FC2ブログ

‘14年ささやき日記 「さて、次にめざすものは?」

2014(H26)年9月16日(火) 曇りのち晴れ

   タイトル 「さて、次にめざすものは?」

 わが人生を振り返って、真っ先に思い浮かぶのは、「感謝」という言葉である。まず健康に感謝したい。25歳から30歳くらいにかけて、「うつ」のような症状に罹ったが、いい薬にめぐりあって、それを乗り越えることができた。

 急性肝炎になったり、痔疾になったりして入院したことはあるが、さして大きい病気をしたことがない。この健康が、私の三つの仕事を支えてきたように思う。

 一つは、4人の子どもたち(男2人、女2人)を、無事自立させることができたことである。子育てには紆余曲折があったが、そのハードルをクリアして、彼ら彼女なりに生きている。

 二つは、家を持つことができたことである。多額のローンだったが、定年までには完済することができた。2世帯住宅で、私の定年後は息子がローンを引き継ぐ予定だったが、彼は自分の家を持ちたくて、さっさと家を出て行ってしまった。当初は困惑したが、それも乗り越えてきた。

 三つは、「鬼藤千春短編小説集」を上梓することができたことである。高校生の頃から詩人になるのが夢で、それは叶わなかったが、小説を書くようになった。「短編小説集」は、私の心の結晶であり、自身の生き方を写しとっている鏡である。

 さて、三つの仕事を遣り終えたように思うけれど、まだまだ私の人生は長い。高校時代に志した「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉を胸にいだいて、これからも生きてゆきたいと思う。



‘14年ささやき日記 「会いたい人」

2014(H26)年9月15日(月) 曇り

   タイトル 「会いたい人」

 沢田知可子に「会いたい」という楽曲がある。これは亡くなった恋人を想い、在りし日を回想した歌だが、私の「会いたい」は、消息が不明の人である。

 彼女は画家で詩人、歌人でもあった。さびれた港町で酒場のママをしていた。私はよくその酒場へ出かけて飲んだり、絵や詩の話をしたりしていた。

 朝露草の花摘みて 夜白粉のにほいのする指酒を注ぐ
 夢色の紅さす時に僅かにも 唇ひらき口づけするが如く
 今朝死のうか明日死のうか 儚くも落葉の柩に身を横たえて
 白きシーツに止まらば一匹の 虻も生命の黒点落とせり

 この短歌を読むと、彼女の繊細で鋭い精神、その才能の片鱗をみることができる。また、酒場のママの暮らしも不本意で、少し疲れた生活と生き方を詠い込んでいる。

 絵も詩もうまかった。うまかったというより、彼女のぎりぎりの生命の燃焼を、絵の中へ、詩の中に塗りこみ、刻み込んでいた。彼女の生命の叫びがあった。

 私はそんな港町に別れを告げて、ふるさとに帰ってきたのだが、それから一度も会っていない。かれこれ30年にもなる。ずいぶん歳月が流れたものだ。

 いろんな方法で彼女の所在を当たってみたが、ある町に棲んでいるというだけで、その先に進むことができない。その彼女が私の「会いたい人」である。



‘14年ささやき日記 「秋の気配」

2014(H26)年9月14日(日) 晴れ

   タイトル 「秋の気配」

 空を見上げる。心持ち空が高くなったように感じる。澄んだ空に鰯雲(いわしぐも)らしき雲がうかがえる。海には夏のようなギラギラとした光はない。湖面のようにゆったりと穏やかである。

 散歩に出かけると、稲穂が色づいてきている。それに雀が群がっている。が、農家の人も心得たもので、田んぼ一面に網を張って、鳥たちから実った稲を守っている。

 あと10日もすれば、彼岸花が真紅の花を咲かせる。もう蕾(つぼみ)を出しているかと思って、土手を歩いてみたが、まだ確認することはできなかった。

 いま書斎のパソコンの前に座っているが、窓を閉め切っていても虫の鳴き声が聞こえてくる。まるで耳鳴りのように、私の耳元まで届いてくる。

 コオロギか鈴虫か、その判別はつかない。とにかく秋の到来を歓迎するように、さんざめいている。窓を開ければ、波が打ち寄せるように虫の鳴き声が聞こえてくる。精一杯、いのちの限り声を上げているように思える。

 秋に敏感なのは、空や海、稲穂や虫だけではない。私は特に季節の移ろいを感じる方なので、夏布団を仕舞って、秋用に替えている。また、パジャマも秋用のものを出した。

 このように、まだ夏の名残りを留めつつ、「秋の気配」を感じるこの頃である。鮮やかな赤とんぼも庭先で舞っている。これもまた、秋を告げる昆虫である。



‘14年ささやき日記 「歯があぶない!」

2014(H26)年9月13日(土) 曇りのち晴れ

   タイトル 「歯があぶない!」

 先日、奥歯の歯茎が異常にハレ上がったので、予約なしで歯科医院に駈け込んだ。断られるかも知れないと不安だったが、快く受け付けてもらうことができた。

 歯の健康にはできるだけ気をつけているつもりだった。歯磨きは、普通ブラシ、歯間ブラシ、歯茎用ブラシの3本を使い入念にやっているつもりである。

 しかし、歯茎のハレは5月にも起こしている。そして今回が2度目である。何が歯茎のハレを引き起こしているのか、私は疑問でならなかった。

 歯科医師は、歯槽膿漏(しそうのうろう)が原因で、歯茎の炎症を起こし、膿(うみ)がたまっている、と言った。そして膿を出し、薬を処方してくれた。

 そもそも歯槽膿漏とは何なのか、自宅に帰ってネットで調べてみた。それによると、歯の表面に付着した汚れ(歯垢)をそのままにしておくと、歯の周りを包み込んでいる歯肉に、炎症が起きる。

 この歯周炎を放置しておくと、炎症はさらに進み、歯をささえている骨(歯槽骨)を少しずつ破壊し、歯はぐらぐら動くようになりやがては抜ける、というのである。

 ではいったいその原因は何だろうか。歯磨きを怠ったり、砂糖を取りすぎると、細菌が住みついて異常繁殖し、それらが産出する毒素や酸素によって、歯周組織に炎症を起こし、歯槽膿漏となる、ということである。

 さすが歯科医師である。たった1日で歯茎のハレは収まった。これからは、さらに歯磨きと砂糖の取りすぎに気をつけて、歯の健康を保ちたいものである。



‘14年ささやき日記 「平和の鐘つき」

2014(H26)年9月12日(金) 晴れ時々曇り

   タイトル 「平和の鐘つき」

 先日、9月9日に「平和の鐘」をつく行事があった。つまり、9の字にちなんで、憲法9条を守ろうという催しである。いま、憲法9条が危うくされている。

 そういう中で、岡山県倉敷市玉島、倉敷市船穂、高梁市などの寺院で、鐘つきが行われた。玉島2寺院、船穂1寺院、高梁15寺院である。

 これは各地の「9条の会」が主催しているもので、年々参加する寺院が増えてきている。それは、宗教者のみなさんも「憲法にたいする危機感」を持ってきているからだろう。

 各寺院では、9月9日9時9分9回の鐘が打ち鳴らされた。こういう催しがもっともっと広がって、「憲法9条を守り生かす」機運が高まることを願っている。

 私もこの行事を題材にした掌編小説を昨年書いたことがある。「長い夜だった。源さんのことが頭をよぎって、圭介はしばしば目覚めた」という書き出しである。

 「源さんのとこへ行くのはやめとけよ。愛想を尽かして女房は逃げたんじゃから――。もうどうしようもねえ男じゃ」

 源さんはひとり暮らし、酒飲みで生活は乱れていた。そこへ圭介は「平和の鐘」をつくので参加してほしい、と頼みにいったのだった。

 すぐにはいい返事は貰えなかったが、源さんは「鐘つき」にやってくるという物語である。あまりいい小説とはいえないが、「平和の鐘つき」が題材である。

 私は用事があって、その行事には参加できなかったが、来年には是非、鐘つきにゆきたいと思っている。「平和の鐘」が、全国津々浦々で鳴り響くことを願っている。



リンク
カウンター
プロフィール

FC2USER634322BTA

Author:FC2USER634322BTA
FC2ブログへようこそ!
 
 日々の暮らし・想いを自由に短歌に 綴って
 ゆきたいと思います。
 住所は岡山県浅口市です。

♪♪♪リンクは、ご自由に!

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ