頑固なる便秘

2016年8月31日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【頑固なる便秘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは30歳前後から酷い便秘に悩まされてきた。便秘の経験がない人には理解できないかもしれないが、毎朝が魔の時間である。この便秘がなければ、自分の人生は変わると思われるような、そんな想いも湧いてくる。便秘になれば、その副作用としてお尻の病気にもなる。お尻の病気とは痔である。いままでわたしは痔の手術で3~4回入院している。便秘はそんな病気をも引き起こすのである。

短歌 (「新日本歌人」9月号に掲載)

頑固なる便秘に悩み昨夜(よべ)もまた薬を呑んで床に就くなり


 この便秘の原因は、精神安定剤にある。精神安定剤を呑むかぎり便秘はついてくる。それは偶然ではなく必然なのだ。最近は処方される薬の効用と副作用についての書面が渡されるようになっているが、それにはっきりと明記されている。精神安定剤の副作用として便秘は起こるのである。そこでわたしはインターネットで便秘について色々調べて、ようやくいい「クスリ」にめぐり合うことができた。まさに、人生が変わるような出来事であり、倖せをやっと手に入れたような感動だった。いまはその「クスリ」のおかげで、倖せの朝を迎えることができるようになった。



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懸命に生きる

2016年8月30日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【懸命に生きる】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 30歳を過ぎた頃だろうか、わたしは精神安定剤が欠かせなくなった。身体の倦怠感、耳鳴り、睡眠障害に陥ってそれ以来、錠剤を服用している。それを呑めば日常生活はごく普通に送ることができる。時々、耳鳴りを起こすことはあるけれど、それとはうまく付き合っている。なぜ精神安定剤が必要になったかと言えば、青春時代の無謀な生活のあれこれによるものと考えている。

短歌 (「新日本歌人」9月号に掲載)

精神の安定剤が欠かせない歌を詠みつつ懸命に生く


 精神安定剤を呑みつつ、わたしは今短歌に夢中である。いわば猪突猛進状態である。周りのことがあまりよく見えないままに、突っ走っているというところだ。これもわたしの無謀さがよく現れている。わたしの干支は猪である。その猪のありようをわたしは存分に体現している。まさにわたしは猪である。それでよく失敗もしてきたし、想いを成し遂げたこともある。それで今は短歌と心中するくらいの気の入れようである。10年経てばその功罪がはっきりするだろうが、とにかくいまは短歌を詠みつつ懸命に生きるのみである。

うどん

2016年8月29日(月) 雨

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♪♪♪ 【うどん】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしは年金生活者であるが、その年金が毎年のごとく減額されつづけている。わが市の生活保護費は、夫婦ふたりで10万くらいということだが、これで暮そうと思ったら大変なことである。「健康で文化的な最低限度の生活」というけれど、文化的な暮らしはできそうにない。わが家の経済はそれよりいくらかはましだが、貧しい生活を余儀なくされている。

短歌

ぎりぎりの生計(たつき)を強いられ百円のうどんを食(お)して昼餉となすなり


 老後のことを考えて、いくらかずつ預金はしているものの、生活費はずいぶん押さえ込んでいる。わたしはパチンコなどのギャンブルはもちろん、酒、煙草なども一切やらないが、生きてゆくためにはそれ相当の経費がかかる。したがって、生々しい話、ケチくさい話になるが、わたしの昼食は365日、100円のうどんである。うどん自体は35円であるが、てんぷら、蒲鉾などをのせるので、だいたい100円くらいになる。こんなふうに遣り繰りして、不意の出費に備えていくらかの預金をしているというのが実態だ。このようにわが家の台所は火の車で、台所から今の政治のありようを告発している。



悲しき心

2016年8月28日(日) 曇りのち雨

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♪♪♪ 【悲しき心】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 人間の生活とはなかなか厄介なものである。たしかに人と交わってこそ人間らしい生活ができることは、その通りだろう。とくに労働の現場では、お互いに助け合い励ましあいながらなくして、その仕事は遣り遂げることはできない。またそれが人間の本質と言えるだろう。もちろん仕事の現場でも、色々な人間関係は生ずる。仕事のうえで人間関係がうまくいかないということで職を辞すということもあとを絶たない。

短歌

「ちきしょう」と友に投げたき言葉なりそれもできない悲しき心


 わたしは労働の現場から離れているので、仕事場での人間関係にもつれることはないが、しかし人間の交わる日常の生活でも、色んな問題は発生する。理不尽な友人や知人も現れてくるものである。そんな時、正面から自身の想いを吐き出すことができたら、どんなにか心の重荷は軽くなることだろう。が、それをしたらまた別の重荷が加わるので出来ないでいる。もちろん自己嫌悪にも陥ることになるだろう。しかし、相手に向かって「ちきしょう」と投げつけてやりたい想いがある。が、それができない悲しさ、悲しい心、人間は厄介なものである。



遠雷

2016年8月27日(土) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【遠雷】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 今年は本当に暑い夏だった。しかしわたしは、夏が好きなので自身の書斎のエアコンは一度も使うことがなかった。が、扇風機は部屋のあちこちに設置して暑さをしのいできた。数えてみれば、5台の扇風機を部屋に置いてこの夏を乗り越えることができた。天気予報によると、35度前後まで気温があがるのは、今日までのようである。明日からは気温が下がるらしい。しかし、それから秋に向かってゆくかどうかは分からないが、一息つくことができるだろう。

短歌

丘に立ち鈍色の空を見上ぐれば静寂破り遠雷聞こゆ


 そんな夏であったが、時折、一瞬に空が曇ってくることがあった。何度か雨も降った。そして空を見上げれば、鈍色の空が広がっていたりする。丘に立って空を見上げれば、遠くで雷鳴が鳴っている。遠雷である。この夏は近くで雷鳴を聞いたことがない。静寂を破ってなる遠雷は幾度か聞いた。遠雷はどこか淋しげでなつかしいものである。



終戦記念日

2016年8月26日(金) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【終戦記念日】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 8月15日は終戦記念日であった。ある人は終戦記念日ではなく「敗戦の日」であると定義づけており、断じて「敗戦の日」だと主張している。つまり、先の戦争は自然に終結したわけではない、という説である。第二次世界大戦は日本の無条件降伏で終ったのだから、「敗戦の日」だというわけである。8月15日は厳密にいえばそういえるかも知れない。この敗戦によって、日本国民とアジアの諸国民は大きな犠牲を強いられた。

短歌

忠魂の碑はただ黙し戦死者の呻きの如く蝉さんざめく 


 わたしの棲む町でも、先の戦争で300人余の戦死者を出している。その忠魂碑が寺の傍の丘の上に建立されている。たまにわたしはその丘に登るのだが、忠魂碑の横の黒御影石に累々と戦死者の名前が刻まれている。その前に立っていると、裏の林から蝉の鳴き声が聞こえてくる。それはまるで戦死者の声なき声のようである。戦死者の呻き声のように蝉はさんざめいている。



ステーション

2016年8月25日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【ステーション】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 駅というのは、人生の交差点のようなものである。人生の別れと出会いのある場である。そこに色々なドラマが生まれる。俵万智は次のような短歌を詠んでいる。

いつもより一分早く駅に着く 一分君のこと考える

 これはとくに別れと出会いの歌というわけではないけれど、恋の歌である。朝のラッシュアワーの慌しい時間、駅で一分だけ君のことを考える。ちょっとした時間に、駅で恋人のことが頭をよぎる。


短歌

人生の別れと出会いのステーション去りたる君はまだ降り立ちぬ

人生の別れと出会いのステーション君は去りゆき別れの予感


 わたしの歌は別れの歌である。これは恋人に去られようとしている主人公の想いを、詠んだものである。駅での別れと出会いは、単に恋人同士だけのものではなく、人生の折々に生ずるものである。イルカの「なごり雪」も駅が舞台である。駅での別れをテーマにしている名曲だ。まさにステーションは人生の別れと出会いを織りなす舞台である。



晩年

2016年8月24日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【晩年】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 晩年をどのように生きるか、というのは、わたしたちの世代への問いかけであるように思う。だれでもが希望としてあげるのは、精神と身体の健康ではないだろうか。認知症に多くの人が罹るという現実があり、癌になる人たちも決して少なくない現実がある。実際、わたしは認知症や癌に罹ることなく晩年を過ごしたい、という祈るような気持である。祈る、というと大げさのように思うけれど、わたしの偽らざる気持である。

短歌

晩年を歌詠みとして生くるべし人生を意義あらしめるため


 そうした精神と身体の健康を祈りつつ、わたしは晩年を歌人として生きたいと願っている。短歌をはじめたばかりの人間が、歌人と自ら称するのは恥ずかしいことこのうえないが、しかしそれは自らを励ます意味を込めてのものである。つまりたんなる趣味としてではなく、自身の人生に関わるものとして、歌を位置づけたいからだ。人生そのものとしての短歌をもって生きてゆきたい、という願いがそこにはある。



カモメ

2016年8月23日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【カモメ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 瀬戸内海の島影に落ちてゆく太陽を見るのは格別のものがある。どこから見る落日も美しいものに違いないが、瀬戸内の島影へ朱に染まった夕陽が沈んでゆくのは、朝日とは違ってやはりどこかもの悲しく美しい。島影に夕陽がかかりはじめると、海をくれないに染め、波は揺れて煌めいてくる。美しいには違いないが、やがて夕闇がやってくるという、もの悲しさもともなっている。

短歌

西空を夕陽は朱く染めぬきぬ舞うごとく翔ぶカモメも染めて


 その夕陽を浴びて、白いカモメが舞っている。鴉も夕陽をよぎることがあるけれど、カモメは夕陽に染まって、舞うごとく翔んでただよっている。島影に落ちる夕陽、その夕陽をよぎるカモメの群れ、その光景はとても美しくもの悲しい。それは一日の終焉を意味するからだろう。



愛ちゃんの涙

2016年8月22日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【愛ちゃんの涙】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 リオ・オリンピックの卓球女子団体で、日本は銅メダルを獲得した。わたしはこのオリンピックでライブを観たのは、この試合だけである。あとの種目はほとんどニュースか録画だった。それはわたしが「愛ちゃん」ファンだからだ。日本はこの種目で銅メダルを得たが、顔を崩して泣いていたのは「愛ちゃん」だけだった。石川も伊藤も瞳を濡らしていたが、「愛ちゃん」ほどではなく、わりと平然としていた。


短歌

卓球の愛ちゃんら団体で銅深き人生のつまったメダル

卓球の愛ちゃんら団体で銅涙の理由は深くて重い



 「愛ちゃん」のこの涙は、どんな涙だったのだろうかと、わたしは想像する。「愛ちゃん」は、準決勝でも三位決定戦でも相手に敗れた。試合後のインタビューでも「足ばかり引っ張っていて」と、涙を流しながら答えていた。チームのリーダーとしての重圧もあっただろうし、長い卓球人生の想いもあっただろうと想像する。決して彼女の涙は軽いものではない。深くて重い、人生のつまった涙だったのだろうと思うと、わたしの胸を突き上げるものがあった。わたしの瞳もぼんやりと滲んでくるのだった。「愛ちゃん」の涙は、深くて重い美しい涙である。



遠くの霧笛

2016年8月21日(日) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【遠くの霧笛】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 岡山県の灯台は10前後ある。それより他に防波堤灯台はわたしの町にもふたつあり、この数は相当多い。瀬戸内海の航行は比較的安全に思えるが、船の行き来は頻繁である。したがって、灯台の果たす役割は決して小さくはない。灯台はわたしの町からは見えないが、防波堤灯台は海岸線を車で走れば容易に見つけることができる。灯台はとても大切な役割をになっているが、一方でどことなくロマンチックである。


短歌

冴えざえと光りを放つ灯台よ遠くの霧笛が哀しく聞こゆ


 灯台が放つ光りは冴えざえとして、どことなく哀しい。しかも海霧がでた時の霧笛はなおさら哀しく響いてくる。霧笛はめったに聞くことはできないが、身近に聞こえるのはフェリーである。港から出てゆくフェリーが、汽笛を鳴らして合図を送る。海霧が出て遠くで聞こえる汽笛は、どこか淋しくどこか哀しい。そして灯台は、冴えざえとした光りを放つのである。



哲学者

2016年8月20日(土) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【哲学者】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの高校時代は決してばら色の季節ではなかった。悩み多き多感な高校時代である。わたしはひとりの「哲学者」であった。「人間は何のために生きるのか」、「如何に生きてゆくのか」を、深く考えていた。観念論や唯物論に出会ったのもこの頃である。わたしは弁論大会で、ちょっと変わったテーマで自身の考えを学友に訴えた。それは史的唯物論であった。それを分かりやすく自分流に、自分の言葉で語りかけたのである。

短歌

若き日に如何に生きるか悩みたり哲学者のごと青い顔して


 そんな高校時代を送ってきたわたしだったが、人間の生き方について、わたしなりに掴むことができたように思う。そしてわたしは高校卒業の間近に、将来の自身の生き方のおおよその志を立てたのである。あれから50年が経つ。しかし、わたしはその時に立てた志を今も胸に抱いて生きている。「哲学者」として過ごした高校時代は、わたしにとってとても貴重な時代であった。晩年もその志を貫いて生きてゆくことになるだろう。



アケビ

2016年8月19日(金) 晴れのち曇り

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♪♪♪ 【アケビ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 戦後生まれのわたしは砂糖というもの、めったに口にすることができなかった。砂糖は品薄だったのだろうか、それとも高価だったのだろうか。そのいずれもが当っているような気がする。わが家は貧しかったので、おそらく砂糖が高価で買えなかったのだろう。だから、どこの子どもも砂糖には飢えていたように思う。

短歌

貧しくて砂糖も買えぬ戦後っ子あけびを探し野山を駈ける


 したがって、野山に生えているアケビというものは、子どもたちにとって憧れの木の実だった。学校から帰ると、カバンを縁側に投げ出して友だちと野山に入っていったものである。アケビは甘くて子どもたちにとっては、木の実の王者のような存在だった。わたしたちは、日が落ちて暗くなるまで野山を歩いたものだ。アケビを探して野山を彷徨っていた。アケビだけでなく、イタドリ、スイバなども子どもたちの食い物だった。これも戦争の後遺症ともいえる現象である。



潮の香

2016年8月18日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【潮の香】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 わたしの棲むところは海の町である。東西にちょっとした岬があり、入江となって海を抱き込んでいる。いつもひたひたと波が岸辺を洗っている。町には三つの漁港があって、早朝に慌しく漁船は出てゆく。朝5時頃には魚市場が開いて、セリが行われている。したがって、わが町の朝は動き出すのが早く、人の行き交いも多い。

短歌

あけぐれに露地を曲がりて「しんぶん」を配りてゆけば潮の香がする


 そんな町でわたしは「しんぶん」を配っている。だいたいわたしは4時前後に目を覚まし、身支度をして「あけぐれ」の町へと出でてゆく。そんな「あけぐれ」に、町の露地へと入ってゆけば、潮の香が漂っている。その香を嗅ぎながら、「しんぶん」を配るのである。雪深い村で「しんぶん」を配る同志のことを思えば、わたしはずいぶん恵まれている。



ヒロシマの日

2016年8月17日(水) 曇りのち晴れ

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♪♪♪ 【ヒロシマの日】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 岡山でも広島でも連日、猛暑日がつづいている。つまり連日、35度、36度という暑さである。この暑さでもわたしはわりと平気なのだが、暑さに弱い人たちにとってはたまらないだろう。わたしもたまに図書館に逃げ込むことがあるが、お盆も過ぎて朝夕はかなり涼しくなってきた。が、厳しい残暑はしばらくつづくようである。

短歌

降り注ぐ夏の陽射しに蝉が鳴く八月六日ああヒロシマの日


 8月6日はもう旬日を過ぎたけれど、70年余を過ぎてもヒロシマの日は忘れることができない。いま岡山にいて想うことは、蝉の鳴き声である。蝉は夏の陽射しを浴びながら、短い命を惜しむように、さんざめいている。その鳴き声は暑さをよりいっそう増幅させる。暑さの象徴のように命を賭して鳴くのが聴こえてくる。その鳴き声を聞くたびにヒロシマの日を想う。あの日もこのように暑かったのだろうか、このように蝉は鳴いていたのだろうかと想う。絶対悪である人類と共存することのできない核兵器は、早急に廃絶されなければならない。原発もまた同様である。



寺の鐘

2016年8月16日(火) 曇り時々晴れ

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♪♪♪ 【寺の鐘】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 吾が家の前を県道が貫いていて、3~400メートル行くと、隣の町との境になっている。そこに峠があり古刹がある。龍城院という寺で檀家数も1500軒くらいある大きな寺である。わたしも時々その寺を訪ね、大きな公孫樹を見上げたり、晩秋には楓の紅葉をみたりして境内をそぞろ歩く。吾が家の菩提寺ではないが、ごく近いので思い立ったら訪ねて心を和ませる。

短歌

見上ぐれば綾なす西空広がりて峠の寺の鐘が鳴るなり


 その寺の西空が落日ともなると、茜色に染まりゆく。その空が大きく広がって綾なすのである。ちょうどその頃、晩鐘が鳴らされる。その鐘は朝な夕な鳴らされるのであるが、社会の安寧を願って打たれる。毎日というわけにはいかないが、折々にわたしはその鐘の音を聴いている。せわしない心がやすまるから不思議である。



冬の女

2016年8月15日(月) 晴れ

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♪♪♪ 【冬の女】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 浜辺で見た光景である。女が独り浜辺を歩くだけでどこかドラマの予感がする。しかも冬の浜辺を独り女が歩くとなるとなおさらである。何かを喪ったのだろうか、たとえば失恋をしたのだろうか、などと空想は広がってゆく。浜辺を歩いてゆく。寄せては返す波の音が聞こえてくる。深い想いに沈んで歩みをすすめる。空は落日で朱く染まっている。女は自身の長い影を踏みながら渚を歩いてゆく。女のドラマを感じさせる冬の浜辺である。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

風の吹く寒い浜辺をものうげに女が独り歩いてゆきぬ


 そんな光景を切りとった歌を詠んでみた。

落日に独り浜辺を歩くなり君想いつつ長き影ふむ



高砂百合

2016年8月14日(日) 晴れ

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♪♪♪ 【高砂百合】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 今年はことのほか暑い日が続いている。いくらわたしが夏に強いといっても、35度以上になると、やはり堪らない。家の中にいてもどこも熱風が漂っていて、身の置き所がない。基本的にわたしはエアコンを使用しないので、扇風機だけでは熱い風を掻き回しているようなものである。そうなるとわたしは図書館へと足を運ぶことにしている。図書館はエアコンが効いているので、本を開いて小半日を過ごすのである。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

灼熱のアスファルトより芽を出して高砂百合がしなやかに咲く


 その図書館の駐車場で見つけたのだが、アスファルトの割れ目から百合が茎をすっと真っ直ぐ伸ばし、花を咲かせていた。この生命力には驚かされた。アスファルトといえば、その地上ではたぶん40度前後にはなっているだろう。そんなところに百合が咲いている。アスファルトを割って伸び、花を咲かせるとは、また灼熱の大地である駐車場に芽を出すとは、まさに感動をさそう光景である。しなやかに咲く百合は、わたしを爽やかな心持ちにさせるのだった。



魔法のくすり

2016年8月13日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【魔法のくすり】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 サプリメントのテレビコマーシャルは、頻繁に行われている。地上波でも流れているが、BSの宣伝ははなはだしい。15分おきくらいには、必ずといっていいくらいサプリメントのコマーシャルだ。終始流されると不思議なもので、本当に効用があるのではないかと錯覚してしまうほどである。おそらく病で悩んでいる視聴者は、藁にもすがる思いで電話をかけることがあるに違いない。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

肩に膝に手にも効くといふサプリメントの魔法の如きをテレビが映す 


 わたしはまだサプリメントを求めたことはないが、それはそんなに効用があるのだったら、病院で扱うに違いないと思っているからである。病院でも肩や腰や膝の痛みを容易に治すことはできないでいる。そんな病をサプリメントによって改善するというのは、到底考えられない。しかし、テレビコマーシャルは、まさに魔法の薬でもあるかのように、宣伝しつづけている。もううんざりするほどである。



女高生の孫(2)

2016年8月12日(金) 晴れ

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♪♪♪ 【女高生の孫(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 女高生の孫は、いま高校2年生である。わたしの人生を振り返ってみても、これから10年ほどは生涯でもっとも輝く時代である。女高生の孫は、もう親離れをしようとしている。いままで親の庇護のもとで育てられてきたが、もう親のもとを離れ新しい世界へと興味を示している。それはちょうど、ツバメが巣から飛翔して外界に出てゆき、また巣に帰ってくる姿に似ている。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

女高生の孫が街へと出でてゆく未知なる世界を覗くが如く
 

外界に出てゆくのも怖い、そうかといって外界への興味も尽きない。したがって、巣を飛び立ったり帰ってきたりする。それと同じように、女高生の孫も恐る恐る街に出てゆくのである。彼女の眼から見たら、なんて魅力に溢れた世界が広がっているのだろう。その世界は怖い一面をもっているが、彼女は新しい世界を覗くように街へと出てゆくのである。大いに未知なる世界を探索し、世界を広げ飛翔する準備をしてほしいものである。



訃報

2016年8月11日(木) 晴れ

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♪♪♪ 【訃報】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)


 わが村の高齢者率は高く65歳以上の人の占める割合は40%前後になっている。戦後の直後には、子どもたちは溢れかえり、わたしの中学の学年も6か7クラスあったのだが、今は2クラスがやっとである。まさに少子高齢化社会といわなければならない。その原因はいくつかあるが、都市への一極集中と子どもを産み育てる条件が疲弊していることが、その因になっていることも確かだ。これは国の政治のひとつの縮図といってもいいだろう。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

海の村の有線放送が死者を告げ哀しみがまた広がりてゆく 


 そんな中にあって、毎日のように有線放送が訃報を告げてくる。午後5時前後に有線放送が流れると、決まったように訃報である。いかに高齢者の村といえども、これだけ死者の知らせが流れるというのは異常である。少子高齢化社会というのは、日本の将来・未来にとって決して望ましい姿ではない。平均すると、若い夫婦の出産は2人にも満たないと言われている。その原因は子どもを産み育てる環境がないからである。これも国の政治の無策に他ならない。



ガスレンジ

2016年8月10日(水) 晴れ

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♪♪♪ 【ガスレンジ】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 18年も経つと、色々な器具が寿命を迎えるようだ。新しく家を求めたのは18年前である。電気製品やその他の器具をその時、買い替えたので、それらの器具の年齢は18歳である。エアコン、冷蔵庫、灯油のボイラー、洗濯機、テレビ、ガスレンジなどなどである。今年になって、灯油ボイラーとガスレンジが駄目になった。灯油ボイラーは、今年の大寒波襲来が原因でこわれてしまったが、これも寿命が尽きたのだろう。

短歌 (龍短歌会「龍」8月号に掲載)

新しきガスレンジにておでんを炊く青い焔の噴くを見ながら 


 そしてガスレンジである。システムキッチンのガスレンジなので、買い替えるとなると、金額がかさんでしまう。しかし、これも寿命を迎えたようである。グリルが不調だし、コンロより噴出す焔は、不完全燃焼でオレンジの火が出ていた。そこで思い切って買い替えたのである。新しいガスレンジから噴出すのは、青い焔である。その焔がとても美しい。思わず見とれてしまうほどである。もうすぐ買い替えなければならないのは、洗濯機、冷蔵庫、エアコンなどであるが、預金通帳を睨みながらということになる。



ウグイス(2)

2016年8月9日(火) 晴れ

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♪♪♪ 【ウグイス(2)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 もうかれこれ1年くらいになるだろうか。自転車から降りようとして、背骨がポキッと鳴ったという。それからである。妻は自転車に乗れなくなり、買い物にも行けなくなってしまった。家事はそれなりにこなしているが、もう大人の「引きこもり」状態である。夫婦ふたりなので家事もそれほどあるわけではない。終日臥せっているようなものである。家族に病人が出れば、まわりの人間も気が重くなる。

短歌 (龍短歌会「龍」7月号に掲載)

妻が病み憂鬱なる日々鶯の声を聴かむとわれは出でゆく 


 そこでわたしは時折、ウグイスの鳴き声を聴こうと思って、近くの山に登るのである。すると、をちこちからウグイスの鳴き声が聴こえてくる。憂鬱な気持でいるわたしの心をどれだけ和ませてくれるだろうか。わたしは山の散策路をたどって、ぶらりぶらりと歩いてゆく。目を先にやると、瀬戸の海が広がっている。漁船が白い尾を曳いて滑るように、海をすすんでゆく。そんな光景を見ていると、沈んだ気持も甦ってくるから不思議である。



日の出

 2016年8月8日(月) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【日の出】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 日の出と落日の瞬間は、なんともいえない美しさに彩られる。落日は村の岬に出かけてゆけば、島々のかなたに沈んでゆくのを見ることができる。不思議なもので陽が昇りくる時と落日のときには、太陽が赤く染まる。落日のときも赤く染まりながら、島々のかなたに落ちてゆく。そんなときは西の空は茜色に染まり広がってくる。やがて大地は闇に呑まれ、空もしだいに闇に呑まれることになる。

短歌 (龍短歌会「龍」7月号に掲載)

赤々と岬の果てに昇りくる朝陽が海を黄金に染める 


 朝日が昇るのは季節によってその位置を変えるが、岬の果てから昇るのがもっとも美しい。朝日が美しいのは夏よりも冬のほうである。冴え冴えとした空気のなかで見る朝陽は格別なものがある。岬の果てから、はじめ爪のような太陽がのぞく。そして半円になり円となってゆく。その一瞬に遭遇すると、「あ!」と声を挙げてしまう。朝陽が昇りきると、瀬戸内海が黄金に染まって、ゆらゆらと揺れる。そのドラマは実に感動的である。



新たな地平

2016年8月7日(日) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【新たな地平】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 いま短歌をつくるのがとても楽しい。だいたい一日に6首つくっているのだけれど、その時間は集中してやっている。しかし時間はあまりかけない。ほぼ1時間ちょっとで6首をつくっている。わたしの実感からいうと、五行詩を6つつくっているような趣きである。詩をつくるというのは、心がときめいてくる。「さあ!詩をつくるぞ」という心持ちで、自分を励まして原稿用紙に向かう。

短歌 (龍短歌会「龍」7月号に掲載)

人生の岐路で短歌に出会ひけり新たな地平に吾は立ちたり 


 短歌は抒情詩と言われるくらいだから、あながちわたしの思いは間違っていない。ただ、抒情詩というのが難しい。抒情というのは、「情(こころ)を抒(のべ)る」といわれるが、その情(こころ)を表現するのが難しい。悲しい、哀しい、楽しい、嬉しい、怒りなど、つまり喜怒哀楽をそれらの言葉を使わないで表現しようと思ったら、やはり難しいのだ。それを会得するためには、まだまだ多くの時間を要するだろう。しかし、わたしは短歌という新しき地平に立ったのだから、そこから新しき生き方をしたいと思っている。



野焼き

2016年8月6日(土) 晴れ

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♪♪♪ 【野焼き】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 春彼岸の前後になると、いよいよ春の陽気になって、大人も子どもも外へ誘われてゆく。子どもたちは公園に出て、キャッ、キャッと騒ぎながら、ブランコをこいだりジャングルジムに登ったりする。あるいは公園の池で泳ぐ錦鯉に餌さを投げ入れたりする。まるで虫たちが土中から出るように、子どもたちも外の太陽や風と触れ合う。親たちはその様子を傍でうかがっており、いかにも楽しそうである。

短歌 (龍短歌会「龍」7月号に掲載)

暖かき春の日の昼をちこちで野焼きの白き煙が上がる 


 大人たちもまた、野山に出掛けたり海へと足を伸ばしたりする。海では竿を投げ入れてのんびりと釣りを楽しんだりする。野山では大人たちが、枯れ草を集めてそれに火を放っている。をちこちで焔があがり、白い煙が立ち昇ってゆく。こんな光景も春ならではのものである。いままで寒くて家に閉じ込められていた人間が、外へ出て活動を始めるのである。



ちちははの墓

2016年8月5日(金) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【ちちははの墓】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 ちちははの生涯は苛酷そのものだったような気がする。父はいわゆる15年戦争で3度徴兵されて、外地に赴いている。父は軍隊生活のことはいっさい語ることがなかった。ただ、兵隊として物語るものは、壁に掛かった何枚かの写真だけだった。軍服を着て馬にまたがった写真などもあった。父も軍隊生活を語らなかったけれど、迂闊にもわたしも訊くということをしなかった。

短歌 (龍短歌会「龍」7月号に掲載)

立春の柔らかき陽がちちははの墓に斜めに射してゐるなり


 母は男ばかりの四人兄弟を戦中から戦後にかけて育てた。実に働き者の母だった。わたしが床に就くときは内職をしていたし、目覚めた時にはもう畑か台所で働いていた。貧しくて上の兄ふたりは中学しかやることができなかった。父と母は苦労の連続だったような気がする。そんな父と母が眠っているのは、菩提寺の墓地である。夾竹桃の咲く道を登ってゆけば、ちちははの墓がある。苛酷な人生を送ったちちははたちは、いま安らかに五輪塔の墓に眠っている。



雨の日

2016年8月4日(木) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【雨の日】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 雨の日、風の日、冬の日の「しんぶん」配りは誠に辛い。真冬にはたいてい車のフロントガラスが凍って前も後ろも見えない。そこで、ポットに入れた湯を注いで、氷を溶かす。そんな作業をしてから、やっと出発できる。また、車から出るたびに凍えるような空気に白い息を吐きながら、一軒、一軒訪ねて「しんぶん」を届ける。

短歌 (龍短歌会の「龍」7月号に掲載)

あかときのしじまを破る雨の音新聞配りにわれは出でゆく 


 雨の日もまた辛いものである。ベッドで目覚めると、何やら音が聞こえてくる。雨だれである。そこでわたしの気持は急に萎える。「チェッ」と呟いて、布団を蹴って床から抜け出す。冬の日は、氷を溶かす作業が必要だが、雨の日は傘を用意するか、麦わら帽子を持ち出して雨に備える。本降りの雨には傘が必要だが、小降りの場合は縁の広い麦わら帽子である。いずれにしても「しんぶん」配りは困難がともなう厄介な仕事である。







水際(みぎわ)

2016年8月3日(水) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【水際(みぎわ)】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 水際というのは文字通り、「みずぎわ」であり、浜辺などの渚といってもいいだろう。辞書をパッと開いて出てきた言葉が「水際」だった。それから連想してつくったのが次ぎの歌である。これは虚構のようにも思えるが実はそうではない。わたしは時折り水際に立つのである。わたしの町の島(今は干拓されて陸つづきになっている)の南に素晴らしい砂浜がある。ちょうど今は海水浴ができる頃で、親子連れの家族がやってきている。

短歌

あかときに水際に立ちて沖を見る水平線は海霧にかすみて

落日に女が独りひっそりと水際に立ちて沖を眺むる


 早朝にその浜辺を歩んでいると、海霧が発生して瀬戸の島々が幻想的に包まれることがある。海霧は夏よりも春先のほうが多いようだ。水平線が海霧におおわれて空と海の境界が分からなくなる。わたしはそんな時、ひとりで渚を歩き海霧に包まれた瀬戸内海をじっと眺める。瀬戸の海はいろいろな表情を見せてくれるのである。



そこはかと

2016年8月2日(火) 晴れ時々曇り

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♪♪♪ 【そこはかと】 ♪♪♪ (短歌とエッセイ)

 短歌をはじめて1年半、作歌のスタイルを少し、いや大きく変えてみようと思っている。短歌というものは、虚構ではなく体験や経験に基づくものでなければならない、と教えられ、わたしも原則的にそのようにしてきた。しかし「あ!」という感動が、毎日、毎日あるわけではない。すると、毎日短歌をつくるのが難しくなる。そして原稿用紙に向かうのが苦しくなってくる。それでは作歌の楽しみを味わうことができなくなる。

短歌

迷いみち露地を曲がればそこはかと金木犀が匂いくるなり

突き出たる岬に立てばそこはかと潮の香りが匂い立つなり


 そこでわたしが考えたのが題詠である。しかも誰かに兼題を与えられてつくるのではなく、みずから題を選んでそれに基づいて歌を詠むのである。それを始めてまだ2~3日しか経っていないが、それがことのほか楽しい。まるで小説を書くような趣きである。上記の歌は、短歌辞典を適当に開いて、そのページに載っている言葉を拾い上げてつくったものだ。そのページに載っていた言葉というのは、「そこはか」という言葉だった。その言葉をたよりにつくったのが上記の歌である。しかし、この歌はまったくの空想でも妄想でもなく、自身の体験や経験に基づいたもので、広い意味では虚構ではないかも知れない。ただ、辞典に作歌の手がかりを求めてつくったものだといえるだろう。



プロフィール

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 1947年生まれの68歳で、
「新日本歌人協会」の会員です。
 短歌創作を通じて、平和と民主主義をめざしています。
 住所は岡山県浅口市寄島町です。
 青い海と緑の山、青い空をもつ素敵な村です。
 名前は「千春」ですが、男性です。

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