夢日記 「新年への抱負」

2013(H25)年12月31日(火) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 2013年労働者・労組のたたかい 
 解雇撤回勝ち取る

     タイトル 「新年への抱負」

 2013年も暮れようとしている。そこで、新年への抱負をしたためておきたいと思う。その抱負は内なる自身のことになるけれども、時代と社会の動向はしっかりと胸に刻んでおかなければならないだろう。時代と社会の中に生きる人間として、それは当然のことである。

 まず、私は30枚くらいの短編小説を2編書きたいと思っている。じつは、この希望が叶えられるならば、あとは何もしなくてもいい、というくらいの大切なものである。それは私の仕事だと言ってもいいだろう。

 「まがね」56号の原稿締め切りは、4月末となっている。また、57号の原稿締め切りは12月末頃になるだろう。この「まがね」の投稿だけでも、2編の短編小説が求められる。したがって、2編の創作は必定のことである。新年を迎えたら、ただちにその準備にかからなければならない、というわけである。

 ふたつには、ブログの更新を毎日することであるが、しかしここで断言することはできない。小説にかかることになれば、時間と心の在りようの問題で、決して容易でないことは推察することができる。

 自身の想いをブログという方法でなくて、手書きの日記帳などに書きつけるのであれば、それは可能である。しかし、ブログはいくらかおおやけになるのだから、そこには自制もおのずと働くことになる。内容と言葉をそれなりに選らばなければならないから、いささか難しい。が、毎日更新するということをめざして、沖へ漕ぎ出してゆきたいと思う。

 みっつには、やはり健康である。これは、自身の努力だけでは越えられない側面があるので、幸運を祈らなければならない。私も例にもれず持病をふたつ、みっつ持っている。腰痛や便秘やひどい水虫などなどである。新年もそれらをかかえながら、日常生活を送ることになる。

 「あなた、健康にいいこと、何かしてますか?」という声が聞こえてくる。取り立ててこれといったことは何もしてないが、ただ、ウォーキングを30~40分しているのみだ。その他に何もする予定はないので、その問いに対してはいい回答はできない。だから、幸運を祈るのが精一杯のことである。

 最後に新年の時代と社会は、歴史の進歩に逆行する動きが強まってくることは確実である。とりわけ、集団的自衛権行使などの問題が浮上してくるだろうし、消費税が8%に増税されて、国民への収奪が強化されようとしている。これらのことは、田舎でひっそりと暮らしていても看過できないものである。

 そういう時代と社会の中にあって、それから眼をそらすことなく生きてゆきたい。そして、みっつの抱負が実るように、2014年をよりよく生きたいと願っている。何よりも社会を変革してゆく視座をゆるぎなくもって、日々を過ごしたいと思っている。



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夢日記 「私の三大ニュース」

2013(H25)年12月30日(月) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 補助金交付先企業の献金 復興予算 首相に還流 
 4閣僚にも 被災者ら「予算を返せ」

     タイトル 「私の三大ニュース」

 私にとって、この一年はどんな年だったのだろうか。そこで、よく新聞がやっている何大ニュースというのに倣って、少しく振り返ってみたい。つまり、回顧である。さまざまなことがあったが、とりあえず三つのできごとに絞ってそれをやってみたい。

 ひとつは、短編小説集を刊行する準備を終えたということである。年末までに上梓する予定であったが、トラブルがあって、それは叶わなかった。が、校了もしたので、新年早々には完成してくるだろう。あと、印刷と製本だけだから、そんなに時間は要しない筈である。

 この出版は、私の一里塚になるものであり、これを起点として、足を前へ踏み出す意味をもっている。決してこれが終着駅ではないし、新たな始まりにほかならない。資金が許すならば、第二、第三の出版を考えないわけではない。そのために、小説をはじめとして、随想なども旺盛に紡いでゆきたい、と願っている。

 ふたつには、ブログを開設したことである。これによって、私の表現の場が大きく広がったと思っている。今までは「まがね」や「民主文学」、それに新聞への投稿という発表の場があったけれど、ブログはその場を画期的に広げることができた。

 ブログを開設して毎日更新してきたが、それが今後可能かどうかは未知の領域であり、それを述べることは、いまはできない。が、一日も欠かすことなく更新できればこれ以上のシアワセはないし、できればそうしたいと望んでいる。しかし、私の本来の仕事は小説を創ることなので、それにかかるようになれば、いささか困難をともなうだろう。

 みっつには、健康で過ごせたことである。私の生き方の基本には「健康で文化的な生活」というのがあるので、その「健康」な生活を送ることができたことは幸運である。幸運であると同時に「神」に感謝しないわけにはいかない。

 「健康」なんて、「神」の世界に委ねられているから、無神論者の私でもその幸運を、何かに感謝したいと思っている。私の友人や先輩のなかに、健康を害している人が少なくない。だから、幸運を「神」に祈るとしても、健康にいいことは、精一杯尽くしてゆきたい。

 が、まだ第一線で働いている人は、過酷な長時間労働や、パワハラなどの労働環境が、健康を蝕んでいることがあるので、その改善は急務であるだろう。そういう労働者は、幸運を「神」に祈るなどと悠長なことは言っておれない。健康は勝ちとるという性格のものでもある。そして、年金生活者といえどもそれは決して例外ではない。

 このように、2013年を回顧すれば、「短編小説集の刊行、ブログの開設、健康」が、私の三大ニュースである。これをみれば、何ということはないけれど、それが庶民のささやかなシアワセということになる。もっと、視野を広げれば、日本共産党の都議選、参院選の躍進などは、私の中で大きな位置を占めており、今後の展望を大きく切り拓いたといえるだろう。



夢日記 「北のカナリアたち」

2013(H25)年12月29日(日) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 安倍首相、メディア対策躍起 〝批判封じ〟へあの手この手 
 来年度予算65億円 新聞・テレビ局幹部と次々会食

     タイトル「北のカナリアたち」

 この映画は、テーマやその創作方法、手法はまったく違うけれど、「二十四の瞳」を彷彿とさせる、小学校教師と生徒の交流を見事に描いた作品である。

 これだけ観客(私)の胸を打つ作品もめずらしい。まず、小学校教師役の女優がいい。それは、川島はるを演じた吉永小百合である。「二十四の瞳」では大石先生を演じたのは、高峰秀子だったけれど、この演技はともに実にすばらしい。

 「二十四の瞳」は、テレビや映画で繰り返しくりかえし撮られたが、いまだ木下恵介監督と高峰秀子を越える作品は生まれていない。高峰秀子の演技は秀逸であった。彼女が大石先生を演じなければ、この名作が生まれたかどうか疑わしい。

 「北のカナリアたち」もまた同じである。川島はるを演じた吉永小百合なくして、この映画が成立したかどうか疑問である。これもまた、「二十四の瞳」と同じである。70歳をまじかにした吉永小百合が、30歳代と思われる、小学校教師を演ずる姿に感動した。実に若々しくて、知性あふれる教師を見事に描き出している。

 「北のカナリアたち」もまた、「二十四の瞳」と同様、名作である。いまも私の耳のなかでは、吉永小百合の指導によって歌う生徒たちの「カリンカ カリンカ カリンカマヤ、カリンカ カリンカ カリンカマヤ」というロシア民謡が鳴り響いている。

 「北のカナリアたち」は「二十四の瞳」ではなく、「十二の瞳」であった。つまり、6人の男女生徒たちとの交流を描いている。北の島の女教師となった、川島はるは歌を通して生徒の成長ときずな、学園生活を豊かにしていった。が、ひとつの事件を契機にして、川島はるは島を離れることを余儀なくされた。

 それから20年、島の生徒だった信人が、殺人事件を起こしたということを、川島はるは耳にした。そして、はるは20年ぶりに島へ帰ることを決意する。帰島したはるは、かつての生徒たちと会い、夫がひとりの少女を助けようとして溺死したことの真相や、独唱することが決まっていた少女の声が出なくなったことの真実を知らされるのである。

 殺人犯として追われている信人も帰島して、昔の我が家に隠れていたが、ついに見つかってしまう。そして、逮捕にいたる。だが、かつての生徒たちは昔の教室に集まっていて、刑事の配慮で信人は彼ら彼女たちと会うことを許される。

 その教室で、川島はるとかつての生徒たちは信人を中心にしてまた歌うのだった。ここがクライマックスで、観客(私)は胸を熱くして、涙をこらえることができない。「カリンカ カリンカ カリンカマヤ、カリンカ カリンカ カリンカマヤ」のうたごえが鳴り響く。

 「北のカナリアたち」は、ミステリアスの手法で、生徒たちの中にあった確執を溶解させ、真実を追求して、彼ら彼女たちの友情をかたく結んでゆく。その過程を描き切った監督と、川島はるを演じた吉永小百合の、そして生徒たちの在りようが、この作品を名作に導いたと言えるだろう。



夢日記 「わたしには夢がある」

2013(H25)年12月28日(土) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 沖縄の総意踏みにじる 辺野古埋め立て 知事が承認 
 押しつけた安倍政権の責任重大

     タイトル 「わたしには夢がある」

 これは大門実紀史参院議員の「お薦めの絵本」である。「エリカ 奇跡のいのち」という絵本と一緒に図書館から借りてきて読んだ。これも寒さに震えながら読んだけれど、胸は熱く心に希望の灯がともるのを感じた。

 「わたしには夢がある」という絵本は、1963年8月28日に、「職と自由を求めるワシントン大行進」の際、キング牧師がリンカーン記念堂の石段から語りかけた演説をもとに、描かれている。

 演説では、このように語りかけられている。
 今から100年前、ひとりの偉大な、アメリカ人(リンカーン大統領)が奴隷解放宣言に署名しました。それは過酷な差別の炎に焼かれていた何百万人もの黒人奴隷にとって、大きな希望の光でした。

 しかしそれから100年後の今、黒人はまだ自由を得ていません。100年後の今でも黒人は、隔離という手かせや差別という鎖で自由を奪われています。100年後の今でも黒人は、アメリカ社会の片隅で苦しみ、自分の国なのに追放された者のように暮らしています。

 「あなたたちは、いつになったら満足するのですか?」とたずねる人がいます。黒人が言語を絶する警察の残虐行為の犠牲になっているかぎり、私たちはけっして満足しません。

 黒人が旅に疲れた重たい体をハイウェイ沿いのモーテルや都会のホテルで休めることが認められないかぎり、私たちはけっして満足しません。黒人の子どもが「白人専用」という標識によって個性をはぎ取られ、尊厳を奪われているかぎり、私たちはけっして満足しません。

 この状況はきっと変えることができるし、変わる日が来ることを信じて。絶望の谷間でさまようのはやめましょう。

 私には夢があります。この国が立ち上がり、「すべての人間が平等につくられたことは言うまでもない」とする国の信条をほんとうの意味で実現する日がいつか来る、という夢が。

 私には夢があります。ジョージアの赤い丘の上で、かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が兄弟として同じテーブルにつく日がいつか来る、という夢が。

 私には夢があります。
 私には夢があります。
 私には夢があります。
 私には夢があります。

 もしアメリカが偉大な国になろうとするなら、これを実現させなければなりません。ですから、ニューハンプシャー州の美しい丘の上から自由の鐘を鳴り響かせましょう。ありとあらゆる山から、自由の鐘を鳴り響かせるのです。

 黒人霊歌にはこうあります――
 「ついに自由だ! ついに自由だ! 全能の神に感謝しよう。私たちはついに自由になったのだ!」

 このキング牧師の、希望と勇気を高らかに謳いあげた演説を、絵本にしたのがこの「わたしには夢がある」というものである。この絵本は、読むものの心を高邁な精神にせずにはおかないものだ。読むものの心に自由の鐘を鳴り響かせるものになっている、すぐれた絵本である。



夢日記 「エリカ 奇跡のいのち」

2013(H25)年12月27日(金) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 戦後国際秩序に挑戦 安倍首相が靖国参拝 
 米政府が「失望」異例の声明 

     タイトル 「エリカ 奇跡のいのち」

 これは一冊の絵本の題名である。大門実紀史参院議員のお薦めの絵本だ。彼の国会質問はテレビやムービーでほとんど欠かさず視聴しているが、ユニークな雰囲気をもった議員である。そして、政府から有力な答弁を引き出すといった、そんな特徴を持っている。

 この絵本は、重い題材を描いているが希望に満ちた話である。読後感は、心にずしりと残る重さと、射してくる光に包まれる希望がある。その希望が決して軽くはなく、重く暗い背景が横たわっているから、余韻として心にいつまでも残る。

 私がこの絵本を読もう! と心に決めたのは、日曜日の午後5時30分だった。図書館は6時に閉館する。電話をかけこの絵本の有無を訊き、在庫があるということなので電話予約をして、車を飛ばして図書館に行った。着いたのは、閉館10分前だった。図書館員はこの絵本を用意して待っていてくれた。

 夕食を摂って私は、電気ゴタツに入ってすぐに読んだ。寒い日で私は震えながらこの絵本を読んだ。しかし、心は熱くなってゆき、この絵本を閉じたあとも、私はしばらくその世界に想いを馳せて、余韻にしたっていた。

 物語は1944年のことだ。その背景には第二次世界大戦でじつに600万人ものユダヤ人が殺されているという事実がある。銃殺されるか、飢え死にさせられるか、コンクリートの部屋に閉じ込められて、焼き殺されるか毒ガスで殺されるか、したのだ。

 エリカ(この名前は育ててくれた人がつけてくれたものである)は、生まれて2~3カ月の赤ちゃんだった。エリカは両親とともに、強制収用所に送られるために、牛をはこぶ貨車にぎゅうぎゅうづめに押し込められていた。

 母親は、エリカの顔中になんどもキスをして、「愛してるわ」と言って、涙を流し神さまにお祈りしたにちがいない。

 列車がある村を通る時、スピードを落としたので、両親は「いまだ」と思って、天井近くにある小さな窓を見上げた。窓にはとげのある針金が張られていた。それを押しひろげ、毛布にくるんだエリカをその窓から、ほうりなげた。

 絵本には、ピンクの毛布にくるまれたエリカが、空を飛び、そして、線路脇の草むらのうえに横たわっている絵が鮮やかに描かれている。モノトーンの色彩のなかで、ピンクの毛布は鮮やかである。

 そして、近くにいた人がエリカをひろいあげ、家につれていってくれて、育ててくれたのだった。エリカは大切に育てられて、結婚もし3人の子どもにも恵まれたのである。

 エリカはこう語っています。
 お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。

 いまも私は、この絵本の物語を静かに受けとめ、そして重く、そして希望にみちた話に、心を打たれている。



夢日記 「はじまりのみち」

2013(H25)年12月26日(木) 曇り時々雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 知事は不承認を 沖縄緊迫 あす可否判断 
 辺野古埋め立てるな 県庁包む1500人

     タイトル 「はじまりのみち」

 映画「はじまりのみち」は、木下恵介監督の生き方と母子の情愛を描いたものである。作品の意図や批評では母子の愛のほうに重きをおいているようだが、私の興味は、木下恵介の生き方のほうにあった。

 1944年に公開された彼の作品「陸軍」は、戦時下に陸軍省の依頼で製作されたものである。その最後の場面は、息子が出征するのを、母を演ずる田中絹代が懸命に追ってゆく姿が印象的に描かれている。

 ラストシーンの10分間である。この場面は、今観ても臨場感あふれるもので、これこそ母子の情愛を描いたものとして、心に刻まれるものである。群集が日の丸の旗を打ち振って出征兵士を見送る中、母、田中絹代は息子を捜して、行進する兵士のあとを追ってゆく。

 田中絹代は転びながら、群集をかき分け、息子を捜して駆けてゆく。この名場面を陸軍省情報局は「女々しい」として、木下恵介は目をつけられるのである。彼は情報局から「にらまれ」終戦まで仕事ができなくなった。そして、彼は松竹に辞表を提出して浜松に帰るのである。

 浜松には脳溢血で病床に就いていた母がいた。米軍の空襲などがあり、浜松では安心して療養できないからと、60キロも離れた山間の村に母を疎開させることにする。「はじまりのみち」は、それを描いた物語である。

 バスで疎開させると、母は耐えられないと判断した恵介は、60キロの道のりを、リヤカーを引いてゆくことにする。兄とふたり、そして便利屋の3人でデコボコの道をゆくのだった。便利屋は家財道具を引き、兄と恵介が母のリヤカーを引いてゆく。

 その途中、峠の坂道があり、大雨も降って疎開は難渋する。しかし、恵介はその苦難をおして、毅然たる態度で山間の村まで母を連れてゆくのだった。ここに母子の情愛がはっきりと映し出されている。

 母は言語障害が残っていて、恵介に手紙を書く。「お前の居場所はここではない。お前の仕事は映画監督ではないか。はやく自分の居場所へつくように……」というような内容の手紙である。

 木下恵介の映画「陸軍」のラストシーン、そして、病床に就いている母への情愛が、その後の木下恵介を方向づけているように思う。だから「はじまりのみち」というタイトルになっているのだろう。終戦後に残した、数々の名作はここを原点にしているように思う。その原点を浮き彫りにしたのが、映画「はじまりのみち」である。



夢日記 「奇跡のリンゴ」

2013(H25)年12月25日(水) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 安倍暴走予算 生活を破壊 2014年度政府案 
 消費税増税、大企業に減税 軍事費2.8%増 社会保障切り捨て

     タイトル 「奇跡のリンゴ」

 映画「奇跡のリンゴ」は、涙を誘う感動的な物語である。これは津軽のリンゴ農家、木村秋則さんの実話を映画化したものだ。

 秋則は子どもの頃、おもちゃで遊ぶといえば、好奇心でそれを解体してしまうという性癖があった。また、中学・高校へと進むと、バイク、エレキギターなどを解体して改造するという、研究熱心なところが見受けられた。

 そんな秋則は津軽のリンゴ農家の、ひとり娘のところに婿入りすることになる。そして、その結婚生活の中で、妻の美栄子がリンゴの農薬によって身体が蝕まれていることに直面する。美栄子は吐き気をもようしたり、身体に斑点が出たりするのだった。そこで、秋則はリンゴの無農薬栽培を思いつくのである。

 リンゴ栽培に農薬散布は欠かせないものと信じられていた。だから、年10数回も農薬を散布しなければ、害虫にやられたり、花が咲かなかったり、木が枯れたりするのである。が、秋則はその常識に挑戦するのだった。

 虫よけのために、ワサビを塗ったり、酢や石鹸などを散布したり、考えられるだけの、無数の方法を試みる。そして、効果のあるものを絞り込んでゆく。が、2年経ち3年経っても、その効果はなく害虫に蝕まれてゆくし、リンゴの木が花をつけることもなく、木を枯らしてしまう。

 7年経ち、8年経っても同じことだった。そうすると、木村家の財産は底をつき、義父の貯金も一銭もなくなってしまう。土地家屋は抵当にはいっているし、税金が払えなくなって、リンゴ畑まで差し押さえられる。電気は止められ、車や農機具まで借金のカタに持っていかれる。

 子どもたちは学校でいじめられ、村人たちも近寄らなくなり、村八分のようになる。貧窮の底で、秋則は出稼ぎに出たり、ウェイターをしたりして家族の生活を支える。が、秋則はリンゴ栽培や生活の在りように絶望し、自殺しようと山に入る。

 そして、山に入って首を吊る木を探しているうちに、一本の木に出合う。野性の山の中にあっても、その木は生き生きとして葉を繁らせ、実をつけているではないか。そこで秋則は眼を開かされる。自然の土、雑草がその木をたくましく育てていることに気づくのである。

 秋則はリンゴの木の下の草刈をしていたことが、木への栄養素を奪っていたことに気づく。秋則は木にとってもっとも悪いことをしていたのだ。そのことに、10年経ってようやく気づくのである。

 そして、ついにリンゴの木は花をつける。その畑が映し出されると、私は秋則や美栄子とともに、感動に包まれた。さらに、リンゴの木は実をつける。その実がじつに甘くてうまい。秋則の10年余の苦闘の無農薬栽培が成功するのである。

 秋則の家に電気が甦る場面や、義父が死の床でリンゴを握って離さない場面は、観客(私)の胸を打たずにはおかない。「奇跡のリンゴ」は涙なくして観ることのできない、感動・感銘を呼び起こす作品である。



夢日記 「白線流し 二十五歳」

2013(H25)年12月24日(火) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 安倍内閣 1年 危険ともろさ 
 国民の視線 険しさ増す

     タイトル 「白線流し 二十五歳」

 これは「白線流し」のスペシャル版で、高校を卒業して7年を経た25歳の青春を描いたものである。「白線流し 二十五歳」はテレビドラマで、この放映は2003年、いまから10年前のものだ。

 私はこの「白線流し 二十五歳」かどうかは忘れたが、ずっと前に観たにも関わらず、印象に強く残っていて、このスペシャル版もその印象を裏切ることはなかった。やはり、演出とその視座がゆらぐことなく、青春を真っ当に見据えているからであろう。

 青年たちが7人ほど登場しているが、印象に残っているのは、松本の高校の女性臨時教師と男性弁護士、脚本家を目指している女性、スリランカから帰国した男性海外協力隊員である。そして、高校生の高坂という問題を抱えている生徒だ。

 臨時教師はその臨時ということの悲哀を味わいながら、高坂という生徒の再生を願いながら、彼に関わってゆく。が、臨時教師がそこまで関わらなくてもいいというような忠告も受ける。それに傷つきながらも、彼女はその生徒を放っておくことができない。

 弁護士は、依頼人にたとえ非があったとしても、真実を隠して、弁護するということへの矛盾に悩む。先輩弁護士から「青臭いことを言うな」というようなことをいわれる。脚本家をめざす女性はいま、工事現場の警備員をして懸命に生きている。

 海外協力隊員は臨時教師の初恋の人である。しかし、その隊員はスリランカで一緒だった女性と結ばれ、教師は初恋に破れ、彼女は自分のもとを去ってゆく彼を見送るのだった。「初恋の人とは結ばれない」と言いながら彼女は失恋の涙を流す。

 この物語はこれといったプロットはないけれど、あるとすれば、高校生の高坂という生徒の再生に、臨時教師、弁護士、ホームレスの男性が関わる。自主退学をすると言っていた生徒が、再生し京都大学の受験をめざすことになり、笑顔を取り戻すとストーリーである。

 この「白線流し 二十五歳」は、それぞれの25歳を懸命に生き、社会の矛盾とも突き当たりながら、新しい生き方を探っている、極めて上質な青春物語である。彼らの生き方の清新さ、真摯さ、探求心が、観るものの心を捉えてはなさない、優れたドラマとなっている。



夢日記 「ホームシアター」

2013(H25)年12月23日(月) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 再稼動やめて 1万5000人 
 原発ゼロ 国会をぐるり

     タイトル 「ホームシアター」

 年末年始は、「ホームシアター」で過ごすことになりそうである。私は年末に大掃除もしないし、年始に神社・仏閣を参詣するということもほとんどない。神社に参るとしても、孫たちをともなって、村の神社へ足を運ぶくらいである。

 それでは、読書をしたらいいようなものだけれど、これはいささか辛気臭くて、その気になれない。年末年始はゆったりと過ごしたいものだ。やはり、この刻には、人生についてとか、一年の抱負などを心に刻みたいと思っている。

 年始には、子どもや孫たちがやってくるだろうから、その「もてなし」を少しする程度で、あとこれといった予定はない。そこで思いついたのが、ホームシアターである。もう私の年末年始は始まっていて、ビデオレンタル店に行って、すでにDVDを借りて観ている。

 このたび借りてきたのは、テレビドラマだった「白線流し」と田中邦衛の「北の国から」、そして映画の「奇跡のリンゴ」と木下恵介を描いた「はじまりのみち」である。あと、吉永小百合の「北のカナリアたち」と三浦綾子の「氷点」だ。

 「北の国から」は全12巻あるので、それを全部観るつもりである。そして「おしん」の少女編だ。「おしん」は映画ではなく、テレビドラマの方である。映画は失敗作だと思っているが、テレビの「おしん」は秀逸である。ただ、私が観るのは小林綾子の少女編のみである。その後の「おしん」は好みに合わない。

 年末年始で30本くらいのDVDを観るつもりでいる。ただ、ビデオレンタル店で私の気に入ったDVDがもう底をつきつつある。「おもいで映画館」と称する名画はほとんど観てしまったし、洋画の名作を置いてないので、あと限りがあって心許ない。

 この年末年始は「ホームシアター」で過ごしながら、人生やこの一年の抱負について、心をめぐらしたいと思っている。このほかに、あまり期待できないが、いいテレビ放映があれば、それを観ることになると思う。

 いずれにしても、年末年始をゆったりとした心持で過ごし、2014年を新たな気持で迎えたいと思っている。――旅じゃありませんか、誰だって人間の生涯は――島崎藤村



夢日記 「秘密保護法と暖房」

2013(H25)年12月22日(日) 晴れ時々曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 12年度日米共同演習 のべ854日 過去最多 
 新「防衛大綱」先取り 日米の軍事一体化進む

     タイトル 「秘密保護法と暖房」

 「暖房なしで冬を越す」というのは、ブログでそう語っている先日紹介した作家で高校の英語教師、渥美二郎である。別に彼は、暖かい沖縄とか奄美に棲んでいるわけではなく、冬はそれなりに寒いであろう静岡で暮らしている。

 それは私の想像をはるかに超えた世界である。私はその逆で、暖房なしではとても生きてゆけない体質である。だから、戦前の治安維持法などによって、逮捕・勾留・刑務所などに送られたら、いっぺんに風邪を引き、肺炎になり、結核となってしまい、命を落とすに違いない。

 秘密保護法は、それに違反すると最高10年の刑というのだから、私はとても10年という歳月を刑務所で暮らすことなどできそうもない。転向しないで頑張ったとしても、そのひと冬をとても生きてゆけそうにない。それほど私は寒がりなのである。

 戦前、宮澤弘幸氏は軍機保護法違反で1941年逮捕されて、網走刑務所に服役することになる。その違反というのが、彼が根室を旅行した時の話として、友人に根室沖に海軍飛行場があることを語っただけだった。その飛行場は、当時、日本中に広く知れ渡っていたのに、逮捕されて懲役15年を言い渡されたのである。

 極寒の網走刑務所に収監された彼は、栄養失調と結核に罹り、1945年10月に政治犯の釈放がなされたが、1947年結核が悪化して死亡したのである。戦前の軍機保護法と秘密保護法は酷似している。彼は網走の寒さに耐えられず、結核に罹ったのである。寒がりの私などは、ひとたまりもないだろう。このように秘密保護法はきわめて危険な法律である。

 渥美二郎はあるいは秘密保護法違反して、服役しても耐えられるかも知れない。12月13日の彼のブログによると、一切の暖房器具を使っていないというのである。つまり、電気ゴタツ、エアコン、石油ストーブ、電気カーペット、電気毛布などなど一切使ってはいないのだ。

 しかし、彼の格好がなんともほほえましい。室内でニット帽、マフラー、指先を切った手袋、ダウンジャケット、毛布スカート、いまではレッグウォーマーまで着用しているようである。それは尊敬に値するように思うけれど、一見滑稽でもある。それが彼のポリシーであるのだから、人がとやかくいうものではないだろう。しかし、刑務所では上記に挙げたような防寒着は許されないだろう。

 が、決して風邪など引かないように、ご自愛下さいという言葉しかない。大学受験の娘さんもいることだし、彼女も暖房なしで頑張っているようだけれど、ムリをしないで! と言いたい。

 ちなみに、私のような暖房暮らしの典型的な人間であっても、ここ6、7年一度も風邪を引いたことがない、という例もあるので、ほどほどに頑張って欲しいと願っている。グッドラック!



夢日記 「島根に明るい灯」

2013(H25)年12月21日(土) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 沖縄緊迫 「不承認を」の声 急速 
 辺野古埋め立て判断25日にも 日米総がかりの圧力に反撃

     タイトル 「島根に明るい灯」

 島根県の方が、日本民主主義文学会の、準会員として加入したという朗報が届いた。Mさん、男性55歳である。民主文学会にとっては比較的若い世代ということになる。とりわけ島根県だということに大きな意味がある。

 中国地区文学研究集会を開催しても、島根県からは永い間、参加するということがなかった。私もかなり永く民主文学会に加入しているが、たしか一度だけ島根の方に会った記憶があるのみである。

 中国地区文学研究集会といっても、内実は中国4県による集会であった。実はもう島根県はあきらめていたのである。来年もその次もまったく視野に入っていなかった。だから、島根県の方の入会は切望されてはいたが、ほとんど期待されていなかった。

 そして、このたびの朗報である。私は思わず声を挙げて喜んだ。私は民主文学会の中国地区担当の組織部員ということもあって、Mさんの連絡先を聞いてすぐに動いた。まず、「まがね」55号を送付して、その中の推薦作も伝えて読んでくれるようにお願いした。そして、彼の携帯電話にかけていくらか話すことができた。

 彼は中国地区文学研究集会が開かれれば、出席するという意向を表明してくれた。なかなか積極的な方である。しばらくは岡山支部と交流をしてゆけたらと思っている。「まがね」に作品を投稿してくれれば、掲載するということも考えている。また、毎回というふうにはいかないが、年に1、2回例会にも参加してほしいと願っている。

 永い間切望していた会員であり、島根県に明るい灯が点ったような気がする。実は岡山支部の笹本敦史が島根県の出身であり、彼の実家に近いところにMさんは住んでいるということもわかった。

 笹本敦史は事情があって、月1回くらい帰省しているらしいので、機会をみつけてMさんと会えないかという方途も探っている。岡山支部といい関係が築けることを祈っている。Mさんを拠りどころにして、将来的には島根県に支部をという希望を抱いている。



夢日記 「ウォーキング」

2013(H25)年12月20日(金) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 裏献金疑惑 猪瀬氏辞任 来年2月 都知事選へ 
 徳洲会5000万円 真相語らず

     タイトル 「ウォーキング」

 私のウォーキングも冬ごもりである。11月まではわが町の三つ山公園の周辺を約3キロ散歩していたが、冬になってそれはやめることにした。

 北風の中、身体を縮めて歩くことは私にはできない。が、元気な人は冬でもまだ明け切らぬ早朝に歩いている人もいる。寒がりの私にはとてもそんな真似はできない。冬になったら冬ごもりに限る。

 だが、まったくウォーキングから遠ざかったわけではない。室内でウォーキング・マシンを利用して30分間歩いている。室内でのウォーキングの難点は風景が変わらないことである。だから、30分がずいぶん長く感じる。まだかまだか、という思いで歩くようになる。

 そこで、考えたのがパソコンでYouTubeを視聴しながら歩くことである。こうすることによって、ウォーキングがずいぶん愉しくなった。友人がウォーキング・マシンなんて、3日坊主で投げ出すに決まっている、といっていたが、しかし私の場合は5年もつづいている。

 その友人は、ウォーキング・マシンや健康ぶらさがり器、サイクル・マシンなどが、一部屋を占領し、ほこりを被っているということだ。それで、私にも「三日坊主になる」という懸念を投げかけたのだろう。

 私のYouTubeの視聴は、森田童子、高橋真梨子、山崎ハコ、中島みゆき、加藤登紀子などである。彼女らの楽曲を視聴しながら、ウォーキングをしている。室内では風景は変わらないが、音楽を聴きながら歩くのは愉しいものだ。

 そして、もうひとつ私が視聴しながら歩くのは、日本共産党のムービーである。党創立91周年記念講演や26回大会の決議案の報告、あるいは「とことん共産党」などを視聴しながら、歩くのである。こうすると、決してウォーキングを飽きるということはない。愉しいひとときとなるのである。

 が、何といってもウォーキングは、やはり室外に勝るものはない。何よりも、青い海、青い空、青い山々を眺めながら歩くのがいい。わが町はそれらの景色に恵まれているので、精神が解放されて心が豊かになる。

 桜がさくような季節になったら、また私はマシンのスイッチを切って、青い海、青い空、青い山々の風景の中に踏み出してゆくことになるだろう。その風景を眺めながら歩いていると、ウグイスやヒバリ、スズメなどの啼き声が聴けるのも愉しい。その季節が待たれる日々である。



夢日記 「『母の潮汲み』への批評」

2013(H25)年12月19日(木) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 復興予算 自民に還流 2億円献金違法の疑い 
 12年 トヨタ・キャノン…補助金交付先から

     タイトル 「『母の潮汲み』への批評」

 「まがね」55号の発行は12月1日であった。それが読者にひと通りわたり、批評が私の手元にも届くようになった。私は「母の潮汲み」という67枚の小説を発表し、巻頭小説として収載して貰っている。そこで批評の一部の紹介と自身の思いを記してみたい。

 評論家の小林昭は、次のような批評を寄せてくれた。「鬼藤千春『母の潮汲み』は、力のこもった作品でした。母の不在と捜索、父の戦没と追悼の旅、周平の少年時の修学旅行や進学のこと、母の遺体の引揚げと火葬のこと、それぞれに心を打つものがありました」

 「ただ、そのどれもが等しく力を込めて書かれているので、それらはたがいに深く関わり合い、たがいに響き合うものであるのに、かえってそれぞれが独立した強い主題として並置されているような印象をもたらすことになったかもしれません」

 小林昭の批評は、うなずけるものであり、統一ではなく並置になっていはしないか、という指摘である。小説というのは、主題に向かって、さまざまのことが統一され収斂・収束していくように書かれなければならないのに、そこが問題ではないか、という鋭い批評となっている。

 新発田文学会会報によると、「『母の潮汲み』胸に迫るものがあり、良い作品だと思いました」という短評が寄せられている。また、呉支部の中下さんからは、電話で「非常にいい作品で、涙が出てきました」という言葉で、身に余る評価をして戴いた。

 また、私の友人のT倉敷市議会議員は自身のブログに、次のように綴ってくれた。「いつものように、彼の小説を読むと、風景が見えて、まるで映画をみているような気がします。重いテーマでしたが、展開を楽しく読みました」

 「一緒に活動した青春時代、あれから鬼藤さん、遠くへ行ったものです。感心しています。次の作品が楽しみです」と、いささか恐縮してしまいそうな言葉を戴いています。議員活動で忙しい中、比較的長い作品を読んで下さったことに、感謝の言葉もありません。

 この作品は、私も力を込めて書いたつもりである。それぞれ届いた批評を読むと、書いて良かったという思いと、これから私は新しいテーマに向かって、新たな地平をめざして足を踏み出してゆくことが求められているように思う。

 まがね文学会での合評会はまだで、新年の1月に予定されている。そのなかで、一人ひとり違った受けとめ方や批評がなされるに違いない。その中で、私の新たな歩みの糧となるような批評がなされることを望んでやまない。それが待たれる1月例会である。



夢日記 「人はパンのみにて生くる者に非ず」

2013(H25)年12月18日(水) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 「戦争する国」へ大転換 安保戦略など閣議決定 
 海兵隊能力を新設 敵基地攻撃能力に道

     タイトル 「人はパンのみにて生くる者に非ず」

 「鬼藤千春短編小説集」の最終校正を終えた。あとは印刷所が訂正してきたのを、最終チェックして校了である。それでいよいよ印刷の運びとなる。が、年内に完成するかどうか微妙のところだ。別に私は急がないので、年が明けてからでも一向に構わない。

 が、かなりの経費をかけてなぜ自費出版をするのだろうか。それだけあれば、ヨーロッパ旅行だって3、4回はゆうにいけるだろう。あるいは、フランス料理のフルコースだって、数十回はゆうに通えるだろう。日々の暮らしでは、1円でも安い店舗を探して眼の色を変えるというのに、なぜ自分の本を上梓することにこだわるのだろうか。

 それは、そもそも小説をなぜ書くのか、というところからひもといてゆかなければならないだろう。そもそも、小説を書いて、「世のため、人にためになるのか」ということへの疑問が横たわっている。が、その疑問に答えることは容易ではない。きわめて難しい問題である、といわなければならないだろう。

 右遠俊郎の妻はこのように語ったと伝えられている。――「小説家よりも教師のほうが世の中の役に立つ」――民主主義文学作家のなかでも、きわめて優れた資質と才能と実績をもつ右遠俊郎の妻にしてこうである。この言葉は、真理を言い当てているように思うし、ちょっと違うな、という思いも抱かざるを得ない。

 が、ひとつの角度からみれば、それは当たっているし、真理でもある。だが、その言葉は右遠俊郎の資質と才能と実績を、妻が認めているという証左でもあるに違いない。ヘタな素人作家には、決してこのような言葉を吐かなかっただろう。

 だから、その言葉は私たち素人作家には、痛く胸がうずくのである。「ヘタな小説を書くよりは、秘密保護法のチラシを一枚でも撒いたほうが世の中の役に立つ」ということもいえるのだ。が、そうとばかり言えないのも、またひとつの真理なのである。「ヘタな素人作家には、ヘタな素人作家なりの役割を持っている」から、これまた不思議なものである。

 報道写真家の石川文洋は、「先に亡くなった私と同年の友人は、『お金にならないことを一生懸命やるのは最大の贅沢』といっていました。私もそう思っています」――石川文洋と私たちを一緒にすることは、そもそも間違いだけれど、が、「素人作家が小説を書くということは、その最大の贅沢」をしていることになるように思う。

 先に挙げたように、自費出版すれば、かなりの経費がかかる。ヨーロッパ旅行もできるし、フランス料理店にも足しげく通える。しかし、自費出版する人間はそれ以上の贅沢を、その営為のなかに見い出しているのである。それが、人間の不思議さというものであろう。

 秘密保護法のチラシもまくし、ヘタな小説も書く、そういう方向で生きていったらいいと思うし、自費出版は「お墓」をつくるようなものでもある。自費出版しても、これが「世のため人のため」になるとも思えない。お墓の建立も同じようなことが言える。お墓は一面から見れば虚栄の象徴でもあるのだ。

 自費出版もお墓づくりも、その人の心の在りようを形にして残すということである。お墓づくりもそうだが、自費出版のそこに虚栄がないとは決していえない。それもまた人間の在りようだ。「人はパンのみにて生くる者に非ず」である。人間の「最大の贅沢」をしてみたい、ということの証でもあるだろう。それが人間だ!

 ちなみに、私が所属する日本民主主義文学会は、「文学の創造を通じて、文学と芸術の民主的発展に寄与することをめざして」いる。私はこの言葉をよりどころにして書いているし、文学運動に携わっている。その事業の発展に、わずかでも貢献することが私の仕事である。



夢日記 「回顧と展望」

2013(H25)年12月17日(火) 曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 沖縄新基地押し付けノー 名護市長選 
 稲嶺勝利で示そう 市田書記局長迎え集い

     タイトル 「回顧と展望」

 何かもっともらしくて、大袈裟なタイトルであるが、何のことはない、まがね文学会の忘年会である。その会が倉敷市で開催された。いつもの例会で顔を合わす人より2名多い出席があった。

 それはケアハウスに入居している三宅陽介さん、そして久戸瀬吉子さんのふたりであった。三宅さんとは久しぶりに顔を合わすことができた。久戸瀬さんは最近顔を見るようになったが、それまではしばらく遠ざかっていた。この2名の出席が忘年会を盛り上げることになった。

 まがね文学会にとって、本年は実り多い年であったように思う。まず、3月に「まがね」54号の発行、12月に「まがね」55号の発行をすることができた。そして、笹本敦史が「民主文学」の新人賞の受賞と県文学選奨のB部門で佳作を受賞した。また、鬼藤千春が「短編小説集」を上梓する予定である。

 このように成果の多い年もめずらしく、回顧というのであれば、それらがまず挙げられることになると思う。そして、「まがね」55号に新人の中山芳樹さんの登場も、特筆されるべきことである。

 忘年会への出席は9名であったが、全員が「今年を振り返ってと、来年の抱負」をそれぞれ述べ合った。その中では、「読むことと、書くこと」への希望と決意が語られた。とくに、「まがね」56号の原稿締め切りが4月末なので、それに向けて小説や随想、詩を書いてゆくことが、こもごも発言された。

 その中で、新しい書き手を増やすという努力を一層強めてゆくことも確認された。いま私たちの会に求められているのは、女性の書き手と若い世代の書き手である。それらの書き手が仲間に加わることによって、まがね文学会は活性化し、より一層豊かな果実を手に入れることができることだろう。

 まがね文学会は、若い世代との継承が比較的うまくいった方である。他支部ではどこでも、会員の高齢化が悩みの種になっているが、岡山支部は世代交代がスムーズになされたと言ってもいい。経験者と若い世代が融合して、それを力に新しい地平へ踏み出してゆきたいと願っている。



夢日記 「私の三大ブログ」

2013(H25)年12月16日(月) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 原発とは共存できない 再稼動止めよう 
 川内に1800人 福島県内全て廃炉を 「会」結成

   タイトル 「私の三大ブログ」

 私の好きなブログは三つある。ひとつは浜野博、ふたつは田儀公夫、みっつ目は渥美二郎である。なぜ好きなのかというと、この3人は毎日欠かさずブログを更新しているということだ。そして、これが重要なのだが、それぞれ特徴をもっているということである。

 私はこの3人のブログを毎日欠かさず訪問する。そのブログで、ふと自身の生き方や日常生活をふりかえさせられることがあり、とても愉しみにしている。私が生きてゆくうえで、ちょっとしたスパイスになっている。

 浜野博は、高校3年の秋学校で首の骨を折り、車椅子生活で、福祉施設で暮らしている。福祉の後退で、彼の施設暮らしは痛ましいものがある。福祉施設が、効率化、管理化をすすめているなかで、人間性を奪われそうになることに対して、それに抗い日々切実な声を挙げている。

 その声を綴っているのが、彼のブログである。彼のブログは一見「愚痴っぽく」みえて、もっと施設の職員とうまくやれないものか、と思うことがある。いくらか閉口することもなくはないが、しかしそれは彼の精一杯の「要望であり希望」である。

 言葉をかえていえば、「人間としての誇り、尊厳」を守るための、浜野博の声なのである。私は彼のことを「逆流の魚、激流の魚」と勝手によんでいる。彼はブログで懸命に人間としての声を挙げつづけている。

 田儀公夫は、私とともに20代に青年運動をした友人である。そして、いま彼は倉敷市会議員をしている。たしか20代で船穂町会議員になって、今日まで40年前後議員生活を送っている。

 彼のブログの特徴は、まず花木をはじめとした写真が、実に綺麗に貼り付けられていることである。彼は花木博士とよんでもいいくらい、花木のことをよく知っている。そして、彼のブログは簡潔に文章が綴られており読みやすく、短文でありながら要領よくまとめられている。

 家に閉じこもりがちな私は、彼のブログの花木の写真によって、季節を知らされることも少なくない。そして、彼に導かれながら、少しずつ花木の名前を覚えていっている私である。

 渥美二郎というのは、演歌歌手ではなく作家で、高校の英語教師でもある。彼のブログは面白い。彼はシングルファーザーで、ブログのなかに娘を登場させて、話をまとめている。まとめているというか、オチをつけて、一件落着としている。それがとてもユーモアに満ちている。

 彼は哲学者である。「ものの見方・考え方」にオリジナリティーがあって、「ハッとする」ことがよくある。その「哲学」に触れるのは誠に愉しいものである。このように、彼のブログには「哲学」と、そして「ユーモア」がある。

 私はこの3人のブログによって、ちょっとした日常生活と生き方のヒントを得、私の生活を愉しくさせている。いいブログに出会うと人生愉しくなる。これからも、彼らのブログとともに生きてゆきたいと思う。



夢日記 「浜野博さんとサブロー」

2013(H25)年12月15日(日) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法撤廃へ国民と共に 党国会議員団座談会
 「廃止だ」の運動 成立翌日から力強く

     タイトル 「浜野博さんとサブロー」

 浜野さんは、高校3年の秋に学校で首の骨を折り、爾来、下半身麻痺で車椅子生活を余儀なくされている。もっとも、福祉施設にいる彼は、車椅子に乗ることも週3回に制限されている。彼はもっと乗りたいという希望をもっているのだが、それがなかなか叶わない。

 彼のブログは毎日訪問しているが、福祉の後退が著しい。車椅子に乗る制限もおそらくそれによるものだろうと思われる。人員がずいぶん減らされているのだ。30年前はもっとゆったりとした施設暮らしができていたように思う。私も彼と東京での民主文学会の大会に一緒に行ったり、まがね文学会の例会の送迎をしたりしていたことがあるが、本人も職員も今ほどギスギスしていなかったように思う。

 ところが今は、施設利用者に対する管理がきびしくなっているように思う。福祉施設なら一人ひとりの残された機能が、100%あるいは120%発揮できるように務める必要がある筈だ。が、今はそうはなっていないように思えて仕方がない。

 そこで、彼は「ひとりの人間としての、誇りと尊厳を守ろう」と必死に格闘している。その姿は痛ましい限りである。彼としては、その希望と要求は切実で、施設側との軋轢を生んでいるように思う。本来あるべき福祉は、施設利用者の人権を尊び、一人ひとりの人間性を開花させなければならないだろう。

 だから、彼のブログを読むと切実で、胸が締め付けられることがよくある。が、その救いをサブローがになっている。彼とサブローの交流はとても温かく、読み手の心を豊かにする。彼のブログでもっとも光っているのは、サブローとの交流である。

 彼はこのように書いている。――サブローに会いに行くと、目がぱっちり開いており、「はい」の返事が驚くほどでかい。ぬいぐるみのキキを抱いて「これ誰れの? もろうて帰ろ」と言うと、大声で「ぼ!(ぼくの)」と言った。元気だった頃の、定番のようなやり取りで、彼が発していた言葉だ。指だけが動く右手で、大事なキキを抱える日が来て欲しい。

 ――サブローと3分ほど。今日は私の顔を見て、「とうとう」と言った。「にいにいじゃろう」とやり返す気はない。通り掛かった寮母が来て、「にいにいじゃろう」と言ったが、彼は「とうとう」としか言わない。そんなことが、すべて楽しい。

 この、浜野さんとサブローの交流は、じつに微笑ましくて、人間と人間の連帯・強いつながりを感ずることができる。福祉が後退するなかでの、このような光景は、荒涼とした砂漠にオアシスを見つけるようなものである。

 彼はサブローとつながりつつ、後退する福祉施設の内で、懸命に声を挙げている。ひとりの人間としての、誇り、尊厳を内に秘めて、逆流に逆らいながら生きている。――まさに「激流の魚」である。



夢日記 「追悼・久保美津子さん」

2013(H25)年12月14日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 大震災・原発事故から2年9カ月 生活再建早く 
 被災者命の叫び 国会総行動 東北3県中心に500人

     タイトル 「追悼・久保美津子さん」

 久保美津子さんは、日本民主主義文学会呉支部の会員で、12月9日に永眠された。85歳だった。10月5日、6日に岡山市で開かれた「中国地区文学研究集会」に出席するという連絡も入って、ツインの部屋も確保していた。が、直前になって、入院となってしまいお会いすることはできなかった。

 とても残念でならない。彼女とは10年以上の付き合いであった。1年に1回であったが、「文学研究集会」でお会いして、文学談義やうたごえについて語り合ってきたのである。

 彼女は被爆者で、文学作品はほとんど原爆をテーマにして書いてきた。呉支部は2カ月に1回というハイペースで、「文学通信」という文芸誌を発行してきているが、彼女はほとんど欠かすことなく創作を書いてきた。創作といっても、彼女の場合は苛烈な原爆体験にもとづいて書かれていて、ずいぶん切実な問題を提起してきた。

 呉支部は、故小栗、伊藤、中西、久保の4人組が欠かさず「文学研究集会」に出席して、会を盛り上げてくれた。久保、中西のふたりは歌がとてもうまく、二次会ではその美声を聞かせてくれたのだった。文学とうたごえで、中国地区の文学運動を支えてくれたのである。

 また、忘れてはならないのは、彼女が新日本婦人の会の広島県本部の元会長であるということである。彼女は文学もさることながら、広島県における婦人運動の中心的な存在であった。85歳になっても、文学と婦人運動への情熱は変わることはなかった。

 私たちは、彼女の真摯な姿とその明るさに常に励まされてきた。文学の合評会で辛辣な批評がなされても、明るい笑顔をくずすことはなかった。もう、あの彼女の明るい笑顔にお会いすることはできない。しかし、彼女の残したものは決して小さくはない。

 呉支部には、いま若い世代の人たちが次々と入会し、文学運動が生き生きと展開されている。彼女の蒔いた種が、いま芽吹いてきているのである。久保さんの志を私たちが受け継いで、運動の発展をめざしてゆきたいと思っている。月並みではあるが、どうか安らかにお眠り下さい。



夢日記 「やってきた年金の減額」

2013(H25)年12月13日(金) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 消費税10%を前提 法人税率下げ検討 
 自・公「税制改正」大綱 大企業交際費も優遇

     タイトル 「やってきた年金の減額」

 日本年金機構から年金額改定通知書が届いた。それによると、こう記されている。

① 年金額は物価が上昇すれば増額し、物価が低下すれば減額する仕組みを基本としております。

② 現在の年金は、過去に物価が下落したにもかかわらず、年金額を据え置いたことで、本来の水準よりも2.5%高い水準(特例水準)となっております。

③ このため、平成25年10月分としてお支払いする年金額からは、9月までの額に比べ、マイナス1.0%の改定がおこなわれた額となっております。

このような通知である。そして、来年の4月に1%、再来年の4月に0.5%の減額となり、都合2.5%のマイナスとなる。300万円の年金を支給されている家庭では、年間約7.5万円の減額となる。

 物価は実際低下したのか? 経済学者の研究によると、物価が低下したのは、パソコンやテレビなどの大型家電製品が主体で、庶民の日常生活に関係する諸物価は低下していない、との結果が示されている。なのに、何故このようなことが断行されるのだろうか。

 それは、政府与党が社会保障にターゲットを絞って、その削減、切捨ての方向に進もうとしているからである。いよいよ、社会保障全体に大ナタを振るって、国民いじめの政治の到来だ。生活保護費や介護保険の改悪などと軌を一にするものである。

 政府与党は、「自助」、「家族の助け合い」を説き、社会保障のその責任を放棄しようとしている。庶民にとっては、厳しい冬の時代を迎えようとしている。たとえば、夫婦2人で、可処分所得が月20万だったとして、年金の2.5%の減額で年金月6,000円のマイナスというのは決して小さくない額である。

 一方、大企業には復興税の廃止、法人税の減税がもくろまれている。また、国土強靭化と称して、200兆円もの税金が投入されようとしている。「世界で一番大企業が活動しやすい社会」を創るといって、その方向に舵を切っている。

 つまりは、庶民をいじめ、大企業に奉仕するという構図である。私たち庶民は、今こそ声を高く挙げるときではないだろうか。99%の国民が国から収奪され、それを大企業に振り向ける、という逆立ちした政治のあり方を根本から改めることが、今求められている。



夢日記 「右遠俊郎から学ぶ」

2013(H25)年12月12日(木) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 「オール沖縄」の願い託すたたかい 新基地建設やめさせよう 
 名護市長選 告示まで1カ月 稲嶺市長、再選へ訴え

     タイトル 「右遠俊郎から学ぶ」

 「民主文学」新年号で、「追悼 右遠俊郎」が編まれ、四人の作家・評論家が一文を寄せている。細窪孝、小林昭、稲沢潤子、田島一の面々である。なかなか興味深いもので、身を乗り出して読んだ。

 細窪は、このように記している。「右遠は卒論『国木田独歩』を提出して卒業した。不運は追いかけてきた。卒業の直後、喀血・岡山帰郷・手術、療養生活が続いて、右遠は、その作家生活の中断を余儀なくさせられる。が、あのまま順調に推移していたなら、作家としての右遠は……あるいは、まったく違う姿をとっていたのではないか」

 小林昭はまた次のように述べている。「彼は、どうも『ありのまま』に書くのが文学だと思っている人が多くて困る、だから『ままのあり』がよいのだと言っていると話した」。「すでに生起した事実を語ることではなく、生起するかもしれない出来事を語ることだ。これは、右遠独自のリアリズム論であっただろう」

 稲沢潤子は、「私たちは、右遠さんの作品から、多くを学びました。文章をどう書くか、人生をどう見るか、ことばの一つ、表現の一つから汲みとろうとしました。右遠先生の作品は批評眼が鋭く、私は知らずに身につけていた固定観念をはぎとられる思いがしたものです」と葬儀で、弔辞をこのように読んだ。

 田島一は、この四人のうちもっとも若いが、彼は次のように書いている。「詩人からの手紙」において右遠さんは、伊藤信吉氏からの問いに答え「社会変革の場に身を置くこと、人間の悲しみに共感すること、そして文章を大事にすること、とりあえずは、その三つでやってゆこうと思っています」と、民主主義文学の作家としての心構えを述べられた。

 この四人の作家・評論家の右遠俊郎にたいする追悼の言葉は、それぞれに私の胸を打たずにはおかない。とくに、民主主義文学の作家としての立ち位置を語った、三つの言葉は印象に残るものである。

 私は本棚から「右遠俊郎短編小説全集」をとりだして、書斎の机の脇に置いている。この全集には、51の短編が収載されているが、もう一度読み直そうと思って、本棚から引き抜いてきたものである。彼は、民主主義文学作家のなかで、もっとも敬愛する作家のひとりである。これを機会に、愉しみながら学び直したいと思っている。

 また、県立図書館のネット検索をしたら、右遠俊郎の書籍が34冊収蔵されている。これらをすべて読むということが、2014年の私の仕事のひとつになるだろう。仕事といっても、小説を中心に評論を読むのだから、それは愉しみであり、至福の時間になるに違いないだろう。



夢日記 「小説のモチーフ・テーマ」

2013(H25)年12月11日(水) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法認めない 学者3500人突破 成立後も続々 
 思い同じくする人広げたい 「学者の会」よびかけ人 佐藤学教授

     タイトル 「小説のモチーフ・テーマ」

 このたび私は、短編小説集を編むことになったが、それに収載される作品を眺めてみると、面白いことに気がついた。この作品集には12の短編を選んで載せることにしている。

 12の短編をおおまかに分類してみると、「戦争」にかかわるものが12のうち6編ともっとも多い。ちょうど半数である。あと、「労働問題」が2編、「人間の在りよう」を描いたものが2編、そして、「自身の生き方」に関わるものが2編となっている。

 これらの短編は、夢中で書いてきたものであり、はじめから「モチーフ・テーマ」を意識してこなかった。が、まとめて短編集を俯瞰してみると、このように分類される。ここでは「戦争」にかかわる作品について述べてみたい。

 「戦争」については、大局的には反戦ということになるけれど、しかし反戦というよりも、戦争によって人間がどのような生き方を強いられるか、その人間の生き方のほうにウェートがおかれている。

 私は戦前・戦中の世代ではない。いわゆる団塊の世代で、戦後生まれである。したがって、6編の作品は戦前・戦中を描いたものではない。戦争によって、人々が戦後どのような生き方を強いられたか、どのような生き方をしたかを描いたつもりである。

 なぜ、私は先の戦争にこだわって書いてきたのだろうか。私の家には直接に戦争の惨禍をうけた人間はひとりもいない。ただ、戦後の我が家の日々の暮らしは、否応もなく戦争を引きずっていた。貧窮の底であえいだ暮らしが、私の「戦争」であった。

 それが、身をもって体験している「私の戦争」である。ここらあたりに私と戦争の切っても切れない、切実なモチーフがあるように思う。この戦後の体験がなければ、私の作品は生まれることは無かっただろうと思う。

 そして、もうひとつのモチーフは、日本社会の戦前への回帰の志向である。それは日本共産党第26回大会決議案で述べられているように、「侵略戦争を肯定・美化する歴史問題での逆流を日本の政治から一掃する」という観点である。

 このような、政治・社会の動向が私に「戦争」にかかわる小説を書かせたのだろうと思う。そういう戦前への回帰という政治的・社会的な策動がなければ、決して私の小説は生まれていない。

 このように、私の作品の「モチーフ・テーマ」は、戦後の私の貧窮な生活の在りようと、戦前への回帰を志向する政治・社会の策動に対する「異議申し立て」である。



夢日記 「変革の哲学・唯物論」

2013(H25)年12月10日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案撤廃へ 各地で行動 私たちは黙らない 
 デモで訴え 「行動いつ」 電話続々 署名に列

     タイトル 「変革の哲学・唯物論」

 先日、倉敷「ものの見方・考え方講座」の最終回が開かれ、変革の哲学―唯物論と弁証法の講義があった。12月6日に弁証法について触れたので、今回は唯物論について少しく書いてみたい。

 ありのままに見る決心(事実から出発し、本質・法則にせまっていく)を、哲学的には唯物論という。ここで、エンゲルスの「フォイエルバッハ論」を引用させていただきたいと思う。

 「すなわち、現実の世界―自然および歴史―を、どんな先入見的な観念論的気まぐれもなしに、それら自然および歴史に近づく者のだれにでもあらわれるままの姿で、とらえようという決心がなされたのであり、なんら空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決心がなされたのである」

 が、私たちがこのような見方や姿勢を「つらぬく」ことは簡単ではない。それは、「考えぬく、調べる、聴く」というのはたいへんで、先入観、思い込み、決めつけ、独断、偏見……こちらのほうがはるかにラクであるからだ。人間の意識活動の過程で、かならず観念論的な要素が入り込んでくる。

 したがって、事実にもとづいて結果と原因をつねにあわせて認識する努力をし、「つきつめて、ねばり強く、根本から対象をとらえること」が求められている。

 「意識が生活(存在)を規定するのではなくて、生活(存在)が意識を規定する」(マルクス、エンゲルス「ドイツ・イデオロギー」)つまり、存在(物質的諸関係)が、意識を規定する。

 私たちが真実に接近するためには、一人ひとりの認識にはつねに限界があり、集団の力で、個人の認識の限界をのりこえていくことが求められている。そのために、他者の認識から謙虚に学ぶことが必要ではないだろうか。

 「ものの見方」は時々メンテナンスが必要で、ともすれば、現象にふりまわされて、歪んだり、くもったりする。だから、くりかえし「ものの見方・考え方」の学習が求められている。

 私のような文学を志すものにとって、どのように事の本質・真実に迫ることができるだろうか。私たちはできあいの概念で小説を創るとなると、それはリアリティーを獲得することができず、生き生きとした物語を創出することはできないだろう。

 私たちは、文学創造にあたって書くこと、書く中でこそ、認識を深めることができるとともに、新しい発見もできる。そうすることで、真実に迫ることができるし、生き生きとした人物像や物語を構築できると思っている。そして、ものの見方・考え方―哲学は、芸術的真実に迫るうえで役立つに違いないだろう。

 したがって、文学を志す私にとっても、この「ものの見方・考え方講座」への参加は、たいへん有意義なものであった。評論家の小林昭が「しかし、文学は、何よりも思想だ」と述べているように、創作の通奏低音として、其々がそれぞれの思想を求められていると思う。



夢日記 「ちいろば先生物語」

2013(H25)年12月9日(月) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース  休刊日
 新しい朝がやってきました。おはようございます。 
 本日もどうぞよろしくお願いいたします。

     タイトル 「ちいろば先生物語」

 この長編小説は、三浦綾子の65歳のときの作品である。年齢でいえば、現在の私と同じ頃に書いたものだ。この作品を書くきっかけになったのは、夫光世の「綾子、これはいい本だ。早速綾子も読んだらいいね」といったひと言からはじまった。

 その小さな本は、この作品の主人公である榎本保郎が書いた「ちいろば」というものだった。ペラペラとめくって目を通したが、初め綾子は反発した。題も妙だし、内容も気に入らなかった。しかし、読んでゆくうちに、心が惹かれるようになる。

 そして、「わたし、この先生を小説に書こうかしら」と、綾子は光世に言った。そのようにして、この「ちいろば先生物語」は書かれることになった。

 「ちいろば」とは何か? 誰でも疑問をもつ言葉である。「ちいろば」とは、文字通り「ちいさいろば・子ろば」のことである。「BOOK」データベースには次のように綴られている。

 「エルサレムに入城するイエスさまを乗せた、小さな子ろばのようになりたい。『主の用なり』と言われたら、たとえ自分に力が無くとも、どこへでも出かけて行こう」と榎本保郎は、神の道への献身を決意する。

 それから、榎本保郎は京都世光教会を創立し、今治教会を経て、アシュラム運動の発展に生涯を捧げたのである。熱血牧師は52歳であった。この榎本保郎の生涯を描いたのがこの「ちいろば先生物語」である。

 キリスト信者として、あるいはひとりの牧師として、神に仕え信仰し、伝道してゆく熱情と行動は目を瞠るものがある。おそらくキリスト信者で神に仕える牧師といえども、この主人公のように生きるのはたやすいことではないだろう。

 キリスト信者なら、この主人公に憧れ、感動し、感銘を受けるだろう。それだけ彼は神に忠実に生き、いくたの困難を乗り越えて、新しい信仰の道を切り開いてゆく。多くの信者には励ましを与えるに違いない。そんな物語となっている。

 しかし、神の存在を認めない人や疑問をもっている人にとって、この小説はどのように受けとめられるだろうか。私は、この作品から感銘を受けるというようなことはなかった。

 成功したり失敗したりしても、その拠ってくるところのほとんどが、否、すべてとも言っていいだろう。その原因を神つまり、イエスに求め、信仰に求め、祈りに求めるのだった。そこに違和感を持たざるを得なかった。

 が、私にとっては、信仰とは? 祈りとは? 求道とは? という、神に仕える人間の在りようを、小説を通じて具体的に知ることができた。そして、小説作法ということを学んだことも、ひとつの収穫であった。

 これで私は、ひとまず三浦綾子から卒業である。私の読んだ中では、彼女の「銃口」と「母」が秀逸で、胸を熱くせずして読まずにはおれなかった。このふたつの作品にめぐりあえたのは幸運であった。



夢日記 「山宣と仁比参院議員」

2013(H25)年12月8日(日) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 憲法違反の秘密保護法撤廃へ 志位委員長よびかけ 
 今日をスタートに新たなたたかいを 党議員団総会

     タイトル 「山宣と仁比参院議員」

 12月6日深夜、参議院本会議が開かれ、特別秘密保護法案の採決の討論が行われた。日本共産党を代表して反対の討論(演説)に立ったのは、仁比聡平参院議員だった。

 私はこの反対討論(演説)をムービーで視聴し、胸に込み上げるものがあった。それを抑えることができなかった。まさに感動・感銘を呼び起こす演説であり、政府をきびしく糾弾するとともに、国民への熱烈な連帯と激励となるものであった。

 このように、演説を聴いて胸を熱くするということは、きわめて稀なことである。その涙が滲む向こうに浮かび上がってきたのが、山本宣治こと山宣である。山宣と仁比議員の、凛として演壇に立つ姿がだぶって見えた。

 山宣は全国農民組合大会で次のような演説をしている。「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ。山宣独り孤塁を守る! だが僕は淋しくない。背後には多くの大衆が支持しているから……」

 これは帝国議会での治安維持法改悪反対の、演説草稿の一節であった。が、1929年3月5日、衆議院で反対討論を行う予定だったが、与党政友会の動議により強行採決され、討論できないまま可決された。そしてその夜、右翼団体である「七生義団」の黒田保久二によって山宣は刺殺されたのである。

 そして、山宣の議会での最後の演説は次のようなものであった。「我々はあくまでこの現代の社会における97%を占めるところの無産階級の、その政治的自由、これを獲得するために、こうした暗たんたる裏面には、犠牲と、血と、涙と、生命までを尽くしているということを述べて、私の質問をうち切ります」

 山宣はなんと崇高な志と、毅然たる態度で大衆の利益のために、たたかいぬいたことだろうか。この姿と参院本会議での特定秘密保護法案に対する反対討論に立った、仁比聡平議員の姿が重なる。「憲法と民主主義のじゅうりん」を、毅然と断罪した姿は山宣を彷彿とさせるものである。

 たしかに、日本共産党は少数野党だが山宣のように独りではない。しかし、仁比議員は山宣と脈略の通ずることを述べた。「たとえ国会の多数をたのんで強行しても、法案の施行など許さない、廃止を求める国民のたたかいは一層燃えさかることになるでしょう」と議場を圧するように、高らかに訴えた。

 政府与党は強行採決に踏み切ったが、しかし山宣の演説のように「背後には多くの大衆が支持しているから」彼らは、手負いの猪になった。山宣の時代とは大きく違う現代である。このたたかいの中で、「憲法を守り、民主主義を守る」日本国民の声が、燎原の火のように広がったことに、確信をもってもいいだろう。



夢日記 「クレーム処理は、絆を強め高める」

2013(H25)年12月7日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 憲法じゅうりん許さない 秘密保護法案 自公強行成立狙う 
 大集会1万5000人 全国で反対行動 深夜まで徹底抗戦

     タイトル 「クレーム処理は、絆を強め高める」

 あるスーパーマーケットで、24本入りの缶コーヒーを4箱求めて帰ってきた。レジで値段を言われたとき、ちょっと高いなという思いを一瞬もった。しかし、言われるままに金を支払って、品物を受け取った。

 家に帰ってレシートをみると、4箱のところが5ハコと印字されている。間違いであり、クレームである。私はスーパーの電話をネットで調べ、すぐに電話をした。その時はもう午後10時を回っていた。

 電話口に出た社員の対応が非常に良かった。その第一声が「誠にあい済みません。お許し下さい」という対応だった。もうそのクレームは、上部に伝えられていたかどうか判らないが、すばやい反応である。

 クレームが発生した場合は、何よりもまず現場へ飛べ、そしてお詫びをせよ、というのが鉄則である。私も営業活動を20年間やってきたが、それがクレーム処理の正しいあり方だ。

 それからクレームの内容と原因を調査してゆき、非があると思えば、できるだけ早くクレーム処理をするということだ。ところが、この社会でそうした対応がされないことによく遭遇する。それでお客はますます不満と不信をつのらすことになる。

 が、このスーパーは対応が違っていた。まず謝り、返金にすぐ伺います、というのである。私の家はスーパーからは遠く、車で40分はかかるところに住んでいる。それでも「伺います」というのである。

 そして、スーパーの社員がやってきたのは、午後11時を過ぎていた。深夜暗闇の中、家を探してきてくれたのである。私は感動した。もう金はどうでもよくなっていた。私は何か土産はないかと探したが、あいにく何もなかった。漁師町なので、カキでもあれば私は渡していただろう。

 クレーム処理はとても大切である。これは企業と人間の関係だけでなく、人間と人間のあいだでも同じことである。生きて活動していれば、クレームを起こされることも、自身が起こすこともある。それは避けられないことだ。

 だがその処理の仕方によって、人間関係がより高い段階へ発展してゆくか、あるいは人間関係がこわれるかということになる。今回の事例は、そのスーパーのあり方が認められ、お客との信頼関係をより高い段階に高めたのである。

 私たちも人間として、過ちは必ず起きるし、起こすものなので、その対応をきちんとして、人間関係のよりよき発展に努めたいものだ。……「過ちを改めざる、これを過ちという」  論語より



夢日記 「変革の哲学・弁証法」

2013(H25)年12月6日(金) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 自公が「強行採決」参院特別委 
 野党が差し戻し要求 違憲立法は認められない 志位委員長が会見

     タイトル 「変革の哲学・弁証法」

 倉敷「ものの見方・考え方講座」の第5回に参加した。これが最終回であり、無事卒業を迎えることができた。今回の講義も魅力的なものであった。

 特に弁証法を深く学ぶことができた。とはいえ、まだ〝さわり〟程度のものだったが、しかし得るものは決して小さくはなかった。

 世界は(自然や社会、そして人間)はどのようなあり方をしているか? という設問から講義は始まった。

 弁証法の見方の基本は、運動・変化、発展、連関として捉えるということである。世界はつねに動いており、「過程」として捉え、量から質への転化をおこなっている。発展は同じことのくり返しではなく、弁証法的否定をつうじて、質的変化をしている。そして、世界は「つながり」のなかで存在し、決してバラバラではない。

 「われわれが自然あるいは人間の歴史あるいはわれわれの精神活動を考察すると、まずわれわれの前にあらわれるのは、連関と相互作用が無限にからみ合った姿であり、この無限のからみ合いのなかでは、どんなものも、もとのままのもの、もとのままのところ、もとのままの状態にとどまっているものはなく、すべてのものは運動し、変化し、生成し、消滅している」ーーこれは、エンゲルスが「空想から科学へ」で述べていることである。

 「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、そして絶えず変化の過程にある有機体」ーーこれは、マルクスの「資本論」初版への「序言」で述べられている。

 「矛盾」をとらえることー発展の芽をつかみ、育てることが大切である。ものごとの「動き方」は、ものごと内部にある矛盾の展開である。

 弁証法的でない見方(形而上学的見方)は支配階級の利益と結びついている。「形而上学の見かたは、…私たちがともすれば木だけを見て森を見失いがちになるところから生じてくるものですが、ここで注意する必要があるのは、それが政治や経済の上で支配的な地位についているものの利益と結びついてくるということです」

 「つまり、木だけを見て森を見させないこと、現状をどこまでも安定した本質的に不変のものであるかのように思わせることは、かれらにとってつごうのいいことなのです」

 私はこの講義を受けて、目の前の霧がはれたような晴ればれとした心持になった。宗教の教義は絶対的なもので、そのなかで唱えられていることに従って生きていくことが求められるが、弁証法は決してそうではない。

 弁証法は教義ではなく、現実を「動きとつながりのなか」でとらえ、職場をみるとき、社会をみるとき、活動をみるとき、自分自身や仲間をみるとき……

 固定的にみてしまっていないか? どうせ……という見方に陥ってないか? 細部にとらわれすぎていないか(木を見て森を見ず)? 断片的にものごとをきりとって「○×」「白黒」を判断していないか? 背景や原因を考えられず、現象に目を奪われていないか?

 これらのことをみずからに問いつつ、弁証法的なものの見方に絶えず立ち返りつつ、生きてゆきたいと願う次第である。



夢日記 「新しい年を迎えたら」

2013(H25)年12月5日(木) 晴れ 

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 採決強行許されない 憲法根底から覆す 
 政府・与党 きょう参院強行狙う 7野党党首ら訴え 東京・有楽町

     タイトル 「新しい年を迎えたら」

 「まがね」56号の原稿締め切りは5月末の予定である。年が明けたら、その原稿にかかろうと思っている。短編小説で30枚くらいのものを書くつもりである。

 題材もモチーフもテーマも構想も、私の内にはいま何にもない。だからそろそろ題材くらいは日々探すように努めなければならないだろう。しかし、小説づくりに必要な事柄は、手をこまねいていても天から降ってくるわけではない。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」  マタイ7章

 小説づくりも、求め、探し、門をたたかなければならないということだろう。そうしてこそ初めて求めるものが天から降ってくる。手をこまねいていては駄目なのである。

 まず、原稿用紙を開き、筆をとることだ。もちろんいまは、原稿用紙も筆もいらない。パソコンの前に座って、ワードの画面を開くことだ。そして、構想を練るのである。そうした努力なしには、書きたいものが天から舞い降りてくることはない。

 私はここで今までの作品をまとめて「短編小説集」を上梓するが、年明けの作品は第2集に向けての第1作となる作品である。健康で過ごすことができれば、75歳あたりで第2集を発行することができるだろう。

 私の知っている「ふくやま文学」の中山茅集子さんは86歳だが健筆を揮っている。また、「民主文学」の本年度の支部誌・同人誌の推薦作の入選を果たした大野千里さんは米寿である。彼女たちの活躍はとても私を励ましている。

 新しい年を迎えたら、本はしばらく脇において、パソコンと向かい合うつもりだ。中山さんや大野さんの励ましを受けながら、いい作品を書きたいと思っている。

 評論家の小林昭は、「人間讃歌」を書けとしきりに説いている。私の次の作品はそれをめざしてゆきたいと思っている。が、「人間讃歌」はなかなか難しい。ベートーベンの第九のように「苦悩から歓喜へ」というようなものを綴ることが希望である。



夢日記 「秘密保護法案」

2013(H25)年12月4日(水) 晴れ 

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 反対空前 映画人・学者・国際人権NGO… 
 映画人の会 宮崎駿さん・大竹しのぶさんら賛同

     タイトル 「秘密保護法案」

 このブログでは政治的発言をするつもりはなく、あくまで文学・芸術を中心に、日々の自身の思いを発信してゆくという趣旨で始めたものだった。

 「しんぶん」のTOPニュースを記すのは、自身がどういう時代・社会に生きているか、というその立ち位置を確認するためのものである。

 ひとりの人間がどんな時代・社会で生きてきたかを明らかにするために、TOPニュースを記録している。決して、政治的な在りようを発信しようとするものではない。

 が、自民党の石破茂幹事長の発言は黙過することは断じてできない。彼は市民のデモを「テロ行為」とブログで批判した。

 その後、ブログに「お詫びと訂正」を掲載したが、「反対デモ」は「本来あるべき民主主義とは相容れない」として、彼の本質はなんら変わっていない。

 デモとは、デモンストレーションのことで、多くの人々が公然と意思を表示し、威力を示すことーーと辞書には謳われている。

 憲法で保障された表現の自由を、「テロ行為」と同列視して批判することは、決して許されるものではない。

 秘密保護法案でのテロの定義によると、「国家・他人に主義主張を強要する」ことは、テロに該当することが明記されている。

 つまり、「主義主張を強要する」デモは、テロであるという定義である。したがって、石破茂の発言は、決して「失言」というものではなく、秘密保護法案の趣旨・本質を語ったものに他ならない。

 この秘密保護法案は、本質において戦前の治安維持法への回帰、現代の治安維持法に他ならない。暗黒政治、暗黒社会への第一歩を踏み出そうとしている。

 月面に初めて降り立った、ニール・アームストロングは、「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と語った。

 この秘密保護法案は、その逆で戦前への回帰の第一歩であり、日本と世界の人類に対する、民主主義の蹂躙と戦争への挑戦の、大きな一歩である。民主主義を圧殺し、戦争のできる国にしようというのが、秘密保護法案である。

 ものを書くことを志している私は、国民の目、耳、口をふさぐこの秘密保護法案を断じて容認することはできない。そのことは、石破発言によっていよいよその危険性が浮き彫りになった。必ずこの法案を葬り去りたい、と思っている。



夢日記 「12月をデザインする」

2013(H25)年12月3日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 〝反対デモ テロ指定も〟 
 石破氏、会見で認める 7野党が抗議・徹底審議を要求

     タイトル 「12月をデザインする」

 2013年もあと1カ月を残すのみとなった。本年の締めくくりの月である。そこで、12月を有意義に過ごすために、この1カ月をデザインしておきたいと思う。

 私にとって、もっとも大きい仕事は、「鬼藤千春短編小説集」を無事完成させることである。年内を目標に取り組んできたが、まだ初校が終わったばかりであり、あと再校正、再々校正が残っているので、きわめて微妙である。

 が、初校を徹底的にチェックしたので、あとは印刷所次第である。初校をきちんと守ってもらえれば、あとはスムーズに進むはずである。しかし、お客の意向がなかなか伝わり難いというのを、痛感させられている。

 そういう問題を孕んでの短編小説集づくりであるが、どうかクレームを起こさないで、やって貰いたいものだ。私もほぼ20年営業をしてきたが、担当している印刷所の営業がなんとも頼りない。営業が自ら責任をもってやるという気概が感じられない。

 だいたい、お客と打ち合わせをしているのに、メモさえとらない。アポもとらないで、客をイライラさせる。それで忘れていることが少なくない。私の希望したことが守られない、こんなことで営業が務まるのかと不安になってしまう。

 が、私は決めた。私が営業をリードしてゆかなければ、まともな本はできないように思うので、私がしっかりすることが必要だ。なにはともあれ、「短編小説集」の完成が12月のもっとも大きな仕事である。

 次は労働者学習協会の講座の卒業である。全5回の講座であるけれど、すべてに出席するのは2、3人というところだろうか。それぞれ欠席の理由はあるだろうが、万難を排して出席して貰いたいと思う。私はおかげさまで、無遅刻無欠席を通すつもりである。

 あとは、年賀状の作成や忘年会の予定が入っている。そして、三浦綾子の長編をふたつと山崎豊子の「沈まぬ太陽」全4巻を読むことである。これでだいたい12月の予定は埋まるはずである。これらのことをつつがなくやって、新しい年を迎えたいと思っている。



夢日記 「『まがね』55号発行」

2013(H25)年12月2日(月) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 緊迫 秘密保護法案 力を集め廃案に 
 6日国会会期末迎えヤマ場 世論は徹底審議求める

     タイトル「『まがね』55号発行」

 まがね文学会の文芸誌である「まがね」55号を発行することができた。「まがね」の創刊は1977年3月で、以来8カ月ごとに発行してきたことになる。ここまでくるのに37年の歳月を要した。同人誌などは、発行するのは比較的容易にできるが、継続してゆくというのが大変である。

 継続してゆくのが難しいのは、まず書き手の問題があるけれども、それ以上に困難な問題は「金」である。文芸誌は「金」で挫折することが多いのだ。「まがね文学会」も例外ではなかったし、いまでも「金」の問題を抱えながらの運営である。

 以前は、主だった人は、「まがね」に書かなくても、40冊の配本がされていた。私がたとえ10枚前後の短い原稿を書いても、40冊を引き受けざるを得なかった。それはいささか理に合わないと言わざるを得ない。40冊といえば28,000円である。それだけの負担を強いられていた。

 それはあまりにも不合理なので、今は投稿原稿の枚数に応じて分担金が決められている。これなら納得がいくように思うけれど、その分担金が高いので悩みの種になっている。が、「まがね」を挫折から守ろうと思えば、いまのところこれが最善の策である。

 「まがね」55号で長瀬佳代子が、「まがね」の歴史と歩みを書いているけれど、ここで私も少し触れておきたいと思う。初めての人は「まがね」という誌名に、ほとんどの人が首を傾げるに違いない。

 「まがね」を辞書で当たってみると、「くろがね、鉄」という風に記されている。吉備の国は昔から砂鉄が多く産出されてきたと言われている。そして「たたら」で鉄が製錬されてきた。そんなところから、「真金吹く」というのは、吉備にかかる枕詞となったようだ。

 「真金吹く吉備の中山帯にせる
          細谷川の音のさやけさ」

 という歌が、古今和歌集にある。吉備の中山というのは、吉備津神社の後方の山のことだ。この山の麓には、この歌に寄せてその由来等の標示板がしつらえられている。

 このように、「まがね」という誌名は、吉備の国の歴史が刻まれた文芸誌である。一見理解し難いように思われるけれど、その由来をひもといてゆけば納得して貰えると思う。

「まがね」55号には、創作10編、随想5編、詩2編が収載されており、読み応えのある文芸誌になっている。是非いちど、手にとって読んでいただきたいと切に願うものである。ご希望の方は、このブログのコメントにて申し込んで戴きたい。よろしくお願いします。



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 1947年生まれの70歳で、
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 ゆきたいと思います。
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 名前は「千春」ですが、男性です。

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