‘14年夢日記 「『四十年後の通夜』を読む」

2014(H26)年8月20日(水) 曇り

   タイトル 「『四十年後の通夜』を読む」

 この作品は、「民主文学」9月号に掲載された、仙洞田一彦の短編小説である。彼は作品の冒頭で、この小説のモチーフについて記している。家の本を整理しているとき、二十数年前に書いた「通夜」という小説が目に留まった。主人公の「わたし」は、68歳だから、43歳前後の作品ということになる。

 「通夜」には、「生活保護は打ち切られたのでなく、父が打ち切ったのだ。生活保護は受給者に徹底的に屈辱感を味わわせるように運用されているという。それに負けて父は自分で自分の首を絞めたのだ。無理矢理退院して来たのだから、具合が悪くなっても病院に行かなかった。行けば入院を命じられる」と書いてあった。

 その部分から余白に線が引いてあり「これは父の誇りではなかったか」と記されていた。そのメモは批判一辺倒のわたしの作品への批判だったのだろう、としている。そして、わたしは「通夜」の内容について、もう一度父の人生によりそってみようという気にさせたのである。これが、「四十年後の通夜」のモチーフである。

 生活保護をみずから打ち切ったことに対して、「父の誇りではなかったか」という点についていえば、私(評者)は同意することはできない。それでは、生活保護を受給している人は、誇りをもって生きてゆけないのか、ということになる。それは生活保護だけに限らない。

 障害者年金や遺族年金、その他の年金についても、それを受給することは、人間の誇りを失うことになるというのだろうか。障害者年金にしても生活保護にしても、その性格がどれほど違うというのだろうか。ではいったい、人間裁判をたたかった朝日茂はどういうことになるのだろうか。彼は人間の誇りを失うどころか、人間の尊厳、誇りをかけてたたかい、生き抜いてきたのではないのだろうか。

 この作品にはこうした問題をかかえているとしても、父の人間像を深く掘り下げた作品として評価できる。「民主文学」9月号には、6編の短編小説が掲載されているが、この作品がもっとも印象に残る作品である。6編の最後に、小説らしい小説に出会えたという感じがする。それぞれに、人間に迫ろうと努力しているが、この作品のような深さはみられなかった。

 「子供たちに会わせておいた方が良い」、医者から言われたと、母から電話があった。父の心臓は階段を上れないくらいに弱ってしまっていた。それでも、父は医者にかかろうとしなかった。売薬の「救心」を飲んでいた。わたしが実家に駆けつけたときには、父は6畳間に横になっていた。しかし、わたしは父の布団のわきに胡坐をかいて、父と向かい合っても一言もしゃべらなかった。ここに、主人公と父の距離、確執というようなものがあらわれている。

 父は「兵隊に取られて『満州』で肋膜、そして結核」になり、日本に帰還させられたのであった。父は高等小学校を出て上京し、神田で洋服仕立の弟子になり修行を積んで、洋服仕立職人になったのである。当時の父は四十歳前後で働き盛り。これからというとき、血を吐き入院を余儀なくされ、生活保護を受ける生活になった。

 弟は学校で草履袋をもらってきたが、それは生活保護家庭だけに支給されたのだ。父はそれに屈辱を感じたと、言葉がもつれるほどに力を入れて話す。それで、父は「これじゃいかん」と思って病院を出てきたのだ。そして、生活保護を返上したのである。わたしは、「これは父の誇りではなかったか」というメモを読み直し、小説を読み直してみると父の受けた「屈辱」の深さに、わたしの目が届いていないことを感じる、と作者は書いている。

 見舞った日の翌日、父の危篤の電話が母からあって、わたしは家族とともに、実家に戻った。が、臨終には間に合わなかった。父は布団の上ではなく、六畳と四畳の敷居の上に突っ伏して亡くなっていたそうだ。生活保護を返上した父を、私(評者)はせめるわけではない。それも、父という人間像を浮かび上がらせるうえで、大きな役割を負っている。

 この小説で、少し物足りないのは、わたしと父の距離、確執といったものがどこから生まれたのかということである。それが描かれていなくて、惜しまれる作品である。



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‘14年夢日記 「『ポスター』を読む」

2014(H26)年8月19日(火) 曇り時々晴れ

   タイトル 「『ポスター』を読む」

 「ポスター」は、「民主文学」9月号に載っている短編小説で、加藤節子の作品である。ポスターというのは、2011年3月下旬、東日本大震災支援活動の支援物資として、百台の自転車を積み込んだときの記念に撮った写真である。そのポスターには、主人公の香川直子、吉岡光子をはじめ、男女9名が写っている。

 この小説は、視点をもった香川直子の心理や行動を描くことではなく、吉岡光子の行動や性格を描くことで、その人間像に迫るというテーマである。直子は光子の人間像を浮き彫りにするという、視点を与えられているに過ぎない。光子は、京都南部の民主商工会の婦人部副部長を務めている。直子が婦人部長である。

 光子は、ポスターの左端に立って写っている。背が高く男性たちに引けをとらないので、目立っている。彼女は唇をきゅっと引き締め前方を見つめていた。真剣そのものの表情は、写真全体をも引き締めている。2011年3月26日土曜日に、支援物資搬送の準備に集まった。山積みされている自転車の中から、百台を選び東北へ送ろう、という活動である。

 左官業の夫の仕事を手伝っている光子は、自動車の運転も、荷物運びもなんでもこなすのだった。「一般道が通行可能になったら、東北へなと行けるわな。私らみたいな建設業者の手伝いが必要やと思うけどな。困っている時は、だれでもお互い助け合わなあかん」と、光子は言った。直子たちは自転車をトラックに積み込む作業に移った。

 直子は小柄で力仕事が苦手である。そのうえ、持病のリュウマチがあり、自転車1台運ぶのが精一杯だった。が、光子は大柄で背も高く、自転車を両脇に1台ずつ抱えて、さっさと運んでゆく。そして、作業は小一時間で終り、記念写真を撮ることになった。そのときに撮った写真が、ポスターになったのである。

 「私な、結婚する時に、両親に言い聞かされたんや。職人の嫁になるんやさかい、どんなにしんどうても、体を使うて、なんでもせんとあかん」と、光子はそれを心得ていて、よく働くのである。5月の連休明けに第2次の支援活動を行うと決め、野菜を送ることになった。その作業には、直子と光子たち6名の婦人部員が参加した。

 野菜は畑から収穫し、集荷場で洗って支援物資として送るのである。しかし、その作業が大変だった。直子たちは疲れてしまって、思うように動けない。が、光子だけは違った。野菜を誰よりも早く洗い、トレーに積み込むのもひょいひょいとやってのけた。「私な、新幹線の工事現場に、子どもを背負って、ひとりは手えを繋いでな、行ってたんや」と、光子は言った。

 支援活動は、第12次、13次と回を重ねていた。ところが、そんな光子だったが、2013年7月直子に電話が入った。光子の長男、光信からであった。「今朝、4時半に息を引き取りました」という、電話である。直子は言うべき言葉を失った。しばらく呼吸ができなかった。光子は、くも膜下出血で、救急車で病院に運ばれたが、駄目だったそうである。

 民主商工会の事務所には、入って左側のすぐ目につく所のホワイトボードに、あのポスターが貼ってある。それには、口をきゅっと結んで正面をまっすぐ見つめる光子の姿が写っていた。この小説では、光子の在りようが描かれているが、しかし光子の心の葛藤がないために、光子の人間像が平板になっているきらいがある。もっともっと深く、人間は描かれるべきだろうと思う。



‘14年夢日記 「『ポニー教室』を読む」

2014(H26)年8月18日(月) 曇りのち晴れ

  タイトル 「『ポニー教室』を読む」

 「ポニー教室」は、「民主文学」9月号に掲載された短編小説で、東喜啓の作品である。ポニー教室を運営する会社は、封建的な職場で、そのなかで子どもたちの成長と、生き甲斐を求めて働く職員の姿を描いている。こんなひどい職場があるのか、という疑問が浮ばないわけではないが、そこを舞台にして話は展開される。

 ポニー教室といっても、私もすぐには理解できなかったけれど、読み進んでゆくうちに明らかになってくる。辞書で調べてみると、「ポニー」とは、小形のウマの総称とある。作品の中でも、ポニーの定義がされている。つまり、「ポニーとは」体高147センチ以下の小型馬のことである、と記されている。

 教室では、六頭のポニーを飼育しながら、七人の職員が勤務し、50人ほどの子どもたちを指導している。主人公は、木村智弘で社会人になって三年目の22歳である。小学生、中学生を対象にした「ポニー教室」の指導員だ。ポニー乗馬を通して、動物を愛する優しい心を育ててほしい、というのが教室の理念である。

 木村は小学二年生の笹山剛の指導を終えると、次は前島優太であった。剛はうまくポニーを乗りこなすが、優太はなかなか上達しなかった。小学校三年生の優太は、教室に通い始めて二カ月がたとうとしているが、未だに自力でポニーに乗れないでいる。その指導に、今日は木村が当たったが、いつもは松本善二が指導している。優太は今日も自力でポニーに乗れなかった。

 木村と松本は気が合う職員仲間である。松本は二歳上だが、ともに動物好きで子どもの頃、互いにリスを飼育していたというのも共通している。木村は実直で思ったことは口に出すタイプである。一方松本は温厚で口数も少なく、性格も正反対だ、それがふたりを結びつけているようだった。

 この会社は、十年前に起業して着実に実績を伸ばし、今では関東地方に十数の教室をもつにいたっている。会社は、「ある程度の乗馬技術が身につけば、必ず正職員になれる」と、明言してきた。ところが、木村は会社の定める乗馬技術六つを習得していたが、依然として契約職員のままだ。契約更新のたびに、正職員にするように要求するのだが、それは認められないでいる。

 同期の十数人は、全員契約職員で入ったが、乗馬技術を習得しても正職員になれないので、木村を残して全員辞めていった。松本も正職員をめざして、木村に乗馬技術を教わっていた。そんな折、所長の山沢が松本を呼んだ。そして、「これから腕立て伏せを50回やろうぜ。できなければ坊主な」と言った。教育係の木村も一緒にやれという指示が出た。木村は50回できたが、松本はできなかった。

 松本は坊主になることになったが、木村も抗議すると、「お前も坊主になるか」といわれて、彼は「おう、そうしてくれ」と、言い放った。このような、封建的な態度を取るのは、二人を契約職員のまま退職に追い込むことだ、と木村は理解していた。このことで、松本は心も身体も大きな痛手を受けていた。帰りに居酒屋に寄ったとき、松本は顔をテーブルに伏せて「助けて、助けて」と、声をあげるのだった。

 ポニー教室で、あれだけ苦労していた優太が、自力で馬に乗れるようになった。優太は、松本に「ありがとう」と伝えて欲しい、と木村に言った。木村は松本を励ます一心で、彼にメールを送った。松本は、それがきっかけだったのだろうか、意欲的に乗馬技術の習得に励むようになった。

 振り落とされても振り落とされても、松本は懸命に、練習に取り組んだ。木村は、その姿に何かが変わったと思った。この作品は、いわゆるブラック企業といわれるような職場であるけれども、子どもたちの成長を見守るなかで、職員自身が「生きる力」を得て、ふたたび歩み出すという姿を描いている。そこに、若者たちの希望を見出す作品となっている。



‘14年夢日記 「『掲示板』を読む」

2014(H26)年8月17日(日) 曇り時々雨

   タイトル 「『掲示板』を読む」

 この短編小説は、「民主文学」9月号に掲載された、里村徹の作品である。彼は作品の末尾に、作者紹介が出ているので「民主文学」初登場の新人である。新人と言っても、1938年生まれなので今年76歳だ。文学をやるのに年齢は関係ない。この作品も内容、文章とも若々しくて、「いい仕事をしたなァ」という思いである。

 この作品は、この時代の諸相を鋭く切り取っており、今日的テーマに迫っている。掲示板というのは、日本共産党の掲示板のことである。主人公の相生(あいおい)進は、自宅の家の壁に掲示板を設置し、ポスターや写真ニュースを貼っている。ところが、二男の純二が正月に帰省してきて、「親父、あの掲示板そろそろ外してもいいのやないか」といったのである。

 進は、掲示板を設置してもう5年になる。それを、いま何故外さなければならないのか、という疑念をもった。しかしそれは、純二の仕事と大きく関係していた。彼は三星重工業の関連会社に勤めている。三星重工業は、武器もつくっている会社である。その三星からの指示があって、社員の適正評価調査が強まるということだ。

 それは、特定秘密保護法の影響であるらしい。この法律が施行されたら、社員の身辺の思想調査まで行われる、と純二はいうのである。それで、掲示板の撤去を進に打診してきたのだ。「親父のやってきたことが間違っているとは思っていない。でも、俺ら子どもはずいぶんいやな目にもあってきた。だから、今度は子どもの言うことを聞いて欲しい」という、純二の思いであった。

 進は、県立高校の工業科の教師を37年間勤めてきた。正月にその同窓会に招かれた。二次会の席で、自衛隊に勤める青木正一の話が出た。自衛隊はいま隊員に身上明細書を出させている、とのことである。交友関係の調査欄もあって、高校時代の友人のところに、地元の自動車販売会社に勤める川出の名前を書いたと言った。

 「さっき、俺の席に青木が来て、思いつめたような顔で、そやからお前、変なことに染まるなよ」と、川出は青木から言われた。また、この地域の「九条の会」が開かれ、その事務局長の新藤が次のように発言した。「うちの息子は国家公務員です。この法律が施行されると、国の秘密と特定された事柄を国家公務員が漏らすと逮捕・起訴されます」

 そして、息子は「お父さん、僕に変なことを聞くなよ、もし自分が秘密事項をしゃべると、大変なことになる、家族にだって駄目だからね」と、言うのだった。一方、純二は、4月から新しい部署に替わったということだった。戦車部門から自動車部品の製造部門になったのだ。が、彼は管理職を外されてしまった。しかし、妻の増美は、純二は「意外なくらいサバサバしていたわ」と言った。

 しばらくして、純二が夜、家に寄った。進が彼の気持ちを聞いてみたいと思ったから、誘ったのだった。「俺もよく考えたよ。戦車でなく自動車づくりに関わることが俺には一番向いていると気がついたんや。そう思うと管理職のことはどうでもよくなったよ。二月の終りに信頼している上司に申し出てようやく認めてもらった」、「まあ、自分本位なことで、小さな抵抗かもしれんけど、それが俺の選んだ道だよ」と、純二は言った。

 この小説は、政治小説の趣があるかもしれないが、しかし、現代という時代の在りようを真っ直ぐにみつめて、ひとつの文学世界を構築している。秘密保護法や集団的自衛権行使の問題が、一人ひとりの人間に影を落としているようすを、掬い上げて書いている。また、一人の人間の生き方として、純二の選び取った道は読者に爽やかな風を感じさせるものである。



‘14年夢日記 「『倉庫番』を読む」

2014(H26)年8月16日(土) 雨時々曇り

   タイトル 「『倉庫番』を読む」

 「倉庫番」は、「民主文学」9月号に掲載された短編小説だ。作者は、意欲的に小説を書きつづけている石井斉である。石井斉の作品は好きで、いままでほとんど読んできている。その作品のどれもが、統合失調症を患っている人物が主人公である。彼は根気強く統合失調症をモチーフ・テーマにして書いている。

 「倉庫番」も例にもれず、統合失調症の「僕」が主人公である。私も若い時、統合失調症のような症状が出たことがあるので、そのようすは少し分かる。また、いまブログで毎日、統合失調症の方の記事を読んでいるので、私にとっては比較的身近な問題である。だから、この「倉庫番」も興味を持って読むことができた。

 まず、作品の創り方からいうと、巧くなったなあという印象がある。「『青ちゃあん、元気』女性が、二十メートル先から僕の隣に座る青田昇一に手を振った」と、冒頭に書いている。そして、作品の結末近くで、「『青ちゃあん、元気』二十メートル先から紫色の女性がペンギンのように歩いてくるのが見えた」と書いている。

 これは、恋なのか友情なのかよく分からないが、最初と最後に、この「紫色の女性」を配している。また、「統合失調症を患う僕と青田は、仕事の昼休みに、百日紅がある道路の端の地面に座るのが習慣だった」と、小説の初めに書いている。そして、小説の結末はこうだ。「道路の端の百日紅が桃色に咲き誇っていた」、と結んでいる。

 このふたつの記述は、最初から計算されていたものかどうかは分からないが、これが小説の中で生きている。「巧い」と感ずるところである。さて、主人公の僕は、障害者の職場適応訓練制度で、青田と倉庫の整理や搬出、搬入の仕事をしている。厚生労働省の就労支援で一日2500円支給され、それとは別に南光製袋工業から2000円上乗せされる。つまり、一日4500円である。

 作品は、倉庫番の仕事を、リアルに描出しており、その仕事の在りようが非常によくわかる。ここで、その一つひとつを述べなくてもいいが、読者によく分かるように仕事の内容を、描き出す力量を感ずることができる。読者によく分からない職場風景を描いている作品もあるが、これは適切に書かれているということができるだろう。

 またこの作品は、人物の描き分け方がすぐれた小説である。とくに、僕と青田の人物像をくっきりと描き分けている。「青ちゃんはな、喋るのが苦手だけど、仕事はできるよ」と、営業の岩山がいうように、その人物像を浮き彫りにしている。「お、俺、喋るの苦手だろ。病気する前から人前だとあがっちゃって、まともに会話できないんだ。でも、よ、横山さんは何か弟みたいなんだ。お、俺、高校中退だし、家は貧乏だし、か、かっこいいわけでもない」と、みずから語っている。

 一方、僕(横山)は、喋るのにそんなに苦労するわけではないが、仕事では出社がいつも青田よりも遅い。仕事ができないというわけではないが、青田のほうが生真面目に仕事に取り組んでいる。しかし、精神障害者への差別や偏見に対しては、鋭い感覚を持ち合わせている。あるとき、大濃運輸の運転手が、青田を馬鹿にして、指示したところに荷物をおろさないことがあった。

 すると、横山(僕)は、烈しく憤って、大濃運輸の営業課長が会社にやってきた時、「あんた、あんたの会社の運転手は何だ。全然教育できてないじゃないか」と詰め寄った。「精神障害者を馬鹿にしやがって」という言葉は呑みこんだけれど、思いはその通りであった。これが、この小説の山場であり、テーマとも関わるところである。

 精神障害者への差別と偏見、それに対する横山(ぼく)の怒り、それを描いたところにこの小説の意義がある。そして、この小説に感心したのは、五感をよく働かせて書いていることだ。音、臭い、色彩、味覚などを描いて、リアリティーを膨らませている。今後が期待される若い作家である。



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 1947年生まれの70歳で、
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 名前は「千春」ですが、男性です。

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