝日のあたる家』(2)」

 桐山は、民生委員として、自分にいったい何ができるのだろうか、という思いに囚われていた。
「芙由子さん、あの壁はどうしたんですか」
 桐山は、おもむろに西の壁を振り向いた。
「ああ、あれですか? ええ、弥生が……」
 芙由子はそう言いかけて、黙ってしまった。
 しばらく応接間は、沈黙に包まれていたが、やがて芙由子は小さい声で呟いた。

「夫が、引きこもっている弥生をなじったんですよ。『怠け者! とか、ごくつぶし!』とか言って、怒鳴ったんです」
 芙由子の声はかすれていた。
「すると、弥生が……、顔を赤く染めて、怒りに震えながら、コーヒーカップを、あの壁に投げつけたんです」
 芙由子は、壁をじっと見つめていた。

「それはまずいですね。もっとも苦しんでいるのは、両親でもなく、兄弟でもないでしょう。弥生さん自身ではないでしょうか」
 桐山に言える精一杯の言葉だった。
「家族の人たちにできることは、弥生さんの悩みにできるだけ、寄り添うことではないでしょうか」
 桐山は、民生委員の活動を通じて、相談者に寄り添うことの大切さを、学んできたような気がする。

 桐山は振り向いて、壁のへこみとシミを眺めて、弥生の心の在りように身がつまされる思いだった。すると、二階から階段を勢いよく、駆け下りてくる音が高く響いて、桐山は一瞬びっくりした。

 応接間のドアを乱暴に開いて、弥生が入ってきた。弥生は髪を乱して、パジャマ姿のままだった。二十三歳の彼女はいくぶん太っていて、少しふけているように見えた。
「母さん、スニーカーを買ってよ。明日から、ウオーキングをしたいの。ねえ、いいでしょう」
 弥生は、瞳を光らせて、芙由子を覗き込んだ。

「え? ええ……」
 芙由子は、信じられないというような、怪訝な顔をして、立ち尽くしていた。
 弥生は、それだけ言うと、また階段を駆け上っていった。

 桐山は、弥生の唐突な言動に面食らってしまった。弥生の心に何が起こったというのだろう。一年近くも引きこもっていた人が、外に出るという。彼は今でも信じられない思いでいた。それは、芙由子もまた、同じような心持ちに違いない。

 芙由子は、怪訝な顔をして立ち尽くしていたが、しばらくしてソファーに、崩れ落ちるように座った。彼女の眼は中空をさまよい、ぼうっとして気がぬけたようなようすだった。

 桐山は、そんな芙由子を応接間に残して、北村家の門を出た。そして、南東の二階の部屋を見上げた。弥生の部屋のカーテンは開かれて、部屋の中へ斜めに光が差し込んでいた。

 朝日は高く昇り、丘の上にある北村の家を、黄金色の光が柔らかく包んでいた。

                                      <了>



掌編小説 「掌編小説 『朝日のあたる家』 (1)」

2014(H26)年4月5日(土) 曇り時々雨

   タイトル 「掌編小説 『朝日のあたる家』(1)」

 門の前で立ち止まって、民生委員の桐山は北村の家を見上げた。もう九時は過ぎていたが、南東の二階の部屋のカーテンは閉じられたままである。その部屋へ春の柔らかい陽が降り注いでいた。

 ハナミズキが、門の脇で純白の花弁を開いている。枝を張って、二階の部屋から手を伸ばせば届きそうである。ハナミズキが香りのいい匂いを放って、桐山を包み込んできた。

 開き戸を押して桐山は門の中に入り、玄関のインターホンを鳴らした。中から女の人の声がして、玄関のドアが開いた。顔を覗けたのは、主婦の芙由子である。
「おはようございます。ああ、済みません」
 芙由子は、爽やかな声を挙げた。

「どうぞ中にお入り下さい」
 芙由子はドアを大きく開いた。
「おはようございます。それじゃ、失礼します」
 桐山は腰を折って玄関に入った。

「どうぞお上がり下さい」
 芙由子は応接間に桐山を案内した。
「どうぞ、お掛けになって待っていて下さい。ちょっと奥へ……」
 彼女はそそくさと、応接間を出ていった。

 桐山はソファーに座って、応接間を見るともなしに見渡した。すると、西側の壁紙が茶褐色に染まり、しぶきを上げたようになっているのが眼に留まった。その壁は、何かがぶつかったように、へこんでいた。

 芙由子が戻ってきて、コーヒーカップを桐山のテーブルにおいた。芙由子は紅茶だった。
「それで弥生さんは、どうなんですか」
 スプーンでコーヒーを掻き混ぜながら、桐山は訊いた。

「手の打ちようがなくて困っています。昼と夜の生活が逆転してしまっていますからね。まだ、眠ってるんですよ」
 芙由子は、二階を見上げるような仕草をした。
「だから、あかずのカーテンなんですよ。もう、そろそろ一年になります。」
 芙由子は嘆息を洩らして、肩を落とした。

「それじゃ、夜は何をしているんですか」
 桐山は首をかしげた。
「それがよく分からないんですが、たぶんインターネットやゲームをしているようですね」
 芙由子は、紅茶のカップに口をつけた。

「弥生さんは、M自動車工業へお勤めでしたね」
「ええ、弥生は自動車部品製造工場に、派遣として勤めていました」
 芙由子は身体を抱くようにして、両腕を膝の上に載せた。

「それが大変だったんですよ。北村弥生という、れっきとした名前があるのに、帽子に付けた番号で呼ばれるんですからね」
 芙由子は、いくぶん身体を乗り出して言った。

「十三番、何をとろとろしとんじゃ。お前んところで部品が、たまっとるぞ。早うしろ。弥生はそんなふうに、怒鳴られてばかりいたそうなんです」
 芙由子は、桐山の顔を覗き込んできた。

「弥生さんが、十三番ねえ。それじゃ、人材じゃないですね。まさに、モノ扱いですよ」
 桐山は腕を組んで、うーんと唸った。
「昼食の時だって、派遣社員は食堂で食べさせてもらえないんですからねえ。工場の床にダンボールを敷いて、食べていたそうですよ」
 芙由子は、紅茶のカップに手を伸ばした。

「桐山さん、パワハラというんですか。派遣の担当者から、うすのろとか莫迦とか、しょっちゅうなんだそうですよ」
 芙由子の紅茶のカップが震えていた。
「それで、弥生は眼をうるませて帰ってきて、もう、明日から行かない、と言ったんですよ。それからですね。二階の部屋に引きこもってしまったのは……」
 芙由子は、また二階を見上げるような格好をした。

                                    <つづく>



‘14年夢日記 「小説を書き始める」

2014(H26)年4月4日(金) 曇り時々雨

     タイトル 「小説を書き始める」

 やっと、という感じである。やっと、「小説を書き始める」心持ちになってきた。やっと、手をつけ始めたばかりである。1年ぶりだ。昨年の2月に12編の掌編小説を書き、3月に5編書いて以来である。

 が、小説といっても、ショート・ショート、つまり掌編小説である。400字詰め原稿用紙で、5枚から10枚くらいのものを、しばらく書いてゆきたいと思っている。ほんとうは30枚前後の短編を書きたいところだが、そこまで心が踏み出せないでいる。

 ブログを開設して、文章を書くということも、いずれそれを創作につなげてゆくという思いがあった。文章を書いてゆくうちに、小説づくりへの「創作意欲」も湧いてくるだろう、という思いである。

 それが一応、実を結んだような格好になった。これからは、「一日一句の俳句に対して、一日一枚原稿用紙を埋める」ということをめざしたいと思う。しかし、だからといって、1年に365枚の小説が書けるかというと、決してそうではない。

 「一日一枚」というのは、たしかに、原稿用紙は「一日一枚」埋めてゆくけれども、それは決して完成稿というわけではない。いってみれば、草稿ともいうべきものである。だから、正しくは「一日一枚、小説の草稿を書いてゆく」ということになる。

 「一日一枚の草稿を書く」ということは、小説を書くことをめざす人にとって、とても大切なことである。それは、想像力を豊かにしてゆくうえで、「一日一枚」は大きな意味をもっている。「一日一句」の俳句が俳人の感性を磨くように、「一日一枚」は創作の想像力を磨くのである。

 作家が小説を志す人々に必ずいう言葉がある。それは、「毎日原稿用紙の前に座って、毎日書け」ということである。それは、小説は虚構の世界を構築してゆくので、想像力が決定的に重要だ、だからその練磨のためだ、おそらくそういう意味だろうと思う。

 私は「一日一枚の草稿を書く」ことをめざすことにしたが、まだ掌編小説にしばらく留まるだろうと思う。5枚から10枚の作品である。それを、このブログにも発表してゆくつもりである。近いうちにそれは叶えられると思う。

 しかし、私はあくまでも、30枚以上の短編をめざしている。しかし、今はまだなぜか書けないでいる。だから、しばらく掌編小説を書いてゆくなかで、短編につながってゆくことを願っている。

 掌編小説は、詩でも書くつもりで、気持ちを楽にして書いてゆこうと思っている。「気楽に詩でも書くつもりで」というと、たぶん詩人たちの怒りを買い、「詩はそんなに甘いものではない」と反論されるに違いない。しかし、私は詩を決して軽くみているわけではないが、そんな心持ちなのである。

 やっと、小説の世界へと踏み出せる。それは約1年待ちつづけてきたことである。「一日一枚の草稿」を書くこと、それをめざして、新しい出発を開始しよう。



‘14年夢日記 「新しい散歩道」

2014(H26)年4月3日(木) 晴れのち曇り

     タイトル 「新しい散歩道」

 人間というのは面白いもので、一度「こうだ」と決めたら、なかなかそこから抜け出すことができない。特に生活習慣などがそうだ。思考が、「こうだ」と決めた枠から出られないのである。

 その枠から抜け出すことができるのは失敗である。生活習慣には手順というものがあって、その流れにそって生き、生活している。しかし、何かのひょうしに、手順が狂って失敗することがある。その時、新しい発見をするということになる。

 そこで、初めて新しい方法、やり方に気づくのである。「ああ、そうか、こういうやり方があったのか」ということになる。その失敗がなければ、一度決めた方法、やり方から抜け出すことができない。

 ウオーキングの場所もそのひとつである。私はウオーキングの場所は、わが町の「三つ山公園」と何の疑問ももたずに決めていた。たしかに、その場所は「海と山と空」を眺めながら、散歩をすることができるので、格好の場所である。

 そこへ行くのは、車を出して1.5キロメートルほど走ってゆかなければならない。わざわざ車で往復3キロも走ってである。それ以外のことは考えられなかった。「こうだ」と決めたら、その思考の枠から出られなかったのである。

 ところが、先日何の前触れもなく不意に、違う方法が一瞬頭をよぎったのである。一旦、駐車場まで行ったのだが、車に乗るのをやめて、「そうだ、このまま歩いてみよう」と、自宅から散歩を始めることにした。

 まず、私の自宅から出て、となりの集落へ行った。そこは、「山根」という集落で、文字通り地名のような地区である。私の住む村は、山があって、その山がゆるやかな傾斜をつくって、海に落ち込んでいるのである。

 「山根」という集落は、山の根にへばりついているようなところだ。池があり、小さな川がある。春の花々が一斉に咲き誇っている。モクレン、スイセン、レンゲ、菜の花、白梅、紅梅、名も知れぬ野草が小さな花をつけている。

 「山根」の坂道を下ると、「大浦」という集落である。「浦」というのは、「海や湖の湾曲して陸地に入り込んだ所、一般に海辺。また、水際」とある。今は干拓されて、陸地になっているが、その昔、海辺だったのだろう。そこには、古い神社があって、その境内をぬけて「早崎」という集落へ出る。

 「早崎」というのは、「陸地が海や湖に突き出た先端。山が突き出た先端。岬」とある。ここもまた、その昔、海辺だったのだろう。山が海に突き出た集落である。いまは干拓されてその面影はない。

 私は今まで「灯台下暗し」だった。こんなにすぐれたウオーキングの場所があったのだ。「新しい散歩道」の発見だ。これからは、この散歩道も時々歩いてみることにしよう、と思ったしだいである。



‘14年夢日記 「ブログを始めて半年」

2014(H26)年4月2日(水) 晴れ

     タイトル 「ブログを始めて半年」

 ブログを開設し、「夢日記」を綴り出して半年が経った。永い時間というより、もう半年かという感慨の方が強い。三日坊主にならずにやってこられたのは、幸運だといわなければならない。

 「夢日記」といっても、私の日常は極めて単調な日々の繰り返しである。比較的規則正しい生活を営んでいるので、日記を書くとすると毎日同じような内容になる。朝6時に起床して、3度の食事を摂り、午前0時過ぎに床に就くのである。

 そして日課といえば、ウオーキングとブログの原稿を書くこと、そして読書である。私はスローライフを心がけているので、あとはムリをしない。どちらかといえば、だらだらと過ごしている時間の方が長い。

 だから、「日記」というタイトルにせずに、「夢日記」としたのである。「夢日記」なら、日々起こったこと、したことにこだわらずに紡いでゆくことができる。本来の日記なら、三日も書けばあとは同じような暮らしなので、あとが続かない。

 「夢日記」というのは、どちらかというと、「随想日記」という趣である。「随想日記」というカテゴリーがあるのかないのか分からないが、日々のつれづれの想いを記すのが、この「夢日記」である。

 その「夢日記」を綴ってきてはや6カ月になる。おかげさまで、一日も欠かすことなく続けてこられたのは、まず健康であったことを挙げなければならない。一度、風邪を引いて危ないときもあったけれど、どうにかそれを乗り越えることができた。

 また、パソコンが故障もなく作動してくれたので、毎日更新することができた。そういう条件に恵まれて、ここまできたのである。これからも、健康とパソコンの良好を祈って、次の半年へと踏み出してゆきたいと思っている。

 この半年の間に、ブログに書いた「夢日記」は、400字詰め原稿用紙にして、約500枚ということになる。500枚というのは、決して少なくない枚数である。これを本にしようと思えば、貧弱とはいえないものを上梓することができる。

 さて、これからの「夢日記」だけれど、新しい趣向を取り入れたいと思っている。基本は今までと同じだけれど、掌編小説を書いて、それを2回か、3回の連載にして、載せるということである。

 掌編小説なら1回の読み切りの方がふさわしいのだが、原稿用紙3枚くらいのブログに抑えたいので、そういう方法になる。これはひとつの冒険でもある。それが定着すれば、ブログの世界も広がるに違いない。

 「ブログを始めて半年」、大過なくやってこられたが、これからもムリをすることなく書いてゆきたい。次の目標は、1000枚である。そこまでやることができたら、「量から質への転化」が起こるかも知れない。



‘14年夢日記 「4月をデザインする」

2014(H26)年4月1日(火) 晴れ

     タイトル 「4月をデザインする」

 4月は正と負の両面をもった、刻を迎えることになる。正というのは、1年のうちでもっとも過ごしやすい季節を迎えるということである。また、負というのは、消費税増税という歴史に汚点を残す月になるということだ。

 まずは、気候のいい季節を享受して、生活していきたいと思っている。何をするにしてもふさわしい季節である。読書をしてもいいし、自然に触れる「小さな旅」をしてもいいだろう。そういう生き方を望んでいる。

 自然に触れるということでいえば、いま計画しているのは、備中松山城の天空の城に登ってみたいということである。また、自然に触れながら旧知の友を訪ねてみたいという思いがある。人との出会いもまた季節がいざなうのである。

 読書は、いま図書館に予約しているのは、柴垣文子の小説「校庭に東風吹いて」と大下英治の「日本共産党の深層」という本である。4月中旬には手元に届くだろうから、少なくともこの2冊は読み込むつもりでいる。

 私は、読書を一日2、3時間というふうに決めているので、その他に「民主文学」5月号や右遠俊郎の小説もいくらか読めるだろう。読むのは書くことよりも疲れるので、多読は慎んでいる。できれば、書くことの方に軸足をおいて生活したいと思っている。

 負というのは、消費税増税で決して容認などできないものだ。私は年金生活者であるから、夫婦2人で仮に300万の収入があったとするとどういうことになるのか。

 年金の減額も昨年から行われており、それが2%強になる予定である。消費税の8%を加えると合計10%の負担ということになる。単純計算すると、300万の10%は、30万ということになる。これだけの収奪が庶民からなされるということである。

 そして、これを許せないと思うのは、大企業の法人税の減税や富裕層への優遇処置が行われているし、さらにその政策が推進されようとしていることである。庶民から収奪した税金等を、大企業や軍事費に振り向けるというのだから、この逆立ちした政治は許せない。

 庶民の生活は、節約につとめるというよりも、一定の可処分所得のなかで遣り繰りしようと思えば、生活費を切り詰めざるを得ない。私もゴルフの練習場に足を運びたいと思うけれど、そんなささやかな愉しみさえ、今の政治は奪うのである。

 もうひとつ、4月からは少々乱れている生活を、規則正しいものにしてゆくことが求められている。また、4月は花の季節である。サクラ、ハナミズキ、コブシ、モモなどの花々が一斉に咲き誇るので、自然の息吹を感じながら、よりよく生きたいと思う。そんな4月でありたい。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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