虚無感

2016年9月26日(月) 曇り

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♪♪♪ 【虚無感】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 若い日々わたしは幾度となく虚無感に襲われた経験を持っている。「虚無的」という言葉を、辞書で引いてみると、「人生や世の中をむなしいものと考えるさま」と、記されている。まさにわたしの青春時代は、この通りだったように思う。わたしの人生が、そういう想いに引き込まれていきそうになることも、少なくなかった。

短歌

虚無感に襲われる日がやってくるされど光りを求め吾は生く


 しかし、そうはならなかったのは、一方でわたしは「光り」というものを見つめていたからである。「光り」とは、希望であり夢であった。虚無と希望、あい矛盾する心をわたしは持っていたのである。それがせめぎ合い、烈しい葛藤がわたしの裡にあった。したがって、かろうじてわたしは虚無的にならずに生きてこられたのである。やはり人生にとって、希望や夢というものは、なくてはならないもののようである。



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父ははの教え

2016年9月25日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【父ははの教え】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは1947年10月26日に産まれた。戦後2年を経た年である。この時期はもっとも食料が不足しており、大工の父はまともな仕事もなかったに違いない。だからこの時代の家々は、どこの家庭でも貧しかった。とくにわが家は窮乏の底であえいでいたようだ。大工の家でありながら、雨漏りがいたるところでしていたし、そんな家で所得もほとんどなかったのに、税金の取立てはとても厳しくタンスや自転車などを差し押さえされるような有り様であった。父ははの遣り繰り、とくに四人の子育ては困難を極めたに違いない。

短歌

父ははと暮らしし日々に学びしは誠実なること夢を持つこと


 そんな家庭に育ったわたしだったが、父ははの教えは、今でもわたしの記憶に残っている。そのひとつは、人を陥れるようなことをせず、人に迷惑を掛けることのないようにと教えられたことである。特別な教育というものはなかったけれども、父ははの生き方そのものが教えだった。それは人生を誠実に生きるということだった。ふたつには、夢を持って生きるということだった。わたしはそのふたつの、父ははの教えを今も抱いて生きている。それが生涯のわたしの生き方である。



家族

2016年9月24日 (土)晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【家族】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 現代の日本の家族の在りようは大きく変わってきている。それは今に始まったことではないが、核家族化になって久しい。とくに子どもたちが都会に出たり、近くにいても親から独立したりして生活するようになったからである。それは子どもたちが親から独立して、自らの生活を築くという、前向きな指向であるといえるかも知れない。したがって、老いた夫婦ふたり暮らしや独りくらしの家がきわめて多くなっている。

短歌

子どもらは家を去りゆき老い二人されどつましい暮らし愉しむ

「家族ってなんだ」子どもらは去りゆきて家に残るは老いたるふたり


 それはわが家でも例外ではない。わが家に棲んでいるのは、妻とわたしのふたりのみである。わざわざ二世帯住宅の家を建てたのだが、長男は近くに家を建ててわが家から去っていった。しかし、だからといって、夫婦ふたりの暮らしが淋しいかというとそんなこともない。何よりも静かでつましい生活を愉しむことができるので、否定面ばかりではない。どちらかというと、わたしは今の暮らしの方が合っているように思う。が、もっと老いたたらどうなるのかという懸念はあるが、それはその時に考えればいいと思っている。いまわたしは、穏やかな夫婦ふたりの生活をこよなく愛し愉しんでいる。



栗の実

2016年9月23日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【栗の実】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 栗の実はまだ熟れてはいない。が、枝に成る実は大きく太ってきている。その実は丸く鋭い棘に包まれている。そして清々しい緑が秋の陽を浴びて輝いている。その栗の木は瀬戸の海を一望できる丘の上に立っている。実が熟れて、地上に落ちるのはもう少し秋が深まってからである。そこから眺める瀬戸の海は、大きく広がりとても美しい。島々が薄紫色をして海に浮かんでいる。

短歌

瀬戸の海望める丘の林にて媼がわれに栗を与うる

栗の木は悠然として立つけれど風に揺られて実を落とすなり


 もうしばらくすると、かすかな風に揺られて、栗の実は落ちてくる。たとえ風が吹かなくても、熟れてくると棘ごと栗の実は落下する。栗の木の下は一面、栗の棘の実がいっぱいになる。すると、媼がその実を拾いにやってくる。栗は育てやすい果樹である。袋かけもいらないし、消毒などもいらない。自然にまかせておけば、沢山収穫できるのである。栗の実が採れる頃になると、本格的な秋がやってくる。(この記事を書いた9月17日の昼下がりに、妻の友人が栗の実を収穫して届けてくれた。もう秋である)



父はは

2016年9月22日(木) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【父はは】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 今日はお彼岸の中日である。ものぐさのわたしでも、正月、春彼岸、お盆、秋彼岸の四回は、お墓参りをする。もうすでにお墓参りは済ませたが、父母の眠る墓に花を手向け、線香を捧げて帰ってきた。わたしは特に仏教を信じているわけではないが、先祖に対する思い入れは人並みにもっているつもりである。特に、父母は戦後の貧窮の時代にわたしたち四人兄弟を、必死で守り育ててくれた。

短歌

菩提寺の石碑に眠る父ははの白磁の壷は冷たかりけり


 よくも男ばかりの四人の子どもを、育ててきたものだと感慨深い。四人の子どもは貧しくても父母の愛情によって、ぐれることもなく、比較的真っ直ぐ生きてきたように思う。ただ、躾けだけははとても厳しかったことを覚えている。躾けに厳しかったのは母である。父はほとんど子育てに関与しなかった。母は昔、助教員をしていたこともあり、そのことが関係しているのだろう。その父ははは、いま菩提寺の石碑に眠っている。



銀杏

2016年9月21日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【銀杏】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 まだ銀杏が黄葉に染まる季節ではない。ただ、先日わたしは峠の寺の古刹を訪ねた。わたしは心が渇いた時や時間のあるときは、時々この寺を訪ねるのである。先日は僧侶の墓、無縫塔という卵型をした墓が並ぶところへも足を運んで、年代なども調べてみた。読み取れる無縫塔では、嘉永の時代のものがあった。いまから160~170年前のもので、そんなに古いものではない。その墓を巡っていると、つくつく法師が鳴いていた。もうこの蝉の寿命も僅かだろう。

短歌 

鄙びたる寺の銀杏は空高く黄に染まりてはらはらと落つ


 その寺の境内に銀杏の大樹がある。建物でいうと、ゆうに三階建ての高さを超えるほどである。この銀杏はこの寺の象徴だ。枝は横に張り出してはいないが、天穹を突き上げるように伸びている。晩秋になると、この銀杏が黄葉に染まる。そして、銀杏の葉がはらはらと落ちてくる。与謝野晶子は、このひとひらを、小鳥に例えたがまさに小鳥が舞うように、銀杏の葉が落ちてくる。晩秋にわたしは、もう一度訪ねることになるだろう。



平和行進

2016年9月20日(火) 雨

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♪♪♪ 【平和行進】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 8月6日をめざして、被爆地、ヒロシマへ向かって平和行進が行われる。山陽路をすすむ平和行進は、東京を出発してヒロシマまで、核兵器廃絶、戦争ノー、平和を求める行進として行われる。東京からヒロシマまで、各府県市町村の自治体をめぐって行進はなされる。この平和行進は、とても有意義なものである。おそらくこうした取り組みは、世界的にみても例のないものである。

短歌

わが町に平和行進がすすみきて媼は憑かれた如く歩めり

被爆地へ向かいて進む行進に憑かれた如く媼はくわるる


 その平和行進がわが市にもやってきた。労働組合や医療生協などと共に、市民も参加して行われた。この行進は真夏の炎天下のもとでなされる。わたしは行進に参加できなかったけれど、わたしの町の傘寿の媼は、なにゆえか毎年参加している。認知症予備軍のような症状をかかえている女性だが、この行進だけは、憑かれたように参加する。おそらく、核廃絶、世界平和への想いが体現化されているのだろう。今年の平和行進も無事成功をおさめることができた。



虫の鳴き声

2016年9月19日(月) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【虫の鳴き声】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 虫の鳴き声は立秋を迎えた頃から聴くことができるようになった。わたしは気づかなかったのだが、友人が「もう虫の音が聴こえるよ」と教えてくれた。その話を聞いたのは、立秋といっても連日、35度前後の気温に辟易していた頃である。立秋と言っても、実際は真夏の盛りのようだった。わたしは友人の言葉に疑問を持って聞き流していたが、その数日後、わたしも虫の鳴き声を聴いた。

短歌

秋立ちて虫の鳴き声聴こえくる残暑きびしく眠れぬ夕べ

眠れない秋の夜更けに聞こえくる爪を切りつつ虫の音を聴く

眠れない秋の夜更けにさんざめく虫の音を聴く爪を切りつつ


 真夏のような日がつづいていたが、季節は確実に動いていたのだろう。月並みだが、これを「小さい秋」というのだろうと思う。その小さい秋も、ずいぶん感ずることが出来るようになった今日この頃である。彼岸花が咲き、太陽は高度を下げて部屋に光りが斜めに入ってくるようになった。そして夜明けが遅く、暮れるのが早くなってきた。虫がさんざめく夜は、秋のひとつの象徴である。



曼殊沙華

2016年9月18日(日) 雨時々曇り

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♪♪♪ 【曼殊沙華】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 もう彼岸花は野のおちこちに咲いている。彼岸の入りは明日である。彼岸花はシビトバナとも言われ、忌み嫌われる花でもあるが、田のあぜ、墓地など人家近くに自生するわたしたちにとっては親しみのある花でもある。今年は猛暑の日がつづいた筈なのに、例年よりも彼岸花の咲くのが早いように思える。友人のブログには、9月11日に満開の彼岸花の写真がアップされている。

短歌

おちこちに群がり咲くは曼殊沙華 深紅の花は季をたがわず


 自然とは不思議なものである。春の蕗の薹然り、秋の彼岸花然りである。これらの花々は、春を告げ秋を告げるのである。彼岸花はわたしの近くの田のあぜに群がって、深紅の花を咲かせている。わたしが子どもの頃は、この彼岸花の球根を掘って、タコ釣りによく出かけたものである。白い球根にタコが食いついたところを、ハリで釣り上げるのである。懐かしい幼い頃の思い出である。



事足りる

2016年9月17日(土) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【事足りる】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 「事足りる」とは、不足しないですむ。十分用がたりる、ということである。しかし日常生活で、その日々の暮らしのなかで「事足りる」ということは、そんなにたやすいことではない。わたしなどは、いつも不満や心残りなことをかかえて生きている。それほどわたしは楽観的な性格に産み落とされてはいない。何をするにしても、何らかの不足を心に抱きながら生きている、というのが実際の姿である。

短歌

こと足りて心の晴れる秋の日に落日を見に海に出でゆく

こと足りて心の晴れる休日に赤のシャツ着て映画を観にゆく


 ところが時折、「事足りる」日が訪れることがある。極めて稀に、倖せのひとときを迎えることがあるのだ。そんな日には、落日を海に見に行ったり、赤いシャツを着て映画館に出かけたりする。憂うつな心が解放されて、心が軽くなるのである。いまのわたしの小さな倖せのひとつは、自身の歌が短歌誌に掲載されることである。短歌誌には選者がいて、より多くの歌が選ばれることを願っているが、それがなかなか難しい。投稿歌の全部が掲載されたりすると、わたしは倖せになる。それが「事足りる」という、ひとつでもある。



夕暮れ

2016年9月16日(金) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【夕暮れ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 夕暮れの村々にぽつりぽつりと明かりが点ってゆくのは、何となく風情がある。今日一日、何事もなくその家は過ぎて行ったのだろうか。もしかして、些細なことで烈しいいさかいがあったかも知れない。あるいは、病人がいて重苦しい一日を過ごしたかも知れない。あるいは、子どもの誕生日でこれから愉しい夜を迎えるかも知れない。一つひとつの明かりの点る家には、なんらかのドラマが潜んでいるように思える。

短歌

紺色に夕暮れてゆく村々の家の明かりが郷愁をさそう


 白い光りに満ちていた村々は、陽が落ちて紺色に染められてゆく。そして村々の家々には、一つふたつと明かりが点いてゆく。あの山裾の家々に、明かりがつきだすと、空には星が輝きだす。そのようすを眺めていると、何となく郷愁を誘い、わたしの心も切なくなってゆく。あの家々の明かりの下に、ささやかな倖せが舞い降りてくることを祈らずにはいられない。村々が紺色に染まり、明かりが点りだすと切なく郷愁を誘うのである。



ピアノ

2016年9月15日(木) 曇り

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♪♪♪ 【ピアノ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いま石川啄木の「一握の砂」と「悲しき玩具」を、再読、再々読している。この歌集は読めば読むほど、わたしの心を惹きつける。啄木の歌は、彼自身の心を詠った極めて個人的な歌のように思えるけれど、わたしの心の在りようを余すことなく表現しているように思える。彼自身の感傷の歌とひややかに言われることもあるが、彼の歌には個人の感傷の垣根を越えて、すぐれて普遍性をもった歌のように思える。

短歌

秋の夜に本を開きておればまたピアノの音がかすかに聞こゆ


 このように秋の夜にわたしは啄木の歌集を読んでいるが、そんな折りに近くの住宅からピアノのメロディが流れてくる。わたしは本を閉じて、しばらくそのピアノの音を聴いている。弾いているのは誰だろうか、曲の内容からして、子どもではなさそうである。クラシックの楽曲なので、たぶん大人なのだろう。秋の夜にピアノの音を聴くことができるというのは、とても倖せなことである。そしてまた、啄木の歌集を開いて読み始めるわたしである。



岬に立つ

2016年9月14日(水) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【岬に立つ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの棲む村は入り江の漁村である。東西にはちょっと突き出た岬がある。瀬戸内の海はふだん穏やかで凪いでいる。その海に光りが降り注ぐと、キラキラと輝いてまるで蝶が舞っているように見える。はるか沖には大きな貨物船がゆっくりと動いている。島々も紫色をして、浮かんでいるように見える。それは平和そのものの海である。

短歌

荒磯を波が咬むごと打ち寄せる吾はおののく岬に立ちて


 しかし、台風や冬の木枯らし、春の嵐がやってくると、その海は一変する。多喜二が『蟹工船』で描いた、兎が跳ぶように白波が立ち荒れるのだった。村の岬に立つと、荒磯を咬むように波が襲ってくる。波とともに風も吹きぬけてゆき、身体が揺れる。そんな日は岬に立たないほうがいいに決まっているが、わたしはおののきながら、岬に立つのである。瀬戸内海のもうひとつの貌である。



秋近し

2016年9月13日(火) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【秋近し】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 最近、しだいに秋らしくなってきた。朝夕は幾らか涼しくなってきたし、夜になると虫の鳴き声が聞こえるようになった。まだ昼間だと暑いと感ずるが、夜の風は爽やかである。そしてわたしが「おやっ」と思うのは、太陽の陽射しが部屋のなかに差し込むようになってきたことである。冬になると、その陽射しは部屋の奥まで届くけれど、今はまだ部屋に僅かに差し込む程度である。

短歌

秋近し朝日の伸びるリビングで画集を開き珈琲を飲む

秋近しそよ吹く風が心地よくカーテン開き珈琲を飲む

秋近し斜めに射しいる朝日にて部屋が明るみ画集を開く


 しかし、確実に太陽は斜めになって部屋へ光りを降り注いでいる。夏は太陽の高度が高いので、部屋まで差し込むことはない。太陽の高度は、これからしだいに低くなってゆくだろう。それにしたがって、陽射しは斜めに伸びてゆく。このようすを見ても、秋近しという想いを強くする。春を待つと同じような気持で、秋を待っているわたしである。



サルビア

2016年9月12日(月) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【サルビア】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 仕事で寺を訪ねたときのことである。門前の畑に一斉にサルビアが咲いていた。わたしはそのサルビアを目にして立ち尽くした。深紅のサルビアに魅せられたのである。古びた寺とサルビアという取り合わせもわたしの心を惹いた。古刹とサルビア、そのアンバランスがなんともいえなかった。古刹だからこそ、サルビアが映えているようにも、深紅のサルビアだからこそ、古刹が映えているようにも思えたのだった。

短歌

サルビアが赤く染まりて揺れている鄙びた寺の山門の前


 わたしはサルビアが好きである。この情熱的な花は、わたしの心を捉えてはなさない。辞書で調べてみると、ブラジルが原産だということである。あの情熱的なサンバを持つ国にふさわしい花ということができる。わたしも日頃はおとなしく暮しているが、その根っこには情熱的な心を宿している。情熱的な性格とサルビアが、奥深いところで繋がっているように思う。サルビアの深い朱が、わたしの琴線に触れて、ハーモニーを奏でるのである。



新しき畳

2016年9月11日(日) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【新しき畳】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ここでいう畳とは、本物の畳のことではない。イグサでつくった上敷きのことである。今年は特に暑い夏だったので、わたしはイグサの上敷きを求めてきた。それを敷いて昼寝や夜眠るのである。この上敷きを利用すれば、体感温度は1~2度低くなるような気がする。これで寝ると布団を湿らすこともなく、汗もかかずに過ごすことができる。夏を快適に過ごすには格好のツールである。

短歌

新しき香りを放つ畳にて眠ってみたき秋の日の午後

新しき畳は強き芳香を放ちて吾を眠りに誘う


 この上敷きのいいところは、体感温度を下げるだけでなく、香りがとてもいいことである。編み上げたイグサから心地よい芳香を放つのである。その匂いをかぐと、とてもいい気持になる。疲れが安らぐような気持になるから不思議である。この上敷きを使って眠ると、安らかな眠りに落ちてゆく。このように日本の畳という文化は、暑さ寒さに効用があるだけでなく、身体を優しく包み込むようなところがあって、日本文化の優れた特徴である。



餅つき

2016年9月10日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【餅つき】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 この頃は年末に餅つきをする家はほとんどなくなった。私の棲む住宅団地でも皆無である。ただ、最近東京から引っ越してきた若い家族の家では、餅つき機を使って賑やかにやっている。わたしの幼い頃は、どこの家でも年末には餅つきで大わらわだった。どこの家からも餅つきの音が聞こえてきていた。日頃、貧しい暮らしをしていても、不思議なことに餅つきだけは欠かさなかったようだ。たとえ借金してでも餅つきだけはしていたのである。

短歌

大年の餅つきの音が懐かしくそを聞きにゆく村の神社に


 時代が移り変わったとしても、この餅つきは忘れがたいものとして、心に深く刻まれている。この餅つきがなくなっていったのは、様々な要因があるだろうが、ひとつには餅は今ではいつでも手に入るというのもあるだろう。また、核家族化や住宅事情というのもあるし、正月というものの様変わりというのもある。いまは多くの家庭で、正月用の餅はスーパーなどで手に入れている。しかし、やはり年末の餅つきは忘れがたいものである。



黙秘

2016年9月9日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【黙秘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの知人(女性)は脱税幇助と税理士法違反という理由で、警察に逮捕され検察に送致された。もう2年8カ月くらい前になるだろうか。いまは釈放されて裁判でたたかっているが、それまでの検察の処遇が尋常ではない。脱税幇助というけれど、脱税をした本人は逮捕もされず、留置場に拘束もされなかった。しかしわたしの知人は、幇助という名目なのに脱税本人とはまったく違った扱いだった。

短歌

吾が友は檻に囚われ一年余無実をとなえ黙秘をつらぬく
 

 わたしの知人は脱税幇助という理由で、428日間も勾留されたのである。脱税者本人との扱いの違いは明らかである。それは知人が無罪を主張し、黙秘をつらぬいてきたからである。検察は罪を認め、黙秘をやめれば勾留を解くというようなことをほのめかしていたが、彼女はそれを拒否してきた。そのために、一年余、正確には428日間も独房に閉じ込められてきたのである。彼女はいまも無罪を主張して、裁判で毅然としてたたかっている。



生き来し方

2016年9月8日(木) 晴れ時々雨

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♪♪♪ 【生き来し方】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしはいま68歳である。60代といえば、まだ初老という雰囲気があるが、70代に入れば、いよいよ老人の仲間入りのような気がして、とても厭である。しかし、厳然として68年間生きてきた。短歌をつくっていると、否応なく自身のいままでの人生を振り返ることになる。原稿用紙に向かってペンを執るということは、自身の今までの来し方、これからの生き方をみずから問うということでもある。

短歌

来し方の道をたどれば過ちの数おおきこと両手で足りず

悔やんでも悔やみきれない過去があり七十路に入りてようやく解かる

書斎にて歌を詠まんとペンとれば未来や過去へ想いはめぐる


 来し方を振り返ってみると、恥じ入るような生き方のその多さに、驚くばかりである。おそらくそれらを日々抱えて生きるということは、できないことである。そのあやまちを思いつつ日々は決して送ることはできない。折々に思い出すことはあっても、日常の生活の中では、それらは忘れて生きているものである。人間はよくできていて、忘れるという習性を持っている。それなくしては、人間は一歩も前に進むことはできないだろう。しかし、すべて忘れていいということにはならない。原稿用紙に向かい、ペンを執ることで、自身の来し方を問い、未来へと想いを馳せるのである。



ヒラメ

2016年9月7日(水) 曇り時々雨

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♪♪♪ 【ヒラメ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは刺身が大好きである。それは漁村で育ったことと関係しているように思う。しかし最近というか、年金生活になってから久しく刺身を食していない。もちろん法事の席やいただく仕出し弁当には、3~4切れの刺身が入っており、それは折に触れて食べることがあるが、まとまった刺身は食べることができない。それは高価だということと無関係ではない。年金生活というものは、慎ましい暮らしを余儀なくされるのである。

短歌

吾が妻はシシャモが安くて美味しいと呟きながらレンジで炙る

いつの日か平目の刺身を食みたしと夢にまでみる貧しき暮らし


 わが家の夕餉には北海道産のシシャモがよく食卓にあがる。それはシシャモが比較的安いからである。北海道産と書いたが、あるいは安いので輸入ものであるかも知れない。妻はシシャモが安くて美味しいと呟きつつ、レンジで炙っている。それとわたしが食す魚といえば、瀬戸内産の雑魚である。それは毎日のように食卓にのぼる。わたしはタイラギの貝柱、平目の刺身が特に好きである。それらの刺身の夢を見るほどに飢えているわたしである。



ポラリス

2016年9月6日(火) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【ポラリス】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの高校時代の大半は悩み多き時間だったような気がする。「人間とは人間らしく生きるとは?」とか、「生きたい、よりよく生きたい」という想いに溢れていて、憂鬱な日々を送っていた。そんな時出会ったのが、文芸部であった。文芸部では小説の本を読んだりしたが、主な活動は文芸誌を出すということだった。級友に呼びかけて、童話、詩、短歌、随想などを募り、原稿を集めて文芸誌をつくった。

短歌

天穹に煌めきているポラリスは吾をみちびく星の如くに


 その文芸部の顧問は世界史の先生であった。その先生は生徒の自主性を大いに尊重して、わたしたちを導いてくれた。先生は大学を出てその高校に赴任してきて、組合をつくった人である。だから授業のあり方も比較的自由に運営していた。ベトナム戦争の話なども、折りに触れて語ってくれた。わたしたちにとって、それはとても魅力的な授業だった。その先生はわたしにとって、天穹(おおぞら)に輝くポラリス(北極星)であった。わたしはそのポラリスに導かれて、今日まで生きてきた。それは悔いのない人生である。



映画

2016年9月5日(月) 雨時々曇り

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♪♪♪ 【映画】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 遠き日に、恋人とふたり映画をよく観にいったものである。たとえば、「自転車泥棒」や「鉄道員」といった比較的シリアスな映画だった。映画にゆく道々は、ふたりとも饒舌だった。わたしはいわゆる名画といわれる、イタリア映画などや小津安二郎や山田洋次監督、野村芳太郎や木下恵介の映画が好きだった。もちろん今でも好きで、レンタルで借りたりして観ている。しかし、レンタルは最近このような映画が棚から消えつつある。わたしはこのような傾向を淋しく思っている。

短歌

恋人を「自転車泥棒」にいざないて帰りの道は寡黙なふたり

恋人を「鉄道員」にいざないて帰りの道は寡黙なふたり


 さて、「自転車泥棒」や「鉄道員」を観た帰りには、恋人同士であっても、その帰りにはふたりとも寡黙になるから不思議である。その映画の切なさや哀しさの余韻に浸っていると、とても映画を観る前のような饒舌さは消えてゆくのである。それだけの値打ちのある名画だということができるだろう。ふたりは終電車に乗り、寡黙になって帰ってゆくのだった。



コンビナート

2016年9月4日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【コンビナート】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの村からは、20~30キロメートル離れている瀬戸大橋や水島コンビナートがよく見える。瀬戸大橋は西日に照りつけられて銀色に光っている。市役所などは「瀬戸大橋が見える町」というキャッチフレーズで宣伝などもしている。わたしは比較的無関心で、瀬戸大橋がつらぬく海をみても何の感興もおきないが、しかし銀色に光る瀬戸大橋はよく目にする。

短歌

皎々と不夜城のごと煌めきてコンビナートは河口に広がる


 瀬戸大橋とともによく目にするのは、水島コンビナートである。そのコンビナートは高梁川の河口に広がっていて、巨大な工場群が建ち並んでいる。そして紅白の高煙突から煙を噴き上げている。昼でも西日が当ると工場群が光って見えるけれど、その存在を知らしめるのは夜である。陽が落ちて周りが闇に包まれてくると、コンビナートはその存在をはっきりと現わしてくる。水島コンビナートは不夜城である。闇の中でコンビナートは皎々と煌めいている。



ルージュ

2016年9月3日(土) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【ルージュ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 青春時代にわたしには、小さな酒場を経営する友人がいた。友人といっても女性で、かすかな憧れをもった人だった。彼女は酒場を営んでいたが、それはあくまで芸術のための資金を稼ぐためのもので、決して好きな仕事ではなかった。彼女は絵を描き、詩をつくり、短歌を詠んだ。実に多彩な才能をもった女性だった。

短歌

吾が友は夜の酒場に出でてゆく疲れた顔にルージュを引いて


 その酒場は、文化人の集まるサロンのような趣があった。文化人? といえば疑問符がつくが、文化人の卵たちだった。詩人や作家、俳人をめざす人々が、よく集まって文学談義をしていた。その酒場に彼女は疲れた顔にルージュを引いて出ていた。決して彼女の求める仕事ではなかったけれど、それも生活と芸術のために開いていた酒場である。その彼女は今どうしているのだろうか。いまわたしは彼女に会いたい気持でいっぱいである。



潮の香(2)

2016年9月2日(金) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【潮の香(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 もうずっと前の話である。わたしは高校を卒業して小さな都市の市役所へと就職した。その頃のわたしは、市役所での仕事よりも組合の運動や青年運動、演劇鑑賞活動、うたごえ運動といった活動に大きな興味を持っていた。その活動に夢中になり仕事がおろそかになるとともに、深夜にまで及ぶ活動で身体と心のバランスを失うようになった。

短歌

ふるさとへ心を病んで還りくる海に出ずれば潮の香のする


 それで市役所は4年ほどで退職し、他の仕事についた。その仕事をしながらわたしは大学の通信教育を受けるようになった。大学の通信教育は、入学するのは簡単だけれど卒業できる人は2%くらいで、とても狭き門であった。わたしはいったん入学したからには、卒業をしたいと思って、深夜まで勉強に取り組んだ。それが悪かったのだろう、わたしは耳鳴りや倦怠感、めまいなどの症状が出るようになった。身体と心を病んでしまったのだった。しばらくはクスリを呑みながら頑張っていたが、ついに故里へと還ってきたのである。故里で暮らすうちに身体と心はふたたび甦ってきた。「ふるさとはありがたきかな」である。



カーテンを開く

2016年9月1日(木) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【カーテンを開く】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは30歳前後から耳鳴りがするようになった。それはわたしの青春時代の乱暴な生活によるものだと思っている。その頃わたしは、午前2時頃まで起きていて、青年運動をしていた。実際は活動をしたあとに、韓国料理店にいって、安い焼肉やキムチを食べて遊んでいたのだ。そんな無謀な生活を長期にわたって送っていたら、身体に異変が起こったのである。

短歌 (「新日本歌人」9月号に掲載)

目覚むれば耳鳴りがする今朝もまた錠剤呑んでカーテン開く


 そのひとつが耳鳴りであった。その耳鳴りは、もうかれこれ40年も続いている。とくに日常生活に影響をもたらすようなことはないが、しかしとても鬱陶しく感じている。夏になると、蝉の鳴き声か耳鳴りなのかの判別が一瞬つかなくなる。耳鳴りは煩わしいので、朝晩二回錠剤を呑んで抑えるようにしているが、なかなか効果がない。もう気長に耳鳴りと上手に付き合ってゆくことが求められている。



頑固なる便秘

2016年8月31日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【頑固なる便秘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは30歳前後から酷い便秘に悩まされてきた。便秘の経験がない人には理解できないかもしれないが、毎朝が魔の時間である。この便秘がなければ、自分の人生は変わると思われるような、そんな想いも湧いてくる。便秘になれば、その副作用としてお尻の病気にもなる。お尻の病気とは痔である。いままでわたしは痔の手術で3~4回入院している。便秘はそんな病気をも引き起こすのである。

短歌 (「新日本歌人」9月号に掲載)

頑固なる便秘に悩み昨夜(よべ)もまた薬を呑んで床に就くなり


 この便秘の原因は、精神安定剤にある。精神安定剤を呑むかぎり便秘はついてくる。それは偶然ではなく必然なのだ。最近は処方される薬の効用と副作用についての書面が渡されるようになっているが、それにはっきりと明記されている。精神安定剤の副作用として便秘は起こるのである。そこでわたしはインターネットで便秘について色々調べて、ようやくいい「クスリ」にめぐり合うことができた。まさに、人生が変わるような出来事であり、倖せをやっと手に入れたような感動だった。いまはその「クスリ」のおかげで、倖せの朝を迎えることができるようになった。



懸命に生きる

2016年8月30日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【懸命に生きる】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 30歳を過ぎた頃だろうか、わたしは精神安定剤が欠かせなくなった。身体の倦怠感、耳鳴り、睡眠障害に陥ってそれ以来、錠剤を服用している。それを呑めば日常生活はごく普通に送ることができる。時々、耳鳴りを起こすことはあるけれど、それとはうまく付き合っている。なぜ精神安定剤が必要になったかと言えば、青春時代の無謀な生活のあれこれによるものと考えている。

短歌 (「新日本歌人」9月号に掲載)

精神の安定剤が欠かせない歌を詠みつつ懸命に生く


 精神安定剤を呑みつつ、わたしは今短歌に夢中である。いわば猪突猛進状態である。周りのことがあまりよく見えないままに、突っ走っているというところだ。これもわたしの無謀さがよく現れている。わたしの干支は猪である。その猪のありようをわたしは存分に体現している。まさにわたしは猪である。それでよく失敗もしてきたし、想いを成し遂げたこともある。それで今は短歌と心中するくらいの気の入れようである。10年経てばその功罪がはっきりするだろうが、とにかくいまは短歌を詠みつつ懸命に生きるのみである。

うどん

2016年8月29日(月) 雨

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♪♪♪ 【うどん】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは年金生活者であるが、その年金が毎年のごとく減額されつづけている。わが市の生活保護費は、夫婦ふたりで10万くらいということだが、これで暮そうと思ったら大変なことである。「健康で文化的な最低限度の生活」というけれど、文化的な暮らしはできそうにない。わが家の経済はそれよりいくらかはましだが、貧しい生活を余儀なくされている。

短歌

ぎりぎりの生計(たつき)を強いられ百円のうどんを食(お)して昼餉となすなり


 老後のことを考えて、いくらかずつ預金はしているものの、生活費はずいぶん押さえ込んでいる。わたしはパチンコなどのギャンブルはもちろん、酒、煙草なども一切やらないが、生きてゆくためにはそれ相当の経費がかかる。したがって、生々しい話、ケチくさい話になるが、わたしの昼食は365日、100円のうどんである。うどん自体は35円であるが、てんぷら、蒲鉾などをのせるので、だいたい100円くらいになる。こんなふうに遣り繰りして、不意の出費に備えていくらかの預金をしているというのが実態だ。このようにわが家の台所は火の車で、台所から今の政治のありようを告発している。



悲しき心

2016年8月28日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【悲しき心】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 人間の生活とはなかなか厄介なものである。たしかに人と交わってこそ人間らしい生活ができることは、その通りだろう。とくに労働の現場では、お互いに助け合い励ましあいながらなくして、その仕事は遣り遂げることはできない。またそれが人間の本質と言えるだろう。もちろん仕事の現場でも、色々な人間関係は生ずる。仕事のうえで人間関係がうまくいかないということで職を辞すということもあとを絶たない。

短歌

「ちきしょう」と友に投げたき言葉なりそれもできない悲しき心


 わたしは労働の現場から離れているので、仕事場での人間関係にもつれることはないが、しかし人間の交わる日常の生活でも、色んな問題は発生する。理不尽な友人や知人も現れてくるものである。そんな時、正面から自身の想いを吐き出すことができたら、どんなにか心の重荷は軽くなることだろう。が、それをしたらまた別の重荷が加わるので出来ないでいる。もちろん自己嫌悪にも陥ることになるだろう。しかし、相手に向かって「ちきしょう」と投げつけてやりたい想いがある。が、それができない悲しさ、悲しい心、人間は厄介なものである。



プロフィール

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Author:FC2USER634322BTA
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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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