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夢日記 「宇都宮健児氏 来倉」

2013(H25)年11月30日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 人権じゅうりん浮きぼり 参院特 仁比氏が追及 
 犯罪の要件説明できず 広く国民処罰・令状に事実なし

     タイトル 「宇都宮健児氏 来倉」

 前日本弁護士連合会会長で、先の東京都知事選挙に立候補した宇都宮健児氏が、倉敷市水島に来られた。倉敷医療生活協同組合の主催する講演会のためである。

 私は「年越し派遣村名誉村長」であり、氏の著書「大丈夫、人生はやり直せるーサラ金・ヤミ金・貧困との闘い」を読んで感銘を受けていたので、是非その講演を聴きたいと思って出かけた。

 講演のテーマは「広がる貧困と憲法25条」ということであった。この日本社会に広がる貧困の背景と格差社会の在りようを、具体的な資料に基づいて解明し、分かりやすく話された。

 まず、貧困の広がりだが、その背景として、非正規労働者が全労働者の3人に1人以上存在することが指摘された。また、年収200万未満の労働者が1000万人を超えていることが話された。

 260万人近く存在する失業者の2割程度しか失業保険を受給していないことや、貯蓄ゼロ世帯が過去最高の26%となっていることなどが指摘され、あと様々な貧困の広がりの実態が報告された。

 それに対して、企業の株主配当額が、この10年間で2倍以上となり年間10兆円を超えていること、役員報酬はこの10年間で2倍以上となっていることなどが解明され、格差社会の実態が告発された。

 そして、憲法25条について話が展開され、生活保護基準過去最大の大幅引き下げを糾弾し、これを突破口として、社会保障制度全体を改悪しようとしている狙いを訴えた。まさに、憲法25条の空洞化である。

 そして、宇都宮氏は、貧困問題を解決していく課題と展望を明らかにした。まず、普通に働けば人間らしい生活ができるようにするための、労働政策の必要性と緊急性である。さらに、社会保障政策の充実と改善、富裕層にたいする課税の強化である。

 私はこの講演会に参加して、日本社会の病理の広がりと深刻化を再認識することができた。そして、この格差社会を変革していくために、富裕層への課税強化や大企業の内部留保290兆円の活用などによって、その病理にメスを入れ豊かな社会への展望を胸に刻むことができた。私の認識を広げ深めることができた、心が豊かになる講演会であった。



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夢日記 「人間とは、人間らしく生きるとは」

2013(H25)年11月29日(金) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密体質いっそう拡大 「秘密保護」いう権利ない 
 日米密約隠した政府を批判 参院特別委で井上議員

     タイトル 「人間とは、人間らしく生きるとは」

 労働者学習協会の「ものの見方・考え方講座」の第4回に参加した。テーマは「ヒューマニズムと労働組合」というものであった。ヒューマニズムについて、辞書を当たってみると、「一般に人間的(ヒューマン)なことを尊重する思想」とある。

 ヒューマニズムと労働組合がどう結びついてゆくのか、という疑問を持って講義を聴いていたが、それが見事に融合し収斂していった。目の前が開けてゆくような心地よさを感じながら、講義を聴いた。

 まず、ヒューマニズムの歴史的発展をたどるという方法で講義がすすめられた。「なぜ?」「人間とは?」と問うこと、疑うことができなかった時代があった。それは中世(封建制)であり、中世のヨーロッパでは、キリスト教(カトリック教)が絶対的な権威をもって君臨していた。

 そうした時代背景のなかで、ルネサンス時代が到来する。教会が説く「罪深い存在」「禁欲」ではなく、人間のあり方・幸福の手段を多様な形で追求したり表現したりした。

 「それは、人類がそれまでに体験したうちで最大の進歩的変革であり、巨人を必要とし巨人を生み出した時代であった。――思考力と情熱と性格とを、多才と博識とを、身につけた巨人を」エンゲルスは「自然弁証法」序論のなかでこう述べている。

 しかし、ルネサンスの限界(資本家階級が彼らのパトロンだったことなど)もあり、それは18世紀の啓蒙思想へと引き継がれていった。フランスの絶対王政を徹底的に批判し、激しい思想闘争が、フランス革命を思想的に準備していった。

 だが、啓蒙思想の限界(資本主義の枠内での自由や民主主義)もあり、資本主義の矛盾に挑むー社会主義思想とヒューマニズムが登場した。それが空想的社会主義思想だった。しかし、時代の制約もあり、彼らは資本主義を全否定したり、資本主義の発展法則を見い出せなかったりした。

 そして、いよいよマルクス、エンゲルスの登場である。彼らは科学的社会主義の基礎をうちたてた。徹底的な経済学の研究で「資本論」を書きあげ、人間の疎外をもたらすものの正体、それを克服する主体者(労働者階級)を明らかにした。

このように、人間とは何か、人間らしさとは何かを問うてきたヒューマニストたちだった。人間の進歩は遅々としているようだけれど、歴史を概観すれば、人間の歴史は巨大な進歩を遂げている。

 労働組合の誕生は、イギリスで生まれ、世界中に広がった。労働者の状態は、長時間労働、低賃金、首切り自由、無権利、生存権なしという状態だった。そして、今日でもそれは引き継がれており、人間らしく働き、人間らしく生きることが難しい社会になっている。

 人間とは、人間らしく生きるためには、労働者はバラバラにたたかっていては、けっして人間らしく働き、生きることはできない。労働組合をつくって、要求し、行動してゆかなければならない。「目からウロコ」のおおいに展望の湧く学習会だった。



夢日記 「笹本敦史の『水を売る』を読む」

2013(H25)年11月28日(木) 

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 憲法原理と両立せず 秘密保護法案 阻止へ行動急拡大 
 国民代表の責務果たせ 参院審議入り 仁比氏、議場でよびかけ

     タイトル 「笹本敦史『水を売る』を読む」

 笹本敦史の「水を売る」は、「まがね」55号に収載されている30枚の短編小説である。小説はもちろんいろんな創作方法があっていいし、そうでなければ画一的な小説ばかりになって、小説世界は狭小になってゆくだろう。

 だが、「まがね」55号の10編の創作を読んで感ずるのは、多くの作者が「小説世界を構築する」という意識が希薄であるということだ。小説とは何か、小説の心とは何か、という根源的な問いがなされないままに、筆を執っている作品が多いように思う。

 が、「水を売る」は秀逸な短編小説になっている。小説とは何か、小説の心とは何かを自らに問いかけ、ひとつの小説世界を築き上げている。もし、その問いかけがなく、書かれているとしたら、彼はきわめて優れた才能を有しているということができるだろう。

 しかし、彼はおそらく無意識のうちに「水を売る」を書いてはいないに違いない。いかにして小説として成立させるかが練られたうえで、書かれたように思う。テーマもプロットも彼の中にあって、あるいは書いてゆくうちに認識が深まって、この小説は生まれたのだろう。

 ここでは、ストーリーをなぞることをするつもりはない。ぜひこの作品を手にとって、読んでもらいたいと思っている。主人公は小さな酒屋を営む門倉歳三だが、この男にある営業社員が、いわゆる健康飲料水を取り扱ってくれるように奨めにくる。ここから物語は展開することになる。

 ここで、作品の最後を紹介しておきたいと思う。この手法は笹本流ともいえるもので、「瓦解」という作品でも描かれているが、この作品でも瓦解が象徴的に描かれている。門倉歳三の「瓦解」である。

 「ええっ? それじゃあ、どうするんだよ。この積み上げた水の山」
 景子が霊峰水の箱を激しく叩いた。何かが弾ける音が響いた。積み上げた霊峰水が崩れた。(中略)つぶれたペットボトルから漏れたらしい水が床を覆っている。霊峰水のうちの一箱が壁を突き破っていた。
 「こりゃ壁が薄すぎだ」
 「手抜き工事だな」
 アルバイトが囁き合っていた。

 これが最後の場面だ。歳三は、腰が抜けて立てなくなり、妻の景子は呆然と立ち尽くしている。これが、歳三の末路である。つまり瓦解だ。歳三は営業社員の詐欺に遭ったといえなくもないが、そういう見方だけでは捉え方が狭すぎるといえるだろう。

 作者は歳三を通して、人間というもの、人間の弱さというものに焦点をあてて、小説世界を創りあげている。小説に模範はないし、みんな違ってみんないいと思うけれど、この作品から小説作法の多くを学ぶことができると思っている。

 ただ、この作品にも問題点があって、手放しで評価するわけにはいかない。それは作品の冒頭で、読者にその結末が想像できることである。推理小説でその結末が分かってしまったら面白くないのと同じである。

 が、人間の微妙な心の弱点、あるいは心のスキを捉えて小説世界を構築した、きわめて優れた作品だということができるだろう。秀逸で佳作である。



夢日記 「三浦綾子の『この土の器をも』」

2013(H25)年11月27日(水) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案強行 怒り広がる 「自・公・み」憲法と世論無視 衆院本会議 
 国民多数の「ノー」で廃案へ安倍政権包囲を 志位委員長が記者会見

     タイトル 「三浦綾子の『この土の器をも』」

 「この土の器をも」の題名は、聖書からとられている。三浦綾子の小説「氷点」が、朝日新聞懸賞小説に入選し、一千万円の懸賞金が貰えるという報せを受けて、夫の光世は次のように語っている。

 「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾吾は土からつくられた、土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように」

 この著作は、前作「道ありき・青春編」に続く自伝的作品の第二作で、「結婚編」である。綾子と光世の結婚生活は、次の短歌のようにして始められた。

 手を伸ばせば天井に届きたりきひと間なりき
    吾等初めて住みし家なりき

 吾が部屋の屋根裏は隣家の物置にて
    下駄響かせて歩く音する

 だが、「結婚第一夜があけた朝、わたしは台所に立って、ふと窓の外をみた。隣家のスモモの木が花盛りで、真っ白に咲き匂っているのが印象的だった。その時の感動をどう伝えたらいいだろう。三浦とわたしは、スモモの花の咲き匂う美しい季節に結婚したのだ。そう思っただけで、わたしは涙ぐんだ」。これが綾子の初夜が明けた朝の、痛切な想いだった。

 そして、この著書は結婚初期のエピソードがふんだんに盛り込まれている。それにいちいち触れるような紙幅はないので、私の胸を熱くしたところを述べてみたいと思う。

 それは、懸賞小説入選にまつわる話である。そもそもこれに応募しようというきっかけを作ったのは、末弟秀夫だった。秀夫は「綾ちゃんが来たら、これを見せて」と言って、母に頼んでいた。それは、朝日新聞の社告だった。そこに、一千万円懸賞小説募集の記事が載っていたのだ。

 それを見せられて、綾子は「へえー、一千万円とは凄いわね」と言いつつ、わたしには無縁な話だと、思わず笑ったのだった。

 だがその夜、綾子は懸賞小説のことが思い出されて、なかなか眠りに就くことができなかった。眠れぬままに一人想像をめぐらしていた。そして、「もし、自分の肉親が殺されたら?」そう思ったとたん、綾子はこれだと思った。ここから一つの物語が生まれそうだった。

 こうして、綾子の懸賞小説への取り組みが始まるのだった。それは1月のことだった。原稿締め切りは12月31日である。綾子にとっては「氷点」は初めての作品といってもよかった。処女作に一千枚もの長編に挑むということ事態が、想像を絶することである。

 が、綾子は雑貨屋を切り盛りしながら、深夜に書き継いでいった。一年の間に、一千枚からの小説を書くためには、失敗した分や、書き直しの分も入れて、一日最低10枚書かなければならない。それを三浦綾子はやり遂げたのである。

 原稿が完成したのは、締切日の12月31日午前2時だった、こうして、遂に小説「氷点」を書き上げることができたのだった。その朝、光世は郵便局の本局まで行って、12月31日の消印を二つ鮮明に押してもらい、出したのである。

 そして、翌年の7月6日、朝日新聞の旭川支局長から電話があった。「三浦さん、おめでとうございます。一位入選に内定しました」というものだった。綾子は受話器をもったまま、飛び上がった。

 それからの、光世の対応が読む者の胸を打たずにはおかない。「綾子、神を畏れなければならないよ。人間は有名になったり、少しでも金が入るようになると、そうでなかった時より、愚かになりやすいものだ。また、人にチヤホヤされると、これまた本当の馬鹿になるからね。これからの歩み方は大切だよ」と、自分たちの生き方を戒めている。

 「これからの結婚生活もまた、このスモモの花のように、地味ではあっても、どうか香りある清純なものでありたいと、わたしは切実に祈らずにはいられなかった」。これは綾子が、結婚第一夜が明けた朝に、台所に立って想いをめぐらしたものだった。

 その後の三浦綾子の生き方は、まさにこの言葉通りに質素で清純で誠実なものだった。その生き方を支えたものとして、夫の光世の言動を忘れるわけにはいかない。光世あってこその綾子であり、綾子あっての光世であった。稀に見る夫婦像である。



夢日記 「まがね文学会」

2013(H25)年11月26日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 全公述人が反対・慎重 「原発情報隠される」 
 秘密保護法案 福島で地方公聴会

     タイトル 「まがね文学会」

 まがね文学会の11月例会には、朗報がもたらされた。笹本敦史が、岡山県文学選奨の短編小説の部で、佳作に選ばれたという報せだった。この作品は「まがね」54号に発表された「わだかまる」である。

 これで笹本敦史は、今年2度目の受賞ということになる。ひとつは「民主文学」新人賞の受賞と今回の受賞である。彼にとっては、大きな収穫のあった年だということができる。が、ただひとり彼だけではなく、まがね文学会としてもその質の高さを内外に示したものとして、誇りに思うものである。まず、彼にお祝いを申し上げたいと思う。

 さて、11月例会は、「民主文学」支部誌・同人誌の推薦作入選の、ふたつの作品について合評をした。ひとつは大谷武邦の「扶養照会」である。この作品については、手厳しい批評がなされた。

 生活の深さが描けていないという指摘や、小説としての面白さがないという意見が出された。明太子工場や家主との話し合いはよく描けているのに、視点の乱れの指摘や原発の街頭宣伝は蛇足だ、という批評がなされた。

 私は「扶養照会」の行政の問題点や、扶養者や主人公の痛みが描かれていないという点が、もっとも気になったし、そこへ切り込んでゆくべきだと思った。

 ふたつ目は「荷風を読む女」だったが、この作品はおおむね好評だった。心を打たれた作品だ、という感想や面白い作品だという批評がなされた。さらに、知的レベル・教養の高い作品だ、という一方で、つくりものという感じは否めない、そしてストーリーが不自然で小説になっているのか、というのを感じたという意見もだされた。

 私は刺激的な作品だが、前半の荷風の話と後半の原発・選挙の話が分離している、という感想を述べた。そして、妹尾さんが「知的・教養の高さを感じたが、それは小説として、ギリギリのところで抑えられている」と語ったのは的を射ている。これ以上になると、それが鼻を突くし、辟易するだろうと思われる。

 漱石の草枕の冒頭部分の「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」という言葉が、よく当てはまる作品だと思った。小説は「知や教養の高さ」を競うものではなく、如何に人間を描くか、ということに心を注がなければならない、ということを感じさせる作品である。

 まがね文学会は、例会としては今月が最後で、12月は忘年会、来年の2月は総会という予定を決めた。そして、この日に「まがね」55号が完成して参加者に配本をすることができた。翌日には、贈呈分やほとんどの会員への配本を終えることができた。読者のみなさま方からの、忌憚のないご批評をお願いしたい、と思っている。



夢日記 「三浦綾子の『命ある限り』」

2013(H25)年11月25日(月)  雨 

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 イラン各協議で合意 核問題解決へ「重要な一歩」
 ウラン濃縮縮小・制裁緩和

       タイトル 「三浦綾子の『命ある限り』」

 これは三浦綾子が1995年、73歳の時に書いた自伝である。彼女が逝ったのは77歳だったから、その4年前に書かれたものだ。文筆生活に入ってからのことが綴られている。

 1964年7月10日早朝、店の雨戸がドンドンと激しく叩かれた。その人は朝日新聞の配達人だった。彼は「おめでとうございます」といって、朝刊を20部程、どさりと置いて行った。それには朝日新聞懸賞小説の発表記事が載っていた。入選したのは三浦綾子の小説「氷点」だった。

 それから、三浦綾子は作家として歩み始めるのだが、彼女には多くの著作がある。長編小説、短編小説、自伝、随筆など、全集には80余の作品が収載されている。

 三浦綾子は、病気とたたかいながらの執筆活動だった。結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸ガン、パーキンソン病など、多くの病に見舞われた。そして、1999年10月12日、多臓器不全でなくなるまで、まさに「命の限り」書き続けてきた。

 この著作には、エピソードが沢山盛り込まれているが、私が興味をそそられたことを記しておきたい。ひとつは、きわめて俗っぽい関心事である。つまり、懸賞賞金一千万円の使い道である。私などは俗人であるから、立派な家などを新築したのではないかなどと思ってしまうところだ。

 しかし、「一千万円はあっという間に私たちの前から消えていった」と記されている。つまり、そのうち税金に450万円、50万円余は教会に捧げ、200数十万円は父の借金の支払い、その他は他教会や今までお世話になった方々へのお礼である。まさに、あっという間に一千万円は消えたのである。

 それ以後も三浦綾子は、金に執着することなく、贅沢もせず、無駄遣いをすることもなく、清廉潔白の生き方をくずさなかった。その生き方に私は感銘を受けるとともに、そうであるからこそ、彼女の作品が誠実さに貫かれているように思う。

 いまひとつは、小林多喜二の母、セキを描いた三浦綾子の小説「母」にまつわる話である。小説「母」は書き下ろしの作品である。が、この作品が誕生するまでにおおよそ10年かかっている。

 この「母」の事の始まりは、夫、三浦光世にあった。光世は「小林多喜二の死」に並々ならぬ関心があったそうだ。しかし、話があってから、1年2年はあっという間に過ぎた。3年4年過ぎても手がつかない。

 光世はそんな綾子に対して、腹を立てたり、不機嫌になったりすることはなかった。しかし、「多喜二の文学アルバムを、三浦は机の上に置いて、表紙の多喜二の写真がいつも私の目に入るようにしていた」。が、綾子にはそれが目に入らなかった。

 いや、見えているのだが、見てはいなかったのだ。「心ここにあらず」ということでもあったろうか。そんなことがあって、「母」は10年の歳月を経て誕生したのである。

 しかし、「母」の反響は綾子の想像を超えた。出版して2年後には17万部を記録し、前進座によって舞台公演もなされた。この公演もまた好評だった。初日の舞台が終わる頃、前進座から電話があった。「おかげさまで、たった今幕が下りました。満員の客席には誰も立つ人がおりません」その電話の声は感動に満ちていた。

 「命ある限り」は、懸賞小説入選後、作家生活を歩み始めた三浦綾子の自伝であるが、興味ある秘話やエピソードがふんだんに盛り込まれていて、たいへん面白いものとなっている。



夢日記 「年賀状」

2013(H25)年11月24日(日) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 世論恐れる推進勢力 
 「安保改定時思い出す」

     タイトル 「年賀状」

 年賀状を求めてきた。もうこんな季節になったんだな、という感慨がある。たしかに最低気温が4、5度となって、師走まであとわずかだ。北風も吹くようになってきた。もう新しい年のことを思いめぐらす時季である。

 私は今まで年賀状などというものに、あまり関心がなかった。というより、自身の生活が乱れていて、年賀状を出すというような心持になれなかった。今までは賀状が届いた人のみに、あわてて返信するというようなありさまだった。

 賀状を年内に投函するようになったのは、ここ数年のことである。定年になって、いくらかゆったりと暮らすことができるようになってからだ。が、そんな状態だったから、賀状を送る人も限られている。いまさら新しい人に送っても、唐突すぎて受け取った方も困惑するに違いない。

 そこで、賀状の文面を考えてみた。

 「さて新しい年が来た。俺達の時代が来た。
 我等何を為すべきかではなしに、
 如何になすべきかの時代だ」

 これは、1928年1月1日の小林多喜二の日記である。

 これを賀状に記そうと思ったけれど、どうも時代がかっているように思うので、2014年の新年にふさわしい言葉を選ぼうと考えている。しかし、多喜二はあの暗黒の時代にあって、毅然とした言葉を放っている。やはり、決して並みの人ではなかった、と思える。

 年賀状のことを考えるということは、自身の新年の抱負について、心に描かなければならないだろう。熟慮なしにいますぐ思い浮かぶことは、短編小説を2編書くことと、ブログを毎日欠かさず更新してゆきたい、ということだ。

 しかし、パソコンが普及して便利になったけれど、私のところに届く賀状も同じようなものが多く、情緒に欠けるように思われて仕方がない。そうは言いながら、自身もパソコンで賀状を創るのだから、これも世情というべきだろうか。だから罪滅ぼしに、手書きの短い言葉を添えて、許しを請いたいと思う。



夢日記 「労働力は『商品』である」

2013(H25)年11月23日(土) 晴れ 

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 あなたが狙われる 廃案しかない秘密保護法案 この怖さ
 知らぬ間に…逮捕 知らぬまま…裁判 知らぬ間に…監視 知らぬ間に…戦争

     タイトル 「労働力は『商品』である」

 労働者学習協会の「ものの見方・考え方講座」の第3回目に参加した。すべてにわたって触れることはできないので、私が印象に残った項目について、感じたことを述べてみたいと思う。

 まず労働力とは何か? ということである。労働力は『商品』であり、労働者は、労働力という『商品』を時間決めで売っている。時間決めで売るというのがミソである。これが労働者と奴隷の違いである。奴隷は24時間365日、奴隷主に拘束されているが、労働者は、1日8時間とか10時間という風に時間を決めて、労働力を売っている。

 労働者という存在は、自分の労働力以外に売るものを持たない。「労働力」は、労働者の体に備わっている、身体的精神的エネルギー・働く能力の総体のことである。労働者が売っているのは、「労働」ではなく「労働力」である。

 労働者は、労働力を売り続けなければ生きていけない存在で、それは背負わされた宿命である。したがって、私たちは労働者として生きていく覚悟がいる。そして、自分の労働力を大切にすることがとても重要である。

 だから、同じ「宿命」を背負わされた労働者階級とともに生きることが大切である。圧倒的に立場が強いのは「雇う側」だ。生産手段をもっている資本家は、雇用する側(選ぶ側)であり、圧倒的に立場が強い。そこで、労働者と資本家は経済力の不均衡が存在し、「対等平等な契約」はない。

 資本家の特性は、労働力という『商品』をできるだけ安く買い叩くとともに、さらに今、日本社会に広がっているのは、残業代などを支払わないタダ働きが横行している。それが、本来資本家のもっている性格である。

 だからこそ、労働者は団結を広げ、必要な時には労働力を売らない、という行動が必要である。みんながいっせいに「労働力を売らないぞ」という行動が、ストライキである。これによってこそ、対等な交渉力の担保ができる。

 今回の講座は、たいへん面白かった。すべての労働者が、労働力という『商品』を大切にしなければならないことを痛感した。資本家が今日、あまりにも労働力という『商品』を、粗末に扱っているからこそ、それを守る団結や行動が求められている。



夢日記 「三浦綾子の『草のうた』」

2013(H25)年11月22日(金) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 「廃案必ず」1万人 秘密保護法案 会場あふれる
 東京・日比谷野音 志位委員長あいさつ

     タイトル 「三浦綾子の『草のうた』」

 「草のうた」は、三浦綾子の幼少時の自伝である。彼女の自伝には、少女期の「石ころのうた」、青春時代の「道ありき」、結婚当初の「この土の器をも」、著作活動を始めた頃からの「命ある限り」がある。

 「草のうた」は、誕生から小学校を卒業するまでの思い出を書いている。小学校卒業時から50年を経て書いたものである。まず私の心を動かしたのは、三浦綾子の記憶力である。

 小学校時代の交流のあった友達や近所の人たち、幼少時に行き逢った人たちのことを、鮮やかに、そして豊かに記憶していることだ。また、3、4歳の頃の記憶もあるというのだから、驚くほかない。

 私の記憶があるのは、6歳の頃のことが断片的にあるだけで、しかもその記憶はぼんやりとしていて、とても文字にすることなどできない。そして、級友なども、フルネームで覚えているということもない。「草のうた」には、まずそれに驚いた。

 しかし、青春時代を書いた「道ありき」は感動をもって読んだけれど、この「草のうた」はあまり私の心を打つというようなことはなかった。もちろん、幼少時の繊細で恐るおそる社会と関わりあってゆく、その初々しさの描写は共感をもって読むことができた。

 私の心を動かしたのは、小学校5年生の時「ほととぎす鳴く頃」と題する小説を書いたことだ。ノート一冊埋める、いわば長編小説を書いている。しかも、時代小説で、伊織という美少年とお静という可憐な少女との、仄かな愛を絡めて書いたという。それが書けたのは「私がかなりの時代小説を読んだ跡が、如実に出て」いるとしている。

 三浦綾子は幼少時から、読むことと書くことを始めており、かなり早熟だったことが分かる。著名な作家たちは、ほとんど小中学校の頃から豊富な読書をしている。私の知る限りその例外はほとんどない。

 私が教科書以外の本を手にしたのは、高校生であったから、文学を志すものとしては、遅きに失するというような情況であったような気がする。しかし、何事も思い立ったときが「こと」の始まりであり、決して遅いということはない。

 「草のうた」は、少し失望した感があるけれど、「命ある限り」は是非読んでみたいと思っている。早速、図書館に足を運んで、借りてくることにしたい。これは三浦綾子が著作活動を始めた頃からのものなので、私にとって興味は尽きないものである。



夢日記 「脱テレビの日々」

2013(H25)年11月21日(木) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 原発事故の衛星画像隠す 災害対応より「秘密保全」
 政府の答弁とも矛盾 衆院特委で赤嶺議員追及

     タイトル 「脱テレビの日々」

 私は読書をしている時とパソコンに向かって、ものを書いている時が「至福の時」である。が、「ものを書く」時といっても、何もなかったら決して愉しくはないだろう。私の場合は音楽が欠かせない。

 この音楽があって初めて、「至福の時」といえるのだ。いまハマッテいるのは、「森田童子」である。この歌手は、1952年生まれだから私より5歳若い、女性シンガーソングライターだ。最近、知ったばかりの歌手である。

 おそらくテレビに一度も登場したことはないだろうし、今は活動を中止している筈である。彼女は学園闘争が吹き荒れる時代に高校生だった。そして、東京教育大学の学生運動と交流があったようだ。

 彼女の歌は、けだるく物悲しい、そして、つぶやくようにうたっている。その声がなんともいえず私の心を捉えてはなさない。その楽曲を一度聴いただけで、私をとりこにした。いうなれば、一目惚れのようなものである。

 その歌をユーチューブで聴きながら、「ものを書く」、そんな幸せがあるだろうか。一方的に流れてくるテレビ、絶え間のないコマーシャル、それにはもううんざりだ。この文章も「森田童子」の歌を聴きながら書いている。

 が、私が好む歌手は、「森田童子」だけではない。中島みゆき、加藤登紀子、山崎ハコ、高橋真梨子、イルカ、ばんばひろふみ、南こうせつ、松山千春、井上陽水、吉田拓郎などなどである。まだまだ、挙げればきりがない。言ってみれば、私の好きな歌は1970年代にうたわれた、フォーク調のうたである。

 だがフォーク調の歌だけに限らず、「ものを書く」時は、ジャズも欠かせない。ジャズの中でもしっとりとした癒しの曲もあって、それはとても心地よい。クラシックも嫌いではないが、これは音程のふり幅が大きく聴きづらいので、「ものを書く」時はほとんどかけない。

 「脱テレビの日々」といっても、テレビを捨てたわけではない。ほとんど観ないけれど、必要な番組を選択してスイッチを入れることもある。たまに見逃せない放送があるので、そんな時は身を乗り出して観るようにしている。

 が、私の場合「脱テレビの日々」といっても構わないだろう。読書ともの書きをしていれば、テレビを観る時間もないし、視聴者を惹きつける放送も皆無に近い。しかし、いい番組を作らせる責任は視聴者にもあるだろう。



夢日記 「映画『くじけないで』」

2013(H25)年11月20日(水) 曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 緊迫 秘密保護法案 廃案しかない 修正ではダメ各界女性 銀座
 自公み維「修正」協議 〝危険変わらず〟批判広がる

     タイトル 「映画『くじけないで』」

   くじけないで

   ねえ 不幸だなんて
   溜息をつかないで

   陽射しやそよ風は
   えこひいきしない

   夢は
   平等に見られるのよ

   私 辛いことが
   あったけれど
   生きていてよかった

   あなたもくじけずに

 これは柴田トヨの詩である。100歳の詩人が映画になった。文学を志す私としては、詩がどのようにして生まれるのか、詩作をするうえでどのようなことに気をつけているのか、あるいは詩作の苦労などを映画で描いて貰いたかったが、そういう視点に重点をおいてなかった。

 詩作の苦労というよりも、柴田トヨの生涯を浮き彫りにするということに重きをおいていたように思う。幼い頃に子守の奉公に出されたことや、青春時代に料理屋に奉公に出されたことが描かれる。

 そして戦争や結婚生活、息子健一の誕生、健一の優しさと職場を20以上も替え、競輪にうつつをぬかす、生活力のない息子に苦労するトヨが描出される。そんな健一が、90歳を過ぎた母トヨに詩作を薦める。

 そのうちトヨの詩が、新聞の詩の欄に入選する。そして、柴田トヨは101歳で亡くなるまで、詩作への意欲を失うことはなかった。

 柴田トヨの詩は、簡潔で分かりやすいが、物足りないという人も少なくない。が、彼女は詩心を持っていたし、詩人の眼をもって、日常生活や来し方を見つめている。

 この映画は詩と違って、やや物足りないが、好編である。それを支えているのは、もちろん詩人柴田トヨである。だが、八千草薫の好演なくして、この映画は成立しなかっただろう。競輪におぼれてしまう心優しい健一役の、武田鉄矢の演技も忘れてはならないだろう。

   「人生、いつだってこれから。
     朝はかならずやってくる。」 柴田トヨ



夢日記 「三浦綾子『ひつじが丘』」

ポインセチア・11~12月


2013(H25)年11月19日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 フィリピン・レイテ州 電力壊滅 燃料底つく
 台風被害 難航する救援・復興 各地 死者・行方不明5574人

     タイトル「三浦綾子の『ひつじが丘』」

 この小説を読んで、まず感じたのは「チェーホフの銃」ということだった。これは小説を創るうえで、チェーホフが語った名言である。「壁にかかっている銃は、必ず発砲されなければならない」ということである。つまり、小説に登場させた者や物は、その小説の中で、必ず仕舞いをつけなければならない、ということだ。

 「ひつじが丘」は、人物や物を登場させたら、小説の中で必ず落着させるという、小説のセオリーを守っている。この小説は中篇小説だが、その物語をたどるようなことを、ここで私はしない。まず、銃として、美女三人の高校生が登場する。この小説はその三人の恋、愛情の行方を描いている。

 その三人とは、主人公ともいえる奈緒実と、そして京子と輝子である。この三人とも、その恋は糸がもつれたように複雑に絡み合っている。簡単に言えば、三角関係である。

 奈緒実は、良一をめぐって輝子と三角関係になる。京子は、竹山をめぐって奈緒実と三角関係におちいる。輝子は、良一をめぐって奈緒実と三角関係となるという、複雑な物語である。

 竹山は高校の先生で恩師である。良一は新聞記者で、酒に溺れ、何人もの女と乱れた女性関係をもつ男である。が、天才的な絵の才能を持っている。この絵の才能を持っているというのが、「チェーホフの銃」である。それが、ひとつの鍵を握っている。

 やはり、三浦綾子の小説である。結局はどうしようもないような男の良一が、十字架のキリストの絵を描くようになる心の軌跡を描いている。そして、人間は罪も過ちも犯す弱い存在として描かれ、つまりは、神の存在を認め、神に赦しを乞うという風に話は展開される。

 良一であれ竹山であれ、恋に盲目となる人間として描かれる。その罪や過ちが描かれるのだが、それは、人間は生まれ着いた時から、罪や過ちを犯す弱い存在であるということが説かれる。つまり、人間の原罪である。そして、神の前にひざまずいて赦しを乞うというように、小説は収斂してゆく。

 神の存在うんぬんを考えないで読んでゆくと、男と女の複雑な恋の行方など、よく描かれているし面白く読んだ。良一の再生の物語という風に読めないこともない。あるいは主人公は良一といえるかも知れない。三浦綾子の小説は、やはり、誠実でまじめで、それでいて面白い。



夢日記 「短編小説集ゲラ刷り」

木瓜11月
2013(H25)年11月18日(月) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 自衛隊員身辺調査 元陸自1尉が証言 友人の名前をすべて書いた
 先方に話してはいけなかった 秘密保護法で制度化

     タイトル 「短編小説集ゲラ刷り」

 「鬼藤千春短編小説集」のゲラ刷りが上がってきた。クリップで留められていたが、だいたい本の恰好になっている。いよいよ本のイメージが摑めるまでになった。クリスマス前までに完成させたい、ということなので、校正作業が急がれる。

 本のページ数はおおよそ300頁なので、それを読み込んでチェックする仕事がある。その作業だけで3日はかかるような気がする。作中の人物の名前も何編か替えているので、注意が必要だ。いままでの経験からいうと、名前を替えた場合、すべて直っていないことがよくある。

 表紙の写真も持ってきてくれたが、よく撮れていた。タイトルが「磯の光景」なので、それにふさわしい写真を選んだ。「磯」に関係している作品は、①タイトルになった「磯の光景」 ②「みかん」 ③「潮騒の村」 ④「赤い傘」 ⑤母の潮汲み、と5作品ある。こうしてみると、「作家と風土」というのを感じる。

 だが、ゲラ刷りをざっと見ただけでも、訂正しなければならないカ所がいくつもある。私のイメージと違ったものが刷り上っている。印刷所の担当者にうまく伝わっていないのだ。だから、今後は打ち合わせの書面を交わしてゆきたい、と思っている。

 私からいえば印刷所の担当者は、後工程ということになる。だから、後工程に自身の意思を適切に伝えることが必要だ。それがクレームを出さないことに繋がると思う。まずは、発注者が自身のしっかりとした意思をもたなければならない。

 どうか、本の完成までにクレームのないようにと祈るばかりである。私の思い通りの本がクリスマスまでに上がれば、新年を、希望をもって迎えることができるだろう。どうかいい本ができますように、と心から願っている。



夢日記 「出張校正」

2013(H25)年11月17日(日) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 革新懇 新しい共同へ 志位委員長が特別発言
 地域・職場・青年の全国交流会 堺市

     タイトル 「出張校正」

 「まがね」55号がようやく校了した。先日、最終の編集会議を行って、小説の順番を決めたり、随想や詩をどこに嵌め込むかを検討したりした。が、その段階では校了というわけではなかった。まだ、最後の校正が残されていた。

 そこで、編集長の妹尾さんと私が印刷所へ出かけたというわけである。つまり、出張校正だ。ゲラが仕上がっているので、目次のページと作品のページが合っているかどうかの照合や、全ページにわたってのチェックをした。

 2カ所の不備がみつかって訂正した。そして、表紙と裏表紙の文字の色決めをして校了となった。ここまでくれば、あとは印刷と製本だけなので、一週間もあれば刷り上るということだ。まがね文学会の例会が24日にあるので、それまでには完成する。

 校正作業のなかで、驚くことがあった。それは編集長の病気の回復ぶりだった。彼女はある病気で倒れて、右半身が不自由になっていたのだが、校正作業をみていたら、右手を使ってページが繰れるまでに回復していた。

 8カ月前も彼女と出張校正をしたのだが、その折は右手を器用に使うことができなかった。歩くのも右足が不自由だった。その時は、校正に向かう覇気を感じなかったが、今回は少し趣が違っていた。積極的な作業の姿勢が見受けられた。それを私はひとつの感動を持って眺めていた。

 やはり、本を発行するというのは大変な仕事である。原稿集めで苦労をして、校正も著者校正、再校正、再々校正、そして出張校正という具合で、校了となるわけである。私は往復3時間かけて、浅口市から岡山市まで3回足を運んだ。

 それで仕事が終わるわけではなく、約20名の会員に本を届ける作業や贈呈分の発送作業がある。そして、集金という具合で、印刷所に代金を納めてはじめて本発行の始末がつくのだ。その作業に私は責任を負っている。
 

夢日記 「倉敷自分史の会」

2013(H25)年11月16日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 温暖化対策 大幅に後退 温室ガス3%増目標(90年比)
 安倍政権決定 原発頼み変わらず NGO抗議次つぎ

     タイトル 「倉敷自分史の会」

 倉敷自分史の会に初めて参加した。その動機は自身が「自分史」を書いてみたい、と思ったからである。私の人生は波乱に満ちたものであった。が、それは自身がそう思っているだけで、他人から見ればそうではないかも知れない。

 世の中には、もっともっと辛くて酷い体験をした人は、限りなくいることだろう。たとえば、病気であるとか、経済的なことであるとか、人間関係のことであるとか、それは様々であるに違いない。

 私の場合は、そういう表面に現れる辛苦というよりも、心の問題のような気がする。三浦綾子が「道ありき」で、心の歴史を書いたように、私もどちらかと言えば、「心の在りよう」を辿ってみたいように思っている。

 そういう動機で、「自分史の会」に出かけた。倉敷公民館で、約10名の参加で例会が行われた。3人の方が自身の随筆を発表された。それぞれ、自身が自らの作品を朗読し、参加者が意見を述べる。

 この批評の面白いところは、作品そのものを論ずるという側面と、作者の生き方に関わって様々な意見を述べるということである。その人の日常生活の在りようについて、励ましとともにものの見方や捉え方の助言が出されたりする。

 作品論に縛られないで、その人の生き方まで踏み込んで話し合われる、というのもめずらしいことだ。それは、「自分史の会」の歴史があり、それだけ会員それぞれが、自身の垣根を取り払って、付き合っているということだろう。

 が、そういう中にあって、起承転結の問題、「ですます調と、である調」の問題、いい随筆とはどのようなものか、などが話し合われた。いい随筆とは、いわゆるいい文章や文章のノウハウを駆使したものではない。やはり、たとえたどたどしい文章であっても、モチーフやテーマがしっかりした話は、読む者の胸を打つということである。

 私の抱いていた「自分史の会」とイメージが違ったので、今後どのようにこの会と付き合ってゆくべきか、考えているところだ。



夢日記 「人間とは何か『社会と文化』」

‘13(H25)年11月15日(金) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 国会議員・記者も対象 笠井議員追及に 防衛省認める
 情報保全隊の監視活動 秘密保護法で隠ぺい

     タイトル 「人間とは何か『社会と文化』」

 岡山県労働者学習協会の「ものの見方・考え方講座」に参加した。たいへん有意義な内容だった。①「わたし」とは誰か ②社会と「わたし」の関係 ③健康と文化を考えるー「社会」とのかかわりで、というテーマで講義がすすめられた。

 「わたし」とはいったい何者か? 自分に即して考えてみたいと思う。私には妻がいるので、私はその妻の夫である。子どもが4人いるので、私はその子どもたちの父だ。孫が6人いるので、私はその孫たちの祖父である。

 甥や姪たちがいるので、私はその甥や姪の叔父である。息子や娘たちの連れ合いからみれば、私は義父ということになる。私は文学会に入っているので、その会員から見れば、私は文学の仲間である。町内会にも加入しているので、町内会の人から見れば、私は町内会員だ。仮に私が働いていれば、資本家からみれば(他人から見てもだが)、私は労働者である。

 このようにたどっていけば、際限がないように思われる。それをカール・マルクスは、短い言葉で言い表している。「人間的本質は、個々の個人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては、社会的諸関係の総体である」これが、マルクスの言葉である。それが、つまり「わたし」なのである。

 この講座で、もっとも印象に残ったのは、「ゆとりが文化を育てる」ということである。それを講師の方は、①お金 ②自由な時間 ③人間関係ー孤独のなかからは、文化は育まれない、という3点をあげて説明された。

 現代は「ゆとり」を奪われている社会である。それは、ゆとりをムダ、として削る力が働くのが、資本主義社会だ。また、一方で、文化を格段に発展させてきたのも、資本主義社会である。私たちは文化を育てる「たたかい」が求められているのだ。

 この講義を聴いて、充分理解できないところもあったけれども、私たちの現実の在りようをしっかり洞察してゆけば、深く認識できるということを確信することができた。



夢日記 「三浦綾子『道ありき』

‘13(H25)年11月14日(木) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 大会決議案を全党で練り上げ「特別期間」の成功を必ず
 党勢高揚の中で党大会へ 日本共産党9中総終わる

     タイトル 「三浦綾子『道ありき』」

 三浦綾子の「道ありき」を読んだ。厳粛にもなり、胸を熱くする場面も何カ所かあった。私にとっては捨て難い作品である。無神論者の私であっても、心を打たずして終わらないものだった。

 これは、三浦光世選の小説選集に収められているが、小説ではなく手記である。ただ作者は、「これは、わたしの心の歴史であって、必ずしも、事実そのままではない」と語っている。が、限りなく事実に近い手記である、という風に私は読んだ。

 この作品は、昭和21年、作者が24歳の時から三浦光世と結婚するまでの「心の歴史」を書いている。結婚したのは彼女が37歳の時である。したがって、おおよそ13年間の彼女の生きざまを綴っているということだ。

 この作品で印象に残っているのは、ひとつはキリスト教を嫌っていた綾子が信者になってゆくプロセスが丹念に描かれている。「正さん。だからわたし、クリスチャンって大きらいなのよ。何よ君子ぶって……。正さんにお説教される筋合いはないわ」と言い放つのだった。

 三浦綾子は昭和21年の春、高熱で倒れたが、それは右肺上葉に空洞ができていたからだった。この物語のもうひとつの側面は、彼女の療養生活を描いたともいえる作品である。その生活の中で、彼女は多くのキリスト信者と交流をつづける中で、次第に神の存在を認め、神を信ずるようになる。そして、ついに1952年、彼女が30歳の時に洗礼を受けるのである。

 ふたつには、恋人前川正の死と、みっつには三浦光世との出会いと結婚にいたる道程が、印象的に書かれている。恋人前川正の死は、読者の心をも悲しみに誘わずにはいない。

  雲ひとつ流るる五月の空を見れば
   君逝きしとは信じがたし

  君死にて淋しいだけの毎日なのに
   生きねばならぬかギプスに臥して

 前川正が死んで、彼女は挽歌を次々に詠んだ。

 そして、のちに夫となる、三浦光世との出会いである。神は、わたしから前川正を取り去った代わりに、三浦光世を見舞わせ、西村先生を天に召した代わりに、一人の信仰の導き手を与えてくださった。

 しかしわたしは、やはり弱い女であった。三浦光世の愛を、全く拒否するほどに理性的ではあり得なかった。いつの間にかわたしは、彼を誰にも手渡したくはなくなっていた。そして、綾子と光世は結ばれるのだった。

 私も自分史を書いておきたいと思うけれど、三浦綾子の手記(自分史)は、きわめて優れている。若い時にこれを読んでいたら、私の人生も違ったものになっていたかも知れない。それだけ読者に訴えてくるだけのものを「道ありき」は有している。



夢日記 「優しい心」

‘13(H25)年11月13日(水) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 「自共対決」時代の始まり〝第3の躍進〟を本格的流れに
 第26回大会決議案を提案 日本共産党が第9回中央委員会総会

     タイトル 「優しい心」

 人間は人の優しい心に触れると、心が爽やかに、あるいは心が温かくなる。いま、私は買い物から帰って、この夢日記を綴っているのだが、心が癒されるような心持でパソコンの前に座っている。

 スーパーに行って、酒の肴にと思ってカニをひとパック選んで、レジに向かった。すると、レジに並んでいた婦人が、「どうぞ、お先に!」と言って、順番を譲ってくれたのである。私は断ったが、また「どうぞ!」と言って、自分は後ろへ下がってしまった。

 私はその婦人の好意を快く受け止めて、先に並んで会計を済ませた。自然に「ありがとう」の言葉が溢れ出た。こうした優しい、親切な心に出合うと真実嬉しくなる。今の社会では、このような譲り合い、助け合いの心が失われつつあるだけに、貴重な出来事である。

 こうした経験は、私はこれまで何度もしてきている。ガソリンスタンドで給油して、国道に出ようと思っても渋滞していて、なかなか出ることができないということがあった。私はイライラし、前を通り過ぎる車を一瞥して、舌打ちしていた。

 ところが、軽自動車や普通車は無視して通り過ぎるのに、長距離トラックの運転手が、目の前で停車したのである。私は不思議に思ってトラックの運転席を見上げると、日に焼けて赤くなった男が、白い歯を見せて、合図を送っている。

 手を左右に振って、私を導いているのだった。私はクラクションを鳴らし、頭を下げて国道へと出ていった。この時も私は感動した。長距離の運転手というと、いささか怖いというイメージがある。しかし、その運転手は、道を譲ってくれたのである。

 このような、優しさ、親切な心が満ち溢れるような社会になれば、生きやすくなるに違いない。ところが、そのような心をもっとも喪失しているのは、政治のような気がする。今こそ、庶民に温かい政治が求められていると思う。



夢日記 「終日、物書き」

‘13(H25)年11月12日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 海自隊員に誓約書強要 携帯記録からウソ発見器まで
 秘密保護法で危険拡大 赤嶺氏が告発

     タイトル 「終日、物書き」

 終日、書斎につめて物書きをした。こういう日もめずらしい。たいていは半日物を書いて、半日は読書をしたり、ほかの用事をしたりするのだが、この日は少し違っていた。日課となっているウォーキングもせずに、パソコンと向き合っていた。

 ひとつは、鬼藤千春短編小説集の「あとがき」を書くということだった。ふたつには、「まがね」55号の編集後記を書くことである。どちらも、夜10時頃までには脱稿することができた。

 当初私は、短編小説集には「あとがき」は必要ないものと思っていた。作品だけ読んで貰って、忌憚のない批評をしていただいたらいい、と考えていたのである。ところが、評論家の小林昭の文章に触れて、少し自身の思いを書いておこう、となったのである。

 「しかし、文学は、何よりも思想だ」と、小林昭は語っていた。それに触発、刺激されて書くことになったのだ。だが、実際の私の「あとがき」は、少しこれに触れているけれど、作品紹介のようなものになってしまった。

 短編集には、12作品を掲載する予定だが、そのうち10作品について「民主文学」などに取り上げられて、論じられている。そこで、作品の解説のような意味合いを込めて、それらの批評を紹介することにした。原稿用紙にして6枚ほど書くことになった。

 「まがね」55号の編集後記は、実は私の担当ではないけれど、編集長の身体の具合がよくないので、私が書くことになったのである。55号は節目となる記念号なので、それについて長瀬佳代子が「まがね」の歴史と歩みを書いているので、それを軸にして編集後記を書いた。

 このように、ふたつの文章を書くのに、終日かかってしまったのである。どちらも急がれるものだったので、ゆっくりとしてはおれなかった。ふたつの仕事をして、今はほっとしている。肩の荷が下りたような、そんな心持である。



夢日記 「『まがね』編集会議」

‘13(H25)年11月11日(月)  晴れ 

『しんぶん赤旗』TOPニュース  休刊日

     タイトル 「『まがね』編集会議」

「まがね」55号の編集会議が岡山市で開かれた。過去2回開いてきたので、最終の編集会議だった。会議には編集委員の5名が出席した。

 編集会議はまず、最終の校正をすべての作品についてやった。校正も3回目なのでスムーズに終えることができた。そして、編集である。作品の掲載の順番を決め、随想、詩をどこに挿入するかということを検討した。

 カットの選択、そして細心の注意を払わなければならないのは、ページ打ちである。その後、表紙、中扉、目次をつくって、無事、編集会議を終えることができた。あとは、印刷所へ行っての出張校正が残っているだけである。

 今号から編集を大幅に変えたところがある。ひとつは、詩を除くすべての作品の字を大きくしたことだ。いままでは、小説、随想の字が小さく読みにくかったので、それを改善した。さらに、随想を3段組から2段組に変更したことである。

 「まがね」55号は、小説が10編、随想が5編、詩が2編投稿されている。小説が10編寄せられたということは喜ばしいことである。しかも、本誌初登場という人もおり、新鮮な号になったと思っている。

 今号の特徴は、長瀬佳代子が創作という形で、「まがね」の歴史、歩みを書いていることである。まがね文学会が世代交代するなかで、その歴史や歩みが継承されるということは、意義のあることである。

 11月24日(日)が例会なので、それまでに「まがね」55号が完成するように願っている。この合評が行われるのは、12月は忘年会を計画しているので、2014年の1月例会からになる予定である。



夢日記 「里に降りる紅葉」

‘13(H25)年11月10日(日) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 「特定秘密」国会・裁判所には厳しく制限
 米国にはどんどん提供 許すな!秘密保護法案

     タイトル 「里に降りる紅葉」

 立冬が過ぎた。いよいよ冬の始まりである。私にとっては、辛いつらい冬がやってくる。私は異常体質で、とにかく寒がりである。いろんな活動も寒さのために狭められる。読書や書きものも、おっくうになる季節である。

 が、夏には滅法強い。猛暑といわれた今夏でも、ほとんどエアコンは使わなくてすんだ。就寝時にエアコンをつけるということも信じられない。今夏、寝室のエアコンは、一度も使うことがなかった。それほど私は夏に強く、冬に弱いのである。立冬だといってもまだ凌ぎやすいが、もう電器コタツは準備して折々にスイッチを入れている。

 立冬を過ぎたというので、最寄りの寺に紅葉の様子を見に行ってきた。銀杏の大木が2本あり、1本は黄色に染まっていたが、もう1本は青々として紅葉の片鱗も見せずに、幹は天を突いていた。カエデの様子を見るために、境内をめぐったが、まだ色づき始めたばかりである。紅葉とは言い難い。

 しかし、私のウォーキングの道々には、紅葉が見られる。特にイタヤカエデは、真紅に染まっているものがある。同じカエデでも、その紅葉の仕方はさまざまで、まだ青い葉と紅い葉が混在しているものがある。サクラはもう紅葉を終えて、ほとんど落葉してしまっている。

 このように、冬の始まりを告げるように、里にも紅葉が降りてきつつある。瀬戸内の暖かい海の村にも紅葉がやってきた。それは、私の「つらい冬の到来」を告げるものである。来春の彼岸まで、私は震えながら過ごすことになる。「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を呟くのはまだまだ先のことだ。



夢日記 「三浦綾子『塩狩峠』」

‘13(H25)年11月9日(土) 曇り時々晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 生活保護「親族扶養が要件」は誤り
 厚労省が「是正」文書 小池議員の追及受け

     タイトル 「三浦綾子『塩狩峠』」

 三浦綾子の塩狩峠を読んだ。これは、塩狩峠で客車が連結器からはずれ、峠を逆走してそのままではカーブで転覆する危機にあったのを、主人公の永野信夫が線路に身を投げ出して停めるという話である。

 そして、無事列車は停まりひとりの犠牲者も出さなかったのである。この物語のクライマックスはやはりこの場面だろう。逆走しはじめた時、信夫はデッキのハンドブレーキを回して客車を停めようとした。客車はそのブレーキによって、かなりスピードを落とすことができたが、完全に停めることができなかった。

 カーブはすぐそこに迫ってきている。このままでは客車は転覆してしまう。客車には大勢の人が乗っている。そこで、信夫は線路に身を投げ出して列車を停めるのである。信夫はこの行為によって、車輪にはさまれ命を落とすのだった。

 この日は、信夫にとって最良の日になるはずだった。婚約者のふじ子との結婚のための「結納の日」だったのだ。それで、旭川から札幌へ向かっていたのである。しかし、最良の日になるはずだったのが、暗転して最悪の結果を招いてしまったのである。

 信夫とふじ子はともにキリスト信者だった。「結納の日」を迎えるまでに、ふたりの間には大きな困難があった。まず、ふじ子は結核とカリエスという難病にかかっていたのだった。信夫はふじ子が治癒するまで何年でも待つといっていたが、数年を経て奇跡的に回復したのである。

 また、信夫はキリスト教を子どもの頃から毛嫌いしていたが、周りの信者やとくにふじ子の影響などによって、キリスト信者になってゆくのである。これもこの物語のひとつの重要な要素となっている。

 この物語は、実際にあった話をもとに、三浦綾子が虚構を駆使して、創りあげた物語である。物語は虚構ではあるが、実際の列車事故がなかったなら、書き得なかったものである。それがこの作品のモチーフになっている。

 私はこの物語の中で、神の存在についてや聖書の言葉などに違和感をもったが、信夫をひとりの人間としてみれば、自身を犠牲にして人命を助けるという行為には共感を覚えるものである。人間の犠牲的精神、人間の美しい行為として読めば、キリスト信者でなくとも、感銘を受ける物語である。

夢日記 「三浦綾子を読む」

‘13(H25)年11月8日(金) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 国民の目・耳・口ふさぐ 秘密保護法案が審議入り
 必ず廃案に追い込もう 終日抗議

     タイトル 「三浦綾子を読む」

 三浦綾子小説選集を図書館から借りてきた。これは夫の三浦光世が選んだもので、全8巻ある。このうち読んだものが3巻あるので、今回読もうと思っているのは、あと5巻である。

 三浦綾子を読もうと思ったのは、彼女の「母」と「銃口」を読んで、感動したからである。このふたつの作品を超える作品があるのか、あるいはないのか、いささか不安をもっているが、とりあえず読んでみたいと思っている。

 彼女はストーリーテラーといわれ、文壇では通俗的な作品だ、という評価もなされている。また、彼女がキリスト信者ということもあって、信仰の問題が色濃く描かれており、それが難点だという評価もある。

 しかし、「母」と「銃口」は、そのふたつの指摘を超えて、読者を小説世界へいざない、感動や感銘を呼び起こさずにはいなかった。それだけの作品を創造した作家なので、それなりの水準をもったものを、夫の光世は選び出しているに違いない、と思っている。

 それと、私は神も仏も信じない無神論者なのだけれど、キリスト教について学んでもいいではないか、という心持になっている。いままでは、遠藤周作などの作品は敬遠してきたが、なぜか今はそうしたものを読む広い心にもなっている。

 図書館への返却日が11月19日となっているので、それまでに全部読めるかどうか微妙なところだが、これにかかりっきりの日々になるように思う。いい作品に出合えるように祈っている。

夢日記 「面白い講座」

‘13(H25)年11月7日(木) 曇りのち晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 NSC法案採決強行 衆院特委 赤嶺氏批判「戦争の国づくり」
 自公・民・維・み賛成 共産党は反対

     タイトル 「面白い講座」

 ものの見方・考え方講座の第1回に参加した。この講座は、11月5日より毎週火曜日に開かれる。12月3日(火)の第5回をもって終了する。

 講座のカリキュラムはこうなっている。第1回は「人間とは何かー労働と知性」、第2回は「人間とは何かー社会と文化」である。第3回は「労働者とはー資本主義社会で生きる」、第4回は「ヒューマニズムと労働組合」、そして、最後の第5回は「変革の哲学ー唯物論と弁証法」だ。

 第1回の「人間とは何かー労働と知性」を聴講して、私はたいへん面白かったし、心が洗われるような心持がした。面白かった! というと何か俗っぽく聴こえるかも知れないが、決してそうではない。

 面白いという言葉を調べてみると、一説に、目の前が明るくなる感じを表すのが原義で、もと、美しい景色を形容する語とある。つまり、目の前が広々とひらける感じーーということである。

 とにかく、私は面白いと感じたのである。とくに、「人間の知性について」という講義が印象に残っている。ーー人間の知性は、感覚器官をとおして知覚した対象を記憶し、これをもとに整理・分析・想像し、また言語によって一般化し、抽象化してとらえる働きーーと定義づけている。

 そして、人間だけが、考えることができる。それは言語をもっているからであり、言語なしには考えることはできないし、生きてゆくことはできない、ということである。

 文学を志すものとして、この話は痛切に私の心にひびいてきた。さらに、ーー考える力は、どのような言葉を持っているか(使いこなせるか)と比例する。ーー考える道具としての「言語」ー豊かな言葉を獲得することの大事さが、説かれた。

 音楽は音で、絵画は色彩や造形で成り立つ芸術であるが、もっぱら文学は、言葉を駆使し構築してゆくことによって創造する芸術である。このように、第1回の講座は、私にとってたいへん面白い、有意義なものであった。

夢日記 「気になる言葉」

‘13(H25)年11月6日(水) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 原発従業員の身辺調査 政府が早期導入検討
 秘密保護法案と歩調 規制委検討会議事録で判明

     タイトル 「気になる言葉」

「民主文学」創刊500号記念増大号に目を通していて、いくつか「気になる言葉」に出遭った。創刊500号が発行されたのは、2007年6月だから6年前である。その中の「500号と私」というエッセイの言葉である。

 まず、評論家の小林昭の言葉である。彼はこう述べている。「一般文芸誌にあらわれる若い作家たちのかなりの部分が私には異様なものに思われる。価値観を多様化させ、何でも相対化することをおぼえた彼らに現実がよく見えないことはわかる。その目に映るありのままを描いているのだろう。しかし、文学は、何よりもまず思想だ」そして、彼は「人間讃歌と呼べるような日本文学の作品を、読みたいと思っている」と書いている。

 小説の題材は多様でいいと思うけれども、しかし、作家がその対象に向かう時、そこに思想がなければならない、という小林昭の言葉は、私を触発し刺激する言葉である。

 次は田島一のエッセイである。彼はその中で松本清張の言葉を引いている。「谷崎潤一郎とか川端康成のような文学は、その作家が生きているかぎりの一代きりの文学だ。プロレタリア文学というのは、つねに後の世代に受け継がれ、発展してゆく文学だ」

 あの松本清張が、プロレタリア文学に触れて、発展してゆく文学だ、と語っている。なんと心強い励ましの言葉を放っていることだろう。「民主文学」はその、プロレタリア文学の遺産と伝統を引き継いでゆくことを目指している。「民主文学」もまた、後の世代に受け継がれ、発展してゆく文学でありたい、と願っている。

 最後になかむらみのるの言葉である。第一は、「作家の目」でものを見るということ。表面しか見ていなかったことを深く見る、見過ごしてきたことをきちんと見る、ということだ。第二は「人間を描く」ということである。第三は「描写に徹する」ことだ。そして、ひたすら小説を読みひたすら小説を書かなければならない、これが第四の言葉である。

「人は小説を書かなくとも生きていけるが、小説を書ける人生は幸せである」これは、なかむらみのるのエッセイの結びの言葉である。私も無理をすることなく、小説と真向かって生きてゆきたいと思う。

夢日記 「三浦綾子の『銃口』」

‘13(H25)年11月5日(火) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 子どもの権利が最優先 公的保育充実して
 パパママ・保育士ら「制度改悪ノー」東京・銀座をパレード

     タイトル 「三浦綾子の『銃口』」

 10月30日の夢日記で、「竜太はどうなってゆくのか」という一文を綴った。その時はまだ四分の一くらいしか読んでいなかった。その小説を読了してこれを書いている。

 竜太は波乱の青春時代を送ることになる。その時書いたのは、坂部先生のすぐれた教師像に惹かれる竜太が、どんな人生を歩むのかということであった。そして、幼い愛情を持つ芳子との関係がどうなってゆくのか、ということだった。

 竜太は坂部先生に憧れ、やはり小学校の教師となって、自由で良心的な教育を目指して懸命に子どもたちと、学校生活を送っていた。しかし、竜太は治安維持法違反ということで、捕らえられる。竜太だけでなくこの時一斉に捕えられたのは、教師約80人にものぼった。

 竜太は綴り方連盟の会合に30分ばかり出席していただけである。会員でもなんでもなかった。それなのに、刑事に引っ張られて、7カ月余も勾留されて取り調べを受ける。坂部先生も勾留され、逆さ吊りなどをされたあげく、死に至ることになる。

 竜太は処分保留のまま保釈されることになる。そして、芳子との結婚がまもなくという時、竜太に召集令状がきて、ふたりは結ばれることがなかった。竜太は満州に送られて、軍隊生活を送るのだった。彼は前線に出るということはなかったが、上官の理不尽な殴打によって、片方の聴力を失うことになる。

 南方に送られた弟の保志は戦死するが、8月15日を迎え終戦となる。そして、竜太は逃避行を試みて、ようやく祖国へ、ふるさとの旭川へと帰ることができたのだった。10月には、幼い愛情を注いできた芳子との結婚がやっと実現する。

 そして、竜太はふたたび教師の道を歩み始めるのだった。この作品は編集者から「昭和を背景に神と人間を書いて欲しい」と、三浦綾子に依頼があり、それで書かれたものである。昭和をどうとらえるか、人間をどうとらえるか、それが三浦綾子に問われることになる。

 だが、三浦綾子の眼はくもっていない。昭和という時代を「治安維持法がまかりとおる暗黒の時代」そして、アジア諸国民2000万人以上の殺戮、日本国民300万人以上の惨害をもたらした「戦争の時代」としてとらえている。

 三浦綾子の長編小説「銃口」は、昭和の時代をくっきりと描き出した、すぐれた作品である。とくに、主人公竜太の人間像を創造した筆者を、たたえたいと思う。

夢日記 「しんぶんの配達」

‘13(H25)年11月4日(月) 曇り

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 原発全従業員 米国、身辺調査を要求
 米公文書 秘密保護法で情報隠し拡大

     タイトル「しんぶんの配達」

 私が「しんぶん赤旗」を読み始めたのは、高校3年、18歳の時からである。実に48年間読み続けてきたことになる。永い歳月であり、まもなく半世紀を迎えようとしている。

 私は、一般紙はとっていない。仕事に就いている時は、職場で読んでいたし、今は必要なときには、インターネットで検索して、目を通すようにしている。それで事が足りるのである。

「しんぶん赤旗」の魅力は、なんといっても「希望を語り、それを指し示す」ところにある。それは、国民が主人公の社会を創るという展望をもった政党の、「しんぶん」だからこそ、希望を指し示すことができるのではないだろうか。

 その新聞を読み始めた頃から、私は配達も手伝うようになった。この仕事もまもなく半世紀になろうとしている。若い頃は、遅配や欠配をすることもあったが、30歳を過ぎてふるさとに帰ってからは、一度も読者に迷惑をかけたことはなかったように思う。

 今私は週2日、土曜と日曜日に配達を担当している。配達で辛いのは冬季と雨の日である。冬季は寒いということもあるけれど、車のフロントガラスが凍ってしまって、前が見えないということがよく起こる。暖機運転をして、氷を融かしてはじめて出発できるのだ。

 しかし、配達途中で家の角を曲がると、金木犀の甘い香りが漂っていたりすることがある。その芳香に出遭うと幸せの想いに包まれる。また、なんといっても、島影から昇ってくる日の出を目にすると、車を停めてしばらくそれを眺めたりする。これも幸せであり、感動である。

 私は、「しんぶんの配達」を題材にした、「潮騒の村」という小説を書いている。ちょうど100枚の作品だけれど、これを「鬼藤千春短編小説集」に載せる予定で準備をすすめている。「しんぶんの配達」は私の人生の一部となっている。

夢日記 「人生は出会い」

‘13(H25)年11月3日(日) 雨

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 原発廃炉へ7000人 福島で大集会
 汚染水問題の解決迫る 市田書記局長が連帯あいさつ

     タイトル 「人生は出会い」

 私の人生の方向を決定づけた人がふたりいる。それは青春時代に出会った人である。「人間とは何か、人間らしく生きるとはどういうことか?」を悩んでいた頃のことだ。

 ひとりは、高校時代の先生である。先生は世界史を教えていたが、文芸部の顧問でもあった。私は先生の呼びかけで文芸部に入った。その文芸部では文集を創るということが、部活の大きな活動のひとつであった。その活動の中で、私は詩を創ることに目覚めた。

 今は小説を書くことが私の文学活動となっているが、その出発は詩を書くということだった。将来は詩人になることを夢見ていた時もあった。しかし、ある人に出会ってから、私は詩と訣別することになったのである。

 世界史の先生からは、文芸部の活動だけではなく、「ものの見方、考え方」などを教わった。私の高校時代には、ベトナム戦争が苛烈をきわめていたので、先生からはそれらのことを学んだ。それが、社会や政治に目を開くきっかけとなった。

 もうひとりは、まがね文学会の事務局長だった人である。詩からの訣別はこの人に会ってからだ。今も私が小説を書いているのは、彼の影響によるものだ。彼はずいぶん前に鬼籍に入ったが、今も忘れることのできない人である。折々に彼の顔が浮かんでは消えるという、忘れ難い人だ。

 このふたりと出会わなかったら、私の人生は違った道を歩んでいたに違いないと思う。青春時代に出会ったこのふたりに導かれて、まもなく50年になろうとしている。まさに約半世紀である。紆余曲折はあったけれど、ふたりとの出会いが人生の方向を決めたといっても過言ではない。

 この人生の出会いは、偶然でもあり必然でもあるような気がする。このふたりに出会う人は、何百、何千といるわけだけれど、その誰もが私と同じような人生を歩むとは限らない。それは自身の中に求めるものがあったということに他ならない、ということだろう。

夢日記 「日本シリーズが面白い」

‘13(H25)年11月2日(土) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
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 裁判官や弁護士も処罰の対象に

     タイトル 「日本シリーズが面白い」

 プロ野球の日本シリーズは、楽天の3勝2敗で、楽天が日本一に王手をかけて、巨人を追い詰めている。第6戦は、楽天はいうまでもなく田中将大、巨人はルーキーの菅野智之の投げ合いとなるだろう。

 私は楽天を応援している。しかし、第6戦の田中将大には、少し不安を持っている。リーグ戦では24勝0敗の実績をあげ、クライマックスシリーズでも負けなしだ。が、人生には必ず落とし穴がある。今シーズンを無敗で終えるのか、それとも最後に試練を受けるのか、それを注視してゆきたいと思っている。

 だが、田中将大が第6戦で巨人を封じるようなことがあれば、前人未踏の快挙である。彼にはいささかの不安をもっているが、巨人を零封して楽天を優勝に導いて欲しいと願っている。

 私は元々、楽天のファンではなく、大の巨人ファンだった。その歴史は長く、私が小学生の頃からの熱烈なファンだった。それは、兄からの影響で自然に身についたものである。巨人のファン歴は40年以上つづいてきたように思う。

 しかし、50代に入って、巨人球団に疑問を持つようになった。巨人は入団した選手を育成するというのではなく、高額な報酬で他球団の有力な選手を次々に獲得するようになった。いま在籍している選手でも、投手の杉内、野手の村田、谷などがいる。

 そんな球団運営に眉をひそめたものだ。私のもっとも好きな球団は広島カープである。この球団は選手の育成では、12球団随一ではないだろうか。いい選手を次々に育てるのだが、他球団に引き抜かれたり、選手みずから離れていったりする。金本であったり、新井であったりである。

 楽天が好きなのも、弱小球団がここまで成長してきたからだ。球団創立いらい、最下位や5位に低迷してきていたが、今年は日本一に王手をかけるまでになっている。この日本シリーズで巨人を破って、優勝することを祈っている。

 私はここまで人生を歩んできて、「判官びいき」になったようだ。弱者に対して、支持・応援するようになっている。プロ野球でも然りである。

夢日記 「11月をデザインする」

‘13(H25)年11月1日(金) 晴れ

『しんぶん赤旗』TOPニュース
 秘密保護法案 プライバシーが危ない
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     タイトル 「11月をデザインする」

 いよいよ本年も11、12月と2カ月を残すのみとなった。いったい、2013年は私にとって、どんな1年だったのだろうか。あっという間にここまできたという思いが強い。私はどんな仕事をしてきたというのだろうか。

 いま、パソコンのファイルを開いてみると、今年になって、掌編小説を17編、随想を5編、批評を25編書いている。これらは、殆ど「まがね文学会」のブログに発表してきたが、しかし自身で納得のいくものが書けたかというと、いささか心許ない。

 私の内でもっとも心残りになっているのは、30枚以上の短編小説が書けなかったということだ。やはり、2、3編の短編を書けないことには、仕事をしたということにはならない。それが、私の心を満たさない原因のひとつともなっている。

 さて、11月の暮らしをどのようにデザインしてゆくか、それが問題である。が、11月には新しい出会いがふたつ予定されていて、心が浮き立っている。

 ひとつは、労働者学習協会の講座に参加することだ。12月3日まで5回の講座が予定されており、初心に返って、今日における「ものの見方・考え方」を学んでみたいと思っている。

 ふたつには、「倉敷自分史の会」に、初めて顔を出す予定である。この会は自分史だけでなく、随筆などの書き方や文章の研究などもしているらしく、これも初心に返って学び直したいと思っている。

 それと、読書は三浦綾子だ。彼女との出会いは「氷点」、「続氷点」である。それから、「泥流地帯」や「母」などを読んできたが、彼女の作品を少し読んでみようと思っている。やはり、三浦綾子は魅力的な作家であり、私の心を捉えてはなさない。

 私の11月はだいたいこんな風な感じで推移してゆくのではないだろうか。時間に流されることなく、真っ白なキャンバスに、自身の暮らし、生き方をデザインするようなつもりで、11月という月を過ごしてゆきたい。
 
プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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